黒の魔道師 1話
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気に食わないことばかりが起こる。
ワーズのヤツも気に食わない。人が親切でしょうがなく物々交換してやったものを、用がなくなったら捨て駒にするなど。しかもヤツの事だ。ただの嫌がらせ以外のなんでもない。あの認識では、ここの連中があれをどうにか出来ないとは思っていなかったはずだ。そうでなければ、ヤツの得意の召喚術で、もっと大量に駒を送ってきたはずだ。
──あれは、本当はもう少し強いのにっ。
あのラァス=ロウムですら易々とは殺せないだろう。学習させれば、という条件付だが。
「ああ、ムカつくっ」
「ご主人様。手がお留守です」
隣で怪我人の手当てをするエリキサが言う。二人は救護活動なるものを手伝っていた。簡単な術で癒しているだけだ。シアは少し離れた場所で大きな傷を負った者を術で癒している。ラァスはこことは別の場所で治療をしているはずだった。
──まったく、だから一般人は嫌いなんだよ。ちょっと謎のキメラが頭上に現れただけでパニックを起して将棋倒しになるなんて。
一般とはかけ離れた環境で育った彼は内心だけで毒ついた。まさかここで口にするわけにもいかない。
言えるのは、死者が出なかったことがせめてもの救いだということだけ。死者が出ていれば、デュークやラァスがまたうるさく言っていただろう。
「こんなことなら、あのすごいお薬もってくればよかったですねぇ」
実験に使う蘇生薬の事だろう。胴体切断等を行うので、数種類の薬品を用いて死なないようにしている。人間とは、いきなり大量の血を失っただけで、まだ死ぬほどの出血でなくともショック死する。その手のものを押さえる薬と、切断したあと、別のものとくっつけるときに使用する薬。それが彼が使う主な薬だ。蘇生薬は後者。細胞の活性化、増幅が主な機能。昔は上手くいかずに醜く成り果てたものだ。機能としてさして問題ない奴らばかりだった。教育により強く、そして絶対服従となる。人としての知能も持っているので、かなり融通が利く。見た目は悪いが、キメラとしては成功の部類に入っている。もちろん、アシュターこそが、彼の最高傑作だ。元がいいと出来もいい。ついでに火を吐いたり、酸を吐いたりするように改造しようとしたらエリキサに泣いて止められたので諦め、尻尾に出し入れ自由の毒針を備えさせた。
「馬鹿言うな。あれは原材料が高いんだよ。あの薬が一瓶あれば、一家が一月余裕で暮らせるんだよ? 材料費だけでね!」
しかも万が一同業者の手に渡り解析などされてはたまらない。何よりも、材料が貴重だ。いくら金があろうとも手に入りにくいのだ。だからすぐに使うだろう相手に売るとしても、金に換金するのは惜しい。それぐらいなら、大切な実験に使用する。
「お前の男のために、僕はけっこうな額を使ったんだからな」
それもあり、物々交換などしたのだ。あの時は、あと一歩というところだった。今思うと、あの時焦らなければよかったのだ。
「次」
ディオルは転んですり傷(普通なら四針は縫うような怪我)をした男を目で追い払い、その後ろに並んでいた老婆に手を差し出した。老婆は青年に抱きかかえられ、ディオルの前の置かれた椅子に座らされた。
「どこ怪我したの?」
「足が痛いと。骨が折れているかもしれません」
老婆の代わりに青年が答える。添え木を外して足に触れると老婆は小さくうなる。腫れている。
「ご主人様。シアさんにお任せした方がよろしいですよ。ちょっと複雑に折れています」
エリキサが言う。彼女が言うのなら間違いはない。
「そうだね。じゃあ、もう少し待ってて。シアさんは今死にそうなの相手しているから」
死にそうというのは誇張だが、それぐらい言っておいたほうがいいのだ。
「は、はい」
老婆はシアの名を聞き、必死で回復魔法を連発する姫君を見つめた。
「あの方は……」
老婆は何かを言いかけて、飲み込んだ。その視線に、負のものはない。戸惑いが少し混じるだけ。ほんの少しの間で、彼女は多くの視線を集めるようになった。その美貌と力と優しさに対する崇拝の念。
これだけは、今回の事でプラスになるだろう。ワーズ王の娘ではなく、白の賢者シアとしての印象が民衆に植え付けられた。この事実は、すぐに広がるだろう。なにせ彼女は見栄えがいい。
