黒の魔道師     1話

          3

 

 不釣合い。
 ウィスはこの場をそう判断した。
 自分には似合わない場所。しかし上からの命令だ。ここにいて見届ける。そしてあの女を見張る。あの、神殺しの異能を持つ女を。
 万が一危険と判断されれば、殺すのは自分の役割だった。風神の代八子であり、半人半神である自分の役割。神であり、神でなき自分だからこそ、あの女を殺すことが出来るのだ。
 現在、戴冠式なるものが行われている。似ていない双子がこわばった表情で隠者ウィトランの祝福を受けていた。隠者とは王直属の特殊部隊ナイブをまとめ、国の方針を決めるための、真実の瞳を有す者。そしてもしも王が相応しくないと判断されたとき、その王を王座から引き摺り下ろす権限を持つ者。今では国の宰相だ。まったくもってありがたみのない祝福だ。深海と称した政治家に祝福されるのだから。
 デュークが王冠を、マシェルが剣を与えられる。いつか自分を殺すかもしれない男の手によって。
 儀式の大半はこれで終わり。はっきり行って、どうでもいい。問題は、なぜ神殺しの女と、ウィスの親類のディオルが、仲良く並んでそれを見ているのかということだ。
「なぜあの組み合わせなんだ?」
「ん? シア?」
 隣にいた友人のアズバルが唇をほとんど動かさずに呟く。視線は彼の義理の弟であり主君であるマシェルへと向けられていた。彼はマシェルの兄として、幼少時の彼の身辺を警護していた。今では特殊部隊「ナイブ」の七番隊の隊長をしている。歳は二十六、七のはずなので、ずいぶんと若い出世である。
「経過はしらねぇけど、ディオルがシアに言い寄る男を呪いまくってるのは有名だぜ。まだ付き合ってはいないらしいけど」
「すまん」
 身内としては非常に恥ずかしい。まさかあの他人などどうでもいいと思っている男が、顔と魔力と頭だけがとりえの女に気があるとは。正直かなり驚いた。そして、気まずくもある。あの男は強い。何よりもシアと同じ異能者だ。シアほど危険ではないが、それでも危険人物として睨まれている。危うい組み合わせ。
 いつか、誰かが動くだろう。
 その時駒にされるのは、自分か、それとも……。
「ウィス」
 アズバルが一瞬だけ彼を見た。
「あいつらが、危険に見えるか?」
「少なくとも、ディオルは危険だと思う。あの女は、分からない」
 彼女は出会って以来、人を可愛いなどと評価してくれた。殺意を持っても無防備に腕を広げる。それは自身に対する絶対的な自信にも見えるが、こちらが何もしないと確信しているようにも見えた。
「……それは否定しないけどな。でも、あいつはシアといるとき、すげぇ人間らしくなる。シアと会って、変わったって言う奴もいる。昔のあいつは知らねぇけど、シアのいないときのあいつなら知ってる」
 確かに、あの男は誰かを見つめたりはしない。あんな楽しそうな顔はしない。もっと、暗い目をした少年だった。以前会った時とは、放つ雰囲気がまったく異なる。そう、周囲に撒き散らすかのような棘がない。
「なんで、あんな女に」
「それは知らねぇ。本人に聞いてみな。言えるのは顔で惚れてるんじゃないってことだ」
 一体、あんな女のどこがいいのか。あれは同類を哀れみ、傷の舐め合いをしたいというタイプでもない。むしろお前と一緒にするな、一人で勝手に苦しんでいろ、と突き放すタイプだったはずだ。
 理解できない。
 それからしばらくして、儀式は終わる。
 次は国民に二人をお披露目するらしい。

 今日のシアは一段と綺麗だった。肌を隠す細い身体にぴったりとした白いドレス。流行りは背や胸元を出すようなものだが、清楚な彼女にはこの方が似合う。ディオルが目を離さぬほど。エリキサが本当に人間であるのか疑うほど。彼女は完成されていた。
 人間には分からないだろうが、彼女の骨格は他に類を見ないほど歪みがないのだ。それが、彼女の美しさを引き立たせている。
 エリキサは彼女ほど綺麗な身体をした女性を他に知らなかった。
「シアさんは行かなくてもいいの?」
 ディオルがシアに問う。
 王二人は国民へのお披露目のため、見晴らしのいいバルコニーに連れられていった。本来ならパレードをするらしいが、現在それほどの予算、余裕があるはずもない。治安のことも考えざるを得ない。そんな無駄なことに費用、人手を使うなら、その分国の修復にまわす方がよほど国民のためだ。
 あの隠者は、変わっていない。
「私は、暴君の娘です。本当なら、公表しない方がよかったのですが、ウィトラン様が」
