賢者の石

 

 目を開くと、目の前には少年がいた。
 中性的な、とても綺麗な顔立ちをしている。瞳は深い緑。その瞳を縁取る輪郭は、やや吊り上がり気味。唇は薄くもなく、厚くもない、赤い色。年の頃は十代半ばを過ぎたほど。艶やかな癖のない黒髪は、長く伸ばして三つ編みに結われていた。
 ──顔はいいけど、性格の悪そうな男の子……。
 彼女はそう認識する。
 少年を認識後、周囲の情報を読む。
 年月日。時間。気温。湿度。場所。周囲の生態系。
 最後の二つは彼女が眠ったときと変わらない。
 ここに人が来ること自体が、奇跡に等しいのだ。変えられようもないだろう。
 今は春であったことが、彼女は少しうれしかった。彼女が最も好む季節だ。
「はは………」
 少年が笑う。
「本当に目覚めた」
 目が、少し怪しい。歓喜、狂気の入り混じる感情。
 服もあまり汚れていなければ、傷ひとつない。つまりは実力者。
 ──この手は自分に自信のある探求者タイプ。
「おはよう、エリキサ」
 少年は唇だけを笑みにする。
 ──知って探しに来たのか。
 そうと認識して彼女を見つける人間はあまりいない。
「意識はあるか?」
「はい」
「ならいい。僕はディオルだ」
「ディオル様」
 人に関する情報は読み取れない。昔はできたが、今はできない。だから、彼が何者なのかは分からない。ただ、人でない血を感じる。
「とりあえず、これを羽織れ」
 ディオルは身に着けていた、黒いマントを投げてよこした。
 彼女は半裸だった。下着とボディスーツの間のようなものだけを身につけていた。少年には、刺激が強いかもしれない。見た目よりも純情なのか、フェミニストなのか。
「男物しかないが……」
 ディオルは荷物の中から自分の替えの服を取り出した。小柄な少女の姿をしている彼女なら、上着だけで十分に事足りた。
「下もいるか?」
「いいえ」
「そう。ならいいけど。まさかそんな薄着でいるとは思わなかったから」
「前のご主人様の趣味です」
 ディオルは眉根を寄せた。
「当時は夏でした」
「そう」
 ディオルは荷物の口を縛り、背負った。
 彼の持つ杖は立派なものだった。この歳の少年には相応しく無いほどに。
「さて。お前が見つかったのだから、こんな場所にはもう用はないよ」
 邪悪さすら感じる、凄みのある笑みを浮かべた。
 ──面白い。
「はい」
「地上への最短のルート、または方法は?」
 上手い質問だった。彼女のことをよく調べたのだろう。
「こちらです」
 エリキサは寝台の奥の壁に触れる。それだけで、壁の一部が消滅する。
「ここにあるのか」
 その現象に驚くではなく、彼は感心していた。
 奥には階段が生じる。それは二人が進めば前に出来上がり、後ろがふさがる。
「人を不安へと落ちいらせるシステムだね。さすがは神の作った遺跡」
「人に見つからぬように、です」
「そうだろうなぁ」
 ディオルはくつくつと笑う。
 彼は不安を感じていない。万が一のときも、対処できる力を持つゆえに。
 地上へと辿り着くと、ディオルは伸びをした。
「本当に近かったなぁ。僕の丸一日は無駄かぁ」
 しかし、後悔の色はない。太陽を見つめ、目を細める。
 緑の瞳には、何かに焦がれるかのような光が浮かぶ。
「やはり何だが、太陽はいいな」
「………」
 エリキサは答えない。
「その化身は好かないけどね」
 分かっていて、言っている。ほんとうに、よく調べている。
「言いたいことがあれば言っていいよ。あと、基本的には好きに行動してもいい。もちろん、僕が呼べば帰ってきて、僕の質問に答える。これが基本かな」
 彼は首をかしげた。
 エリキサは、正直驚いていた。何しろ、今までの主は彼女に命令するだけで、自由を与えようとはしなかった。おそらく、そうしてくれた者もいただろうが、そういう者はエリキサを偶然発見し、そんな制約があることを知らなかった。エリキサを目当てに来た者は、エリキサの独占だけを考え、エリキサの存在自体を隠した。
「これ以外に緩めておいて欲しい制約は?」
「いいえ。ありません」
「これだけで不便はないか?」
「はい。私は主の命に従うのみです」
 彼は顔をしかめた。彼がどこまでエリキサを理解しているのか、エリキサには想像ができなかった。
「付け加えておくよ。素を出してもいいからね」
 その言葉に、エリキサはしばし迷い、口らを開く。
「私のことを、どこまでご存知なのですか?」
 逆に問う。それは答えるべく存在する彼女にとって、とても珍しい行為だった。
「もちろん、出生から転落まで。それからの生活。恋人のこと。そんな大まかなことは、知っているな」
「そこまで……なぜ?」
「調べたから」
 彼はくつくつと笑う。
 苦労しているはずだ。彼女についての資料は少ない。その上、彼のことも知っている。
「悪いようにはしない。僕に必要と思われることを、自ら進んで話して、協力してくれればね」
 それが、彼との出会いだった。

 それを見上げて、あきれ果てた。
 それは塔だった。しかも、古く薄気味の悪い。所々蔦や苔など生息している。
 ──ええと。
「コンセプトは、悪の魔道師の住まいですか?」
「どうして悪なの? どう見ても孤高の魔道師の住まう塔、だろ? この崇高な趣味が分からないなんて。まったく………」
 孤高とは、悪にも繋がる単語だが、本人が違うというのだから認めてやろう。崇高かどうかはともかくとして。
 例え、外からは見えないように次元軸を少しずらしていたりしようとも。
 例え、魔物が住み着く森のど真ん中に存在しようとも。
 孤高であることは確かなのだから。
「この物件を見つけたときは、勝ったと思ったな」
 誰に?
