恐怖と絶望と絶叫と
2
うっそうとした森の中を、彼らは堂々と歩いていた。隠れるつもりはなく、見つかることを望むように気配を周囲に撒き散らしていた。それは、狙われることこそ望んでいるように見える。
彼らはそのことに関して誰も何も言わない。隠れようとも言わないし、ごく当たり前に普通に歩いているのだ。
本来人が数人集まれば話し合い──作戦は必要なものだ。何かをするのに話し合いの欠片もなしにするのは危険だ。よほど慣れた相手ならともかく、不慣れを通り越して会話をするようになって一週間。会話だ。おしゃべりではない。それで作戦を必要としないほどの絆が生まれるはずもなく、考えを伝えるため、意思疎通を図るため、作戦は必要なはずであった。だが、世の中そんなものはいらないと言い切るタイプの人間がいるのも確か。
その典型的なタイプがここにいる。自らの才能におぼれ、絶対の自信を持つ負けを知らぬ天才タイプだ。そう、それがメディア。姓はないただのメディア。黙っていればとても綺麗な女の子だが、その通り名は呪いの魔女。または恐怖の魔女。その性格は傲慢で、自信家。
「これは私が持っているわ。他人が触ったらひどい事になる呪いをかけておいたから、安心よ」
彼女は自信たっぷりと言う。独断だ。しかし班長であるハランはメディアの奴隷、言いなり、犬である。逆らうはずもない。十も年下の少女に服従する様は、彼をとてつもなく情けなく、かつ弱く見せるのだが、その実力は数カ国から宮廷魔道師としてスカウトが来ているほどだ。下級の精霊とはいえ、会話を成立させ自由に操る者はそれだけ珍しいのだ。それが植物であれば使い道は様々。そして魔道師としての実力も一流。
どろどろに腐り腐臭を撒き散らしても鯛であることに変わりはないという、見本のような男である。
「……メディアちゃんが持っていて大丈夫ですか? もしも襲われて怪我でもしたらと思うと、私は……私は……」
「あんたは班長だから持っていけないでしょ。いかにもか弱そうな女の子に持たせておくわけにもいかないしね」
メディアは班員の二人を見て呟いた。
彼女は男には容赦ないが、女性には敵対関係さえなければ比較的優しい態度をとる。もちろんいきなり殴りつけるなどはしない。敵対関係さえなければ。
「ほら。世の中ああいう馬鹿がいるからね」
馬鹿、と言って彼女は杖を構える振りをして、隠し持っていたナイフを投げた。
どっ!
「きゃあ」
少女の悲鳴。メディアは嬉々としてそちらへと走る。ハランもそれに続いた。
この森とは相性が悪く、なかなか敵の存在を教えてはくれない。だからハランはそれに気付かなかった。
「このぉ!」
突然茂みから少年が飛び出し、メディアへと木刀で殴りかかった。
「甘いっ!」
メディアは杖を用いてそれを受け止める。そして木刀を左手でつかみ、戸惑う少年の腹へと鋭い蹴りを入れた。少年は木刀を手放し、尻餅をついて腹を押さえ──
がっ!
