死と苦痛と闇

1
 この魔道都市アンセムに吹く風は、この地で力を得て通り過ぎる。精霊達が魔力に満ちたこの地で力をつけるからだ。アンセムを通り過ぎた風は、風の国ウェイゼアへと流れ込み、風神の膝元で取り込んだ力を発揮する。
 アンセムを吹き抜ける風は、冷たい空気を含んでいる。近く来る冬の訪れを感じさせる、ひやりと冷たい北の風だ。
「ふん」
 冷たい風を受けながら、少女は小さく鼻を鳴らす。
 風は少女のローブの裾をめくり上げ、細い足首が度々姿を見せた。手に杖を持ち、それをすいと水平に動かす。
「恐怖には恐怖を。苦痛には苦痛を。死には死を」
 少女の足下に、水が湧く。乾いた土は黒く湿り、やがて小さく深い水たまりができる。水たまりと言うには、少々異様だ。それはあり得ないほど盛り上がって半球を作り上げている。
「望むがままにここにあれ」
 杖を突き立てると、水の色が赤黒く濁る。それを確認すると、彼女は言った。
「返るべし。あるべきところへ返るべし」
 赤黒い水はさらに盛り上がり、球を作らんとした瞬間、少女とは逆の方向へとはぜた。水は地面に吸い込まれ消える。濡れた土すら乾き、元の茶の色を取り戻す。
「ふん」
 もう一度鼻を鳴らし、振り返る。黒く癖のない髪が広がり、乱れることなく元の位置に納まった。
 少女はそれすらも鬱陶しげに再度後ろへと払いのけると、藍色の瞳を細めて笑う。
「馬鹿な呪いは返してやったわ。安心して生活なさい」
 少女は向かい合う女を安心させるため、揺るぐ事なき自信を持って言う。
「ありがとう、メディア」
「同郷のよしみよ。ハランも世話になっているみたいだし」
 少女──メディアは言う。向かい合う女は微笑み、白い小袋を差し出した。
「これはお礼よ」
 金ではない。金ではないが、メディアにとっては金よりは価値がある薬草が入っているのは、匂いで分かった。
「あら、ありがとう」
「また店にきてね。そうしたら、美味しいケーキでもごちそうするわ」
「ありがとう。でも優しすぎると、また変な男を引っかけるわよ。アンセムの男は魔道師が多くて、ろくでもないことをするわ。くれぐれもストーカーには気をつけてね。何かあったらまた相談に乗るから」
 年上の、彼女の母よりもよほど『世間』を知る女性に対し、メディアはしつこいほどに言いつのる。彼女は男の扱いは慣れているが、魔道の扱いに関しては素人であり、不安がある。
「私はそろそろ時間だから行くわ」
「勉強頑張ってね」
 手を振る女に手を振り替えし、メディアは学舎へと戻る。
 彼女は魔道機関理力の塔に属する学舎エムラドの学生──魔女見習いである。


 教室に戻ると、班員達がこちらを見た。エムラドでは同じクラスの数人で班を作る。日常では関わりを持つ必要はないものの、イベント時、仕事に行く場合などに行動を共にするため、日常に置いても必然的に共に行動することになる。
 そんな班員は二人。
 一人は豪奢な栗色の巻き毛をかき上げる、底意地の悪そうではあるが絵に描いたように整った顔以外に取り柄のない、性格の悪い美男好き少女、苦痛の精霊憑きのリディア。
 一人は仮面が怪しく、その奥にある緑の瞳におびえの色を持つ、謎多き死霊術師の少女サディ。
 この二人がメディアの班員達で、数少ない、あらゆる意味でメディアに対抗しうる者達だった。
「メディアさん、何をなさっていたの?」
 リディアは包帯に包まれた指先を気にしながら言う。正確には包帯ではなく、札の一種だ。彼女は苦痛の精霊に憑かれているため、封じていないと他人に触れるだけで苦痛を与えてしまうはた迷惑な体質である。ただし、本人も痛いらしく、やるときは本気である。
「知り合いがストーカーに呪われていたからそっくりそのままお返ししていたのよ」
「恐い……」
 サディはふるふると震えた。その瞬間、何人かの生徒達の口から悲鳴が上がる。おそらく彼女は、メディアの目には見えない悪霊の背に隠れたのだろう。それにより見えやすくもなったのか、霊を見やすい生徒がそれを目撃してしまったのだ。多々あることだから、この現象に一部の者はもう慣れている。
「サディさん、皆さんを怖がらせてはいけませんわ」
