26話  それぞれの道を

 

 曖昧な未来を考えると、頭が痛い。自分はどうなっているのだろう。
 彼女は時々、夢を見る。暗い場所にいた。暗い場所にいた。闇に包まれ、闇を食らい、闇そのものであった。しかし気がつけば、誰かと手を取り合っていた。それもまた闇に毒されていた。自分のように、罪も何もないのに。
 どうしてそんなに汚れているのかと尋ねるとそれは答えた。
「これはね、ひとの怨みだよ」
 自分は理解できずに、闇を食らう。
 すべてくらい尽くしたら、一体どうなるのだろうと思った。
 それはそれでも手を取り続けていた。共にいれば、より汚れてしまうのに。どうしてかと問うと、それはまた答える。
「君は、呼ばれているよ。君は望まれている。愛されているよ」
 汚れ、世界を歪める可能性があった自分を、だれが愛しているというのだろう。
「耳を澄まして」
 言われて、闇雲に闇を食らうのをやめた。
 必要ないものとして、あいつのお情けでここにいるわたし。そんなわたしを、時折呼ぶ声が聞こえた。
「ほらね」
 彼の言葉を聞いた直後、ぽつんと小さな光が見えた。
「存在自体を許されない者なんてないんだよ」
 いつかあの光の元へ行く事もできる。もう少し時間がかかるけれど、その時まで一緒にいるからと。
 夢を見る。
 その男については、よくわからない。
 だが、あの呼び声は……。
「メディアちゃん?」
 アミュがほうけていたメディアの顔を覗き込む。考え込んでいたメディアはくつりと笑い、ばかばかしくなり足を組み直した。
「アミュは、この先どうするつもり?」
「どうするって?」
「ラァスと行く?」
「……わからない。お姉さんと離れたくないけど、いつかは離れなくちゃいけないから。それに、クリス様なら優しそうだし、ラァス君も、サメラちゃんもいるし。どうせなら、知ってる人が多い方が楽しいよね」
 彼女は笑みを浮かべ、しかしすぐにうつむいた。
「でも……少し……」
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない。用意はすんだ?」
 アミュはいつものように髪をといただけだ。彼女の支度は、ラァスに比べると驚くほどはやい。
「ええ、いいわよ」
「じゃあ、みんなのところに行こうか」
「そうね」
 今日、帰る。
 決して強制ではないのだが、選択は、迫られる。周囲の目によって。


「あの人と付き合っていくには、一に辛抱、二に辛抱三、四が息抜き、五にまた辛抱だよ」
「あれは息抜きだったのかよ」
 流砂の言葉に言葉を返したのはハウル。
 あれとは、出会った時のことだろう。
「当然。あの二人の様子がおかしかったから、職務でこっそり尾行して、見知った顔を襲っている。しかも赤ちゃんを殺そうとしている。そりゃ口はさむよ。僕は子供好きだからね」
 ねぇ、とラフィニアに微笑み、彼女はいつものように懐いて飛んでいく。
 いつかこの子は誘拐されるかもしれない。カロンはそう危機感を感じた。
「可愛いねぇ」
 流砂はラフィニアの額に音も高く口づけし、カロンは瞬時に彼女を取り戻した。
「うちの妹に変な事をしないでいただきたい」
「神からの祝福のキスなのに、過剰反応だなぁ。親ばかだねぇ」
「だから、妹です」
「あと、僕に性別はないから、女の子同士だと思えばいいよ。元々、昔は長女として育てられたからね」
 カロンは己の耳を疑った。
「ちょーじょ?」
 ラァスが首をかしげ、その言葉の意味する最適なものを探す。カロンもこの地方独特の方言だろうかとすら一瞬考えた。
