大地の愛でし子 



 長い回廊を行く。
 神殿のものは華美できらびやかだが、ここには独特の雰囲気がある。同じ国なのに、様式が違うのだ。
 なんでもここが作られたのは数千年も前のことらしい。神殿よりも歴史が長いそうだ。とてもそうは見えないほどしっかりとした城だ。老朽化の影も見えない。
 地神の加護を持つという意味は、人の常識を越えるらしい。
 彼はかぶっていたフードを押し上げ、城の内装をつぶさに観察する。
 この城は王宮であり、実質的には地神の神殿でもある。
 地神クリスフィア。クリスファス。他色々な表記があるが、親しい者は皆彼の事をクリスと呼ぶ。本来の音が人間には発音できないためにこの現象は起こっているらしい。他の神々と違い、彼は人と接する事が多いのも原因だ。彼の口から直接名を聞いた者が増えれば、表記がその分増える。受験生泣かせの神とも言われているのは、なかなか面白い。
 地神はクロフィアの城に住み着いているため、その王族とは深い関わりがある。彼が守護する場にすっぽりと収まるこの国を彼はよく思っている。言い方を変えると、国が変わるのを嫌い加護していると言ってもいいだろう。大きくする事もなければ、小さくする事もない。それらをけっして許さない。人間の治世に大きな干渉をしてはならない神という存在が、己に許された最大限の干渉力をもってしてこの国を維持しているのだ。
 それは数千年もの長い間に渡る事だ。よって、王族は彼の姿を見る事が多い。彼を見て、己の小ささを分からせる理由から、彼は政治に関わる者に自身の姿を好んで見せる。
「この国の安定は、クリス様の力そのものなんですよ」
 歩きながらヴァルナはラァスに言う。黒髪に紫の瞳の長身の優男だ。彼の立場というものは、ラァスにはよく分からない。大地の国とすら呼ばれるこの国で、時神殿の神官をする彼が城に来る理由は想像もつかない。
「隣のカーラントは太陽神の守護地にあり、世界にとって大きな要なんですけど、その一点以外はまったく干渉されていないのだから、地神様の根気強さが伺えます。人間に付き合うのは、神にとってけっこう忍耐と根気が必要なんです」
「どうして?」
「人間はあっという間に死ぬでしょう? 慣れてきたと思ったら代が替わって、その度に教育をし直さなきゃいけない。人付き合いのいい風神様や水神様ですら投げ出していますよ」
「え、風神様って、女遊びが好きだから国なんてどうでもいいんじゃないの?」
「そんな事ないですよ。いくらなんでも偏見を持ちすぎです。あれでも要所要所は押さえている、立派な方です。だから支配者の一族は替わっても、国は変わっていませんよ」
「そーなんだ」
 ラァスは彼が興味もなかった話をきいて、それを当然の事として知るヴァルナを横目で見る。彼は物知りだ。魔道師としての彼は、おそらく世界一の実力と経験の持ち主だろう。彼は千年生きた魔道師の生まれ変わりで、その記憶を今も保持しているのだから。
「ヴァルナさんはどうしてそんな事を話すの? 神官になろうってのに知らない僕が悪いんだけどさ。僕は無学だから」
 この国に来たのは昨日の事。怒濤の一日を終えたと思えば、まだ部屋の整理すらすんでいないのに、朝起きると同時に彼が迎えに来た。いや、彼が来る事によって騒いだ女性たちの声で起きたというのが正しいか。
「これから関係するかもしれないからですよ。うちのボスにたのまれた以上は、期待される事を超える成果を出せなければ、無能の烙印を押されます。ヒマさえあれば知識をたたき込むのでそのつもりでいでください」
「ふーん、意外に真面目なんだ」
 彼はふざけた態度が印象深い。口調も丁寧語だが、ふざけている。だから仕事態度も同様だと思っていたのだが、そうでもないらしい。
「君が見た目通り女の子だったらもっと楽しかったのに」
「それは残念だね。僕もあなたが通りすがるお姉さんを口説かないまともな人だったら楽しかったのに」
 ラァスは基本的に不真面目な彼の言葉に嫌みで返す。彼は主である時の女神の命令がなければ、こんな場所まで案内する事もなかっただろう。時の女神に関われば、彼は真面目になるのかもしれない。