「そうよサディ。あんたそんなことしてると、悪霊に対する偏見を生むだけよ」
メディアの言葉にサディは頷いた。
「はい……」
「下手に隠すから恐いのよ。私の知り合いも、くっきりはっきり見えるより、うっすらぼんやり見えてた時の方が怯えていたわ。悪魔よりもそこらの死霊に泣いて怯えていたもの」
 誰かがおいおいと言うが、サディには聞こえなかった。彼女は天啓を受けたかのごとく驚きに目を見開く。
「なるほど、そうだったんだ。そういえば、はっきり見えていると騒ぐ人が減る気が……。
 メディアさん、気づかせてくれてありがとうございます。みんな、姿を見せていいって」
「ぎゃあああああ」
 霊の数々が姿を見せた瞬間、教室中が大パニックになった。生徒と同じだけの霊が姿を見せれば、当然パニックにもなる。それが隣に立っていたり、友人の頭の上に乗っていたりすればなおのこと。
「だめよ、ちょっとずつ慣らさなきゃ。怯えさせちゃ意味がないでしょ」
「そう……ですか。みんな、ごめんね」
 彼女が霊達に謝った瞬間、彼らは姿を消した。しかし生徒達は怯えたままだ。頭の上に乗られていた生徒は、必死で髪を振り乱す。
「なによ、たかが悪霊でそんなに騒ぐなんて。悪魔を見たわけでもないのに愚かねぇ」
 メディアは席に腰を下ろし、くつと笑う。
 大げさな連中と思っていた時、教室に教師が入ってくる。
 これから仕事のためのミーティングが行われる。ミーティングは週に一度、特殊な能力が必要で始めから個人を指定されている場合もあるが、大半はこの場で誰が持ち込まれた仕事を行うかを決める。このクラスは一人の生徒が一月の間に一、二度仕事に出る程度の頻度だ。正確には実践研究なのだが、内容は普通に理力の塔に来る仕事と同じであり、教師達も仕事とかバイトとか呼んでいる。実際に見合うだけの給与も入ってくる。
「席つけぇ」
 長い黒髪を一つに結ぶ、藍の瞳が爽やかな背の高いハンサムな教師。メディアの実母のアルスである。男装をしているが、中身は立派な女性であり、世間では聖女と呼ばれている。アルスが心清い聖人君子というわけではなく、能力と体質による物が大きい。
「今日はちょっと珍しい仕事が来てるぞ」
 アルスは二枚の紙を持っていた。仕事は二件らしい。
「一つはとある資産家の護衛」
「はい」
 一班、グローグ=マイゼンが手をあげる。アルスが顧問をする密偵クラブの部長で、体術ならクラス一だ。前の仕事から一ヶ月近くたっているので、誰も反対する者はいなかった。
「よし、決まり。んでもう一つは悪霊退治」
 その瞬間、クラス全員が三班──メディア達の方を指さした。正確には、死霊使いのサディ=アーラインを。
「死霊使いがいるから、適任だろうけど、いいのか?」
「別にかまわないけど」
 メディア達は悪霊に慣れているので、適任だろう。メディアに霊感はないため役には立たないが、足手まといになることもない。
「実はこれ、傭兵ギルドからの要請なんだけど」
 その言葉にクラス中がどよめいた。傭兵ギルドと言えばほとんど敵対組織と言っていい。
「何それ。仲悪い組織にそんな事頼んできたの? 自分のところの魔道師使えばいいじゃない」
「そうですよ! それが選りに選って、どうしてエムラドに回ってきたんですか!?」
 生徒達は前例のない事態に動揺し口々に意見を述べた。
「残念ながら、あちらに高度の浄化呪文の使い手はいないらしい。それに、最近カオスが頑張って仲良くなったんだ。数年前にトップが変わって、体制も変わったらしい。んで、そのお近づきの意味もある。ここに来たのは、生徒なら大人達よりも安心してくれるだろってことだ。敵意がないと理解してくれるだろうし」
 教室中がざわめいた。その瞬間、グローグが立ち上がる。
「やっぱり俺達がそっちに行きます!」
「何で?」
 アルスは紙を指先に挟んだまま首をかしげる。
「サディはともかく、あの二人を行かせたらせっかく築いた信頼が崩壊し、さらなる確執を生みます!」
「人の娘を捕まえて、ひどい事言うなよ。うちの子は仕事に関しちゃ妥協しないぞ。霊感ないけど」
「じゃあ意味ないじゃないですか。先生はあの班が行ってもいいと思ってるんですか!?」