 彼女は笑う。
 ディオルはそんな彼女の肩に、そっと手を置く。緊張しているのか、震えていた。本当に、シアの前では普通の少年に見えてしまうのが不思議だ。
「シアさんが気に病む事はないよ。隠しておいて暴かれた場合の方が痛いしね」
「はい」
「シアさんはこんなに綺麗で頭もいい。誰の子であろうが関係ない。シアさんを見れば、誰だってそう思うよ」
 シアはくすりと笑う。ディオルはそんな彼女を見て、嬉しそうに笑う。
 エリキサは、このまま彼女にお嫁に来て欲しいとすら思う。そうすれば、彼の部屋も片付くし、怪しい実験もおおっぴらにしなくなるし、何よりも優しくなる。ただ、美女と悪人というイメージだけはどうしようもないが。
「ところで、そこで何をしている?」
 ディオルは振り返る。シアには決して向けない敵意を込めて。
 気づいていたところがさすがはディオル。ただ、人間でない事に気づいているかどうか。
「久しぶりだな、ウィス」
 ディオルは笑う。あるのは敵意。そしてさげすみ。
 現れたのは空色の瞳と紫味を帯びた銀髪の青年。
「風神……」
 容姿、気配、神気。間違いなく、この青年は風神の子。神だ。
「何だ、その女は」
 ウィスと呼ばれた神の子がエリキサを言う。
「下僕だ」
「…………」
 しばらくウィスはエリキサを見つめていた。しかし興味をなくしたらしく、シアへと視線を向ける。まだ若いのだろう。エリキサの独特の気配を理解できていないようだ。額の石も前髪で隠している。エリキサは思わず安堵した。主が変わり者でよかった。疑われもしない。
「お久しぶりですわ、ウィス様」
「話しかけるな、近寄るな」
 ウィスはシアを異様に警戒した。威嚇する猫を思い起こす。
「あら、元に戻したりなどいたしませんわ。今日は」
 シアはころころと笑う。
「本当に……か?」
「はい。神としての威厳がありますもの。私としては可愛い姿の方が好きなのですが、今日のところは我慢いたしますわ」
 彼女は花開くような微笑を彼に向ける。ディオルが顔をしかめた。
「どうしてお前なんかがシアさんと知り合いなんだ?」
「知り合いたくて知り合ったわけじゃない。父さんが……」
 ディオルが鼻で笑う。
「まさか、お前ごときがシアさんを狩る役目を与えられたのか? 滑稽だな」
 この男は、相手が神だろうが何だろうが構わないらしい。
 ウィスは忌々しげにディオルを睨む。
「だいたい見苦しいな、その姿。ガキはガキらしくガキの姿をしていろ」
「ガキって、二つしか違わないだろ!」
 エリキサは言われて初めてウィスを詳しく調べた。普通の神なら調べられれば気づくだろうが、この青年は調べても気づきもしなかった。
 案の定、歳をごまかし無理矢理大人の姿になっていた。
「シアさんをどうにかしたけりゃ、まずこの僕をどうにかできるようになったらどうだ? 神でもない人間たるこの僕に、勝てるようになってからね」
 ディオルがまるで小動物を虐めているように見えてきた。傍から見れば、いい年した青年が、幼さの残る少年に言い負かされているようにしか見えないのに。
「可愛い」
 シアは微笑む。確かに微笑ましい。いつもの殺伐として雰囲気に比べると、今のディオルはずいぶんと良心的だった。いつもなら問答無用で半殺しだ。
「でも、なぜあの風神様はシア様を狩るなどと?」
 エリキサは首をかしげた。
 神としては一応こちらの方が上の位だが、今はあってなきに等しい地位だ。敬称ぐらいはつけて呼ぶ。荒波を立てないことこそ、生き残る術。
 シアは口元に手を当て、ころころと笑った。上品な貴族のお嬢様は言う。
「私が神殺しの力を持っているからですわ」
「…………」
 今始めて理由が分かった。ディオルがこれほど彼女を認める理由が。
 神殺し。魔力を喰らう者を意味する。つまりは吸魔の力だ。
 吸魔の力は、魔力の少ない人間にとってはあまり害はない。多少疲労させる程度。しかし、元々魔力の塊である神にとっては脅威でしかない。力をすべて奪い取られ、最悪消滅する。
 数百年ほど前、一人の男が神を殺した。その神とは、アシュターの兄、二の月神だった。だから記憶を探る必要もないほどよく知っている。それ以来、吸魔の者は危険物扱いが劇物扱いとされた。神殺しの男から数えると、シアは二人目の吸魔の力を持つ者。シアの前に生まれた吸魔の力を持つ者は、その力を自覚することなく殺されていた。
