背徳の王
1
鞭打つ音が響く。
足を組み替え、鞭打たれる男を見る。
逞しい男だ。
ボクの部下に取り入って、中に入り込んだ男。自分から飛び込んでくるなど、よくやると感心してしまう。
「ボクはね、自分に懐くイヌは好きだよ」
組んだ足を伸ばし、組みかえる。
「でも、ボクに懐かない他人のイヌはキライ」
誰だってそうだろう。野良犬ならかわいげもあるが、自分に牙むく他人の飼い犬など、誰が好むか。野良犬であったら、可愛がってやっただろうが、他人の飼い犬などボクにとってはどちらに転んでも不愉快だ。主を主と認めていた上で裏切るイヌなど、寝返ってもまた新しい主を裏切る。
「女の子が見えるね。可愛い、小さな子だ。隣には綺麗な女性が見えるよ。女の子と似ているね。金髪の親子。なかなか帰ってこない父親を心配している」
安直だが、こういう輩に一番効くのは、こういう脅し。
中途半端で、実に人間らしい男だ。
「ボクの可愛いペットが好みそうな、美味しそうな人間達だ」
くすくす笑い、ボクが見ているモノを男に見せてやる。
男は振り払うような仕草をして、自分に言い聞かせている。幻惑でも見せられているのだと思っているのだろう。遠距離の光景を頭の中で見せるなど、出来るはずがないと。
「ボクの飼いイヌは母親の前で子を殺すことに生き甲斐を感じている変態がいるんだ。使えるから、たまぁにご褒美にいらない餌を与えている。そろそろ餌を与えないと、無関係な親子が……子供のボクの口からはとても言えないようなひどい目に遭うからねぇ」
笑いが止まらない。
ボクの知らないところで起きる惨劇というのはあまり面白くないが、男の反応は滑稽だ。実に人間らしい、半端な反応。
下手なことは言わないが、気にしないでいられるほど人の心を捨てていない。
「もう一時間あげるよ。
一時間して何も話さなければ許可を与える。その時はお前にもその光景を見せてあげるよ。娘がさんざん嬲られて殺されてその肉を腹に込められる妻の姿を見たいのなら、話さなくてもいいよ。その時は次の手を考えるから。見られていると知ったら、きっとあの子も喜ぶし。次の獲物を探す楽しみもある。一族郎党となると、皆喜ぶだろう。ボクのペットにはね、身内を捜すのが得意な子がいるんだよ。とってもとっても得意だけど、身内しか探せないからこうしてるんだ」
笑いながら立ち上がると、男が呻いた。
呪いの言葉でもぶつけたいようだが、耐えている。ボクをこれ以上怒らせないように。
「じゃあ、しっかり拷問するんだよ。聞き出せたら、ボクがあとでご褒美をあげるから」
「かしこまりました」
拷問吏に声をかけると、彼は鬼気とした様子で鞭を振るい、今まで子供達がどう陵辱され、どう殺され、母親達がどんな風に気を狂わせて殺されたかを語り出す。
時間の問題だ。
彼が死ぬことを許されるとき、彼と彼の身内が救われ、ボクが欲しい情報を得る。
あの男が己の苦痛からの解放を取るか、主を取るか。
とても気になり、とても楽しみ。
ボクはかかとの高い靴がキライ。でもすこしだけかかとの高い靴を履いている。動きやすさを損なわない、ボクの足に合わせたブーツ。猫を思わせる女の子に脱がせてもらうと、素足で窓辺に立つ。
暗い夜の闇。
ボクの大好きで大嫌いな夜。
好きでも嫌いでもボクの時間。
「ねえ、ベル」
「私はペティですが」
「ボクがそうだと言ったらそうなの」
「かしこまりました」
彼女は大人しく頷く。
「そうそう、いい子だね。
ボクは夜の王様だよ。ボクがイヌだと言えば、それが何であってもイヌなの。ボクは絶対なんだ」
くすくすくすくすと二人きりの部屋に染みいる笑い声。
彼女は緊張しているらしい。
若くて可愛い新人のメイドさんが、自分よりも年下に見えるが夜の王と呼ばれる者の部屋にいる。
その意味を推し量っているのだろう。愚かだ。
「何もしないから緊張しないで、猫ちゃん」
近づき、彼女のあごに手を添えて言うと、その目が揺らぐ。
「君はここに来てどれぐらい?」
「一ヶ月になります」
「慣れた?」
「はい」
「誰の手引きでここに?」
「叔母の紹介です」
いい子だ。目が揺らいだのは、触れたときだけ。
「君は野良猫ちゃんだね」
「のら……?」
