罪作りな程可愛くて

 


 黄金の髪は艶やかであり、さらさらと一時も止まることなく指を通し流れ落ちる。肌は血色が良く、健康的な白さで輝き、頬はバラ色だ。厚くも薄くもない薄紅色の唇は、思わずキスをしたくなる。瞳はゴージャスな金色で、目の形はアーモンド形。この瞳が向けられれば、金持ち達は何でも買ってあげたくなるだろう。
 鏡に映る己を見つめ、ラァスはうんと頷いた。
「今日も僕は可愛い」
 完璧とは言わないが、それが人間らしくていいのだ。左右でほんの少し違うところが、人間として当たり前なのである。ラァスの差は微々たるもので、普通に見ては分からないほどである。
 この世に完全な左右対称の人間など、そうはいないだろう。いないとは言い切れない。
「なぁに一人でナルってんだよ」
 振り返れば、わずかに開いた扉から、見事な美貌を歪ませたハウルが顔を出していた。
 空色の瞳には不審の色が浮かび、それでも美しいその瞳に見つめられれば、己を理解する女性は彼に夢中になると同時に、己を恥じるだろう。短い銀髪は、手入れもされていないのに必要以上に輝いている。肌も陶磁のような滑らかさだ。
 彼は常識はずれた美形だ。美しい。完璧だ。
「……ハウル、真顔になって」
「はぁ?」
「いいから!」
 彼は顔を顰めていたが、しだいに力を抜いていく。
 そんな彼は、見たところ歪みが全くないのだ。物差しを持って近づくと、彼は再び顔を歪める。
「顔」
 言われてかれは顔から力を抜くが、やはり強張っている。それでもかまわず目の位置、ほお骨の高さなどを測っていくが、彼は完璧だった。
「ハウルの馬鹿っ」
「なんで!?」
 物差しを投げ捨て、ラァスは泣き真似をして部屋から飛び出した。
 世の中不公平だ、とは思わない。ラァスは容姿、力と、一般から見たら十分恵まれている。ハウルがその上を行く素質があるからといって、自分の価値が下がるわけではない。
 それでも、その価値を上げることは出来るのだと、彼は知っている。
 磨けばより輝く。
 昔はクズのような石だったが、今ではこうして輝いている。
 でも少し悔しいので、部屋を飛び出てみた。とはいっても、彼は何か目的があって部屋を飛び出たわけではない。しかしこのまま城を一周するのも間抜けである。幽霊が出ても恐い。
 と、彼は今走っている先にヴェノムの部屋があることに気がついた。足を止め、ドアをノックする。
「師匠、ラァスでーす」
「入りなさい」
「はーい」
 ヴェノムの部屋は日当たりが悪い。日光がまったく入り込まない、物が日に焼けない部屋である。薬などを扱っているので、わざとこのような部屋を選んでいるらしい。
「もう寝る時間ですよ。何の用です?」
 言われてみれば、ヴェノムは肌が透けて見えそうな黒い夜着を来ている。妙齢の女性の部屋に来るには、少し遅すぎたようだ。
「ええと、師匠って、どんなスキンケアしてるんですか?」
「ラァスには必要ないでしょう」
 ヴェノムはアップにしていた髪をほどき、頭を振る。流れる髪は、魔法の光を受けて妖しいほど美しい。
「男の子でも、ちゃんと手入れしないと」
「その年なら、今していることで十分です」
「基礎は若いときからしておかないと。師匠はどうみても二十歳過ぎなのに、十代の女の子みたいなきめ細やかな綺麗な肌をしているから、どうしたらそうなるのかなって」
 ヴェノムは目を伏せ、椅子に腰掛けた。
「それにハウルのあの姿勢の良さ! どうやってあんなの身につけさせたの?」
「彼のあれは、生まれつきですよ」
