背徳の王
魔法少女ウル様 惨状
それは、ちょっとした遊びだった。
そのつもりだった。
世の中というのは、つもりであろうと恐ろしい結果を生む場合がある。
彼は遊びで人生を破滅させる人間になった。彼の人生と、他人の人生。
それでも何が起こっても取り返しはつく遊びのつもりだった。
言い出したのは彼ではなかった。彼はただその集まりに付き合っていただけ。
まさか本当に出るとは思わなかったのだ。
悪魔なんて。
「話には聞いていたけど、面白いところだね」
彼女はくすくすと笑って、黒い布がかけられたテーブルに座り、十字架を手の中でもてあそんでいた。その傍らには人の姿をしているが、下っ端らしき長身の悪魔。
「ウル様、それぽいしてください。銀製品は苦手です」
「君、いつもうちの銀食器触ってる気がするんだけど?」
「いつもは手袋をしています」
「でも見てよ。へんな裸のオジサンがついてるよ。趣味悪いねぇ」
ケラケラ笑いながら言う悪魔。
悪魔のくせに、天敵とも言える天下のキリストを知らない様子だ。
「でも、まだ子供ばかりだねぇ。子供に召還されるなんて、キミ、魔力落ちた?」
「落ちませんよ。魔力は鍛えて使える分量が増えることはあっても減りません」
「でも、子供だよ。一人で召還されてればいいのに、このボクを巻き込むなんてねぇ」
再びケラケラ笑いながら、女の子の姿をした悪魔が立ち上がる。
肌も髪も透けるような淡い色で、ゴスロリとも違う風変わりな衣装の彼女はろうそくの光に照らされて、写真であったらずっと眺めてしまいそうな姿だ。しかしこれは現実で、彼らの前にいるのは魔法陣から出てきた悪魔。
誰一人、声を出さない。出せない。
彼女の足下に転がる死体を見ては、出せない。
「ここ何?」
暗幕をめくり、校庭を眺める女悪魔がこちらに尋ねる。しかし、誰も答えない。
「聞いているの」
彼女は彼を見た。彼を見て言った。
「がっ」
喉が引きつる。何度か喉の奥で引っかかるような音が出て、彼女はその続きを根気よく待つ。
「学校……で……」
ひゅーひゅーと喉から息が漏れる。やがて荒い鼻息を鳴らし、長く長く息を吐く。
「魔術師の学校?」
「ふつっ、普通の……おか、おか、オカルトっ、けんきゅ……かいっ、でっ」
ホラー映画が好きという理由で入っただけで、こんな馬鹿げた儀式に参加するのはあまり乗り気ではなかった。なのになんでこんな目に合うのか。
「ウル様、怯えてますよ。死体まで一緒に来ちゃったんですね」
「え、いつの間に死んだの?」
「三日三晩飲まず食わずで拷問されればそりゃ死にますよ」
「情けないね。軍人のくせに」
「人間の限界ですよ。誰か、始末なさい」
男が言った瞬間、男の死体から首が無くなった。足が無くなり、腕が無くなり、腹がえぐられ、血溜まりを残して消えてしまう。
血は床に広がり、大きな紙に書かれた魔法陣を濡らした。
「ところでロバス、戻れるの?」
ウル、という名らしい女悪魔が、男悪魔に問う。ロバスは視線をそらし、沈黙する。
「無能。役立たず」
顔色一つ変えず彼女は言う。激高するのなら可愛らしいだろうが、彼女は眉一つ動かさなかった。
「時間があれば」
「時間?」
「数年……数十年?」
「まあ、キミに期待しすぎたボクが愚かだったよ。聞いたのは夕方だったからだからだよ」
彼女は彼らを見回す。呼び出して、普通の流れなら契約なり何なりするはずの彼らを。
「誰の家を占拠しようかな」
足が一歩下がった。しかし、それ以上は動けない。壁がある。そんなもの無いはずなのに、阻まれる。
「キミか」
そう言って、なぜか彼のところに歩み寄り、頬に触れてくる。間近で見ると、ますます恐ろしく綺麗な顔立ちをしていた。
「な、な、な……」
「キミのお家が一番広くて権力があるみたいだね」
「うっ……」
「お母さんにお父さんに妹さんに弟さん?」
なぜ、キリストも知らない悪魔が彼の家族構成を知っているのだ。
「キミ、お名前は?」
なぜ家族構成が分かるのに名前が分からないのだ。