「女として育てられたんだよ」
「はぁ? だって、長男って」
「あの方は、時々融通きかない超ワガママっ子なんだ。始めは娘が欲しかったんだよ。だけど下に妹が立て続けに生まれたから、息子も欲しかったあの方は、ある日突然今日からきみは僕の息子ねぇ、って」
 流砂は怒りをむき出しにして言い捨て、目の前のミルクを一気飲みし、ばんっと机に置いた。
「……ひでぇ」
 男として以外育てられた事のないハウルは、怒れる流砂を眺めてつぶやいた。
「ちょっと……それは」
「そうか。それで女の子の印象があったのか」
 カロンは彼を初めて見た時、男の子のような女の子だと思っていた。精霊は性別というものはない。性別は、本人が決められる。彼らにとって、姿など自己の表現方法の一つでしかない。しかし力があればあるほど、性別という概念に捕らわれる。それは確固たる意志と、力ゆえにと聞いていた。
 それを途中で変えさせられるというのは、どんな気分なのだろうか。
「だから伯父さんに対して、人間でもないのに主従関係を前提にした、親子らしからぬ態度なのか?」
 ハウルは身を乗り出して彼に問う。
「そう。言葉遣いも地神様を真似たの。これが僕にできる精一杯の反抗だからねぇ。二度と父親としては呼んでやらない」
 子供が反抗するには、ちゃんとわけがあるのだ。しかも、その子供が頑固であればあるほど、その反抗は長引き、いつしかそれが当たり前になる。
「まっ、時々はっちゃけたことを除けば、部下の能力を把握している、いい上司だと思うよ。身内でさえなければ、無茶しないし」
「身内だから無茶されてるんだぁ」
「あと、妹たちを溺愛してるから。身内でも、人間寄りなら無茶言われないけどね」
「…………」
 何かされたらしいラァスは、床に視線を向けて黙り込む。
「相変わらずですね、クリス様は」
 ヴェノムは口元に手を当てて、しばし口を閉ざす。少し笑っているつもり、と解釈すべきだろうか。
「……昔から、時々お茶目な無茶をされる方でした。冒険ごっこをしたり、スパイごっこをしたり……私はよく生きていられたなと、今少し感動しました」
 しぶとく数世紀も生きる魔女の口から、まるで彼女の人生の中で最も命の危険にさらされた出来事のように語られると、ラァスはさらに黙り込む。
「僕、どうすればいいんだろ」
「犬に噛まれたと思って、あきらめなよ」
 すでに諦めている流砂が言う。
「一生を犬に噛まれて生きろと?」
「大丈夫だよ。基本的にあの方は人間のする事に口出ししないから。神殿にだって自分からは口を挟まないよ。だから、あんな祭りをしてストレス発散させているぐらいだし」
「あれ、ストレス発散なんだぁ」
「口挟みたくてうずうずしてるからね」
 確かに、あの神はおしゃべりが好きそうだ。
 ラァスは頭を抱え、うーんとうなる。
「ラァス君は、地神様の干渉という要素を除いて考えると、神殿に入ることにはどう感じている?」
 カロンは悩むラァスに問いかける。大切なのは、これなのだから。
「問題外だよ。地神様に言われなければ、絶対に近づかないよ。信仰心を持っている人に対して悪いもん。みんな『神官様は心身共に清らかでなければならない』って思ってるよ」
「そんなことないよ。神官だって人間だし。もちろんいい人であることは大切だけどね。昔悪い事をしていても、今普通ならいいよ」
 ラァスは唇をとがらせた。彼は神殿に行く機会などほとんどなかっただろう。神殿に行った事もないのに、先に本尊と出会ってしまったのだ。
「じゃあ、一度神殿を見ておいたらいいんじゃないかい? 雰囲気がなじめそうなら、職場としては問題ないだろう?」
