剣の都

2

 物静かで冷静で従順な女だった。
 言葉遣いは堅く、男言葉ではあったが、一人称に『俺』などとはさすがに使わなかった。
 髪も長く伸ばし、多くを語らず、人形のような少女であった。
「……変わったな」
 長い髪と思っていたカツラを取り、白いローブを脱いだ彼女は、傭兵に混じっても違和感がない。女性の傭兵は男勝りな場合が多く、男装しているようにも見えるものだ。
 彼が唯一心から愛した少女だった女性は、にやりと笑った。
「色々と揉まれたんでな。学校ってところは、思ったよりも人格を変える」
「恐ろしい場所だな、理力の塔」
「お前もまた、なんつーことしてるんだか。驚いたよ、こんな組織の頭とは」
「色々と、あったんだ。始めはただ、人が命がけで仕事しているのにピンハネした金で贅沢三昧してこんな建物建てたから腹が立ってちょっと反乱に参加しただけなんだ。二人も育てていると金がかかるし、リューネは邪性付きでこれはこれで金がかかった」
 もちろん、血はつながらなくとも可愛い息子に違いないため、苦労に苦痛はなかった。彼らとあまり遊んでやれないことは苦しかったが、それだけだった。
 それだけに、時間を潰して稼いだ金が泡のように消えていくのが、腹立たしかった。
「なんでそんなことに」
「何でだろうなぁ。一番強かったからじゃないか。息子が特殊だし」
 アルスは肩をすくめてグラスに注がれた酒を飲む。献上品で、かなり上等なワインだ。
「あの子供はどうしたんだ」
「縁があって育てている。血はつながっていないが、それを知っているのは一部の知人だけだ。本人も知らない」
「そうか……。子供には罪はないな。悪いことをした。
 確か死の精霊憑きだったか?」
「そうだ」
 リューネの『彼女』から聞いたのだろう。
 出来れば傷つけたくはない。あれは心をつよく育てたが、まだ子供なのだ。
「あの子のために、実際よりも年を上に言ってある」
「別に増やさなくてもお前その頃から女関係あっただろ。だれも疑問に思わないって」
 それは、きっと彼女なりの慰めなのだろう。慰められている気にならないが。
「この前のあれは、悪気があったわけじゃない。お前がいなくて寂しかったんだ」
「いや、俺がいても似たようなもんだったろ」
 確かに彼女が妊娠しているときは色々とあった。妊娠する前も。
 嫌なことはしっかりと覚えている。
「あれはお前が子供だったから」
「じゃあ大人になるまで待てばよかったろ」
「身体は大人だっただろう。大切なのは実年齢ではなく見た目の年齢だ」
 あの頃には、アルスは十代後半でも通用するほど大人びていた。あれは反則だった。
「…………別にいいけど。メディアがいなかったら、生きていなかっただろうし」
 子供がいなければ、彼女は逃げていなかった。そうなれば死んでいたかも知れない。逃げても死んでおかしくない目にあったが、子供がいなければ命など粗末にしていただろう。
「しかし、あの高さから落ちてどうやって助かったんだ?」
「メディアだよ。落ちている途中、身体が浮いて落下での負傷はほとんど無かった。で、メディアの魔力を感じたカオスが迎えに来てくれたんだ。赤ん坊っていうのは、成長すれば自然とかかるリミッターが緩くて、自分の魔力だけで本能的に危険を回避するんだと。だから生まれたときに母親を焼き殺すような赤ん坊もいる」
 だから彼女は塔に世話になっているのだ。
 家族を助けたのが自分ではなくて赤の他人であったことは悔しく、同時に感謝もした。崖の下にたどり着いたのはかなりたってからで、その頃にはアルスの命はなかったかもしれない。
 どちらにしても、塔長には感謝しなければならない。
「そうか……」
 ユーリィは立ち上がり、椅子に座るアルスの傍らに膝をついた。
「苦労をかけたな」
「お互い様だ」
 支えなく垂れる袖に触れ、彼女の生身の手を取り唇を寄せた。
 冷たい手ではない。
 温かい手。
 まだ幼い手ではない。
 女の手。
「生きていてくれて、ありがとう」
「こちらこそ」
 あの頃から大人びていたが、やはり大人になってずいぶんと変わった。変わったが、分かった。
「これからは、共に生きたい」