「痛みを取る術をかけておくから。でも、間違っても足をついてはダメだよ」
ディオルは老婆の足に術をかける。戦場などで使われることが最も多い術だ。
「誰か。車椅子っ」
添え木をしっかりと当て固定しながらディオルは声を上げる。
「おうよっ」
やってきたのはアズバルとかいう男だった。以前何度か顔を合わせたことがある。シアが手放しに強いと認める数少ない男。背の高い男だ。その上筋肉質なくせに、太っている風にも見えない。それなりに顔もハンサムなので、女どもの視線を浴びていた。ついでに付け加えると、マシェルの義理の兄である。
「このご婦人を」
「失礼、マダム」
アズバルは白い歯を光らせながら老婆を用意した車椅子に乗せる。
ディオルは次の怪我人を手招きする。やはり多いのは子供や老人。手荒には扱えないのに苛立った。
彼は意外にも子供と年寄りには甘かった。
ディオルはワインを水を飲むような勢いで次々と胃袋に収めていく。
「やはり金持ちは違うな」
エリキサはワインを舌の上で転がす。最高級のものだろう。コクという名のクセがあり、大、大、大、大好きだった。
「本当に。美味しいですぅ」
エリキサは今後いつありつけるか分からない美酒を堪能していた。お酒大好き。だが、アシュターは酒を飲まない。その上主人はケチ。滅多に飲めないのだ。
「遠慮というものを知らんのか、お前ら」
一国一城半の主、邪眼の魔道師デュークが呟く。
「諸悪の根源が」
「何を言うんだ。僕は無料奉仕したっていうのに」
無駄にある力を珍しく有効に使わせてもらったと言うべきだろう。
「お前が変なもの売らなければ」
「売っていない」
そう、ディオルは売っていない。物々交換だった。
ただし、とんでもなく高価なものをいくつもと。エリキサにもあれにその価値があるのは分かっていた。ディオルのした事は等価交換。決して売ったわけではない。それは事実。
だが、それを黙っているのも心苦しいのだ。なので二人は飲んで酔って忘れようとしていた。忘れるほど酔えない体質ではあるが、飲まないよりははるかにマシ。
「お二人とも酒豪でいらっしゃいますね」
昼間の疲れを感じさせぬ笑顔を浮かべてシアが言う。実際に彼女は疲労していない。あれだけの力を使って平然としているのは、彼女の吸魔という特殊能力のせいだろう。実際にその力を持つ者を見るのは初めてだ。特殊な力など、ほとんど感じない。異様ではあるが、普通なのだ。目立つ事をしなければ、絶対に露見しないだろう。
「僕はざると呼ばれているからね」
ディオルは言う。彼はいつも水のような感覚で酒を飲む。それで毎日平然としている。二日酔いになった姿など見た事はないし、顔が赤くなることすらない。彼の場合、存在自体が人間としては規格外だ。そんなことがあっても不思議ではない。
「私もいくらでもいけますぅ。それに、お料理も美味しいですしぃ。さすがに戴冠式の夜会ともなると、ハンパじゃないですねぇ」
そう。現在二人が飲み食いしているのは、パーティー会場だった。楽隊が素晴らしい音楽を奏で、人が踊る。そして酒を飲み、談笑する。料理ばかり食べている者は、他にはあまり見かけない。
そして今気づいたのだが、この周辺はレベルが高い。人としての質とかではなく、容姿のレベルが。その筆頭がシア。そして主たるディオルに、目つきは悪いがデューク王。その恋人のラァサもまた麗しく、さらにその父親はどう見てもこんなに大きな娘がいるようには見えない爽やか美青年。護衛の双子も愛らしく(ディオルと大差ない年頃だが)、これまた可愛いフェアリーエルフの子供が二人、その双子の背中に隠れている。
もちろん注目の的だ。そんな中でがっついているのは恥ずかしいが、やはり美味しいものは美味しいし、飲めるとき、食べられるときに腹に収めておかねばならない。この男は研究で散財してしまう、どうしようもないダメ主だから。
「本当に美味しいですぅ。アシュター様にも食べさせて差し上げたいです」
そんなことを考えながら、彼女は本当に美味しい料理を褒め称える。
「そーいえば、食い物土産にするんだろう。何を買ってくつもり?」
エリキサは首を傾げる。誰か美味しい物が売っている店を知らないだろうか?