ひょっとしたら罠か。
名乗ったらきっと操られるか、魂を取られるのだ。
「別に名乗っても取って食われたりしないよ? 名前は?」
頬に爪で触れる感触が生まれた。
「す、スズキ」
「スズキ? それが名前? ボクが違う名前付けてあげようか?」
「いえっ、とんでもない。で、でで、でも陸って名前の方がお気に召すかも知れません」
「リク? んまあ、いいかな?」
悪魔に改名されることを防いだはいいが──
「んじゃあ、キミのお家に行こうか」
ウルは陸を手招きした。
「あ、そうそう。とりあえずこの世界でも異世界人なんて珍しいよね。騒がれるのは嫌いだから、誰にも言っちゃダメだよ。とりあえずみんなには見張りを付けておくから」
ウルは皆を見回して微笑む。笑みだけ見れば天使の微笑み。
「言ったら聞いた人の方がさっきの死体みたいになるからね。みんなはなるべく殺さないから、安心していいよ。普通にしていればいいんだ」
現実は、悪魔の微笑み。
食われるように消えた死体。三日間飲まず食わずで拷問されて死んだ人。
くつくつと笑い、ウルは陸の手を引いて壁に手をついた。壁に、黒い影があった。そこにウルの手が吸い込まれる。
手を引かれ、目を伏せた。
拉致された友人を見て、気づけば座り込んでいた。
死体。死体が消された。消えたと言うよりも、見えない何かに食われた。そう、食われたのだ、あれは。
「なんで……何が……」
「ひょっとしたら、火遊びのつもりだったのかも知れませんけれど」
男の声が静かに部屋に響く。
もういないものだと思っていたもう一人の悪魔が、まだいた。
見たことのないタイプのスーツを着ているが、洒落た雰囲気でまるで……そう、まるで執事のような雰囲気の悪魔だ。背が高く、中途半端な長さの髪。しかしそれがとても似合っている、いかにも女を誘惑しそうな綺麗な悪魔。
「生きとし生けるもの、あきらめが肝心ですよ」
彼はにっこりと微笑む。その視線は主に女達に向けられている。六人中半分は女だ。男の一人は拉致されたから、もう女の方が多い。
「生き残るためのコツを教えて差し上げます」
彼は中でも一番顔の良い美子へと視線を定めた。
「ウル様には絶対に逆らわないこと。口答えしないこと。ウル様は自分に逆らうイヌを好んでいたぶります。さっきの死体を思い出して下さい。彼は自分が死ぬ前に、身内を全員、目の前でひどい殺され方をしました」
死体を思い出したのか、美子は涙を流しながら頷いた。ロバスはその涙を指でぬぐいながら続ける。
「言われたことはささっと遂行する。でもどうしても出来ないことだけは言った方がいい。代案を添えればそれほど不機嫌になりません。そのために何か必要ならば素直に言うこと。出来ないことを無責任に自分だけでしようとする人間を、ウル様はとても嫌います。ウル様の下で殺されずに生き続ける人間は少ないですが、いるにはいるので安心なさい」
その言葉の何に安心できる要素があったのか、彼らは理解できなかった。
「大丈夫。小賢しいマネをせず、従順にしていればよいのです。逆らわなければ無茶苦茶な要求はされません。逆らったら者にも即死が与えられるわけではありません。竜の同居人を誘拐してこいとか、王族殺してこいとか、なんとか不可能でないけど死と隣り合わせぐらいの要求ですから。
この世界のことはまだ分からないので、分かりやすい例えは分かりませんが、なんとなく分かるでしょう?」
残念なことに、とても分かりやすかった。どれぐらいのことを要求されるか、歪曲に、強烈に叩き込まれた。
「では、私も行きます。くれぐれも口外しないように。ご両親にもダメですよ。親無しになりたくないのなら」
そう言って、ロバスの姿がかき消える。
消えて、誰も口を開かない。
悪魔を、召喚してしまった。
悪魔を、自分達が。
「ほん……もの」
腕から力が抜け、後ろに倒れる。冷たい部室の床で頭が冷やされ、目の前が回る。ふわふわとして、夢を見ているようだ。
「本物だ」
家政婦の児玉さんが腰を抜かして倒れた。
