空飛ぶ赤ちゃん
アミュは調べ物をしに図書室へと向かっているところだった。お日様の光が暖かく、何気なく上を見ると、一瞬太陽が遮られ、目を細める。
細め、見て、愕然とした。
空を飛んで、森へと向かっていた。
空飛ぶ、赤ん坊。ラフィニアが。
「ら、ラフィっ」
アミュは珍しく混乱した。
──ラフィ……森に飛んでってる。
魔物がうようよする森へ。
「待ってラフィ!」
誰かに伝えたかった。しかしそんな事をしていたら見失ってしまう。彼女は高く飛べないので、魔物の手が届く範囲を飛ぶだろう。目を離してはいけない。絶対に。
アミュはラフィニアを追って走り出した。
しばらく走ったところで、アミュははたと気づいた。
彼女は、空を飛ぶ手段を持っていない。
しかし彼女は既に城の敷地を出て、森へと足を踏み入れてしまった。
ラァスなら、跳躍一つでラフィニアの元まで行けるだろう。メディアなら、ヴェノムが正気の沙汰ではないとまでいう少し危険な方法で空を飛んで、ラフィニアを保護するだろう。ハウルなら、風の力で彼女元まで行くだろう。
「………えと、風って温度差があれば起こせるんだよね」
ならば、上昇気流ができるように熱を……
──飛ぶ前に、ラフィがどこかに飛んじゃうか。
コントロールもできない無謀なことは、考えるだけ無駄。
かといって、アミュは炎や熱を操る以外の魔法は苦手だった。温度を上げるだけではなく、下げる事もできるが、今それができても意味はない。
「……ええと、どうしよっ」
上ばかりを見ていたアミュは、木の根に躓いて転んでしまった。とても痛かった。しかし、痛みをこらえて立ち上がる。ラフィニアに近づこうとする魔物を炎で追い払い、すぐに彼女を追った。
「ラフィ、おいでぇ」
呼ぶが、彼女は止まらない。ラフィニアはとても好奇心旺盛なのだ。
「らふぃ……」
少し悲しくなったが、アミュはめげずに追った。ラフィニアはまだ小さいので、飛ぶ速度も遅いし、飛行距離も長くない──はずだ。疲れて下りてくるまで、根気よく後をついて行けばいい。
根気よく。
「ラフィがいないのだが知らないかい?」
図書室で調べ物をしていると、唐突に入ってきたカロンがいつも背中にくくりつけている娘を捜してやってきた。
「昼寝をしていたのだが、気づけばいなくなっていた。ドアを一人で開けられるようになったらしい」
彼はその成長ににやつきもしたが、一人飛びは危険な事もまた事実。
ハウルは天井を指さし、
「どっかにひっかかってんじゃねぇのか?」
「うーん。ざっと天井と床を見たのだが、照明にも引っかかっていない。ここにもいないとなると……ヴェノム殿のところか」
「ヴェノムあそこにいるぞ」
「え?」
ヴェノムは名を耳にしたのか、本棚の影から出てきた。
「何か」
「…………ラフィ!?」
カロンは取り乱して頭を抱えた。
「ラフィ!!」
カロンが図書室から出て行こうとすると、その入り口に小さな人形が立った。古いがガラス玉の瞳が綺麗な人形だ。
「ローシャちゃんじゃないか。
ちょうどいい。うちのラフィニアを見なかったかい?」
「さあ。でも、そういえばさっき、アミュが空を見上げて森に走っていくのを見ましたわ。外に飛んでいかれたんじゃないかしら?」
今度こそ、カロンは取り乱して図書室を出て行った。もちろんハウルも慌てて彼を追った。
それから一時間後、擦り傷とドロと木の葉だらけになりながらも、眠るラフィニアを抱いたアミュを森の中で発見した。
翌日。
慣れない運動で筋肉痛のアミュは、ろくに動けず湿布薬の匂いをさせてベッドの中。
そしてカロンとメディアとヴェノムは、ラフィニアが飛んでいかないよう、城中の窓や出入り口に結界を張った。簡単な知識があれば問題なく通れるので、ラフィニアにはちょうど良いのだろう。
