私を変えた男たち
それはある曇り空の日。暗い雲が天を覆う、雨が降る直前。
「お前」
曇り空を眺めていた彼女に突然声がかけられた。庭に知らぬ誰かが立っていた。赤い男だった。赤い髪に、赤い瞳。燃えるようなその姿は、見る者を畏怖させる。
「名は」
「……ヴェノムでございます、火神様」
初めて会う男だが、その正体は明確であった。この力。存在力。ヴェノムの邪眼がわずかにうずく。彼女の瞳は死と破滅と炎。目の前の火神に通ずるところがあるからだ。
「そうか」
それだけを言って、彼は去った。
ぽつぽつと雨が降り始め、ヴェノムの額に落ちる。
何がしたかったのか、ヴェノムには皆目見当も付かなかった。
それはある晴れ空の日。わずかな雲のかげりから、太陽が顔を見せた時。太陽のなんと神々しいことか。その光の中に神が現れたとしても、何の不思議もない。この国の守護者は太陽神なのだから。
「君」
日差しを待ちわびていた彼女に、突然声がかけられる。庭に、知らぬ男が立っていた。青みかがった銀に輝く男だった。
「ヴェノム?」
「……さようでございます、風神様」
今回も初めて会う男だが、その正体は明確であった。この力。存在力。そして異様なまでの格好付けたその立ち振る舞い。
噂に聞く風神そのもの。
──何も本当に神が現れなくとも……。
あれだろうか。噂をすれば影という、あの伝説。
「いやぁ、可愛い可愛い。うん、可愛い。巨乳だし。合格合格」
──何が?
ヴェノムはぶしつけに問いたくなったが、そのささやかな言葉を飲み込んだ。
相手は神だ。貴族程度ならともかく、神だ。無礼は洒落にならない。
彼の言葉の意図は推し量れぬが、彼がやって来た理由なら説明は付く。風神は比較的よく人間に姿を目撃される神だ。風神であれば『若い女性の賢者』という自らの肩書き一つで簡単に納得できてしまう。
気に食わなかったと言うと事はなさそうだが、一体何が『合格』なのか。ヴェノムは直立不動のまま考える。
「僕はウェイゼル」
「はい。もちろん存じております」
「そんなに畏まらなくてもいいよ。普通に普通に」
「して、私にいかような御用で?」
「いや、見に来ただけ。それじゃあ、僕のヴェノム」
去り際に、彼はヴェノムの唇を奪って、それから消えた。
ヴェノムは唇を押さえて、意味が分からず首をかしげた。
──女なら誰でもいいという方ではないはずなのですが……。
理解できない。
数日後。
自宅のテラスでウィトランとのんびりお茶を飲んでいた。新しく仕入れたというこのハーブティは、味香りともに絶妙だった。
ただただ平和に時が流れる。仕事の合間の邪魔のあってはならない時間。その声は、そんな時にかけられた。
「おい」
またしても突然赤い男──火神ガディスが現れた。
ヴェノムは驚きのあまりカップを落としかけたが、その値段がすぐさま頭を占領し慌てて空中で受け止める。
「……は……はい」
言葉が出てこない。顔には表れないのだが、ヴェノムは緊張していた。一度目は通りすがりで納得した。しかし二度目となると、偶然、気まぐれとは思えない。彼女は自分が何か無礼をしたか、頭の中の隅々までその可能性を探す。
唯一、ゴミを燃やしたときに火をぼうふらのわいた汚い水で消したぐらいだろう。しかしその程度では、精霊ならともかく神などやってくるはずもない。
──何をした私。考えなさい私。ああだめだ思いつかない!
