サンがシェオルにやって来て
「精霊というのは、呼ばれればつい行ってしまう難儀な種族だ」
慰めるような彼の低い声と、ハーブティの香りが彼女を落ち着かせる。
イライラは美容の天敵だ。落ち着いて、リラックスして、穏やかに生きることで内面からもにじみ出る美しさを作るのだ。
「彼らと上手く付き合うには、まず忍耐を必要とする」
忍耐、という言葉が重い。彼女は心を穏やかにする効果があるという、ハーブティの香りを堪能する。まずは耐えねばならない。
「俺が言えるのは、1、いなくなっても心配するな。2、怪我なんてしても気にするな。3、多少の馬鹿にも目を潰れ。4」
彼はここで言葉を切り、自嘲的な笑みを浮かべた。
「下僕発作を起こして鬱陶しい時は無視してろ」
「あの突発的な突撃は発作なんですか!?」
初めのうちは頷いていた彼女は、最後の言葉に叫び、カップを落としそうになった。
「あいつもか……。アヤさん、息子の事を許してやって欲しい。すがりついてくるのも、あいつ等にとっては悪意はないし、突発的なものだから常にストーカー的粘着性を持っているわけでもない」
彼も色々と大変な目にあっているらしい。ヨルはいい子だったのに、なぜ契約をしたとたんに問題児になってしまったのだろうか。
「すがりついてくるというより、所かまわず抱きついてきたり、気付いたら隣で寝ていたりされているんですが」
「…そういうセクハラは、思い切り殴ってやってくれ」
「そうしています」
「苦労をかけるね」
「いえ、自分で選んだ道ですから。ところで些細な疑問なんですが、そこまでの言いようで、どうして結婚しようなんて思ったんですか?」
彼はあまり気が長い方には見えない。今も妻は行方不明で、週末までに帰ってこなければ探しに行くという、とんでもない生活を送っているようだ。愛情があるから耐えられるのだろうが、少し気になった。
「あれだ。動物なんて好きでなくても、飼い始めてみればなんか愛着が湧いてくるだろ。利用するだけのつもりだったのに、全てを捧げられると、つい情が移った」
「美人に懐かれれば、気持ちが揺らぐのは当然ですね」
アヤとヨルの性別が逆なら、彼女もケダモノになっていたところだろう。
「うちの嫁見たことあるのか?」
「息子さん達を見れば想像が付きますよ」
二人は父親似とは言えない。
「まあ、世間一般に比べれば、上の上かもな」
「羨ましいですね」
アヤはため息をついて、窓の外を見た。出窓には小さなクリスマスツリーが飾られている。
「こちらはクリスマスの時期ですか」
「ああ。二人がいた頃はもっと大きなのを用意していたけどな、今年はあれだけだ」
父親はどこか寂しげに外を眺める。息子が一遍にいなくなり妻もいないとなると、彼は一人きりである。ずいぶんと寂しいクリスマスだ。今が何日かは知らないが、当日までに捕まえてこられるといいのにと祈った。
アヤはその気分を忘れるように、言葉を続けた。
「冥界の時間の流れが、以前に比べてずいぶんと緩やかになりました。昔はこちらの一ヶ月で十年以上の感覚だったのに、今では三倍程度です。今はもう少し遅くなっているかも。そのうち、同じぐらいになるかも知れません」
「そうか。つまりうちの息子達がさっさと親を追い抜くことはないわけだ」
「はい」
アヤは最後の一口のハーブティを口にした。
「よければ伝言でも届け物でもしますが」
「そうか。悪いな。じゃあ、頼もうか」
そう言って、彼は応接室から出て行った。
城に戻ると、ヨルが見知らぬ男を連れ込んで酒盛りをしていた。
赤いコートを身に纏う、長身痩躯の青年だ。それがただの男なら問題ないが、どうも人間ではなさそうだ。アヤは早速、彼の父の言葉を思い出す。
とりあえず、今は目をつぶってみる。話を聞くのが先決だ。
「ヨル君、そのお兄さんをどこから連れてきたのか教えてくれないか?」
ヨルは転がっている酒瓶の量から考えると、驚くほど平素と変わらぬ間抜け面で、それはそれは可愛らしく微笑んだ。まだまだ大人へは遠い可愛らしいその顔立ちを見て、アヤは落ち着く。