 今は無理でもいつか、きっと。
『無理じゃないですか?』
 頭に響く忌々しい声に、ユーリィは怒りさえ覚えながらも無視する。
「失われた時間は大きいが、これからは家族として」
『お二人が揃うと嬉しいですけど、現実的には』
「アルス」
『なにせ聖女ですし』
 ユーリィは怒りにまかせて腰の剣を殴り捨てた。ただの声なら無視できるが頭に響くとどうしようもない。
「かまってやれよ。正式なご主人様ができたから嬉しくて饒舌になってるだけだ。普段は静かなもんだぞ」
「本当に?」
「ああ、義手だって忘れる程度にはな」
 しかし今の状態だと、口説くに口説けない。他人に見られているも同然である。
「ハラン、そこにまだいるんだろう。入ってこい。この部屋に植物あるから、よく分かるぞ」
 確かに観葉植物は置いてある。が、何も変わった様子はない。しかしドアは開き、クレメントとハランが顔を出した。
 近くにいるのは分かっていたが、二人の気配は近くには感じなかった。クレメントはともかく、魔道士にまで誤魔化されて、ユーリィは鍛練不足かと悩む。
「夫婦水入らずにしようとは思わないのか」
「いや、そうしたいのは山々ですが、相手は聖女様ですし、もしもの事があると……」
 また孕ませるとでも思ったのだろうか。昼間から、子供達が待っているのにそんなことをするほど非常識ではない。
「まっ、家族計画は後々しよう。俺にも俺の立場があるし、お前もだろう。カオスに報告する必要もあるし……俺は俺でメディアが大人になってから結婚してやるって約束してる相手もいるしな」
「け……」
 聖女だからと安心していたが、アルスも美人だ。そういう男が寄ってくるのも当然で、独り身の寂しさから誘惑に負けることもあるだろう。
「帰ったらさっさと振ってこい」
 どんな無謀な男か知らないが、アルスは並の男には不釣り合いだ。
「無茶言うなよ。半分メディア育てたのもそいつだし、世話になってるし、いい奴だし」
 拗ねたような顔をするアルスに、ハランが続いていった。
「怒ると恐いですしね。ぞっとしますよ。ああ、やだやだ。しばらく旅に出ましょうか」
「そんなことされたら、苦情が来るだろうが。だれがうちの娘等の面倒見るんだ」
「でも巻き込まれるのはさすがに嫌ですぉ。あの巨体に踏まれたらさすがに死にます」
 巻き込まれる。巨体。踏まれたら死ぬ。
「なあ、何の話をしている」
「うちの塔で飼ってる白竜の話」
「お前の男の話じゃなかったのか」
「だから、それ」
「人ですらないだろう!」
 そんな男と比べられるなど、冗談ではない。まったくもって腹立たしい。彼の知る竜は美しい少女だが、人間では彼女の伴侶はつとまらない。
「人の姿はしていますよ。普段は人間に混じって生活をしていますから。人間のカオス様が育ての親ですから、自分をそれに近いと思っているんですよ。タイプ的には、カルさんに似ていますね」
 息子を引き合いに出すハランを睨み付ける。
 そんなことを言われたら、悪く思えないではないか。
「まっ、それは全部カオスに押しつけることにして、そろそろメディアが切れるといけないから行くか」
「私がなだめておきますから、もう少しお話されていてもいいんですよ。つもる話もあるでしょう。カルさんのこととか」
「今はそんな気分でも状況でもない。話は夜にでもすればいい。それよりも、ここには聖女としてきてるんだから、予定通りやらないとな。
 家族がいるってのは、あまり世間には公表したくないことだし」
 アルスは肩をすくめてカツラを被る。
 聖女に子がいるなどいい醜聞だ。そしてそれ以上に、弱味にもなる。
 狙われるのだ。広い意味で、あらゆる方法で。
 幸いにして、息子達は誘惑に負けるようなタイプではない。メディアはどうだろうか。
「とりあえず、行くか」
 ユーリィはため息をついた。
 この組織の長になったとき以上に、先の見えぬ未来を不安に思った。
 一番の不安要素は、家族でもなく、この小うるさい剣だった。


 アルス達が戻ってくると、何かをしたくてたまらないらしいカルが、中を案内すると純粋に煌めく瞳で見えぬ尻尾を振りながら言うもので、アルスも嬉しそうにそれを受け入れた。