 彼が生まれ持っていない物など、あるのだろうか。容姿端麗、頭脳明晰、魔力は底なし、身長もあり姿勢もいい。ラァスは自分が女であれば、恋の一つや二つしていたかもしれない。
「師匠は色白でいいな」
「ラァスも十分綺麗な肌をしているではありませんか」
 ヴェノムは近づいたラァスの頬を撫でる。彼女の手の冷たさが心地よい。
「でも、師匠の肌の方が綺麗」
 ラァスもヴェノムの頬に触れ、本当なら肌の曲がり角など過ぎている、見た目二十代前半の美女を見つめる。絹のように滑らかな肌だ。見た目は綺麗に見えても、触れればごわごわしている女性が多い中、彼女の肌は本当に綺麗だ。
「僕も師匠みたいな大人になりたいな」
「まあ……なんて可愛らしいことを言うんでしょうね、この子は」
 抱きしめられて、ラァスは彼女の匂いを嗅ぐ。花の匂いがするのは、彼女が風呂上がりだからだろう。風呂には花の香りのする石けんと入浴剤がある。ラァスの身体からもするかも知れないが、人の肌からすると強く感じる。
 妖しくも美しい彼女の魅力を、この匂いはとてもよく引き立てている。
「こらぁぁぁぁぁぁあっ!!」
 耳をつんざく咆哮に、ラァスはきょとんとして振り返る。
「お前ら、人が少し目を離した隙に、何いかがわしいことを!?」
 ラァスは嫉妬深いハウルを見て、ふっと笑ってやる。
「ただ触りっこしてただけだよねぇ、師匠」
「ええ、その通りです。師と弟子の交友を深める邪魔をしないで下さい」
「だ、だからって、なんで抱き合ってるんだよ!」
 ハウルは可哀想なほど必死に訴える。
「可愛かったからですが」
「大好きな美人の師匠が目の前にいたら、誰だってかまって欲しくなるよねぇ」
「なんて可愛い子なんでしょう。いい子です、ラァス」
 抱き合う麗しの師弟を見て、ハウルは地団駄踏む。
「お前、下心ねぇか!?」
 ハウルの言葉に、ラァスは鼻を鳴らした。
「こんな美人を前にして、下心一切なしじゃそっちの方が失礼だよ」
「その通りですよハウル。これが健全な男の子です」
「そうそう。綺麗な人には綺麗だと言って、思いつく限りの賛辞を呈するものだよねぇ、師匠」
「好きな相手にだけ、もしくは利用したい相手にだけにしておいた方が、賢いですが」
「もちろん、うぶな子を勘違いさせるのは罪作りだよね。でも師匠みたいな大人の人との駆け引きとか楽しいよ。本気になった方が負けだって知ってるから」
「まあ、悪い子」
 その会話に、ハウルは半泣きしてラァスを睨んだ。ヴェノムに女を感じることが嫌いな彼に対して、いい嫌がらせになる。ハウルはヴェノムが男と仲良くしていると、嫌な顔をして、時々泣きそうになっている。
「ではラァス、明日の買い出しについてきますか? 美しさにこがれるのは、男も女も老いも若きもありません。共に最高級エステを体験しましょう」
「ええ、本当っ!?」
 ラァスもエステというものを体験したことはある。大切な仕事の前に、美貌を磨いたり、顔の印象を変えるために、組織お抱えエステティシャンに世話になった。だが、一般のエステには行ったことがない。しかも、最高級。さすがは大金持ち。
「師匠、大好きっ」
 彼女の頬に音高く口付け、首に腕を回して抱きしめる。
 ハウルが何か叫んでいるが、何もかも必要な要素を持って生まれた彼に、こんな些細なことで何か言われる筋合いはない。
 キスがしたければ、自分ですればいいのだ。
 照れて一生出来そうにない、そういう性格をどうにかしようとしない彼が悪いのである。


 すわここはどこの大貴族のお屋敷か!?