母がご自慢のアンティークのカップを取り落として割った。
弟は口に含んでいたジュースを教科書の上に吹いた。弟は宿題をなぜかリビングでするのだ。
「………………にーちゃん、今、どっから」
「壁からだよ」
陸の代わりにウルが答える。奇妙なステッキをくるりと回して部屋を見回す。
「ここ何?」
「な、何って、僕のうち」
「何の部屋?」
「リビング」
「せまっ!」
この悪魔はどこの国の悪魔なのだろうか。きっといいところに住んでいるに違いない。王宮のような所だろう。世間知らずになるぐらい高等な悪魔なのだ。
「リク、その子……誰?」
リビングを狭いと言われ、しかしそれを口にしたのが日本人ではない風体のため、引きつった笑みを向けてくる母。
悪魔、などと言えない。話したら、話した相手を殺すような事を言っていた。
「ボクはウル。キミの息子に召喚されたんだ」
母が呆れ顔になる。
妄想癖のあるコスプレ少女だと思っているのだろう。
言葉だけ聞くと電波バリバリで、関わりたくない人種に思える。母もそう思っているのだ。
「とりあえず、帰れるまでこの家を占拠するから。まあ、逆らわなかったら危害は加えないよ」
ウルは笑みを向け、ステッキで母を指し示す。瞬間、母が座る三人掛けのソファが二人掛けになった。母が腰おろす右側が、消えた。
そう、消えたのだ。
「そんなの食べるとお腹壊しても知らないよ」
ウルは誰にともなく言い、固まる母の前に立つ。
「ボクはウル。何者かと言われたら少し困るんだけど、まあこの世界の人間ではないね。キミの息子さんがボクの飼っている悪魔を召喚したの。ボクはそれに巻き込まれてね。さっきソファを食べたのは、ボクのペットのワス。恥ずかしがり屋だから姿を見せることはないと思うけど、よろしくね」
母の顔から血の気が引く。
ウルは母へと微笑み、分かった? と問うた。
分かるはずがない。陸も混乱している。もう一人の悪魔がいないことも気になる。残る友人達がどうなったか、あまり考えたくない。
「まあ、狭いけどインテリアは悪くないね。これ何? 一方的に話してるけど」
ウルはテレビを覗いてつつく。
彼女は、本当にこの世間の事を知らないようだ。魔界から出てきたのは初めてなのだろうか。しかし中に人が入っていると言わない分、まともな発想の持ち主らしい。
「テレビは……一方通行の情報発信だから。双方向の通信方法と違って、テレビがあればどこでも同じ内容を見られるから……です」
変な言葉を彼女は気にしていない様子で、しげしげとテレビを見つめている。
「ふぅん。誰これ。破局? ああ、ゴシップ記事か」
芸能人のゴシップ的な内容を見て、彼女はテレビの意義を少し理解したらしい。
しばらく見て飽きたらしく、いじって消したり付けたりチャンネルを変えたりする。
「り……リク」
母が這うようにして近寄り、しがみついてくる。
「な、なに、何なの、あの子っ」
「お、落ち着いて」
「おち、おちつけるはずがっ! 何なの!? 今の何!?」
陸は母にしがみつかれ困惑した。いつも何があっても飄々としている母がここまで取り乱すのは初めて見る。
「あの子は……その、なんていうか」
「ウル様はウル様ですよ」
いつの間にか男悪魔、ロバスが目の前にいた。見た目はどこまでも人間なのに、彼は悪魔だ。ウルのペットの悪魔らしい。
「大丈夫ですか、奥さん」
ロバスは母に手を差し出し、助け起こす。
「説明しますから、どうか冷静に」
悪魔のくせにずいぶんと親切なことを言う。母が外面だけでも落ち着きを取り戻すのを見ると、ロバスはウルへと視線を向けた。
「ウル様、どうやらこの世界、魔法文化はないようですよ。彼らも混乱しているようですから、一度話し合わせてみましょう」
「……そうだね。混乱したままだと鬱陶しいね。ボクとしても事を荒立てたいわけじゃない。退屈がなくて、平温だったらそれでいいんだ」
なかなか両立しないことを要求する。彼女の退屈はどうすれば紛れるのだろうか。