奪われた自らの木刀で殴り倒され、少年はあっけなく意識を失った。
「ふんっ。か弱い女の子に簡単にのされてるんじゃないわよ。私はこれでもインドア派魔女なのよ。ほんと、情けない男ね」
そう。これはメディアが強いのではなく、相手が弱いのだ。メディアが言うとおり、彼女は決して肉体派ではない。その棒術は年々上達しているが、それ以外は護身術程度である。
倒れた少年を見て、サディが合掌し悔みの言葉をかけた。
決して死んではいないのだが、それを見てナイフでマントを木に縫い付けられいる少女が小さく息を呑んだ。
「こ、殺さないでっ」
決して死んではいないが……
「じゃあ、プレートはどこ?」
「私は持っていないわ。班長が持ってるの」
「班長ですって? ルール違反だわ。そいつはど──」
と、そこでメディアは言葉を切り、呪式の展開を始めた。呪式とは、呪文を短縮させるため、魔力で立体魔法陣を展開させる。その魔法陣の内容含めて、呪式と呼ばれている。呪式は補助。メディアはそれを一瞬で組み立てる特技を持っている。
そして鍵は言の葉。呪文。
「汝流るる清き水の乙女達 私を守りなさい」
ぱしゅ
そのまま突き進んでいれば太股の辺りだった。そこに、水に絡まれ空中で停止する矢があった。殺す気だけはなかったことが伺える。ただし、これをした者の弓の腕が確かなら。
「まあ危ない」
リディアは弓を手に持ち、それをこともあろうに素手で投げ返した。まるで弓で放たれたような勢いで、その矢は五メートルほど離れた木へと向かった。
「うわっ」
木の上から青年が落下した。
「あら、痛そう」
原因であるリディアは口元をローブで覆い悲しむそぶりを見せた。サディは再び近くへ行き、変な落ち方をして息を詰まらせ動けない青年に合掌した。
「いや、その人なんてまだぴくぴくしてますよ」
ハランはいつ再び襲われるか分からないので、手を合わせるサディを青年から引き離した。その間、サディが明らかにハランへと怯えの眼差しを向けていたのは言うまでもない。
「さて、あとは……」
「あら。あそこの木の上に誰かいますわ。ちょっとお札を外して素手で引き摺り下ろしてみたい気持ちになってきました。お馬鹿さんは、本当に高いところがお好きですね」
リディアは袖をめくる。その下には包帯のように札が巻かれていた。
「ひっ、ごめんなさいっ」
出て来いと言われる前に、最後の一人は木から飛び降り土下座をして謝った。
メディアはそれを見て「大げさねぇ」と言ったが、このメンバーと一人で対峙し、平常でいられるはずもない。
「で、なんであんたたち程度が私達を狙ったわけ? しかも怪我させる気満々だったじゃないの」
メディアは自らの足を叩く。
「そうです。痛いのは辛いですよ。貴方たちも味わってみますか?」
必死で木からナイフを抜こうとしている少女と、土下座してメディアの術で拘束されている少年へとリディアが微笑みかける。
「苦痛の前にあるのは皆平等の絶望と恐怖と死への渇望だけです」
リディアは目を細め、柔らかく微笑む。台詞さえ聞かなければ、素直に見惚れられる魅力的な微笑み。
「あんたどれだけ痛めつけるつもりよ」
「いえ、ほんの少し封印を解いて触るだけです。そうすると私も痛いんですよ。昔の誰か偉い人が言ったそうです。痛みを分かち合ってこそ、真の信頼は生まれると。さあ、痛みを分かち合いましょう」
リディアは変わらずたおやかに微笑み、包帯の札へと手をかけた。
「きゃーきゃーきゃー」
「ひぃ、やめてやめてやめて」
ナイフは体勢が悪いのかなかなか抜けないらしい。メディアの術は、なかなか破れないらしい。
リディアは包帯を解くべく、包帯を押さえつけていた金具を外した。
「成仏できなかったら、私たちが責任を持って面倒を見ます」
言ってまたもや合掌するサディ。
ハランはそれを傍から見て、思う。
(ひょっとして、出会わせていけない子達を出会わせてしまったのでしょうか?)
しかし、ハランにとっては嬉しい限りだった。幸せだった。
「話します。話しますから許してくださいっ」
二人は生き残るため必死になって仲間を売った。メディアとリディアは邪悪に微笑んだ。