 そう内心で思うほどに、この建造物はきらびやかであった。
 今風の優美なシャンデリアが垂れ下がり、玄関ホールの中央には小さな噴水がある。ラァスですら知っている画家の高い絵が飾られ、これまた高そうなツボが飾られている。並ぶソファはそんなエントランスによく合う、そんのいい色合い。どれも配置、配色すべてセンスがいい。
 それ以上に引きつけられるのは、従業員の質である。
 入り口では二人の屈強な美丈夫警備員が立ち女性の心を揺さぶり、建物からは涼しい風が吹き、迎える線の細い美青年でノックアウト。
 受付の女性は澄ました品のいい美女だが、男達の容姿を思うと平凡だ。もちろん肌つやは素晴らしく、化粧も上手い。女性のコンプレックスを刺激しない、しかし美しいと思わせる、絶妙なバランスの人事である。
 ここに立った時点でひとひとと感じる。ここは高い、と。
「むぅ、やるな」
 思わず呟き、金持ちの女性御用達であることを実感した。ヴェノムも美男子が好きなのは、彼女と街に行ったとき、いい男を見ると「あらいい男」と呟いているのを聞いて知っている。
「ここ涼しいね。冷房? 金かけてるなぁ」
「ええ」
 このような設備があるのは、本当に高いところだけだ。ラァスも何度か体験したことはあるが、仕事で潜入するか、中年オヤジを騙して宝石を買ってもらうときぐらいである。
 ヴェノムはボーイに荷物を預け、奥へと案内してもらおうとしていた。
「まあ、ヴェノム様! お久しぶりでございます」
 知らない綺麗な中年の女性が、こちらにやってくる。
「まあ、お坊ちゃまも大きくなられて。すっかり男前ですこと」
「お坊ちゃまって……」
 ハウルは不服と顔に書き、ぶつぶつと呟いた。二人で行かせるのは不安だと、ついてきたのである。
「こちらのお嬢様は……あら、お坊ちゃまかしら?」
「僕は男です」
「まあ、なんて綺麗な男の子! うちに飾っておきたいぐらいですわ」
「ありがとうございます」
 満面の笑顔で礼を言う。自慢ではないが、女男問わず中年層をたぶらかすのは得意である。
「新しい弟子です。美容に気を使う子で、一緒にエステを受けに来ました」
「まあ、素晴らしい心がけですわ。男性といえども、美しさを磨くことは大切ですもの。それを知っている美しい男性は、とても稀ですのに、まだお若いのに素晴らしいですわ」
 この女性から、美に対してのすさまじいまでの執着を感じたような気がした。彼女は見た目は三十代後半に見える。実際にはもっと上なのだろう。
「ああ、ヴェノム様のお弟子さんでなければ、スカウトしているところでしたのに」
「確かに、こんな子が迎えに出てくれたら、きっと客が増えるでしょうね」
「ええ」
 ラァスはこの女性は誰だろうと思い、師を仰ぎ見る。悲しいかな、ヴェノムの方が背が高いのだ。その上高いヒールをはいているので、ハウルと同じほどの高さがある。
「この店は私が経営しているものの一つです」
「け、ケイエイ!?」
 常連ではなく、経営。通りで皆が異様に恭しく挨拶するはずである。
「ええ。ですから、料金のことは気にせず存分に楽しみましょう。ハウルも」
「お、俺も!?」
「来たのですから、付き合いなさい。見ているだけでは失礼ですよ」
 ハウルはぐぅとうなる。礼儀に反することを、彼は好まない。不機嫌に黙ったまま、彼はヴェノムの言葉に従った。
 恭しく奥へと案内され、ラァスはるんるんと足取りも軽くついて行く。


 まず初めは風呂である。本当は綺麗なお姉さま方に身体を洗ってもらうはずだったのだが、照れたハウルがだったら帰ると言いだしたので、ラァスも必然的に自分で身体を洗うはめになった。
「せっかく至れり尽くせりなのに、どうして嫌がるかなぁ」
「は、恥ずかしいだろっ!」
「ハウルは若いなぁ」
「お前の方が年下だろうが、この羞恥心化石化男!」
「人前で裸になるぐらいいいと思うけど」
「お前だけだ、そんなのっ」
 ハウルは本当にうぶである。普通の場で裸になるのは恥ずかしいだろうが、人の裸体を見慣れた湯女の相手に恥ずかしがるのは、医者の前で服を脱ぐのを恥ずかしがるのと変わらない。まったくもって青春真っ盛りの可愛い男だ。
 でもそれが、普通の少年の反応なのだろう。
