剣の都

1

「ししゃ?」
 息子の言葉は、音は合っているのだが、まるで違う意味に聞こえた。
 どこがずれたところのある上の息子は、愛用の三節杖を磨いていた。杖なのだが、打撃用にも使える折りたたみ式という珍しい武器である。魔道士でもあるこの少年は、徹底的な精神訓練のせいか、魔道士としてはいいのだろうが、同じ年頃の少年と比べると表情の少ない子供だ。
 その隣で愛用の長剣を磨く下の息子は、感情表現が苦手な兄の代わりとばかりに、良く笑う少年だ。
「違うよ兄さん。理力の塔からお使いが来るんだよ。まあ、死霊使いがいるみたいだら、死人連れてくる可能性も多少はあるけど」
 くすくすと笑いながら、下の息子は兄に言う。
「……ああ、あいつら」
 死霊使いと縁があったらしく、上の息子は顔を顰めた。珍しい反応だ。
「何かあったのか?」
「兄さんに彼女が出来たんだよ。今日もラブレターが届いたし。見せてくれないけど」
 面白がる風の下の息子を、上の息子が睨み付ける。
「ほう。ついにお前も女に興味を持つようになったか。いいことだ。
 しかし理力の塔の魔女か。魔女は気が強いのが多いから尻に敷かれるぞ。まあ、機会があったら紹介するように」
「すっごく綺麗な人なんだよ。栗毛の綺麗な碧眼で、優しそうな兄さんと同じ凶の精霊憑き」
「ほう。そうか……それで」
 まさか息子にそんな彼女が出来る日が来るとは思いもしていなかった。父親である彼は十代前半ですでに彼らを育てていたので、遅いといえば遅いのだが、女の影も形も見えていなかった分、素直に喜びが湧いてくる。
「よかったな。苦しみを理解し合える相手がいれば、お前もより安定するだろう」
「…………」
 息子は手を止め、背を向けて作業を再開する。照れているのだと判断して、それ以上は何も言わずに再び書類に目を通す。動いている方がよほど楽しいが、これも仕事の内だ。父親として息子達には、せめて仕事上だけでは立派な男だと思っていて欲しい。
 前回の件で彼も反省して、今は女も控えている。
「ああ、それと理力の塔の聖女も来るらしいぞ」
「聖女が? どうして」
 理力の塔の聖女は有名であり、彼女にあやかりたくて魔道都アンセムに訪れる者も少なくないという。そんな大物がわざわざ足を運ぶなど、理解できないのだろう。
「長の次に偉いからだろ。長自身がこちらに来るのはあり得ないし、名も通っていない者が来るのは失礼だろう。大きく見て貰えたものだ」
「そっか。聖女様か。信仰心はないけど、楽しみだね。美人かな?」
「さあ。まだ二十代だそうだから、来たらババアだったということはないと思うぞ」
 理力の塔秘蔵の聖女は母神殿から引き渡しを要求されているらしいが、当然手放すはずもない。たいそうな美女だという噂もあるが、噂は噂だ。しかしさすがに醜女ではないだろう。まったく知らぬ相手が来るよりは、皆も楽しみが出来ていいことだ。
「ねぇ、父さん」
 下の息子かじっと見上げてきた。
「なんだ」
 両親のどちらに似たのか分からないが、昔はよく女の子と間違えられたほど可愛らしい顔つきで見上げられ、父親としては悪くない気分でその頭を撫でた。一族揃って似たような顔立ちなのに、不思議なものだ。
「間違っても…………手、出さないでね」
「お前は人を何だと思っている」
「女好き」
「言っておくが、これでも死んだお前の母親が忘れられなくて再婚しない程度に一途なんだぞ」
「でも据え膳はいただくでしょ。それがダメなの」
 性格も誰に似たのか分からない。母親は物静かで冷静で従順な女だった。
 血のつながらないはずの上の息子の方が近いぐらいだ。
「約束だよ」
「はいはい、約束だ」
 肩までの黒髪をぐしゃぐしゃとなで回し、抵抗するので抱きかかえてくすぐってやる。
 滅多に構ってやれないだめな父親だが、親などいなくても子供は立派に育ってくれている。それが嬉しくも寂しい。