「それもそだね」
 ラァスがそう言いながらも悩んでいると、アミュとメディアがやってきて、そのとたん元気を取り戻しラァスはやる気になった。
 誰もアミュには敵わないようだ。


 神殿正面は、サメラの屋敷から徒歩十分の位置にある。裏口ならば目と鼻の先にある。つまりは、迂回するのに時間がかかるのだ。初めてなので正面から入るために迂回してやってきたのだが……。
 神殿を見上げ、ラァスはたじろぐ。
 この都市は二つの中心的建物がある。一つはここからも見える位置にある、王城。もう一つがここ、地神殿。
 様々な宝石の産出国として有名なこの国の都は、様々な箇所で様々な宝石を目にする事ができる。そして、城とこの神殿の贅沢な美しさは、世界中にその名が響き渡っている。地神殿など、宝石の神殿とまで呼ばれ、多くの観光客を呼び込んでいる。
 ラァスはどこの国にでもある普通に壮大で立派な造りの神殿に、美しい鉱石により荘厳された非常識なまでに贅沢な神殿に驚いたのだ。
「噂には聞いてたけど……このアーチ、金だよ!? しかも宝石も埋まってるよ!? いいの!? あんにとってください的に置いといて!」
「やだなぁ。ただの金箔だよ。それに。宝石は盗まれないようにしてるから。基本的に精霊は暇だからね」
 流砂の発言に、ラァスはアーチの上に『いる』であろう精霊をなくとなく見た。精霊をすべて見れるわけではないのだが、相手が好意を持ってくれたらしく、なんとなく手を振っているのが見えた。
「これ、クリス様の趣味?」
「いやあ、知らないよそれは。僕からしてみれば、歴史上の事だし、地神様は昔の事は忘れるタイプだし」
 そうして歴史は葬り去れるのだろうか。
 ラァスはどぎついのと紙一重の美しさを持つ神殿を見上げ、いいのだろうかと悶々とした気持ちを胸に抱える。
「ラァス、こういうの好きじゃないのか?」
「あのねぇ、ハウル。まあ、宝石は好きだけど……なんか、驚く」
 ラァスは驚きながらも、観光客でにぎわう中、本殿へと向かう。
 中にはいると、ラァスは玄関口でぽかんと大口を開けた。
「…………ふぁ」
 ラァス以外にも、アミュとラフィニアの声が重なった。ラフィニアもわけが分からないなりに驚いたらしい。
 床に使用されているのも高価な石で、展示されている装飾品もふんだんに宝石が使われている。高いいちの壁にある精霊の形をとった像はそれぞれが大きな宝石を持っている。もちろん、触れてどうにかなるような手の繊細な宝石ではない。付け加えるなら、ここにも精霊がいるので持ち逃げ不可能らしい。一度たりとも盗まれた事がないときいているが、これなら納得できた。
 ラァスは身廊を歩いているだけでめまいを覚えた。時折、ラァスを誘惑する気を放つ宝石があり、胸は高鳴り、夢と期待によってみぞおち辺りがぞくぞくとした。
 このときばかりはラァスだけではなく、宝石に興味のない面々もこの場に圧倒されていた。
「ああ……素敵」
「ラァス、お前天職だと思うぞ。ここにいるのは」
「ちょっといいかもぉ」
 ラァスの胸のどよめきは、決して収まらない。なぜなら、この先にとてつもない魅力的な物が待っている予感があったからだ。
「ははは。お気に召したか、ラァス君。外陣も素晴らしいが、この先にはね、もっと素晴らしいものがあるよ。君も気に入る」
 ここに来た事があるらしいカロンは、周囲のご婦人達を宝石の美しさ以上に虜にしてしまう、輝かんばかり笑顔で言った。
 ──ひょっとして、この人は自分の笑顔について自覚ないのかな?