 彼女もまた、本来ならば殺されていたのだろう。賢者でなければ、その力をここまで隠し通せるはずもない。
「どうしてそこまで完璧に隠して、気づかれたのですか?」
 シアはただ笑うだけ。ディオルがそのエリキサの耳を引っ張った。
「痛いです」
「お前が悪い」
 ディオルはエリキサの耳を離す。そうしてからウィスへと向き合い指を突きつける。
「お前、二度とシアさんに寄るな」
「無理だ。だいたい、なぜお前が決める」
「僕はシアさんの友人だからだ」
 さすがに本人の目の前では将来の嫁とは言わないらしい。本当にシアの前では可愛い少年だ。ずっとこのままだったらいいのに。
「これは父さんの命令だ。だいたい、私が来なければ誰が来ると思う?」
「……誰だろうね。しかし、お前はムカつく」
「なぜ」
「子供だから、何があってもシアさんが手加減してしまう」
 嫉妬しているのだろう。この程度の嫉妬ならば、普段の彼の凶行からすれば本当に可愛らしい。いつもならこの少年は五体満足ではないだろう。
「だったら、誰が来てもいいのか?」
「…………」
「万が一にも太陽神様が直接動き出したら?」
「…………ふっ」
 彼は長い前髪をかき上げる。そしてウィスの肩に手を置いた。
「万が一シアさんを傷つけたり、シアさんに変な事をしたり、犯罪的な行為をしてみろ」
「お前、人を馬鹿にしているのか?」
「万が一のときは、お前の……を……してやるからな」
 ディオルはウィスの耳元で何かをささやいた。そのとたん、ウィスの顔から血の気が引く。
「な……なんてことを」
「ふふん。万が一のときだ。何もしなければ何もしない。何かをするなら、それぐらいの覚悟を持ってしろ」
 ディオルはウィスを見上げながら鼻で笑う。
「く……卑怯者め」
 ウィスは唇を噛む。一体どんな脅しをされたのか。
「か弱い女性をストーキングするんだ。いくら親の命令だからって、常識外である事は自覚しているだろう?」
「あれがか弱い?」
 ウィスは顔をしかめ、シアを目だけで見る。
「何を言っている。シアさんはとても繊細にできているよ。時々発作をおこすし、賢者の知識の逆流で倒れることもある。気丈に振舞っているだけだよ。そんなことも分からないなんて、だから子供なんだよ、お前は」
 ディオルはウィスを見下していた。例え視線はやや上向きであろうが、その言葉、態度によって見下していた。
 何と言うか、エリキサは諦めた。彼は神に逆らいたくて仕方がない少年なのだ。本人は否定しているが。
「ふん。悪趣味め」
「子供にはシアさんの素晴らしさなんて理解できないのだろうな」
「顔と力と頭だけじゃないか」
「それ以外に何が必要なんだ?」
「…………」
 ウィスは諦めて背を向けた。話し合いなど無駄だ。この男の思想を変えられる者など、シア以外には存在しない。
「私は行く。お前達の側にいる必要はないのだ……」
 ウィスの声が止まる。
 遠くで、悲鳴がした。
 近くで、悲鳴がした。
「お兄様っ」
 シアが迷うことなく走り出す。向かうは窓。そこから顔を出し、バルコニーの様子を見るようだ。
「なんてことっ!?」
 シアは悲鳴を上げる。
 エリキサは視覚に頼らずそれを見る。それは、恐ろしい化け物だった。上半身は蛇のような醜い皮膚をした人を彷彿とさせるライン。下半身は蛇そのもの。背には翼など生えており、自然のものではありえない。人工の化け物。それが、王の二人に襲い掛かろうとしていた。
「…………み、見覚えがあるような気がするんですけど、あれ」
「気のせいだよ、エリー」
 ディオルが唇だけで笑みを作り言った。
「でも、あれって確かご主人様が以前売っ……」
「気のせいだって言っているんだよ、この僕が」
 これ以上追求してはいけない。知らない事にしておこう。だって不幸になるのは嫌だから。
 エリキサは汗をかき、良心の呵責を覚えながらも傍観する事にした。
 シアは窓から身を離し、バルコニーへと向かう。ディオルはシアに続く。彼女は仕事。彼は彼女を守るため。
 エリキサも、仕方なく後に続く。万が一のとき、主の暴走を止めるものがいなくてはならないから。
 証拠隠滅のためなら、彼は周囲の人間すら巻き込むだろう。

 やけに気味の悪い怪物だった。以前見たのも気味が悪かったが、今回のものはなまじ人に近い上半身をしているので、よけいに気味が悪い。
 口からなにやら吐き出して、触れた手すり部分が酸化する。はねた分はマントで身体を庇ったのだが、盾にしたマントに大穴が開いた。