その様子を見て、アルスは机に額をつけてそのひんやりとした心地よさに現実から逃避する。
水を張った銀の皿には、森の様子が映っていた。水鏡と呼ばれる遠見の術の一つで、アルスが得意とする術の一つだ。
「あわわ、まさかあの子があんなに凶悪な性格だったなんて」
ミンスがメディアとリディアの尋問を見て、驚きに目を丸くした。いつもはありもしない尻尾が、興奮のために飛び出て揺れていた。
「そっかぁ。今まで誰かと対立することはほとんどなかったもんなぁ」
女子生徒は苦痛の二文字で距離を置き、彼女の美貌に興味のある男達もその苦痛の二文字で距離を置き。彼女はいつも一人だった。班の中でも距離を置かれていた。封印している限りは、触れただけでは痛みなどないというのに。
ただ一人、苦痛と聞いて痛みを教えてくださいと握手をせがんだ男がいたが、彼はまた特別である。その後彼は、やはり純粋な苦痛よりも、直接殴って踏みにじって欲しいと結論を出したらしいが、時々する分には癖になりそうだとも言っていた。
「ああ、うちの娘の周りには、なぜああいうのしかいないんだ?」
「うーん。ハランみたいなのがもう一人増えるのとどっちがいい?」
「……神様、ありがとう。まだ許容範囲の出来事でした。人の振りを見て、娘が少しは大人しくなりますように」
「神様って、どの神様?」
ミンスが首を傾げる。
「子育ての神様っていたっけ?」
アルスが首を傾げる。
「安産の神様なら知ってるけど。大体君は、母神の巫女でしょ。仮とはいえ」
すべての母。創造主。その名は封じられているゆえ、人々は創造主を母神と呼ぶ。アルスはそれのなんちゃって巫女だった。
「好きでなったわけじゃないからいいんだ。それに大丈夫。母神は時々変な物を見せるけど、たいてい意味ないし。あっても一ヵ月後にミンスが階段でこけて転げ落ちて泣いたとか、そんなことだから」
「……ありがたみのないお告げだよね。あの時ボクが泣いたの、予言されたんだ。すごいなぁ、ボク」
「そんなもんだ。神なんかに期待するな」
「アルスの信奉者の人たちが聞いたら泣くよ、きっと」
「泣きゃいいんだよ、神なんかに頼ろうって奴はな。魔道師を見習えってんだ。見事に利用している。俺みたいなヤクザもんも、ほんのちょっと神聖魔法が使えて女神の欠片召喚してお告げが来るようになっただけで聖女なんて売り出して利用する。面白いよな」
「そだね。ほんと、アルスもメディアも面白いし大好き」
メディア。その一言でアルスは現実へと帰る。
水鏡が消えてしまったので、娘とそのストーカーと新たな同胞もとい仲間へと再び視点を合わせた。そこでは、捕らわれの一組三班の少年少女が命乞いをするように、悪事を暴露していた。
『だからつまり、三組三班のプレートを取ったら、賞品が出るんだって!』
アルスは再びうつ伏せになった。
『誰がそんなことを!?』
『わかんないって! あんたら基本的に嫌われてるから。でも、賞品は本当に出るらしいから』
なぜこうも、メディアは敵を作るのが得意なのだろうか? そしてそれを聞いて一笑して二人を撲倒させてしまうそのほんの少しだけ慈悲のあるような無慈悲さは何なのだろうか?
「ミンス。カオスに報告しておいで」
「うん」
「裏で何があるか知らないけど、どうやらこの企画、始めから外部に漏れてたらしいってな」
「うん、わかった」
ミンスは軍人のするような敬礼をして、窓から身を躍らせ、翼を作り風を受けて飛んだ。
アルスは娘の様子をもう一度見たが、ほっといても襲い来る刺客を全滅させてしまいそうな雰囲気があるので、別の場所を見ることにした。とにかくそんな馬鹿なことをした犯人を探さなければならない。これはバトルロワイアルだが、一チームを狙わせるために行ったのではない。
「……よし」
部員たちに聞いてみよう。
アルスは部長──グローグへと連絡を入れることにした。自らの足で。
メディアは木刀で手近な木の枝を殴る。枝は木刀に負けて折れ飛んだ。
「なかなかいいじゃない、人を殴るためだけの道具も」
杖も木刀も棒だ。棒術に長けた彼女は会心の笑みを浮かべた。
