3話 ペペロンチーノ女

 毎度ながら、このお話は本当にあったお話を元に作られていますが、実在の団体にはあまり関係ないので、その店どこにあるとか聞かないでください。

 私はちょっと小粋な喫茶店のアルバイトである。ウェイトレスと言いたい所だが、私服にエプロンをウェイトレスと言うと、ウェイトレスに偏見を持つ方々になにか言われそうなので、ただの店員と言っておく。
 喫茶レストラン「胡蝶蘭」という店名の通り、少しファミレス寄りの喫茶店だ。アルバイト歴は半年。だいたい
 ちなみに私は他のバイトメンバーよりも、時給がよかったりする。
 その理由が、まあ、いつものごとく変な客が来たら、なぜか私に回されたり、いろいろするからだ。


 この店は、忙しいときとそうでない時の差は激しい。
 私は主に学校に行く前の早朝七時から九時までのくそいそがしいモーニングの時を働き、そして学校から帰ってきたらまた働いている。モーニングは近所でも評判で、美味しくボリュームがありコーヒーが美味い。愛知のモーニングは日本一である。なにせ、コーヒー代三百五十円から四百円など差はあるものの、トースト+卵やデザートやサラダなどが、一部のチェーン店を除き、当たり前のようについてくるのだ。私の近所のイタリアンレストランは、朝にコーヒーをパニーノを焼いてくれている。中には野菜たっぷりで、しかもデザートにサラダまでついてくる。ただし、コーヒーはイマイチ。コーヒー大好きっ子(まだ十代です)な私は、うちの店のコーヒーがいい。むしろ、この店でバイトしているのは、コーヒー飲み放題につられてだった。ついでに、賄いはマスター手作りだったりして、夕飯が浮いている。
 以上のようにバイト先に依存して慎ましやかに生活し、勤労と勉学に励む立派な学生が私である。
 休みの日もほとんどバイトで、たまに遊びに行く時は、あまり金のかからない遊びをする時か、かおごりの時のみ。映画ぐらいが限度という、真面目一筋、バイト一筋、金一筋ぶりである。
 渋くてハンサムなマスターは、そんな私をこき使いまくってくれる。
 ちなみに妻子持ち。いや、子はいま奥さんの腹の中。奥さんがとても美人な名古屋嬢で、太刀打ちできなかったりする。あの人は、まるで人形のようだ。どうしてあんなに色が白くて華奢で、髪くるくる出来るんだろうか。間違っても私には似合わないため、やったことがない。たぶん、自分の髪を三つ編みに出来ないほど不器用だから、出来ないと思う。っていうか、頭の後ろで腕を固定するのが辛い。前で固定するのは、重いトレイを運び続けた結果、得意になったのだが……。
 そんな切ない、日曜も一日バイトの今日この頃。私はいつものように、変な客の応対をしている。ええ、今現在。何なんだよこの××××ババアは!
「だから、うちにはないんです」
「なんでないの!?」
「メニューにないからですっ」
 私は客に向かって、半切れ状態で、できるだけ自分的には静かに丁寧に言ってみた。
 そのオバさんは突然一人でやって来て、メニューにも載っていない料理を注文し、ございませんと断ったら、突然キレたのだ。その時対応していたのは、もう一人のアルバイトの男の子だが、泣きそうだったので私が代わった。もちろん、出来ないモノは出来ない。
 こういう客は、つけ上がるときりがなくなる。ある程度の常連が冗談半分に言う我が儘ならともかく、店に初めて来る客が言う我が儘ではない。
「今日できるパスタはボンゴレとナポリタンのみです」
「それができるのに、なんでペペロンチーノは出来ないのっ!?」
「残念ながら肝心の唐辛子がございません。」
 唐辛子がないペペロンチーノなど、ただのニンニクスパである。
「なんで唐辛子がない!?」
「普通、唐辛子は喫茶店に常備などされていませんよ」
「ボンゴレがあるのに、なんで唐辛子がないの!?」
「ボンゴレビアンコは、今日の日替わりパスタで、アサリと白ワインを使った料理です。唐辛子なんて使いません」
「ボンゴレは普通唐辛子も入れるでしょ!?」
「入れません。『ボンゴレ』は二枚貝、『ビアンコ』は白、白ワインの意味です。つまりは、ボンゴレビアンコっていうのは、アサリの酒蒸しのことです。なので、唐辛子はなくてもいいんです。お好みです。うちは店長がこだわって、唐辛子は使用しておりません」
 ウンチクなど混ぜつつ言うとオバさんはたじろぐ。私のトークについて行けていない。
「うちは基本が喫茶店なので、メニュー以外のものは作れませんので、お客様のご要望にお応えすることは出来ません。
 本格的なモノが食べたいのでしたら、イタメシ屋に行ってはどうでしょうか。
 すぐそばにあるリストランテなら、無理言えば作ってくれるでしょうし、二キロ先には、チェーン店のスパゲティ屋がございます。そちらに行かれてはいかがでしょうか」
 もう切れそうだった。こんな無茶を言う客、客ではない。
 お客様は神様と言った人は、お客様は神様のように何でも見抜いてしまうよ、という意味で客を神だと言ったという。そう、客は神様のように横暴にしていいという意味ではない。横暴にしても、崇め奉れという意味ではない。
 このような何も見抜けない無能な神は、店にとってもマイナスである。祟り神は寄せ付けないに限る。
 そう、出来のいい店員というのは客の善し悪しを見抜き、選別し店の客層をよくする剪定者である。良くない客が集まれば、店は自然と廃れていくのだ。次々と、悪い客は排除するに限る。客を選ばない店は、いつしかろくでもない客ばかりになるものだ。