 マシェルはシアに叱られるだろうなと思いつつもマントを外す。身につけていると害がある可能性があるからだ。
「何、これ」
 マシェルは呆れて呟いた。
「あのおっさんの差し金だろう」
 あのおっさん。ナイブの大半の連中に見限られながらも、その一部を味方につけて二十年もの間王であった前王、二人の叔父、ワーズ。
 王にして魔道の天才。そして全能の知識の一部を持つ「賢者」二人を子を配下に持つ者。そして、シアの実の父親。史上初のナイブを分裂させた男でもある。
 人格さえまともなら名君ともなったであろうが、彼は平穏を嫌い、争いを好む。そういう男だ。自ら引いたとはいえ、簒奪者たる自分達が即位する日、何も仕掛けてこないとは、思っていなかった。
 しかし、来たのはこれ一匹。いきなり空やら奇襲をかけてきた。シアの施した結界を突き破り進入したらしい。性能は高いようだが、さすがにこれだけでどうにかかるほど甘い連中はここにはいない。
「まさか……ただの嫌がらせ?」
 和んでいるところに、突然爆竹を投げ込んで遊ぶ子供のように。
「可能性は高いな。シアの面白がり屋なところは、あの男の血だと思う」
「ぐ……それを思うとその可能性しか思いつかない」
 一度会話して、彼が案外子供じみた人格の持ち主である事が分かった。そして、親戚とやらに何人か対面して思った。
 ここの王族関係者は、変な人物ばかりだと。
「しかし、どこかで見た事があるようなデザインだな……」
 言いながら、デュークは手を持ち上げ、小さく呪文を唱える。
「絶望の腕(かいな)に抱かれ 混沌へと落ちるがいい」
 隣で聞いているだけで怪しくて危ない呪文。デュークはその怪しい術を発動させた。彼の腕に絡まった、光の文字の浮かぶ黒い帯がはじけるように広がり、その蛇の怪物へと向かう。
「馬鹿、離れろ」
 背後から、ディオルの声が響く。二人は反射的に後ろへと跳び退る。その前に出るディオル。
「散れ」
 ディオルのただ一言。それだけで、跳ね返ってきた黒い魔法は掻き消えた。
「何だ!?」
「魔法は効かない。素材の一部に特殊な魔石を使っているから、反射する」
 ディオルはそれを睨みながら言った。
「……やっぱりお前の作品かっ」
「ちょっと、そういうオチ!? ワーズは関係ないの!?」
 マシェルはディオルの後姿を睨みながら言う。
「何の事? 見たままを話しただけだよ。見れば分かるだろう」
「そんなのお前だけだ。だいたい、あれはお前の趣味のデザインだろう」
「趣味じゃないよ。あんな醜いもの、僕がどうして好かなきゃならないというんだ?」
「あれはどう見てもお前の失敗作だろうがっ!」
 ディオルはふっと笑う。観念したかのように彼は言う。
「確かに僕は人と蛇の合成を試みたさ。まあ、盗まれたりもしたこともある」
「盗まれるなっ!」
 ディオルは肩をすくめてから、どこからか杖を取り出す。時々これをする魔道師を最近ちょくちょく見かけるのだが、どういう魔法なのだろうか。
「お前のも魔法は反射されるのだろう?」
「気分だよ、気分。なんとなくそういう機能をつけたくなる時ってあるだろ」
 普通はない。
「もういい。弱点は?」
「僕の作品ではないけど、なかなか立派なものだし、ないんじゃないかな?」
 つまり自分が作ったものだから、弱点なんてないんだよと言いたいのだろう。マシェルは小さく息を吐き、持っていた剣を抜く。この剣はお飾りの剣ではない。王国の至宝剣。魔剣、イルセード。ウィトランが王である限りは貴方のものだと言ってくれた。せっかくだから使わせてもらう。そんな危険なものを吐き出す生物が、万が一にも国民の頭上を通ったら。そう思うとここで仕留めなければと思う。
「マシェル様っ、何をっ」
 周囲が止める間もなく、マシェルはバルコニーの縁を蹴り、蛇の怪物へと切りかかる。
「はっ」
 脳天に剣を叩きつけ、そのまま怪物の肩を土台にバルコニーへと戻る。さすがに距離が届くはずもなく、なんとか縁につかまりデュークに引き上げられた。
「無茶をするな」
「そうでもないけど。下にはユーノとエルマがいたし」
 それを知っていなければ、さすがにここまで無茶はしない。このバルコニーは非常に高い位置にある。国民に顔を見せるためにあるのだから、当然といえば当然。
「油断するな。再生するよ」
 ディオルがきっぱりと言う。見ると、ぱっくりと割れていた頭が、徐々に元に戻っていく。
「……お前、ひょっとしてワーズとかいう金髪碧眼子連れ中年に、あんな技術売らなかったか?」