「すみませんがウル様をお通しできる部屋はありませんか? 落ち着いて話し合いたいでしょう。あとウル様に何か飲み物を」
まるでいい人のような事を言うロバス。彼の笑顔に心動かされた母は、少女のようにはにかみながら応接室がと答えた。母は昔からいい男が好きだ。出身地がよくわからない顔立ちの男悪魔は、男の目から見てもハンサムで魅力的だ。
「さっ、ウル様。移動しましょう」
ロバスに促されると、母に案内されてウルが移動する。児玉が言われるままに紅茶をいれて、クッキーを用意する。家政婦の鏡だ。
ウルを別室に隔離し終えると、彼らは床に座り込む。ふと、ロバスが土足であることに気付き、言うべきか言わざるべきか迷う。
「ここ、土足禁止だけど……」
同時に気付いた弟が指摘する。この男が悪魔だと知らないから。優しそうに見えるから。
「空っ! こ、こいつも悪魔」
空はきょとんとして陸を見る。
「私は基本的にウル様の命令がなければ殺したりしないから安心してください」
彼は素直に靴を脱いで言う。
悪魔なのに物わかりがいい。
「ウル様の命令には絶対服従ですから、命令があれば殺します」
彼は優しげな微笑のまま恐ろしいことを言う。
優しそうでも悪魔は悪魔なのだ。
「まずはウル様の扱い方から話しましょうか。本人の前で言うと怒り出すので」
彼が無事な一人掛けのソファに座ると、真面目な児玉がさっと紅茶を出す。
「ありがとうございます。いい香りですね」
紳士的だ。
騙されているのか。しかし騙す必要など無い気もする。何をさせる気なのだ。悪魔のくせに、紳士的などありえない。
「いいですか。現在のウル様は幸いにも上機嫌です。見たことのない物がたくさんあるので、しばらくはもつでしょう。維持するためにも、可能な限りは希望を叶えて差し上げてください。ウル様は自分に逆らう者には容赦ありません。その被害は本人にではなく、主に身内の方に行きます。例えば、いまならこの部屋にいないご家族」
父と妹の姿が脳裏に浮かぶ。
「ウル様は万能ではありませんが、限りなくそれに近くなるほどの配下を抱えています。血縁者の捜索はご幼少の頃からの特技です。以前自分を探りに来た男性は、妻と子を惨殺される様を見せつけられ、一日一家族、身内が殺されるのを見せつけられていましたね。ウル様の配下には私のような常識の固まりもいれば、変なのも多いですから。そのイスを食べたのは、死体処理にいつも使っている私も実態を知らない不気味な生物です」
悪魔の口から不気味な生物とか出てくるなんてあり得ない。
「あの……貴方も本当に悪魔なんですか」
恐る恐る尋ねてみる。ひょっとしたら、彼に対して何か勘違いがあるのかも知れない。
「世界の違いがあるので認識に差はあるかも知れませんが、少なくとも私は人間ではありませんよ。言葉は比較的近いニュアンスに聞こえているはずですし。
そしてウル様は人間です。かなり特殊な力を持っていますが、間違いなくただの人間です。簡単に言うと、魔物使いですね。私達はあの方に支配されていて絶対服従です」
彼は首に巻いていたタイを外し、シャツをはだけて首を見せる。黒いアザがある。模様のようなアザだ。
「一方的な契約の印です。私達はあの方の命令には絶対に逆らえません。あの方が死ねば私達も死にます。だから基本的にあの方を守ることにすべてをかけています」
彼は乱した服を戻しながら笑顔で続けた。
「貴方達もそうした方がいい。逆らうと、死ななければ逃れられない支配を受けることになりますよ。しかも、役立たずは邪魔だから殺されます。私達は主に対して、有能と見られることで生き長らえているんです」
笑顔で、何でもないような調子で言う。
固まっていると、彼は陸の頭を撫でた。
「ウル様も見境のない方ではありませんから、崇め奉ればいいんですよ。
まずは手始めに、何か美味しい物でも用意してください。人間は空腹だと機嫌が悪くなりますからね」
人間。
悪魔使いの人間。悪魔よりもタチが悪そうな人間。
隣で空が手を叩く。
