恐怖と絶望と絶叫と
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理力の塔。
魔道師組合を管理し、魔道師を育成するための機関である。
機関名の元となっている塔は世界に五つ存在する。中央の塔を中心に、東西南北にまるで十字を描くように四つの塔が立っている。
魔道都市アンセムに中央塔がある。そこが理力の塔本部だ。
アンセムの中心部、「知の要」と呼ばれる施設の集合体は、塔を中心として様々な建造物が立ち並んでいる。理力の塔本部。広大な図書室。資料館。他にも様々な建造物があるが、その中でも一番大きいのが人材育成のための学舎および学生の寮だ。二つは何本もの廊下でつながっており、学生達は常に魔道と共にある。
理力の塔の魔道師という「ブランド」を得るため、数多くの才能が見られる子供が預けられるが、一年以上そこに留まるのは十分の一以下だ。それでも、年に二百人以上は留まる。ある程度の才能がなければ、他の魔道学校を紹介される。故に理力の塔出身の魔道師は一流とされている。
その中でも、もちろん上下がある。しかし基本授業は皆同じだ。その上下によって変わる対応は、入ることの出きる施設が増え、選択授業の選択肢が増える。理力の塔の学び舎──エムラドでは、基本意外は選択授業で習う。魔道師は広く浅いよりも、何かに特化していることが望まれているからだ。あとは成績がよければ外に仕事に出ることが許され、寮の一部屋に割り振られる人数が減り、特別クラスに入れる。その程度。
必要以上の特別扱いはない。魔道に大切なのは基本で、あとは各々の研究次第だ。人によっては国仕えをすることもあれば、研究に一生を捧げることもある。もちろん収入で選ぶ仕事をする者もある。一概には言えない。大切なのは基本だ。基本すらしっかりしていれば、選択肢が増える。それが、理力の塔が世界一の魔道組織である所以。
世の中、どこにでも問題は存在する。問題のある人間は多い。普通の学校にも手のつけられない問題児はいる。だが、ここは普通ではない。理力の塔だ。魔道機関だ。世に名をはせるエムラドだ。そこでの問題児。もちろん、それが性格的なものなのか、能力的なものなのかという差はあれど、洒落にもならない問題児は今までも山のようにいた。
「問題ですね」
理力の塔の長、カオスは呟いた。
漆黒の髪と瞳の男で、年の頃は数十年前から二十代前半のまま。自称二十一歳。理由は『師』の年齢を超えてはいけないからだという。顔立ちは整っていて、きめ細やかな肌や細い顎などは女性的とすら言える。いつも顔に張り付かせている怪しい笑顔が、悪人の親玉っぽくて素敵と噂されているとかいないとか。いつも黒の服を着ている怪しい男だ。その理由は、彼が『黒の賢者』だからだという。賢者とは、知識の入れ物、歴史の記憶である『賢者の石』に触れ、その知識の一部を得た者を指す。黒の賢者とは、賢者の石の知識の中でも、黒の領域と呼ばれる知識を身につけている者を言う。精神的なもので、その暗いイメージに相応しく死を司る。
「ほんとに」
黒髪に青い瞳の背の高い男装の麗人が頷いた。名をアルス。女性徒のみならず、その気さくな性格と能力の高さから、生徒達に最も人気のある教師だ。白魔術と実戦体術のエキスパートで、護身術から暗殺術まで幅広く生徒に教えている。
「困ったよなぁ」
何が困っているのか。
今までは教師陣が勝手に決めていた、一年を通して一蓮托生となる班編成に対するアンケートの結果である。今の班編制ではあまりにも理不尽だと訴える生徒が非常に多く、生徒の要望を聞いてみようと、アルスが提案したものだった。
皆がどのような傾向の組に入りたいか。誰と組みたいか。誰と組みたくないか。自らはどのレベルだと思っているのか、などなど。アンケートと称して生徒の認識の傾向の統計もとった。
