番外編 2  あたしとあいつの存在記録

 

 ある日のこと。
「慶子、この写真なんだ? 子供なのにキスしてるぞ?」
 フィオの取り出してきたアルバムには、忌まわしき過去の愚かな自分の姿があった。ディノはアルバムをのぞき込み目を丸くした。
「慶子殿と大樹殿ですか?」
「まあ、ねぇ」
 写真の中の自分は、やけに可愛い洋服を着て、小さな頃から小綺麗な顔をしていた大樹とキスをしていた。
 この写真には、子供ならではの愛らしさがあり、いやらしさなどかけらも感じない。
 今ではあり得ないが、この頃はまだ自分は将来大樹のお嫁さんになることを夢としていた。そんな無邪気で可愛い時代の愚かな自分がこれだ。
「ぎ、儀式をしたのか!?」
 フィオは驚いて慶子を見上げてくる。
「子供だからいいのよ」
「そうなのか?」
「そうよ」
「しかし、なぜこのようなことになっているのだ?」
「誕生日だったのよ。このアルバム、私と大樹の合同誕生日会専用なの。あたし達は誕生日二日違いだから、間を取った日に誕生日会してたのよ」
 はっきりとは覚えていない。しかし記憶の中には確かにある。美しい思い出として。


 二人は二人のために用意された、真っ白で大きなケーキの火を見てはしゃいだ。
 暗い中、誕生日を祝う歌のあと、手をつないでそれを同時にふっと吹き消す。
「おめでとー」
 家族や友人達の言葉に二人ははにかみつつも顔を見合わせた。
 もちろん手はつないだまま。
「母さんケーキ」
 大樹は好物のいちごケーキを目の前にして、幸福を隠しきれぬ様子で母にせっつく。
「まあまあ。そんなにがっつくとケイちゃんに嫌われるわよ?」
「そんなことないよねぇ、ケイちゃん」
「うん。たいちゃん大好き」
 慶子は大樹にぎゅっと抱きついた。
「ぼくもケイちゃん大好き」
 大樹も慶子に抱きついた。
「可愛い〜。そうだ大樹、ケイちゃん。二人でこれ持って、ケーキ切って」
 大樹の母、美津江に言われるがままにナイフを持ち、二人でケーキを突き刺した。
「写真写真」
「結婚式みたいでかわいい〜」
 二人の母達は自分たちだけで喜んでいた。
 慶子は大樹のお嫁さんになれたようで、うきうきとしていた。
「けいこちゃんずるーい」
「たいきくん、あたしも」
 女の子の友達が慶子を睨み付けながら言う。大樹はカッコイイので女の子にとても人気がある。だから慶子はいつも一部の女の子にいじめられている。
「ごめんね。ケッコンはひとりのひととしかできないから、ぼくはケイちゃんとだけケッコンするんだ。ねぇ」
「うん」
 慶子は嬉しくてすぐに頷いた。大樹はいつも慶子の味方だ。大樹がいれば他に何もいらない
「たいちゃん大好き」
「ケイちゃん大好き」
 言って、二人はキスをした。


「あの頃はよくぶちゅぶちゅやってたねぇ」
 突然背後に現れた大樹が言った。
「大樹、いたの?」
「何言ってるんだよ。人に窓ふきさせといて……」
「だってあんたが暇だって言ったじゃない」
 ここは亡き母のコレクションルームである。主に子供達の成長記録がぎっしりとつまっているアルバム、ビデオなどか保管されている北側の部屋だ。彼が窓ふきをしていたリビングとは少し離れている。
「あの頃のケイちゃんは、いつも大好きって言って抱きついてきたし、キスしてきたし、強くなかったし、可愛かったなぁ……」
「慶子殿にもそんな時代が……」
 ディノはいかにもお嬢様なかつての慶子を見て、遠い目をして何もない部屋の角を眺めた。
 慶子が護身術を習い始めたのは小学生のころからだ。当然幼稚園の頃はいじめられるほど弱く、大樹に助けられるほど弱かった。
 フィオはふーんと相づちしながらアルバムをめくる。
「慶子、保ともキスしている」
 身内だから普通だろう。シスコンの気のある兄が、幼稚園児の妹にキスをしても皆微笑ましく思うだろう。
「……あの、それよりも……なぜ大樹殿が樹殿にキスされているのですか?」
「うわ……嫌なこと思い出した」
 大樹は額を抑えて幼い頃の記憶を引きずり出す。


