暗殺者

 

 僕はラァス。ラァス=ロウム。暗殺者だ。
 父親に売られて、人殺しにさせられた。
 抵抗はあった。だが、それ以上に辛い空腹に耐えられず、人を殺すようになった。
 元々力はあったので、小さく細い体の割には、厳しくされた。それは期待されていたからだ。嫌だったが、訓練を受けた。どうやったら人を殺しやすい状況に持っていけるか。それを先輩に教わった。僕に教えてくれたのは、頭目の息子のフォボスだった。そのとき偶然、痩せている少年が必要だったのがきっかけだ。以前に比べれば少しは太っていたが、それでも痩せていた。そのやせ具合が、ちょうどよかったらしい。
 それは見事に成功した。そして、それがラァスの初めての人殺しだった。
 以来、男娼を装い人を殺すようになった。世の中、変わった趣味の人間は多い。僕のような小汚いガキの方が、歓楽街の娼婦よりもいいという者が多いのだから。
 そのおかげで、結構楽に仕事をこなしている。力でねじ伏せればいいと思っている相手を、こちらが力でねじ伏せる。簡単だ。人を殺すなど、本当に簡単だ。
 人は簡単に死んでしまう。
 だが、それなのに自分は未だに死んでいない。よく、あの父親に殺されなかったと思う。母が生きていた頃は、まだマシだった。母は気立てのいい美人だった。評判の彼女がなぜあんな男の妻になったのか、理解できない。ただ、彼女が昔娼婦であったというのは、間違いのない事実らしい。父が、そう母を罵っていた。身体でも売って金を稼いで来いとも言った。僕はそれが許せなかった。娼婦を見下しているわけではない。なくてはならない商売だ。この商売がなければ、犯罪は少なからず増えるだろう。だが、自分の妻にそれを言うのが許せなかった。夫婦とは、互いに支えあって生きていくものなのだから。
 それが理由で、僕は乱暴な男性が嫌いだった。
 父に似た雰囲気を持つ男を殺すときは、父を殺した瞬間を味わえる。父は、この町にはいないが、もしも近くに行く事が出来たら、きっと殺してやる。後悔する間もなく。
 姉は幸せだと思う。栄養状態さえしっかりしていれば、彼女は美しくなるだろう。十分に生きていけるはずだ。僕とは違い、世間に胸を張っていられる職なのだから。

