背徳の王
11
ボクは伯父様のお屋敷に来ている。王都にあるお屋敷だ。
両親が亡くなり、家を継いでから二年過ぎた。
そろそろ領の外にも出ておいでと言われて、ボクはここに来た。
一番の目的は、伯父様の回りをうろちょろする小蝿をどうにかすることなんだけれど。
「ご機嫌だね、ウル」
「うん、ボクはとっても上機嫌だよ。ロバスのおかげで馬車酔いもなくなったし、いい子が手に入ったから」
馬車酔いするボクの為に、揺れないような馬車を用意してくれた。今までで一番役に立った瞬間だった。ロバスの力で転移すればもっと早いけど、それを多用していてはボクはどこまでも怪しい子供になってしまう。ボクだけは普通でなければならない。
「よかったね、ウル。君が都までこられるようになったし、僕にとってもめでたいよ」
エルファ兄さんが微笑む。ボクと兄さんは顔立ちが似ていて、兄さんと一緒にいるとよく兄弟と間違えられる。兄さんといる時は、動きやすいように男の子の格好の時が多いから。
「君が出て来てくれたって事は、十分に力は溜められたかな」
「うん。竜も悪魔もいるからね。これでダメなら、まあ諦めるよ」
トロを捕まえた時は兄さんも一緒だった。兄さんも一緒に考えてくれた。
だから今のボクはとても強い。
「でもいざというときの潔さは必要だね。惨めなのは嫌だから」
「そうだね」
「惨めに命乞いをする奴なんて……ねぇ」
ボクはくすくすと笑う。
最期が惨めであったら、その生の意味がないと思う。
怯えるのは仕方がない。でも、プライドも何も投げ捨てるのは好かない。
自分から襲っておいて、怯えるような奴は、嫌いだ。
「でもここのお屋敷はほんと、美味しい物が出てくるね」
ボクは出された焼きたてのお菓子を食べて呟いた。柔らかくて美味しいクッキーだ。焼きたてだからこその味で、ボク好み。
「新しい料理人を引き抜いたんだ。菓子が得意でね。
今、君の所は料理人がいないのだったかな?」
「うん。うちって使用人少ないから。
でもばあやとメイド達じゃ来客の時に無理があるから雇いたいんだけど、料理もお菓子も何でも作れる料理人はあまりいないからねぇ。かといって、複数の料理人を雇うとまた口封じが大変になるかも知れないし」
ボクの屋敷で働ける人材は貴重だ。その上、腕まで持っているなんて難しい。メイドならよほどの間抜けでない限りは、多少使えなくても許せるけれど、料理人は腕がすべてだ。しかしボクの屋敷では、まずは物怖じしないというのが第一。
「あぁ……肝の据わった料理人が欲しいな」
ロバスがけっこう料理上手だけど、彼は一つの料理に数日かける『こだわりの料理』ばかりで、すぐに出来るような料理に興味がないらしい。朝の『すぐにご用意』が夜になった時、ボクは悪魔など信じないと心に刻み込んだものだ。
「じゃあ、料理人を探しに行こうか」
「え、どこに?」
「街に遊びに行くんだよ。ひょっとしたら、面白い出会いがあるかも知れない」
「兄さんが食べ歩きたいだけでしょう。まだ魔物と出会う確率の方が高そうなんだけど」
そこらの料理屋の店員では、ボクのペット達に怯えてしまう。都だから料理人なら、腐るほどいそうなんだけど、ほとんどは使い物にならないだろう。せいぜい、ペット達の餌としての価値しかない
「ま、自分の足で見回るのも悪くないかもね。何かいい事があるかも知れない」
良くも悪くも、最先端がここにはある。可愛いレースとかには興味がある。女の子のボクはレースが大好きなんだ。
「僕のお薦めの店に連れて行くよ」
この人は見た目に反して、けっこうゲテモノが好みだからちょっと不安。
「ボクは一般的な食材以外は嫌だよ」
「まさか。普通の店だよ」
「ならいいや」
変な虫とか、変な生き物とか、ボクは食べられない。ボクはごく普通の人間だから。