「あいつらときたら、まったく失礼よね。私達じゃあ喧嘩を売りに行くような物だなんて」
「まったくです。私はリューネ様にお会いしたいだけなのに」
「また悪魔がいると嬉しい」
 三者三様の言葉にハランは頬をかく。
 以前の一件で親しくなったためか、はたまた使者であるアルスの娘だからか、両方だからか分からないが、カオスが名指しで三組三班に、傭兵ギルド『ダリミオンの剣』へと訪問するアルスのお供をしてこいと命令したのだ。
 塔長自らが出向くわけにはいかないので、知名度だけは高いアルスが使者の責任者として抜擢された。これらのことに対してハランが不満に思うことはないが、そこはかとない不安はある。
 反対したというクラスメイト達の気持ちが、痛いほどよく分かる。
「別に喧嘩をしに行くわけじゃないのよ」
「愛を育みに行くのです」
「死体とかいっぱいあるよね?」
 メディア以外はすでに目的を忘れている。もちろん忘れていなければいいという物ではない。
 幸い今回の責任者はアルスで、ハランはその護衛という色の方が濃い。責任者ではないのが、数少ない救いだ。
 塔長には魔道士だからって肉弾戦が弱いわけではないのだと、機会があれば見せつけてやれと言われている。森がなければハランも肉弾戦の方が得意だし、アルスは専門家だ。能力的にも異色のメンバーが揃っている。
 この上さらにアランも参加したがっていたが、メディアのいないところで友人に首根っこ掴まれてどこかに連れられていった。彼にでも生きた友人がいたのだと、あらゆる意味で安堵したものだ。
「ギルドの本部って、どんなところかしらね。前の長が派手好きですごい所だときいたわ」
「もうすぐ見えますよ。私も遠目で見たことはありますが、なかなかすごいところですよ。ほら、前の方に建物に隠れていますが、変な尖塔が見えるでしょう。あれです」
「…………尖塔があるの?」
「はい。派手な神殿みたいな外観ですよ」 
 メディアは押し黙る。予想と違う方向の派手さ具合だったのだろう。どんな建築物を予想していたのか気になるところだ。彼女は時々年相応の可愛らしい想像をして和ませてくれる。
 今夜はあそこに泊まることになるのだから、彼女が気にするのも当然だ。
 ごとごとと心地よい馬車に揺れに身を任せていると、正面のメインストリートに出て全容が見えてきた。それを見て、メディアは完全に顔を顰める。
 派手さで有名な地神殿よりも派手であり、とても汗くさい傭兵が勤めているようには見えない。以前出会ったのは汗くささとは縁遠い小綺麗な男の子二人だったが、あれは例外だろう。
 馬車は静かに本部建物に向かっていく。多少揺れはするが、心地よく眠れそうな程度である。綺麗な舗装といい、街の外観といい、利益は大きいらしい。
「前の長があまりにも無駄遣いをするから排斥されたらしいですよ」
「そりゃあそうね。神殿都市って言われた方がしっくりくるもの」
 やがて本部の敷地内に入り、入り口の前まで行くと馬車から降りる。
 近くで見ると、一つの尖塔が天を貫くように伸びている。太陽神を信仰していたという前の長は、太陽に近づこうとしたのだろうか。そう思わせる程度には、場違いに立派な『神殿』であった。
 入り口に立っていた品のいい老人の案内で、一行は建物内へと入る。
 無駄な装飾品はほとんどなく、少しでも荘厳さを打ち消そうという努力の影があちこちで見られる。質素にしているという意味ではなく、生活感のあるセンスの良さをもってして最低限飾られている。
 飾りの甲冑も、無骨過ぎない美しいものだったり、盾はまるで鏡のようであったりと、目を楽しませてくれた。どういうわけか、死霊術師のサディがそれらをうっとり眺めていたが、気にしてはいけない。気にしたとたん見えてしまうだろう。
「ハラン、剣を」