戦利品の一つ、木刀。他にもプレートと、武器一式。ああいうのは武装させたままにしておくと、誰かに助けられたときに再び舞い戻って復讐しに来るものだ。もちろん人と争っているとき、油断したところをつくのだ。だからこそ、武器を取り上げた。杖も取り上げ、学校の校庭辺りに送りつけた。理屈は簡単だ。召喚魔法で適当な魔物を召喚し、それに運ばせる。
「それで殴られたらさぞ痛いのでしょうね」
痛みに対して過敏なリディアが、うっとりと呟いた。
「当然よ。ハラン、殴って欲しい?」
メディアは新しく手に入れた玩具を、ぜひ人で試したいと思ったようだ。
「遠慮します。さすがにそれで殴られると骨が痛むでしょうから」
「……あんたもそんなことを考えるの?」
「そういう一発で気を失いそうなものはさすがに私も……。
どうせなら、じわりじわりと責めてください!」
「お黙んなさい」
メディアは木刀の先で軽くその腹を突いた。
「はい。黙ります」
ハランはうっとりと頷いた。
「ハランさんって、本当に面白い方ですね。適度な苦痛に快感を覚えて女性に従うことによりさらに快感に浸る方は大勢いますけど」
「それとハランのどこが違うのよ」
「なんと言いましょうか。とても素敵ですわ」
「……ああ、そう」
三人で危険な世界を築き上げるその傍らで、一名、別の意味で危険な世界を繰り広げる女がいた。
「みんな……うん。大丈夫よ。変で怖い人達だけど、逆らわなければきっと無事ですむから。大丈夫。
……そんな。うん。サディ頑張る。ありがとう、みんな。髭」
「髭!?」
突然三人が振り返る。
「はひっ!?」
サディは怯えて何かの後ろに隠れた。彼女の目にだけ見える、おどろおどろしい摩訶不思議ワールドの住人の背中であることは間違いない。まさかそれが……。
「あんた、髭の後ろに隠れてるの?」
「え……はい。立派なお髭です」
「髭?」
「いや、髭のおじさんだった。大きなカマを持ってる素敵なおじさんなの」
サディは口元をほころばせる。
「実験室で出会って以来、お友達になったの。とっても素敵でしょ?」
メディアはしばらく目を伏せ、呟いた。
「…………実験室の髭鎌男……」
ハランはその後を続けた。
「いたんですね、本当に」
二人は目には見えぬ誰かを想像して、身を引いた。
「何がですの?」
「第二実験室に、ちょっとした怪談話があるのよ。鎌を持った髭だらけの顔の男が出るってね。カオスが何もしないから、てっきりもう排除したか、ただの噂だと思ってたんだけど」
「私、けっこうそういうの見えるタイプなんですけど、ぜんぜん見えませんし感じません。あまり強くない霊なんですね。誰にでも見えるぐらい強ければ、置いておくだけで人避けになるんですが」
メディアとハランはため息をついた。もちろん、二人のため息の理由は違う。
「そんなことはないよ。髭のおじさんさん、見えるようにして」
そのサディの台詞に、三人は硬直した。
次の瞬間には、怪談の中身そのままの髭の男がサディの前に立っていた。
アルスは上を見上げていた。森とは隠れる場所が多い。多いからこそ、隠れる相手から隠れることも可能なのだ。いつどこに何がいるか分からない。そんな恐怖を彼らにも知ってもらいたい。それは森だけではなく、建物内でも言えることなのだ。名が知れれば狙われる。その実験の成果と、そのもの自身の能力と。
さらわれて意に沿わない実験をさせられることも珍しくない。世の中とはそんなものだ。彼女も不特定多数から狙われる身である。
だから待った。彼らが気付くまで。
気付いたのは、わずか三分後だった。合格点をやれる程度にはいい成績だ。プロになるのはまだまだ無理でも、魔道師としての技術にこれだけの能力があれば、重宝すること間違いない。
「先生、どうなさったんですか?」
グローグがアルスの前に現れた。他二人の部員も現れた。班長のミヒャエルと、幻術を専攻している魔女マリーヴェルだ。三人ともとしても優秀な生徒だった。ミヒャエルだけは、学友であったこともある。
「実はさぁ、不正者がいるみたいなんだ」
「不正っ!?」
三人は同時に叫ぶ。この辺りはプロ意識のなさが見られる。教師の前でつい声を大きくしてしまうのは仕方がないことかもしれないが。
「そう、不正だ。うちのクラスはないと思う。お前達が知らないぐらいだからな」