その中で問題になっているのは、組みたくない相手ベスト・スリーだった。複数書けるように、五行用意していたのだが、その中にどれか一つが必ずと言っていいほど挙げられている名前が三つあった。
それぞれの理由は教師陣ですら頷いてしまうものだった。
「そのうち一人であるメディアは、塔長様。貴方の愛弟子であり、アルス殿の娘ではありませんか」
それが問題になっているのだ。
才能があるばかりに、彼女がまだ幼いうちからよってたかって英才教育を施した結果、とんでもない問題児に成長してしまったのだ。能力的にも、性格的にも。一緒に組みたくない相手、堂々の一位に輝くほど。
「だいたい、以前から申し上げていたではありませんか。あの娘は我が侭すぎると」
中年の丸めがねの男がカオスへと詰め寄った。痩せ気味で、しゃんと背筋が伸びた神経質な男だ。一部の女生徒にはしぶいと人気のある、幻術の専門家ムロウ=レイスタ。
「でも、言うことは正論が多いんですよね。ただ、その中にほんのちょっと人を威圧して見下して棘とか毒が含まれているだけで。気に入らないことがあると杖で殴りかかるのは、多少問題でしょうが」
「人を殴り倒すのが多少の問題ですか!?」
「ムロウ、人の顔の前で怒鳴るのはやめてくれませんかね。女性ならともかく、男の顔なんて見たくないのに、さらにつばが飛んで気色悪いです」
カオスは笑顔のままでハンカチで顔を拭いた。
「だいたい、あの娘は殴るどころではなく、すぐに人に呪いをかけるのですぞ。
いくらここが無法地帯と呼ばれようとも、無法なわけではありません。事故死ならともかく、正面から堂々の呪って死、もしくは何かの後遺症が残るようなことがあれば、責任問題ですぞ!?」
「あんなのただの遊びですよ。半日耳が聞こえなくなったり、目が見えなくなったり、笑いが止まらなくなったりするだけじゃないですか。可愛いもんですよ。それに、彼女の開発している技術は素晴らしいものですよ。今まであれほど短い時間で解ける呪いがありましたか? しかも半日きっかり。しっかりと計ったので確かですよ。面白いじゃないですか」
「そんなもの、一体何に使うのですかっ?」
「それは発想する者の発想が貧弱なんですよ。世の中、使えないと思える技術でも、発想によっては素晴らしい使い道を得るでしょう。それは開発者のメディアに任せればいいのです。彼女は稀代の魔女になるでしょう。本当に楽しみですよ」
カオスは爽やかに微笑み、ムロウから顔を離すべく椅子ごと後退し、窓枠に肘を置いた。そこには愛弟子が殺風景だと言って買ってきた小さなサボテンがある。これなら水やりを忘れても枯らさないからと。
ここは会議室でも何でもない。机と書類とガラス戸の本棚と金庫と写真しかない塔長の執務室だ。塔別名校長室。の中で、最も厳重に守られている部屋でもある。他に漏らしたくない秘密ごとは、時折この部屋で話される。生徒たちは皆優秀な魔道師だ。外の敵よりも内の敵の方が厄介であり、班編成に関わるこの話題は生徒たちの関心も高く、ここか特別会議室で行われる事になっている。特別会議室を使わないのは、それで生徒たちに感づかれ、物理的な方法で話しを盗み聞きしようという者が現れるからだ。会議室は広く、普段は誰も出入りしないので、どうしても気付かないところで盗聴されている可能性がある。アルスが顧問をする「密偵クラブ」の面々は、玄人顔負けの技術を持ってしまっているのだ。アルス曰く「才能って怖いなぁ」だった。
よって、日ごろくだらない話し合いが行われている、あまりマークされていないここで、時々少人数で大切な会議を開くのだ。