 今まで黙っていたアルスがハランに剣を求めた。もちろん暴れようというのではない。ヴェールで顔を隠したアルスは、今日は珍しく女性の服装であり、剣は進物用に持ってきた魔剣である。今まではハランが持っていたが、面会が近いのならば彼女に渡す方がいいだろう。
 誰かとすれ違う度に視線を感じながらも、静かに一行は老人に続き歩く。
 やがて大きめの扉が見え、その前に控えていた傭兵が戸を開け放つ。
 まるで謁見の間のようなそこには、好奇心に溢れた傭兵達が、赤い絨毯の両脇に壁を作って並んでいた。


 群がる傭兵達を見て、カルは深いため息をついた。
 迎えるのはこの世に数えるほどしかいない聖女である。見てみたいと思うのは人として当然の好奇心だ。カル自身も楽しみにしているが、しかし集まりすぎではないだろうかと、そのホールを見て思う。
 作りはどう見ても王宮にあるような謁見の間なのだが、住んでいる者達がそれを否定して『大ホール』と呼んでいる。晩餐会を開くときにはここを使うし、間違ってはいないのだが、初めて来る者達は長であるユーリィのことを王様のようだと思うらしい。
 すべては王座のようなそれが、床に固定されてしまっているからだ。かといって取り外すのも無駄であるし、使わないと浮いてしまうから、とりあえずと使い続けて今に至る。
「人に酔いそうだ」
「本当に。みんな暇じゃないんだから、仕事すればいいのに」
 彼らは社員というわけではなく、ただダリミオンの剣に傭兵として登録しているだけの派遣社員である。ギルドがするのは、彼らをランク分けして身の丈合った仕事を提示し、それを傭兵達に選ばせるだけである。つまり本人達がこのお祭りに参加したいから仕事を入れないということは、誰にも咎められずに出来るのだ。賑やかしも必要だろうと募集したところ、いつの間にかこうなってしまった。もちろんこれだけいてもまだ厳選されているのだ。
 ここに入れないようなランクの低い傭兵や問題児は、せめてとばかりに外や廊下で待機している。偵察の話では、それらしき人物はヴェールで顔と頭を隠しているらしい。シルエットだけなら、長身の美人だったようだ。
 耳を澄ますと、ヒールが床を打つ音が響いて近づいたきた。人は多いが、長の手前誰一人としてほんのわずかな囁き以上の言葉を発することはない。よほど叩き出されたくないのだろう。だから足音も耳まで届く。
 来る。
 そう思った瞬間、扉は開き、ローブを身につけた一行が入ってくる。
 男は一人だけ。以前出会った塔の魔道士。女達も替わらぬメンバー。一人足りない分を補うように、白いロープに白いヴェールの女が入ってくる。巫女と魔道士の中間のような、ミステリアスな雰囲気のファッションの女性である。
 背が高いのは本当のようだ。ただ、美人かどうかは分からない。あれが聖女なのだと、皆は興奮を顔に表している。
 彼女は一礼して絨毯の上を歩き、彼らの元へと近づいてくる。父を挟んで控えているカルとリューネはちらと互いに目を会わせた。
「ん?」
 突然、聖女が足を止め、長であるユーリィを見つめた。そして何を思ったか、額から下を隠していたヴェールをめくり上げて、露わになった藍の瞳を細めてユーリィを睨むようにして見上げた。
「ん?」
 ユーリィも、また似たような反応をして、聖女を見つめる。
 以前合ったときにも思ったが、メディアは少しカルやユーリィに似た雰囲気の顔立ちをしていた。近親婚が多かったらしく、一族は似たような容姿の者が多く、実際に同郷だという者に何人か会ったことがあるが、彼女らと似たような独特の印象を受けた。
 まさかとは思っていたが、知り合いなのだろうか。
「父さん、知り合い?」
 ユーリィは答えずじっと聖女を見つめていた。
 生まれた村が壊滅したというのは、カルが生まれて間もない頃だったらしい。だから相手が変わっていて、特定できないのは仕方がないことだ。
「アルス、どうしたの?」
 メディアが聖女の腕に触れて問う。
「アルス!?」