「ばあや、そういうわけだから少し落ち着いた服を用意して」
「かしこまりました、お坊ちゃま」
兄さんと一緒に外に行くなら、あまり派手な格好は出来ない。どうせ庶民的な店に行く気だ。高級店は夜に行けばいい。ボクも庶民的な店は嫌いではない。地元では領主がそんな店に顔を出すと、領民達に不安を与えてしまうから行けない。何せボクは裕福でなければならない。ボクが貧しい生活をしていたら、領民達に不安を与えてしまう。
自分達が生活に困らず、ボクが良い服を着ていい物を食べて、それでいて人が良ければ、彼らは満足する。少なくとも、他の街に比べれば、なんて恵まれているのだと思ってくれる。
ボクは搾取に興味はない。
平安が一番だ。
ボクの住むところでだけは。
だから、都がどんなに危険なところでも、何が起こってもちっとも構わないと思うんだ。
「ほんと、兄さんの好きそうな感じだねぇ」
屋台が並ぶ市。色んな匂いが混じる狭い通り。ボクは遠出をほとんどしないけれど、兄さんの実家ぐらいなら我慢して行く。だから、兄さんが好きそうな雰囲気は知っている。
領民達も、そういう兄さんの事を知っているから、受け入れている。まだ若い跡取りだから許されるのだけれど。
だからボクにはできない。せいぜい、通りを歩いて見て回り、たまに収穫物をもらったりする程度。
兄さんの気楽な立場がちょっとだけ羨ましい。両親にはもう少し、表に立っていて欲しかった。
「これは見た事がないだろう。美味しいよ」
普通に美味しそうな、知らない果物。兄さんが買ってくれたので、ハンカチで拭いてから食べると、甘くて美味しかった。
「お土産にケーキを持っていった事があるよね。あれはこれを乾燥させた物が入っているんだよ」
「へぇ」
ボクがずっと小さなころから医療に力を入れさせているけど、他にも何か売りがあった方がいいだろう。ようやく医者が育って、投資した分が帰ってくる頃になったのだから、金持ちという名のカモを適度に肥え太らせなければならない。
そのうちボクの土地で色々とやらせてみようか。ロバスは知識だけはあるから、何かいい物を知っているかもしれないからね。
「ああ、あった。ここ、ここ。」
兄さんがボクの手を引いて店に入る。
立派な店ではなく、目立たないところにある食堂だ。ほとんど席は埋まっていて、なかなか繁盛しているらしい。
ボクはこういう店に入るのは初めてだ。露店の物を食べる事はあっても、店に入るまではしなかった。ボクは自分の領土から出る事なんて滅多に無かったから。だからちょっと新鮮。だって、ボクが行く範囲の所って、みんなボクらの顔を知っているんだもん。知ってるからみんな声をかけてくる。慕われているからであり、嫌な気分にはならないけど、誰にも知られていないところで、普通にご飯を食べるっていうのもたまにはいい。
ボクらは席に着くと、兄さんが適当に注文をしてくれた。
「ん、新しい子がいる」
兄さんが呟き、じっと店の奥を見た。
エプロンを着けて、出来上がった料理をカウンターに乗せる女の子。まだ幼い、十三、か四ぐらいの女の子。
「可愛いなぁ」
「ああいう子が趣味なの?」
栗色の髪の女の子。顔は確かに可愛らしい。
「やっぱり健康で利発そうな子がいいね。可愛い子は見ているだけで幸せになれる」
「そうだね」
兄さんは食べ物と女の子が好きだ。遊び相手は選んでくれるだろうから、あんな純朴そうな子をどうこうしようとは思わないだろうけど。ボクは良識のある人間だから、身勝手な男の行動には胸を痛めるのだ。
まあ、兄さんだからいいけど。
ボクは念のため、他の客の料理を見る。
みんな美味しそうに食べている事から、腕は悪くないようだ。普通っぽい人ばかりだから、普通の料理らしい。男の人は、店の女の子達も目当てみたいだけれど。
