相棒

 

 ぷくぷくぷく。
 湯船に口元までつかり、ラァスは息をつく。
「何やってんだ」
 丹念に身体を洗っているハウルが、ラァスを見て呆れて呟いた。
「お肌つるつるぅ?」
「るせぇ」
「泥の中につかるエステがあったと思うんだぁ」
「黙ってろ」
「まあ、沼がお肌にいいとは聞かないけどね」
 ハウルが手桶を投げる。ラァスはそれを余裕で避けた。
「師匠の作った入浴剤は、効果てき面だよねぇ。ここに来てから、ほんとお肌の調子がいいんだよね」
 花など浮かべて。よい香りをかぎながら。
「幸せぇ」
「ほんと、お前って女みたいに風呂好きだよな」
「汚いのが嫌いなの。まったく、自分が泥だらけになったからって、人に抱きつくなんて。ほんと、大人げないね」
 抱きつれた程度のラァスは簡単に汚れも落ちてこうしてのほほんとしているが、メディアに沼に蹴落とされたハウルは、思い切り頭から沼に突っ込んだ。
 二人で風呂の取り合いをした結果、一緒に入ることにした。男同士なのだからと。
 ハウルはシャワーを浴びた。泡が落ちる。
 泥だらけだった小汚い少年が、見事な変貌を遂げていた。
 輝く銀髪。白い肌。
 ラァスが嫉妬するほど綺麗な肌。
「ハウルって、肌きれいだよねぇ。なんかしてる?」
「別に。ってーか、肌に気を使いすぎる男ってのはなんだかなぁ……」
「時代遅れな考えだよ、それは。まあ、僕ほど可愛い男の子じゃないと、あんまり意味ないからね」
「……前から思ってたんだけどさぁ。自分で言ってて、恥ずかしくねぇの?」
「ぜんぜん。僕が可愛いのは事実だし」
「んで、カロンみたいなのに好かれると?」
「そーいや、昨日から見たいよね。また盗みに行ったかな?」
「いっそ、カロンのとこに嫁に行ったらどうだ? 遺産はすごそうだぞ」
「……ハウル……いくら僕でも、自分を好いて寄って来る奴をさくっとは殺せないって」
「そーなん? 宝石のためなら、それぐらいするかと思ってた」
「いや、しないって」
 その時だった。
「ラァス君!」
 突然、浴室のドアが開いた。
「カロン!?」
ハウルは慌てて湯船につかる。
「なんだ、てめぇは」
 さすがに非難の声を上げるハウル。
 にやけていたカロンは、その言葉にはっとなり、顔を引き締めた。
「ラァス君、頼みがある」
「何? 高いよ」
「もちろん承知している。手に入れた宝石を山分けでどうだろう?」
「んで、何をすればいいの? ものによるよ」
「引き受けるのかよ……」
 ハウルの声は無視し、浴室の入り口で仁王立ちするカロンへと微笑んだ。
 こういうときの彼は、無茶難題を突きつける事はない。結婚しろとか、人が友人と入浴しているときにするほどの馬鹿ではない。
「とある男を誑かしてほしいんだ」
「は?」
 ラァスは耳を疑った。
 よりにもよって、他の男を誑かす。
「正気?」
「もちろん」
「何で?」
「悪を懲らしめよう」
 その言葉にラァスは頷いた。
 そういうのなら、歓迎だ。