 アルスにとっては可愛い息子との──自分が殺してしたようなものだと、心の傷を作っていた原因である可愛い息子の申し出だ。断る必要もないし、それを不満に思うこともない。
 実際に、目新しい物が多く、退屈はしていない。
「あれがねぇ、演習場。月に何度か敵味方に分かれて攻め合いをするんだよ。建物は特殊な作りで、中身を壁でも何でも自由に変えられるんだ。
 しないときは自由に使っていいことになってるんだ。他にも訓練施設はあるけど、ここが一番気兼ねなく入れるんだって」
 カルが示す先には、二つの堅牢な建物が向かい合う、可動式の障害物がある運動場のような所だった。
 壁を動かすことが出来るという要塞もどきは、おそらく莫大な費用をかけて作ったのだろう。派手好きだった先代の仕業に違いない。メディアにも時間をかければ作れるが、作るための資金がない。時間もない。
「といっても、素人さんとか新人さん訓練をするためなんだけど。他には山でゲリラ戦訓練とかするんだ。
 僕はそういう方が得意」
 浮かれた様子で案内するカルを見てアルスはクスクスと笑う。
 妹と母がいるという状況が、彼を舞い上がらせているのだろう。メディアの手を掴んで話さず、メディアもそれを拒否しない。あまりにも無邪気に喜んでいるから、拒否できないようだ。何よりも、少しだけミンスに似ているのも原因だ。あの手のノリに、弱いのだ。
「あんた、力なさそうだものね」
「んー、まだ子供だし。知恵と技術でどうにかするしかないからねぇ」
「甘いわね。世の中は知恵と技術でどうにかならないときもあるわよ。力は必要だわ」
「えぇ、力押し?」
「例えば城攻めをするとするわ。数人で数百人をどうにかするにはどうする?」
「忍び込んで頭を叩くね。準備が少しいるけど」
「すぐにしようと思ったら?」
「うーん。下準備もないと難しいね」
「アルスなら全員眠らせることも出来るし、リディアなら阿鼻叫喚を作るし、サディなら地獄絵図を作るわね。リューネなら皆殺しにすればいいし。
 でも、魔法でどうにかならないなら、力押ししかないでしょう」
「さらっと皆殺しって言うね」
「何を甘いことを言っているの。アルセードの側にある者が、そんなことでは生きていけないわよ。
 アルセードの持ち主が長く生きるコツは、どれだけ回りに優秀な戦力があるかどうかにかかっているのよ」
「そうなの!?」
「そうよ」
 メディアはちらと地上を見た。
 この中に、それほどの器の者がどれほどいるだろうか。理力の塔とは違い、烏合の衆だ。
 塔に入ることの出来る者は限られている。その中でもどんどん蹴落とされ、よくて塔傘下のもう少しレベルの低い学院にはいるか、諦めるか、就職するかどれかだ。
 しかし脱落者が職に就けると言ったら、せいぜい支部勤めの下っ端だ。支部は増えているので、体力と多少の知識がある彼らは、雑用として重宝され、世間から見れば出来る人間である。普通の事務と大差ない仕事であるが、最低限のことはできるため、一般の人々から頼られる人材だ。傷を負ったときには、医者に行くよりも塔の支部に行った方が早いと言われるほどである。それらは正式な業務ではないが、それぐらいのアルバイトは黙認している。
 塔の正式な従業員は、そういった魔法を使えることが最低条件であり、一般人が受け入れられるのは、掃除婦や料理人などの、本当に魔力の必要がない雑用だけである。
 だが傭兵ギルドというのは、健康であれば誰でも入ることが出来て、下を見ればきりがない。もちろんその下と上を分けるために、昇進試験のような物があってランク分けされているらしいが、一番下なら誰でも入ることが出来るのだ。その代わり、ギルドの名を使って悪事を働かないよう、管理は徹底されている。一人一人に目印を身につけるのを義務化している。一目見れば個人が識別できて、偽造も難しい特殊な製法らしい。ギルドも、ある程度の魔動技術は持っているのだ。
 以前、ギルドの傭兵を装っていた者と関わったときに、そんな説明を受けた。
 メディアは訓練をしたり、談話する傭兵達を見下ろす。中には長に気付き、張り切る者もいた。