「やっぱりノラ猫のノラにしよう。うん、それがいい」
彼女は目を見開いた。
「何か不満?」
「いいえ」
「だそうだ。君たちは殺気立たなくても良いよ」
ボクは天井に向かって言う。コン、と音が鳴った天井を見上げ、彼女は気味悪がった。使用人がやめていくのはこの不気味さに耐えられないから。耐えられそうな使用人が来ないのは、ここは何かあると気付くから。
「天井には、色々住み着いてるんだ。ボクには噛みつかない可愛いペットたち。でもボク以外には噛みつくよ。ボクが噛まないように言っているから噛まないけど、ボクに噛みつくよその獣には容赦なく噛みつく。
ボクが噛まないように指示するのは、ボクに忠実なペットにだけ。
でも君はノラだから、噛まなければ誰も噛まないよ。安心おし、ベル」
引きつりながらも本名を呼ばれて頷いた。
初々しい。初々しいはずがない少女が、初々しい反応を見せるのが小気味よかった。
「可愛いね。食べてしまおうか」
「ご、ご冗談を」
「ボクに人食の噂があるのは知っているけど、それはデタラメだよ」
彼女は少しほっとしたような顔をする。人の肉より、家畜の肉の方が美味しいに決まっている。
「ペットが食べるんだ」
彼女の顔が引きつり、ボクは満足した。
道理を知らぬ野良猫を調教するのは楽しい。忠誠心など持ったことがないから、ただ自分のために動いている野良猫。それを手折る事が楽しい。
「ねぇ、君を良いところに連れて行ってあげようか」
「良いところでございますか?」
「うん。とってもいいトコロ」
くすくす笑いながらその手を取って歩く。
ボクがこうするのは、ボクの楽しみ、ボクの生き甲斐、ボクが王である証明。
ボクがボクであるからこそ、ボクらしく行動する。
「ボクは生まれながらにしてこんな生活はしていなかったよ。ボクにだって両親がいるからね。
ボクの父親は真面目で真面目で妻を愛するマジメな男だった。母さんが死んで、ボクのペットに殺させたけど。
そこそこの財産はあったから、ボクはそれを餌にしていろいろなペットを集めたんだ」
隣に立つベルは一言も声を発しない。
「ボクはね、殺すことには何の楽しみもないんだ。ボクは変態じゃないからね、殺して喜んだりはしないよ」
誰もが勘違いをする。
ボクがサディストで、好き好んで拷問をしていると。冗談ではない。ボクは人を殴ったこともない、とても潔癖な人間なのに。
「君はどう?」
振り返り、少しばかり年上であろう少女に問う。
「君は自分のオナカマが痛めつけられるのを見て、どう思う?」
彼女は動かない。何も感じていないように、猫の無関心さで動かない。
「何のことでしょうか」
「君はノラだけど、餌は与えられているよね」
あの男と違い、組織に忠誠を誓うようなことはなくとも、金で動いてここに忍び込んできた。
「ボクはね、他人の忠犬は嫌いだけど、ノラを飼い慣らすのは、結構好きだよ」
彼女の背後にボクの忠犬が潜む。
目の前では絶望の拷問。後ろにはボクのイヌ。
「少し威嚇してくるぐらいの方が、手なずけたときは嬉しいでしょう」
ボクは彼女の手を取って男の前まで歩み寄り、裸足のままで綺麗な場所に立つ。
「吐いた?」
「いいえまだ」
「そう。じゃあ、もう好きにしてもいいよ」
ボクが男に近づくと、拷問吏が髪をつかみ顔を上げさせる。血と汗で汚れた額にはりついた髪を払い、ボクはそこに触れる。なんて醜いんだろうか。その目がボクの背後に呆然として立つ少女へと向けられている。
予備がいるというその事実が、この男にとっては何を意味するのか、ボクの知るところではないが、彼にとってはきっと大きいに違いない。
「ボクに特別な秘密なんてないのに、本当に君たちの主は馬鹿だね。
ボクはいくつに見える? ボクが千年生きた化け物だとでも思ってる? これでもまだ若いんだよ。もっと小さく見られるけどね」
男らしくも女らしくもない、いつまでたっても痩せた身体。だからボクはいつまでも子供に見られる条件は揃っているのに、疑うなんてとってもおかしい。
「馬鹿だよ、君たち。君たちの醜い主は、実に馬鹿だよ。秘密ほしさにボクのところに部下寄越すなんて」
頭の隅に描かれる光景では、捕まった女の子がみっともなく泣いている。
「やめっ」
「じゃあ言っちゃう?
