黒の魔道師     1話

           2

 

 鏡の前に立っていた彼は振り返った。
 いつものだらしなさなど微塵も感じさせぬほど、正装をそつなく着こなしていた。黒を基調とした、キザったらしいの一歩手前で踏みとどまるような服装だ。特注らしい。
「どうだ?」
「わー、お似合いですぅ」
「子供ががんばっておめかしした結果にしては、上出来……」
「きゃあ、アシュター様!?」
 エリキサは突然倒れたアシュターを揺り動かす。アシュターの額は、ぱっくりと割れていた。慌てて傷を塞いでやる。
 ディオルは人間のくせに、時々呪文も唱えずに魔法を使うことがある。正直、驚いている。
「ふん」
 彼は血を流すアシュターへと、冷笑を向けた。
「ダメですよぉ。今のディオル様はちょっと興奮しているんですから」
「そんなにあの女に会えるのが嬉しいのか?」
「いつもいちゃいちゃしているお前に、何が分かる!?」
 何の苦労もしていない子供に何が分かると言い返す事が出来たら、きっと心は晴れやかになるだろうに。さすがに、そこまで命知らずにはなれない。
「しかも、戴冠式は明日だろう?」
「王の一応は友人である僕が、一日早く行って何の問題がある? っていうか、今日でもむしろ遅い! もっと早く手紙を見ていれば……くそっ」
 ディオルは地団太踏んだ。
「というわけで、行くぞ、エリー」
 エリキサはなぜか彼の供として連れて行かれる。従者である以上華美な服装ではないが、上等の生地のドレスを着ていた。
「じゃあアシュター様、お留守番お願いします」
 アシュターは小さく頷いた。彼は下半身が『蛇』である。さすがについていく事は不可能だ。寂しいが、お留守番してもらうしかない。
「土産を頼む」
「何がいいですか?」
「食い物」
「はーい。おいしそうなものを見繕ってきます」
 きっと美味しい物が山のようにある。きっと彼も気に入るものがあるだろう。
「お前ら……一応神族端くれだったこともあるんだろう……。もう少しさぁ」
「食べ物を美味しいと感じるのに、神も人間もありません!」
「ああ、そう」
「色気に目が眩んでいるディオル様には、言われたくないですぅ」
 ディオルは舌打ちする。そしてそれを忘れるかのように宣言する。
「行くぞ」
「はーい」
 ディオルは転移用の魔法陣へと足を向けた。