「以前来た時とだいぶ変わってしまっていますからねぇ。どこにどんなお店があるのやら」
「当たり前だ。何十年のブランクがあると思ってるんだ? あんなのには、特産品の一つや二つで十分」
いつもそれが悩みだ。知識の神とはいえ、さすがに美味しいお店まで分かるはずもない。そんな機能もあったら便利だったのに。なぜもっと高性能に作ってくれなかったのだろうか? 不便だ。
「エリキサ様。よろしければこちらの方で手配いたしましょうか?」
突然シアが提案した。その微笑む様は、美の女神よりもよほど清楚で可憐で神々しくそして美しく見えた。
「え? いいんですか?」
「もちろんですわ」
なんて素晴らしい女性なのだろう。
「ありがとうございます」
これで家計が助かる。主の無駄遣いがなければ、十分生活には困らないような収入があるのだが、金が手に入るとこの主は新境地に挑戦し、失敗してはまた挑戦するのだ。
高みを追求する姿勢。それは人として理想の姿なのかもしれない。家計に影響を与えなければ。これでは趣味のために家庭を顧みないダメ亭主のようだ。
そんな主を持つ身としては、彼女の提案はただ存在するだけの慈愛の女神よりも、よほど慈愛に満ちた言葉。裏があろうが構わない。
「あの、あの。お料理が余ったら、タッパにつめて持ち帰っていいですか?」
「? よろしいですが……」
シアは戸惑った様子で、しかし快く承諾する。
「お前な。それじゃあ僕がろくなものを食べさせていないようじゃないか」
「色々な野菜や家畜の肉を、アシュター様にも食べさせてあげたいんです」
森にはいくらでも食料がある。庭には手入れしなくても育つようなタイプの野菜がある。冬になっても活動する動物もいる。そういったものを狩れば食費はタダ。しかし、たまには人工的に肥え太らされた家畜の肉を食べたいのだ。文明人らしく!
「あまったら孤児院のガキのところに持っていくのではなかったのか?」
デューク王がシアへと問う。ディオルがエリキサを睨んだ。
「大丈夫ですわ。それでもあまりますもの」
「そんなに意味もなく作るのか?」
「まあ、その程度はしなくては。ただでさえ、先ほどの件で不満を持った方もいらっしゃいます。ウィトラン様達が手を打って下さっているようですか……。外交に関しては、私は門外漢なので何とも言えませんが、下手をすればまた戦争ということもありますのよ」
クロフィアなどの大国との同盟があるからこそ、今は防がれているのだろう。クロフィアの王は野心がない。いや、野心がない者しか王として認められないのだ。代々の王が守護神である地神と交流を持つのが原因だろう。地神は血が流れる事を嫌う。だから決して攻め込まない。決して裏切らない。決して攻め込ませない。そのための力も技術もある。
他の国ではこうはいかない。神にとってはその土地が大切なのであり、その土地を敬うならば、どこの国であれ王であれ、関係はないのだ。神の土地とはその神の勢力圏を指す。だいたいその勢力圏には一つ二つの国が入っている。この国が栄えたのも土地の神、太陽神を敬うからだ。そして、神官であるはずの二つ神器に選ばれた者の政治への介入。
それらは、この場にいる者にとってはどうでもいいことだろう。大切なのは、歴史背景ではなく、今なのだから。
「大丈夫よぉ、心配性ねぇ。デュークとディオルなら、国の一つや二つ潰せるから」
ラァサが洒落にならない発言をした。
──あ、ありうる……。
デュークのことは知らない。分かっているのは、ディオルのキメラの数と力。あれだけで小さな国なら……。それに万が一量産するようになれば大国だって……。
「ご主人様。戦争犯罪はだめです」
「はぁ? 誰がするんだよ、そんな面倒なこと。どうしたんだ、いきなり」
ディオルはエリキサの突然の発言に面食らう。
「シアさんのためなら、やりかねないと」
「シアさんのためならね、何だってするさ。でも、僕でなくともそれはできる。この国を取り戻すのが困難だったのは、自国を破壊できないからだ。はっきり言って、戦争になれば、この国は負けないよ。過去に何十人の賢者がいたと思うんだ? 隠し大規模破壊兵器兵器の一つや二つや三つや四つ、あるに決まっているだろう」
ディオルの遠慮ない台詞に、シアは困ったように首をかしげる。デュークは離れた場所で談笑するウィトランを睨んだ。
「だいたい、兵器云々がなくとも戦争になんてならないよ。可能性としては残っているけど、この国の戦力はそこまで落ちたわけじゃない。戦争を起こそうとすれば、直ちにナイブの恐い連中が動く。暗殺は彼らの特技だと皆が知っているよ。だれも寝首をかかれるのは恐い」
確かにそうなのだが、そんなに簡単でいいのだろうか?