「……懲らしめる……つまり、お国にバレたらいけないような方法で手に入れた宝石を盗むって事?」
「そう。盗品を売買している奴がいてね。知り合いが大切にしていた絵画を盗まれたから取り戻してくれと。情報はそこからかなりもらったが、肝心の隠し場所が分からない。ということで、スケベオヤジをだまくらかすのを得意とするラァス君に頼んでいる」
「ふぅん。おもしろそーじゃん」
 ラァスは口紅のアウトラインを塗り終え、呟く。
 ヴェノムの似合うようなルージュではない。可憐な、すこし落ち着いた色だ。普通に長いまつげにマスカラを塗って、アイシャドウを入れて。可憐に、しかし色気など滲み出す感じに。
「うーん。娼婦メイクにはなってないよね?」
「完璧だ、ラァス君」
 カロンはラァスの手を取って言う。
「見事に変身したな」
「別人……っていうか、これが十三歳の男だとはね……」
「ラァス君、綺麗」
 兄弟弟子三人は、ラァスの変貌に素直に感心していた。
「髪型はこれぐらいでいいですか?」
「うん。師匠、ありがと」
 カツラをさらにアレンジし、ラァスの愛らしい顔立ちを際立たせる。
 メイクにより、年の頃は十代後半に見える。
「ところでラァス。その化粧品一式は?」
「僕の自慢のコスメグッズ。高級品〜」
「……ああ、そう」
 ハウルの事はとにかく気にせず、ヴェノムに貰った香水を天井へと振りまき、落ちてくる霧状の香水を浴びる。こうすると、ほのかに香る。微香というやつだ。直接ふりかけて悪臭という域の匂いを撒き散らすのは、歳若い娘には似合わない。今日は白いドレスなど着て、おっさん誑かしに行くのだから。
「んじゃ、いこっか」
「そうだな」
 ラァスはカロンと手をつなぐ。
「宝石に目が眩んでるな」
「すかすがしいほどね」
「いってらっしゃい」
「あまり遅くなってはいけませんよ」
「はーい。アミュ、お土産持ってくるからね」
 ラァスは皆に手を振り、カロンは呪文を唱えた。

 にこり、と。
 ラァスは意味もなく笑みを浮かべていた。
 どこをどう見ても悪人面のおっさんが目の前にいる。どれぐらい悪人かと言うと、デブでやたらと指輪をしている。その存在自体が、悪人ですと主張していた。これで葉巻など吸っていれば完璧なのだが、ここはパーティ会場だ。何より、女性の前でタバコを吸うのは失礼である。
 カロンはとある大金持ちの道楽息子。ラァスはその妹。何のひねりもない設定である。
 そしてこのパーティは、悪人面したこのおっさん主催のパーティである。
 表向きは、普通の貴族。そして裏では闇市場を仕切る、ロリコンの極悪人。ロリコン、ということろが重要。
「アーグナーさまの指輪の宝石、素敵ですわ」
 それは事実。宝石に罪はない。
「お嬢さんは宝石がお好きで?」
「はい」
 ラァスは微笑む。いつもの無邪気な微笑ではなく、娼婦のような艶のある笑み。
 ──ああ、仕込まれた事が、こんな時に役に立つなんて……。
 醜いおっさんから宝石たちを救い出さねばならないという、重大な使命に利用されるのだ。習っていてよかった。
「宝石は、見ているだけでも幸せですの」
 ラァスはおっさん──アーグナーに近寄る。アーグナーはラァスの顔や、詰め物の胸に視線をやる。
 ちらりと振り返ると、カロンは見知らぬ女性と話していた。
「あら、お兄様ったら」
 皮肉な姿に、ラァスは苦笑する。
「一人になってしまいましたわ」
「ははは。お嬢さん。もしもよろしければ、エスコートさせていただけないでしょうか?」
「まあ、光栄ですわ」
 ロリコンのおっさんは、すぐに食いついた。
 ──好きものだなぁ。
 カロンがそうしやすい状況を作ったと言うのもあるが、この男はやる気満々だ。
 ──なんか、ちょろそう……。
 宝石見たいとダダをこねれば、簡単に連れて行ってくれそうだ。
 彼の酒に入れた少し融通が利くようになる薬も、そろそろ効いてくるはずだから。

