このお話は、本当にあった出来事を元にアレンジ脚色して作られています。実在の団体には関係有りません。

 私はちょっと小粋な喫茶店のアルバイトである。ウェイトレスと言いたい所だが、私服にエプロンをウェイトレスと言うと、ウェイトレスに偏見を持つ方々になにか言われそうなので、ただの店員と言っておく。
 喫茶レストラン「胡蝶蘭」という店名の通り、少しファミレス寄りの喫茶店だ。アルバイト歴は半年。だいたいは平和な店なのだが、時々変なのが紛れ込む。
 今日はつい最近見た変った客の話をしよう。その日のランチが終わりちょうど暇になった時間帯、ごく普通の平和な午後の一時を迎えていたその瞬間、奴はやって来た。
 その名も命名「ギター男」である。

 私がいつものように客の食べ散らかしたテーブルを片付けていたときである。

 じゃらん
 
 ドアベルの音に混じり、奇妙な音が聞こえた気がした。入り口の方から。ギターのような……。

 じゃらら〜ん

 また聞こえた。気のせいではないようだ。
 恐る恐る振り返ると、知らない怪しい男が立っていた。ギターを構え、なぜか私から見て斜め45度の角度に立っている。

 じゃじゃ〜ん

「い……いらっしゃいませ」
「こんにちは〜可憐なおじょ〜さん〜」
 ちなみに私は可憐とは程遠い存在である。好みはお茶とせんべい。見た目にはほとんど気を使わない、ノーメイクなずぼら女である。おばさん、おじさん、じーちゃんばーちゃんの集まるバイト先に、何が悲しくて洒落た格好をして来なゃならないと、部屋にいる感覚でここにいるのだ。可憐というよりも、だらしがないと言う方が正しいだろう。だからウエイトレスではなく店員。
 ギター男はしばし迷った後、一番私に近い位置にある席につく。
 …………。
 私がこれから注文をとるのか?
 私はちらと厨房のほうを見たが、料理担当のマスターは黙々とチャーハンを作っている。
 くそ、変人はすべて私に任せるかおっさん。
 渋くてこれぞまさに喫茶店のマスターなハンサムなオヤジなのだが、こういうところが憎いと思う。
 だめだだめだ、しっかりしろ私。相手はたかがギター持ったひょろいにーちゃん。見た目はそこそこイケメンで、ちょっと頭のねじが飛んでいるだけだ。気をしっかり持て。
 私は自分を叱咤して、水とおしぼりを持ってギター男の前まで行く。
「いらっしゃいませ。ご注文は何になさいますか?」
「おお、白魚のような手のお嬢さん。その美しい手の秘密は何ですか〜?」
 確かに手だけは綺麗だねと言われるが、何でギターを鳴らすんだ。なんで歌うんだ。
「ごく普通のハンドクリームです。一家全員で使用中のユースキンです。で、ご注文は?」
 その言葉に、ギター男は壁を指し示した。
「胡蝶蘭名物、じゃーんぼ金魚鉢ぱふぇをひと〜つ。そしてぇ、マスターの自慢のブレンドコーヒーをひと〜つ」
 普通に注文してくれ頼むから。
 思いながらも私はマスターの元へと逃げ帰った。
 周囲の客が同情する視線を私に向けたが、私を助けてくれる者は当然いない。別に害はないのだから、助ける必要はないと思われているようだ。