「なんでそんなこと知っている!?」
 諸悪の根源がここにいた。
「あれも、売ったのか?」
「し、知らないね」
「確か一時期、妙に羽振りがよくなったと師匠が言っていたぞ」
「僕は他の研究もしているからね。不老の薬とか。まあそれは売ってないけど」
「やはりお前かっ、すべての事をややこしくしたのは」
「言いがかりだな。僕は確かに趣味の合うキメラ製作仲間とお茶を飲む事はあるし、その子供がえらい飲み込みが早いなとかも思ったけど、決して売ってはいないよ。というよりも、あれ国民の方に向かっていったけどいいの?」
 デュークはばっと振り返る。その頃には、シア含む何人かのナイブ第一部隊マジシャンズの者達がそれを追っていた。
「シア、また危ない事をっ」
 バルコニーから飛び出ようとするデュークの肩を、笑顔のウィトランががしりと掴む。
「危ない事をしていけないのは貴方です。デューク様はここにいてください」
「しかし」
「いてください」
 有無を言わせぬ迫力だった。なんと言うか、この人だけには逆らってはいけないと、動物としての本能が必死になって訴えてくるような、そんな迫力であった。
 マシシェルは地上を見下ろす。国民達が悲鳴を上げて逃げようと、押し合いになっていた。それを顔見知りの者達が必死になって誘導する。
「ウィトラン様。あれじゃけが人が出ますよ。救護は?」
「ミラン達が手配を始めているでしょう。ご安心ください」
 さすがに行動が早い。出番はなさそうだ。
 そんなことを考えるマシェルの隣で、
「だったらお前は行け」
 デュークがディオルをバルコニーから蹴り落とした。
「ご主人様、いってらしっしゃい」
 エリキサという彼の従者が手を振って見送った。
 作り主が行けば、まず問題はないだろう。

 ──なんでこんな事になるんだか……。
 ディオルは内心文句を言いながらもそれの元へと向かった。
「シアさん、無茶はしないで」
 シアはとりあえずそれを皆で結界をもってして囲んでいた。囲むだけで、どうしようか迷っているようだ。囲まれた方も、理解できずに呆然としている。教育がされていないようだ。おそらく、サンプルにしか使われていないだろう。教育を受けさせていないから、『単純な命令だけを聞く、なかなか死なない生物』でしかない。本来ならばかなり強い力を持たせているのだが、新しい飼い主はそれの使い方に気づいていないようだ。
 ──天才と秀才の差か。
 ワーズは力はあるが、頭は人並みでしかない。その子供達の方が頭がいいぐらいだ。しかし子供たちは経験がなく、それに気付かなかった。
 ディオルが調教しているキメラは、もっと弱いものでもこの程度の結界などすぐに打ち破るだろう。
「そういうのは、核さえ破壊すれば死ぬから」
「どこにあります?」
「継ぎ目あたり」
 シアはそれを見る。じっと。それは囲まれてどうするか迷っているようだった。
「どこですか?」
「へそのあたり」
 しかし、へそと言っても分かりづらいだろう。女性のようにくびれがあるわけでもないし、下半身はあれだ。
「んじゃ僕がやるよ」
「しかし、いいのですか?」
「まあ、身から出た錆と言うか……。なんであいつはこんなものをこんなところに放したのやら」
 愉快犯だろう。そんな雰囲気のある男だった。
 ディオルは意識を集中した。
 ──ほんの少し、ずらすだけ。
 大穴などは開けやしない。ほんの少しでいいのだ。空間を、ずらしてやればいい。
「やめなさい、ディオル」
 声は、背後から。忌々しい聖眼の男、ラァス=ロウム。
「むやみにその力を使うと、ご両親に言いつけるよ」
 この男は、いつもこうやって脅してくる。
「では、どうしろと?」
 いつまでたっても女顔の二児の父親は、ラァサと似たような笑みを浮かべる。正確に言えば、ラァサがこの男に似たのだが。
「君はこりないな。暴走させたのを忘れたかい?」
「覚えているさ。誰に言っていると思っているの? この僕だよ!」
 その言葉に、ラァスは苦笑する。
 キメラがようやく事態を把握して暴れ出した。数人がかりで結界を壊されるたびに、別の誰かがその穴を塞ぐ。それの繰り返しで今のところ一所に止める事に成功しているが、すぐに破られるだろう。
「どうするんだ、あれを」
 彼では弱点など見抜けないだろう。キメラなどには興味すらないはずだから。
 ラァスは小さく笑い、いつもの斧を取り出した。
「あれは力ずくじゃあ無理だよ」
「そうかな?