 父が大声を出して立ち上がった。
「あ、やっぱユーリィか。やぁ、まさか生きてるとは思わなかった」
 感動の再会だというのに、聖女は軽い言葉を返して手をあげた。
 クレメントが言うには当時は目を覆うほど悲惨で、女子供も関係なく皆殺しであったらしい。だから出会う相手は皆それなりに喜んでいた。
「おま……な……なんで……」
「ああ、崖から落ちて運良く通りすがりの塔長に助けられたんだ」
「で、でも……」
「別に生きてるんだからいいだろ。一言で言うならメディアに助けられた感じだな」
「メディア……は?」
「ここにいるだろう」
 ユーリィははっとしたように聖女の後ろに控えていた少女達を見回す。見回し、悩んだ結果サディへと視線を固めた。
「大きくなって……」
「違う」
 サディは首を振りメディアを指さす。確かに彼女も黒髪で、一族と間違えてもおかしくはないが、明らかに一族の印象があるメディアを無視するとは、何を考えているのだろうか。
 ユーリィはまじまじと聖女に似た小さな少女を見つめ、呟いた。
「な……なんでこんなに小さいんだ?」
 メディアが杖を振り上げ飛びかかろうとしたのを、慣れた様子でハランが羽交い締めにする。彼女に背が低いと言うことはタブーのようだ。
「さぁなぁ。そっちはそっちで、大きくなったなぁ」
 と、聖女はリューネを見上げながら言った。
「カルも生きてたんだな」
「いや、カルはそっちだ」
 リューネは手を振りカルを指さす。そして聖女は頬に手を当てしばし悩み、悩み終えると目にも止まらぬ勢いでユーリィの胸ぐらを掴んだ。
「隠し子がいたのかっ!」
「ち、違う、誤解だ。これには色々と事情がっ!」
「いてもおかしくはないと思っていたけど、まさか本当にいるなんて何考えてる!?」
 聖女が長をがくがくと揺さぶり始めたので、さすがに呆然と傍観していた傭兵達のざわめきもうるさくなってきた。
「アルスさん、落ちついてください。公の場ですよ。聖女して下さい」
 ハランがメディアを押さえつけながらアルスの背に声を掛ける。彼も大変な役回りである。
「それもそうだな。あとできっちり母親について聞かせてもらうからな」
 聖女はユーリィから手を離し、今までの険相が嘘のように女性らしい柔らかな笑みを浮かべた。
「いや、本当にこれには事情がっ」
「うるさい」
 一言で切り捨て、つかみかかるときに投げ捨てていた剣を拾い、それを差し出した。
「塔長様から」
「……あり、ありがとう」
「もう一つ。手を出して」
 ユーリィは素直に手を出し、その手をアルスが握る。
「強く握って」
 戸惑いつつも、ほんのり頬を朱に染めたユーリィはその手を強く握る。そのうぶな様子に少し驚き、しかしそれ以上の、目を疑うような驚きを目の前の光景が与えてくれた。
 聖女の手が歪んだ。波打ち、形を変えてて、色が変わる。
「な、な、なっ!?」
 一番驚いているのは当の本人だろう。驚いて聖女から手を離すが、その変形した元腕だった物は、聖女の身体を離れてユーリィの手の中にあり続ける。聖女の右腕は、袖の垂れ下がり具合から、肘までないような長さだった。
「何だこれは!?」
「落ち着け。しっかり握れば形を取る」
「だ、たからこれは……」
 ユーリィは言葉を止め、変化するそれを凝視した。
 人の肌と見分けがつかないほど精巧な義手だったそれは、形を変え、色を変え──銀色の金属、剣へと姿を変えていった。
 しかし今のカルには、そんな不思議な光景よりも気にすべき点があった。
 聖女の腕はない。
 右手だ。
 父の部屋には、趣味を疑うような物が隠してある。それを時々取り出しては、ため息をついて酒を飲んでいた。
 液体に浸かって保存された、女性の右手。
「……お母さん」
 誰の手だとは言わないが、父の様子から薄々そうだと思っていた。
 聖女はカルを見てにこりと笑い、用は済んだとばかりにユーリィから離れて、彼の前まで来た。