「言いますね。それぐらいの気持ちでないと、これからやっていけませんよ。地神様といると、疲れますから。地の加護を持つ者は、だから頑丈にできているのかも知れませんよ。」
 地神と頻繁に会うには、王族以外の条件もある。
 地のに属する力を持つ事だ。地の加護を受ける者は近くに置き、特別扱いをする。
 彼は聖眼と呼ばれる、特殊な目を持っている。地の聖眼とも呼ばれる黄金色の瞳は、地神の目に止まり、ラァスはその特別扱いを受けていた。


「あっちは兵士の宿舎。んで、あれが訓練中の兵士達です」
 ヴァルナは不本意と顔に書いてそれを説明する。
 これから必要だと、通りかかった場所についても説明してくれる。女性が多い場所だと上機嫌で、男性が多い場所だと普通に、そして汗くさい場所では不機嫌になる事がわかった。
「手狭に見えますが、中に入るととても広いんですよ。魔道の技術を駆使して、空間の拡張と防護結界が施されていて、ある程度大きな魔法の実験もできます。こんな場所が、宮殿内にはいくつもありますから。
 地神様の住まわれる地下神殿は、ここを通り過ぎるのが一番近いんですよ」
「地下神殿なんだ」
「まさか、人目のある場所には住めないでしょう、仮にも神が。
 本来ならこんなごみごみとした場所に住む必要もないのに、わざわざ隠れ住むなんて俺には理解できませんね」
「確かに威厳がなくなるね」
「俺にはどうだっていいことなんですけど、うちのボスには都合がいいみたいですよ。クリス様は変な干渉はしてこないから」
 そんな会話を交わしながら進んでいくと、訓練中の兵士達が近い廊下にさしかかる。ラァスはそれを見て、大したことがないと思う自分に呆れた。昔の自分なら、そんなことは思わなかっただろう。最近の運動能力の向上が、常識を逸脱したものだからそう思うようになったのだ。
「あ、てめぇ!」
 野太い男の声が響く。
 フードの下からは見にくいので、少しずらして……
「やば」
 ラァスは慌ててうつむいた。
 向かってくる男に見覚えがあった。数ヶ月前、彼が地神の目に止まるきっかけとなった武術大会で、場外に投げ飛ばした男である。滑稽さを演出していたので、彼にとって自分は恥をかかせた者だ。相手は自分に対していい思いを持っていないだろう。
 あの時は変装をしていたが、記憶が薄れるまで、顔を見せてはいけない。成り行きで神職についてしまった彼には、かつてとは違い世間体というものがついて回るようになった。
 昔は気軽に女装をして罪のある中年男性に貢がせていたものだが、それは暴露されてはいけない過去である。女装して武術大会に出ていたというのも醜聞である。
 なんとしてもラァスの顔を忘れるぐらいまでは正体を隠さなければ。
「行こう」
「はい」
 ヴァルナの言葉にラァスは足を速める。しかし相手は止まらない。先回りして、ラァス──ではなくヴァルナを睨み付けていた。
「まて、そこのひょろいの!」
「ひょ……」
 ヴァルナの笑顔がわずかに崩れた。
「てめぇ、よくものこのこと顔を出せたもんだな! えぇっ!?」
 名も知らぬ大男は、ヴァルナの前に回り込み、彼の腕を力任せに掴んだ。
「何でしょうか」
「てめぇ、よくも俺の女に手を出しやがったな!」
「はぁ? お前の女?」
 ヴァルナは男の全身をさっと見回し、くつくつと笑う。
「何のことだか」
「とぼけんじゃねぇ! レイリアを忘れたとは言わせねぇぞ」
「レイリアって、この国に何人いると思ってるんですか」
 地神の妻となったレイアの名にあやかり、似た名を付ける親が多かったらしく、確かにレイリアなどの名は多い。実際、地神殿で紹介されただけでも二人知っている。
「だいたい、そんなの女性の勝手じゃないですか。俺に言うなんてお門違いですよ。こっちも恋人がいるかいないかなんて見ても分からないんですから。相手が乗り気ならいないと判断しているだけですよ」
「んだとてめぇ、人の女に手を出しておいて!」
「結局、その女性に振られたんですか?」
 男の顔が醜く歪む。ラァスは余計な事を言うヴァルナを睨み付けた。ヴァルナはそんな彼を見て、男を指さす。
「やっちまってください」
「あのあなたは何を考えてるの?」
「いいからやれ」