つまらない。ここからが本番だよ。生きたまま腹を割いて、食らい、食らわせる。見物はここからなのに」
本当に実行するとは思わなかったのだろう。
それともまだ、これが幻覚であると思っているのか。
「ああ、そうだ。君の身元を知っているという承認として、この子を連れてみたんだよ。ベルにも見えないと意味がないね。みんなにも見えるようにしようか」
ボクは杖を振り上げる。見た目はごく普通のステッキだが、ボクの特注品。軽くて固い、特別な骨で作ったもの。遠い国では、魔術師が魔術に使うらしい。
「闇夜の宴を」
黒い霧が立ちこめ、その光景が映る。空気がうごめき、音を運ぶ。
脳内と、目の前と。幻聴と、外の声。
彼は目をつぶっても耳をふさいでも逃れられない。耳をふさぐ手はどうせ縛られているから、目を伏せるしかないが。
「ベル、何が見える?」
「女の子が……男性に捕まって泣いています」
青ざめた彼女は素直に答えた。
「どんな女の子?」
「暗くてよく見えませんが……五、六歳の長い巻き毛の、金髪の子です」
「どんな場所?」
「子供部屋。大きな熊のぬいぐるみが……あり……ます。他にもたくさん」
特徴を捉えようとする彼女の言葉は、説得力があっただろう。互いのことなどほとんど知らないはずだろうから。
「ボクはね、いろんな噂を知っているよ。ボクが悪魔と契約した魔道師だとか、半悪魔だとか、悪魔だとか」
ボクはちゃんと人として生まれて、人として生きている。ボクを作り上げた愚かな父に、愚かな母が、ちゃんといた。純粋の悪魔には両親がいない。だからボクは悪魔ではない。契約した覚えもないし、悪魔が親なら簡単にはくたばらないし、子に殺されるなんて悪魔は聞いたこともない。
彼らはそれだけは知っているから、とてもしつこい。
「ボクは手を出してこなければ、とっても安全な人間だよ。他人に興味がないからね。手を出してくるから噛ませるんだ」
生きていることが幸せかなど知らないけど、自ら不幸せになりに来ることもなかろうに、おかしな連中だ。
「ボクには秘密なんてないよ。ただ、近づく連中がぼくの飼い犬になるか、死ぬかしているだけで」
イヌが子供の髪を掴みわざと泣かせる。ぎゃーぎゃーと騒ぐ子供を心配して、やがて短剣を手に母親がやってきた。
「ボクはただ、たくさんのペットがいるだけ。勘違いをしている。君たちは」
「やめてくれっ!」
母親の手から奪った短剣で、母親の手を床に縫いつけた瞬間、男は叫んだ。
「何でも言うから、やめてくれっ!」
ベルの反応を見て、それが本当に行われているのだと知った男が、妻の手が駄目にされてようやく叫んだ。
「必要はないよ。ベルに聞くだけだから。ねぇ、ベル」
彼女は青ざめてその様子を見ている。
「王族の一人売るぐらい、わけはないよねぇ」
「第二妃殿下です」
男が答えるよりも前にベルが言う。素直な子だ。金で動いているから、分かりやすい。彼女は大切なモノの順序を心得ている。
「二番目。えらい人みたいだったから必要以上には手を伸ばさなかったけど、二番目だったのかぁ。野心家だなぁ。野心さえ持たなかったら死ななくてすんだのに」
ボクはくすくすと笑いながら、手をあげる。
「ハーセル、待て」
イヌを一時的に止めて、男へと視線を向けた。
「選ぶといいよ。続けるか、自分の手で始末をつけに行くか」
すべて言わずとも分かるだろう。
「ボクは気が短い。返事は?」
「…………っく……わ……」
男は俯き唇を噛み、顔を上げた。
「ハーセル」
男の唇が言葉を発しようと動かすが、はっきりしない。
「よし」
「待て! まだ何も言っていない! やるっ! やるからやめてくれっ!」
許可を与えてから、ようやく男は乞うた。
「今になって、ようやく良い返事をしたねぇ。でも、だめ。もううるさいだけ。お前なんかのために、可愛いペットを待たせるのはかわいそうだから」
「やめてくれっ! やめてぐえぇぇ!」
踏みつけられて、声が濁る。
美味しい声だ。
絶望が目の前にある者の声。
嬉々としたイヌの声。
静まっていたイヌが再び動き出したことで狂乱する母娘。母親は足を折れるほど踏みつけられ、子供はただママ、ママと泣き叫ぶ。
