竜と赤子

 赤子は彼を見上げた。彼は触れると冷たくて心地よく、赤子のお気に入りだった。しかし彼は赤子を見ると逃げる。赤子は床を這ってそれを追う。赤子の育ての親はそれを見て微笑み、その隣に立つ彼の孵しの親である少年は「ルート。ちゃんと遊んでやるんだぞ」と言う。
 赤子の背には羽がある。彼女は有翼人の赤ん坊だ。小さなその羽は時々ふわふわと動くが、彼女はまだ空を飛ぶことは出来ない。だから赤子は床を這う。
 彼は嫌な顔をして、床をゆっくりと走った。さすがに歩いていると、赤子に追いつかれるからだ。赤子の怒濤のごときハイハイは、存外速いものである。室内で過ごすために生まれたときのほどの大きさになっている彼は、平素の時とは違い足が短く、どうしても走る必要があった。
 彼は赤子に捕まらぬよう、そして赤子が危険なものに近付かぬよう気をつけて道を選び走った。
 彼は自分が赤子にとって危険である事を知っているので、決して捕まってはならない。しかし、突き放してもならない。その赤子は彼と同じ存在なのだ。種族こそ違うが、同じ女神の落とし子である。女神がこの世に落としてしまった卵から生まれる、始祖と呼ばれる存在だった。
 始祖には家族がいない。親とも言われている女神は、この世界にはいない。どこか遠いところで眠っていて、時々その欠片が召喚されることがある。それですら、世界は揺らぐ。だから彼らは決して母とまみえることはない。だから、その赤子は彼にとって数少ない身内であり、妹だった。
 決して、決して突き放せない。彼にとってこの赤子は友達とも身内とも違うが、とてもとても、特別な存在だから。
「ハウル、ハウル。危ないよぉ。また俺の角つかんだり、羽つかんだりしたらっ」
 彼の角は硬く鋭い。鼻面と翼にその硬く鋭い角がある。そして彼の爪も、同じ程鋭い。
「……カロン。どうする?」
「しかしヌイグルミは動かないからな。すぐに飽きてしまうんだ。動くようにしても、仕掛けを施すために、どうしても抱き心地が悪くなって、見ているだけですぐに飽きた」
「だよなぁ。ああいう小動物は、子供にとっちゃあ動くヌイグルミ以外のなんでもないからなぁ。楽しんだろうな、きっと」
 始祖二人の育ての親たちは顔を見合わせ考え込む。その言葉に、彼は傷ついた。
「ぬ、ぬいぐるみ呼ばわりっ!? 二人ともひどいっ!」
 彼は飛び上がり、赤子の手から逃れる。
「ふ……ふぁぁぁぁあ」
 赤子は彼が手の届かない場所へ行ってしまうと泣き出した。
「こら、ルート。せっかく機嫌がよかったのに」
「でも、でもでもでも!」
 赤子の孵しの親は彼女を抱き上げ揺らしてあやす。
「でも、危ないじゃないか! 俺に触るのは、赤ん坊にはさみ持たせるようなもんだよ!?」
「んだよなぁ……」
 彼の孵しの親は腕を組んで悩んだ。その視線は、泣きながら彼に手を伸ばす赤子へと向けられていた。その姿を見ると、ついつい近付いてやりたくなる。しかし、それは出来ない。遊び相手になりたくても、なってやれない。せいぜい逃げ回るぐらいだ。だが、つかまらないと知れば赤子は泣く。遅かれ早かれ、泣いてしまうのだ。
「……そうだっ。ちょっとヴェノムに相談してくる」
「は? え? え?」
 何を?
 彼は思うが、孵しの親は行ってしまう。
「……何?」
「さぁな。彼の行動はよく分からない。
 ラフィ、そろそろおしめを取替えようか。気持ち悪かったのかな。それともお腹がすいたのか?」
 彼女の親は彼女を抱いて微笑んだ。
 彼はこの場にいて遊ばれるのを良しとせず、自らの部屋へと戻った。


 翌日。
「ルート」
 彼の孵しの親が、彼の寝室へとやって来た。
「小さくなれ。そして来い」
 傲慢なところが、だんだん父親と似てきたような気がすると言えばきっと怒るだろうなと思いながら、彼は渋々と孵しの親の言うとおりにした。
 地下室を出て、階段を上がり、そしてリビングに向かった。ここは古い城でとても広い。家の中を移動するのに、何分もかかってしまうのだ。
「ねぇ、何?」
「秘密」
 彼は仕方なく黙る。どうせすぐに分かるのだ。
 広い城の廊下を歩き、怖かったり、綺麗だったりする場所を横切り、リビングへとたどり着く。
 中には、住人全員が揃っていた。
「ヴェノム」
 彼の孵しの親は、この城の女主の名を呼ぶ。
「ルート、いらっしゃい」
 女主は彼を手招きした。その手には、奇妙なモノを持っていた。
「……何? それ」
 しかしそれには答えず、無表情で手招きを続けた。
 仕方なく近付き、彼女の座る椅子の前にあるテーブルに乗った。
「何するの?」
「じっとしてください」
 女主は彼の頭をつかんだ。もちろん優しく、そっと。不健康ぎりぎりの白くて細くて長い指で、彼の頭……角に何かを取り付けた。
「……何?」
 彼は自分の頭に取り付けられた木で出来たものに触れる。それはちょうど彼の角を覆っていた。
「これが翼用」
 と、彼の孵しの親は言う。
「こっちが手袋」
 理力の塔の魔女が言う。
「これは手袋の右っかわ」
 孵しの親の従妹が言う。
「ほら、ラフィ遊んでいいよ」
 赤子の孵しの親が言う。
 彼は自らの孵しの親に捕らえられ、赤子の前に差し出された。赤子は喜んで彼に触れる。
「ばぁ! うぅーうー」
 彼女は喜んで彼に触れて叩くようにして撫でた。
「ヴェノム殿、礼を言う。これで心置きなくラフィを遊ばせられる。」
 赤子の孵しの親が言う。
「ラフィ、よかったなぁ」
 彼の孵しの親がいう。
「可愛い〜」
「うん」
「本当ねぇ」
 子供たちは、戯れる赤子と玩具の竜を見て微笑んだ。
 いいんだけどね、別に。
 彼はほんの少し黄昏気分になったが、それでも赤子に安心して触れられるようになって喜んだ。
 彼女は特別な存在だから。

 

 

あとがき
 最近人気急上昇の、ラフィとルートでした。日記に書くには長かったので、番外編として載せてみました。
 ……日常系ファンタジーの極みと言いましょうか。
 有翼人と竜の戯れがこれで……いいのでしょうかね。
 ドラマも何もない、本当に日常……。ファンタジーな生物が出てくるだけで、ぜんぜんファンタジーではない。これがハリネズミでもぜんぜん構わない気がします。

 今回、よりほのぼの感を出すために、あえて名前は伏せて書いてみました。いっそ「〜でした」「〜なのです」というような、童話風にしてやろうかと思いましたが、キャラがキャラなので無理でした。
 さり気にルートの扱いがひどいです。

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