「そっか、邪道魔法少女系!」
弟は、ちょっとオタクだ。その前向き加減は、うらやましい。
おまけの日常編
陸は気が小さく、線も細い。よってイジメやら恐喝やらの対象にもなる。
それは別にどうでもいい。些末なことだと、彼は思う。傷でもつけてくれたら訴えればいい。
彼が直面している問題は、そんな些細な問題ではない。
殺人だ。殺人の危機である。
「今、振り返らずにさっさと退散したら、きっと幸せになると思いますよ先輩」
「はぁ? ばっかじゃねぇ。いいから、ちょっと金貸してくれって。財布落とした先輩のためにさぁ」
絶対に返す気ないくせに。
金よりも命が大切だろう。今、彼らの背後にその命を脅かす悪魔使いの魔法少女がいるとも知らずに、人の襟首掴んでくれる。
ウルはニコニコ笑って、ステッキをぶらぶらさせている。
面倒くさいのに捕まったなぁと思っていたら、ウルが塀を跳び越えて現れたのだ。
「ねぇ、君たち」
ついに声をかけてしまった。もうだめだ。彼らは殺される。
ここ最近増えている変死やら行方不明者の増加は、このマジで外道な魔法少女一人のせいだというのに。
殺した理由は、痴漢やらナンパやらが大半の原因なので、弱者はそれを止めるような発言をする勇気も持てないでいる。もし、ただの通りすがりを殺したならやめてもらえるようにお願いするが、痴漢されても殺すなとは言えない。
恐ろしいが、言えない。
一番可愛いのは我が身だから。どうやって殺されるか、何度も見ているから。
「人のペットに何か用?」
振り返り、彼らは固まる。見た目だけならそれはもう天使のように可愛い女の子が、弟と妹の趣味のゴスロリ系コスチュームで立っていれば、誰だって驚く。
「う、ウル様、これは、その」
言い訳するか気を逸らさないと、校内での犠牲者が発生する。それだけは阻止しなければならない。
「け、ケーキですね。ケーキ。美味しいケーキの店を聞いてたんですよっ」
ウルはこちらのスイーツが大変お気に召したらしく、毎日違う菓子を求めている。リクは道案内兼美味しい店リサーチ係。毎日大変である。
「ボク、ずっと待ってたんだから」
彼女のふくれっ面は可愛い。もう可愛い。しかし、これは上っ面だけである。中身はチェーンソー男やらホッケーマスクやらよりは、話が通じる分マシだが、あれよりももっと強い魔法少女。
「なんだ、お前の彼女か。外人の彼女なんて生意気だな」
ウルが怒った。ものすごく怒っている。
「う、ウル様、行きましょう。下々の者は口が悪いと相場が決まっています。つまらない者達です。お気に召さないでください」
とにかくウルの気を静めなければならない。ウルの気を。ウルだけを気にして、ふと背後の気配に気付く。
「んっだと、てめぇっ!」
「君たち、うるさいよ。落ち着きのない子達だね」
身がすくむ。もう彼らが殺させてしまってもいいから、ここから立ち去りたいとさえ思った。どうせ陸は殺されないのだ。
ウルが笑う。何度も見た、残酷な微笑み。
やはりこのままではダメだ。
「先輩、外交問題を起こして退学になりたいんですか」
陸は、最後の賭に出た。
これで諦めなかったら、殺されればいい。陸にはもうどうしようもない。ウルとは、天災のようなものだと、相手が即死できることだけを願うしかないのだ。
「うちは身内に弁護士もいるんです。あんまりふざけていると、将来が台無しになりますよ」
昔の陸は、こんな事を言えるような度胸のある人間ではなかった。
しかし、誰しも毎日毎日必死に生きていると、気も強くなるし、はっきり言えるようになる。
「行きましょう、ウル様」
心臓がバクバクとうるさいが、悟られぬようにウルの手を引く。
「うん。ボクねぇ、チョコレートがだーって流れてるの食べたい」
テレビで見たのだろう。珍しいらしく、母と一緒に昼ドラ、ワイドショーなど見ているらしい。彼女はお菓子屋の次にレンタルビデオ屋が好きだ。弟と一緒に深夜アニメも見ている。
「さすがにそれは今からじゃ……。
土曜日にそういうのがあるバイキングに行きますか。食べ放題の店」