 エリキサはそれを胸の中に押し留めた。問いかけるという行為に戸惑いがあるから、というわけではない。聞いても、ろくな返答が帰ってこない気がしたから。
「こっち」
 ディオルは塔の入り口ではなく、塔の裏手に回る。
 そこは花園だった。まるで自らが最も美しいと主張するように、傲慢に咲き誇る赤いバラ。美しさゆえに罪を持つスイセン。可憐故に魔性を持つスズラン。他に、様々な植物が生息している。その中央に、温室があった。
 中の様子を読み取る。そこには、トリカブト、マンドレイク、クララ、ドクウツギ、シキミ……。
 ──満月草に、月日草まで……。
 ものの見事に、毒や魔力を持つ植物ばかり。他にも様々な毒植物がある。主に薬になる物が多いのは、魔道師という職業をしていれば当然だ。しかし、多い。その庭の持ち主ディオルは、バラを鋏で切っていた。
「………それは?」
 彼女の知らない種のバラだ。解析していくが、なかなか複雑だ。
 何よりも気になるのは、そのバラが何か毒を持っているのかどうかということだ。
「昔、切っても枯れない花を作ろうと思って。そうしたら、不老効果のある成分が含まれてしまったんだ。実験結果、致死量直前で三年ほど効果があることが判明した」
 エリキサは眩暈を覚えた。
「あの……お幾つで?」
「十五だよ」
 見た目どおり。
 こんな幼い少年が、人類の永遠のテーマを、あっさりと作り上げてしまった。彼は天才だ。紛れも無く。
「ご主人様は、私など必要なのですか?」
 素朴な疑問だった。彼なら、たいていのことは出来てしまうだろう。こんな不自由な制限の下にある知識など、なぜ欲するのかが理解できない。
「必要なんだ。誰かに教えてもらうなんてムカつくから。君なら、自力で手に入れた辞書代わりみたいなものだろ」
 彼はくつくつと笑った。
 人間の思想は理解しがたい。この少年の場合、一般とは違うようなので、さらに掴みがたい。しかし、彼について、一つだけ理解したことがある。
 一見すればクールな少年だが、実はとても負けず嫌いで、変な思想を持つ少年なのだと。
「さて。お前に見せたいものがある」
「見せたいもの?」
「ああ」
 彼は手を差し伸べる。その手を取ると、彼は転移呪文を唱えた。
「望むは我が印ある場所へ」
 景色が変わった。
 小汚い、いかにも「研究室」といった部屋。本や巻物やファイルが積み上げられ、散乱している。ものによってははっきりと目に見えるほどホコリが積もっていた。
「うわ……」
 床を見ると魔法陣が特殊な塗料で描かれていた。印とはこの魔法陣。魔法陣から魔法陣へと移動するのは容易だが、何もない場所からここへ移動するとなると、とたんに難易度が十倍以上になる。
 ただこの魔法陣すら掃除されておらず、かなり高価な塗料で描かれている魔法陣は、ホコリに埋もれていた。
 ──こんな状態でも、機能するんだ……。
 エリキサはカルチャーショックを受けた。どんなにずぼらでも、これだけはある程度綺麗にするものだ。
「すごいですね。色々なことが」
「忙しかったんだ」
 彼はそれ以上何も言わず、奥の部屋へと向かう。
「ちょっと待てな。ここから奥はセキュリティ厳しいくしてあるから」
 確かに、普通ではありえないほど凶悪な結界が張られている。
「ファイルとかは放置していいんですか?」
「僕の字は、他の人間には読めないそうだ」
 ディオルは何か呪文を唱え始めた。その間に手近なファイルを拾って見ると、他かに意味不明な文字で書かれている。
「………文字体が変わったのですか? 暗号ですか?」
「ただ下手なんだよ。悪かったね」
 彼に出会ってから、驚いてばかりだ。知識である彼女が、驚くような異様な物ばかり見せられる。
 彼はむっとした様子で、杖の先でドアを突いた。ばちばちと小さな音がする。
「作り手の命に従い、開け」
 ドア部分の結界だけが消え去った。