 変な常連代表のギターだって、根はいい人だし、見た目は普通。おば様達はイケメンよイケメンよと、とても喜んでリサイタルを聴いていたりするので、私に絡んでくる以外にあまり害はない。変なクレームは付けないし、ろくでもない人間でもない。そう、変わった人だが、それで客層が悪くなるような手の客ではない。しかしこのおばさんは違う。きっとどこでも騒ぎ立てる、悪質な常連クレーマーだろう。きっと何かにつけてクレームの電話をするタイプだ。
「リストランテは、店を出て左にまっすぐ行けばつきますよ。値段はお高いですが、シェフは本場で学んできた一流です。私は何度もランチを食べに行っておりますが、日参してもいいぐらいと思うほど、素晴らしい味です」
 こればかりは、金を惜しまないでついつい行ってしまう。ランチなら、英世さんが三人でおつりが来るコースもある。一葉さん一人いれば、充実した時を過ごせる。普段なら英世さん三人も飛んでいくような無駄遣いはあまりしないのだが、美食にはそれほど金を惜しむことはない。食に金を惜しむ者は、人生の大半を損していると言っていい。
 ただし、ペペロンチーノなどを本場で学んだシェフが作ってくれるかというのは不安だ。本場では、これはかなりの手抜き料理のはずだ。普通レストランのメニューにはない。
「ふざけないで! どうして私がそんなところに行かなきゃならないの!?」
「ペペロンチーノを食べたいんじゃないんですか?」
「唐辛子ぐらい買ってくればいいでしょう!」
「ですから、メニューにないものを注文されても困ります」
「態度が悪い店員ねっ! 客のために最善を尽くすのが、客商売でしょ!」
「分かりました。ではお客様、それ相応のサービス料を頂きますが、よろしいでしょうか?」
「それぐらいサービスできないの!? 私は客よ!」
「サービスとは、タダではございません。サービスとは有料でございます。高級店に行けば、サービス料が取られるのはご存じですね?
 人件費をかけて、損をしていては経営など成り立ちません。それが納得できないのでしたら、どうぞ納得のいくような店をお探し下さい。当店は、お客様の理想とはずれているようですし、お客様の望むような形になることも不可能でございます」
 つまりとっとと帰れということなのだが、客は引かなかった。
「ふざけないで! いいから責任者を出しなさい!」
 慇懃無礼追い出し作戦が通じないとは、きっとクレーム常連ではなく、クレームにこそ人生をかけるタイプだ。こういう正気を疑うようなことを言う客は世の中、少なくはない。普通の感覚の人には信じてもらえないが、もっとすごいクレームもある。友人がアパレル関係の仕事をしていて、いろいろ聞いている。マネキンに着せていた服を、中古だから半額にしろとか。違う値札を引きちぎってきて、値札が取れた、絶対にこの値札だとか、ありえない値段でありえない商品を買おうとしたりする客。品物の多い店なので、誤魔化せると思ったらしい。
 幸い喫茶店であるここでは、最悪作り直しをするという最終手段があるし、割引をしろという客も少ない。いるけど、悪質だった場合は警察呼びますということにしている。
 今までは、まあその程度だ。
 もしこの先、もっととんでもないのが出てくるかも知れないと思うと、ぞっとするが、今はこの客をどうにかするのが先決だ。
「責任者が出ても同じです。諦めるか、サービス料を出すか、二者択一です。サービス料を取ると言っているだけ、良心的だと思ってください」
 もう帰れ。お前様の居場所はここじゃねぇ。そんな要望に答えてくれるのは、それ相応の料金を取る店だ。いや、そういう店でも、わざわざ一人のために、材料一つだけ買い出しになど行かないだろう。それが世間の常識である。メニューにない物を作るにしても、無理と言われれば諦めるのが普通である。
 少なくとも、喫茶じゃあ絶対にやらない。
 料理はマスターの趣味だし。喫茶レストランの名にふさわしいのは、せいぜいステーキやハンバーグ出す程度。あとは日替わりのパスタとか。
 決まった料理以外はバイト任せ、というのがマスターだ。今だって出てこないで、ボンゴレを作っている。助けてやったバイトの坂村くんは、サラダ係だ。
「こんなサービスの悪い店は初めて!」
 いや、すんごく普通だと思う。
「そーですか。力足りず申し訳ございません。リストランテはあちらです。サービスは最高ですよ」
 ではさようなら〜と、私は苦労してそのおばさんを追い出した。一件落着。顔見知りの常連客達が、なぜかぱちぱちと拍手をした。
 口コミというのは大きいが、ああいう人間の力などたかが知れている。マスターがヤクザの幹部とオトモダチなので、どうしようもないような変な圧力はかかることもないし。居酒屋とかなら、ヤクザにオトモダチを作るのはよく聞くが、喫茶店でそこまでするマスターは珍しいのではないだろうか。ちょっと好みのヤクザの渋いオジサマと、どんな関係なのかは分からないが、聞こうとは思わない。知らぬが仏である。ちょっと好みでも、下手な女装男程度に遠慮したい。
「あ、マスター。今度はアラビアータが食べたい」
 客の一人がマスターに言う。マスターは返事をしないが、これで明日のパスタランチが決まった。あのお客さんは、日曜出勤している可哀想で礼儀正しいサラリーマンであり、こういう予約的な要望は受け付けてやるのが人ってものだろう。
 当日に言ったら、無視されるが。