 今まで女性の目など気にしていない上、街角で仏頂面をして立っているだけでも逆ナンパされるから、あまりその差を気にしない可能性がある。
「殿下も楽しそうね」
 アミュが突然禁止ワードを口にした。殿下など言ったら、周囲の未婚のご令嬢達の興味をひいてしまう。お忍び美形王子ほど、女性達の心揺るがせるものは他にない。
「もちろんだよ、アミュちゃん。この神殿は何時来ても飽きない。進入するのも恐ろしいし」
「そっか。そういえば、殿下最近お仕事してる?」
「そういえば、最近していないな。ラァス君、就職する前に一度一緒にどうだい?」
「あの、仮にも聖職者に勧誘されてる僕に犯罪に誘わないでくれないかな」
 周囲に聞こえないよう小声で言うと、カロンははははと笑った。
 しばらく歩くと、内陣に到着する。
 見上げると、天井には見事な地を表すレリーフ。正面を見ると、祭壇の奥に本尊である地神の像があった。像は普通なのだが、身につけている装飾品にも、すべて本物の宝石が取り付けられている。その一つ一つが恐ろしいほど大きく美しい。その輝きは、一目でラァスを魅了した。しかし、それと同時に思う。
「こっちは大人なんだ……」
「そりゃ、人前に出る時は大人の姿だからね。いくらなんでも、あの恰好で神様でぇすとかはやらないよ」
 息子の流砂が笑いながら言う。
 彼は、父親の神殿に来る事をどう思っているのだろう。その流砂は、内陣の片隅にいる人物に気づいて手を振った。
「これは流砂様」
「やぁ、久しぶり。シーロウは?」
「猊下は、奥におられます。そちら方々は……」
「地神様が、シーロウの跡目にって目をつけた子だよ。綺麗でしょ?」
 ラァスの聖眼を見つめ、神官の青年は微笑みを浮かべた。
「そうですか。なんと澄んだ聖眼なのでしょう」
 ──嘘つけ。
 それよりも、シーロウとは誰だろうか。
 そんな事を考えながら、ラァスは内陣の右手にある、関係者以外立ち入り禁止区域に足を運んだ。


 その部屋には一人の老人が、戸棚の中から何かをとりだしているところだった。彼はラァスを見ると目を見開き、突然その前に跪いた。
「ようこそ、ラァス様ですね?」
 しわしわのおじいちゃんだった。
 アミュは穏やかな気配の老人を快く思い見ていたら、彼が金の聖眼である事に気づいた。ラァスのように綺麗な色ではなく、少し濁った金の聖眼。聖眼とは、色だけで言うのではない。魔力を持ていなければ聖眼ではないらしい。
「え? え? おじいさん、立ってください」
 ラァスは慌てて老人に手を差し出し、彼を立たせる。
「おじいさん、僕の事を知っているんですか?」
「クリス様からお言葉を頂きました。近々、私の後任となるラァスという少年がやってくると」
「後任? 何の?」
 ラァスは首をかしげ、その裾を流砂がくいくいと引く。
「この人、シーロウ。地神殿の大神官」
「……え? え? 後輪?」
「後任。後がま。後継者。引き継ぎ人」
 流砂は容赦なくラァスの混乱にとどめを刺して、ラァスは頭を抱えて固まった。
「ラァス君、おちついて」
 アミュは彼の気持ちを落ち着かせるため、そっと頭の後ろを撫でた。ヴェノムにこうされると、アミュはとても落ち着くからだ。
「うん、落ち着いた。ありがとうアミュ」
「はやっ」
 ハウルが彼の柔軟性に驚いて声を上げた。
「またクリス様の考えそうなことですね」
「深淵の魔女どの。ご挨拶が遅れて申し訳ない。ご健勝のほど、お喜び申し上げます」
「あなたも生きていて何よりです」
「ししょー」
 ヴェノムの言葉に、ラァスが小さく声をかけた。しかしヴェノムは無視をして、彼を椅子に座らせた。老人をいつまでも立たせていてはいけない。
「クリス様は本気なのですね」
「もちろんです」
 ヴェノムはラァスへと目を向ける。何か言いたげに見つめるが、言葉はかけない。
「…………僕、探られたらヤバイ経歴なんすけど」
「問題ありません。誰も探りませんから」
「…………いや、僕聖眼なだけしか取り柄ない乱暴者だし」
「それだけご立派な聖眼をお持ちだというだけで、人々はあなたを受け入れましょう」
 ヴェノムとシーロウに言葉を否定され、ラァスはあーとうめきながら天井を見上げた。
 この部屋は立派だが、金箔も宝石も飾られておらず、普通だった。こんな部屋まで金銀宝石で飾られていたら、逆に少しひく。
「……でもでも」
「ラァス、人生諦めは肝心です」
「師匠、可愛い弟子にそんなあっさりと」
「これは本来ならとても名誉な事。あなたが気にする理由も理解できますが、クリス様その一派にイエスと言うまでストーキングされたくなければ、折れておきなさい。これは忠告です」
「はい……折れます」
 アミュはラァスが顔色を変えた事が不思議で首をかしげた。
「ストーキングって何?」
「あとをつけ回されるって事だ。アミュは可愛いから、男がこっそりついてきたら、ちゃんと燃やしておくんだぞ」
「燃やす?」
 何を燃やすのだろうか。助けを呼ぶためにのろしを上げろという事だろうか?