「あ、アヤ! サンさん、あれが俺の主のアヤ。アヤ、この人は異世界のサンタのサンさん」
「お前は飲み過ぎだっ!」
アヤはヨルの酒瓶を取り上げ、ぽいと背後に投げる。それを見守っていたマリウスが受け取り、静かに床に立てた。
「別にそんなに酔ってないぞ。客の前だし」
「サンタさんとか、言うことは他にないのか?」
「だから本当だって! 気付いたら身体置いて漂ってたから、ぶらぶらしてみたんだけど、偶然変な世界にたどり着いて知り合ったんだ」
「気付いたらって、お前は徘徊老人かっ!」
「でな、子供達にプレゼントを配ってたから、手伝ってきたんだ。厄介な子供達とか眠らせたり」
人の言葉など無視して話を進めるヨル。しかもその内容があまりにも馬鹿らしいものだった。
さりげなく問題の青年を見るが、顔立ちは普通──いや、なかなかの美丈夫だ。背も高いし、悪くない。
「ヨル、お前の主は少女ではなかったのか?」
サンという男は、低く抑揚のない調子で言う。
「よく変わるんだ」
「そうか。変わるのか。おかしな生物だ」
「だろぉ」
二人は意気投合しているようで、別の酒を取り出し酌み交わす。アヤは再び取り上げ、男を睨んだ。
「子供に酒なんて飲ませないでいただきたい」
「……そうか。確かに、飲み過ぎはよくない」
サンは酒瓶をヨルから取り上げ、アヤへと手渡した。なかなか物わかりのよい好青年である。
「陛下……」
マリウスがアヤへと手を差し出し、その手に酒瓶を押しつける。
「陛下もこの男の言葉が分かるので?」
「……分からないのか?」
「はい。職業上、様々な言語を耳にしてきましたが、聞いたこともありません」
アヤは改めてサンを見た。
マリウス達が言語の差を超えて会話しているのは、死んだことによって人間のままでは触れられなかった、世界に蓄積された知識に触れられるようになったからだ。
それらをレコードと呼んでいるが、その中で一番誰にでも触れやすくなっているのは言語についての知識だ。触れやすくなければ、意思疎通を図るのが難しくなるからだ。魔族は魔族、天使は天使の独自のレコードがあり、彼らのような高度な種族は異種族のレコードにも無意識に触れることができる。人間界は古代より他界と交流を持っていたため、多くのレコードがあり、シェオルではそれを利用しているのだ。
彼に理解できないということは、同じ物を利用しているアヤにも理解できないということだ。誰にでも触れられるように作っている言語系のレコードしか、アヤ達にはどうしようも出来ないのだから。もしも言語以外の知識についてのレコードに触れることが出来れば、異界でも立派な学者になれるほどのことである。
「……なんで私に理解…………」
悩むアヤの前で、ヨルは自分を指さし主張する。
アヤは、ヨルの力を共有している。
「君の仕業っ!? どうやって!?」
「闇の精霊のレコードは、知識の広い妖精よりも豊富だ。ちょっと複雑だから俺等以外には触れられないらしいけど。
ほら、なんせ闇の精霊っていうのは、いろんな所に出入りしてるからな。今回も偶然入った所だったし。普通に身体を持っていったら、毒にやられて帰ってこられないような場所なもんで、精霊以外の種族は交流ないんだ」
アヤは無言でヨルを殴りつけ、椅子から蹴り落とし、踏みつける。
「ご、ごめんっ! 悪気はないんだっ、本っ当に!」
「ごめんですますなっ! 危険な場所には行くなっ! せめて許可を取れ! お前の頭はスポンジか!? このヘチマ頭めっ!」
げしっ、げしっ、と蹴りながら、アヤはヨルを罵った。
今なら彼の父親がどのような苦労をしていたかがよく分かる。
無断でいなくなり、怪我をして帰ってこられるこちらの気持ちを少しは知るがいい。これは愛の鞭である。
「陛下、人が見ています。その辺りで」
「ん、そうだな。ヨル君、今度無許可で知らないところに行ってみろ。親元に突き返すぞ」