「じゃあ、洗いっこしようか」
「やだ」
 冷たい男である。どちらかというと寂しがり屋のラァスは、ふてくされて身体を丹念に洗う。ふとそこで気づいたのは、漂う香りに覚えがあったことだった。
「この香り……」
 最近いつも風呂で嗅ぐ香り、ヴェノムからした香りと同じだ。
「よく分かるな。ここで使われているのは、うちで使われてる。最終的に許可を出すのは、ヴェノムが試してからだしな」
 ラァスはふぅんとうなって、泡の香りを嗅ぐ。
「前なんて、ワイン風呂とかされて……大変だったときがあるんだぞ。ヴェノム酒に弱いからな」
「ザルっぽいのに。でも、女の人は少し弱いぐらいの方が可愛いよね」
「可愛いとかそういうレベルじゃねぇよ」
 ワイン風呂とは、それほどキツイのだとラァスは考えた。
 ハウルと一緒に温泉に浸かり、そのぬるりとした感じを楽しんだ。海が近いためこれは天然の温泉で、美肌にいいらしい。
 存分に楽しみ、のぼせそうになって風呂から上がる。身体を拭き、館内着を身につけた。
 それを着て外に出ると、待ちかまえていた美女に案内される。皆の肌が綺麗だと、説得力がある。己の肌を磨くのも、仕事の内に違いない。
 これから気持ちいいマッサージだと思うと、思わずスキップしたくなる。もちろん人目もあるのでそのようなことはしないが──
「ミカエル!?」
 奇妙な具合に甲高いが響き、こちらに何かが向かってくる。
「お客様!?」
 叫ぶ女性の声に、迫り来る足音。
 恐る恐る振り返れば、なんだか見たことがあるような気がしなくはないが忘れ去ってしまいたいので一生懸命封印し続けてきたような気がする姿が見えたような気がしたが、ラァスはさっとハウルの陰に隠れて見なかったことにする。
「ミカエル! 私の天使!」
 ハウルは押しのけられ、ラァスはその巨体に抱きしめられた。ハウルの何と情けないことか!
「ああ、私の天使! こんな所で再会できるだなんてっ」
 突然抱きしめられたラァスは、対応できずにぐえっと漏らした。いつもなら自然と身体が魔力を使って守るのだが、今は動揺して絞められるがままになっている。よってかなり苦しい。
「こ、こらぁ、てめぇ、ラァスに何しやがんだっ!?」
「何あんた! 私の可愛いミカエルをたぶらかしたのはあんたなの!?」
「だれがミカエルだっ! それはラァスだ! 俺の弟弟子だよっ! 返せってっ!」
 ハウルはラァスを奪い返そうと、腕を引っ張る。すると余計に苦しく、さすがのラァスも目を回しそうになった。落ちる前に、どうにかしなければならないと、いつものように力を込めて、ふんぬっと腕を上げる。男が一瞬持ち上がり、ハウルが顔を顰めて手を放した。
「んだ、このカマ野郎!」
 ラァスはハウルを真似た口調で男を睨む。
 この男はほんの少しだけ羨ましくなるほど、筋肉隆々の野性的な顔立ちをした男だ。ただ、髪い髪をアップにして、まつげにはマスカラ、唇には真っ赤なルージュ、頬には紅。耳には金の大きな輪がついたピアス。指には無闇に高そうな指輪。着ているのは、どう見ても女性用の館内着。
 そう、彼はオカマである。マッチョでゴージャスなオカマである。
「ざけんじゃね、気色わりぃ!」
 悪態を付いて男の腹を押す。正直本当に気持ち悪い。美人のオカマならともかく、筋肉質のオカマなど冗談ではない。
「失せろ、こんタコっ」
 身近にサンプルがいると、演技というのはしやすくなる。出来るだけ自分の愛らしさを殺し、殺意すら込めて睨み付けてみた。
 こういった気配一つで人の雰囲気は変わる。同じ顔をしていても、別人のように見えるほど。
「まぁ……ミカエル、そんな汚い言葉を使うなんて、グレてしまったの!?」
「はぁ?」
「ああ、そんな貴方も可愛いわ。私の可愛い小悪魔ちゃん!」
「ちげぇっつってんだろ!」
 しつこいオカマである。一度、この男のせいで仕事を失敗したことがある。それでなくともインパクトが強いのに、その上恨みまであるのだから、封印したくても目が合えばそんな封印どこかに吹き飛んでしまう。
「変態オヤジが俺に近寄るんじゃねぇ! 気分が悪い、行くぞっ」
 ラァスはハウルに言うと、自然に速やかに立ち去ろうとする。
「ミカエル、どうしてそんなこと言うの!? どうしてしまったの!? 天使のようだった、あの時の貴方はどこに行ったの!?」
