背徳の王

10

 朝日がまぶしい。
 口の中が痛む。
「ああ、起こしてしまいましたか。おはようございます」
 使用人の格好をした医者が笑みを浮かべた。
 この異質な屋敷の中で、明らかにまともな部類に入る人間。
 噂では、殺された家族のためにあの「狂気の子」に助けを求め、医者でいられなくなったところを拾われたという。
 悪魔崇拝者に近い者を、人々が集まる病院になど置いておけない。一人二人ならともかく、村人すべてがそうだったのだ。
 それが事実かどうかは別として。
 調べれば調べるほど、近づくほどに「良い人」「良い領主」であると人々の口から出てくる。
 それなのに、この屋敷は魔窟そのもの。当人もそれを理解し使っている。
 人を殺すことに対して顔をしかめることもなく、手順を踏まぬよそ者は切り捨てる。しかし切り捨てるのは、統治者としては正しい。何でもかんでも抱え込んで、自分が守るべきモノを見失っては本末転倒。
 堕落のウル、などと呼ばれているなどとは思えないほど、彼はまともな、見本ともなる政治を行っている。紛れもなく、見た目通りの年齢の子供が、だ。
 狂気であっても、なぜ堕落なのか、理解できなかった。
 この青年もメイド達も、まじめに働き、領主の名声を貶めるような行いはしていない。メイドの一人は盲目で、他の場所ではまともに働けないだろう。実に彼は慈善家だ。よい領主だ。
 あんな噂がありながら、あの年頃の子供ならではの幼さも持って、良い領主。
 様子を見ていた俺を、こうして生かしている。
 偽善者。
「体はどうですか。動きますか?」
「あ、ああ」
 言葉を発して、痛みを感じる。
「口の中を切っているから無理に話さないでくださいね。そろそろ痛み止めが切れてくる頃です」
 体を動かし、調子を確かめる。
 走ることは出来そうにもないが、立って歩ける。動けなくなるほどの傷はない。骨も無事だ。治療も適切。
「ウル様がお強い方だとおっしゃっていましたが、怪我の仕方を見るだけでもそれが分かります。なぜ逃げもせず、されるがままになっていたんですか? あなたは無力な女性や子供ではないのに」
 彼は家族を群れに殺された男だ。
「逃げ出したり暴力で返したら、弁明も言い訳にしか聞こえなくなる」
「ウル様とは正反対の考え方ですね。圧倒する者がいてこそ証明になるというのが、あの方の考えです。
 私もウル様の強さに救われました」
「一つの村を、全員処刑にしてしまった事か」
 彼は一瞬驚いたような顔して、笑みを浮かべた。
 あんな、十代半ばにも届かぬ子供が。
 表向きにウルは関わっていないが、王がウルと懇意にしている──下手をすれば王がウルの傀儡であることは、世間の闇を知る者であれば、耳にしたことぐらいはあるはずだ。
「罪に問われないはずの、集団に隠匿される罪を罰するなら、隠匿した体質そのものが罪であり、すべてが罪に問われるのは当然です。そうでなかった私の身内は殺されてしまったのですから」
 そう、当然だ。
 虫けらのごとく殺すなら、己もそうされる覚悟が必要なのだ。
 だから決して逃してはならなかった。彼も殺すべきだった。そうすれば、捜査の手は伸びても、全滅することはなかったはずだ。
 集団とは、罪の意識を鈍らせる。罪が分散され、自分は悪くないという意識をもてる。従っただけ、皆がやるから、と。
「昨日は夕飯も食べていないでしょう。歩けるのなら一緒に食事を取りましょう。粥と薬を用意しましたから」
 薬。
 領主が年寄りでもないのに、不老不死であるとすら言われているのに、この街は医療の街だ。医療の街だからこそ、そのような噂が生まれたか。
 神殿から外れた神子であるという噂が本当か。
 あの、使用人の中では唯一、人の気配ではない執事の異様さや、姿の見えぬ尾行者から、その疑いが強くなる。
 彼らは、どこまでそれを知って、あの子供に使えているのだろうか。
 俺に分かるのは、彼の絶望の深さと憎しみの強さだけ。突き動かした衝動だけ。