「それに、きっかり半日で解ける呪いなんて面白い……もとい、高度な術を編み出してくれましたからね。世の中、悪戯心から生まれる大発明が存在する事を否定できません。何より、命に関わらない子供のケンカですよ。大人の出る幕はありません。あの子も話しの分からない馬鹿ではありませんし、悪くない相手にそんなことをしたりしませんよ」
カオスは微笑み、そして窓の外に光る物を見て、わずかに目を細めた。
「アルス」
唇をほとんど動かさず、部下へと呼びかける。カオスはゆっくりと窓から顔を背け、言い放つ。
「誰かが覗いていますね。双眼鏡で」
「読唇術は教えてるからな」
「まったく……心当たりは?」
「うちのクラブの奴らと、ついでにうちのメディアだ」
「捕まえてきなさい」
「はいよ」
アルスは窓を開け、周囲を見回し笑みを浮かべた。一分後、アルスは自らの娘を捕獲した。
「さて、邪魔者がいなくなったところで話を再会しましょう」
障害物は、理力の塔に閉じ込められた。塔の中は迷路になっており、自力での脱出は不可能と言える。夜になったら誰かが迎えに行けばいい。
「彼女はあの性格ですから、怯えて誰も組みたがらないのは理解できます。残る二人は何が問題なんですか?」
カオス資料を見て首をかしげた。
「まずはこの栗毛の少女」
名をリディアといって、比較的最近スカウトされた特異体質の少女だ。容姿は極めて整っており、写真の中でもおっとりと微笑んでいて魅力的だった。十四歳のには見えない落ち着いた少女だ。その落ち着きは、悟りの領域に最も近い人間であるからだと言える。
「彼女は苦痛の精霊に憑かれています。触れる者すべてに苦痛を与えるため、常に札を全身に貼り付け、それを隠すために全身を隠すローブを身に付けて、顔以外を露出しない生活をしています。しかしそれでも、偏見から彼女に怯える者は多く、特に女生徒達は彼女に近付くことすらしません」
「……それって、ただ美人の側にはいたくないってやつじゃないんですか? 男子生徒の間では人気があるようですが」
組みたい相手としても、彼女は上位にランクインしている。しかし、だからと言って男子生徒だけと組ませるわけにはいかない。彼女の身の安全のためにも。
「で、あとの一人は……サディ=アーライン?」
「はい。死霊術師の家系であるアーライン家の長女で、優秀なネクロマンサーです」
アーライン家と言えば有名な死霊術師の家系だ。サディには兄がおり、その兄は家督を継ぐべく実家で修行をしている。家督を継ぐことのない長女のサディは、知識を広めるべく、一年ほど前、十四歳でエムラドへとやってきた。ただし、その特殊な出生と能力のためか、奇行が目立っていた。例えば誰もいないところで壁と話し、突如何かに憑かれた様に奇行に走る。
カオスはしばらく沈黙し、結論を出した。
「つまり、幽霊と日常的に会話する女性は怖いと?」
「ついでに、いつも不気味な仮面をつけているからです」
写真の中の彼女は確かに仮面をつけている。飾り気のない、顔の上半分だけを隠す仮面だ。未婚の女性が顔を隠すなど珍しいことではないが、彼女の場合、その仮面が悪魔信仰を思い起こす、不気味な仮面であることが彼女を不気味に見せている要因だ。
「……確かに、怖いかもしれませんね、この子は」
「でも、いい子だからな。極度のあがり症なだけで」
アルスがすかさずフォローを入れた。
「頭を痛める問題ですね」
三人の資料を眺めつつ、カオスは考えるそぶりを見せた。視線が資料を何度か往復したとき、彼は立ち上がる。
「よし。じゃあいっそのこと、この三人で組んでもらいましょう」
その言葉に、その場が凍りついた。臭いものには蓋をするような対応に、皆はカオスへと不審の目を向ける。
「その案には問題が一つあります」
またもやムロウが反対をした。
「なんですか?」
「問題児を集めた班に、誰が班長として立候補してくれるのですか?」