「大きくなったな。双子だから、大きくなったら小さいだろうと思ってたけど、本当に大きくなって」
 自分よりも少し背の高い女性が、カルの頬に触れ、それから抱きしめた。
「お母……さん?」
「そうだ」
「お母さん」
 行程の言葉を聞き、聖女だとかそんなことは頭から吹き飛んでいた。
 死んだと聞かされていた母が生きていた。生きて、ここにいる。片手で抱きしめてくれている。
「お母さん」
「なんだ」
 何だと問われて、言葉が出てこなかった。聞くべき事は多くあるはずなのに、自分は考え無しのようにただ母がいるということだかけがぐるぐると頭の中を回る。
「お母さんお母さんお母さんお母さんお母さん」
「ああ」
「おかあ……」
 カルの言葉は、金属が叩き付けられる音に遮られ、とっさに振り返る。
 そこでは父がもらった元腕の剣を振り回していた。
「何だこれは、しゃべるし離れん!」
「ああ、それ呪われてるから離れないし話しかけてくる」
「お、おまえ、そんな物!?」
 まったくその通りだ。母が呪われているのも問題だが、父に押しつけるのも問題である。
「でも相応しいだろう。それ、世間一般で言う『勇者選定の剣』だからな」
「アルセード!?」
「本物だぞ。聖女たる俺のお墨付き。俺が聖女だから持ち主になってやることが出来なかったから、他にいい素材が現れるまでは保有してやってた剣だ」
「っていうか、なんでお前男言葉なんだ?」
「そんなことはどうでもいいだろ。感動の再会なのに、どうでもいいことばっかり気にするな。メディアも呆れて呪いの準備を始めただろ」
 言われてみれば、杖を掲げて呪文を唱えだした必死の形相のハランに押さえられるメディアがいた。
 感動すべきなのだろうが、正気に戻ると素直に感動に身を委ねられないのは、どうしてだろうか。
 どちらにしても傭兵達が混乱しているので、場を治めなければならない。
 骨が折れそうだ。


 客人達は騒ぎのために早々に客間に案内されたと聞き、その部屋にふらふらとやって来たカルが見たのは、腕を組んでふくれっ面を隠そうともしないメディアの顔だった。
 実の妹のメディア。
 憧れていた妹。
 少し気は強いが、見た目は小さくてとても可愛い。
 それ以外にその部屋にいるのは、大人しくストローでジュースを飲んでいるサディと、先に部屋に入ったリューネにまとわりついているリディア。それだけだ。
「父さん達は? クレメンスもいるはずなのに」
「どこか別の部屋に移ったわ。ハランとその人は殺生沙汰になったときのためについて行ったの。といっても、アルスが事実を並べて、あの男が土下座していただけだから、そんな心配はないと思うけど」
「…………あの男って」
 仮にも自分の父親なのに、そのいい方はないのではないだろうか。照れもあるかも知れないが、胸が締め付けられ寝ような感覚に襲われる。こういうのは仕事で危ないと思ったときだけになるのかと思ったら、そうではないようだ。
「メディアさんは相変わらず男性嫌いですね。まあ、父親嫌いから来るものですから、不機嫌になるのも当然ですが」
 リディアはリューネにしがみついてころころと笑った。
 カルは父から母が死んだのは、彼が生まれたばかりの頃だと聞かされていた。だから記憶も何もないだろう。記憶もないのに嫌う理由が分からない。
「そうなの?」
「まあ……そうね」
 だから不機嫌なのだ。
「どうして?」
「だってそうでしょ。アルスはまだ二十五歳よ。なのにアルスの方はこんな大きな子供がいて」
「ちょっ、ちょっとまって!」
 カルは手を伸ばして彼女を止めた。
「何よ」
「え……だって、今お母さんが二十五だって」
「そうよ」
「二十九歳じゃないの?」
「そんな年に見えるの? 失礼ね」
「だって父さんが……って、いくつの時の子!?」
 父が三十一歳で、母が二つ下だと言っていた。だが違うとなれば、もっと下だとなれば、頭が計算することを拒む。