「食べ放題?」
「一定の金額を払って、好きなだけ食べられるんです。妹も連れてくと喜びますし」
「ふぅん。じゃあ行く。ついでに服も買う。なんかこれ、あんまり普通の服じゃないみたいだし」
さすがに気付いたようだ。ものすごく似合うので、逆に誰も何も言わない。だから、今まで気付かなかったようだ。
「一般的じゃないのは本当だけど、そういうのを好んで着る子もたくさんいますよ。
そういう服はウル様ぐらいの美少女じゃないと似合いませんから、人に見られると思いますけど」
ウルがにぃと笑う。
「君も、言うようになったね。会ったばかりのころはただの気の小さな震えてるだけの男だったのに。
ご褒美に、さっきの男達は君の望むようにしてあげるよ」
彼女はそれ以上言わない。
分かりにくい人だが、身内に勘違いさせるようなタイプでもないので、言葉の通りなのだろう。
生かすも殺すも陸しだい。
「じゃあ、お礼に今日は和菓子屋も寄りますか。美味しい栗蒸し羊羹があるんですよ」
「何それ。食べる」
「じゃあ買いに行きましょうか。ウル様、お金の計算の仕方は覚えました?」
「それぐらい覚えたよ。可能な限りはカード使うけどね。便利だね、このシステム。あと携帯も覚えた。電車とバスも乗ったよ」
ウルは可愛げのない魔法少女である。カルチャーショックも一瞬で乗り越え、けっして物珍しそうにキョロキョロしない。
教えなくとも大概のことを勝手に理解し、どんどん試していく。飛行機も乗りたいらしいので、次の長期の休みは沖縄か北海道行きが決定している。旅費としてウルがぽんと出した貴金属に母が目の色を変えて即決した。
その時はしっかりと、ロバスを脇に設置して、誰も近づかないようにしないといけない。
気が重い。
おまけ お家編
チャイムが鳴り、児玉が玄関に向かい、ウルがそわそわしてそれを待つ。こんなにそわそわするウルは初めて見た。
「どうしたの、ウル様。楽しいことでもあるんですか?」
「通販を頼んだの」
「通販? タカタさんの口上がそんなに気に入ったんですか?」
「違うよ。ネットオークション?」
通販とは違うが、まあ反論するほどの差はない。
「一応言っておきますけど、カードで際限なく買えるように感じるけど、資産は有限ですよ」
「失礼だな。ボクのお金だよ。せっかく居心地よく住んでるのに、食いつぶすようなことはしないよ」
意外と常識はあるようだ。安心した。
「……おこづかいですか?」
まさかどこかから強奪してきていないだろうなと不安になってきた。
「増やしたんだ。投資してるの」
「と……投資まで」
それなら被害者は出ないのでいいが、この短期間でそんなシステムをマスターするとは、彼女の頭の中はどうなっているのだろうか。
「ボクのペットにそういうの得意な子がいて、楽しそうに増やしてるよ。さすがのボクも、慣れない国のシステムを理解するには時間が足りていない」
「そ、そうですか。でも、理解したペットさんもいるんですね。さすがウル様のペットですね」
ウルのペットの力はウルの力だ。だから褒めないといけない。
「お金はあるに越したことはないから、損をしない限りは好きにさせてあげるんだ。お金で買えない物はないって、どこの国でも通用するみたいだからね」
くすりと笑うウル。陸はぞっとした。何を買うつもりなのだろうか。恐ろしい。
それ以上の思考を停止し、微笑みを返す。
最近、深く考えないという究極の技を身につけた。この力があるのとないのでは、日々の生活がまったく異なってくる。
「ウル様、盆栽を頼まれたんですか?」
児玉の声に、陸はテーブルに突っ伏した。本物の子供のように浮かれて盆栽を受け取り、箱や保護材を取り払う。
「あらあら、立派な盆栽ですねぇ」
「うん。可愛い」
本当に盆栽だ。立派な盆栽だ。
「ウル様、渋いですね」
「しぶいの?」
「まあ、かなり渋めの盆栽です」
洒落た今風の盆栽もあるが、そういうのではなく、老人が毎日世話して愛でるような盆栽である。