 金魚鉢パフェ。下の方はチョコレート味のスポンジとフレークが敷き詰められている。その上にどかどかと生クリームやらアイスクリームやらが乗り、バナナやキウイやメロンやイチゴなどが乗り、そしてウエハースやポッキーが突き刺さりチョコレートが振りかけられるという、大きい意外に特徴のないごく普通のパフェであった。
 ちなみに、普通は三、四人でつつくような品である。一人で完食するのは、大食い自慢の方々だけ。この線の細いにーちゃんは、実は大食い自慢なのだろうか?
 別に賞金かけてないからどんなに食おうが関係ないけど。
 私はその重いパフェを手に、ギター男の元へとやって来た。
「おお、すばらしい〜。まさにパーフェクト!」
 はいはい。どうでもいいからとっとと食べなさい。
 私は素早くその場を離れ、時間をかけて入れたコーヒーを手にもう一度その場へとやって来た。
 早くもアイスクリームが半分ほどなくなっていた。
 やるな、変人。
「ホットコーヒーでございます。ご注文は以上になりますがよろしいでしょうか?」
「いえ〜す、お嬢さん。あ、ミルクはいらないですよ。ブラック派なので」
 これだけ甘いものを食べていれば、ブラックが飲めない人でも飲めるだろう。私もコーヒーはブラック派だが、これと一緒だと思うと寒気がする。
 私はまたマスターのところに逃げ帰ると、緊張のあまりからからになった喉をアイスコーヒーで潤した。
「ご苦労様、茜ちゃん」
「今度はマスターが行って下さいよぉ。わたしゃ変なのにはあんまり耐性ないんすからね」
「ははは。ついてるよ十分に」
 そんな自分が嫌だった。
 時々歌うようにパフェを絶賛しているギター男は、早くも半分ほどをたいらげている。
 変な大食い男……。
 センスさえよければ結構いい男なのにもったいない。
 私は暇なのでナフキンをたたみ始めた。サンドイッチの下に敷いたり、カレーなんかのスプーンにくくりつけるためのものである。そうしているうちに客が一人二人帰って行く。合間にやはり内職仕事のような事をして過ごしていると、やがてギター男が席を立った。
「おじょうさん〜。かわやはど〜こですかぁ?」
 センスがおかしい。おかしい。変だ。変すぎる。花摘みにと言われたほうがずっとマシである。
「あっち」
 私の言葉に奴はギターを抱えたまま入っていく。
 いやあのめちゃくちゃしにくくないですかそれは。
 とは思うものの、身体の一部のようなものであろうあれを手放せというのもなんである。ただ、トイレに持ち込むぐらいだから、汚そうだなぁとは思う。持ちたくない触りたくない。間違っても忘れたりしないでね。
 思いながらも私は待ち、しばし待ち、十分以上の時間が経過した。
「……やっぱりおなか壊したのかな」
「ほれ」
 マスターは消臭スプレーを私に渡した。
「すごそうだよな。頑張ってね茜ちゃん」
 常連客その一が言う。近所の印刷屋のおっさんで、コーヒーチケットや伝票その他諸々を印刷してもらっている。いつも数種類のスポーツ新聞のエロい記事を、ここのおいしいコーヒーを飲みながら堂々と読んでいる。あまりにも堂々とされるので、私は少し困っている。記事が見えるのだ。私はこのおっさんのおかげでスポーツ新聞はエロい新聞なのだと理解した。ただ、地元の新聞は純粋にスポーツのみである。朝刊をとっている系列のところのなので、かなりの好印象を持った。他の新聞は取るまいと。いい新聞社である。あとは某子供向けアニメのイメージがあった雑誌が、子供向けとは程遠いエロい漫画ばかりが連載されているというのもここで知った。実はかなりショックだった。妹がいつも見ていた漫画の載っているイメージのある雑誌が、こんなにエロエロだとは。
 このおっさんを見ると、時々切なくなるのはこのためだろう。決して恋ではない。好みではない。マスターのような、小説や漫画の中に出てくるような渋いおっさんならともかく、エロエロセクハラオヤジに用はない。
「……しかし本当に遅いね」
 マスターは明日の仕込みの手を休めてトイレを見た。
 私が飾りつけた結果、妙にファンシーで可愛いトイレである。このシンプルすぎた店も、緑や小物が増えたものだ。見た目はガサツそうなのに、細かいねぇなどと言われてショックを受けたりしたが、このバイト先ではこの見た目なので仕方がない。
 私は消臭スプレーの残量を振って確認した。その時だった。
 からら〜ん。
 ドアが開き、
 じゃら〜ん。
 あのギターの音が響いた。
「え?」
 紛れもなくギター男本人だった。
 あんたトイレにいるんじゃ。
 まさか双子の兄弟!?
「あんたどこから」
 マスターの呟きに、ギター男は言った。
「驚きましたか〜?」
 本人かよ!
「ごちそうさ〜までした〜」
 いやもう、あんたいいよとっとと帰って。
 ギター男は財布を持ってカウンターに近付いてくると、ふっと笑う。
「きぃにいりまぁした。またきまぁす」
 来なくていいですもう二度と。
 そう思ったのはマスターも同じだろうなと思いながら、私は嫌々会計をした。お前手は洗ったか?

 今でも分からない。
 なんでわざわざトイレの小さな窓から抜け出して正面から入り直したのか。そこまでかまって欲しかったのだろうか?
 とにかく、寂しい事情のありそうなにーちゃんだった。
 また来るんだろうけど、もう二度と来ない事を祈って私はバイトに向かっている。


 あとがき

 かなり実話が混じっています。学生時代、色々なアルバイトを経験しました。そこで出会ったのとか、よその店に行って見たのとか、人に聞いた変人だとか。
 ギターに関しては、本当にいたものは仕方がありません。脚色と設定変更はかなりしていますが、一番変な奴の変な行動は、本当にいて、やったものは仕方がありません。ネタにされるような変人が悪いのです。しかしいろいろと設定は変えているし、ギター持ち歩く人間だけなら、全国いくらでもいるでしょうから問題ないんじゃないかと思っています。(実際、全国からギター持ち歩く変な人の報告が寄せられました)

 

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