「それよりも、大変なのこれからだ。一人は名ばかりとはいえ同盟国の将軍の娘と婚約しているから、もう一人は……」
ディオルは離れた場所で女性に囲まれているマシェルを見た。
「大変だろうな」
政略結婚のいい道具。そして王が二人いれば、仲たがいさせて再び内乱を起こさせることも容易。その後は、どうとでも料理できる。自身の娘が嫁いでいるのだ。
「マシェル様ったら、珍しく女性にモテモテでいらっしゃるから、戸惑っておいでですわ」
どう見ても迷惑に思っているように見える。あそこで蜜に群がる女たちは、国内の令嬢たちが大半だった。
エリキサは横目でシアを見て、再びマシェルを見る。二人の視線は合っていた。マシェルは懇願するような視線を向けている。
「まあ、照れていらっしゃるのね。今までモテたことがないから。そういえばマシェル様、踊れるのでしょうか?」
助ける気はないようだ。次にディオルを見ると、デュークの飲んでいる果実酒を物欲しそうに見ていた。デュークはそれに気づき、それのある場所を指し示す。ディオルはその種類の酒を運んでいる給仕の元へととんでいく。
「ディオル様も、可愛い」
シアはくすくすと笑う。やはり、男として見ている様子は見受けられない。
彼女には関係のない事だ。それよりも、今、この瞬間にこの美味しいワインと料理を胃袋の中に押し込める事が優先される。
正しい事は分からない。いくら考えても、いくら悩んでも。答えを出すことは出来ない。それは必然。
絶対悪などいやしないから。絶対正義などありはしないから。
だから、必然的に歪む。迷いもなく進めるほど彼の経験は浅くなく、自信の正義を信じられるほど幼くもない。
兄たちなら、どうするのだろう?
死んでしまった兄は、迷わなかったのだろうか?
あの少し性格の悪い、ただ子供が好きな女。あれが世の安定という正義に反する悪であることは分かる。だから見張るのは当然だ。しかし、彼女が敵対しない者をどうこうするような人物でない事は分かっているつもりだった。ウィスのことも敵対するまでは、今の態度のままだろう。
見ていれば分かる。彼女はどんなにふざけた振りをしていても、やはり信頼されている。
「なぁ、アズバル」
「んん?」
隣で甘ったるそうなデザートを食べていたアズバルがこちらを見た。今は女性を口説くよりも食い気が優先されているようで、恥も外聞もなく食べ続けている。本人は昼間に使ったエネルギーを補給していると言い張るが、ただ甘いものが好きなだけだ。先ほどから、肉とデザートしか食べていないのがその証拠。そんなものを食べながら、酒を飲んでいるのが信じられない。
「はんらぁ?」
「その口一杯のタルトを飲み込んでから返事をしろ」
彼は言われたとおりに飲み込み、再び口を開く。
「なんだ? ウィス、そんなぶすっとしてたら、せっかくの可愛い顔が台無しだぜ?」
「うるさい。それよりも、お前たちはあの女のこと、どうしていくつもりだ?」
アズバルは首を傾げる。それからまた一口タルトを食べた。
「んく……どうって、普通だ」
「普通?」
「今までと大差ない。ただ、お前という監視が増えただけだ」
呑気だ。どこまでも、どこまでも呑気だ。またタルトを食べる。
「お前、人の話を聞く気あるのか?」
「じゃあ、どうしろって言うんだ? あいつに、どうしろって言うんだ?」
「……」
「生まれ育ちも十分普通じゃない。それに加えて特殊体質。どうしろって言うんだ? あいつに。別に、望んでああなったわけじゃない」
言葉はない。答えは出ない。自分は、あの女が嫌いではない。好きでもないが、嫌いではない。それを監視し、いつかは殺す日が来るかもしれない。その場合、自分はディオルに殺される。