「アヤ、ひどい。アヤが喜ぶと思ってサンタさん連れてきたのに……」
「連れてこなくていいから。サンタはないけど、ツリーはもらってきたし。だからもう人様に迷惑をかけるな」
「でも、連れてきちゃったし。サンさんはこっちで言うお地蔵様みたいな神様なんだ。だからみんなにもいいなって」
地蔵と言えば、救われない者や幼くして散った子供達を救う神だ。ヨルが言いたいのは、弱き死者を救う神様だと言いたいのだろう。地蔵など知らないマリウスだからよかったものの、知識のある日本人ならまずいことになっていただろう。
「言いたいことは分かるけど、それがなぜサンタなんて……」
「私の世界にも、夜な夜な子供達の望む物を与える怪人の伝説がある。そこで子供達に薬や食料を与えるために初めてみた。きりがないので私に声が聞こえるほど何かを望む子供に、望む物を与えるようになったら、貴女方の世界の伝承に近づいてしまったらしい」
サンは疑問を口にしてアヤに、丁寧に答えてくれた。
「なんとなくで本物のサンタになったのか……」
アヤは頭を振り、もらったツリーをテーブルの上に置いた。
「まあ、やってしまったものは仕方がない。子供は喜ぶかもしれないから、好きにしろ」
「そうする。ありがとな、アヤ」
無邪気な笑顔は憎たらしくも愛らしい。
昔の無力で害のない頃の彼が懐かしい。日数はそれほど経っていないのに、こう思うようになってきた自分の運命が呪わしい。
「異世界にもサンタがいたんだ」
ようやくその男を紹介してもらえた美鈴が驚きもなく言う。
「トナカイは?」
「異世界の人だから、全部が同じってわけじゃないんじゃないかしら」
薫がこくりと首をかしげ、フェミナが答えた。
「春日は彼の言葉が分かるの?」
「分かるよ。どうしてかな?」
ミシェルと春日の会話が、実は大きな問題を抱えているのだが、見た目はとても平和である。
ソウはそんな脳天気な彼らを観察しながら、異世界の『神』を見つめた。ヨルの説明では、お地蔵様だが、本人は死神の配下だと言う。彼の言葉は、春日の身体を借りているソウにも理解できた。そして、話すことも出来る。
「こういう光景は、珍しい?」
彼は先ほどから人を見ては驚いてばかりいる。
「多種族がこれほど集まって生活しているのは、確かに珍しい。普通は群れるものだ」
「それはそうだ」
彼にこの世界のことを説明するわけにもいかない。彼はすぐに帰るお客様なのだから。
「君も言葉が通じるんだな。何か欲しい物はあるか?」
「あるけど……それが?」
「これで……いいかい?」
彼は不思議そうな顔をして、その箱を差し出した。
それは彼が欲しかった、限定販売されたフィギアだった。こちらに来ていたため、指示が出せずに買い逃したものだ。
「…………ありがとう」
ソウは春日の愛らしい顔を精一杯の笑顔に変えて、サンへと感謝の気持ちを心から述べた。
春日が子供でよかった。
「男の子が女の子の人形を欲しがるのか。文化の差とは面白い」
「それ違う」
ヨルが何か言っているが、ソウの耳には入らない。この人は子供が好きなだけのいい人だ。
「ソウさん、いいなぁ。僕も欲しい!」
「これでいいか?」
指をくわえて見つめてくる春日に、サンはダンボール箱を渡した。ダンボール箱にはコンブと書かれていた。
「ああっ、僕、これ食べたかったの!」
欲のない男だ。好きな菓子で喜ぶ春日を見て、薫もじっとサンを見つめた。
「どうぞ」
伝わらないだろうが、そう言って彼は薫に本を渡した。とある格闘家の写真集だ。それで大喜びする薫を、マリウスがなだめている。
それから十五才以下限定で、何人かの子供にプレゼントを配ってからヨルに送られて元の世界に帰って行った。
一人実はもっと年齢の高いソウは、内心ウハウハでフィギアを抱きしめた。
「春日……美味しい?」
アヤの言葉に春日はこくと頷いた。
「このコンブ、昔からよく食べてたなぁ」