顔色一つ変えず、取り乱す様子すら見せず、中では狼狽していた。
「やる。使え」
と言って、ガディスはヴェノムに何かを押し付けすぐに消えた。
隣ではカップを取り落として割ってしまったウィトランが、茫然自失の体でガディスが消えた場所を見ていた。ガディスを初めて見る彼は、ヴェノムよりも驚いたのだ。
「…………い、今のは」
「火神ガディス様かと」
ウィトランはふいに我に返り、ヴェノムの腕を見た。
「…………………」
「あら」
ヴェノムは押し付けられた奇妙な短剣を見た。禍々しいまでの魔力を感じる。火の力は神聖であるが、破壊を象徴するもの。その力に人は畏怖の念を持つ。
「神器…………ですね」
「神器だね。しかも……ものすごくレベルの高い神器だよ。なぜ火神様が突然こんな物を?」
「さあ。以前一度お声をかけられたのですが……。一体何なのでしょう? 私は何か気に入られることでもしたのでしょうか?」
ウィトランは腕を組み首をかしげた。
晴れた日の午後。
ヴェノムの中で、神への謎が深まった日だった。
さらに数日後。
ヴェノムはウィトランと共に、近々行われるのパーティのためにドレスを買いに行くため、馬車に乗り込むところだった。買うと言っても、そのまま着られる訳ではない。自分の身体にあわせて直さなければならない。だから時間がかかる。それにしても、一から仕立てるよりはずいぶんと短期間ですむのだ。
二人で談笑しながら(もちろん笑うのはウィトランのみだ)執事の用意した馬車に乗り込もうと台に足をかけたときだった。
「おや……ウィトラン様……そちらのお方は……」
御者の言葉に振り向くと、二人はぎょっとして後ずさる。ヴェノムは馬車に背を押し付け、小さく震えた。
それには後光が差していた。光を受けて輝く様は、まさに神の威厳がある。しかし……。
「久しぶり、僕のヴェノム。元気だったかい?」
「……ふ……風神様」
隣でウィトランが唖然として口を開いていた。彼がこのような表情をするのは非常に珍しい。感情を隠すことは誰よりも巧みだ。笑いながら人を裏切るし、笑いながら人を殺す。そんな人物だ。
「風神様なんてつれないなヴェノム。僕は君との間なら、ウェイと呼んでくれてもいいですよ。今は人間に紛れていますから」
彼はよく見れば、最近逸っているブランドの服を着ていた。身につけている小物も。独特の色彩も抑えられている。
そう、髪の色から青みを抜き、人間らしい服装をしているだけだった。
「……ウェイゼル様そのお姿は……」
「……うーん。まあ、いいでしょう。
この姿の理由は簡単ですよ。人の長所はその想像力。僕は芸術の面で人を高く評価している。衣、食、住。すべてにおいて、様々な創意工夫が見られる。素晴らしいじゃあないですか! 僕は人間の文化が大好きです。ですから、流行を取り入れることは当然だと思いませんか?」
「そうですか」
ただ人間と趣味が合ったと、ただそれだけなのだろう。この服装に関しては。しかし彼の場合、何を着ても、ぼろを着ていても様になるだろう。彼がそれを着るのは、自分をよく見せるためではなく、自分がただ気に入ったと、ただただそれだけの理由なのだ。
「してウェイゼル様は、なぜここへ?」
「もちろん君をデートに誘いうため。で、その胡散臭そうな男は誰だい?」
ヴェノムは神にまでも胡散臭いと言われた兄をちらと見る。
「お初にお目にかかります。兄のウィトランにございます」
ウィトランは慇懃に挨拶をする。
「なーんだ兄か……って、血なんて繋がっていないんじゃないですか?」
「義理の兄にございます」
「くっ……義理の兄っ。なんておいしい役どころ」
彼は悔しげに指を噛む。
ヴェノムには彼の思惑のすべてが想像もつかない。義理の兄の何が美味しいのだろうか。
「ウェイゼル様。私どもはこれから買い物に行かねばなりません。せっかくのお申し出ですが、なにぶん時間がないものですからご了承くださいませ」
正直、神に連れ回されるなど冗談ではない。しかも女好きと名高い風神である。仮にも女性であるヴェノムは、身の危険を感じた。万が一ということもある。
「どこに? 何を買いに行くのです?」
「私のドレスです。直していただかなくてはならないと思うので、今日中にと思っています」
ヴェノムは胸がある分サイズの大きな服を着るのだが、それではウエストが余ってしまうのだ。
「ヴェノムのドレス! それはいい。僕が選んであげましょう」
「嫌です」
「はっきり言いますね貴女は」
ヴェノムは口を手で覆う。彼の姿を見て、選ぶドレスは絶対に派手だと判断してしまい、口が勝手に動いてしまった。
「でもそんなところもまたなかなか」
神族一の変わり者の名は伊達ではなかった。
「………お兄様」
「世の中、不条理というものがあるんだ、諦めなさい。火事も台風も、いつかは収まるものだから」
そんなものなのだろうか。一級神が人間のフリをして目の前に立っていることが不条理の一言ですまされるのだろうか?