 ウルは多いとは言えない使用人達を集め、ともに食事を取っている。あの怪しい執事だけは姿が見えないが、それ以外は全員いるようだ。
「朝のおかゆは美味しいね。オニス、病人食の作り方も習うの?」
「はい。最低限は一人で出来るように。個人経営が出来る程度の事を教わります。田舎の方に入ったら自炊することになるからだそうです。領内といっても、ウル様が領権を持つ土地は広いですからね」
 一人前になれば、一定期間は領内で医者として働かなければならない決まりだ。領外に出たいなら、領主の許しがあるか、補助されていた授業料の返還が必要であり、損はない。最近は医者の貸し出しも行われている。
 その割には、華やかさのない生活だ。せいぜい、身につけているものに金をかけているだけである。
「ふぅん。そっか。そうだよね。生活力がなかったら、やっていけないよね」
「ウル様のご命令ではないんですか?」
「外に出ればすぐにでも病院経営できるぐらい、世間についても教えなさいって命令はしたよ。自炊の仕方まで教えてるとは思わなかった」
「掃除や洗濯の仕方も習いますよ。不衛生な病院では、病人が増えてしまいますから。だから食事も試験前後以外は当番制で賄い婦を手伝っていました。月に一度は部屋の清潔度を確認されるし、だらしのない人には地獄のような場所ですね」
 オニスはくすくすと笑う。
 まるで普通の食卓だ。俺のためにあまり噛まなくていい食事を用意してくれた、ありふれた普通の食卓。
「トロには地獄だね。あの子掃除できない子だから」
「あれはあれで、自分流に置き場所が決まっているようですよ。不潔というわけではありません」
 ウルが口にした、トロという人物はこの場にいない。使用人が名前を呼び合っていたのを聞いたので、誰がどんな名前であるかはおおよその見当がついているが、その名は聞いたことがない。
「そういえばトロ、最近見ないね」
「狩りに行きます。探さないでください、と置き手紙がありました。ロバスさんはいつものことだからほっておけと」
 ベルの返答にウルは笑った。
「ああ、いつものあれか。ほっといていいよ。あれが死ぬようなことないし。前は蜂に刺されて泣いて帰ってきたかな」
「あの図体で蜂に刺されて痛いんですか? 切りつけても気づかなさそうなトロさなのに」
「死にかけてたよ。すごい蜂だったんだろうね。
 あれ以来、トロはミツバチにもおびえるから、蜂がよくいる季節は大好きだった庭にも出ないし、見ていておもしろいよ。だから春になったら黄色と黒の服を着るんだぁ」
 普通ではない者達の普通の食卓。
 彼らはどこまで普通で、どこから狂気なのだろう。
 怪我が治るまでに、それを見極めたい。


 足を痛めたため杖を貸してもらい、屋敷の中を散策する。
 インテリアは華美ではないが、味のあるいいものばかりだ。歩いていると、壺を磨くメイドに遭遇した。
 ウルはコレクターとして──いや、安く買って高く売る目利きとして有名である。あれが高価な壺であることは確かだ。
「あら、お客様。お加減はよろしいんですか?」
「おかげで、歩く程度なら」
「それはよかった」
 彼女は微笑み、再び壺を磨く。
「そちらの壺は大切な壺なのか?」
「ウル様が今度売ってしまうそうで、少しでも高く売れるように、磨いてあげようかと」
「さすがにこの騒ぎでは、財政に困っているのか?」
「いいえ。寄付ですよ。隣国の競売で安く買った物ですが、実は有名な作家の本物だったらしくて。この町にはお金持ちが多いですからね」
「寄付……」
「よそ者には出て行けと言っていますが、親のない子は預かるそうです。そうすると、今のままでは孤児院も手狭でしょう。寄付を募り、新しい施設を作るそうです。ウル様は働かざる者は食うべからずという方なので、子供達に職業訓練をさせて早く自立出来るようになさるおつもりです。ウル様は福祉のためでも無駄な投資はされません」
「子供にも仕事を? 厳しいな」
