剣の都

3

 白い何かが地面からはい出てきた。
 骨だ。
 サディは杖を抱えて呪文を唱える。
「優しき大地に眠るべき物
 常闇の宮に在る物
 此処は生者の宮
 地に眠り、闇の門をくぐれ」
 いつもは呪文すら唱えないくせに、今は呪文を繰り返し唱えていた。それでも抑えが効かず、もがき、地上に出ようとしている大きな何かの骨。
 メディアは舌打ちしてそれをただ見つめた。手が出せない。
「サディ、あれは何? どうするつもり」
「ボーンドラゴン。あまり長く保たない。持って帰りたいけど無理。どうすればいい?」
 逆に問われて考える。メディアには強力な術があるが、あれは魔力をごっそり取られた上、しばらく身体のどこかが使えなくなる。
「ったく、なんでこんな所にドラゴンの死体が埋まってるのよ!」
 普通こんな所の地面の下に埋まっているはずがないのだ。多少深く埋まっていたと思われるが、それでも今まで誰も気付かなかったことがおかしい。
「昔、ギルドを始めた伝説の勇者が、ここで人食いドラゴンを打ち倒し、鎮魂も兼ねてこの地に本部を置いたという。伝説だと思っていたら、まさか本当だったとは」
 此処の主であるユーリィは、アルセードに触れて呟いた。ご立派な肩書きを持っているにもかかわらず、どうしようもなく傍観していた。
「これで切ればどうにかなるか?」
「さっきの説明が本当なら、彼はアルセードに殺された。ならそれでまた殺されそうになれば、暴走する。抑えが効かず死人が出る」
 サディは聞いたこともないほど苦しげな声で忠告する。それだけ魔力が削がれているのだ。どれだけの怨念なのだろうか。
「リューネは」
「相手は死者だ。死者に死は与えられない」
 父は息子の言葉にああそうかと納得する。死した後は死神の領域だ。死とは恐ろしいが、世界規模に見ればそれほど大きな影響があるわけではない。死とはあって当然の物なのだから。
「アルス、お前は聖女だろ。死者の浄化ぐらいできるだろ」
「出来るけど、あのレベルになると危険だな。失敗すると、慌てた神様がわんさか来て粛正するな」
 アルスの最終手段──彼女が聖女である所以、母女の力の一欠片を召喚しないとどうにもならないようだ。竜とはただでさえ人を超越した存在であり、それをどうにかするには魔術や道具に頼る必要がある。
 アルスの奥の手よりはずいぶんとお手軽なメディアの最終手段を使おうかと悩んでいると、ドラゴンは前足を外に出した。
「うわ、出てきた」
 と言いながらも、カルは前に出る。アルスがサディを抱えて後退し、安全圏に立たせた。サディは術の制御に必死で、自分で逃げられないと察したからだ。
 サディが立っていた場所に、前足が届こうというとき、それが止まり地面に縫いつけられるように身体が沈んだ。
 日の光が、わずかにそれを目に映す。
 糸が竜の身体を地面に押さえつけていた。
「カル?」
「魔力で操るんだ。力がないからね、色々と工夫をしてるんだよ」
 糸をよく見れば、所々に点がある。何かがつけられているようだ。そこが土面や竜に吸着し、押さえている。
「昔、俺が好んで使っていた手の暗器だ」
 アルスは呟いてカルの手に触れた。
 メディアは母の全てを知るわけではない。母がどんな武器を扱えるのか、全て知っているわけではない。それを使う必要が無いため、本人が使わないからだ。
 しかし、少し腹が立った。
 メディアは能力的にはアルスとはあまりに似ていないと言われ続けている。
「触れる物すべて切り裂く、死と苦痛と絶望の子よ
 我は汝の飢えを満たす贄捧ぐ
 我が牙に宿り救い無き苦痛と絶望を」
 カルはアルスの唱える呪文の内容にぎょっとして目を向いた。
 目の前で、いとも簡単に糸に断ち切られる骨。
 糸に宿した術は、斬神の力を召喚する物。メディアの友人には、同系統の流血神の力を借りる術を使う者がいるが、元は同じ神であり、内容が多少あれでも聖女が使っておかしくない魔法なのだ。
「お母さん、すごい」
「付属魔法系は俺の特技だから……あ、ダメだ」
 アルスがそう言った瞬間、骨はそれぞれ引き合い、元に戻る。少しのズレもなく再生する。
 カルは慌てて再び別の糸をかけて押さえつける。
