古き日の出会い
彼女は中庭のベンチに寝そべって空を見ていた。
ただ、流れ行く雲を見ていた。
あんな柔らかそうな素材の布団で、一度でいいから寝てみたい。
「お嬢様。またそんなところでっ」
うるさい侍女頭がやってきた。
「それにその格好! 平民のような格好はおやめください」
「…………」
ドレスは苦手だ。
一通りのお嬢様としての訓練は受けた。命じられれば、素振りだけは演じられる。
笑い方がぎこちないと言われるが、そればかりは仕方がない。
「最後ぐらい、いいでしょ?」
「いけません!」
「はい」
仕方なく彼女は起きる。
「まったく。お嬢様はせっかく元がいいのですから、愛想良く笑って、それで淑やかにしていれば、たとえ邪眼であっても男性がほうっておかなくなるでしょうに」
「そんな物好きいないと思うけれど」
「いいえ。
お嬢様、あなたはこれから国王様にお仕えするのです。それに見合う素晴らしいレディとなっていただかなくては、我がトレア家の名折れです。そのことを、十分に理解した上で……」
こうなると、話は延々と続くことを経験上理解していた。
聞き流すことにもなれた。言っていることは毎回似たようなことだ。聞き流して問題ない。
「いいですか? お嬢様、聞いていますか?」
「ハンナ。それぐらいにしてやってくれないか?」
助けは突然現れた。
真実の瞳を持つ、隠者ウィトラン。
戸籍上の義理の兄である。
「ウィト……」
「お兄様です」
「はい、お兄様、どうなさいましたか?」
教育の内容はほとんど洗脳に近かった。
一人になると素に戻れるが、人が多くいると、意識が切り替わる。
「いや。正式に隊に入るのは明日だが、とりあえず先に『ナイブ』の隊長クラスの奴らだけにでも顔見せしておこうと思ってね。嫌かい?」
「いいえ」
どちらでもいい。今日か明日かの違いだ。
「なら、着替えておいで。ハンナ、ヴェノムを魔女らしく美人にしてやってくれ」
「はい、畏まりました」
ウィトランは慣れた様子でハンナに命じた。
彼も努力の末、今の冷静さを手に入れたようだった。
──私も精進せねば……。
義父が命をかけて仕えた王。
だから、王の直属の隊に入れるのは、悪くは無いと思う。
義父の遺志を継げるのだから。
着せられたのは黒のドレス。
瞳を隠すためにヴェールをつける。未婚の女性が顔を隠すことは珍しいことではない。
ただ、喪服を着ているような気がしてくる。
──ああ、でも。私は喪服なんて着なかったから、ちょうどいいのかしら?
ウィトランに手を引かれ、そんなことを考えながら彼女は進む。
時折視線が向けられるが、気にはしない。
「あっれぇ、隠者が女連れ」
城のある一角に差し掛かると、前方から男性の三人がやってきた。
「彼女?」
「どこの未亡人ですかぁ?」
かけれられた声に、ぐさりと何かが胸に刺さる。
「………み……」
「まだ14歳の女の子に対して失礼ですよ。僕の妹です」
「ってことは、その女が魔術師?」
金髪の、知らない男がヴェノムの顔を覗き込もうとする。
「何で逃げる?」
「この子は奥ゆかしいのです。初対面の男性には、軽々しく顔を見せたりはしません」
ただあまりにも失礼なので腹を立てただけだ。
「ちょーっと顔見せてみろよ」
「見る価値などありません」
「そういわれると、是非見たくなるのが人間ってモンだろ。命令だ、それ外せ」
ヴェノムは唇を引き結ぶ。
「この方は?」
「ロズウェル殿下──この国の時期王位後継者だよ」
その言葉に、仕方なくヴェールを帽子ごと外した。
その瞬間、三人は固まった。
「おい、ウィト」
ロズウェル達はウィトランをがっちりとホールドし、廊下を走って少し離れたところで言い争いを繰り広げた。
一人取り残されること五分。
やや傷を負ったウィトラン達が戻ってきた。
「どうしたのですか?」
「いや、予測はしていたから問題ないよ」
彼は微笑みながら自身に回復魔法をかける。
本人が気にしていないのなら問題はないが……。
「さて、次が本番だ」
「そのこ、あいつらに見せるのか?」
ロズウェルが問うた。
「見せないことにはどうしようもないでしょう」
「そうだが………」
「死なないで下さいね」
「ご愁傷様です」
──私はどんなところに連れて行かれるのだろう?