 それからしばらくし、ランチの時間が終わり、まったりとした時間が通り過ぎ、そろそろ団体さんが喉の渇きを潤しにやってくる時間になった。
 ここからも、なかなか気が抜けない。現在、マスターは買い物で、二人体制である。
 やがて、おばさん達が入ってきた。
「げっ」
 と言って、坂村君がキッチンに避難していき、私はそれを止めなかった。あのクソババアどもはろくでもないと、知っているのだ。
「いらっしゃいませぇ」
 わたしは作り笑顔で挨拶し、人数分の水とおしぼりとおつまみのナッツと焼き菓子を用意する。モーニングの時間を過ぎると、愛知ではおつまみとしてナッツなどを出すのだ。サービスがいいと、さらに菓子が出る。ここは、サービスがいい。そのため、図々しいおばさんがよく来る。もちろん、そうでない客の方が多いが。備え付けの小さなティッシュボックスや塩などを、持ち帰られないように見張らなければならない程度には、図々しい客がそこそこいる。あと、トイレットペーパーや、トイレの消臭剤も取られるときがある。モーニングの時に設置している、ジャム、マーガリン、おぐら等を出しっぱなしにしたりするととても危険だ。この地方のおばちゃんは、ごく一部だが、設置してある物は持っていってもいいと思っているような、とんでもないのがいるのだ。
 私はすべてをトレイに乗せて、その三人が座った席へと近づいた。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか」
 素早く水とおしぼりを配り、菓子はそのまま保留。ドリンク以外にはつかないため、ドリンクを頼むと分かった時点で差し出す。そうじゃないと、引っ込めようとする前に鞄にしまったり、文句を言ってくるのだ。
 厚かまシスターズと命名されているこのおばさん達は、その中でもたちの悪さはマックスである。
「ちょっと、どうして坂村君じゃないの」
 んまあ、こういうわけだ。
「彼は他に仕事をしております」
「あんたみたいな顔は見てたくないの。坂村君に替わって」
「彼は仕事があります。ご注文をどうぞ」
 坂村君は、このおばさん達に恐怖心を抱いている。前にイヤらしい視線で汚され(本人談)、腕や尻を触られたらしい。
 おばさん達が気に入るのは無理もないことに、彼は某アイドルに似ていて、それなりにたくましく甘い顔立ちをした長身の少年である。将来は、かなりいい男になるのではないかと想像すると、今の内に……という邪悪な心も芽生えてくる。
 しかしこのおばさん達は、どこのホストクラブと勘違いしているのだろうか。いたいけな青年を餌食にするなど、人として最低のおばさん達である。今度やったらまた裏の山田さんに来てもらってもいいということになっているが、わざわざイタイケな青年を餌食にする必要はない。だって、脅えてるし。
 男としては、かなり情けないけど。
 前は、他のバイトの女の子にだけしていたサービスだが、今や男までそんな気を使わねばならない世の中になったのだ。もう一人の気を使わなければならないバイトは、まあこれが美少女で、人のことを『お姉さま』と呼んでくださる、ちょっと抜けた子である。そのため、おじさんに絡まれることもあるので私の出番だ。
 ……私も、ちょっとはギターとかペーパーナイフとか持っていない、将来期待のいい男に絡まれてみたいものだ。
 嫌そうな顔をしながら、彼女たちは注文をする。そんな視線は無視して私は注文通りのものを作る。ホット二つに、ミルクティ一つ。
 手早くすべての準備を素早くする。コーヒーをたて、ティーサーバに茶葉を入れて湯を入れる。すべてを完璧に終え、裏でマスターの猫と遊ぶ坂村君をちょっと睨むと、私はにんまり笑いながらおばさん達に注文の品を差し出し、文句を言われる前にさっとカウンター内に戻る。
 村上君の様子を見に行くと、キッチンの掃除を始めていた。さっき睨んだのがきいたのだろう。
 おじさんもタチが悪いが、おばさんもタチが悪いのが多い。どちらかというと、おばさんの率が高いのは、人の少ないときには女性客の方が多いからだろう。人が多いときに、とんでもないことをするような人間は、少ない。いるにはいるけど。


