青き時
自分はダメな人間だと思う。
心が弱い。
──もっとしっかりしなければ……。
「ヴェノム? どした?」
しゃがみこんで考える彼女の目の前に、ロズウェルの顔があった。
「いえ、精進せねばと……」
「気にするなって。ちょっと野郎の足踏んだぐらいで。足踏まれることも覚悟しないで、ダンスの相手なんて申し込まないって」
今、隣国クロフィア王宮で開催されている、舞踏会に参加している。
王子と友人であるロズウェルが招待され、その連れという名目で、数人の仲間と護衛としてこの国に訪れた。もちろん正規の護衛もいる。もしものときのためだ。
一応名門貴族の娘となったヴェノムは、ロズウェルが連れとするには最適だと言われ、客として会に参加しているのだ。
「人と触れ合うのは苦手です……」
むしろ殺し合えと言われた方が気が楽だ。
なのになぜ、人と密着して踊らねばならないのか。
「ははは。立てよ。目立つぜ」
「はい」
ヴェノムはロズウェルの差し出した手を、一瞬迷った後に取る。恐れ多いが、彼に恥を書かせるわけにもいかない。
視線が集まっているような気がするのは、気のせいではないだろう。
ヴェノムのことを誰だと思う者もいれば、ロズウェルの妻──つまりは将来のカーラント王妃の座を狙う女性たち。さらに父親。等、心当たりはいくらでもある。
──ああ。誤解です。
現在、ヴェノムは瞳の色を変えている。ヴェノムが考え出した、使用するに関しては簡単な術だ。生活であまりにも不便だったもので、昔こっそりと編み出したのだ。
「ヴェノム殿、どうなさいましたか?」
声を掛けてきたのは、ヴェノムと踊った男性の一人である。足は踏んでいない人だ。
「いえ、眩暈が」
「人に酔ってしまわれたのですね。
休める部屋を準備しましょうか?」
「いえ、お構いなく」
ヴェノムは迷うことなく答えた。
「何を言っているんだ、ヴェノム。無理はよくないぞ。私もついて行く。私も疲れてきたところだしな」
ロズウェルは人の手前、いつもの王族らしからぬ口調から、紳士然とした物腰で語りかけてきた。
「それに、この方は私の友人。第一王子のエフィス殿下だ」
ヴェノムは頭が痛くなったような気がした。
──いつの間にか王族の方と踊っていたとは……。
「しかし、ロズウェルにこんな美しい女性の知り合いがいたとは驚きました」
「ああ。最近知り合ったんだ」
「羨ましいことです」
──勝手なこと言っているわね、この人たち。
会話を盗み聞きしている女性達に、睨まれているような気がするのは、気のせいではなく紛れも無い真実だった。
──ああ、これなら一軍に一人で突っ込んだ方がマシ……。
「本当に顔色が優れませんね。参りましょう」
この場を離れるのはいいのだが、その後、この二人と三人きりになると思うと、憂鬱だった。
部屋に入ると、底には一人の少年が待ち受けていた。
金髪に金の瞳の愛らしい十歳前後の子供。
「やあ、ロズウェル」
「お久しぶりです、クリフィス様」
クリフィス。
ヴェノムの知識が正しいのなら、この国の守護神、地神の名である。
「お初にお目にかかります。ヴェノムと申します」
「はじめまして、ヴェノムちゃん。私は一級神クリファス。よろしくね」
男か女か。見た目では判断がつかない。元々、彼らに性別など無いに等しい。替えたいと思えば替えられる。だからどちらと定義するのは馬鹿らしいことだが、クリフィスというのは男性神というのが通説だ。
──小さな子供の姿を好むとは聞いていたけれど……。
本当に子供の姿で現れると、面食らうしかない。
「話は皆から聞いているよ。緑の賢者なんて、久々に見るよ。千年ぶりかなぁ」
「みんな?」
「ああ。君はても精霊に好かれるからね」
彼はくすくすと笑いながら言う。
──何が言いたいのかしら?