 デュークは部屋を見回し、ベッドに腰掛けた。
 女性らしい、ヌイグルミとレースが溢れかえった可愛い部屋。
「いいの? 妹の部屋に勝手に入った挙句、そんなところに座って」
「シアは気にしないだろう」
「そんなこと言ってるから、娘や妹に嫌われるようになるの」
 ラァサは向かい合う形で、デュークの膝の上に乗る。
 デュークは顔に似合わず逞しい身体をしている。今でも最低限の鍛錬はしているようだ。
「……されたのか?」
「そーよぉ。人のアルバム見てさぁ。男の子と一緒に写ってる写真見て怒るの。自分は妻子持ちのくせに大量に貢がせてるのにさぁ。私がプレゼント貰うと、その男チェックするのよ。本命はデュークだけだって言ってるのに」
「お前ら……」
 デュークはなぜか目を細めてラァサを見た。
 赤い瞳が、ラァサを写していた。彼の邪眼は少しだけ黒味がかった、とても深い赤い色。ちょうど、ワインのような色をしている。とても綺麗。
「……しっかし、あんたが王さまねぇ。世も末だわ」
「安心しろ。片割れは真面目だ」
「本当に真面目そうな人だったわね。あんたとは違ってさ」
 その言葉にデュークは小さく笑う。
「そうか」
「嬉しそうね」
「あれに似ていると言われるのも腹立たしいからな」
 顔どころか、体格もあまり似ていない。デュークの方が綺麗だし、背も高い。きっと二卵性なのだろう。なのに、なぜ似ているなどと言われるのだろうか。
「変なの。デュークの方がかっこいいのに」
「そうか」
 彼はラァサの腰に手を回す。
 ──あ、なんかいい雰囲気?
 いつもいつも誰かに邪魔されるのだが(主に父と、悪友)、今日はその父にも内緒でこっそりとデュークに会いに来たし、あの忌々しい悪友もこんな場所にいるはずがない。
「デューク」
 自然と、顔が近付く。
 その時だ。
 ドアが開いた。
 ──ちぃっ。いいところを。
 妹が帰ってきたのかと思い、振り向く。
 写真では見た事があった。デュークが溺愛するのも理解できる、絵に描いたような完璧な美少女。その程度の認識だった。
 だが、実物は違った。
 写真以上だった。人間離れしている。例えるならば、妖精のような雰囲気を持っているのだ。
 ──ほんとに純潔の人間なの?
 そう疑問に思ったとき、その背後から、見知った顔が現れた。女性的な顔立ちをした最強の若作り男。
 父だった。
「げ、パパ」
 今は、ものすごくまずい。この体勢だ。誰であろうが、いい感情は持たないだろう。
 父はうつむき肩を震わせていた。怒っている。いつもならとっくにデュークへと斧で切りかかっている。
「お久しぶりです」
 デュークもやや顔を引きつらせて頭を下げた。彼は父が苦手だ。いつも敵意を向けられているのだから、当然といえば当然の話だ。
「や、やあ。久しぶりだね」
 驚いた事に、父は引きつったものではあるが、笑みすら浮かべてそう言った。
「なにっ!? ま、まさか体調でも悪いのか?」
「そっか。クリス様に念押しされてたから」
 彼の上司というか仕える主は、父に何やら半日ほど説教をしていた。あれがきいているのだろう。
 常に出会い頭に攻撃され続けてきたデュークは、父の変貌に目を剥いて驚いていた。そんな表情も、格好いい。
「お兄様。その方は?」
 デュークは小さく息をつき、ラァサを抱えて立ち上がる。ラァサは自分の足で床に立ち、彼の妹へと向き直る。
 本当に綺麗な少女だ。デュークが溺愛する気持ちがよく分かる。
「ラァサだ」
 デュークは少しだけ視線を逸らし、
「近いうち、結婚するかもしれない」
 その言葉に、父の表情が引きつる。怒っていた。しかし、そのような事はどうでもいいような現象が起こる。
 シアの目から、突然涙が零れ落ちた。
「そんな……」
 漂う悲壮感。
 血は、繋がっていないらしい。
「おめでとうございます、お兄様。私との事はお忘れになって、どうかお幸せにっ」
 そういい捨てて、シアは顔を覆いながら踵を返し、来た道を走り去る。
 ラァサは追おうとするデュークの服の裾を掴む。
「シアさんとの事って何?」
 ラァサはデュークの胸倉をつかみ締め上げる。デュークは青ざめていた。ラァサの力は見た目に反してかなり強い。
「ご、誤解だ。身に覚えはない」
「へえ。身に覚えがないのに、あんな風に泣かせられるわけ?」
「そ、それは……っく」
 デュークは突然ラァサを抱えて飛び退った。
 デュークが先ほどいた場所に、父の斧が突き刺さっていた。斧と言っても長柄斧で、槍のようにも使うことが出来る。
「貴様っ。うちの娘というものがありながら、あんな美人にまでっ」
「パパ。うらやんでどうすの!?」
「ん。パパも男だから、ああいう美人な妹とか憧れるから。しかしそれにしたって、その誘惑に負けるような男に、可愛い娘を誰がやるかっ」
 ついにいつものように喧嘩を売る父。どうやら、説教も無駄であった様子だ。
 その時だった。
「貴様らっ! 僕のシアさんに一体何をした!?」
 突然現れたのは悪友こと、お邪魔虫第一号、兄弟子のディオル。今日はいつもの黒のローブではなく、黒を基調とした正装だった。そのような姿で、なぜか片手にディオル作、デューク飼い主の翼の生えた猫のロロを持っている。
 本当にゴキブリのようにどこにでも現れて邪魔をする男だ。
「僕のだと?」
 現状を忘れ、ディオルを睨みつけたのはもちろんデューク。
「貴様。シアとどういう関係だ?」
 絞め殺しかねない鋭い目でディオルを睨む。邪眼は人を殺すことも出来る。しかし、それはディオルにはきかない。彼にっては邪眼よりも、その殺しの技に近いものを持つ彼の手の方がよほど脅威だろう。
「ふふん。好きに想像するがいい」
「まさか、写真を見て一目ぼれし、ストーカー行為を続けているとか!?」
 そういえば昔、ストーカーの類が多かったので心配だと、のろけるに近い表現で心配していた事があった。デュークの妹が、そこらのストーカーにどうこうされるはずもないと言うのに。
「誰がストーカーだ。ストーカーの大半はもうすでにこの僕が排除した。あんな醜い欲望の塊と一緒にするな。僕は純粋にシアさんを……」
 そして、なぜか恥ずかしそうに頬を赤らめる。
 その異様な光景に、デュークの浮気も忘れさり、親子共々後退る。
「ちょ……どういうこと?」
「ディオル君が、あんなに人間味のある反応をするなんて……。美人って、すごいね」
 一時期毎日顔を着き合せていた身としては、彼のあの反応は奇跡だ。彼は常に身勝手で人の事を気にせず、唯一耳を傾けるのが両親と、彼が師と一応認めているカロンの言葉だけ。人は平気で殺すし、人が困っていても見向きもしない。興味がある事以外は絶対に手を出さない。気に入らない人間は、何か実験的な呪いをかける。そんな男なのだ。
「おい、ラァサ。何があったんだ?」
 その言葉で、ラァサは我に返る。
「デュークがね、浮気したの。シアさんと」
「なにぃぃぃぃい!? 貴様、兄を名乗っていたから安心していれば……」
 その瞬間、デュークの敵が一人増えた。
 半殺し決定。