 ただの傭兵としてなら、ぽつりぽつりと脅威を感じる者がいる。
 しかし、英雄の盾となれる者は、何人いるか。
「今下にいるのは、どんな人達? ここに留まる人とか、位が高い人はいるの?」
「外から来ている人達だよ。ある程度地位があると、みんな忙しくしているから、あそこにはいないよ。いつもはみんな訓練するけど、今日は人が多すぎるから混じらないように言ってあるんだ。聖女様を一目見て、縁起を担ぎたいんだと思う」
「つまり、ただの見物人ってこと?」
「そう。せっかくだから、私が対アルセード用に使えそうなのを見つけてあげるわ。案内しなさい」
 メディアは進行方向を指さして言う。カルは一瞬目を丸くしたが、すぐに気を取り直して案内を始めた。
 男はこれぐらいでちょうどいい。
「アルス」
 背後で、ユーリィの囁き声が聞こえた。
「気、強いな」
「あの子はなぁ、それが一番の個性だからなぁ」
 気が強いとはよく言われる。友人にも言われた。凶悪だとか乱暴だとか恐怖の魔女などと呼ぶ者たちよりはマシだと、聞かないふりをした。
 演習所に出ると、メディアは視線を巡らせる。
 烏合の衆だけあり、獲物はバラバラだ。剣を持つ者も多いが、実用的な槌、斧、槍を持つ者も多い。中には見たこともない個性的な武器を持つ者もいる。メディアのように棒を使う者もいれば、鞭を使う者もいる。
 それぞれが、自分を磨くために偶然集まった知らぬ者達と腕を競い合っている。
 試合ではないので、怪我をする者も多く、血が流れている。魔道士が待機してそれの治療に当たっている。中には塔の制服を着ている者もいた。
「ふぅん」
 近くで見ると、また違う印象を持つ。
 目を細めて見回し、メディアはある一点でそれを止めた。
 気になった。そして、確信する。
「ハラン。あそこの金髪帽子の優男よ。全力でいってらっしゃい!」
「はいっ!」
 ハランが目指したのは、吟遊詩人でもしている方が似合いそうな華奢な美男子だった。美少年と言ってもいい、微妙な年齢に見える、一番輝く年代だ。
 剣を抜き、突然背後から襲いかかってこられて驚きながらも、なんとか受ける男。
 剣を受けて、平然としている。
「当たりっ!」
 メディアは手を叩いて喜んだ。
 剣を受けたことがすごいのではない。剣を受けて、立っているのがすごいのだ。
 ハランはそれで気付いたらしく、不敵な笑みを浮かべて剣を押して相手のバランスを崩し、距離を取る。そしてすぐさま再び剣を振る。一合、二合、三合と剣が合わさり火花が散る。ハランの剣も魔剣だが、相手の華奢な剣も魔剣で、なかなか出来る。つばぜり合いをしては押し負けると分かっているのか、男は惹く一方だ。
 メディアはハラン一人を必死にさばく男を見て笑い、ずんずんと歩いて近づく。そして、ハランの笑みがメディアを捕らえてまた少し変化した瞬間、杖を振り上げ、向かいにいるハランごと殴り倒した。
 ハラン一人に気をとられ、背後からの攻撃で地面に顔面から突っ込んだ男の右手に回り、その頭を蹴る。すると、被っていた帽子がはずれ、その下に隠れていた長い耳が露わになった。
「やっぱりエルフ!」
 メディアは睨んだ通りの結果に満足して頷いた。
 不自然だと思ったのだ。そして高い魔力を感じた。その上美形。なんとなく人間を装うエルフっぽいと思い、ハランをけしかけ正解した。
「うう、なんでこんな事を」
「うるさいわね。こそこそ隠しているから暴きたくなるのよ。どうせなら、もっと完璧に隠しなさい!」
 そう言って、うるさいエルフの頭を踏む。これでしばらく静かだろう。
 巻き添えにされたハランは、それを喜んで嬉しそうに転がっている。端から見れば、何が嬉しいのか分からないだろう。
 メディアは仲間がいないかと周囲を見回すと、その一角が押し広げられた。
「ちょっと、何をしているの!?」
 人をかき分けてやってくるなり声を上げたのは、メディアと同じ年頃の少女だった。
 質感が奇妙な銀の髪に、人とは思えぬ美貌を持つ少女は、メディアを睨んで対峙する。エルフではないが、人でもないだろう。
「足をどけて」