 どうやらあれは、たくさんあるらしい。
「どーしよう。何度もやれば弱るかな?」
「弱らない。彼らに生命力はない。あるのは情念」
 サディはカルの呟きに答える。
「どうしていきなりこんなもので出てきたの? 今まで出てきたことないよ」
「ここには今、色々な魔力がある。
 まず天敵が来た。
 私の魔力は死霊に近い。
 死の精霊は、彼に近い。
 苦痛は彼の恐怖を煽り、アルスさんの魔力は母神の気配がして、死者は焦がれる。
 風は風化させる畏れを増長し、水は聖女に似た安らぎを与え。
 そして、母神への道である水門の鍵を保つメディアがいる。
 畏れと焦がれと同質の力。
 何よりも長年積もった人の血。
 危ういバランスの中で眠っていた物が、起きても不思議じゃない」
 死霊に関することだからか、サディは饒舌だった。
 隠し立てせず、みんながいるのが悪いと言っている。
 責任は、メディアにもあるらしい。
「水門の先に興味があるの」
 メディアは唇を舐めて、杖を握る。
 焦がれるというのなら、行かせてやろう。
 母なる神が眠る、何も無き空間。死ねぬ者が求める最後の静寂。消滅に近い永遠。
 竜であれば、それが何であるか分かるはずだ。
「それとも、逃れたいのかしら」
 どちらにしても、道は一つだ。
 目につく場所に出た方が悪いし、幸いだ。
 メディアはアルスがしたように、カルの糸に触れる。
「溟々なる水紋の守護者よ
 我は鍵を持つ者なり」
 いつそんな鍵を取得したのか覚えていないが、カオスが言うので会得した、この他の者には決して使えない特殊な召喚魔法は、魔力が無き者にもうっすらと見える──魔力がある者にならはっきりと見える闇。
「古き契約によりそのとび……」
 最後まで、言い切ることはなかった。
 いつもなら、最低限の宣言をしない限り闇は見えてもこれを操ることは出来なかった。
 水紋に隠された水門は、よほどのことがなければ言うことは聞かない。
 それが、呪文を終えることなくメディアが思った通りに動いた。呪文を唱えた後に起こるべき動きが、今起こっている。
「え、なんで」
 いや、メディアの思うように動いているように見えて、思ったように動かない。
 闇は半分に別れ、糸に絡んで進んでいく。
 こうすることによって、糸を贄にメディアの負担を減らそうとしただけなのに、なぜこうなったのか分からない。
「うわぁ、何これ。思った風に動く」
 カルの言葉に耳を疑った。
 半分を制御しているのは、この兄だという男なのだ。
 カオスは生まれる前のことだと言っていた。
 しかし考えるのは後でいい。
「なんで制御をとれるか知らないけど、それで包んで地面に押し込みなさい」
「うん」
 二人が同じ方向に向けようとすれば、どちらが操っているのか分からないほどよく動いた。
 糸を使う彼はいとも簡単にそれを操り、絡めていく。
 それは生気を吸い取り、取り込む。それに取り込まれれば、門に引きずり込まれ、よほどのことがない限りは、母の元で眠り続ける。
 戻るとすれば、よほどの存在か、そういう存在に化けたときだ。
 そこで人は、神になることも出来る。
 そうして生まれたのが、時の神の僕達なのだから。
「なんか、変な気持ち」
 変な感覚だ。
 一緒に生まれた兄も、鍵を持っている。
 しかし時の神の僕の二人は、鍵を持っていない。
 自分達はなぜ持っている。
「これがシンクロニシティって奴かな」
「私達、二卵性よ」
「……つれない」
 カルは指を下に向けた。闇を這わせる糸ともに、闇が食い込み、地面に潜っていく。カルの指先で、糸が切れた。闇に食われて、水門へと取り込まれる。
 その小さな騒動は、そうして終幕を迎えた。
 背後で、サディが倒れてちょっとした騒ぎが起こったが、メディアは目を伏せて考えた。
 生まれる前のことについて、カオスは教えてくれないから。


「つまりは、その剣が騒動を引き起こす鍵になるから、ユーリィの回りに人材を集めたいと」
 グラスを片手にしたローシェルは、呆れた様子で言った。
 ただし、飲んでいるのはただの水だ。彼は酒は飲まない主義だと昔から言っている。記憶があるときから、ちっとも変わらない青年と少女。