彼女が新しい子なら、お気に入りの店に入った女の子。店に通う楽しみにするにはいいだろう。彼女はまだ少し幼いけれどね。とは言ってもボクよりは年上。他にも女の子がいるから、男にとっては癒しの空間と言ったところみたい。
「やっぱりああいう女の子は、食べてしまうよりも、長く観察していたいよね」
この人なら、言葉の通り『食べて』しまいそうだ。ボクはペット達に向ける目と、似たような目で兄さんを見ているのかも知れない。
食べた事があってもなくても、ボクの領民以外ならどうでもいいけれど。
注文した料理が届くと、それがとても美味しくてボクは驚いた。兄さん曰く、前よりも美味しいそうだ。
考えられるのはあの可愛い新人さん。
「お嫁さんに欲しいタイプだね」
普通の男の子が普通に憧れる女の子。
「そうだね」
普通の男にとって彼女のような女性は理想だが、でも兄さんは跡取りだから理想ではない。料理人など雇えばいいし、女など他にいくらでもいる。
だから通って眺めるのに向いている相手だ。そしていつか誰かの物になって、少し悔しいと思うだけ。
昼食を終えて、使用人達への土産を買い、伯父さんの屋敷に戻ると夕食を取った。
ごく普通に何事もないただの観光だった。色々な物を見て、得る物は多かった。たまには都もいい。
こうしてボクが領外に出るという目的を達してしまった以上、残るは大切な伯父さんにたかる蝿の排除だ。
最近、嫌がらせを受けたので調べさせたら、調査をさせたその男が帰ってこないのだという。ボクも何度か見た事のあるお兄さんだ。だからみんなも知っている。
ボクは遊んでいる間に、隠密に向いたペット達に調べさせた。ただ、ボクの手元にいるその手の魔物の数が少ない。絡め手と戦力ばかり支配してきたが、もっと情報収拾に特化した弱い魔物が欲しい。
一種を複数ではなく、色んな種類を基本は一匹ずつ。その中で一番強い子、王を支配すれば、その下も得る事になる場合は多い。
そうしたら、ものの数時間で情報を手に入れられたのだろうに。
「伯父さん、捕まっているお兄さんを見つけたって」
ちょうど食後のお茶を飲んでいた時、ボクのペットが戻ってきて伝えた。ただ、臆病なのでみんなには姿を見せない。この子は影渡りと呼ばれる魔物。この魔物がボクのペット達をその力で隠している。とっても便利で稀少な子。なにせ捕まえるのが大変。でもボクの足下に入って、勝手にボクのペットになったんだけど。
ヘバといい、よく使う子はこのパターン多い気がする。普通は一生に一度あればいい方だと思う。きっとボクの運がいいのかな。
「苛められているみたいだけど、生きてるって。お仕置きする?」
「そうだね。彼はずっと仕えてくれている大切な使用人なのだよ」
ボクらは自らを守る為に、逆らう者には容赦しない。それ以外には基本的には無害。ボクらはそんな一族だ。
「一緒に来る?」
「おお、行こう。お前一人に面倒を押しつけるなど出来ないからね」
伯父さんが当然とばかりに頷いた。
みんなで一緒にお仕置き。どんなお仕置きをしようか。
「まずは拷問を受けているお兄さんを助けなきゃね。何かを聞き出そうとしているなら、その人は何の目的なのか知っているって事だし」
一石二鳥。
とっても楽しみ。
「というわけで、ロバス、お願いするよ」
「かしこまりました」
最近手に入れたばかりの悪魔は、楽しげに一礼した。
囚われてしまったのに、楽しそうに日々を過ごしている変わり者の悪魔だ。悪魔だとばれないように、執事のまねごとをさせているけれど、それすら楽しそうにする。あんまり長く生きすぎて、頭のネジが緩んでいるのだとボクらは結論を出した。『ボクら』とは、まともに知能のあるロバス以外のペット達の事だ。