「じゃあ決まりだね。ラァスはシーロウの元でしばらく修行決定」
 流砂が浮かれてぴょんぴょん飛び跳ねた。きっと彼も精霊達のように、聖眼のラァスの事が好きなのだろう。
「ちょっと待て。まさか、すぐにってこと?」
「イヤなの?」
「もう少しさ、青春を謳歌したいんだけど」
「大丈夫。女の人多いからもてもて。うちはお金持ちの国だから、美人多いよ」
「そういうのは求めてないよ。僕には……」
 ラァスは一瞬だけアミュを見た。こういう時のラァスは、よくわからない。宝石を見る時にも少し似ているが、少し違う気がする。何なのだろうか。
「それに、師匠にはまだ学びたい事あるし、今勉強途中でここに来ちゃった事とかあるし。もう少し時間欲しいなぁ」
 ラァスは何か新しい魔法を覚えている最中だった。
「じゃあ、いつくるの? 来ると言った以上、君がなかなかこないとかなると、文句を言われるのは僕なんだけど?」
「…………」
 ラァスは首をひねる。
 彼は困っていた。いやではないようだが、決して気が乗らないようだ。ラァスはまたちらとアミュを見た。
 おそらく、知らない土地で一人では心細いのだろう。
「…………」
 アミュは考えるが、いい案は思いつかない。アミュは迷い、自分よりも頭のいいメディアへと視線を移す。
 初めてできた女の子の友達。できれば彼女ともずっと一緒にいたいから。
「二人して何変な目で見てるのよ。そんなに自分じゃ決められないの?」
「メディアちゃんみたいに筋でぱしんと割れる感じの性格じゃないから」
「わけの分からない事を言う男ね。まあいいわ。そんなに決めて欲しいなら決めてやろうじゃないのよ」
 メディアの格好いい言葉に、アミュとラァスは拍手した。
「夏に私は塔に帰るから、そのときでどう?」
 メディアは留学という名目でヴェノムのところに来たのだと、その時アミュは忘れていた事実を思い出した。
 ずっと一緒にはいられない。
「自分の都合?」
「そっか、それなら私いい」
「え? アミュ今ので納得したの!?」
「ラァス君はイヤなの?」
「いや、アミュが一緒なら世界の果てだろうが喜んで……」
 ラァスはどうしてかそこまで言うと言葉を切って、頬に手を当て身をよじる。
 舌でも噛んだのだろうか。なぜだか恥ずかしそうだ。
「ラァス、僕がこういうのも何だけど、自主性とかないの?」
「宝石鑑賞だけが毎日のご褒美なんて青春いやじゃん。それに君の妹たち恐いし……」
 と、そこでラァスは言葉を切った。
 彼は一変して真剣な顔つきになると、そっとドアに近寄り、一瞬にしてドアを開く。
 そこには、ヴァルナとラナが立っていた。今日はにわとりはいない。
「あ……気づかれちゃいましたよ、ラナ」
「あなたに落ち着きがないからです」
 相変わらず不仲な二人の様子に、ラァスは問答無用でドアを閉める。
「いやぁ、暑くなってくると変な人が増えていやだねぇ」
 ラァスは見なかった事にした。しかし、二人を気にしたのは神官のシーロウ。
「今のは時の神殿の神官達では……。ラァス様は二人と知り合いで?」
「時の神殿……ねぇ」
 ラァスは向こう側からドアが開くのを見ながら、腕を組み唇を歪ませた。
「突然閉める事はないでしょう、少年」
「うちのラフィを狙う変態が、偉そうに言うな」
 ラフィニアが二人を見て、きゃっきゃっと喜んでいるのがとても不思議だ。ヴァルナはそれを見て、視線をさっと横にそらした。
「そういう凶悪なのは見せないでください。あの方が出てきます」
「あそ。で、白昼堂々何しに来たの?」
「いや、もらった野菜をお裾分けに来たら、偶然その子の気配を感じて」
「…………じゃあ、さっさと帰ったら?」
「といわれてもねぇ、ラナ」
 言われ、ラナはラナのまま言った。
「帰りましょう。今は動くべき時ではないですから」
 彼女はラァスを安心させるように微笑んだ。どこかぎこちない笑みだった。心は、罪の意識があるように思えた。
「……今、私たちの主は話し合っています。しばらくの間は、何もしません。しばらくたてば、結論が出ます。その時、敵にならない事を祈っています」
「主って誰?」
「時の女神です」
 ラナは一礼して、ドアを閉めた。
 音もなく遠ざかる二人の心は、漂うように揺れていた。


 ハウルは晴れ渡る空を見上げた。
 しばらくすれば嫌でもやってくる夏、皆それぞれの道を行く。
 では自分は?