 小さな頃、兄とカルはあの美しい少女に夢中だった。
 優しく、真っ直ぐで、リューネのために半年に一度やって来て、一緒に遊んでくれた。姉のような少女であるのに、今では同年代の女の子に見える。すぐに追い越し、親子のようになるだろう。
「卑怯だわ。そんなことでルディスを危険にさらしたなんて」
「ああら、じゃあ風神様がお側にいてくれるのかしら。そういえば、ヴェノム様の長男は、昔、アルセードの持ち主だったと聞くわ。人として生きていて、神敵と差し違えたのだったかしら」
 イーシェラの顔が急に青ざめ、ローシェルを見上げる。
 会ったこともないだろう兄の話題に、弟はくすくすと笑う。
「半分の人であることを選んでいたからアルセードに選ばれ、死んだんだよ。彼の死については、母は悲しみはしたけど、誇りに思っているはずだよ」
「そうね。天寿は全うできなくても」
 メディアはちらとユーリィを見た。
「あなたは幸運だわ。いくらでも戦力がある。しかも、その剣がここから離れたところでも騒動を呼び起こすから、大きな仕事がとぎれることもないわ。その剣は、関わりを持つ方法に場所を選ばないの。アルスは正式な持ち主じゃないから無視していたけど、あなたは無視する必要がない。単身の勇者と違って、多くの手駒があるから」
 命をかけている傭兵達を、手駒と呼ばれるのには抵抗があった。
 しかし、メディアは自分もその一人と思っている。
 なんとなく、そんな気がした。
「せいぜい、太くしぶとく生きるのね」
 メディアは子供でも飲める甘くて果実酒の水割りを飲んでいる。彼女の発言が先ほど以上にとげとげしているのは、そのせいだろう。
 カルは大皿から料理を取り、酒は飲まずに食べることに専念している。
 女の子は、話したいだけ話させているのがいい。
 ユーリィが食事の手を止め、戸に目を向けた。誰かがわざと足音を立てて近づいてくる。ドアはノックされ、控えていた使用人が開けて中に招き知れる。
「大変ですよユーリィ」
「どうした」
「さっきのあれに当てられたのか、何人か倒れたんですよ」
「気の弱い奴だな」
「それが、そうでもないんですよ。皆かなりの使い手で、場数はそれなりに踏んでいるんですよ。近くにいたわけでもないのに。
 それに、倒れたと言っても、気を失ったとかそういうわけではないんですよ。足腰に力が入らないそうです。魔法医は呪いの一種じゃないかと」
 ひょっとして、あのいかにも呪いのような黒い糸が関係しているのかと、カルは内心気まずく思った。
 カルの指先が、動かないのだ。
 感覚が無く、メディアが言うにはしばらく続くらしい。本当は両腕を持って行かれるほどの術なのだそうだが、二人でかけたらこんなに後遺症が減ったとメディアが喜んでいた。
 魔法というのが思った以上に大変なことだけは、理解した。
「そういう呪いっていうのは、自己が強いと逆にかかりやすいのよ。アンデットは強く生きる存在に手を伸ばすわ」
「え、でもあの時は私が……」
 サディが何か言おうとしたのを、隣に座るリディアが口を押さえて留めた。
「これは私がいつも携帯している解呪薬よ。これを飲んで一晩眠ればすぐによくなるわ。あんたが持ってって、直々に看病してやりなさい」
 メディアはユーリィを指さして言う。
 指名されて驚いた彼は、説明を求めるようにアルスに目を向けた。
「今日のメディアちゃんはやけに親切ですね。その薬、たしかかなり馬鹿高かったんじゃないですか。それを出してユーリィさんに行かせるほどのメリットがあるんですか?」
 ハランが不思議そうにメディアに尋ねた。今までの行動を見て、親切と言った。
 親切と、言い切った。
 親切なのだ、あれは。
「あるわよ」
 メディアは小瓶を光にかざし、いかにも苦そうなその色を見つめる。
「こういうトラブルを解決する組織は、サギュ様が動く回数を減らすのよ。つまりは、アミュのためになるの。親友のためなら、安い出費じゃない?」
「ああ、ほるほど。だから張り切っていたんですね」
 意味は分からないが、友人のために張り切っていたという事実に、少し落ち込んだ。
「親友……いるの?」
「サディさん、滅多なことは言わない方がいいですよ。たった一人の友人かも知れませんし」