拷問具というのをボクは生まれて始め見た。
うちにも少しはあるかもしれないけど、ボクには必要がない物だから探さなかった。ボクがそんな野蛮な道具を使う必要はないし、魔物達には使い方も分からない。もちろんばあや達は基本的に普通の人間だから、そんな隠された特技はない。たぶん。
みんなやれと言われても困ると思うから、そんな無茶な命令はしない。ボクはちゃんと仕事をする使用人をイジメたりはしない。そんなくだらない事でやめられたらたまらないし、やめると言っても当然だと思うし、止める事も出来ない。
まあ、そんなことはどうでもいい。
ロバスに転移させたのでここがどこなのかは分からない。分かるのは地下っぽい拷問部屋だということだけ。
地下室というのはうちにもあるけど、お酒とかを保管している所だ。こんな怪しいところではない。
「だ、誰だっ」
突然の侵入者に、拷問吏は戸惑った。
まあ、普通の反応。
見た目だけなら普通の男の人。おじさんと呼ぶには、少しかわいそうかと思うぐらいの年頃。
「そのお兄さんの飼い主だよ。拷問に負けない偉い子だから、ニケ、治してあげて」
人食い沼の亜種である、癒しの力も持つニケに命令する。後で美味しい肉をあげないと不機嫌になるけど、使い勝手がいい便利な子だ。
ボクが命令すると、椅子に縛り付けられたお兄さんが、椅子ごと床に沈んでいった。
ニケは椅子と縄をはき出して、お兄さんを癒し始める。あとで伯父さんに仔牛を買ってもらおう。
「さて、次はおじさんの番だね」
拷問吏のおじさん。まあ、三〇は過ぎていそうだから、おじさんでいいと思う。ボクは子供だしね。
ボクはニケにはき出された椅子を立てて座った。足を組んで、ブーツの紐をゆるめる。力を使うなら、女の子の格好の方が足を出して違和感がないので向いているんだけど、領主のウルは男の子の方が都合がいい。
「で、おじさんはどうしてこんなひどい事をしたの? 誰に命令されたの?」
答えるはずがないけれどボクは聞いてみた。驚いているおじさんは、我に返り傍らの斧を手にした。
「だめだよおじさん。まあ、乗り込んできたのは僕らの方だから、一度目は許してあげる。侵入者を排除するのは、使用人としては正しいからね」
ボクは慈悲深いのだ。人の心は暴力による脅しだけでは屈しない事を知っている。訓練された人ならとくに。
「ふぅん。君には娘がいるんだ。十三歳。一番心配な年頃だね」
ボクに囁くペットの情報を口にする。
身内はどうだろう。簡単に切り捨てる子もいるけど、試してみないと分からない。
「な、なぜそれを……何なんだお前は」
「自分が調べていた相手の事も知らないの?」
「そいつらじゃない。お前だ」
どうやら脅威がボクであるのは分かっているみたいだ。察しのいい子は嫌いではない。
どう遊ぼうか。
「あれ……この子」
ボクは見せられた女の子を見て驚いた。
夕飯を作る女の子は、ボクの記憶にある顔だった。
「昼間の食堂にいた女の子だ。こんな仕事をしているなら、そこまで給料が安いとは思えないんだけど」
家族も自由にしているという事は、信頼されている。つまりは相応の給金を払っているということだ。
「俺の娘は働いてなどいない」
働いていたのは昼間。
今は夜。
彼女は食堂ではなく、一般の家の台所にいる。
「ああ、内緒のアルバイトかな。とっても料理の上手な女の子だね。食べさせてしまうのは可哀相なぐらいには」
「た……たべっ?」
「さっき沈んだのを見たよね。あれは癒してくれる子だけど、食べてしまう子もいる。数年かけて、じっくりゆっくり」
半信半疑、しかし顔色は悪くなった。
やっぱり娘は心配らしい。
この手は脅しは有効のようだ。ボクだって、兄さんや伯父さんを人質に取られたは困るもん。