「先輩! その愚か者達はどこのどいつですか!?」
「さあ。それを探ってもらいたいから、ここに来たんだ。俺が出て行くと話しがややこしくなりそうだろ?」
三人は頷く。
「で、不正とはどのような?」
「うーん……カンニングだな」
「カンニング……つまり、試験内容が漏れていたと?」
アルスは頷く。自分の作ったプチ裏風紀委員達はとても優秀だ。最低限の情報で、必要以上の情報をもたらしてくれる。
「先に内容を知っていたのか、あらかじめ用意していたとしか思えない武器を持っていた」
「武器?」
「木刀とか威力の弱い弓だ。殺さないのがルールだと知っていたのだろうな」
三人は顔を見合わせた。
彼らも武器はほとんど携帯していない。クラブ活動で使うような、最低限の武器のみだ。
「で、一番問題なのは次だ」
「はい」
「三班からプレートを奪った者には、賞品が出るらしい」
「…………メディアさんか」
「いや、リディアさんも女子には恨まれているわよ。好きな人がいつも彼女を見てるとか」
「あとの二人は近寄りがたいだけで、人の恨みは買いそうにもないな」
彼らの中で結論が出たらしい。動機は大切だ。犯人を突き止める材料となる。だが、この場合不特定多数相手では意味がないとしか言いようがない。メディアとは、それほど恨みを買っている娘だ。
「先生、しらみつぶしですか?」
「そうなるな。信頼の置ける奴らに回せ。首謀者を割り出したら、みんなにケーキをおごってやる」
三人の表情が変わった。
「け、ケーキとは?」
「お前たちの大好きな、ドーラーのケーキバイキングに連れて行ってやる」
ドーラーとは、有名な食べ放題のケーキショップだ。そのケーキは飾り気は少ないが味は確かな一流のケーキが並べられるのだ。時々アルスが部員を連れて行き、その味にはまった者が多い。しかし密偵クラブの大半は男子生徒。男だけでは入りづらく、店頭で販売している多少手の込んだ土産用のケーキを買う者が多い。しかし毎回それでは、ケーキ好きの甘い野郎と噂され、あまり好ましくない。女子生徒はひたすら食べるだけの男子生徒を連れて行くのは恥ずかしいと、皆彼らを供とするのは嫌がる。そんなわけで、密偵クラブ男子生徒は、女性であるアルスの趣味嗜好付き合うためにケーキバイキングへ行くと言う、言い訳ができるのだ。
そしてマリーヴェルはただ純粋にケーキが好きなだけである。内定も上がり、人のお金でケーキを食べる。彼らはその程度のことでも燃料になるのだ。
そのあたりが、扱いやすいと思うと同時に将来を心配する材料となっている。
「先輩。ケーキだけですか?」
「もちろんフリードリンクもつけてやる」
ドーラーの店はバイキングなだけあり、けっして安価ではない。手間のかからないよう飾り気のないケーキを作ってはいるが、材料と職人の腕は本物で、それを思えば安いのだが、学生にとっては度々行ける場所ではない。社会人のミヒャエルはともかくとして。
「先生、僕頑張ります」
「私も」
アルスは一瞬出費を計算した。今回は特別教室の連中と、その班の人数。固まっている場合が多いので、ざっと見積もって三十人以上。参加者の五分の一である。
アルスの収入からすれば、ささやかな額でしかない。理力の塔の教師とは、実はとても実入りのいい仕事なのだ。
「よしよし。その意気だ」
「メディアさんの護衛は?」
「いると思うか?」
「そうですね。しかし念のため、僕が側にいましょうか。どのみち彼女たちの側が一番可能性があるんですし」
「……そだな。ただ気付かれないようにしろよ。近付いたら攻撃されるのは目に見えてるからな。あいつらは今、B地区の中央付近にいる」
グローグは緊張した面持ちで頷いた。そして、アルスは命令する。
「解散」
余談だが、アルスは最近、自分の小さな組織を作ることに快感を覚え始めていた。
グローグは目当ての一行を見つけた。気配を殺し、近付き、絶句した。
見た目は平均以上の、見た目だけならご一緒したいと思う班の中に、見知らぬ大男が混じっていた。しかも、伸ばし放題の髪と髭のせいで、その表情は見えなかった。その手には鎌を持っている。大きな鎌だ。まるで、怪談話に出てくる鎌男のようである。彼にはそれの正体が一目で分かった。サディの「おトモダチ」だと。
