大地の愛でし子 

 


 輝きが手に絡む。
 その周囲にはうっすらと闇の帯が見える。それには光の文字が浮かんでいた。
 これが何であるのか彼にもよく分からない。師は言葉で説明できるものではないと言った。長く生きると漠然と理解できるようになると。
 一つ目の帯はすでに光となっている。二重目のこれは、今から光となる。
 それらが行われるのは瞬く間。
 二つの『魔法式』と呼ばれる立体魔法陣は、彼の手に絡み光となる。
「癒しの光よ」
 言葉というものには大した力はない。しかし小さなきっかけにはなる。
 この帯に力を持たせる程度の力はある。
 光は手元で大きくはじけ、手をかざしていた先に広がり、横たわる人の全身を包む。流れていた血は止まり、死の色が薄れ、生の色が見える。生命が垂れ流されていると、なんなとなくわかるものだ。それを義理の兄は死の色と呼んでいた。
「あぁ……あああ、ぁあ」
 光に包まれた男が小さく声を出す。
 死の淵から引き戻され、そのショックで混乱しているのだ。棺桶に片足を入れると、人は何かいい物を見るらしい。その瞬間、そこから現実に戻されることがショックなのか、現実に戻れて喜ぶから混乱するのか、それは分からない。そのままにしてあげた方が親切なのかも知れないが、泣く母親のために彼は引き戻された。
「もう大丈夫かな」
 彼は立ち上がり、男の連れに笑みを向けた。
「神官様、あ、あぁあ、ありがとぅござますっ」
 震える手で男の手を握りしめるのは、母親らしき女性。涙が顔が汚れ、舌が上手く回っていない。
「いえ、偶然通りがかっただけですから」
 母親らしき女はよほど混乱しているのか彼の手を握りしめたまま固まったままだ。
 息子が目の前で馬車にひかれたのだ、無理はない。ひき逃げした馬車は、そのうち捕まるだろう。
「落ち着いてください。彼をここに寝かせておくわけにはいきませんから、移動しましょう。おうちはどこですか? 血をかなり失っているしショックもあるから、ベッドに寝かせてあげないと」
 彼は女の顔をハンカチで拭いそっとその手をほどき、中背だが筋肉質な男を背負う。
「ああ、およしください」
「気にしないで、力だけがとりえだから。おばさんのうちどこ? 近い?」
 彼が尋ねると、女は彼を拝み、そして案内しようとした。
「ラァス様、そのような事は私が」
 彼の連れが近づいてきて、男を取り上げようとした。連れは彼よりは大きいが、それでも決して大柄ではない。細身で運動などほとんど行っていないことは見れば分かる。
「いいよ、あなたよりも力あるし」
「そんな、私が叱られますから」
「どうして?」
「あなたを丁重にお迎えしろと命じられております。どうぞ、我々にお任せください」
「男はあなた一人でしょう。この人はあなたよりも大柄です。一人では運べないのは目に見えてますよ。別に誰も叱らないし、叱るはずもないから黙って待っていて。すぐ戻るから」
 彼──ラァスは女性を促し、歩き出す。
「あちらでございます」
「あ、ほんとに近いね」
 歩いて一分ほどだった。この男も家のすぐ側で馬車にひかれるとは運がない。女は玄関の鍵を開け、彼を招き入れる。ついてきた迎えの者達には外で待つように言い、ラァスは中へ入る。
「どこに寝かせればいい? ベッド?」
「こちらへ」
 女に言われるがまま、古い毛布を敷いたソファに男を横たえる。
「しばらくすれば目が覚めると思うよ。目が覚めるまでいたいけど、外の人たちがおっかないから僕は行くね」
「あの……神官様」
「僕はまだ神官じゃないよ。ただの見習い」
「見習いで……あのような術を?」
「元は魔女の弟子だったから」
「そのような方が、なぜここまで……」
 彼女は息子の側を離れ、ラァスの前に立つ。
「なぜって、できるからするんだよ。どうせ大した用はないし」
 せいぜい人を待たせるだけだ。
「じゃあ、息子さんによろしくね。いい年なんだから、飛び出しなんかしちゃダメだよって、伝えて」
 ラァスは玄関へと足を向けた。
 きっと、不機嫌な迎えの神官達を思うと、少し愉快だった。