 職業訓練させると言えば聞こえは良いが、タダで労働力を手に入れるだけとも取れる。
 この街の金持ちは、ウルの動向からそれに乗ってもうけを出した者が多い。ウルの持つ美術品なら、価値があるのは間違いない。彼らは寄付のつもりで高く買ってくれることだろう。自分たちが痛手を負わずに儲けて、何もしないでは世間が逆恨みをする。
 ウルにとっては安く買った物、買う側にとっては等価である。損をしているところがない。
「安全と住む場所と食べ物と教養を与えられる。今の世の中、それすら与えられぬ親がいるのだから、ウル様は厳しくも、人の将来を考えているお方です。私もウル様に拾っていただいた身なので、あの方には感謝しています」
 当事者にしてみれば、誰も助けてくれないよりは、働き手としてでも助けてもらえる方が良い。働く場所がなければ、盗むしかない。
「ロアさん……でしたっけ? 今日は天気が良いので、庭を散策されてはいかがですか」
「そうだな」
 元よりそのつもりだった。外から見たのとは印象が違うだろうから。
「ああ、でも、庭に出るのは昼間だけにしてください。夜はイヌを放っています。玄関から入り、玄関から出ない者は下手をすると噛まれてしまいます。
 ウル様に許され、玄関から出入りしていればもちろん襲われることはありませんけど、たまに間違えますので」
「分かった。ありがとう。では昼間だけ、気晴らしに外に出てみることにする」
 これだけのものがそこら中に置いてあれば、普通の屋敷でも犬ぐらい放つ。よく躾けられた、凶悪な犬が。
 ウルの屋敷のイヌはとくに主の命令を聞き、凶悪なのだろう。
 庭に出ると、ウル専属メイドのベルと妹のリファが仲良く洗濯物を干していた。
 リファは姉と違い赤毛で、わざとウルのように染めているらしい。一見するとウルと双子のように見える、仲の良い友人同士らしい。
 リファは最も無力に見えるが、奇妙な気配を感じる。元は殺し屋であった姉よりも厄介な可能性が高い。姉は普通ではないが、ただの人間なのだ。
「あれ、ロアさん。もうよくなったの?」
「寝ていても退屈だから」
 リファが笑みを浮かべて見上げてきた。
 見た目は可愛い女の子だ。将来は美人になるだろう、可愛い、普通の女の子。
「二人は何を?」
「餌やりを終えたところです」
「ああ、イヌを飼っていると聞いた」
 世間では犬とは呼ばない、凶悪な生き物を。
「お姉ちゃんにすごくわくなついてるの」
 ウルの前にいる時と違い、自然に笑っている。ウルの前では、表情まで真似て、わざと似せていたのだ。
「その犬はどこに?」
「いますよ。ペス、出てらっしゃい」
 垣根を越えて、犬が姿を見せた。大型犬と言うほど大きくなく、毛が長く、顔も隠れている。一見すれば珍しいだけの普通の犬。しかし与えられるプレッシャーは大きい。
「恐ろしくはないのか」
「始めは恐ろしいばかりでしたが、それを見せていてはウル様に切り捨てられます。ウル様の『襲わないから安心しろ』というお言葉に背くことになりますから」
 ウルの命令は絶対。それに忠実であれば、彼ら使用人は生きていられる。
 訳があって揃った者達がほとんどのはずだ。
「慣れてみると、毛色の変わったペットと思えるようになります。彼らは私が蹴っても殴っても、ウル様の許しがなければ決して牙を向けません」
 ベルは犬の喉を撫でた。これ以外は出て来ないのは、他のイヌは見せられない姿なのだろう。
「だから、あなたが客人である内は、あなたが襲われる事はありません。そうである内は何をしても構いませんが、愚かな選択のないよう願います」
 人を殺し続けた女の言葉は、忠告だ。心からの。
「あなたは俺が何者か聞いているのか?」
「いいえ」
 彼女は些細な情報から物事を判断できる女、ということだ。
「あなたはなぜウル殿に?」
「なぜって、成り行きです。この子は身体が弱くて、ここ以外では生きられませんでした。他の者もそうです。世間でどう言われようと、私達には必要だった場所であり、これからも必要な場所です」