「そんなこと言うから、ヴェノムが怯えてしまっていますよ」
「ああ、ヴェノムちゃんは気にすることないですよ」
「悪いのはこの人ですから」
ロズウェルの護衛らしき二人は、なぜか不抜けた笑顔で言う。
「どうして?」
「可愛いなぁ」
「ねぇ、殿下」
ロズウェルは頷く。
なぜか顔が赤いような気がする。
「さっ、行こう。では殿下、失礼いたします」
「いや、俺も行く」
ウィトランはくすくす笑い、ヴェノムの手を引いて歩き出した。
その部屋に入るなり、うるさかった一同は沈黙する。
「紹介するね。こちらは新しい『魔術師』となるヴェノム」
ウィトランが言った瞬間、筋肉隆々の大男が彼の腹に蹴りを入れた。後ろに跳んで力をそいでいたものの、かなりのダメージだろう。
「な………」
ヴェノムはあまりのことにあっけに取られてそれを眺めていた。
ウィトランは黙って殴る蹴るの暴行を受けていた。
「聞いてないぞっ。こんな、こんなっ」
「くそ、一人だけいい思いしやがって、卑怯ものめ!」
「どーりで面倒嫌いのお前が名乗り上げたはずだ」
「影縫い」
ヴェノムは簡易式の捕縛術を発動させた。
「お兄様、大丈夫ですか?」
「ああ、頑丈なのが取り柄だからね」
暴行の輪からウィトランが抜けると、ヴェノムは術を解く。
「この王宮には乱暴な人しかいないのですか?」
「そんなことはないわよ。この人たちが凶悪なだけで」
栗色の髪をした、小柄な二十歳前後の女性がそう言った。ぱっと見は普通なのだが、着ているものが異様だった。ふりふりのドレスに、頭のてっぺんにリボンなどつけている。
ヴェノムは小さな女の子以外でこのような姿をしている人間をはじめて見た。
「きゃー、綺麗なお目め。ルビーみたいねぇ」
「…………」
「あ、わたしぃ、リタっていうの。これでも『月』なのよぉ」
一瞬眩暈を覚えた。
──こ、この女性が?
きっと何かとてつもない特技があるのだろうが……。
「ねぇねぇ、私、この子欲しいぃ」
「っていうか、その子俺らの上司になるんだって。欲しいぃ、じゃない」
「えぇ? つれて歩いたら、自慢できそうなのにぃ」
子供のように駄々をこねる。
確かにこの瞳は珍しく、欲しがる者も多くいた。ただ、抉り出して飾っておきたいという意味で。本体ごと欲しいといわれたのは初めてである。
「それに、ウィトだけお兄様、だなんてずぅるぅいぃ。私も妹ほしいって言ったのにぃ」
「俺も言った!」
「ぼくも」
「あたしも」
──何なんだ、こいつら。
「そうやって喧嘩を始めたから、僕が名乗りあげたんだよ」
「むぅ」
ウィトランは大きくため息をついた。
「というわけだから、こいつらにもお兄様、お姉さまと呼んでやってくれないかな?
それで収まると思うから」
「………まあ、別に」
ヴェノムはかなり呆れつつもそう答えた。
噂に聞いていた「ナイブ」という特殊部隊とは、イメージが異なる。
「俺は?」
「殿下は殿下ですよ」
「むぅぅう。まあいいか。国を継いだら俺のものになるんだし」
ヴェノムは、頭を抱えた。
──私はここで、本当にやっていけるのだろうか?
切実に彼女は自分の将来と、そして国の将来を心配した。
ハウルは今日もラァスで遊んでいた。
そんな姿を、なぜかヴェノムは熱心に眺めていた。
「んだよ。人の顔じろじろと」
「いえ、ただハウルを見ていたら誰かに似ているような気がして」
「んで、誰に似てるんだ?」
「私の初恋の人に」
その言葉に、ハウルとラァスは固まった。
「ヴェノム殿にも初恋が?」
「どういう意味でしょうか、カロン殿下」
「いや、あまりにも似合わない単語だったものだから」
失礼な男である。
「ハウル、顔赤いよ」
「ほっとけ」
ヴェノムは小さく噴出した。
笑う彼女は久々に見る。
「ハウルのそういうところが可愛いと思います」
言って彼女はハウルの頬にキスをして、立ち去った。
「思い出してすっきりしたので、今夜はご馳走にしましょう」
立ち去る彼女とハウルを見比べ、カロンは呟いた。
「青春だな」
ハウルはカロンの尻を蹴ってやった。