 ラァスの乗る馬車が到着したのは、それから十分後。そこには関係者がずらりと並んで道を作っていた。門から神殿の入り口まで、そしてさらに神殿内にも人が見える。
 大げさな出迎えに、ラァスは困惑する。
 ──こりゃ、みんなが慌てるのも無理はないなぁ。
 皆が叱られないようにしないと恨まれるかも知れない。言い訳は適当に考えよう。
 馬車から降りると、頭の白い神官が歩いてくる。顔に刻まれたしわは深いが、腰は真っ直ぐ伸びている。くすんだ黄金色の瞳は温かく、柔和な顔立ちをしているが、逆らいがたい威厳がある。この地神殿最高位の神官、大神官シーロウ。これからラァスは彼から神官としてのすべてを学ぶ事となる。
「ラァス様、ようこそ」
「こんにちは、シーロウ様。お元気そうですね」
「途中で何かあったようですね。小柄な神官が大男を抱えていたと聞きましたが」
「え、もう話が来てるんですか? 都会はすごいですね」
「迎えにやる者だけが迎えではありませんから」
 シーロウは侮れない。ラァスは彼の認識を改めた。
「でもすごいお出迎えですね。驚きました」
「ラァス様は地神様の選んだお方。私たちにとっては地神様の使いに等しいお方です」
 大げさな言葉にラァスは閉口する。
 地神に見初められたのは本当だが、せいぜい犬猫を拾う感覚だった。
「さあラァス様、こちらへ」
 ラァスは人々に見つめられ、身を縮め込ませたい気持ちで、背を伸ばして歩く。
 皆が彼を見ている。
 彼の金の聖眼と呼ばれる、地の力を持つ黄金色の瞳を。
 神官達はラァスを見て囁き合う。
「シーロウ様の瞳よりも鮮明な金色だ」
「ああ、まるで地の精霊のようだ」
 褒められるのは嫌いではないが、シーロウと比べるのはあまり気分が良くなかった。
 外見が無垢な少年であるため、皆ラァスを見て勘違いをする。
「ラァス様、お気になさらず」
「はい」
 シーロウに手を引かれ彼らは神殿内に入る。
 神殿関係者以外の見物人も多い。彼らはなんと聞いて集まっているのだろうか。ラァスはそれらを極力気にしないように前へと進む。
 ラァスは宝石と像で飾られた身廊を歩く。
 この国は有名な宝石の産出国であり、様式自体はどこにでも見られるタイプの神殿なのだが、その飾り方は誰もが驚きため息をつくほど贅沢なものだった。
 以前一度だけここに来たことがあったが、その時はなんと華美な神殿だろうと感動した。しかし今は奇妙な印象を受けた。そこに何かの宿る力を感じるのだ。
「長い間人々を見つめ、愛されたものには魂のようなものが宿ります。精霊の一種であったり、人の魂のかけらであったり」
「どうして……」
「一度目では、分からないのですよ。一度目では皆警戒するのです」
「気を許してくれたのかな」
「そうでしょう」
 ラァスは無類の石好きだった。宝石だけでなく、河原にある石も宝石と同じほど好きだった。石に認められるのは人に認められるよりも嬉しい。
 その心地よい気配を感じながら歩くと、あっという間に内殿へと到着する。祭壇の前には一人の女性が立っていた。黄金の髪に涼やかな青い瞳の美しい女性だ。
「レイア様」
 地神に直接使える巫女レイア。地神が最も愛する女性。人でありながら神と等しくなった女。地神の妻。彼女とはほとんど話した事はないが、気さくな性格だけは分かっていた。
「ようこそラァス」
 彼女は唇を笑みの形にする。
 シーロウは彼女へとまるで呪文のような内容の理解しづらい言葉をかけ、叩頭する。ラァスはそれにならい、他の神官達も彼女へと叩頭する。
 レイアが儀式めいた呪文を唱え何かを清め始めた。それがすむとシーロウはラァスを立たせ、背を軽く押す。
「彼女の前へ」
 ラァスはレイアの前へと進み出て、彼女の前に膝をつく。
「大地はお前を歓迎する」
 レイアはラァスの手を取り、金の腕輪をはめた。地の紋章と赤と青の宝石が二つ並んでいる。ラァスには少し大きかったそれは、レイアが撫でるとラァスの腕に合うサイズになる。手からは抜けないだろう。
「これは地神様からよ。地神様のものである印」
 レイアの腕にも同じものがある。シーロウの腕にもあった。高位の神官の証明となるのだろうか。
 レイアはラァスの背に手を添え、ラァスが来た道を少し戻る。
 皆が見やすいように。
「この者はラァス=ロウム。シーロウの後にと、クリスフィア様が選定した者だ。まだ未熟故、これから皆、彼に色々と教えてやって欲しい」
 ラァスはぎょっとした。
 彼女はラァスの本名をフルネームで皆に伝えた。
 彼の名はこの国では望ましくない形である程度通ってしまっている。
 俗世に疎いこの中にも、覚えのある者もいるだろう。
 数ヶ月前、ラァスはこの国の武術大会に出場し、仮ではあるが優勝した。その時彼は本名であるこの名で登録していた。
 それだけなら問題はない。
 変装のため、女装して参加していなければ、何の問題もない。
「ラァス……ロウム」
 その名が人々の口から発せられ、ラァスを見つめた。
 その時彼は化粧で目を垂れて見せていた。魔術で瞳の色を青く見せていた。華やかな色のドレスを着て、髪に癖をつけて結っていた。
「あの時の女の子に似ている」
「名前も同じだ」
「女の子なのか?」
 ラァスは困ってレイアを見た。彼女はにっこりと笑い、言った。
「あとで自分で何とかしてね」
 ──ひどい。
 彼女の旦那や娘の性格を考えれば、彼女の性格がアバウトであることぐらい、考えておくべきだった。

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