 少し大きくなって、僕は娼婦の真似事をさせられた。僕は姉を羨んだ事はあったが、娼婦になりたいわけではない。僕は男なのだ。本物の女の子がいるのに、魅力として劣る僕にそんなことをさせるのか理解できなかった。皆は僕を納得させるために、
「お前が本当の女だったら、こんなことさせられないぐらい可愛いから、安心して行ってこい」
 だの、
「もう十歳若けりゃ放っておかなかったのにな」
 挙句に
「道歩いてるだけで襲われそうな雰囲気あるから、気をつけろよ」
 とか。
 おそらくはメイクのおかげだ。男なのに女性の各種メイクを覚えさせられた。今は実年齢よりも上に見えるようなメイクをしている。ロリコンが気に入るような年頃だ。
 実際何度か実践したのだが、本当にころりと騙される。
 それを報告したら、なぜかフォボスが過剰に心配して、今回こっそりと背後についてきていた。完璧に気配は感じないが、もしも誰かに見られたら、ストーカーだと認識するに違いない。
 僕は小さくため息をついた。
 殺しをさせるくせに、なぜ心配するのか。殺すのはこちらの方で、最近はほぼ完璧に仕事をこなしている。ミスるようなドジはしていない。
 それにも関わらず、なぜ心配されるのかが理解できない。
 十一歳という年齢を考えれば仕方がないが、この世界に年齢は関係ない。僕よりも幼い暗殺者はいる。心配するなら、そちらを心配すればいいのだ。
 矛盾している。僕はフォボスの部下であって、お気に入りの玩具ではない。
 この隣を歩く男だって、簡単に殺せる。
 そう思っていたときだ。男に尻を触られた。
「まだダメ」
 僕は微笑む。こういう男を挑発する方法は、徹底的に教え込まれた。
「私の家はもうすぐなの。こっちに近道があるから」
「おお、そうか」
 待ちきれないのか、疑いもせずに男は僕についてくる。これと同じ生物だと思うと、妙に情けなくなってくる。これでもこの男は有名な商家の長男で、弟に暗殺の依頼をされたらしい。常に遊び歩いている男が家を継げば、まず間違いなく家は没落するだろう。
 よくある話だ。
 だからこそ、こうしてこんな場所に誘い込み、強盗に見せかけて殺す。この男が金を持ち歩いているのは、知っている者なら知っているから。
「ねぇ、おにいさん」
 僕は足を止めた。中年に近付いた年頃の男は、へらりと笑う。なにを考えているのやら。理解できるようで出来ないのが、この手の男だ。
 ただ、今にも襲い掛かられそうな雰囲気がある。だから、相手が口を開くよりも先に、
「死んで」
 僕は手袋をした手で、男の腹を小さなナイフで刺す。捻り、確実に内臓を傷つけた。着ていた黒のコートは、闇の中では血の色を目立たなくする。
 男が騒ごうとする直前、その口を手で封じた。後ろに回りこみ、喉を掻っ切る。
 技術はいらない。これは強盗の仕業なのだから。
 僕は絶命した男の懐から財布の中身だけを抜き取る。
「はぁ……」
 こんな仕事ばかりだ。出張先でもこんな事ばかりしている。
 まだ幼い僕には、この手の仕事でも十分評価された証なのだが。
 そのときだ。
 何かが、僕の足に絡みついた。
「お前、何をしている!?」
 それは分厚いコートを着た男だった。帽子を被り、一見どこにでもいる通りすがりの青年。
 しかし、その気配のなさは異常。
 僕は足に絡みついたものを、あっさりと引きちぎる。
「何!?」
 男は驚く。その隙に、僕は男に背を向けた。身体能力には自信がある。その点でいえば、暗殺ギルドの中で最も優れているのは間違いなく僕だ。
 しかし、響く小さな足音を聞き、僕は自分の耳を疑った。追いつかれる事はないが、振り切れない。
「うそ!?」
「待て、女っ」
 待てと言われて待つ馬鹿はいない。決定的な瞬間を見られたのであれば、なおさらに。
「待てと言っている!」
 何かが投げられる。今度は避け……
 ごっ
 何かに跳ね返り、硬い何かは僕の額を直撃した。
「うわっ!?」
 僕は一瞬足をもつれさせ、転倒する。
 すぐに起き上がったが、走り出そうとした直後に腕を掴まれた。
「捕まえたぞ」
 息一つ乱していない。
「な、何者!?」
 本心だった。
「警察だ」
「警察?」
「派遣警察官だ」
 聞いた事がある。優秀な人材ばかりを揃え、問題のある土地に送り込む。彼らの多くは正義感が強く、組織に逆らうこともしばしばあるらしい。
「なぜお前のような幼い娘が、あのような事をする?」
「なぜって、ならばどうやって生活していけと言うの? ぼ……私は身売りはしたくないから」
 口からのでまかせ。この間に、フォボスがどうにかしてくれるかもしれない。
「親はどうした?」
「売られたの」
「お前ほどの力があれば、強盗などしなくともどうにでもなるだろうに」
「私は女なの。女だからって、汚い目で見られる。過小評価される。なのに、どうしろと言うの? 声を掛けてきたのはあの男よ。断れば何をされるか分からなかった。だから私が先にやってやったのよ」
 逆だ。僕は子供で女の子のような顔をしているが、認められ、組織に深く関わりつつある。
 それは、ただの僕の願望。
 女であればよかった。過小評価されてもいい。僕はきっと満足しなくとも、もう少し普通の生活を送れたはずだ。
「……そうか……ならば、お前、うちに……」
「おい、何をしている!?」
 フォボスの声が響く。
「お前、そのひとに何をしている!?」
 僕は理解した。
 確かに、そうすればいい。
「助けて。痴漢です!」
「何!?」
 警察官は動揺する。
「痴漢だって!?」
 通りすがりの、突如知らない男性がまた騒ぐ。そういえば、走っている間に少しはまともな住宅街にまで出ていた。
「なんて奴だ。その娘さんを放せ! この卑劣漢め!」
 フォボスは悪乗りしていた。
 仕方なく、僕もそれに参加する。
「きゃー、たすけてぇ、痴漢よ、ストーカーよ、変態よぉ!」
 ご近所に聞こえるよう、腹の奥底から叫ぶ。
 次第に、人が次々と集まってきた。さすがに警察官は僕の腕を掴む力を抜き、その隙にフォボスの声を聞きつけてやってきた男に腕を引っ張られ、人の輪から抜けた。
「大丈夫だったか?」
「ええ、ありがとうございます」
 よく見れば、綺麗な男性だった。黒髪碧眼の、まるで物語の王子様のような美青年。
「気をつけろ。あの男はしつこいぞ」
「……あの人を知って?」
「あいつは、元々私を追いかけていたのだからな」
「へ?」
「私が巻き込んでしまったようだから。美しいお嬢さん、今度から夜道は気をつけるといい。世の中、どこに何が潜んでいるのか分からないからな」
 知らない成年はそう言って、虚空に消え去った。
 その時、僕は初めて大きな魔法を見たのだ。

「……っていうことが前にあったようなないような」
 ラァスの言葉に、ハウルはカロンを見る。
 世の中、派遣警察官に追われる、転移魔法を自在に操れる美形の犯罪者は多くはない。
「……へぇ、運命的な出会いだな」
「……」
 記憶にないらしいカロンは、沈黙する。
 ラァスは昔どのような事をしていたから始まった話は、ラァスの中で眠っていた記憶を呼び起こした。
 ここにいるのは男三人だけ。女たちは料理教室を行っている。
「……っていうか、お前昔はナルシストじゃなかったのか?」
「うん。自覚なかった。でもさ、ある日気づいたんだ。僕って、すっごく可愛い? とか」
「……目覚めんでいいものを」
「僕、下手な女の子よりも男の人にちやほやされてたんだ。女の子格好していると、何でも買ってくれるおじさんとかいるし。そういうのって、本物の女の子でも滅多にいないって知って。それ以来、強制じゃなくて自発的に美容にいいこと始めたんだ。経費で落ちるし」
 ハウルは小さくため息をついた。
「まあ、どうでもいいんだけどな。それよりも問題は、昼飯だ」
「だから現実逃避してたんじゃないか」
 キッチンの方から奇妙な匂いが漂ってきたのは、話を始める少し前。
「カロン、お前、胃は弱くないか? いいところのお坊ちゃんだし」
「確かに心配だよね。僕らと違って育ちがいいはずだし」
「問題ない。毒物には慣れている」
 そう言って、三人は笑った。

 

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