ヴェノムは当たり前のように馬車に乗り込もうと、馬車の前にいる二人の前に並ぶ神を見て、ふと地神を思い出した。さすがは兄弟、と。
ヴェノムは地味なドレスを選ぼうとした。何の変哲もない紫のドレスだ。いつもは闇に紛れる黒い服を好んで着ているが、さすがに葬式でもないのに黒のドレスを着てパーティには行けない。
もちろん、紫の生地は高級品だ。とくにこの紫はとても高い染色技術を要する。素材も高い。若い娘が好んで着る様なものではないが、自身の立場を示すのにはいいだろう。
そう思っていたときだった。
「ダメです! そんな肌の露出もない地味で色気のないドレスはっ!!」
「はい?」
茶々を入れた風神に、ヴェノムは疑いの眼差しを向けた。もちろん、人格的なものに対する疑いだ。
周囲では、女性客がきゃあきゃあと騒いでうるさい。彼を目にした女性が、彼の美しさに魅了されてしまっていた。それに話しかけられるのは、気の小さな人間としては辛いものがある。ヴェノムは見た目では分からないが、小心者だった。
「もっとこう、同じシンプルにしても……そう、これ!」
彼が指し示したのは、真紅のドレス。胸元が大きく開いており、今年はやり始めているという、スリムなデザインのものだ。
「これがいい。きっと似合う」
「嫌です。そんな胸の目立つ服」
「何を言うのです。その魅力的な胸を誇示しないで、何を誇示するというのですか」
「何も誇示する必要はないのですが」
賢者が胸を誇示しても、何の意味もない。
「いいですか? 君は賢者です。しかもまだ年若い。
若い経験がないという侮りから、貴女を上手く利用しようとする愚かな人間が現れないとも限りません。
だからせめて少しでも、威厳というものを身に纏った方がいいと思うんですよ。
美しさは力。ヴェノムの場合、全身から何ともいえない迫力を放っているので、これぐらいを着ていた方がいいんですよ。ねぇ、義兄さん?」
ウィトランはやや顔を引きつらせて頷いた。彼の顔が引きつるなど、ここ数ヶ月見ていない。
「そ、そうですねぇ。ヴェノムにはそういうドレスの方が似合うと思いますし。色々な服を着るきっかけになってくれれば……。
ヴェノムは女の子なんだから、可愛い格好、綺麗な格好をしてもいいんだよ」
「お兄様まで私にこんな肌の出る服を着ろと?」
「ヴェノムは隠しすぎるんだ。羞恥心がないのも問題だが、度が過ぎるとそれはよくない。それに、あのドレスを着れば殿下も皆もきっと喜ぶ……」
ヴェノムは想像した。
ちやほやして人を触りまくる同僚と王子。
ブーイングを浴びせかけ、公のパーティがあるたびにそれを繰り返す同僚と王子。
どちらも救いがないではないか。
「さ、試着してください」
「…………」
「無理矢理着せましょうか? それも僕としてはなかなか」
「着ます。着ますからついて来ないで下さい」
ヴェノムは、結局そのドレスを買うことになった。
そして数週間後。
パーティの当日。宴たけなわの、皆ほろ酔い気分になった頃。
「似合うな」
ウィトランに禁酒命令を出され、一人しらふで少しつまらなく思っていたヴェノムの耳に、聞きたくない声が飛び込んできた。
ゆっくり、ゆっくりと振り返ると、そこにはガディスとウェイゼルが立っていた。
──揃っている!?
二人の仲がいいのは有名だ。だからこの組み合わせがおかしいとは思わない。ただ、なぜ神がパーティにやってくるのか。
「そりゃあ僕の見立てですから。やっぱりいいですよね、あの胸」
ヴェノムは羞恥のあまり、回れ右をして会場を出ようとした。しかしその前に、同僚の女性達が立ちふさがる。
「ヴェ、ヴェノム! あの素敵な方たちは知り合い!?」
常人ならざる彼女達もまた、所詮は人の子。女であった。貴族でもない彼女たちは現在仕事中である。そのことも忘れ、話しかけてくるほど必死だった。
「ほっといてください」
「いいから紹介しなさい」
「風神様と火神様です! 本物の神様です!」
「………………」
ヴェノムの言葉に、皆はウェイゼルとガディスに注目した。淡々としゃべる彼女にして珍しく、その声はやや大きかった。
「神様?」
「そうです」
「本物の一級神?」
「そうです」
「なんでそんな方がこんな場所にいるの?」
「知りません」
知っていたら、その原因を何があろうとも排除している。誰が好んで火種となる可能性のある者に会いたがるだろうか。触らぬ神に祟りなしだ。
「ヴェノム、本当に似合いますよそのドレス。緋色がその美貌をよく引き立てています」
ウェイゼルは周囲の沈黙も一切気にかけず、ヴェノムの手を取り口付けた。
「おい。貴様、人が先に目をつけたものに何をする」
「これは僕の守備範囲です。だいたい、口を滑らせるほうが悪いんですよ」
ウェイゼルはガディスを鼻で笑い、ヴェノムの肩を引き寄せた。
──み、見られている?
