強さとは
祖母に連れられ、ハウルはその屋敷にやってきた。
大きな屋敷だ。外に出れば海が目の前。とてもいい物件だといえる。
屋敷本体は、綺麗なものだ。幽霊が出そうにも見えないし、少し可愛らしさまであるおしゃれな外観。幽霊城にしか見えないヴェノムの城とは大違い。
「誰のうちだ?」
「私の別荘ですよ。冬の間はここで過ごします」
「…………これがヴェノムの持ち物!? うそだろ!? 似合わない!」
「どういう意味ですか?」
「だってヴェノムは、オカルトっぽいすみかじゃないと!」
拳で殴られた。
ヴェノムのところに来て初めての冬。突然行くと言われ、ルートを眠らせて、街から歩いてきてみればこれだ。買い物をしてきたので、荷物を持たさせている。
ヴェノムはノックをすると、返事も待たずに中に入る。
「ヨハン、ヨハンはいますか」
ヴェノムの声は魔術によりこだまする。
「はい、ここに」
足音が近づいてくる。右手方向から、見知らぬ男性がやってきた。白髪交じりでしわがあるが、鍛えられた身体をしていた。老けているだけなのか、若く見えるだけなのか、ハウルは判断しかねた。
「だれ、このじ……おっさん」
もしも老けている場合、年寄り扱いは可哀想なので少しだけ下に言っておいた。
「ヨハンです。ここの管理を任せています。ヨハン、メビウスの子のハウルです」
ヨハンという老人は、柔和な笑みを浮かべて一礼する。
「はじめまして、ハウル様。ヨハンと申します」
一瞬恐い男かとも思ったが、とても優しそうだった。ヴェノムの知り合いだから、悪い人ではないのが前提の認識だが。
「ローシェル様に少しにておいでです…………申し訳ありません」
顔をそらしたヴェノムに気づき、ヨハンは謝罪する。
「ローシェルって誰?」
「ハウルの親戚のお兄さんです」
「ふぅん」
何がヴェノムの気に障ったのかを考え、きっととんでもない不良だからだと結論づけた。
自分はそうなるまいと心に誓う。
「ヨハン、食料品を買ってきました。昼食にしましょう」
「かしこまりました」
ヨハンはハウルの持っていたケーキの入った箱を受け取り、とても静かに歩いた。背筋もぴんと伸びていて、歩く姿はとても格好いい。
「昼食はどうなさいますか」
「いただきます」
「かしこまりました。ハウル様にもとりたての海の幸を馳走いたしましょう」
食べ物の話になり、ハウルの足が軽くなる。
前に食べた海魚は美味しかった。父は肉の方が好きだが、美味しければ魚も好きだ。
「ヴェノム、ところでいつまでここにいるんだ?」
「春になるまでですよ」
「聞いてねぇよ」
どこか抜けているところが、彼女の数少ない人間らしさだろうか。
昼食を終え、ハウルは海を見ようと思い外に出た。
冷たい砂浜の上、ヨハンが素足で立っていた。服装はもう冬なのに、彼は半袖のTシャツを着ていた。昼に見た彼は、きっちりとした黒のジャケットを着ていたのに。
手には剣を持ち、構えてはいない。
しばらくすると彼は剣を構え、素振りを始めた。
大きな剣を、何度も何度も持ち上げては振り下ろす。その動作を繰り返す彼は、やがて大粒の汗をかき始める。回数を数えるのも馬鹿らしくなった頃、彼は剣を振り下ろす。そして今度は突く動作を始めた。
「いつもそんな事やってるのか?」
「はい」
ヨハンは動作を止めずに言う。
「楽しいか」
「楽しいか楽しくないかと言われれば、楽しくはありません」
「楽しくないのにそんなことしてるのか?」
「はい。習慣です」
「なんで?」
「昔からこうしていました」
「そっか」
「ハウル様もやってみますか?」
「強くなれるのか?」
「そうですね」
その時に、ヨハンはようやく動くのをやめた。彼はハウルを見て微笑む。彼の腕についた筋肉や、老いても厚い胸板に心引かれた。
「やってみる」
ハウルは近づいたが、ヨハンは手で制す。
「ハウル様には重いでしょう。身体に合うサイズのものをお持ちいたします」
ヨハンは屋敷に戻っていき、ハウルは当初の予定通り、海へと駆けつけた。
海は見た事とがあるが、近づいてはいなかった。父の目的は食事であり、息子と海で遊ぶような性格ではない。母を連れていかなかったのは、味覚がない母に食べさせるのは、素材やとシェフに対する冒涜らしい。
「…………貝だ」
ハウルは貝殻を拾い、それから寄せる波に手を浸した。
「…………」
一人で遊ぶのはつまらない。
ルートは城で寝ているし、ヴェノムも暖炉の前にいる。いつもなら森に入れば魔物相手に遊ぶのだが、ここは遊び方がよくわからない。
考えた結果、砂を貝殻で掘ってみた。掘っても何も出てこない。砂がたまったので、山を作ってみた。しばらくして、風を使ってまっ二つにしてみた。
「ん」
満足した頃、ヨハンが戻ってきた。
「お上手ですね。ぱっくりと割れている」