かつて魔王と呼ばれた吸魔の力を持つ魔道師も、風神の息子に殺された。そして、その風神の息子は殺されている。自らが助け出したと思っていた、その男にさらわれていたはずの女に。恋人同士だったとも知らずに、助けた気になって殺された。
──歴史は繰り返される……か。
生にしがみ付くつもりもないが、早死にしたいわけでもない。だが、上からの命令とあれば逆らえない。そうできている。神とはそういう存在だ。人の血を引いていたとしても。別に強い制約を作って打ち消さなければ、逆らうことは出来ない。
「私は老い先が短そうだ」
「ははは。花ぐらい手向けてやる」
「そうか。そのときは祟ってやるから安心しろ」
「ははは。祟ることも出来ないぐらいにされるって」
人の気も知らず、この男は背中を叩いてくるだけだ。
「酔っ払いめ! 笑うなっ」
「いいじゃねぇか。それとも、シアの親衛隊の連中の中に放り込んでやろうか? ええ?」
「し、親衛隊?」
「ここにも結構いるぜ。あそこに茶髪男いるだろ。目つきの悪いの。リグっつって、シアんところの副隊長なんだが、シアの崇拝者だ」
警備の中の魔道師を見る。その中で茶髪の目つきの悪い男は一人しかいなかった。
──ふぅん。
ウィスは会場を見回す。知っている者も多い。アズバルを通じての知り合いに、最近知り合った……。
「っ」
目が合った。
女性に囲まれて、次は誰と踊らなければならないのかと困り顔のマシェルと。
「ウィス! 兄さんっ!」
名指し。新たなチョコレートケーキを食べていたアズバルは、けほけほとむせた。
「ちょっとすみません。兄さん、そんなふちの方で……またお菓子ばかり食べてるのか」
マシェルは女性たちの中からようやく脱出し、生き生きと兄をたしなめる。
「そんなものばかり食べてると、いつか本当に太るよ」
「生きがいを邪魔するな。まだ全種類食べていないんだ」
ちなみにデザートは全15種類。
その半分は制覇しているはずだ。ウィスはその光景を見ているだけで胸が一杯になった。
「ウィス君は楽しんでいる?」
「人ごみは好かない」
「そっか。じゃあ、庭でも散歩する?」
「そういうのは、普通女を誘うものだろ。言い訳にしても」
ウィスは懇願するような目で見つめてくるマシェルに嫌気を覚えた。しかし、断る理由もない。常に見張っている必要もないのだ。
「まあ、付き合おう」
そして二人は庭に出た。散歩でもすれば、少しは嫌なことも忘れられるだろう。
マシェルとウィス。珍しい組み合わせで外に行く二人を見て、エルマはシアを仰ぎ見た。
「どうします?」
「行きましょう」
当然とばかりにシアは動く。エルマとユーノもそれに続く。二人は護衛なのだ。デュークの護衛は他にいるので、王の従妹姫を守るためについていく。彼女を一人にしてはいけないのだ。
「どうしたんだーねぇ、あの二人」
ユーノがエルマに囁いた。エルマは首を傾げるしぐさをする。
マシェルの方から誘ったのだと思う。彼は人見知りもないし、ウィスは自分たちと同じ年頃だ。だからかまいたくなるのだう。だが、ウィスの方がそれに付き合うほど人見知りをしないタイプには見えない。いつもアズバルとばかり話して、他の人間とはほとんど口を利かない。知り合いらしき人たちとも、話しかけられなければほとんど話さない。用が終わるとそまのの黙る。いつもシアに突撃されて、ようやく罵声を放ち、自発的な多くの言葉を放つのだ。シアが彼をかまうのは、きっと彼にもっと多くの人と付き合って欲しいから。シアには知り合いも多い。シアが仲良くする事で、仲間達も多少は気を許す。シアを殺すかもしれない可能性を薄れさせるように印象を持たすことが出来る。
三人はこっそりと庭に出ると茂みに隠れる。光の届かない場所を選んだ。二人は庭に浮かぶ魔道の明かりから遠ざかるようにして歩いていく。好都合。それをさらに追う三人。あの二人を追跡するのだ。仕事をするとき並みの真剣な尾行。闇が自分たちを隠してくれる。自分たちからは術により彼らが良く見える。