 関係ない。ラァスの道にも関係ない。アミュの道にも関係ない。メディアの道は問題外。
 自分には超放任主義の父がいる。父に従うことを誓った兄は、今は用がないので恋人と気ままな旅をしている。つまりは、呼びつけられなければずっと好きにしていてもいいのだ。しかもハウルはまだ道を決定したわけではない。もちろん、ヴェノムと別れるなど冗談ではない。だから神として生きる事を選ぶのは決定だ。しかし、ヴェノムと一緒にいるために神になるなど、ヴェノムが認めるのだろうか。血のつながりがあるからこそ、いつまでもそうしているのはおかしいと言われるのではないだろうか。
「正式な日時が決定したら連絡してね」
「そなたが来るの、楽しみにしておるぞ」
 流砂とサメラは、ラァスとアミュの手を握っていった。
 すっかり捕獲されているような気がしたのだが、本人達はどう思っているのだろうか。
「んーまぁ連絡する」
「頼むよ。これで地神様も少しはおとなしくなる」
 利用する気満々の流砂の態度に、ラァスはため息をつく。
「うん。今度連絡するね。何か道具はある?」
「無論じゃ。そなたの媒体は何じゃ? 見せてみよ」
 普通に仲の良い少女達は、やや専門的な会話を繰り広げつつも互いに連絡を取る約束をする。最後にはメディアも巻き込まれ、彼女も渋々カオスにもらった水に浮かべて使う銀環を見せていた。
 この差は何だろうか。
「ネフィル、お前妹の前だと陰薄いなぁ」
「仕方ないですよ。サメラは病弱な頃から、ああでしたから。美しい彼女の前では、彼女の存在感に勝る者はいないでしょう」
「シスコンだな」
「事実ですから」
 ネフィルは妹の新しい友情を祝福しつつ、うっとりと妹を眺めていた。
 ──こいつもなんだかなぁ。
 サメラが関わらないと、普通の少年なのだが……。
「さて、行きましょうか。そろそろ理力の塔の通常営業時間が終了します」
「はーい」
 師の言葉にラァスとアミュは元気よく返事をした。それぞれの元気の意味は、全く異なるものだろうが、二人は元気だ。
 ハウルはどうだろうか。
「ハウル、置いていきますよ」
「へいへい」
 手をさしのべるヴェノムを見ると、ハウルは先の事など一瞬で忘れた。
 今がよければそれでいい。刹那主義の何が悪いのだろうか。先に何があるかもわからないのに。
 それでも思う事は一つだけあった。
 ──……彼女でも作れば変わんのかねぇ。
 ならば、彼女を作ってみるのもいい。問題は、ハウルは恋愛に関して疎いという事だ。
 ──ま、そのうちなんとかなるよな。
 年上の恋人を持つ兄は言っていた。
『女神はある日突然現れる』と。
 ハウルもそれを信じ、女神とやらを待ってみようかと考え、気恥ずかしくなりやめた。
 自分にはまだ似合わないと。

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  あとがき