「もうねぇ、遅いんだよ。ボクの慈悲は迷わぬ者にしか与えられないんだ。一瞬でも迷う者は嫌いだよ。身内と、愚者への恩と、即時に選べぬ愚図にあげる慈悲はない」
叫んでいるが、ボクはそれを置いたままベルへと笑みを向けた。
「君は迷うそれとも……」
「私が欲しいのは命とお金だけです」
死ぬのはイヤで、ただ働きも嫌だと。
「正直にお言い。分かるよね?」
身内がいる者というのは、それが弱点となる。待つ者がいれば動きは鈍る。それに手を出されたら、離れている彼女には何も出来ない。
「私と私の妹の命。妹を助けられるお金だけ」
「どちらかだけと言ったら?」
「妹を」
健気なことだ。ボクには理解できないが、理解できないからと笑えば、ボクも他人に笑われなければいけないことがいっぱいある。
「ではお行き。人間一人では大変だろうから、どれでも一匹連れていっていいよ。諸刃の剣だけど、選ぶ時間はあげる。中には使えるいい子もいるから、君達の命は君しだい。
女を殺したら、妹は必ず助けてあげよう。王族の暗殺だからね。人一人の一生を買うには十分な価値がある。
ボクは慈悲深いだろう?」
ボクは椅子に座り、足を組む。
素足に見える淡い色の入れ墨のような模様。
彼女にこの意味が分かるだろうか。
「ボクに秘密なんてないんだ。だって隠していないもの。
人はボクのような者を神の子だとか崇めるみたいだけど、ボクはそうは思わない。ボクらはただ、他人を支配するのに長けているだけだよ。
でもみんな、神の子と呼ぶ能力者がこんな事をしているなんて、誰も思わないみたい。否定したんじゃないかな。
だからボクは墜ちたる背徳の夜の王。バケモノ達の王。茨の王冠を頂き、血の衣を纏い、悲鳴を食らい生きる」
ボクがいつからボクだったのか、ボクがなぜこれほどボクなのか、自分でもよく分からないほど、今のボクがボクなのだ。
「それがどこの誰のどんな悲鳴だろうが、ちっとも構わない」
ボクの生きる意味。ボクの生きる道。ボクの存在意義。
言葉で飾る必要など無い。ボクはただそのために生きている。きっとそのために生まれたって言っていいぐらい、悲鳴があるのが当たり前。
ボクは隠されて、見つけられて、みんな食われて、食ったそれらを手懐けて、裏切り者だと誹られて。
罪深いのはボクの両親。両親さえボクを手放せていたら、もう少しまともに育てていたら、きっと今のボクはないだろうに。
「ボクはね、魔王とか呼ばれたり、すべてを壊そうなんて大それたことは考えていないんだよ。馬鹿じゃないもん。
でもこう生まれたからには、神様に逆らう程度には世界に混沌を作りたいんだ。ボクはただ座っているだけ。やるのはペットたち。それでボクは満たされる気がするんだ」
間違った育ち方をして、間違った出会いをして、間違った道を歩んだボクは、間違った方法で満たされる。
「ベル、明日はボクに美味しいごはんをちょうだい」
明日が過ぎればどうなるか、言わなくても分かるだろう。ボクは別に誰であっても構わない。ただ、ボクの意のままに動く者であれば、少し満足出来る気がする。
「かしこまりました」
「いい子だね、ベル。いい子は、長生きするんだよ、ベル」
バケモノと分かっている者の前で少しでも悩んだら人生終わりだって、分からない人間が本当に多いから困る。
ボクは親切に分からせるつもりはないから、自分で分からなければならない。
時間があったのだ。
彼は見誤り、ベルは見誤らなかった。
彼は忠誠心で動くから。
ベルはただお金が欲しかっただけだから。
「楽しみだなぁ。王に嫁ぐほど高貴な人って、どんな風に鳴くんだろうね。自決でもするのかな。楽しみだなぁ」
ボクの影に潜む飼い犬たちが、選ばれないか選ばれないかと存在を主張している。
可愛いペットたち。
神の使いであるボクの使い魔達。
「第二王妃を殺したら、そのうち暇な時に子供達も殺そうか。王族を飼うのも悪くないね。僕の前で生きていられる知恵があれば……」
新しいペットにしてあげよう。
恐怖で服従させ、足を嘗めるようなイヌにしよう。