 その様子を見て、マシェルは笑う。
 いい気味だ。デュークも運がいいとは思えないが、マシェルよりも扱いがいい気がしていたので、こういうものこそ待っていたのだ。
 知らない男の子が乱入してきたときに捕らわれていた翼ある猫のロロは、デュークの浮気話を聞いて逆上した少年に放り出された。それを受け止めてやると、腕の中でぷるぷると震えて可愛かった。
「大丈夫?」
「はい。申し訳ありません。とんでもない方を貴方様の前にお連れする結果となりました」
 このロロは王であるマシェルに対してとても慇懃だ。しかし、嫌味がないのであまり気にならない。可愛いから。犬もいいが、やはり猫も可愛い。
「いいよ。不幸になってるのはデュークだから」
「しかし……」
 猫の困った顔は可愛い。いやむしろ、何をしても可愛いのだが。
「でも、あの怪しい人は誰? シアさんの友達みたいだけど」
 ロロは首を横に振る。
「シア様と友達など、とんでもありません。あの男は悪魔です」
「ロロ……何されたの?」
「私はあの男に作られました。大きいだけのキメラには飽きたから、小さくて賢いキメラを作り、成功した結果が私です」
 マシェルはディオルと呼ばれた少年を見る。まだ子供の範囲内だ。
「あの子が?」
「はい。私の兄弟は、あの男に殺されました。ご主人様に拾っていただけなければ、私はきっとろくでもない金持ちに売り飛ばされていたでしょう」
 それでロロはデュークに飼われているのだ。
 デュークはどうやら猫が好きらしい。ロロではないほかの猫を、シアを見るときに限りなく近い目をして見ていた。ただし、逃げられていた。
 その間にも、三対一の喧嘩が始まっていた。デュークは必死になって逃げ回る。あれでよく死なないものだと感心する。斧を振り回す怪力男と、呪文を唱えるどこかで見た事があるようなタイプの魔道師。ついでに素人とは思えない動きをする、素手の美少女。
「しかし、いいのでしょうか? シア様の部屋で乱闘を起こしても」
「そうだね。おーい。この部屋で暴れると、後でシアさんに怒られるよ」
「そういう問題か!?」
 おそらく、窓が開いていれば飛び出ていただろう。室内で逃げ回るよりも、広い場所を逃げ回る方が簡単に決まっている。しかし、突き破って外に出る度胸もないのだろう。それこそ部屋が散らかる。
 マシェルは身の危険を感じ、廊下へと避難する。
 廊下ではディオルの連れの少女が、無意味に微笑みながらも隠れていた。関わるつもりは無いようだ。
 乱闘者たちはマシェルの言葉を聞き入れたのか、武器呪文を使うのをやめた。これで最悪の結果は間逃れる。殺されてはたまらない。死なない程度に不幸になるだけでいいのだ。
「止めなくてもよろしいのですか?」
 ロロが問うた。
「いや。自分が不幸になりたくないし。ひょっとして、心配?」
「はい」
「主人思いなんだね」
 賢い上に可愛い。
 ──僕もこんなペット欲しいなぁ。ここって犬とか飼ってもいいのかな?
 動物アレルギーで近寄るだけでもダメだという人は多い。それがいないか確かめてから、小さな犬を飼ってもらおう。王様なのだ。それぐらいの贅沢はしてもいいのだろう。きっと。大きな犬だと、いろいろと壊しそうなので、やはり小さな犬がいい。
 ──そういえば、エルマも室内犬が欲しいって言ってたな。
 マシェルは想像してへらりと笑う。
 その頃には、デュークはぼろぼろになっていた。
 気にしない気にしない。
 たまには自分以外の誰かが不幸になるのを見るのはいいものだ。それがデュークであればなおさら。
 その時だ。
「マシェル兄ちゃん。あの人たち、何してるの?」
「あら、ディオル様まで」
 ユーノとエルマの双子だった。二人は室内の様子を見て、やけにのんびりと驚いた。この双子は、基本的にのんびりとした性格をしているのだ。
「いや。なんかシアさんのいつものあれ……『私のことは忘れて、どうかお幸せにって』ってやつ」
 それにぽんと手を打つ双子。同じ双子にも関わらず、こちらはなんて双子らしい双子なのだろうか。
「ああそっか。それでシアねーちゃん、腹抱えて笑ってたのか」
 想像通りだった。
「ちょっとまて!?」
 唐突に乱闘が中止された。
 ──耳のいい人たちだな。
「いつものって、どういう意味だ!?」
 マシェルは返答に困る。それを見て、ユーノが言う。
「いや、シアねーちゃんって、人の恋路を邪魔するの好きだから」
「本当に大好きよね。その程度で壊れるカップルなら、子供が出来る前に別れておいた方がいいって」
 二人は朗らかに言う。
「貴様……」
 デュークに睨まれる。
「知っていて……」
「ほら、シアさんの楽しみの邪魔すると、後が恐いし」
「確かにそんな気もするが、普通仮にも『兄弟』とやらがひどい目に合っていたら、止めるだろ!?」
「止めないくせに」
 その言葉に、デュークは沈黙する。
 いつくか心当たりがあるようだ。
 そんなデュークへと、ラァサは気さくに語りかける。
「なぁんだ。冗談だったの。ごめんね、デューク」
 次にラァスがデュークの方に手をかけ、
「いやぁ、信じてたよ」
 大うそつき。
 反省したのか、二人は同時にデュークへと回復魔法を掛け始める。
 デュークが仮にも王だという事を思い出したのかもしれない。
「当然だ。シアさんが、そんなことを許すはずもない」
 ある意味、一番真剣に怒っていたように見えるディオルが遠い目をして言う。
 ──シアさんの本性知らないのかな?
 少なくとも、お茶目な人である事は理解していないらしい。今日理解しただろうが。
「まったく……どいつもこいつも……」
 デュークは小さく舌打ちをする。
 しばらくすると、妙にすっきりした顔をして、お茶の用意をシアが持ってきた。
 女は恐ろしい。