 慶子とキスをすると、友達みんなが騒いだ。慶子は可愛いから、男の子の中ではけっこう人気がある。慶子は大樹のものだ見せつけることができて、大樹は満足した。
「た、大樹!?」
「け、慶子っ!?」
 一番騒いだのは兄達──なぜかとても仲良しな樹と保であった。
「慶子、他の男とキスするなんて……にーちゃんは……にーちゃんは……」
「大樹。兄を差し置いてそんな女と……」
「慶子っ!」
 保は大樹から慶子を取り上げ、ぎゅっと抱きしめた。
 大樹は頬をふくらませて保を睨む。彼はいつも慶子との仲を邪魔するのだ。
「おにいちゃんなぁに?」
「慶子はにーちゃんと大樹、どっちが好きだ?」
「え…………うぅ……わかんない」
「そんな……」
「おにいちゃんもおんなじぐらい大好き」
 そう言って慶子は保にキスをした。
 大樹の胸の内は嫉妬で荒れ狂っていた。
 逆立ちしても何をしても保に腕力で勝てることはあり得ないのでただ睨んでいるだけだが、いつかあの男を見返してやると心の中で誓う。
 その時だ。
 がしりと肩を掴まれた。
「……にいさん? どうした……」
 突然、ぶちゅ、とキスをされた。
 大樹の視界の隅で瞬きの間、かしゃという音と共に光りが走る。
 おそらくあの仲のよい兄妹を見て刺激され、可愛がっている弟に同じ事をしたくなったのだろう。
「う……」
 あちらは血のつながりがあるといえども男女。こちらは男男。
「慶子、あっちはあっちで仲がいいから、俺たちはもっともっと仲良くなろうな」
「うん。淳にーちゃんもちゅ〜」
 慶子は下の兄にもキスをして、母達ともキスを始めた。
 その間、大樹は兄に遊ばれていた。
 愛されているのは分かるが、せめて普通に愛して欲しいと思った幼き少年の頃であった。


「ふ……どうせ俺のファーストキスの相手は兄さんさ」
「たぶんあたしもよ」
 共に過保護な兄を持ち、互いの弟妹を自慢しあって築いた友情である。
「そーいえば、うちはよくキスする家系だったわねぇ。赤ん坊でもないのによくしてたわ」
 慶子はアルバムをめくりつつ言う。
 あの時自分がどれほど悔しい思いをしたのかも知らずに、気楽なものだ。
 いつか超えてやると思っていた保は、超えるどころか結局世界最強とすら呼ばれる格闘家になってしまった。
 世の中、自分の思い描く将来などあり得ないのだと、大樹は痛感する。
 慶子に関しても、思わぬ成長の仕方をした。まったりとしたお嬢様に成長すると思っていたら、現実は未成年のくせに成人と偽り酒を飲む女になっている。中学生の頃から、服装と化粧によっては大学生に見えたので、彼女の飲み屋に行っても主張は皆が信じるのだ。
 母親に似て胸が大きくなったのは思った通りなのだが。
「あの頃はよかったわねぇ」
「そんなことないよ。今だっていいじゃないか。
 だからさ、大きくなった今こそしようよ。キスしようよ。あの時よりも上手くなったよ?」
 昔のように慶子に抱きつこうとすると、彼女は切れのいい裏拳をくれた。
 慶子にも暴力では敵わないというあたり、今よりももう少し幼い頃の大樹には少しショックだった。
「そういうことは、あんたのお友達のおねいさま方に言いなさい」
「ケイちゃんがいいの! ケイちゃんがしてくれたら他の女の人とは遊ばないからぁ」
「それ、何年か前にも聞いたから」
「だってケイちゃん相手してくれないじゃないか! 胸触ると怒ったし」
「いやらしい目つきした男に、いやらしい目的では触られたくないに決まってるでしょ」
「ひでぇなぁ」
 大樹はウサギ姿のオーリンを抱き上げて振り回した。
 実際には気色悪い生物だが、こうしていると本当に可愛い。
「フィオ、こういうのを発言と行動がかみ合わない矛盾した人間って言うのよ。言葉には責任を持たなきゃダメよ?」
「わかった」
「というわけで、フィオのお仕事は?」
「分かった。次は風呂洗いをすればいいんだな? 頑張る」
 フィオは立ち上がり、風呂場へと走っていく。
 フィオのあの素直さがいとおしい。
「ああ、なんていい子なの……」
「ケイちゃん、ディノさんの次はフィオちゃん?」
「いいのよ。いいお嫁さんになるにもいいお婿さんになるにも、家事はできなきゃ。あんたも家事ぐらい覚えなさい」
「えぇ? 俺皿なんて洗ったら割る自信あるよ?」
「あんたって、死ぬほど不器用なのよねぇ……。樹さんは器用なのに」
 大樹ははははと笑ってみせた。
 本当に、秀才と呼ばれる自分ですら、向かないことが世の中には溢れている。
 だからこそ、世の中は不平等で面白いのだ。

 
あとがき

 死へのカウントアップ。
 人は一日を生き抜くたびに死の確率が上がる。私は日々を生きることをマイナスではなく、プラスとして考えている。どちらもかわらんと思うが、まあ気にしないでいただきたい。
 
 そのカウントの大きな節目が誕生日、というのが私の認識である。
 そう、誕生日だ。なので書いてみた。
 私は当分自称21歳だが、思ったよりも年齢高いぞとか、思ったよりもガキだなとか思っても、気にせず読んでくれ。自称だから。
 

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