班には一人、卒業をした魔道師が班長としてつく。週に一度集まり報告をしたり討論をしたり、実際に仕事をする場合も、保護者がいるからこそ安心して見送ることができるのだ。班長とは保護者であり、生徒の評価を下す審査員でもある。班長になるメリットは副業でありながらかなり実入りがよく、期間を終えると優先的にいい仕事を斡旋してもらえる。それ以上に、貴重な経験を得ることができる。人の上に立つには、見習い数人程度を統率できなくて、世間に通じるはずもない。社会人研修と言っても過言ではないだろう。
「そうですねぇ。メディアなんかだと、自分よりも劣る班長だと絶対に言う事を聞かない子ですしねぇ。三人を統括できそうな魔道師って、知ってます?」
先の理由から、班長になるような魔道師は、あまり経験がない場合が多い。学生の延長のようなものである。経験がない者では、統率できないメンバーというのは出てきても仕方がない。そのため本来ならば力が均等になるように班を振り分ける。
能力的には偏ってはいないので、問題なくみえるのだが、性格に問題がある場合は本当に難しい。
「私には心当たりがないから言っているのではありませんか! だいたい、いても快く受け入れるとも思いません! いるとすればあのハランですが、彼は最近人気があって班長などしている暇があるとも思えません。彼は既に経験も積み、世に送り出すべきよい人材なのですから」
ムロウの言うことは確かだった。ハランという男は、実力もあってクチコミで人気が高まっていた。クチコミで人気の出る魔道師と言うのも珍しいのだが、それも気取ったところのある魔道師の中、ハランは気取らず穏やかで冷静に仕事をこなし、見栄えもそこそこにいいことがその要因だと思われる。仕事後も精神的な面で支えてやるため、今でも文通をしている相手がいるほどだ。塔の中でも、一個人としての届く郵便物の多さは異例の量だった。ただ、世間に露見すれば問題のある悪癖の持ち主なので、派遣という形でしか仕事をさせられないのが大きな難点である。それを除けば、 本当に素晴らしい人材だった。
仕方なくカオスが代理案を考えようとした、その時だった。
「そんなことはありません!」
突然、ドアから男が現れた。
「またメディアちゃんと組めるなら、このハラン。仕事なんて蹴ってでもメディアちゃんと他二人の保護者になります!」
顔立ちは悪くがないが、飛びぬけてよいわけでもない。人好きのする穏やかな人相で、とても騎士の家系に生まれたとは思えない軟弱な優男だった。
この男こそハラン=ダーナリィ。
前々回メディアのいた班の班長をしていた奇特な男だ。
「お前……どうやって会話の内容を知ったんですか?」
カオスは直立して目の前に立つ青年を睨んだ。
「もちろん、そこにある観葉植物から情報を得ました! きっと私がメディアちゃんを心から崇拝しているのを感じ取って、善意から教えてくれたのでしょう」
「…………」
メディアがカオスに買ってくれたサボテンが一つ、彼の背後にある窓際のロッカーに置かれていた。枯れにくいからと、目に入れても痛くないほど可愛いメディアがわざわざ買ってきてくれたサボテンだ。
「……松だけでなく、サボテンとも会話ができるんですか」
ハランという男は、一部の植物と会話したりその心の叫びを聞きつけたり操ったりという特殊能力を持つ男だ。
「はい。松とサボテンは私の心の友です!」
カオスはサボテンをしばらく眺め手に取り、アルスへと手渡した。
「庭にでも置いておいてください」
「わかった。松とサボテンは育てないようにメディアに言っておく」
外の敵より内の敵である。