 一週間後。
「茜お姉さまぁ〜」
 甘ったるい、馬鹿っぽい、どこの絶滅済みのお嬢様だと思うような、そんな呼び方で、選りに選って私を呼ぶのは、そういう態度が似合ってしまう美少女、水谷さんだ。いつもスケベオヤジやナンパ男から私が守っているため、かなり懐かれた結果なのだが、この呼び方はやめてほしい。
「変な女の人が、ペペロンチーノはないのかって」
 形良い眉を寄せて、可愛らしい顔をぷぅとふくらませて、彼女は言う。
 にしても……また来たのか、ペペロンチーノ女。
 私は肩を落として、その一週間ぶりに見る客と対峙した。
「ペペロンチーノは!?」
「ありません!」
 このおばさんは、しつこかった。
 一体何を考えて生きているのか、私には理解できなかった。虫除けに米びつに入れるための鷹の爪はあるが、ここで妥協してまた来たらと思うと、ぞっとするため徹底抗戦。
 また先週と似たような問答をして追い出すと、先週もいたサラリーマンに
「お疲れ様。ああいう変な客の相手をするのは大変だね。同じ人間とは思えない理解のなさ! 意思疎通不可能さ!
 俺の取引先にもね……」
 なぜか長々と愚痴を聞かされることになった。
 今はヒマだから、別にいいけど。



 

 

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