 生きるために訪れたメイドに、過去のために訪れた医者。
 目の見えぬメイドに、拾われたメイドに、代々使用人の娘。
 あとは代々仕える庭師と料理人。
 資産の割に、少ない使用人達。
「少なくとも、領内に住んでいてウル様に不満を抱くのは怠け者と犯罪者だけです」
「そうだろうな」
 彼は自分の物は大切に管理して守る。自分をよく信じて頼る者にはよくしてやる。よそ者達はウルを信じているのではなく、噂と医療を信じているだけで、ウルを信じているのではない。だから突き放す。
 自分に逆らう者は虐殺する。
 王族が殺されたのも、王族が彼に興味を持ったため。
「お兄さんに家族はいるの?」
 リファが帽子を押さえながら見上げて尋ねる。
 侵入者は殺し、その身内までも殺す。
「いない。戦争で親も兄弟も死んだ」
「大切な人は?」
「いない」
「よかったですね」
 彼女は胸をなで下ろす。
「なぜ?」
「だって、大切な人がいなければ、自由に動けますから」
 大切な妹がいるベルは、リファを見て立ちすくんだ。
 縛られる姉に、縛っている妹。
「後悔しないなら、何をしてもいいと思います。大切な人がいないなら、自分の事以外で後悔なんてしませんから」
 賢明な判断を促す姉に、好きにすればいいと言う妹。
「ああ、そうする」
 俺は好きに生きている。ずっと、好きに、やりたいように。


 杖がなくとも歩ける程度、しかし走れば足を痛めて杖に逆戻りしそうな程に回復した頃、ささやかな事件が起こった。
「ボクの屋敷にドロボウなんてバカな人達……」
 ウルは笑って捕らえた面々を見る。
 食い殺されるかと思っていたが、意外にも生かしたまま捕らえた。ただし、噛み跡はある。数が多すぎたから生かしておいたのか、見せしめにするために生かしておいたのか。
「領民達やよそからのお客さんの所でなくてよかったよ、本当に」
 睨み付ける男達、彼にとっては『よそ者』達を見下す。
「いかがなさいますか、ウル様」
「どうしよっか。領民に不安を与えるような事はしたくないからねぇ。強盗が出たって噂はもう記事になってるみたいだけど、そういうのって人目に付かせると連鎖的に起こるんだよねぇ。普通の家なら、こんな大勢だとどうしようもない。しかも物騒な物を持っているしねぇ」
 殺されて、略奪されるだろう。
 もしもウルがまともな領主であれば、そうなっていたはずだ。裕福な者達は憎しみの対象ともなる。
「どうしようねぇ。叩きつぶしても良いけど、こういうのって後から後から沸いてくるし。未遂でも強盗は強盗。強盗殺人は死罪。未遂でも場合によっては同じ罰を受ける事になる。
 そう知らしめるべきだよね」
 この国の法律だ。ウルが決めているわけではない。ちゃんとした国の法律である。
「ねぇ、ロアはどうしたらいいと思う?」
 突然、彼は部外者でしかない俺に意見を求めた。
「捕らえた罪人は法に従い罰するべきだ」
「へぇ……君は法に従い罰するタイプなんだ」
「こうして拘束されている以上、そうするべきだ」
 捕らえるべき側から野放しにされた、罪を問われないでいる者達ではない。捕らえられ、縛られ、処刑に怯える愚かな一般人だ。
 一見無防備に見える屋敷に押し入り、殺して奪おうとした連中だ。
 ウルの誘惑に負け、堕落した者達。
 そう、堕落とはそういう意味なのだ。ウルは魅力的だ。力、財力、若く綺麗な容姿に噂。手を出してはならぬ存在でありながら、探りたくなる存在でもある。
 彼らは火に入る虫だ。ウルという光に引き寄せられた、ただの羽虫。
「見せしめにしては、反発も強まります。罪人とはいえ、何ごともなければ罪を犯さなかったかも知れない者達です。新たな罪人を生まない事を考えるのが一番かと」
「ふぅん。君の事が少し理解できたよ」
「あなたの事はいまだ理解できない」
「ボクを理解しているのは、ばあやとじいやだけだから当然だよ。ボクが他人を把握するのは簡単だけど、逆はとても難しいよ」
「そうだろう」