「私でも見えるわよ、これ」
メディアはそれを指差し呟いた。
「霊感ゼロのメディアちゃんにも見えるなんて、素晴らしいですねぇ。うわぁ。すごいです。でも、じゃあやっぱり大量殺人者なんですか?」
「違よ。仕方がなかったの」
サディは髭男の影に隠れるように、しかししっかりとした口調で言う。
「そうですかぁ……」
「そう。わかったわ。どうでもいいけど、目障りだからしまいなさい」
「めっ……」
鎌男の姿が掻き消えた。
(曲者だらけだな、この班)
特に恐怖の魔女と呼ばれるメディア。
呪いと、水系の魔術に関してメディアは天才だ。黒魔術師全般彼女は得意なのだが、白魔術と呼ばれるような系統は苦手であった。唯一水を用いた簡単な捕縛、結界なら得意なようだが、仮にも聖女と呼ばれる白魔術に特化した魔力を持つ女の娘とは思えない。幼い頃に死んだという父親とやらが、よほど破壊的な術を得意としていたのだろうと噂されている。メディアの評判は下がったが、年端もいかぬ少女が学生をしながら片親で懸命に子育てをしていたのだと、アルスの評判はそれで上がった。出来すぎた母親を持つと不幸だ。メディアは能力的に言えばかなりのものだが、性格が破綻してしまっている。
「ごめんなさい……もうしません」
気の小さなサディはふるふると震えて謝った。彼女はああだから扱いが難しい。作戦実行時は役に立つのだが、そこまで持っていくのが難しいのだ。サディはグローグの前回の班員だった。
「私は男は嫌いなの。しかもあんなごついの……どうせなら、もっと可愛いの出しなさい」
「メディアちゃん。手品じゃないんですよ。趣旨が変わってます。可愛い幽霊なんかが見えても、たぶん誰も驚きません」
「……それもそうね。まあいいわ。どんどん行きましょ」
メディアは左手で杖を持ち、右手にはアルスからの報告にもあった木刀を持っていた。彼女は剣は苦手なはずだ。棒術の達人で、木刀など彼女にとっては棒の一種なのだ。
「サディ、どうしたの?」
彼女は立ち止まったままきょろきょろと周囲を見回していた。それを見てメディアは前へと出した足を止めた。
「近くにグローグ君がいるって」
グローグはどきりとした。
(な、何で!?)
しかし今は考えているときではない。見つかったら間違いなく襲われる。間違いなく。どんなに説得しようとも信じてもらえない。メディアに。
逃げようと動いたそのとだった。
「グローグって……出てらっしゃい。あんたの恥ずかしい失態をばらされたくなければ」
「…………」
「出てこないつもり? そのつもりなら、問答無用よ。二年前あんたは──」
グローグは仕方なく木から飛び降りた。
「グローグ君だぁ」
サディが嬉しそうに走り寄って来た。
「心細かったのか?」
「うん」
サディはグローグへと抱きついた。
「ところで、どうして僕がいるって分かったんだ?」
鈍感なサディに気付かれたことが、グローグには信じられなかった。
「あのね。みんながグローグくんの気配がするって」
「気配?」
「うん。近くにあまり人間がいないから、分かりやすかったんだって」
幽霊に負けた。
それは安心していいのか、未熟さゆえなのか。彼にはわかりかねた。
昼時。
メディアは面白くなさそうにサンドイッチを食べた。支給されたものではない。メディアが実験的に作ったもので、カオスに食べさせる予定だったらしい。だから三人分ほどはある。カオスは細い体でよく食べるのだ。それを女の子同士で食べていた。
ハランはメディアのサンドイッチをじっと見つめた。彼は昔彼女の手料理で舌を麻痺させたことがあったが、彼女自身が食べているので、人の食べられるものであると判断したからだった。
「……あんたまで何物欲しそうに見てるのよ。やらないわよ」
「そう言わずに」
「嫌よ。前にシチュー作ったとき、あげようとしたら全力で逃げたじゃない。人の成長も否定するような馬鹿男に、誰がやるものですか。少なくともカオスは、信じて食べてくれたわよ」
「っく」
ハランは後悔した。
(あれは食べられるものだったのか!?)