「陸、枯らさないでね」
「ええっ!? 僕!? 僕は無理ですよ。朝顔しか育てられません。維持するのが大変だから渋い趣味なんですよ」
「そう。じゃあ、ロバス、枯らしちゃだめだよ。安定するまでけっこうかかるからね」
名を呼ばれてロバスがいつものように涌いて出てくる。
安定とはなんだろう。安定とは。
「また改造してるんですか。植物まで、何に改造するんですか」
「改造じゃないよ」
「リファの顔立ちまで変えたでしょう。あれは改造です。そしてこれも改造です」
「歩くようになったら恐いよ。ただ、番犬代わりぐらいにはなるよう程度は、ね」
ウルは一体どんな改造をする気なのだろう。そして、そんな不気味な植物になる予定の物を、陸のようにごく普通の男の子に世話させようとしていたウルは何を考えているのか。
押しつけられなくて、本当によかった。
追加 ロバス視点
ウル様は今日もご機嫌にサイクリングだ。
自転車という乗り物をいたく気に入られたようで、コダマさんに頼まれた買い物をついでに行う。
ウル様を使いっ走りにするなど、こちらの人間は図太い。
きぃっ、と音を立てて自転車を止める。自転車を置き、鍵をかけてスーパーに入る。ウル様はこの店がとても好きだ。常に冷気を放ち、新鮮な野菜や肉など様々な商品がいつでも揃っていて、面白いらしい。ロバスもここまでの店は見たことがなかった。
「ウル様、今日はカレーだそうですよ」
前に食べた時は、見た目でげんなりした顔をされていたが、食べ始めたら始終笑顔だった食べ物だ。
メモに書かれた材料をカートに入れる。ウル様はこの国の字を読めないので、悪魔である私の仕事だ。
「カレー粉は、色々な辛さがあるようですね。ウル様は辛いのと甘めの、どちらがいいですか? 前食べたのは中辛だったそうです」
「じゃあ、中辛でいいよ」
「カレー粉も色々あるそうです。メーカーにより味は違いますが、どれも美味しいので食べてみたい物を選んでください、だそうです。前に食べたのは……これですね」
ウル様に色々と説明をしていく。本当に幼い頃よりも幼く見える。未知の世界は、人を童心に帰らせるのだ。
「じゃあ、これとこれ」
ウル様は買い物籠にカレー粉を入れて立ち上がり、次は肉のコーナーに向かう。肉を選んだら、最後にアイスを買って帰る。最近、ウル様は鮮やかな水色の氷菓子がお好みだ。
「おやおや」
突然、ウル様は足を止めて腕を込んだ。視線は缶詰が置かれたコーナーにいる中年の女性。
ウル様は長いスカートを少しだけたくし上げ、アザのある脛を露出させる。
「万引きは店の外に出ないとダメらしいから、店の人が見ている前でタイミングよく鞄の切ってぶちまけて」
ウル様のペットの内の誰かが出ていく。
「ウル様、最近いい子ですねぇ。死人が出るのも控え目にさせていますし」
「ボクはお気に入りの店で悪さする奴の存在が許せないの。本当は食い殺させるのが一番だけど、それをすると情報社会のこの国じゃ、すぐに話が広がって客が減る。店を潰したら元も子もないよ。一回で懲りたらいいし、他の店でも続けるなら、関係のない場所で餌にすればいい。
あんまり近所で餌にしてると、テレビが騒ぐからね。
便利過ぎるっていうのも考え物だよ」
ウル様はそれだけ言うと肉を選び始めた。ウル様は牛肉がお好みだ。こんな肉は食べたことがないと、それはもうお気に召した。この国のよいところは、面白い物があるところと、食べ物が美味しいところである。
食べ物が美味しくて、本当に助かっている。もしも不味い物を毎日食べさせていたら、常にカリカリして皆が恐怖していたところである。
前に冗談で日記にこんなの書きたいとか書いた気がする物を、実際に書いてみました。
ステッキが魔法少女っぽいと思います。ウル本人も少しは魔法を使えます。でもほとんどは召喚魔法っぽい物で解決です。
冗談で書いてますが、青色と同じ世界観ですし、設定としてはそんなに矛盾していなかったりします。
(最後のお買い物編は、再録おまけです)