 低く言う彼の目は真剣だった。逆らうのは得策ではない。彼は強い。ラァスなど殴りかかる前に殺されかねないほどの天才だ。才能のほとんどを隠して生きる彼の実力を、男は知らないだろう。
「ああん、もう!」
 ラァスは男の腕を握りしめる。骨を折らない程度に、ぎりぎりと締め付けていく。
「ぎゃああああっ」
 男は万力のようなその力に悲鳴を上げた。ヴァルナは身を引き、掴まれてしわになった袖を心配する。
「てめぇ!」
 男は懲りずに左手を伸ばす。ラァスはその手を腕から下へ押さえつけ、空いた手で袖をつかみ、相手の軸足に足を添え、横に振る。
「うをっ!?」
 男は無様に転倒する。さすがに受け身は取るが、隙だらけだった。
 ラァスは男の肩を踏みつける。片手はラァスの手の中に。片手はまだ痛みが残り力は出ない状態。この足一つで男を押さえつけるのはたやすかった。
「素人みたい」
「っ!?」
「この人訓練兵?」
「いや、立派な正規の騎士ですよ。平均的なレベルじゃないですかね」
 ラァスは顔をしかめた。これなら女の子でもたやすく返り討ちにできるだろう。
「みんなそんなにレベル低いの?」
「んだとってめぇ!」
今まで黙って見ていた兵達は、仲間をたやすく倒されたのが気に触ったのか、ラァスの言葉に切れたのか、どちらともが原因なのか、がらの悪いだみ声をあげた。
「黙って聞いてりゃいい気になりやがって! 大人を舐めてんじゃねぇぞ!」
 ラァスは顔をしかめる。
 悪いのはヴァルナだが、女性の心をつかめていなかったこの男も悪いのだ。口説くだけなら罪はない。
「ラァス、頑張って」
「なんであなたはそんな遠くに行ってるんですか」
「この長い足で十歩離れただけです。さあラァス君、人に因縁をつけてくる愚者どもをけちょんけちょんにたたきのめしてやりなさい」
「なんで僕がそんなくだらないことを」
「ここでなめられたら、上の方々に叱られますよ」
「僕、関係ないじゃないですか」
「いいから、全員実力の差を分からせてあげてください。そのためにここに来たんですから」
 ラァスは耳を疑った。なぜ神官見習いの彼がそのようなことをせねばならないのか。
「やらないと、可愛い魔獣が待っていますよ」
「ごめんなさい。やります」
 彼の飼う魔獣というのがどんなものかはほとんど知らないが、家畜が火を吐く程度の進化を遂げる育成法を用いれば、おそろしい魔獣の育成に成功をしている違いない。しかも、それの大半が見目愛らしいのだ。それに追い回されるよりは、人間数十人を相手にする方が安全だ。
 ラァスは自身に近づきつつある男に目をつけ、声もかけず覚悟もさせず、一歩目から力を抜かず前に出る。四歩前に出ると足を止め、惰性によるもう一歩前に出ると、男のすぐ目の前だった。鍛えられた太い首を見て、さらにその上にあるあごへと軽く裏拳をたたき込む。彼が本気で殴れば、人の頭などはぜ割れる。
「がっ」
 男の足から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
「次っ」
 ラァスはその後に続いていた男達へと走る。
 未だに理解していない男達はあっけにとられた顔をしたまま、一番前にいた男はラァスの蹴りを腹に食らう。その後ろにいた男はさすがに身構えたが、遅い。蹴り倒した男を踏みつけ乗り越え、そのまま飛んで膝を食らわす。
 四人目の餌食に、こちらに向かおうとして悩んでいた中背の男に目をつけ、走る。容赦は無用。全員大地に口付けさせてやる。それにはやはり、効率のよい方法がひつようとなる。効率がよい壊れていない戦闘不能者にするには、急所を狙うのが一番だ。人に急所は多い。急所とは下手をすれば死んでしまう弱点のことだ。殺しならそれでいいが、これはただ力の差を見せつけるだけであり、死んでもらっては困る。急所の中でも比較的安全な箇所に的を絞り、優しく丁寧に打つ。
 頭はいけない。安全なのは先ほどもしたように脳震盪を起こさせる事。他には……みぞおちに対する一撃。
「ちょっ」
 ラァスは正拳突きを見舞わせる。
 どごっという音がした。男の骨が折れたとか、そういう音ではない。そういう感触ではない。男は低く構え、籠手で受けたのだ。