 本物に近い感触のパット入りの胸を押し付けるようにして腕を組み、ラァスはアーグナーに目的の場所へと連れられた。
 カロンがこちらをつけているのが感じ取れる。アーグナーに向けられた殺意を感じる。
 ここは地下。隠された道から、屋敷の地下へと連れられたのだ。
 そしてたどり着いたのは、美術館の倉庫かと疑うほど、美術品で溢れかえっていた。
 ──ふぅん。
 さすがはヴェノムの作った薬。ほんの少し欲望に忠実になっているようだ。ラァスを手に入れるため。
 そうすることが条件のように刷り込んだのはラァスだが。
 本格的に欲望に忠実になっていきなり変な場所に連れ込まれないのには、とても助かる。目的は殺しではないのだから。
「素敵」
 本気で。かなりすごい宝石がある。
「どれでも君にあげよう」
「まあ、嬉しい」
 言うアーグナーの目は、異常だった。ラァスの腰に手を回す。その手が下へ下へと移る。
「もちろん、君が私のものに……あがっ」
 突然現れたモノクルを装着したカロンは、アーグナーを金の延べ棒で殴り倒した。
「……過激だね」
「くそっ。ラァス君にべたべたと。しかも、お尻にまで触るなんてっ」
 許せないらしく、蹴りを入れて追い討ちをかける。
「自分がやれっていったんじゃん」
「サービス精神旺盛すぎるぞ。腕を組むなんて……」
「いいじゃん、べつに。僕には僕のやり方があるから。それよりも、隠し場所さえ分かったんならいいじゃん」
「こんなことなら、拷問して聞き出せばよかった」
「君は人を極力傷つけずに盗むのが売りだろ。ファンを裏切らないの。
 さっ、魔法陣出して」
 カロンは布を取り出し広げる。この布に魔法陣が描かれている。この方法だと、魔法陣が描かれてから、一日ほどしか効果が期待できないため、高い塗料を使ってまで行う者はそういない。ただし、今回はそれ以上の収入があるから話しは別だ。
 二人で布を広げ布をかぶせて、深遠の森の城にある魔法陣へと送る。
「楽勝だったねぇ。でも、全部持ってってどうするの?」
「絵画は、信頼の置けるところに引き渡せば問題ないな。やはり、芸術品は人目に触れてこそ価値がある」
「でも、ここにあるのは一部でしょ?」
 最も価値がある部類の物が集められているようだ。
「それは、知り合いの警察官に任せようと思ってな」
「え、あの時のコートの?」
「そうだ。彼なら、きっちりと潰してくれるだろう。証拠も手に入れたことだし。さっき裏帳簿とか見つけてな」
「おお、やるじゃん」
 そんなことを話しながら片付けていたときだった。
「お前達、なにをしている!?」
「げっ」
「何でアーバンさん!?」
 カロンの顔色が変わる。
「セイダ、貴様……これはどういうことだ? 貴様が久々に姿を見せたと聞いてやってくれば……」
 ラァスの事には気づいていないらしい。女装している上、目の色もカロンに合わせて変えている。バレるはずもない。きっと。
「つまり、こういうことだ」
 カロンは証拠の数々を投げつける。アーバンの気がそれた瞬間、ラァスの頭に布がかけられた。
「まだ宝石いっぱい……」
 目の前にハウルがいた。アミュがいた。メディアがいた。
 カロンに抱えられ、皆を見上げる。
「危ないところだった」
「うう。あと一つぐらい持って帰りたかったのにぃ」
「君は彼の真の恐ろしさを知らないから……」
 ラァスは小さくため息をつく。
「何でアーバンさんはカロンの動きを掴めたの?」
「さあな。彼の情報網は侮りがたい。ウィトランの次に苦手な人物だ」
 ラァスはカロンの腕から抜け出し、立ち上がる。ハウルが来た美術品を魔法陣から移動させていたらしく、何も壊さなかったのだけが救いだろう。
「でもなんか、結構楽しかったね。殺し目的じゃないのって、いいよね」
「これから一緒に組むか?」
「遠慮するよ」
 宝石は好きだが、やはりまっとうな道を歩みたい。そう思うから。

 翌日の新聞に、アーグナーの記事が載っていた。
 そして、
「セイダの相棒は金髪美女!?」
 しかも、パーティのときの写真まで掲載されていた。記事内容から察するに、あまりにも美しいものだから、隠し撮りされていたようだった。
 ラァスは脱力した。
「おお、世間は君を相棒だと認めたようだな」
カロンは嬉しそうに言う。
「もう、絶対にやらない」
 ラァスは心に決めた。
 セイダの相棒では、下手な殺し屋として捕まるよりもタチが悪い。
 世間の目にさらされるから。
「万が一フォボスに知れたら……」
 絶対に連れ戻される。
怖かった。怖すぎる。
この写真では分からないだろうが……。
「女装も、当分やめるよ」
 今の幸せのために。
 そんな決意をする、木枯らしの吹く季節の朝だった。

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