「油断したこの馬鹿が悪いのよ。私が悪意ある賊だったらどうなっていたか、身を以て教えてあげているの」
 踏みにじる様子をハランが指をくわえて羨望する。
「だからって、そこまですることはないでしょう! 正体を晒されては、いつ狙われるかも分からないのに」
「ふん。狙われて捕まるようならとっとと森に帰ればいいのよ」
「なんてひどいことを言うの!」
 メディアは彼女たちの常識ばかりを押しつけるその少女を見て笑う。
 そして、その背後に現れた男を見て一瞬驚き、そして声を上げて笑う。
「くっ……あははははっ!」
 突然笑われた青年は驚いて首をかしげた。その顔の何と間の抜けたことか。
 目立つ者が目立つ者を連れていれば、いつかこうなっいたと理解できないなら、森にこもっていればいい。
「ハラン、今度はあっちに行け」
「はい」
 飛び起きたハランは、生き生きとした表情で青年に斬りかかる。
 青年は、ハランの好みだったのだろう。ハランといえども、誰に虐げられても喜ぶわけではない。好みがあるのだ。見ただけで分かる。一つに結んでいるが光を受けて輝く銀の髪に、空色の瞳。そして少女の連れに相応しい美しい容姿に、鍛えられた身体。斬り合うと言う行為が、ハランを興奮させる。
 きっと、実家ではものすごいしごきを受けていたのだとメディアは睨んでいる。その反動できっとああなったのだ。
「うわっ!?」
 こちらはハランの力が効いたらしく、一合だけで危険を察して距離を置く。しかしそれで諦めるハランではない。メディアが命じた以上、何よりも相手が好みである以上、やめるはずもない。
「ちょ、まって、何なんだあんたはっ」
「ただの剣士ですよ」
「エナジードレインなんて、普通の剣士に出来るかっ」
 やはり、彼の力の正体に気付いたらしく、決して打ち合おうとはせずに逃げ回る男は言い返す。
「私は緑神の加護を持っていますから」
「緑神っ……ウェイゼアの騎士!? 何でこんな所に!?」
「主のご命令です」
 逃げるが勝ちと思ったのか、男は跳躍すると呪文も無しに空を飛んだ。さすがにハランは空を飛べない。彼に出来るのは、植物に関する事が大半だ。
 緑神は邪神とされているが、それでも木々を司るため信奉者が多い。その中で有名なのが、彼の先祖である騎士だ。先見の力がある女王に仕えていたが、人々のために行った投資で反乱が起こり、問題となるはずの災害が起こる前に女王が死ぬと、民を見捨ててウェイゼアに亡命し、そのまま王に取り入って仕えたという。その騎士のおかげで、ウェイゼアは風の国であり、騎士の国となった。
 ウェイゼアで風神の次に人気があるのは緑神なのは、それが理由である。
 今でもその加護が生きているのか、血縁者には時折植物を操る力を持つ者が生まれる。相手の力を奪うというのも、その中の一つだ。
 さすがにここまで出来るのは、今はハランしかいないらしく、そのために理力の塔に力を学びにやってきた。
 当時は、まだなんとかノーマルだったらしい。彼は暴力が少ないはずの塔でなぜ被虐趣味に目覚めたのか、メディアには理解できなかった。
「うーん、よし」
 ハランは座り込むと剣先で土を掘り始めた。
「何してるの」
「茨の種を植えて、捕まえて貰おうかと」
「気の遠いことしてるんじゃないわよ!」
「一瞬ですよ。土に植えて水をやって、一分でできます」
「そこまでしなくていいの。やめなさい」
 メディアも踏みつけにしていた男から足をどける。
「ルディス!」
 少女が呼びかけ、エルフは這うようにして彼女の元へと向かう。なんて情けないことか。
 ハランが剣を収めたことにより、空に逃げていた青年が少女を庇うような位置に降り立つ。それにゆったりとした足取りで近づくハラン。
「失礼いたしました」
 騎士がする礼をされ、青年は戸惑った様子でハランを見下ろした。
 彼も普通にしていれば騎士然とした美丈夫だ。襲われた理由が理解できないに違いない。
「謝ることはないわハラン」
 メディアはそれに向き直ると、少しばかり大げさに言った。
「確かローヘルだったかしら? 逃げているばかりなんて、母君が見たら嘆くわよ」
「ローシェルだ。君は母を知っているの?」