「アルスは十二歳の時に塔に入ったのよ。私達の年には勉強しながら子育てしていたわ」
「うそ……」
「妊娠したのは十一歳の頃よ。どこの世界に女好きで節操がなくて子供を孕ませるような男に好意を持つ女がいるのよ。アルスはとっても苦労したのよ」
 外聞が悪くて、それは年齢も誤魔化したくなるだろう。それでも彼女が本命だったのは父の態度から確かなことであり、きっと色々な葛藤があったに違いない。
「その上、薔薇の魔女に手を出して呪われてるような反省皆無の男に、どうやったら好意が持てるのかしら。そりゃあアルスも呆れるわよ」
 カルは打ちのめされてふらふらと椅子に腰掛ける。
 他人から指摘されて、父がどれほど女にだらしないのか改めて思い知らされた。見た目は誠実そうだから、現実を凝視するとなおさらショックは大きい。
 ああ、父親は女に関してはダメな男なんだと、落ち込んだ。
 メディアがふくれるのも当然だった。せめてあの件を対応したのが彼女たちでなければ、言い訳も出来たのに、彼女たちには一切フォローのしようがない。
「ごめんなさい」
 とりあえず謝ってみた。父の女癖に関することで謝るのには、もう慣れた。
「あんたそればっかりね。別に親のことを子が背負う必要はないでしょ。あんたに実は一歳になる子供がいますとか言ったらちょっと殴りに行くけど」
「いないよぉっ! 彼女もいないし!」
 と、となりでいちゃいちゃする兄とその恋人をちらと見た。美人で笑顔が素敵で、正直ちょっと羨ましい。
 しかし自分には妹がいるのだ。同母の双子の妹。ちょっとツンツンしているが、見た目は可愛いから問題ない。
「メディア」
「何」
「あの……僕のことは、お兄ちゃんって呼んで欲しいな」
「いやよ」
 カルはさらなるダメージを受けながら、それは表に出さず笑顔で取り繕う。いかにも照れ屋な彼女である。簡単には兄とは呼ばないだろう。
「あんたみたいなのを兄とか言ってたら、絶対に小さな子扱いされるから死んでもイヤっ」
「小さいの気にしてるの? 女の子なら小さくても可愛くていいのに」
「あんたみたいに無駄に縦に伸びた奴に言われるとムカツク」
 成長期だから、もっと伸びるだろう。アルスを追い抜かすのもそう遠くはないはずだ。
「本当に、お母さんも大きいのにどうして小さいんだろうね。一卵性だったら同じぐらいだったんだろうけど」
 その言葉に、メディアははっとしたように顔を強張らせた。考えていることが伝わってくるような表情に、彼はくすと小さく吹き出した。
 なんて素直で可愛いんだろうかと、カルは思わず感動した。素直じゃないのに素直なところが可愛い。
「よかったなカル。前から妹が欲しいと言っていたしな」
「うん、嬉しい」
 見た目が小さいから、同時に生まれたとは思えない。兄と呼んで貰えれば一番嬉しいのだが、本人が嫌なら仕方がない。嫌がる理由も可愛いものだし、可愛いから許す。しかしいつかきっと、という思いはある。
「そうだ。あとで中を案内するね。広いんだよここ。本殿だけでも広いけど、裏には寄宿舎もあるんだ。宿に泊まるよりはずっと安い値段で貸してるんだよ。本当は別の用途があったらしいけど、父さんが無駄だからって改装させて巨大アパートにしちゃったんだ」
 本当は母も案内したいが、できれば父と一緒にいて欲しい。許してもらって、聖女だから一緒に暮らすのは無理でも、家族らしいいい感じになれたら嬉しい。
想像するだけで楽しく、輝いている未来が嬉しい。
 そんな風にデレデレしていると、先ほど入ってきたドアが開く。
 沈んだ顔の父と、しれっとした顔の母、そして曖昧な態度のクレメンスとハランが部屋に入ってきた。
 彼の中の輝く未来が少しばかり、いや、かなり陰った。

 

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