「いつもこれで高いところの果物とるからな」
褒められて、ハウルはへへと笑った。
ヨハンが持ってきたのは、ヨハンの者よりも小ぶりの剣だ。ただし刃はない練習用。
「持ってみてください」
「うん」
持つと、思ったよりも重かったが、柄はハウルの手にしっくりとくるサイズだった。
「振ってみてください」
頭上に持ち上げると重くて後ろに倒れかけたが、すぐに足を後ろに出し、バランスをとってから見よう見まねの素振りをした。
「これぐらいですね」
ヨハンはハウルの腰に手を当てた。
「背筋を伸ばしてください」
「おう」
「足を少し開いてください」
「おう」
「呼吸を私に合わせてください」
呼吸という言葉に首をかしげたが、言われるがままに試した。
姿勢を整えられ、それからずっと構えたままだ。そろそろ腕が疲れてくる。
「振らないのか?」
「基本の姿勢は大切です。これを保てないと、敵に隙をつかれます」
「…………そっか」
強くなると言うのも大変だ。構えをとり続けらけないことの情けなさというのはわかる。
「しかし、それだけでは退屈になるでしょうから、別の事をしましょう」
ヨハンは砂の上に置いていた、木でできた剣を渡した。鉄でできた剣に比べると驚くほど軽い。
「剣術の練習をしましょうか」
「うん」
ハウルは頷き、木刀をぎゅっと握りしめた。
翌日、ハウルはヴェノムとヨハンと共に街へ来ていた。
「ハウルが剣に興味を持つとは思いませんでした」
「ダメなのか? 母さんが好きだったから。みんな母さんは手加減知らずだから、近づいちゃダメだって」
「…………すみません。どうしようもなく救いようのない不器用な子で」
「やっぱり母さんは、非常識なまでに不器用なんだな」
ヴェノムや精霊達が特殊なのかも知れないと思っていたのだが、やはり母は味オンチなだけではない。親子のスキンシップで、骨折するのは自分の骨が弱いのだろうかとも思ったが、ヴェノムとの接触で骨折した事はないから、あれも特殊なのだ。
「ハウルはウェイゼル様の血も濃いですが、それでも人間の制約を受けています。肉体的に強くなることはよいことです」
手をつないでいるヴェノムは笑わないし、黒く穴もない仮面で顔半分を隠しているので、目も見えない。他の人物なら、微笑んでいるところなのだろうと置き換え、納得する。
彼女と付き合うコツは、表情など気にしない事である。
「親父よりも強くなれるか?」
「無理です」
「そっか……」
「目標は、私やヨハンぐらいにしておきなさい。夢は大切ですが、滑稽な夢を見る歳ではありませんから」
あまりにもな言い方に、ハウルはショックを受けた。
──こ、滑稽とまで……。
「ひどい……」
「ハウル、心も強くなりなさい。私たちがあの方に勝るとしたら、メンタル面に関してのみです。例えば、言い負かして意のままに操るなど」
「なるほど。そうすればいいのか!」
勝つのではなく利用する。さすがはヴェノムだ。ハウルは一つ賢くなり満足した。
「ハウル様、こちらの店です」
ヨハンは武器屋を示した。ヴェノムはハウルの手を離し、二人に向かって手を振った。
「私は自分の買い物をしてきます」
「昨日いっぱい買っただろ!?」
「女はいくつ物を持っていても足りる事はありません。欲とは尽きる事なき無限のもの」
そう言って、ヴェノムは去っていく。手をつながなくても、彼女は楽々と歩いていく。ハウルはヨハンに手を引かれ店に入る。
中に入ると色々な武器がディスプレイされていた。剣や斧や槍や弓。種類も多く、無骨だったり綺麗だったりと様々だ。客は武器を振り回すのにふさわしく、ハウルが今までろくな事では関わった事のない、いかつい大男が三人。天空城や父の知り合いは、皆上品だったので、この手の人間には慣れていない。
「ハウル様は剣と槍、どちらがお好みですか?」
「剣」
剣の方が格好いい。前に見た剣士は、ハウルの心の中に今でも色鮮やかに残っている。
「かしこまりました。見立てて頂きましょう」
ヨハンは店の主人と話し始めた。気のよさそうな中年の男性だ。背は低く太ってはいるが、しっかりと筋肉もついた太り方をしていた。
二人はハウルにはよくわからない話をしていた。店の主人がいくつかの商品を取り出し、また奥に取りに行く。ヨハンは真剣なまなざしで候補を選んでいた。
ハウルは退屈なので、店の商品を見る事にした。
「ふぅん」
無骨なバスターソードを眺め、ハウルはしみじみと思う事があった。
「地味だなぁ。うちの宝物庫は、こういうのでも魔石がついてたからなぁ」
もちろん価値も、武器としての威力も段違いだろう。神である父に捧げられるものが、このように金を払えば手にはいるようなものと同じレベルのはずがない。
「けっ、何が宝物庫だよ。これだからおぼっちゃんは嫌なんだよ」