「しらねぇよそんなの! 頭大丈夫か?」
 とにかく他人の振りが大切だ。あの時は長い金髪の巻き毛のカツラを被っていた。目は青だった。化粧もしていた。美形というのは、顔のバランスがいい人間の場合が多く、没個性的になり、顔立ちが似てくるものだ。とくに女性の場合は、男性に比べて顔の面積が狭いので、その傾向が強い。ラァスは紛れもなく女顔であり、こういう女顔の美少年というのは、また似たような系統の顔が多いのだ。なので、髪型も違い目の色まで違うと、相手に否定されれば不安になる。しかも、あれから一年が経ち、彼はすくすくと成長している。同一人物であるなどという確信が、どこから出てくるのかが分からない。
「ハウル、ラァス、何をしているのですか?」
 師の声が聞こえ、彼は思わず笑顔を作りそうになる。笑顔はいけない。笑顔の印象で、相手の確信を揺るぎないものにしてはいけない。
「師匠! このオカマがチカンしてくる!」
「まあ……いらっしゃい。早く行きましょう」
「はい」
 ラァスはこれ幸いと、彼女の下へと駆け寄った。助かったと汗を拭う。せっかく汗を流したのに、実に不愉快だ。
「彼──彼女は誰ですか?」
「知らないけど、仕事中に絡まれて失敗したことがある」
 二人は囁き合い、ヴェノムは合点がいった様子で頷いた。
 あのしつこい男は、とにかくとにかくしつこいのだ。少年の姿でターゲットの男に媚びを売っていたときは、彼女もさすがに男の姿をしていたが、目の色を変えて乱入して口説いてきたのが初めだった。
 その時は任務遂行を諦め、日を改めて次の機会を狙った時、再び──今度はオカマ姿で邪魔をしてきたのである。それからラァスは少し凹んでその仕事から外してもらい、それから忘れていたのだが──。
「眼中にないって言ってるのに、分からないしつこい男って嫌い」
 心の性別は関係なく、だ。
「ああ、ミカエルっ」
 しつこく偽名の一つを叫び、数人係で押さえつけられているオカマを無視して、ラァスはヴェノムと手をつなぎ奥へと進む。


 顔にオイルを塗られ、マッサージをされた。手足も同様に、数人でマッサージをする。
 ヴェノムはラァスと同じだが、ふてくされたハウルは足の裏をマッサージされて時折悲鳴を上げていた。女性に身体を触れられるのか恥ずかしいようで、譲歩してあれだった。
「気持ちいいのにねぇ」
「一流の者ばかりですから当然です」
 ヴェノムの方を見ると、上半身裸でうつぶせになり、横乳が目に入ってくる。さすがは巨乳。ナイスバディ。年の功なのか、男と思われていないのか、脱いでも平然としている。
 ラァスはいい目の保養になるので、時折ちらりと見ないように見ている。ハウルが何か言っているが、少し太めの女性按摩に足裏を刺激され、悲鳴を上げては仰け反った。
「でも、いろんな客がいるんだね」
「性別では差別はしません。女性にセクハラをする勘違いをした殿方などろくでもない客は叩き出しますが、そうでなければ持っているものを持っていれば受け入れます」
「あの人は……」
 他の客に痴漢行為を働き、騒ぎ立てた。普通なら追い出されるだろう。
「あの方は……」
 ラァスの腕にオイルを塗りつける女性が、言葉に詰まった様子で呟いた。
「あの方は、少し……特別でいらして」
「特別って、どこかの偉い人なの?」
 ラァスの言葉に、女達は顔を見合わせる。
「占い師です」
「ラァス様に遭遇する前から、今日は運命を感じるとか口にしていらしたそうですが……あんなことになるなんて」
 ラァスの腕に鳥肌が立つ。
 運命とは、いい意味ばかりではない。ラァスの家が貧乏だったのも運命。売られたのも運命。そしてヴェノムに出会ったのも運命と、世間では言うのだ。
「まあ、ラァス。そんなに脅えて……可哀想に」
 ヴェノムがどこから見ていたのかは知らないが、男の様子を思い出したようで呟いた。表情に変化は全くないので、本当のところどう思っているかは分からない。
「でも、占い師がどうしてそんなに特別なの?」
 金持ちに取り入り、かなりの地位を持つ者もいるが、その手合いなのだろうか。
「王侯貴族御用達の、人気絶頂の占い師なんです。