「せっかくだから、あの子もここにご招待しようか。ねぇ、兄さん」
「そうだね。可愛い子だったけど、残念だよ」
ボクはあの女の子をロバスに呼び寄せさせた。
彼女は料理が盛られた皿を持ったまま現れ、飛び上がるほど驚いた。皿をしっかりと持ちながら、激しく首を振って周囲を見る様は、妥当な反応で可愛らしい。
「お……お客さん?」
ボクらをみて彼女は呟く。
「客の顔を覚えているなんて、いい子だね、君は」
客商売は顔を覚える必要があるのは当然だが、彼女はただのアルバイト。しかもボクらは一度しか来ていない客だ。
まあ、兄さんは色男で、出てくる度にこの子を見ていたから気付いていたとしても不思議ではないけれど。
「チューレっ」
裏返った甲高い声で娘の名を叫ぶ父。
「パパ? え? ここどこ? え?」
彼女は皿を持ったまま、父の元へと駆け寄ろうとした。
ペット達が食べていいのかと尋ねてくる。
でもまだダメ。
様子を見る。
いつもは僕を襲ってくる連中ばかりで、ボクから襲うのは初めてだから、色々と見たい。本番の前に、色々と聞き出さなければならないし。
「お嬢さん」
ロバスが彼女に呼びかけ、皿を取り上げ腕を掴んだ。
「申し訳ありませんが、あなたはこちらへ」
「え、誰?」
「ロバスと申します、可愛らしいお嬢さん。私の主とあなたの父君は大切な話がありますので、こちらへ」
ロバスがボクの所に彼女を連れてきた。ボクは立ち上がり、彼女を椅子に座らせる。
「あ、美味しい」
「あ、それ今夜の夕食」
ロバスがつまみ食いをして、娘が立ち上がろうとする。
「たまにはいいものですね、素朴な家庭料理というのも」
悪魔に家庭料理を食べさせようという魔女はいなかったようだ。
ボクの食事を『質素』だと言ったような男だから、どんな生活をしていたか想像がつく。
「兄さんまで意地汚い事をしないでくれないかな。伯父さんも」
この人達はほんと食べ物の事となると……。
これさえなければ、すべてにおいて尊敬できる人なのだけど。
「まあいいや」
僕一人でもパパと交渉しよう。
「ぱーぱ、どうする? 可愛いこの子をどうしたい?」
分かりやすいように別のペットを呼び出した。ボクの愛犬、魔狼。大きな彼は分かりやすくていいだろう。
「今なら、ちょっとびっくりさせちゃっただけ。兄さんのお気に入りだから、無傷で帰してあげる。
でも君がいやだって言うなら、この子の可愛くて小さな足から……。
拷問吏なら、まあどんな事をされるか想像がつくよね」
ボクは微笑む。こういう時は笑っているのが一番いい。余裕で笑うと、相手は怯える。
パパ斧を握りしめて、口を開く。
「俺は拷問吏なんかじゃない」
予想外な言葉だった。
「違うの!?」
さらに予想外な声は娘から上がった。
「俺は料理人だ」
へぇ、だから娘もこんなに料理上手だったんだぁ。
地下室で拷問するなんて、そんな料理人がいるはずがない。
そんなくだらない事で誤魔化そうなんて、なめられたものだ。
「パパ、よく分からないけどこんな時に下手な誤魔化しも冗談もよしてよ。パパみたいに芋の皮を剥けば半分の大きさにしてしまう人が料理人なんてっ」
「野菜の皮むきが苦手なんだっ」
「でも、人間の生皮を剥がすのが得意なんでしょう!?」
「肉の処理は得意なんだ。人間だって、立派な食材なんだぞ?」
「誰が食べるの!?」
「もちろんここの旦那様だ。食材は痛めつけて恐怖させたから絞めた方が美味しいと」
…………。
ボクは額に手を当てる。
親子の会話がおかしい。そして本気のやりとりに見える。
大きく息を吐いて、ペット達に探らせた。
ああ、本当にここの主人は料理を楽しみに待っている。
別の部屋に、食材らしき人間が数人いる。
え、何? 何かを聞き出そうとしての拷問じゃなかったの?
本当にこれ料理人?