 感じ取らなければならない。ベルにはそれが出来ている。医者はそれをしていないが、彼はベルとは別枠であるため、多少の粗相も目をつぶられている。ベルと違い、彼は自発的にやって来た、より信頼される者だからだ。
 分かるのはその程度。
 判断は難しい。
 罪人達が連れて行かれる。
 ウルは俺が判断を下すのを待っている。結果は一つしかないのは分かっているだろうが、それを選択する過程を彼は楽しんでいる。
 それだけは、ここで暮らした短い時間に把握した。


 怪我が治り、今ではもう全力で走る事も出来るようになった。
 世話になった礼を言うためにウルの前に立ち、俺は少しだけ緊張していた。
「で、どうするか決めた?」
 ウルは不釣り合いな大きい椅子で足を揺らして問う。
「ウル様、この方は結局誰なのですか?」
 本当になにも知らなかったらしいロバスが主に問う。
「この人はね、『正義の味方』なんだよ」
「正義の味方?」
「義賊とか言われている罪人狩りのエディオン」
 ロバスが首をかしげ、リファがゴシップ記事を見せて説明する。
 デタラメばかりのゴシップ記事でも、行動と結果だけはそれなりに正しく書かれている。
「殺して金を奪う偽善者とも言われている」
 偽善ではない。
「でも違うよ」
 ウルはリファに釘を刺すように言った。
「偽善ってのは、少なからず善意があってこそ偽善なんだ」
 そうだ。まさにその通りだ。
「だから正義の味方が正しい」
「どうしてですか?」
「正義の味方は善意が無くてもできるから。悪を許せない。不当な利益を分配する。これは正義だよ」
 ウルという子供は、どこまで理解しているのだろうか。
「悪か善かで言ったら、どちらでもないって言うけれど」
「どうしてですか?」
「だって」
 ウルはくすりと笑って俺を見た。
「自分とは関係のない人をたくさん殺しているんだよ。自分の家族や利益を守るためでもなく、ただ気にくわないという理由で殺しているんだ」
 彼は足を組み頬杖を突く。
「何の事はない。彼はただ嫌いな相手を殺して回って、嫌いな相手にその財産を没収させるのは嫌だから配ってる、ただそれだけ。そうでしょ、ロア?」
 俺は頷いた。
 そう、ただそれだけ。
 ロアが本名。エディオンは有名な義賊の名前。マスコミが勝手に決めた俺の通り名。
「切っ掛けは戦争の略奪被害。一通りの不幸の後、不幸の元になるような連中を殺してるんだ。最近は下調べをして、殺す者と殺さない者を選んでいるみたいだね。
 だからあの時もされるがままになっていた。
 非道の行いをした者をさばこうとする彼らは、彼にとって間違いではなかったし、自分で思い切り疑われる事をしていた自覚はあったから」
 それでここにこうしているんだよ、とリファに説明する。
「じゃあ、お兄さんはウル様を殺すの?」
 リファが問う。ウルを殺せるはずがないと確信しているから、実に明るく。
「殺せない者を殺すなどできない」
 それが唯一絶対の答えだ。
 ウルはそれを理解しているからこそ泳がせていた。俺は彼を脅かす存在ではない。
「それはそっか。じゃあ、殺したいの? が正しいかな?」
「ああ、それが正しいのだろう。
 だから答えは『殺したいとは思わない』だ」
 それほどの情熱を、彼に向ける事はない。理由がない。
「俺のやっている事も彼と大して違わない。だから殺せる殺せない以前に、俺は殺したいとは思わない」
 彼は規模と範囲が大きいだけだ。
 一週間ここにいて、そう感じた。
 善ではないが、憎い悪でもない。
「俺が見ていた理由は、ただ不思議だったから。これだけ両極端な人間の真実は、どちらなのだろうかと」
「へぇ、じゃあ、ダーゲットとして観察してたわけじゃなかったんだ」
「あなたは戦争をしようとか、搾取しようとか、略奪しようとかは思わない人間だ。
 おそらく、ただ生きているだけなのだろう。神子であるから、普通であれば捕まってしまうから、人よりも過敏になって殺すだけ。