理力の塔には珍しい能力者が何人もいる。触るだけで苦痛を与えられる女がいれば、幽霊とお友達もいる。植物と話す男がいれば、女神を召喚したり突然くだらないお告げをする聖女もいる。理力の塔はそのすべてを把握する必要があるのだ。知識の探求者であり、知識を保存することこそ、理力の塔の最も重要な仕事であると、カオスは考えていた。
「ハラン。今度会話できる植物の種類をリスト化して提出するようにしなさい。そうでなければ、女生徒が安心して生活が出来ないに違いありません」
いつでもどこでもこれほどの防御を施した部屋であっても盗聴できる能力だとは、少なくともカオスは知らなかった。
「はい。会話できる植物の種類のリストですね」
その言葉に、皆は戸惑った。
「意思疎通ができる植物すべて、に訂正します」
「ええ……それをリスト化するとなると、かなり時間がかかりますが。同じ種類の植物でも、相性の悪い子もおりますから。例え相性のよいはずのサボテンの中にも、無視されてしまうときもありますし」
「……室内で植物を育てるのを禁止した方が早いですね。アルス。あとで規則に追加しておいてください。植物に宿る精霊との相性ですからね、これは。他にも見直した方がいいかもしれませんね」
「そんな!? 私に友達とお別れしろとおしっしゃるのですかっ!?」
「お前はいいですよ、お前は。いくらでも植物を育てなさい。そしてさっさと出ていきなさい」
カオスは微笑みながらも苛立ちもあらわにしっしと手を振る。
「はい。では私はメディアちゃんに報告してまいります!」
「メディアは塔に閉じ込めていますよ」
「ああ、もう脱出されていますよ。どうやら塔の主に出口を教えてもらったようです。カオス様よりも、メディアちゃんのお願いが優先されたようですね。いまこちらに向かっています」
カオスは眩暈を覚えて片手で顔を覆った。
裏切り者は、いつか内から出るのだろう。
「問題児一号、メディアちゃん」
ハランは黒髪の少女と向き合って微笑んだ。顔立ちは母親似で、しかし母親とは違ってどこからどう見ても女の子だった。小柄で華奢で、そんなところも母親とは似ていない。
「誰が問題児よ」
「自覚はないのですか?」
「何が気に食わなかったのかしら?」
「メディアちゃんの愛は、世の中の人にはなかなか通じなかったということです」
「愛ってのは何よ。馬鹿じゃないの?」
メディアはハランを杖で殴りつけた。ハラン曰く、これがメディアの愛であると。
「しかし、何なのよこのメンバーは」
メディアは残る二人へと視線を移す。通常班は四人から六人で構成されている。メディアはいつも少人数の四人編成の班だった。被害者を少しでも減らそうということなのだが、メディアはそれを知らない。今回もまた少人数だが、今回だけは彼女もその理由を知っている。途中までは覗き見をしていたのだから。ムロウが怒鳴り散らしていた位地は、ちょうど窓から見えやすい位置だったのだ。
「この仮面女は目立つから知ってるけど、その女は何?」
「リディアちゃんです。前にメディアちゃんが留学していたときに来たんですけど、綺麗でしょう? 男子生徒の憧れの的なんですよ」
メディアはリディアを見つめた。一見して、何の苦労も知らないだろう、おっとりしたお嬢様だ。
「世にも珍しい苦痛の精霊に憑かれている方で、直接触ると痛いんです。手なんてぎゅっとされると、もう……」
メディアは再びハランを殴り倒した。
「あんたがこの班の班長になりたがった理由がよっく理解できたは、この変態!」
メディアはサービスとばかりにハランに蹴りを入れた。
「ああ、久々のメディアちゃんのお仕置きぃ……」
ハランは恍惚として、悦に浸りメディアの足にしがみ付いた。
彼は完全にアブノーマルな趣味の持ち主だった。これが世間に露見すれば、理力の塔の評判が落ちる可能性がある。だからこそメディアは、仕事先でその悪癖が出ないようにこうやって時々殴りつけてやるよう言われていた。