 本当によく当たるんです。私も一度占っていただいたことがありますが、忠告を無視して外に出たら、さんざんな目に合いましたわ」
 ラァスの鳥肌が広がる。運命がこんなに恐ろしい言葉だとは思わなっていなかった。
「安心なさいラァス。魔力の強い者を占うのは不可能です。先ほどのような予感を感じることはあっても、貴方のことを占うことなど出来ません」
「じゃあ、居場所を突き止めたりして押しかけては来ないの?」
「もちろんです」
 ラァスはほっと安堵の息をつく。彼女は金持ちだとしても、付き合いを持ちたくないタイプだ。マッサージは気持ちいいから、ストレスのたまることなど考えたくなどないのに、実に厄介なオカマである。
 ハウルがまた悲鳴を上げて、もういいもういいと言って、足を解放された。それからしばらくして、ふらふらと部屋を出て行くのが見えたが、彼は別に狙われていないので問題ないだろう。


 ハウルはげんなりとして廊下を歩いていた。マッサージは嫌いではない。しかし、それをしてくれるのが女性であれば話は別だ。ラァスは人に触れられるのは多少慣れているかも知れないが、ハウルはほとんどそれがない。まともに抱きしめてくれたのは、母とヴェノムと──まあ、父親だけだ。ラァスは人に触れるのが好きで、ハウルに容赦なく触れてくるが、ハウルはそういうことに慣れていない。とくに相手が人間の女性だと思うと、どうにも緊張する。力の暴走など、数えることしか起きたことはないし、きっかけがあった。だが、それでも、壊れてしまいそうな弱々しい相手に過剰に触れられるのは苦手だ。
 ラァスは見た目が女の子のようだから初めは戸惑いを覚えたが、今では叩いても壊れないこと、下手をすれば自分よりも頑丈にできている事を知っているので、例外となった。もちろん、ヴェノムも例外の一つだ。
 ヴェノムはそんなハウルの苦手意識を和らげようとしているようだが、方法が間違っている。ハウルは女性はもちろん好きだが、肌を触れられるとなると恥ずかしい。
 と、ここまで考え、逃げ出してきたのはやはり羞恥心の方が大きいからだと気付く。
 街で女性に声をかけられて戸惑っていると、ラァスが「へたれ〜」と言うが、まさしくそうなのだ。ラァスのように無駄に慣れていない、ど田舎者なのである。
「ぐえっ」
 ハウルは自分でも少し剽軽なと思ううめき声をあげた。突然後ろ髪を引かれたのだ。痛みに後ろに重心を置きながら、恐る恐る振り返る。
 不用意にも先ほどのオカマに捕らえられてることを理解した。本当に不用意だ。考え事をして気付かなかった。
「ステファニー様! おやめくださいっ!」
「は、はなせっ!」
 ハウルが逃れようとしているが、髪を掴まれているので抵抗しにくい。
「綺麗な髪ね。人間じゃないわね。精霊……でもないわね」
「それがどうした」
「神混じりかしら?」
 よく当たる占い師というのは、嘘ではないようだ。少なくとも、魔力を感知する力は本物だ。
「だから、それがどうした。分かってるなら放せ、死にたいのか?」
 ステファニーなどといかにも自分で付けた名の男は、素直にハウルの髪から手を放す。
 何本か抜けただろう、忌々しい。
「ラァスなら、会いたくないって言ってるぞ。あいつは、可愛い顔して女の子大好きだからな」
 可愛い女の子を見ると、可愛い可愛いと言っている。そして、参考になるなぁ、とも。何の参考になるのかは、ハウルには計り知れないが、彼が女の子が好きなのは事実である。
「もう、いいのよ。私の天使にまた出会えて、興奮してしまったから……。彼はびっくりしたんでしょうね」
「うん、びっくりはしてたぞ」
 人とは違うベクトルに行動したが。
「でも、気になるの」
「気になる?」
「昔のあの子は、もっと黒々とした雰囲気をしていたのに……何があってグレたのにあんなに澄んでしまったのかしら」
 そりゃあ暗殺者やめたからですよ、とは言えない。
 あれも立派な必要悪の職業だが、犯罪は犯罪だ。
「うちの師匠に弟子入りしたからだろ。見ての通り、金の聖眼だからな。いい教師に出会えて、成長できているのが嬉しいんだろ」
 一番嬉しいのは、人殺しをやめたからだろう。ああ見えて、寂しがり屋で人肌の好きな男だ。殺すために誰かと出会うのは辛かっただろう。その上幽霊が嫌いだ。