「で? 何か用なのか?」
マシェルと並んで歩くウィスが問うた。しかし、マシェルは首を横に振る。
「別に。兄さんはお菓子食べるの邪魔すると怒るから。いい歳して恥ずかしい」
「なるほどな」
マシェルはただウィスを利用しただけだろう。はじめはシアを使おうとしたようだが、シアは当然のようにデュークの側にいた。だから、ターゲットを変更したのだ。この際、女性が横に並びたがらないほど容姿がよければ、男でもかまわないと。
──私もあの人の側にいるの嫌だしなぁ。
シアやラァサと比べられるのならいい。女性としての格が違う。だが、さすがに主君でもない男よりも見劣りすると思われるのは嫌だった。
「でも、せっかくだから聞いていいかな? 君とうちの兄さんは、どこでどう会ったんだい?」
「……言いたくない」
「ええ? 気になるじゃないか」
マシェルは少しオーバーリアクションで、気になるという事をアピールする。子供にするように説得を始めた。
「聞きたいな。兄さんが死んだ振りして何をしていたか。
みんな教えてくれないんだよ」
ユニオール家の長男をしていたアズバルは、事情があって裏方に回るために、死んだことになっていたのだ。死因は弄んだ女性に後ろから刺されたというものだった。考えたのは、彼を育てたユニオール家の当主らしい。
当時事情を知らぬ純朴青年をしていたマシェルには、当然教えてやるわけにもいかず、ずっと信じて時折思い出しては形見だと思い込んでいた剣を眺めていた。そんな姿を見ると、皆で胸が痛むねと慰めあっていたものだ。
だから、生きていると知って、アズバルが相変わらず甘いものが好きで、本当は喜んでいるはずだった。ただ、なぜそこまでしなければならなかったのか知りたいだけなのだろう。そういう人だ。
「……ここから少し北に行った町で……顔を少し隠して歩いてたら、ナンパされた」
「ごめんなさい」
「いや、あいつの場合仕方がない。それから時折会っては冗談で口説かれた。なぜか見たこともない魔物に襲われて、始末させられた。それを見て一緒に来いと無理矢理引っ張られて……奇妙な人間たちと魔物を狩ったり、変な人間と戦ったりした。事情を説明されたのは、お前たちと会うよりも数日前だった」
二人の間に沈黙が落ちる。
──……アズバルにーちゃん、また真面目な人に洒落にならない事を……。
せめて事情ぐらいは話してやればよいものを。
しかも絶対に目立ってはいけない時期にナンパして、巻き込んでしまうなど。
──チクっちゃお。
お小遣いぐらいもらえるかもしれないから。
「こちらからも聞いていいか?」
めずらしく、ウィスが親しくもない人間に問いかけた。
「ん? 何?」
マシェルは保父さんの顔を取り戻し、笑みをウィスへと向ける。そんな彼が少し可愛いと思う。
「お前は、あの女の何がよくて仲良くしているんだ? あれだけ虐げられていながら」
マシェルは瞬きをする。それから頬を何度かかき、腕を組む。
「ウィスはシアさんが嫌い?」
「別にどちらでもない」
ウィスの声にはやや戸惑いがあった。誰しも、どれだけ迷惑な方法でも、好意を持って構ってくる者に対して、悪意は持たない。むしろ、好意になることもあるだろう。ストーカーのような不気味なのは別として。
「僕は好きだよ。そりゃあ人を振り回してくれる人だけど、やっぱり友達だし。それに、一緒にいて退屈はしないし……ああ……まあ、何だかんだ言っても理屈じゃないんだけどね。シアさんの事は好きだよ。友達として」
ウィスは俯いた。青い瞳が地面をさまよう。それは明確な迷い。
「あいつが、世界を憎む事があると思うか? 壊したいほど」
ウィスの声は小さく、それは聞こえるかどうかといったものだった。だが、確かに言った。
──世界を憎む?