「そ……そんなっ。パパをまともな職に就かせようといろんな店で経営を勉強してた私って……」
なんてすれ違いな親子。
変な親子。
そしてボクはなんて間抜け。
「じゃあ、あのお兄さんを捕まえたのはただの嫌がらせ?」
「いや。旦那様が仕入れてくるから、あの男が誰だったのかまでは……」
どうしよう。本当に間抜けなボク。
こんなことは初めてだ。やっぱり引きこもっていたら世間というものの奥深さは分からない。領外ってとっても予想外。
…………。
「じゃあ、もうその男を連れてきて」
「はいはい」
ロバスが再び呼び寄せると、チューレとかいう娘と同じ反応をする。
「な、なぜ地下室にっ」
「そんな事はどうでもいいの。どうして人ん家の使用人を誘拐して食べようとしたの」
ボクは今、とっても変な事を口にしている気がした。
「なんだ、このガキは……む、お前はっ」
伯父さんに気付いた彼は、そこで初めて強い敵意を見せた。
ようやくまともな反応。まとも、でもないか。普通はもっと驚いて怯えるはず。
はずだと思う。
「伯父さんに何か恨みでもあるの?」
ボクが問うと、彼は全身の毛を逆立ててそうな顔と姿勢を取った。
「うちの料理人を引き抜いたくせに、逆恨みかっ」
ああ、あのデザートの料理人の事か。
「もういや、この人達」
食べ物の事で、どうしてこんな事になるんだろう。
ボクだって食べるのは好き。でもさ、料理人を引き抜かれたからって、嫌がらせをして、偵察に出された使用人を食べちゃう為に痛めつけるなんて、ボクの常識からは外れている。
このボクに常識外れと言わせるこの人達は、かなり特殊なんだと思う。
「ロバス、ボクはもう疲れたよ」
「いやぁ、世の中にはまだまだ面白い人間がいるものですねぇ」
ロバスは面白がって笑っていた。
「トレバー、この男達を調理してしまえっ」
そのままの意味で料理してしまえなどと、言われる人間ってどれだけいるんだろう。ボクは貴重な経験をしている気がする。
「いや、さすがに娘の前で屠殺するのはちょっと……」
パパの言葉がロバスがツボに入ったらしく、とうとう肩を震わせて笑い出した。
「それに、食材にはなりませんよ。狩る事が出来ない相手は、食材ではありません」
もうロバスはしばらく使い物にならない。
「私はあくまでも料理人ですから」
帰りどうしよう。
「兄さん、すごく馬鹿らしいんだけどどうする?」
「とりあえず、あの食人鬼はヘバに食べさせて」
「うん、分かった」
ヘバなら「とりあえず」が可能だ。後で取り出すこともできる。
「うわぁぁぁぁぁっ」
うるさい男が消えて、静かになった。
今後、食べ物にこだわりすぎる人には注意しようと思う。普通のこだわりならいいけど、ゲテモノまでならいいけど、それ以上は要注意。
「旦那様……食べられてしまわれたか」
パパが呟いた。どうなっているのかは分かっているようだ。
「失業か……」
現実的な問題だ。
「パパ、だからせめてもう少しだけまともな人の所で働けっていったじゃない!」
「何を言うんだ。給料は良かったんだぞ。お前を料理学校に通わせてやりたくて」
「せめて常識に照らし合わせてっ」
ロバスがもう蹲っている。
これはほっとくしかないね。自分の足で帰らなければならないかもしれない。
それよりも、目の前の親子の方がボクには気になった。
この状況で、こんなやりとりをする親子。面白い。
「うちに来る?」
「へ?」
「君たち、なんか胆座ってるし、お金払ってたら裏切らなさそうだし、二人分の給料払ってあげるよ。今、うちに料理人がいないんだ。実家の跡を継ぐって帰っちゃって」
チューレが首をかしげる。何を言われているのか理解できないらしい。ボクだって、こんな状況なら理解できない。だから無理はない。
「ボクのペットは見ての通りちょっと怖いから、並みの心臓では勤まらなくて。
料理学校もあるから、そこにも通わせてあげるよ」
来客もあるので色々と作れないと困る。それ以上に、肝が据わっていないと困る。