「はいはい。いくらでも蹴ってあげるから、他所様の子に変質的な趣味の相手を望むんじゃないわよ! 分かった!? この変態!」
彼女は生き生きとしがみ付くハランの顎に膝を入れ、身体がわずかに離れたところで再び蹴る。元々乱暴な性格である。性に合っているのだ。
「はいっ。もう二度と浮気なんてしません! メディアちゃんが一番です! あの時、通りすがったときに殴り倒されて以来、私は貴女の虜ですぅ」
メディアは覚えのない告白に足を止めて首をかしげた。覚えていないものはいない。気に入らない男を殴り倒すのは彼女のごくごく日常的な行事である。
「あんたねぇ、何度も言うけど、一応私はカオスと婚約してるのよ」
「大丈夫です! いつかカオス様の本格的な浮気が発覚してお流れになると信じていますから」
「お黙り! それがあるから一応なのよ。
それにあんた、好みじゃないもの。男のくせになよなよして。身の程を知りなさいっ」
「ああ、メディアちゃんの罵りも久しぶり。
ところで、メディアちゃん、最近また靴のヒールが高くなっていませんか? 私は嬉しいのですが、若いうちから無理をするとあまり身体に……って、え? え? ああっ」
メディアは最早何も言うのを止め、変態を二階の窓から叩き出した。一仕事終えた彼女は、清清しく微笑み窓を閉める。
「さ、馬鹿な班長は仕事に戻ったし、自己紹介でもする?」
「仕事……」
サディ=アーラインは怯えて奇妙な姿勢でふるふると震えた。その視線は右斜め下。まるで何かに隠れているような格好だった
「ふふふ、面白い方。身長を気にしているのね」
一方のリディアはそれを見ても恐れることなく言った。
「お黙りなさい」
「小さくて可愛らしいのに。そんなに背伸びをしなくてもよろしいのに」
リディアは異様に長い袖の白いローブで口元を覆った。封印のために、彼女は私服の着用を認められている。高いヒールで上乗せされたメディアの身長よりも、平らな靴をはく彼女の方が背が高い。しかし、リディアが特別背が高いわけではない。その逆だ。
「ケンカ売ってるの?」
「小柄な女の子って、羨ましいわ。私は中途半端だもの。大きくも小さくもない。どうせなら、アルス様のようにもっと背が高いか、メディアさんのように小柄になりたかったわ」
「……変な女ね」
二人とも。
「ま、変な色ボケた男が混じっているよりはマシね。馬鹿班長は別にして」
「あの方も面白い方ね。私に触りたがる方って、とても貴重なのよ。素敵」
リディアは食えない女であると、メディアは少し認識を変えた。
「エミリー、マイア、ガティ、みんな変だよぉ。みんな怖いよ。おかしいよぉ」
サディ=アーラインは、見えない誰かと話す不気味な女。
「……理由がわかったわ。このメンバーになった理由が」
メディアは師であり(一応)恋人であるカオスを思い、小さくため息をついた。
班が編成されてから一週間すると、交流会なるものが開かれる。それは「班」が寄せ集められて出来ている『クラス』単位で行われ、クラス内の班同士の交流でもあった。狭い範囲内だけに留まらず、多くの団体で、共同で何かをすることも大切だ、と担任であるアルスは言った。
「というわけで、今日は待ちに待った親睦会だ」
アルスの隣には、少女と見紛う──むしろ少女にしか見えない少年が立っていた。アルスのペット、白竜のミンス。白竜なだけあり、髪も肌も雪のように白い。薄紅の唇と、金色の瞳だけが色を持っていた。
「メディアさん。親睦会とはどのような事をするのですか?」
去年途中編入したリディアは、メディアへと耳打ちをする。
「去年はじゃんけん大会だったわ。勝ったのは動体視力のいい剣術クラブの奴だったけど。担任によって千差万別よ。ムロウ先生のクラスは幻術大会だったとか」
「まあ。楽しそう」