それなら逃げずに食べて好感度を上げておけばよかった。しかし、後の祭りである。
「カオス様にお料理を作ったんですか?」
「そうよ。私はカオスの直接の弟子だもの」
彼女はリディアの問いに、身長と同じく、成長する兆しの見えないまっ平らな胸を張って答えた。
それを聞き、ハランは小さくため息をついた。
グローグはそれを哀れに思い、携帯食をさし出した。彼はそれを常に持ち歩いているのだ。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
「見てられないんで」
昔、まだノーマルだった──メディアと出会う前の彼は、誰からも尊敬される男だった。それを思い出し、グローグの胸は切なさに支配されたのだ。人間、どんな風に堕落するか分からない。
「しかし、これからどうしますか? これからどんどん厄介な相手が出てきそうですが」
ハランは先行きを思いため息をつく。
先ほどの四人組はメディアでも全滅されられたが、すべてがすべてああではない。もっと凶悪な、もっと手段を選ばない、もっと強い連中が現れるのは間違いない。
「決まってるでしょ。私の前に立ちはだかる馬鹿どもは、適当に痛めつけてやるだけよ」
「まあ、素敵」
リディアはメディアの言葉に喜んで手を叩く。
「まっ、大半は雑魚だからね。厄介な連中が、戦線離脱してるからよけいにやりやすいわ」
厄介な相手とは、密偵クラブの面々だ。メディアは悪女さながらに微笑む。それを見て、グローグはサディへと言った。
「サディ。お前もあれぐらいにはならなくてもいいけど、あの一欠片ぐらいは見習って自信持ったほうがいい。あと、知らない奴が出てきたからって、誰か知らないけど見えない奴の背後に隠れるのもよくない。僕らから見たら隠れてないから」
「…………っ!?」
彼女はグローグに言われて始めて気付いたようで、ショックを受けた表情のまま硬直してしまった。仮面の奥から見える緑の瞳が揺らぎ、にじむ。
「泣くなって。ほら、飴をあげるから」
サディは飴を口に入れられ、小さく笑った。
「ありがとう。イチゴ味……美味しい」
「いいか。そんなことで泣くんじゃない。でないと、あいつらを見るたびに泣かなきゃならなくなるだろう」
「……うん。みんな変なの。なんで私はここにいるんだろう……」
「その仮面さえ外せば、こんなところにいなくてもすんだんだぞ。思い切って外してみろって」
サディはふるふると首を横に振る。
「いや……恥ずかしいし」
グローグは何度も繰り返されたその問答にため息をつく。人と顔を合わせるのが怖い少女。生き人に怯え、死者を友とする。内向的と言うよりも、対人恐怖症に近い。
「メディアさんはこれの気の弱さを見習ったほうがいいと思うぞ」
「うるさいわね」
メディアはプレートを胸元に戻しながらグローグを睨む。
「ところであんたは何で私達を張ってるわけ?」
「見張りだ。先生は一早くこの事態に気付き、収拾を図ろうとしているんだ」
メディアは突然立ち上がった。
「こうしちゃいられないわね。先を越されたら何も出来ないじゃない! この私に逆らう愚か者なんて、泣いて謝るまでじわじわといたぶってやるのよ!」
「私も苦痛と絶望を撒き散らすお手伝いをいたします♪」
グローグとハランは偶然視線が合い、同時にため息をついた。人見知りが激しいサディは、二人を見ておろおろとした。二人のようにしなければならないかと悩んでいるのだ。
「サディ、頑張れ。決して仲間でかつ女の子には手を上げないと思うから。メディアは」
「……はい」
「でも、逆らうなよ。脅されるだろうから」
「はい」
サディは怯えながらまた誰かの後ろに隠れた。これはクセなのだ。彼女がそれで落ち着くのなら問題はない。いいではないか。心を安定させるために自らを騙す程度。
「辛いことがあったら言うんだぞ。クラスは同じなんだ。午前中なら話し合えるだろ?」
「はい」
彼女は口の中で飴を転がしながら頷いた。
(新種のペット飼ってる気分になるんだよなぁ、こいつといると)
餌付けして、怯えるのをなだめて。最近になってようやく目が合うたびに何かに隠れることがなくなった。時々隠れるのは、ただのクセ。それでも、いつかは現実を友達にしてやろうと目論んでいたのに、班が分かれてしまったのだ。預かっていた子犬がようやくお手をするようになって、飼い主に引き取られていった時も、このような悔しさを味わったもことを彼は思い出した。
「グローグ君は、サディちゃんのことが好きなんですか?」
笑顔で言う、分かっていない変態にサディが珍獣を見る目を向けた。
「嫌えますか、この目を見て」
「……ああ、なんてことでしょう。昔飼っていたベスを思い出しました」
「ベス?」
「はい。ねずみです」
ごっ!
メディアの木刀での一撃が脳天に直撃した。
「私の前でその汚らわしい名を今度口にしてみなさい。捨てるわよ」
「そ、そんな。それだけはっ! もう言いませんからっ!」
手加減されていたのか、ハランの頭は割れることも無く、血も出なかった。
(そういえばメディアちゃん、ハムスター見て泣いてましたっけ)
(メディアさん、ネズミが苦手なんだ)
男二人は各々感慨にふけった。
どんな女にも、可愛いところの一つや二つあるものだと。