このパーティ会場すべての人間に。
彼らが神であるという言葉を聞いた者は、神が人間の女を奪い合っているように見えるだろう。人間の青年だと思っているなら、常人ならざる美貌の男達が賢者を取り合っているように見えるだろう。
どちらにしろ、ヴェノムがその中心の一人であることには変わりない。
ウィトランが、遠くでこちらを見守っている。見ているだけ。助ける気はまったくないらしい。いや、動き出した。皆を避難させはじめた。
「貴様が勝手に調べたのだろうが」
「最後に自分で口を割っておきながら何を言うんですか。
何よりも、僕はヴェノムを気に入った。君に遠慮して身を引くなど僕がするはずがないでしょう」
「…………」
どのような関係なのだろう、この二人。
兄弟、ということになっている。もちろん人のように血が繋がっているというわけではない。神は皆兄弟とも言える中、兄弟とされているのだから、きっと何か大きなわけがあるのだろう。
ヴェノムは兄弟喧嘩に巻き込まれた部外者の気分になってきた。
──なぜ私は神の間に挟まれているのでしょう……。
「だいたい、ガディスのような朴念仁に、ヴェノムのような女性は似合いません。口下手な二人が揃って、一体何を語り合うというのですか?」
「黙れ、口先だけ男」
「兄に向かって失礼な奴ですね」
ウェイゼルが兄であるという事実を思い出し、ヴェノムは少し驚いた。
──クリス様はこの二人よりは普通だったかもしれません。
いや、いい人だった、と言うべきだろう。
「何が兄だ。都合が悪くなると人に押し付け、美味しいところだけはちゃっかり自分でもっていく、そんな兄などだれがいるか!」
「ガディスの要領が悪いだけでしょう。僕を上回るクリスの要領のよさを少しは見習ったらどうですか?」
「話をすり替えるな。貴様のその汚らしい手をどけろ!」
嫌な物が全身を駆け巡る。
遠くでグラスがはじけ、何人かが気に当てられて倒れた。
王族や重臣たちを逃がしていたウィトランが、皆に逃げるよう勧告しはじめた。部下達が倒れた者達を回収していく。
「ちょ、本気で怒っていますよ」
「度量の狭い男ですねぇ。ヴェノムが僕を選んだからって」
選んではいない。しかしだからと言って、あちらを選ぶようなことはしたくない。すぐに切れる男は好かない。ウェイゼルはただ迷惑なだけで、現状害はない。
「ふざけるな!」
今度はシャンデリアがはじけた。
戸惑いと好奇心から動きを見せなかった者達が、悲鳴を上げて逃げ出した。
──あ、お兄様も逃げた。
ほんの少し殺意が沸き起こる。なぜ自分がこのような阿呆な神のために、立場を悪くしなければならないのか。きっと明日からはとんでもない噂が流れているだろう。
ヴェノムはしばらく屋敷に引きこもろうかとすら考えた。
「あの、私はそろそろ帰って寝たいのですが」
「それはいい。夜更かしは美容の大敵だ。よく眠れるように、僕が添い寝してあげましょう」
「ふざけるなっ!」
再びどこかでガディスの力の影響により何かが破壊された。
始めの一瞬に比べると楽になったのは、ウェイゼルが守ってくれているからだろう。そうでなくて、この位置にいて意識を保っていられるはずもない。相手は神。自然そのもの。その力甚大であり、この国を滅ぼすことも気分しだいだ。
会場から全員が逃げ出した今、外がどのようになっているのか気になった。おそらくはヴェノムの部下達が結界を張っているだろう。皆彼女よりも経験豊かな大人たちだ。何があっても冷静であり、迅速に行動できる者達ばかりだ。
──その件に関してはだから安心なのですが、私は一体どうすればいいのでしょう。
とりあえずは、死は覚悟しておこう。
「だいたい貴様はいつもいつもいつも人を馬鹿にしおって、それほど私をからかうのが楽しいのか!?」
「すっごく」
「っっ」
ガディスはいつか血管が切れるのではないかという恐ろしい形相をしてた。
ウェイゼルから離れたら、ヴェノムは生きていられるのだろうか? 神の怒りに触れてただですむ人間はいない。その証拠に、今カーテンが一瞬で炭化した。だが幸いにも炎が広がるようなことはない。炎を強くし存在させるのは、風──空気。それをウェイゼルが操り、火事を防いでいるのだ。
「ヴェノム、怯えることはありませんよ。二人の愛はあのような炎で燃え尽きるようなものではありません」
「私までからかっている暇と余裕があるのなら、せめて二人だけで他所に行ってやってください」
「ははは。そうですね。愛の逃避行としゃれ込みましょうか」
「ご自分だけでどうぞ」
ヴェノムもいい加減敬うのも段々と馬鹿馬鹿しくなってきた。
迷惑なだけの神など、なぜ敬ってやらねばならない?