無害この上ない内容に、リディアとサディは安堵する。一人つまらなそうにする男がいたが、三人は気にもかけていなかった。
「去年はインドアだったから、今年は外に行こうと思う」
グラウンドで球技などの遊びでもするのかとクラス中の面々は考えた。
「今年はアンセムの隣にある森で遊ぼう」
ハイキングなのだと皆は判断した。ただ、道も何もない本当に何もない森なのだが。
「必要な道具はこちらで揃えている」
「あっれだよぉん」
ミンスが大仰な仕草で窓の外を指し示した。皆が窓際に集まり、中庭を見下ろし──
「何ですか、あれ」
アルスの顧問する密偵クラブの部員が挙手して質問した。あれ、とは中庭にきれいに並べられた小さなザック、クラスの班数分。
「サバイバルに必要そうな道具、必要最低限」
「………………」
「で、班名書かれたプレートが用意されている」
「………………」
「今年は旗取りならぬ、板取りだ。他の班のプレートを奪いまくれ」
アルスはプレートを見せた。それは第三組、一班と書かれていた。三組はここのクラス。一班は男子生徒ばかりが寄り集まった班。
「ちなみに今年からルールが変わって他クラスと合同でよくなったから、みんなで話し合って、面白いことをしようってことでぇ、特別クラス一から五組は合同で行うことになった。制限時間は明日の昼までだ。もちろん相手を殺したらダメだぞ」
特別クラスとは年齢も性別もバラバラな、特に優秀な生徒が選ばれて所属するクラスだ。他のクラスとは違い学級がない。一クラスに六班が割り振られている。一クラスは三十名弱。メディアは十三歳と比較的低い年齢だ。現在の一番下は十一歳。上は二十歳までいる。一人立ちを許されるのは十六歳だが、せっかく特別クラスにいるのだから、もっと学びたいと思う者は多く、学生としての滞在が許される成人する年度までは学生でいる者が多い。
「先生、不公平です!」
挙手し、許される事もなく発言したのは、密偵クラブの部長だった。
「それでは日ごろから忍び時には人を襲う事に慣れた、僕らのような者がいる班の方が有利ではありませんかっ」
正論だった。密偵クラブの部員は、特別クラスに多い。部長こと、グローグ=マイゼンの率いるチームなど、班長含めて五人中三人が密偵クラブ、そしてその卒業者である。しかも密偵クラブは、ここ三組に集中している。密偵クラブだけではない。武術系のクラブの者も多い。それは担任がアルスの方が、万が一肉弾戦のケンカになっても、容易に止められるからだ。アルスは体術と付属魔法の天才だ。
「そうだな。当然だ。だけどなぁ、世の中何があるか分からない。大切なもの一つ守り通せないようで、もっと大切な研究成果を守りきれると思ってるのか?」
アルスの言葉にグローグは目を見開いた。
「確かにそうだっ……。なんてことだ。先生方にそこまで深い考えがあったとは……。そうですね。世の中勝ち負けではなく、経験ですね。つまり僕らは日ごろ襲われることに慣れていない軟弱なガキどもに、危機感を覚えさせればよいのですねっ!?
僕は今、猛烈に感動していますっ」
部長は、少し熱い青年だった。グローグ=マイゼン。父は軍人。母は商人。次男で家を継ぐ必要もなく、騎士になるよりは一発当てやすいだろうと思って理力の塔に殴りこんだ、少し変わった十八歳の青年だった。
襲われる予定の面々は、成績とこれから身に降りかかるであろう苦労とを天秤にかけなければならなかった。
「っつーわけで、みんな創意工夫して明日の正午までプレートを守るように! 守りきれた奴は、先生がご褒美をあげよう。取られた奴は反省文書かなきゃならないからな。レポートは全員提出。守りきった奴は簡単だろ? そのコツをまとめればいい。守りきれなかった奴は、大変だな。反省文と被らないように頑張れ」
アルスは窓際に寄ると、二階から身を投げた。