 皆殺しにした有力者の財産をかすめ取る事もない。俺にとって殺すべき対象ではありえない」
 俺はウルに捕らえられた強盗達と同じだ。自分勝手な理由で押し入り、気に入らない者を殺し、時に奪う。自発的に関わっていくから、ウルよりはうんとたちが悪いはずだ。
 ただ、それが世間に騒がれ、義賊と呼ばれているだけだ。
「君は面白いね。ボクの能力的な同族は神殿に山ほどいるけど、性格的な意味での同族は珍しい。いるにはいるけど、実行している君は奴らとは違うし」
「俺にあなたのような力はない。規模が違いすぎるし、あなたは貴族で、俺はただの強盗だ」
「そう。一番の違いは、ボクが持つ者だった。君は持たざる者だった。ボクは持っていたから持っていたモノを大切にしている。君はすべて無くしたから、ただひたすらやりたいようにやるだけ。その違いが一番大きい。能力と規模の差は些細なモノだよ。
 ボクが持たざる者であれば、きっと誰かから奪っていたから、強盗であるのは関係ない」
 ウルは笑いながら立ち上がった。
 ステッキを持ち、首をかしげる。
「次はどこに行くの?」
「この国の王を見に」
 今の王はウルが決めた王だ。見てみたいと思う。
「新婚だから邪魔はしないであげてね」
「それほど無粋ではありません」
 観察するために、潜入する事も大変だろう。ウルの屋敷の観察が簡単すぎただけで、いつもはもう少しだけ内に入り込む。
「次から見たい時は、玄関から入っておいで。というか、玄関からちゃんと入ってくれば、ボクは誰でもとりあえずお客様として扱うのに、みんな塀を登って入ったり、嘘をついて使用人として入り込んだりするんだよね」
 確かにその通りだろう。
 ウルという存在の危険性を知っていたし、庭に何かいるのを感じたから侵入する事はなかったが、それが無くても玄関から入ろうとは思わなかった。
「では、国王陛下にはウル様の知り合いだと言って、堂々と観察させてもらう事にする。殺すつもりのない相手だから」
「それがいいよ。敵対するつもりが無ければ、堂々としていれば良いんだ」
 ウルは満足げに頷き、ドアを指し示す。閉まっていたはずのそれは開いていた。
「では、お世話になった。あなたの観察は、とても面白かった」
「そう、ボクも楽しんだよ、正義の味方さん」
「ただの道楽者だ」
「道楽の正義の味方か。それも良いんじゃないかな。面白いし」
 ウルは手を振って見送る。
 荷物を持ち、廊下に出て、歩き、玄関にたどり着き、外に出て、門から出る。
 そこで、ようやく息をついた。
 冷や汗を拭い、待っていた見覚えのある御者に頭を下げる。
 彼は間違いなく、御者として働く男だ。
「おはよう」
「おはようございます。大変だったそうだねぇ。ほんと、頭に血が上っていたとはいえ、街のもんが悪いことをしたね。でも元気になってよかったよ。
 で、お兄さん、どちらまで?」
「都まで」
「ああ、いいよ。お代はウル様持ちだ。怪我させちまったから、せめてもの侘びだそうだよ」
 正規の手続きを踏み、敵意も利用するつもりもなく近づくのであれば、彼は寛容だ。
 俺は偶然の行動で命拾いしたことになる。
「王様はウル様のお友達だから、あそこも他よりはマシらしいからな。持つべきものは、いい影響を与える友達ってことかな。ウル様はいいお人だっただろう。なんであんな変な噂が流れるのか、本当に理解できないよ」
 本当に。
 理解していない者達ばかりだと言う事はよく分かった。
 他を見ない偽善者である御者は、ウルを信じて笑っている。
 それが、正しい判断だ。理解していようといまいと、彼の判断は正しい。それが最も安全に生きるための道なのだから。
 いつの世も、図太く生き残るのは、こういった付くべき相手に付いている物わかりのよい偽善者なのだ。
 その王であらねば生きていけないウルは、少しだけ哀れでもある。

 

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