どう見ても酒のつまみの一種なのだが、春日とヨルは喜んでしゃぶっている。
皆もらったのは比較的安い物ばかりだ。子供の欲しがる物など、ゲームパソコンがなければこんなものだろう。懐かしい食べ物をもらう者は多く、皆喜んでいた。泣きながら食べる者も多かった。そんな中、春日は純粋に楽しそうに食べている。
「オヤジが好きなんだよな」
「そう。切らすと怒ってたね」
「昆布茶と一緒に食べるんだよな。コンブばっかりかよって」
「父さん、元気だった?」
「死ぬ気で死なないようにしてるから大丈夫だろ」
家庭環境がかいま見える会話だ。
その家庭を目にしたことのあるソウは、フィギアを眺めてデレデレしている。彼の欠点は、オタクであることだ。もちろん、皆の前ではしないだろうが、ここにいるのは彼の実体を知る者ばかりであるため、遠慮はない。
アヤもコンブを一切れ口に含み、味が出るまで噛んだ。確かに美味しい。プレゼントされて嬉しいかどうかは別として。
「そうだ。二人にツリー以外にもプレゼントがある」
アヤはヨルの父に渡された、綺麗に包装された箱を二人に一つずつ渡す。二人は顔を見合わせてリボンをほどき、丁寧に包装紙を取り外して、白い箱を開ける。
中には、色違いのマフラーが入っていた。ヨルは黒いマフラー。春日は青いマフラー。
「君たちのお母さんから」
その色は偶然なのか、それとも話を聞いてから急いで作ったのかは分からないが、二人の息子は母親の愛を首に巻きはじめた。
「どーだ?」
「似合う似合う。君たちは美形だから何を身につけても似合うよ」
ヨルと春日は頬を染めてうつむいた。さすが兄弟。反応がよく似ている。
「でも、あっちでももうすぐクリスマスなのか……」
ヨルは飾られたツリーを見て呟いた。
「私からのプレゼントはないぞ」
「俺からもないから、もらっても困る」
ヨルの隣で春日もコクコクと頷いた。彼らがそのようなことを気にするタイプでもないし、何よりクリスマスが近いというのも、アヤが人間界に行ったから気付いたことだ。シェオルにそのような習慣はないし、そのような馬鹿な祭りを作るつもりはない。
「ところで、クリスマスというのは何なのでゴザイマスかぁ?」
葵が唐突に兄弟の間から顔を出し尋ねてきた。
「お帰り、葵。二人の様子は?」
「普通デス。ところで、そろそろこの役目を誰かと交替するというのは」
「却下。お前が適任だ」
ミストと正宗の見張り兼使用人と化している葵は、ブツブツ言いながら空中でうずくまる。元がアヤのため、苛められることはないだろうが、イジられることはあるだろう。このような役目、葵以外には頼めない。
それを見てヨルはくすくすと笑いながら、クリスマスについて説明をはじめた。それを聞き終えると、葵は指をくわえてどこかに消えた。ハクの所に行ったのだろう。彼はこの馬鹿騒ぎには参加していない。
「ヨルは彼に何かもらわなかったのか?」
「もらわなかった。だって、サンタの手伝いとか、異世界の光景とか、楽しかったから。それに、みんな喜んでくれただけで嬉しいし」
アヤはその言葉を聞き、彼女の中にあった怒りもどこかに吹き飛んでいった。
彼は愚かなまでに肝心なところに欲がなく、呆れるほど純粋だ。
「何度も言うけど、今度から知らない場所に行くときは一言だけでも声をかけろ」
「……ど、努力する」
「努力だけか?」
「呼び出されたときは、仕方がないよな?」
「抵抗しろ」
「でも、助けを求められているときは、早く行かないと危ないかも知れないし」
「一番は、君だろう。君は私の所有物だ。許した以上の勝手な行動するのは許さない」
「分かった」
おそらくその誓いは無視されることになるだろう。それでも、瞳を輝かせて喜ぶ彼を見ていると、怒る気も失せてくる。
彼の父親も、きっとこんな気持ちなのだ。いなくなったときに多少の怒りは湧くが、それでもつい許してしまう魅力がある。
恋愛の対象になるかどうかは別として、彼が彼女にとって可愛いことに変わりない。