マシェルは首をかしげ、顎に手を当て考えはじめる。
ウィスは、何を心配しているのだか。
「そうだねぇ。個人を憎む事はあると思うよ。実際、父親を毛嫌いしているからね。でも、世界? を憎むなんて事はないと思うよ。だって、みんないるし。子供たちも、僕も、デュークも。
まあ、喧嘩はするかもしれないけど、そんな周囲すべてを憎むような事はないよ。
こういうこと、だよね? 聞きたかったの。間違ってたらごめんね」
ウィスは首を横に振る。大人の姿をしているのに、やはり子供に見えてしまう。
──悩んでるんだ……。
神も、悩む。彼は人の血も引いているが、完全なる神でも悩むこともあるそうだ。あった事がないから分からないが、悩まないモノは存在しないとシアが言っていた。表面上は平気な顔をしていても。
「いや。参考になった。ありがとう」
ウィスは顔を上げた。真面目な顔をして、真面目に見つめて。
彼は真面目だ。見ていて痛々しいほど。人付き合いが苦手で、真面目で、そして臆病で。そんなところが、可愛いと言われる理由。
「ならいいけど。もしも悩み事があるならいつでも相談に乗るよ。僕は口が堅い方だし、できる限りの事は協力するよ」
マシェルはウィスの頭に手を置く。ウィスの方が少し背が高いぐらいだ。なのにウィスの方が小さく見える。
「一人で悩んでも、辛いだろ?」
ウィスは小さく頷いた。
「あんたはやっぱり、少しだけアズバルに似ている」
マシェルは顔を顰めた。
「初めて言われたよ、そんなこと」
「いいところだけ、だからな」
「なるほど」
シアが、エルマの肩を叩く。
エルマは頷き、皆で来た道を戻り、パーティ会場へと向かった。
──ずっとこのままだといいのに。
変わらなければいいのに。
そう思うが、それは叶わない願いである事は知っている。
皆、いつか別れ別れになる。おそらく明日になれば、またユーノは旅立つだろう。老いもせず、次代が現れるまでずっと。彼は変わらないではなく、変われない存在になった。
そして、いつかシアもマシェルも……。
自分だけが置いていかれそうで恐い。とても。
だから少しでも、努力しければならない。いらないといわれる程度の存在に成り下がってはいけない。
常に、彼らの側にいたいから。
翌朝。
ディオルはみやげ物を袋一杯に持ったエリキサを見て呆れた。
これでは本当に何も与えていないようではないか。
──だいたい、食べる必要のない体質のくせに。
酒は飲みたがるは、食べたがるは。賢者の石でなければ、あんな我が侭女を誰が飼ってやるものか。
ディオルは別れのために集まった面々を見る。
双子の王と、もうしばらく滞在するらしいロウム親子。そしてシアと──ウィス。
「ウィス」
「安心しろ。私のすべきは監視だ。よほどの事がない限りは」
当分は、安全だろう。
それが一年続くか、二年続くか。ただそれだけの問題。
「ディオル様。お体には気をつけてくださいませ。研究熱心なのもよいですが、ほどほどに息抜きもしてください」
シアがディオルに向かって言った。作られた微笑。完璧なその笑顔は、シアの才能の一つであり、気に入っている部分でもあった。彼女の本当の顔を知っているから。
「そのときはシアさんに会いに来るよ」
彼女から来てもらうばかりでは、悪いから。
「楽しみにしておりますわ」
「ああ。それじゃあ、僕は行くよ」
魔法陣の中央に立つ。
自分専用に、他者では使用できないように改造した魔法陣を思い浮かべる。
転移の魔法は、両側に魔法陣またはそれに変わるものが存在すればいい。そこそこの魔道師なら、迎え側に誰もいなくとも転移できる。だが、彼の作ったものは違う。特殊で難しい魔法の構成が必要とする。設定とは、つまりオリジナルの方陣と術の組み立てをしているということだった。とても繊細で、とても難しい構成。それを一瞬で組み立てる。黒い帯に光り輝く文字が浮かび、杖の先に収束する。
「またね」
「ごきげんよう」
シアが一礼するのと同時に、転移した。
邪魔者はいたしハプニングもあったが、久々に彼女と長く話せて、満足だった。
少なくとも、そう思う事にしていた。