「へぇ、やる」
 死なないように力を入れていなかったとはいえ、当たる瞬間までは速度を速めるためにそれなりの力を入れていた。籠手もへこんでいる。それでも体勢を崩さず、慌てず、闘うためにひたとこちらを見ていた。それもラァスが敵意を消した次の瞬間には崩れたが。
「ちょっと待ってください。なぜあなたがこのようなところに?」
 男はラァスの腕を掴み戸惑いもあらわに質問する。
「君は誰?」
「私はこの第六魔法騎士団の副団長をしています、カリムといいます」
「ま、魔法騎士団っ?」
 ラァスは驚愕のあまり後退し、ヴァルナへと振り返る。彼はこくりと頷いた。
「魔法使いがそんなに珍しいのか?」
「まさか」
 後ろで自称騎士達が囁き合う。
「この程度が魔法騎士って、そんなにこの国レベルが低かったの!?」
「んだとこのガキっ」
 騎士達の文句に耳を貸さず、ヴァルナは再び頷く。
「あんまりふがいないから、クリス様にここに来る途中でちょっともんでやれって言われたんですよ」
「なんで僕が」
「魔道と体術両方という意味では一番優れているからじゃないですか? 俺は君のようには動けませんし、他もバランスがいいとは言えませんから」
 ラァスはカリムに向き直り、凡庸に見えるその姿を眺めた。そんな彼にカリムは言う。
「あなたは、確かラァスさんでしたか?」
「え……」
 ラァスは言葉につまる。なぜ顔を隠しているラァスの正体を、こんなぱっとしない男に見破られたのだろうか。変装もしていた。何よりも、顔は隠したままだ。聖眼の気配も抑えていた。それが、なぜ──。
「動きに特徴があるから分かりますよ」
 ラァスは驚いた。自分の動きに特徴があるとは思いもしなかった。
「え? 特徴?」
 ラァスは首をかしげて誤魔化す。ごまかし方は考えておいた。
「外見に反してとても力強い動きなんですよ。こんなに華奢で、あんな動きをする女性は他に見た事がありませんから」
 ラァスは動きについても考えるべきかと反省する。これから変装をする機会などありはしないのだが。
 ラァスはフードを自らとる。カリムはやや驚いたような顔をした。その彼の手を取り、自分の胸に押し当てる。カリムは口を開いて硬直した。
「よくわからないけど、僕は男です」
 カリムは固まったままラァスを見つめる。彼が何に驚いているのか、それは知りたくもない。
 ラァスは落ち着いて見える柔らかな笑顔で続けた。
「僕は確かにラァス=ロウムですが、あなたが見たのは別の人。たぶん僕の妹です」
「い、妹?」
「はい。双子の妹です」
 これしかない。誤魔化す方法はこれしかないのだ。架空の人物をつくり押しつければいいのだ。あの時は変装をしていた。印象は明らかに違っていた。言われなければ同一人物とは気づかない、そんな程度の類似でしかないはずだ。
「自分が名乗りたくないから、僕の名前を勝手に使ったようです。今頃どこで何をしているのか……」
 ラァスは妹に振り回される兄を演じ、困っているのだとばかりにため息をつく。
「最近、僕の名前を聞いた人が変な目で見る理由がようやく分かりました。ありがとうございます」
「いや……」
 カリムはそれでもラァスを見つめてくる。
「そんなに妹と似ているとは思わないのですが」
「男の子……なんですか」
「今度は本気で殴りますよ」
「ああ、すみません。悪気があったわけじゃ。ただ、あんまりにもかわ……綺麗な顔立ちだから」
 ラァスは本当に殴ろうかとも思ったが、拳を握るのでとどめておく。彼の顔立ちが愛らしく整っているのは、彼自身が理解している。
 カリムはラァスからこちらに近づいてくるヴァルナへと視線を移す。
「ヴァルナさん、一体全体なぜ彼を私たちに仕向けたんですか」
「それは、俺よりも、彼の口から聞いた方が早い」
「彼って、理解しているようには……」
 彼は突然言葉を切り下を向いた。ラァスもつられて下を向く。
 そこには手が生えていた。それがカリムの足首を掴んでいた。
「いやああああっ」
 ラァスは恐怖のあまり叫び、思い切り足を振り上げその手を踏みつけた。

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