「ハランがいるし。それに一組のアランがどうしても参加したいって言うから、大丈夫だって。むしろ、アーラインがいるから教室に回ってきた話だしな。アランとサディ。死霊使いが二人もいれば、失敗なんてあり得ないだろ」
 一組のアランとは、サディの従兄の狐顔の男だ。一族の中でも優秀な、しかし臆病なサディを見守るためだけにここにやってきたらしい。クラスが別れたのは、アランの運がなかったからだ。
 実質仕事をするのは死霊術師の二人と言いたいのだろう。メディアは役立たずだ。せいぜい、補助が関の山。
「あら素敵ですわ。いい男に囲まれて仕事なんて。ギルドの方にも素敵な男性がいらっしゃるかしら?」
 多少顔立ちの整っているアランと共に仕事をするとあって、リディアの美貌はにやけていた。
「問題は、メディアさんの性格です! 相手に喧嘩売ってどうするんですか!」
 アルスはきょとんとして、娘に目を向けた。
「そんなことしないよな?」
「しないわよ。変なことされないかぎり」
 グローグがなぜか頭を抱えてうずくまる。これほど言われて考えを変えないということは、おそらく初めから決まっていたのだと、この頃になって皆は気づいた。諦めるしかない。
「所詮『悪霊』でしょ。『悪魔』クラスでないかぎりは恐くもないわ」
 普通の悪霊では何か大きな力を借りない限り、メディアに認識すらされない。それはつまり、メディアにとって何の影響もないという事である。
 死人などの多くに力はなく、あるとすれば悪魔、土地、魔道師などの力を借りた場合のみ。何を恐れる事があろうか。
「いいわね、サディ」
「他の人に任せたら、きっとその子達が恐い思いをするから、いいよ」
 霊一筋の彼女は、珍しく積極的な姿勢を見せた。
 ここからすべては始まった。


「いやぁ、初めて来たけど面白い場所ですね」
 ハランは活気ある大通りを見て言う。背の高い優男で、腰には大層な剣を帯びている。騎士の家系の次男坊で、剣の腕もいいのだが、生まれながらにして植物を操る能力を持っているため、理力の塔にスカウトされたらしい。世間で言う魔法剣士なのだが、見た目だけでは誰も信じない。
 メディアはハランの言葉を聞いて、改めて周囲を見回した。
 様々な人種が集まるのは理力の塔も同じだが、こちらの方はさらに幅が広いので、見た事もない人種や生物や物で溢れていた。人間でない者も多い。
 メディアは見知らぬ料理に目を奪われ、ハランに腹をこわすと言われて諦める。
 傭兵ギルドに入り仕事をするには、理力の塔と違い身一つあればそれでいい。理力の塔のように才能はなくとも、傭兵になることは出来る。信頼さえあればいいのだ。あとは階級で実力をわけておけば、雇い主も財布と見比べやすい。
「立派なのか、ボロなのかよくわからない」
 サディが首をかしげた。育ちのいい彼女にはこの活気はあるが品がいいとは言えない通りは、なじまない場所だろう。
「そうね、傭兵ギルドはうちと違って料金設定に大きな幅があるから、利用しやすいものね。だから貧富の差も激しいし、色々な場所から本当に色々なものが集まるのよ。アンセムに来る商人は、ある程度こざっぱりしていないと相手にされないけど、ここは違うみたいね」
 理力の塔の魔道師を雇うのは、政府や王侯貴族、商人などの金持ちぐらいだ。もしくは皆で金を工面して雇うなど。それに比べて傭兵ギルドは手が出しやすい。
「場所はどこでしょうね。ごちゃごちゃした街でわかりにくい」
 ハランは珍しく地図とにらめっこして顔をしかめた。方向感覚はいい方なのだが、その彼が自信をなくすほどごちゃごちゃとした街だ。露店が一掃されればある程度すっきりするだろうが、それは無理な話である。
「おそらくあちらだ」
 よほどサディから目を離すのが恐ろしいのか、他クラスであるのにこの班についてきたアランが勝手に進んでいく。超がつくほどのお嬢様であるサディのお目付役兼、護衛である。ただし、あまり仲は良くないようだが。
「根拠は?」
「あっちに強い霊の気配がするの」
 サディは珍しく浮かれた顔をしていた。仮面で顔の大半は見えないが、口と目元は見えるので表情は読み取れる。