「知っているわ。少しの間だけど、ついこの前までお世話になっていたの」
 メディアは驚く青年を見て、小気味よく笑う。
 この顔が困ったように歪むのは、見ていて愉快だ。実に、愉快だ。
 あのハウルの兄だと思うと、つい加虐心が刺激される。苛めたくなるのだ。
「じゃあ、どうしていきなり襲いかかったの? ルディスが何をしたというの」
 少女は納得いかない様子で睨み付けてくる。
「さっき言ったわ」
「あんなふざけた理由で、見知らぬ人を襲わせるの!?」
「顔が知れれば飼い殺しにされるか、森に帰るかしかないでしょう。男のくせに中途半端なことをしているから、決断を迫ってあげただけよ」
 エルフがエルフとしてこのような街にいるのは危険が伴う。誘拐されて売られる可能性が高い。
 このままギルドに保護されるのもいい。エルフならかなりの魔術の使い手であり、精神的にヘタレでも、鍛えれば使えないことはない。
「メディア……」
 カルに呼ばれ、メディアは振り返る。
「何というか、激しいね」
「何を言うの。これぐらいのつもりでないとアルに殺されるわよ」
 カルは頭をかいて半笑いし、怒る少女と戸惑うローシェルに頭を下げた。男はどうして頭を下げるのが好きなのだろうか。
「ごめんね、イーシェラ。妹が」
「……妹?」
 綺麗な顔を思い切り顰める少女。うろんな色を含んだ視線で、兄と妹を往復させる。
 見比べるまでもなく、この程度似ていたら否定できないだろう。二卵性なのだから、うり二つなどと言うことはない。
「妹? こんな大きな子、いつできたの? 去年は見なかったけど」
「生き別れていた僕の双子の妹なんだ。人間は確かに成長は早いけど、一年や半年でこんなに大きくならないよ。小さいだけで」
 メディアはカルの脳天に杖を叩き込む。しゃがみ込んで頭を抱える背中に蹴りを入れて転がした。
「小さくて悪かったわね!」
「ご、ごめんなさい」
 頭と腰をさすりながら、抵抗することなく謝るカル。
 これからが成長期なのに、小さい小さいと忌々しい。
「まあまあメディアちゃん。落ち着いてください。カル君の方が成長が早かったから、少し年が離れて見えるんですよ」
 メディアはほほを膨らませてハランを睨む。
「そういう顔も可愛いですけど、メディアちゃんは人を見上げて見下すのが一番可愛らしいんですから」
「え、それが一番可愛いの!?」
 ハランの趣味を理解していないカルが驚きの声を上げた。メディアが睨み付けると、カルはへらりと笑う。
 そんなカルの横を通り、リディアをひっつけたままのリューネがイーシェラの元まで向かった。
「驚かせた。彼らは理力の塔からの使者だ」
「理力の塔? 魔道士の集団の?」
「そうだ。カルの母の聖女と、妹と、よく分からない変な男と教え子」
 よく分からない男扱いされたハランは、へらへらと笑っている。
「聖女?」
「あそこにいる長身の女性だ」
「……人間は、よく分からないわ」
 混乱したのか、人間全体のせいにして呟くイーシェラ。となりのローシェルは、にこにこと笑っているだけで何も聞かない。
 傍観していたメディアは、袖を引かれて振り返る。サディが前方を指さして、メディアのローブを引っ張っていた。彼女が何か主張する時は、死人に関わる時だ。この中に、ひょっこりあくまでも混じっているのだろうか。
「何か、来る」
「何かって死霊?」
 サディはこくと頷いた。仮面の下の緑の瞳は、いつもなら熱に浮かされたようになるにもかかわらず、今まで見たこともないほど真剣だった。
「カル、人を避難させなさい」
「え?」
「サディがヤバイのが来るって言ってるわ。死霊よ」
「なんで昼間から?」
「知らないわ。でも、死霊はみんなお友達のこの子が危険視しているんだもの。危な……サディ」
 サディが走っていた。彼女が走るのは、いつも渋々であり、それでも全力で走る姿を見たことがなかった。そのサディは、人並みの速さで走っていた。
「逃げなさいっ!」
 メディアは走り、サディを追う。
 悲鳴が上がる。
 サディは立ち止まり、杖を振り上げた。
 そんな彼女の前で、地面から何かがはい出てきた。

back      menu    next