「それよりもクリス様。不審者などいませんでしたか?」
エフィスはさも意外そうに言う。
「いたよ。ほら、鬱陶しいから見えないところに置いておいたんだ」
彼は彼自身の座るソファの裏側を指し示した。
見ると、衛兵の姿をした男が、荒縄で縛られて転がされていた。
「運のない暗殺者ですね」
「まさか、自分ところの神様がいるとは、思ってなかったんだろーなー」
「相手が神だとすら認識していなかったのでしょう、きっと。クリス様のお姿を知っているのは、ごく一握りですから」
「誰の前にもひょいひょい出てくるわけじゃねーんだ」
ヴェノムは小さく息をついた。
呑気な王子様方である。
「ロズウェル様。一体、何を企んでおいでなのでしょうか?」
「企んでるなんて失礼な奴だな。ただ、最近こいつがよく命狙われるから、いっちょ解決してやるかって。ヴェノムは頭脳労働班な。実行は俺するし」
「そんなことを許可したら、私がお兄様に叱られるのですが」
「大丈夫だって」
何が大丈夫だと言うのか……。
止めなければならない。若さ故の無謀ほど愚かなことはない。
「大丈夫だって。心配性だなぁ、ヴェノムちゃん」
クリフィスがきゃたきゃたと笑って言う。
神から見れば、このようなことは些細なことなのだろう。
「心配性とか、そういう問題ではありません」
「あ、怒ってる?」
「怒ってはいません。呆れているだけです。殿下たちを危険に晒すわけには行きません。どうしてもと言うのなら、他の者に──」
クリフィスはやはり笑っていた。
ロズウェルとエフィスも笑っている。
「わかってなねぇなぁ」
「自分で対処するから、カッコイイのではないですか」
愚かなほどに無謀である。自分の価値を知らない馬鹿である。自分の命の重さを分かっていない、ろくでなしである。
それでも、今のヴェノムにそれを止める手だてはない。これには地神が関与しているのだ。凡庸な彼女に何ができるだろう。
どこの神でも悪魔でもいい。誰でもいいから助けて欲しい。
ヴェノムは心底から思う。
「というわけで、その転がってるの拷問しようぜ」
「それもそうですね。どのようにしてやりましょう? この私を暗殺しようとしたからには、それ相応の……ヴェノム殿?」
ヴェノムは二人が拷問を始める前に動いた。
ドレスの下、太股のところに、最低限の道具一式が入っている。武器、爆薬、毒薬、薬。ドレスの裾をたくし上げ、中から薬を取り出す。
「おおおっ」
「太股にポーチとは」
「マニア心をくすぐるねぇ」
男性が何を考えているのかよく理解できない。
とりあえず、取り出した指先程度の小瓶の蓋を取り、気を失っている男の鼻をつまみ上げ、一滴だけ口に数滴たらす。
「なんだ? それ」
「自白剤です」
「拷問は?」
「っていうか、ヴェノムちゃんいつもそんなもの持ち歩いてるの?」
「当然です」
ヴェノムは呪文を唱え、男を目覚めさせた。
彼女は正直もう、うんざりしていた。
自分一人で行くのなら平気だ。それなのになぜ、丑三つ時、王族二人に神様一人連れて、黒ずくめの姿をしてスパイごっこをしなければならないのか。
「とりあえず、証拠ですね」
「屋敷に行ったら、悪巧みの内容全部話してくれてたら面白いのになぁ」
「娯楽本の読みすぎです、ロズウェル殿下」
現在、四人はとある貴族の屋敷の屋根の上にいた。
ロズウェルもエフィスも、世間一般から見れば、かなりの腕の魔道師だった。だからこそ、クリフィスも笑って二人を同行させているのだ。
「私は結構、こういうノリが好きなんだ。スパイとか、憧れるよね?」
「そうそう」
「その響きが格好いいんですよね」
なんとなく、この三人が仲がいい理由が理解出来てきた。
同種だ。紛れも無く。
「あの……両殿下はまだ幼いのでともかくとして、なぜ神族の方がスパイなどに憧れるのでしょうか?」
「ほら、お話とか読んでると、なんかドキドキするし。
私のように何でも出来てしまうと、そういう力ない者が、創意工夫して危機を乗り越えるのとか、少し憧れるんだ」
憧れないで欲しい、頼むから。
──はぁ。うちの国のラーハ様のようにまったく顔を出さないのも問題だけど、これよりはマシなのかもしれない……。
悪い道に走るような影響がない分。
ヴェノムはため息を堪え、天窓から中へと進入する。なぜ屋根から進入なのかといえば、三人が揃ってここから進入するのだと言い張ったからだ。偶然、目的の場所から近かったために、採用せざるをえなかった。
闇の中目を凝らす。物置になっている屋根裏部屋のようだった。外の気配をうかがい、人がいないことが分かるとドアを開けた。暗いが、窓から差し込む月明かりもあり、素人でも動けないことはないだろう。
ヴェノムが先頭になり、ゆっくりと歩き出す。
「ヴェノム。もっと『スタタタ』とか走らないのか?」
「足音を立てないで、物にもぶつからず、階段も一人で明かりも無く下りる自信があるなら、どうぞ。私は遠慮します」
「冷てぇなぁ」
ヴェノムは三人──実質は二人を慎重に引き連れ、この屋敷の主の書斎へと向かう。階段を探りながら降り、再び月明かりに導かれ、廊下を歩く。あらかじめ手に入れた情報では、この辺りのはずだ。
やがて、それらしき部屋を発見し、中の様子を探る。
人の寝息が聞こえた。
「誰か寝ています。浅い眠り方をしています。音を立てないように」
宣言してから少しドアを開く。外からは暗幕がしかれていて分からなかったが、明かりがついていた。
「あ、犯人です」
ということは、あれがハーシェル侯爵とやら。
ドアをそっと閉める。
「疲れてるんだな。あんなところで寝て」
「暗殺の命令とかしてるから。きっと、どうしても自分の孫を王にしたいんだね」
エフィスの母親は若くしてなくなり、国王はハーシェル侯の娘と再婚したらしい。そして男子が二人になった。
「君の弟には悪いけど、さすがに命を狙われては、黙っているわけにはいかないね」
クリフィスは大人びた表情でそう言った。
これは立派な反逆罪だ。直系の一族全員処刑されても文句は言えない。
王妃やその息子にも関わることだ。
「義母上はお優しい方です。弟も可愛いですし。二人の立場を悪くするのは心痛いから、やはり証拠を掴んで脅しましょう。二度と私に逆らえぬよう、徹底的に恐怖を植えつけて。それならいいですか?」
「そだね。まあ、私が後ろについていれば、裏切ることもないだろうし」
クリフィスは目を伏せ、次の瞬間には大人の姿へと変化していた。
「では、家捜しの最中に起きないよう、ぐっすりと眠ってもらいましょう」
言って、彼は呪文を唱え始めた。
エフィスはどんな本の影響を受けて、こうなったのだろうか?