「そう」
 なら信じてついていくのが早いだろう。彼らの死人に対する思いは人間に対するもの以上だ。人はどうでもいいが、死人は大切にするという、本末転倒な一族である。
「死人マニアもこんな時ぐらいは役に立つのね」
「メディアちゃん、死霊術師をなんだと……」
 ハランの言葉は無視して進む。リディアもふくれ面をしてそれに続く。
「さっさと終わらせて帰りましょう。こんなむさ苦しい男ばかりの場所。ああ、なんて華がない場所」
「リディア、あんたは目的をはき違えすぎよ」
「ああ、いい男はいないかしら。汗くさい男性は苦手です。汗くさくても、顔立ちが爽やかなら可」
 聞いてすらいない。
 メディアは諦め黙ってついていく。当然だが、この都市には傭兵が多い。リディアではないがむさ苦しい連中ばかりで、メディアには興味のない連中だ。だがカオスが作った道ならば、迷わず行くが弟子としてのつとめである。
 しばらく迷路のような道を行くと、ギルド関係の施設が見えた。死霊使いの二人は足を止め、その建物をうっとりと見上げた。
 ──まともに見えるアランも、霊に関わるとサディと大差ないのよねぇ。
 根本的なところは同じで、顔を隠さず臆病でないだけの違いしかない。
 ハランはこれ以上を二人に任せる事に不安を抱いたか、前に出て門番に声をかける。適切な判断だ。
「どうもこんにちは。理力の塔の者ですか」
「あんたらが? 子供までいるじゃないか」
 メディアは反射的に呪文を唱えかけたが、カオスの顔が浮かび、ぐっとこらえた。大人の女は短気を起こさない。切れれば子供を証明するようなもの。
「魔道に年齢は関係ないわ」
 門番の一人はあからさまに顔をしかめ、もう一人の門番に殴られる。
「お待ちしておりました。さあこちらへ」
 年長の門番は表向きは歓迎の意を示し、皆を敷地内に案内する。敷地内と言っても、塀の中に入っただけで、建物内ではない。庭にテントが見えた。対策本部のようだ。簡易なそれからは、彼らの困りようが伺えた。
「リューネ様、カル様、理力の塔の方がおみえになりました」
 テントの外でぽーっとお茶を飲んでいた男が二人立ち上がる。男と言うよりも、立派に少年といっていい年齢だ。
「あっちも子供じゃない」
 一人はメディアと大差ない年頃だ。二人とも、リディア好みの綺麗な顔立ちをしている。黒の髪に緑の瞳と、顔以外には特徴のない外見だ。
 その少年達を見て──いや背の高い方を見て、サディ、アランがその手を握り、リディアが正面から抱きついた。
「な、なんだお前達はっ」
 当たり前だが、少年は狼狽した。見ているメディア達も困惑した。リディアだけならともかく、人見知りするサディとアランが突撃したことには面食らう。
「リディアはともかく、あんた達何正気を失ってるのよ。っていうか、リディア、あんたも危険だから離れなさい」
 メディアは死霊使い達を引き離し、リディアを引き離そうとするが、彼女はふるふると首を横に振った。何も封じを施していない頬をすり寄せて。封印されているとはいえ、ここまですれば苦痛は伝わるはずである。
「………………あんた、苦痛の抱擁を受けて平気なの?」
 腹に何者かが張り付いて困惑する少年は、困った顔をしてメディアを見つめた。
 メディアは何かを感じるような気がした。何か──何だろうか。
「離れろ、死にたくなければ」
 彼は困惑を通り過ぎると、事も無げに行った。
「乱暴な男ね。いくら何でもそこまでいうことないでしょ」
「私は死の精霊憑きだ。気安く触れられると、私の意志にかかわらず本当に死ぬ。この女性を離してくれ」
 彼は困り果てた様子で言う。死の精霊憑き。苦痛の精霊と同位の、高等な凶の精霊である。どちらも凶神トリアスに関わる精霊で、仲間といえる。
「ああそっか……凶の力同士、相殺し合うのね」
 専門分野の面白い現象を目の当たりにし、メディアは知的好奇心を刺激された。凶の精霊はメディアの専門である『呪い』によく利用する。
「それじゃあ、リディアさんは彼に触れても平気ということですか?」
「たぶんね」