客の一人がハウルを見下ろして言う。ハウルは男を見上げた。
「んだよ、おっさん」
「ガキがいっちょうまえに剣かよ。おめぇみてぇなガキはな、木の枝振り回してりゃいいんだよ」
ハウルは考えた。なぜ絡まれるのか。
「貧乏人のひがみ」
「っ」
答えは正解だろう。少なくとも、ハウルがヨハンのような者に様と呼ばれていなければ、彼らはこのようなあからさまに絡んでは来なかったはずだ。
「諸兄ら、そのお方に何のご用でしょうか?」
ヨハンは男達とは対照的に、知的で優雅な物腰だった。父と一緒に人間の街をぶらぶらすると、時々こういう手合いに絡まれたので、なんとなくこれからどうなるかがわかる。
「どこのおぼっちゃんか知らねぇが、こんなガキに武器与えてんじゃねぇよ。オモチャじゃないんだぜ、じぃさんよぉ」
「心得ております。そのお方は、ここにある武器を誰よりも巧みに扱えるようになりましょう。そういうお方です」
人間の身体能力とは比べものにならない身体能力を持っているハウルなら、時間をかければそうなる事も可能だろう。
理屈ではそうなのだが、自分がそのようになる姿は想像できなかった。
「けっ。金を積んでどこぞの騎士団にでも入るつもりか? だからどこの国も、騎士団なんてお飾りの存在になるんだよ」
ヨハンはそれを聞き、くすりと笑った。
「何がおかしいんだよじじい」
「騎士団の入隊試験にでも落とされた事がおありなのでしょうか?」
「っ」
わかりやすくて、ハウルも笑ってしまった。
落ちぶれて落ちぶれて、今現在裕福に見える子供に因縁をつけているのだ。これを笑わずに、何を笑えと言うのだろう。騎士になれない事が悪いのではない。子供に当たり散らす方が悪い。
「騎士団を甘く見ておいでのようですね。もっとも、昨今各国で怒っている衰退ぶりは目に余るものがありますが、しかし諸兄らが思うほど甘い世界ではございません」
「はっ。金で解決できる世界が甘くない?」
「金で入った者は、己が望む騎士になどなれません」
「この女みてぇなガキが、立派な騎士様になれるってか?」
「いいえ。この方は騎士などという器ではございません。本来ならば、私がこうして話しかける事すら恐れ多いお方。これ以上しつこくするようでしたら、こちらにも考えがあります」
ハウルがちらとカウンターを見ると、店主はのんきにハウルに合いそうな剣を選んでいた。信じられているのか、よくある事なのか。父が絡まれていたのは、女好きだったからだが、ヨハンは普通なので店主が慣れるほど騒動を起こしているとは思えない。
「考え? じじいに何ができるんだ?」
ヨハンはやれやれとインバネスの下に隠していた剣を手にする。
「やる気……ぐぇ」
鞘付きの剣が男の腹を突いた。そこからは、ハウルにはよくわからないうちにもう二人の男達が崩れ落ちた。気を失ってはいないが、苦痛のために動けないでいる。
──すげっ
人間に対して純粋に驚愕したのは、ヴェノム以来だ。目で追えないわけではないのだが、あまりにも自然に動くため、ついて行けなかったのだ。ヴェノムが彼を抱え、教えを請う事を喜ぶ意味を、ようやく理解した。
「まったく、こまったお客さんだ。これだから流れの者は困る。この町で、ヨハンさんに喧嘩を売るなんて」
店主は奥から使用人の男性を呼び、警察を呼ぶように言った。
「おっちゃん。ヨハンって、そんなにいつも暴れてるのか?」
「そんなわけないだろう。まあ、あるとすれば人を助ける時だな。あ、ですね。申し訳ございません。田舎育ちなものですから」
「別にいいよ。ヨハンは大げさなだけだから。俺は別に偉くないし」
「あ、そうかい」
あっさりと元に戻る店主。こういうタイプは嫌いではない。
「坊主はあの旦那が何者か知らないのかい?」
「さぁ。うちのババアが雇ってるぐらいしか」
「ああ、あの魔女の孫かい。そーいや、あの人の息子に似てるなぁ」
顔を隠しているのに顔の広い女だ。
「あの旦那はな、昔聖騎士とまで呼ばれていた、そりゃあすげぇ騎士様だったんだ」
「…………」
「まあ、どういう経緯でお前さんのばあさんのところに来たかは知らないが、すごい人に剣を習うんだ。ありがたく思えよ」
「うん」
ハウルは平常を装いながらも、心の中でははしゃいでいた。
強くなったら、天空城のあいつらに少しぐらいは見返せるだろうか。
「ハウル様、邪魔もいなくなった事ですし、身体にあったものを選びましょう」
「ああ」
認めてもらえる。そう考えると、ハウルはどんな厳しい特訓にも耐えられるような気がした。
あとがき
ハウルが剣を使うわけ。
みんな気づいていると思ったけど、気づいていない方が多かったので。
ハウルの回りで正統派剣士って言ったら、この人しかいないし。
けっこうお気に入りのキャラです。