「あんたら、呪うわよ」
「呪えるの?」
 死霊術師と凶の精霊憑きが同時に問い返す。
「私が何年竜だの半神だの呪い続けてきたと思ってるの」
 育ての親を実験台にしていると言っているように聞こえるのだが、気のせいだろうか。
 しかも半神とは、ローシェルの弟のことだろうか。
 半神と竜は顔を引きつらせてメディアを凝視する。今までの言動から、気に入らなければ経験を生かして呪いそうな気がするに違いない。
 ──っていうより、ひょっとして……
 寝込んでいる者達は、ひょっとしたら──。
 そう思う自分が、少し嫌だった。
「じゃあ、神も呪える自信はありますか」
「神なんて、滅多に呪えないじゃない。大変なのよ、相手にそうと気付かせずに呪うのは」
「実験済みなんですか」
「とは言っても、呪えるほどよく会うのなんて、風神とか地神ぐらいだもの。さすがに火神を呪う勇気はなかったけど」
 一般的に言う風神やら地神は、一級神の風神ウェイゼルや地神クリスファスを指し示すものだ。
 知識が間違っているのかも知れないし、理力の塔では常識が違うのかも知れない。
 その言葉で呆れ半分のローシェルが、顔を引きつらせてメディアに問う。
「父さん、呪ったの?」
「ええ」
「母さんは何も言わなかったの?」
「捕獲して、手伝ってくださったわ」
「なんで」
「覗いたから」
「ごめんなさい」
 ローシェルは謝ったが、可愛い妹に覗きなどという犯罪を犯した男は許せない。
 というか、メディアのようなこれから大人になるような女の子の着替えなりなんなりを、覗いて楽しいのだろうか。ローシェルの母は色気がにじみ出る絶世の美女と聞いているので、ロリコンとも思えない。
 しかし女好き具合はユーリィよりもひどいと言っていたので、許容範囲が幅広いのかも知れない。
「まあ、ろくな成果は出なかったけど。今度は下準備をしてからやりたいものね。半神に掛かりやすい呪いが、神にも掛かりやすいのかまだ半分も調べていないから。これを調べることが出来たら、きっとカオスも喜ぶわ」
 まず、神を呪おうという発想が飛び抜けている。
 カルなら絶対にしない発想だ。
「カオスさん?」
「私はカオスの直弟子だもの。私の成果はカオスの成果よ。そしてカオスの力が塔の力なの。そして多種多様な呪いは、一番の資金源なのよ」
「話だけ聞くと、最悪な師弟っぽいんだけど……」
「失礼ね。類い希な師弟に向かって」
 ぷんすか怒るメディアは可愛い。
 内容がどうであれ可愛い。
 しかし気になる。
「母さん。塔長って、どんな人なの?」
 隣に座る母に問うと、少し困った顔を作った。
「カオスかぁ。基本的にイイヤツだぞ。普段は紳士的で大人しいし、することに抜かりはないし。
 ただ、メディアを溺愛してるんだ。ハランも何度も殺されかけているし。ハランの場合は、それが逆効果だと分かって今は手を出さないけど。
 溺愛してるから、メディアにも色々と教え込む」
「何を?」
「男は自分以外ケダモノだから信用するなとか、まあその手のことをミンスと一緒に。
 ユーリィのことを話したのはあいつらだし、メディアをああ育てたのもあいつらだな。俺はその頃学生だったから、昼間いなかったから気付くとこうなってたなぁ」
 いい父達なのやら、とんでもない父達なのやら。
「呪いを教えたのもあいつだし、いつの間にか恐ろしい黒魔術覚えていたし。簡単に言うと、危ないからと子供に刃物を与えるような男だな」
 よほど自信家で過保護なのだろう。
 一人の女の子が、ああなるほどだ。
「塔長様の教育は本当に素晴らしいです」
 ハランが胸に手を当て恍惚とした表情で呟いた。こんな小さな女の子の言いなりというのも情けない。動きはとても魔道士とは思えない、剣の腕だけで食べていけそうな実力者なだけに理解に苦しむ。
「塔って変なところだよね」
「それに関しては否定しないわ。研究者っていうのは、どうしても変わり者が多いもの。
 私がその一人であることも否定しないわ。他人に理解できない分野で優れた人間は、理解されにくいものだもの。それが奇異に映るのは仕方がないわ」
 彼女は自分によほど自信があるようだ。あれだけすごい術を使えるのだから当然なのだが、見た目はこんなに小さいので違和感がある。どんな教育をされているのか不安だった。