「そう、あの女が私のミカエル……いえ、ラァスだったかしら。私の天使を変えたのね」
「ん、まあ。拾ったのもあいつだし」
 吹っ切れてなんだか変な風に育って行っている気もするが、あれが本来の彼かも知れない。
「ああ、悔しいわ。私が癒してあげたかったのに」
「ストレス溜めるぞ、あいつ」
 それで部屋にこもって可愛いぬいぐるみを抱いたり作ったり話しかけたりしながら、異様に禍々しい石とか武器とか眺めているに違いない。明るいようで意外と根暗でもあるのがラァスという男だ。
「目の前にしても、あの子の未来は分からないほど、澄んだ霧が掛かっているの。これは大物になる者の傾向よ。
 あの女性が彼に幸運を与えたのね」
「へぇ、そう」
 あれだけの素質と、ヴェノムの弟子という経歴があれば、どこでも雇ってくれるだろう。彼女の予感は正しい。
「悔しいけど、諦めるわ」
 彼女は頬に手を当て、一粒涙を流した。
 わぁ、めでたいめでたい。
 ハウルは心の中でどうでもいいけどとりあえずラァスを祝ってみた。
 ステファニー(偽名確実)は、涙を拭い、ハウルの手を取った。
「私の天使に伝えてちょうだい。幸せになってね、と」
「ああ、伝えておく」
 知らないところで諦めてくれて、ラァスはさぞ喜ぶことだろう。


 あれから一年以上の時が流れた。
 ラァスは隣のカロンを見つめ、ふっと笑う。あのオカマには似てもにつかないが、彼を見ていたら何となく思い出してしまった。
 あのオカマに比べれば、鬱陶しくないし何かと使える分、この男の方がマシだろう。連れて歩いても恥ずかしくないというのもポイントが高い。
「どうかしたのかい」
「別に。でも、カロン、こんなところに付いてきてもいいの?」
 こんな所とは、クロフィアの王宮だ。騎士達の様子を見に行くのに、この男も行くと言い出したのだ。せっかく会いに来たのだから、少しでも長く一緒にいたいらしい。
「かまわないよ。ここに来たのはもう何年も前の話しで、その時に比べれば身長も伸びて顔立ちも大人のものになったからね。私も昔はそりゃあ愛らしい美少年だったのだよ、君のようにね」
 彼は女性など一瞬で悩殺されそうなウインクをくれた。
 大きくなってこうなるのは嫌だと思ったが、爽やかな笑顔を見上げると、悪くないとも思う。この身長は羨ましい。
「ラァス君」
 遠くから、知った声が聞こえた。ヴァルナの声に、ラァスは笑顔で振り返り、硬直する。
「…………」
 運命とは、決していいものばかりではない。
「やあ、ラァス君に、カロンさん」
 彼は実に爽やかに微笑んでいる。その隣には、彼の連れにしては異様な人影があった。
「ああ、紹介しますね。この方はステファン……じゃなくて、ステファニー。時の精霊の加護を受けた、なかなか優秀な占い師……って、どこに!?」
 ダッシュで逃げるラァスと、内股で獲物を捕らえるように駆けるオカマ占い師。ハウルに語ったという、諦めはどこに行ってしまったのだろうか。
「ああ、これはやっぱり運命よ!」
「こんな試練イラナイ! サギュ様の馬鹿!」
 その瞬間、なぜか上から植木鉢が落ちてきて、ラァスは倒れて捕捉されてしまった。
 その後知ったのだが、本名ステファン、今ステファニーは、あの忌まわしき地神姉妹のお友達らしい。どこまでも、ラァスはあの姉妹に振り回されるのだと知り、彼が面倒を見る騎士団が特別に引っ越しすることになるまで、彼は訓練に参加するのも油断できないようになった。
 ちなみに、カロンとは馬が合わないらしく、会う度に火花を散らす関係だ。まあ、互いにつぶし合ってくれればラァスもありがたいと思っている。
 薄情と言うなかれ。身体の頑丈な野郎相手に、心配するなど馬鹿げているのだ。
 どうせ好かれるなら、美人占い師のお姉さんに好かれたかったと、ラァスは運命の女神を心の中だけで罵った。


 

あとがき
 3周年記念作品として、5回人気投票上位三人の短編です。
 1部3話と4話の間の出来事です。
 オカマさんは出そうと思って出すの忘れていた人です。
 大地の国は、女装男多いなぁ……。 

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