ただ存在すればいいだけの存在のくせに、人を巻き込んでなにをしてくれるのだろう。
「貴様ら、いいからとっとと離れろ!」
「嫌ですぅ」
ガディスの周囲に炎が上がるが、それも一瞬で消え去る。
ガディスにとって、あらゆる意味でウェイゼルは天敵であるようだ。
「ヴェノムがいるのに、火事起してどうするんですか。この可愛い顔に火傷でもできたらどうするんです? ねぇ」
ウェイゼルはヴェノムのこめかみに口付ける。舌の感触が気色悪い。
「ああああっ!」
「ふふん」
ウェイゼルが鼻で笑うと、今度こそガディスは切れた。
「この、変質者め!」
「誰が変質者ですか、引きこもり男」
「お前がいつも外をふらふら出歩きすぎているだけだろうが!」
「人間観察と言ってください。庇護すべき者達が、どのような生活を送っているのかを見てまわっているのです」
「食って女を抱いて博打をすることのどこが観察だ!」
「楽しいからいいんです」
「私はお前のそういうところがだいっ」
このあたりでヴェノムの意識が飛んだ。
気付けば叫んでいた。
「いい加減にしてください!」
ヴェノムは隣に立っていたウェイゼルの足を払い転倒させた。あっけに取られる彼らを順に睨み、そして言った。
「表に出なさいと言ったのが聞こえませんでしたか?」
「…………はい」
二人は素直に表に出た。
それから約三十分くだらない兄弟げんかが続くが、いい加減あきれ果てたヴェノムが二人を殴り倒して近くの精霊に連れ帰れる者を呼んで来いと命令し、そして彼女はその場を後にした。
「そう、確かその後、殿下にああいうのを城に置いていくなとお叱りを受けたのです」
ヴェノムの言葉に、ハウルは頭を抱えていた。
出会いとは、ろくでもないものである。しかも相手に勝手に見初められ、勝手に付きまとわれるようなったのだから、本当にろくでもない。
「どうやって火神様は師匠を見初めたんだろう」
「通りすがっただけではないでしょうか。その当たりは、話すのも嫌なので聞いていません」
アミュはその言葉にしきりと頷いた。ぷっくりふくれた頬がまた愛らしい。つんとつつくと、彼女は大きな瞳を何度も瞬きさせてヴェノムを見た。
「でもでも、分かったことが一つあるよ」
ラァスは人差し指を立てて言う。
「ハウルが巨乳好きなのは親譲り」
「巨乳!?」
ヴェノムは自らの胸を押さえた。
「変態の息子もまた変態ね」
「メディアちゃん。きょにゅうって何」
「知る必要はないわ」
ヴェノムはアミュの頭をなで、ラァスに食って掛かるハウルを見てほんの少し考えた。
あの二人の口げんかを見ていると、時々ウェイゼルとガディスの口げんかを思い出すのだ。もちろん、口の達者な二人の対決であり、ガディスのように一方的に追い詰められるようなことはない。それでも、ふと思い出すのだ。
二人のケンカは、嫌いではなかった。呆れてはいたが、決して嫌いではなかったのだ。
あれはまだ青く、心揺れ動いていた時代。
幸せを信じず、しかし幸せを願っていた矛盾した時。
彼女のすべてを変えた年。