あの男も、とんでもない男に喧嘩を売ったものだ……。
翌日。
やはりウィトランに叱られた。
もちろんロズウェルとエフィスも一緒に。
「まったく、そういうことは言っていただければいくらでも協力いたします。なのに、ヴェノム一人を連れて行くなど……」
クロフィア王国はカーラントと最も友好的な国である。だから、彼にとってもよく知った者が王になるのは望ましいことだ。そういう意味で、協力は惜しまないだろう。
だから言ったのだ。なのに、二人は叱られているさなかでも反省した様子はない。
「でも、そういうのは自分でやらなければ意味がありません。私は貴方方の支援など欲しくもありませんし、そう思われたくもありません。私は私で足場を固めていきます」
操られるつもりはない、ということらしい。
そのために、手近な場所から地均しをしたのだ。
証拠の物品を手にし、後ろにクリフィス引き連れて、もしも裏切れば一族皆殺しだと。
そう言ったときの彼は、なかなか迫力があった。
国の中で部下に恵まれていないようだが、クリフィスという絶対的な友人がいる。それを知り、逆らう者はいない。他国の者に頼るよりも、よほど彼のためになる。
ウィトランには悪いが。
「でしたらなぜ、ヴェノムを巻き込んだのですか?」
「美女と少しでも親しくなりたいという下心です」
いい加減な言い訳をしないで欲しい。
「ヴェノム殿。いっそのこと、私の妻になりませんか?」
ヴェノムはエフィスの厚顔無恥ぶりに、あきれ果てた。
「アホか。ヴェノムは俺のもんだ」
「その通りですよ、エフィス殿下。賢者だけは国の外に嫁がせるわけにはいきません」
賢者だからこそ、欲しがるのだろう。平和になってしまえば、緑の賢者は役に立つから。
実際、彼女の仕事は農耕に関するアドバイスだった。
「ヴェノムは俺の嫁になるんだからな」
「なんでそうなるのですか?」
「気が合うからだ」
ヴェノムは、大きなため息をついた。
──本当に誰でもいいから、この人たちに普通の感覚を持たせて欲しい……。
彼女は、疲れていた。
ナイブの異色の連中と、この王子と。
彼女は振り回されてばかりいたから。
ヴェノムは何か手紙を読んでいた。
「ヴェノム、さっきから何見てるんだ?」
ハウルが問うと、アミュが続く。
「そういえば、さっき郵便屋さんが来てたね」
「仕事の依頼? 呪殺? それとも誰か意中の人を虜にしてくれとか?」
「あら、勧誘かもしれないわよ」
「ラブレターです」
その言葉に、その場にいた全員、硬直した。
「ら……らぶ?」
「あれ? この癖のある字……」
手紙を覗き込んだカロンが首をかしげた。
「一番下の弟の字に似ているような」
「ええ、その通りです。以前お会いして以来、時々このような手紙が贈られてくるようになりました」
内容は、紛れもないラブレターだった。プロポーズまでしている。
「なんとなく、昔を思い起こしてしまいました。よく王族の方にプロポーズをされていました。今思えば、あれは本気だったのでしょうね。私もあの時は青かった……」
ヴェノムは目を伏せる。
何世紀ですまないかもしれない遠い昔を思い起こし。
「で、私の妹になるつもりはお有りか?」
「ありません。いつも丁重にお断りの手紙を送っています」
「安心した」
そりゃあ安心もするだろう。
「お前も命知らずな弟持ったもんだな。下手すると、ガディス叔父さんに殺されるぜ」
「猪のような熱血騎士タイプの弟だからな」
「まともな兄弟いないのか?」
「ううむ。上の弟は逆に傲慢で独裁者になるタイプだ。ちょうどよく、兄上だけが普通だ。だから問題はない。変人の多い家柄なのだ。仕方ない」
実は、自分が変人であることを自覚していたのだろうか?
「本当に。お兄様がいつも嘆いています。この国の王族は、変わり者ばかりだと」
「ははは」
兄弟の中で一番異色であろうカロンが笑う。
──まともな奴が王様になっているんなら、問題ないんだろうけど……。
かなり本気でカーラントの未来が不安になってきた、どんよりした曇り空の一日だった。
どうか明日は晴れますように──。