 姫君、それを解放してください」
 ラァスの言葉に、シア含むマジシャンズはそれを開放する。それはすぐにその場を離れた。そして地上にいる多くの餌のことを忘れたのか、怒りに任せてシアへと向かう。鋭い爪。毒の液。これだけでも、このキメラは十分に強い。
 ラァスはどうするつもりか。いつでも殺せる準備をしながら、ディオルはぎりぎりまで耐える。シアがその身をさらしているのだ。信用しないのはシアへの侮辱。
「繋がれし永劫の罪人よ 我が望むは両の壁」
 ラァスが呪文を唱え、解き放つ。やつは現れた目に見えにくい壁に囲まれる。
 この術は結界ではない。罪背負う神を封じている壁の召喚術だ。
「まさか……」
 この術はとても扱いが難しい。神々の作り上げた牢獄の壁の一部を召喚するのだ。防御としては完璧だが、消耗が激しい事では有名。
「シアさん、そんなことが可能だったっけ? 僕は使わないからよく分からないけど」
「り、理屈的には可能です。ただ、ものすごく繊細な技術がいります、召喚した壁をあんな微移動させるなんて」
 しかし、現に動いている。左右の壁が、上下前後の壁に沿って、内へ内へと。
 奴には声がない。オプションとして喉を改造し、酸を吐くようにしてあるのだ。それ故に声が出ない。しかし、みしりみしりという音と、人の頃を思い出したかのような恐怖に歪む顔。これがどれほど残酷なことか、この男は分かっているのだろうか?
 溺死などよりも、徐々に圧死する方が何倍も恐ろしい。意識が遠のいたりはしないのだから。
 しかし、そこからは一気だった。
 ぐしゃりと完璧につぶれ、それを人々が認識するよりも早く、すべてを焼き尽くした。
 人はディオルを残酷だと言う。しかし、殺すときは、一思いに殺してやる。憎い相手でない限りは、一瞬ですむ方を選んでやる。憎ければ、いくらでも拷問してやるが。
「ああいうのはね、修正の余地がないぐらいにしてやるのが一番なんだよ」
「パパ、素敵」
 バルコニーからラァサが手を振った。
 ──デューク、本当にあれを嫁に貰うのか?
 自分なら、絶対にお断りである。
「ロウム様、素敵」
 ディオルは、シアの言葉に我が耳を疑った。
「姫君、とりあえずもどりましょう」
「いえ、私はけが人の救助に参りますわ。これでも、回復のプロですもの」
「そうですね。では私もお手伝いしましょう」
 ラァスは微笑みシアの手を取る。シアは頬に手を当て恥ずかしげに頷いた。
 ──なっ!?
 ディオルは我を忘れてその様子を凝視していた。
「シアねーちゃん、昔から年の離れたかっこいいおじさん好きだったもんなぁ」
 言うのは、放浪の愚者ユーノ。カーラントの三神器の一つ、放浪の杖に選ばれた少年。
「シアさんは、年下が好きなんじゃなかったのか!?」
「よくわかんない。でも、ほら。父親があんなんだから、ある意味その反動?」
「父親?」
 ここの元国王。シアが最も嫌い人間。
「うん。ワーズっていう金髪碧眼のおっさん」
 そういうことか。
 ディオルは密かに冷や汗をかいた。

 

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