そして父が結界を張っていて退屈なラフィニアはハウルとルートと遊んでいたのだが、ハウルが昼食の準備を始めると、ルートは結界張り済みの区域で鬼ごっこを始めた。
それが今、ローシャのいるリビングの話だ。リビングで飾りの振りをしている彼女は、庭に帰ろうと足を動かした時だった。
「おぅ?」
ラフィニアがこちらに気づき、向かってきた。
途中、メイドの自縛霊がいたのだが、彼女はラフィニアが通り抜けた瞬間、消えた。浄化されてしまったのだ。
「ひっ」
ローシャは慌てて棚の上から飛び降りた。
東大陸への長期旅行後、この赤ん坊が飛ぶようになったのは知っていた。しかし、その姿をまじまじと見た事はなかった。
よく見れば、彼女が羽根を動かすたびに、魔力を放っていた。癒しの力を持つ有翼人の魔力だ。癒しとは、肉体ばかりに発揮されるものではない。魂すら癒す力すら、時に発揮する。回復魔法をかけて、アンデット系のモンスターが苦しむのは、それが原因だ。相反する力は、浄化の術よりも強引に、アンデットを浄化させる。
そう、浄化魔法以上の強制さをもってして、成仏させられる。浄化魔法は、少なからず魂を納得させるが、これでは納得できない。本人に死者を思いやる気持ちもない今は、まだラァスに浄化された方がマシ。
「…………」
「にぃぎょぉ!」
ラフィニアは、無邪気にこちらへと突撃してくる。
霊からすれば凶悪な魔力を放ちながら。
「ひぃぃぃぃぃぃい」
ローシャは逃げた。飛ぶ事になれていないラフィニアは、床に激突して泣き出した。
「ら、ラフィ」
ルートがかけ寄り、ラフィニアの頬を舐める。
「ラフィ、だめだよぉ。乱暴にしたら、ローシャのボディ壊れちゃうよ」
「それ以前に成仏します!」
まだまだ現世に未練があるのに、死神の元に送られてはたまらない。
「にぎょぉ」
にぎょとは、人形の事らしい。お気に入りのルートよりも、今は人形の方に興味があるようだ。
「ローシャ、押さえてるから逃げて!」
「ご、ごきげんよう。さようなら」
ローシャは身を浮かし、全力でその場を去った。
翌日。
ローシャがアミュに会うために廊下を歩いていると、開いているのに通れない窓に果敢にチャレンジするラフィニアを見た。
──まず……
逃げようとした瞬間、ラフィニアがこちらを見た。
「にぎょぉ!」
ローシャは逃げた。ラフィニアは追いかけてくる。
「どうして私を追うの!?」
全力のおいかけっこ。通りすがりの悪霊を浄化し、浄化されない悪霊もダメージを受けて叫び声を上げた。
それを聞きつけたのか、行く手のドアが開き、ラァスが出てくる。
「今の声、なんだった…………」
彼と目が合った。
いつもの事だが、彼は逃げた。
「どうして貴方も逃げるのかしら?」
比較的ローシャには慣れているはずなだが、現在の状況を理解できないほど混乱しているのだろうか。
「追いかけてこないでぇぇぇえ!!」
気になり振り返って見ると、追いつめられた悪霊達が一緒になって逃げている。皆も痛い思いは遠慮したいらしい。
こうなれば彼らを踏み台にして……と、そこまで思い、ローシャは気づく。
彼女は床に舞い降り、そして人形を捨てた。その瞬間、彼女の魂を強力に縛する力が働き、付けば彼女の花壇に座っていた。
「ローシャ、どうかしたのか? 乱れているぞ」
木の根本から顔を出したブリューナスが、ローシャへと声をかけた。
「何でもありませんわ、子爵様。ただ……新しい人形を買っていただく必要があるかも知れません」
「そうか。頼んでおこう」
「よろしくお願いします」
それから、今度はラフィニアの羽根に、魔力が拡散しないような工夫がされるのだが、それまで、ローシャは花壇で大人しくしていた。
あとがき
お転婆ラフィの大冒険でした。
(実際に大冒険したのは、アミュとローシャかも知れませんが)
一番成長しているのは、この子ではないかと。