 小さく息をついた。
 美味い。
「シアさんの入れたお茶は絶品だ」
 ディオルはいかにも高そうなカップに、シアの手によって注がれた紅茶を飲み干した。
 お邪魔者が何人もいるが、まあよしとする。
「おかわりはいかがです?」
「ありがとう」
 シアは目が眩むような美しい笑顔でディオルの横に立つ。
 ここはシアの部屋の前にあるテラス。白を基調としたテーブルで、お茶と焼き菓子を皆で食べている。庭がやや荒れているのは仕方がないだろう。
「そうだシアさん。これを」
 ディオルは影にしまっておいたバラの鉢植えを差し出した。
「まあ」
 シアは頬に手を当て、それを見る。
「ありがとうございます」
「っていうか、なんで鉢なの? 普通花束じゃない?」
 どこぞの馬鹿女は無視。
 シアは鉢植えを受け取り、優雅に礼をする。本当に華やかな女性だ。その上魔力も高く、賢者としての知識を使いこなす頭もある。本当に素晴らしい女性。
「喜んでもらえると嬉しいよ。致死量を間違えないでね」
「おい待て」
 隣に座っていたデュークがディオルの肩を掴む。
「バラで致死量というのはなんだ?」
「ふん。薬も過剰摂取すれば、毒になるということだよ」
「答えになっていないぞ」
「シアさんの永遠の美貌に貢献しているだけの事だ」
 その言葉に、デュークは諦めて肩をすくめた。
 シアは鉢植えを地面に置く。後で植え替えるのだろう。
 作った甲斐があった。
「そういえば、今日はディオル様、髪を下ろしていらっしゃいますね。いつもの三つ編みも可愛いですけど、おろしていらっしゃっても素敵ですわ」
 わざわざブローした甲斐があった。
 実際にブローしたのはエリキサだが。
「というか、お前は何しに来た?」
 ふて腐れている大人げのないデュークは、焼き菓子を二つに割りながら問う。
 ──何をしにきたのだっけ?
 シアに会いに来たが第一目的だったので忘れていたが、もう一つ目的があったような気がした。
「ほら。ご両親から渡すように手紙にあったじゃないですか」
 エリキサが言う。
「そうだったそうだった。ほれ、うちの両親から」
 デュークに一振りの剣を差し出した。
 銀の聖杯だ。儀式的な意味合いの強いもので、売れば一財産になる。本当はうっぱらって研究資金にしてやろうかと思ったほどだ。
「これで用が済んだんだな? ではとっとと帰れ」
「嫌だね。僕は明日までいるよ。代理だから」
「ちっ」
 相変わらず嫌味な男だ。
「明日が楽しみですわね、お兄様」
「憂鬱だ」
 やはりデュークは王になる事を望んでいないようだ。当然だ。彼は目立つのが苦手だ。戴冠式ともなれば、目立たないほうがどうにかしている。
 いい気味だ。
 明日はずっとシアと共にいよう。横にいるだけでも幸せなのだ。
「さて、明日が楽しみだ」
 ディオルが笑うと、なぜかエリキサがため息をついていた。
 本当に失礼な連中だ。


 

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