「一回塔に行ってみたいなぁ」
「それだったら、祭りの時に来ればいいわ。もうすぐエインフェ祭があるの。世界各国から魔道に関わる様々なものが集まるから面白いわよ」
「じゃあそうさせて貰おうかな」
 そうなるとお泊まりになり、親睦を深められる。子は両親のかすがいになるために、努力をしなければならない。メディアをこんな風に育てた男、そして母をこれだけ男らしくしてしまったような環境に、母をくれてやるわけにはいかないのだ。
 思わずガッツポーズを取りそうになり、カルは慌てて笑って誤魔化す。
 メディアにも、父の素晴らしい部分を知って貰いたい。今日は女癖の悪さばかりが目立ってしまったが、組織のトップに立つほどの男なのだと教えてやらねばならない。
「それよりも早く行きなさい。苦しめてしまっても可哀想でしょ」
 メディアは赤の他人にするようにしっしと手を振った。ユーリィは無言で立ち上がり、クレメントに励まされながら部屋を出る。
 先はかなり遠そうだ。


 余談

 ルディスの様子がおかしかった。
 最近とてもそわそわして落ち着きがない。そうかと思えば空を見つめてため息をつく。イーシェラは何度かどうしたのかと尋ねたが、彼は曖昧に笑ってはぐらかす。
 いつからだろうと考えると、あの呪い女が帰ってからだと気付く。
 精神的ショックが大きかったのだろうか。彼は気が弱いので、ああいう問答無用で襲いかかる人種は苦手だろう。
 しかしどう慰めていいのか分からず、イーシェラはただ見守るしかなかった。
 そんな時を過ごしていたある日の午後、訓練を終えたカルがやってきてイーシェラ達に駆け寄った。
「みんな、一緒にお茶しようよ。メディアがアンセムのお菓子を送ってくれたんだぁ。とっても美味しそうな焼き菓子だよ」
「母親の方じゃなくて、あの子が?」
「そう。自分で買ってきたんだって。意外とそういうところはしっかりしてるみたい。可愛いよねぇ、えへへ」
 妹の贈り物ということで、カルは有頂天になっている。あれのどこが可愛いのか分からないが、目を曇らせるほど血のつながりというのは大きいらしい。彼らは同じ腹の中で育ったのだから、なおさら繋がりは強いのだろう。
「あの子が……」
 ルディスがメディアという名に反応して顔を上げた。イーシェラは気まずく思ったが、それを口にしてはややこしいことになる。
「次はいつ来るんでしょう」
「へ? なんで?」
「いえ……」
 ルディスは視線をそらし、床を見つめる。ここに身内がいる以上また来るのは避けられない。しかし彼はメディアに散々脅されてしまい、ここから離れられないと思い込んでいた。
「来るかどうかは分からないよ。今度は僕たちが行く番だから。
 でもまあ、彼女だって用もないのに絡んだりしないよ」
「えっ!?」
 彼は驚いたように目を見開く。喜ぶのならともかく、驚くというのはおかしな反応だ。
「メディアが気になるの?」
「……はい」
「何で?」
「夢に見るんです」
 夢にうなされるほど脅えているのだ。エルフにしては気は小さい男だが、それでも好奇心が旺盛で勇敢な所もある男だ。彼がここまで引きずるなど珍しい。
「どんな夢?」
「草原の中を走っているんです」
 狩られる夢でも見ているのだろうか。
「彼女は白いワンピースを着ていて」
 死衣装だろうか。
「捕まえたら殴られるんです」
 追われているのだと思ったら、逆のようだ。
「なぜだかそれが……やめられないんです」
 ここから理解できなかった。やめられないとは何だろうか。
 考えるイーシェラを、ローシェルが抱き寄せる。
「……ルディス」
「真面目な人だと思ってたのに、うちの妹をそんないかがわしい目で見ていたなんて……」
 ローシェルとカルの反応は少しおかしかった。
 ルディスが何に脅えているのか、考えてもよく分からない。
 ただ、カルが妹には会わせない、絶対に渡さないとわめいている。
 他人の心は──男の心はイーシェラには未だによく分からない部分が大きい。
 

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