「こ、断ったら?」
「うーん、こんな所を見られて、生かして帰すのは不安だなぁ。
まあ、人を殺せとか、食材を痛めつけろとかは言わないから。ボクは普通の物しか食べないから」
ペット達は生きたまま食べるし、痛めつけるような趣味はない。
「パパ、ちょっとがっかりした顔するのやめてっ」
「いや、食材が泣くのはなかなか楽しいんだぞ」
拷問は趣味のようだ。
「じゃあ、料理人兼拷問吏として雇ってあげるよ」
「いや、私は拷問吏では」
「たぶん君の天職だから。その後、勝手に料理して食べてもいいし、好きにしていいから」
「私は食べませんよ」
じゃあ拷問吏でいいじゃないか。
まあ、馬鹿馬鹿しすぎてどうでもいいけど。
ボクは娘の方が欲しいだけだし。
「という感じで、チューレとトレバーを雇ったんだよ」
オニスは顔を引きつらせている。
ベルが料理人親子は昔から雇っていたのかと聞いたから、素直になれそめを教えてあげた。
チューレとロバスが思い出し笑いをしている。
「思えば、ウル様はあの頃の方が一番まともだった気がしますね」
ロバスが遠い目をして呟いた。
比較対象がアレだからだと思う。
「あの……私達が食べている物に、変な物混じってませんよね?」
「混じってませんよぉ。私が食べられないじゃないですかぁ」
ベルが青ざめて恐る恐る尋ね、チューレは首を横に振って答えた。
トレバー本人も食べないし、チューレにも見張るようにきつく言ってある。
「共食いは致死の病を発症させる原因ですから、絶対にやめた方がいいですからね」
オニスも最近は慣れてきたようで、関心のある事以外には淡泊だ。
病気がなければ、食べてもいいような言い方だけど、チューレに対する少し間違った遠慮の結果であり、出されても食べないだろうと思う。押しに弱いから食べるかも知れないけど。
「この親子はこの屋敷の中でもかなり特殊だからね。他の子は昔からいたり、君たち同様、重々しい理由とかあったりするけど」
「脳天気ですみません」
呆れるほどに重さがない。
こんなコメディ、ボクの人生では一度きり。
ロバスが笑ったのも、あれが一番ひどかった。
「でも、この街って料理学校があるんですよね。そこからスカウトすれば良かったんじゃないですか?」
ベルが不思議そうに問う。
「彼らはボクの領民なの。使い捨てなんて出来ないし、秘密を知られて逃げだそうとしたらどうするの? 最後の手段、国に帰ったが使えないし」
チューレは万が一の時も始末できた。
この街の料理学校に通わせたので、この街の卒業生を料理人として抱えていることになっているし、何の問題もない。
「ところで、跡を継いだ元料理人は本当に存在するんですか」
「ボクはそんなくだらない嘘はつかないよ。彼はいい子だったから帰してあげた。今でもたまに食べに行くよ。すっごい一流のレストランになっているからね。今度連れていってあげるよ」
「本当ですか。楽しみです」
ベルは一流と聞いて喜んだ。
付添で行った事はあるだろうけど、客として行った事はあまりなさそうだ。
「ああそうだチューレ、今夜だけど、肉は食べたくないな」
「じゃあ、お魚ですか。ストックがないので、ロバスさん連れていって下さい」
「喜んで」
「私、支度してきます」
チューレは元気に部屋を出て行く。作るのはチューレの仕事。片付けるのはベルの仕事。だから彼女は買い出しに行く。
ロバスとチューレがいれば、気分で何でも食べられる。女の子だから、ロバスの受けが良くて何でもしてあげるから。
いい拾い物をした。勘違いして食べさせなくて良かった。だからあれ以来、襲われない限りはちゃんと相手や目的を把握してから始末する事にしている。
あの一件で、ボクはけっこうな成長を見せた。子供の頃の体験は大切だ。
平凡な人間でも、普通とは限らないと知ったのだから。
だからベルもオニスも生きている。あの体験がなかったら、背景も知らずに決めつけて、食わせておしまいだったはずだ。
人間とは考え、成長できるからこそ人間なのだ。