 ハランの言葉にメディアは答える。詳しくはないからはっきりとは言えないのだが、今の状態を見る限りはそうとしか思えない。死の精霊憑きの少年は、呆然とする二人を見て、早く引き離せとわめいてる。無害である以上、飢えたリディアを引きはがすことは危険である。とばっちりは食らいたくない。
 メディアは不安そうにする少年に言う。
「大丈夫よ。この子、苦痛の精霊憑きだから」
「苦痛?」
 リディアを腹にひっつけた彼は、他の凶の精霊を知らないようできょとんとした顔になる。素人には言っても無駄だろうが、大丈夫と言うことさえ伝わればいい。しばらくすり寄れば、リディアも気がすむだろう。
「あの……あなた方は一体……」
 普通な年下の方が声をかけてきた。いかにも賢そうな少年だった。
「私たちは理力の塔の者です。彼女は……仲間に出会えて嬉しいのだと思います。凶精憑きは珍しいですからね。どうか許してください」
 ハランは極力リディアに好意的な解釈を述べた。少年はそれを信じてにこりと笑う。
「そうですか。なら、きっと兄も喜びます」
「お兄さんですか。これから大変でしょうが、頑張ってください」
「へ?」
「いえなんでもありません」
 ハランは笑って誤魔化し、やめる気配のないリディアへと声をかけた。さすがの彼女もしばらくそうしていると我に返り、ころころと笑いながら少年から離れた。少年は一瞬にして気力と体力を奪い去られ、げんなりとした様子で肩を落としている。
「リディア、落ち着ついたわね」
「すみません。つい……」
 彼女は頬を朱に染める。何も言うまい。もしもこれで彼女に恋人でも出来れば、世の中少しは平和になる。
「リディア、興奮しないでくれる。仕事で来てるのよ」
「すみません。つい……」
 ちらと少年を見る仕草には媚びがふんだんに含まれており、女のメディアから見れば気色悪いことこの上ない。たが、男から見れば、それは別なのだろう。少年はリディアを見つめていた。呆れているだけかもしれないが。
「……ペイン?」
「はい、私は苦痛。名はリディアといいます」
「俺はリューネだ」
「リューネ様」
 リディアは再びリューネにへばり付く。腕に腕を絡め、恋人のように身を寄せる彼女を再び観察していたが、やがて諦めたようでハランに向き直る。
「……仕事の話だったな」
 リューネはリディアを腕にぶら下げたまま話を始めた。馬鹿な女は気にしないということだろうか。
「実は先月から、この施設に無数の死霊が住み着くようになった」
 それは聞いている。
「何度か追い払おうとしたが、いくら追い払っても別の死霊がやって来る」
「まあ、恐い」
 リディアはわざとらしく怯えた振りをした。
「ペインが? 死霊を恐れる?」
「だって女の子ですもの」
 リューネは一瞬顔をしかめてから、ハランを見た。
「傭兵といっても、生きた人間相手でこういうオカルト的なものは苦手な者が多い。士気にも関わるから、なんとかして頂きたい」
「はい、もちろん何とかしますよ。そのためにアーラインの死霊術師を二人も連れてきましたからね」
 一人は無理矢理ついてきたのだが、それを言う必要はない。
 アーラインの名は、この中でも知る者は多いだろう。ある意味伝説的な一族だ。怪談話によく出てくる。
「それは頼もしい」
 リューネは明らかにオカルトの世界に身を置くサディを見つめた。外見でそうと分かるのは彼女だけであり、彼女を見つめるのは当然だろう。
「が……がんばります!」
「命に替えても!」
 死霊術師の二人は、リューネの言葉を受けて全身にやる気をみなぎらせた。
「何で急にあんな……」
「死の精霊憑きだからでしょう」
 メディアはハランの言葉に納得する。死の精霊は、死神に属する精霊だ。死霊術師である彼等にとって、自分が崇める神の使いのようなものである。やる気を出すのはもっともなことだ。
「楽しみ」
「確かに今までで一番楽しい仕事だ。いつもこうならいいのだが……」
 死霊に愛を捧ぐ二人の会話に、割って入る者はいなかった。もちろん傭兵達は引いている。これを魔道師の平均的な姿と思わないといいのだが、今は何も口にしない方がいいだろう。

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