 中へと入ると、こちらはさすがに物は散乱していなかった。ただ、正体不明の異形の生物が押し込められたポッドには、ホコリがたまっていた。特殊なガラスで作られ、中には色々と混じった液体が入っている。その中で、キメラと呼ばれるそれらは眠っていた。
 それらは、明らかに人を素対として使っているものばかりだった。
「一体、何の研究を……あの人間たちは?」
「罪人を買った。死刑になるはずの、どうしようもないクズどもばかりだ。
 誰も気にはしない。それとも君は気にするか?」
 彼はうっすらと笑う。
 罪悪感などは感じられない。こんな幼さの残る少年が……。
「いいえ。罪無き者を素体にする者も多くいます」
 それを聞き彼は満足したらしく、
「こっちだ」
 さらに奥へ奥へと進んだ。キメラのポッドの間さを通り、シートのかかった何かの前で足を止めた。
 エリキサは驚きのあまり声も出なかった。それは覚えのある気配を発していた。涙が出てくるほど、焦がれていたそれ。
 ディオルはシートを取り外す。
 男の石像があった。柔らかに微笑む、端正な顔立ちの青年。彼の最後そのままに、気が狂いそうなほどの苦痛の中、彼は微笑んでいる。最後の言葉が、脳裏によぎる。
「…………アシュター様……」
 エリキサは主たる少年を見た。
「保管者が知り合いでね。救ってやりたいと言ったら、くれた」
 救い。
 彼女が求めてきたもの。そして、与えられることのなかったもの。
 作られたこの身故。創造者を裏切った故に。
 彼女達に救いが訪れたことは無かった。
「どうして………この方を救おうと?」
「理由は簡単だ。人間でも、神を出し抜くことが出来ると証明してやりたかった」
 彼は邪悪さを感じる笑みを浮かべた。神に逆らおうという、無謀な行い。無理だというのが認識だ。
「信じるも信じないもお前の勝手だがな」
 自信に溢れていた。若さゆえの無謀だと分かる。頭では理解している。
 ──なのに、信じる気になるのはなぜ?
 分からない。心という物は理解しがたい。それが自分のものであっても。唯一分かるのは、それが自分にとって、本当の救いのように感じていることだった。

「この男は太陽神に呪いをかけられた」
 彼女は頷いた。
 ディオルは満足して、石像の足を見る。石になっていれば分からないが……。
「足から腐り、苦しみ抜いて死ねと。間違いないな?」
 現場を見ているはずのエリキサは再度頷く。
 この男が犯した罪は、単純極まりない。太陽神の情婦と通じた。ただそれだけ。その情婦というのが、このエリキサ。
 昔この男は月神であった。にもかかわらず、兄たる太陽神のお気に入りであった知識の神に手を出した。それが発覚し、人の身に落とされた。知識の神はその後を追い、自らに制約をかけることにより、太陽神の手から逃れた。
 制約とは、自分を連れ歩いてくれる人間に望む知識を提供すること。
 その後、知識の神は人間を利用して、愛した男を捜した。そして運良く二人が出会う。しばし幸せなときを過ごした二人は、すぐに引き裂かれることとなる。二人が供にすごしていることを知った太陽神、怒り狂い、全身全霊を持って呪いをかけた。
 足から腐り苦しみもがいて死ぬがいい、と。
 エリキサは苦しむ男を見て、彼を石に変えた。もう死なぬよう。もう苦しくないように。主の怒りが収まるまで。
 そんな悲恋があるわけだが、それをストーリーとして組み立てるのに、どれほど苦労したことか……。
 正直、他人の色恋沙汰には興味ない。ベタすぎて、うんざりしたものだが……。
「僕にとって重要なのは、一級神にかけられた呪いが、今ここに存在すると言うことだ」
 そうでなければ興味を持たなかった。これをどうにかできれば、神の意思でも曲げられることを証明できる。
 深い意味は無い。ただ、やりたいだけだ。
「………しかし、そんなものをどうやって? 人間の魔力では不可能では?」
「だから、出し抜くと言っただろう」
 彼はくつくつと笑う。
 そして、立ち並ぶポッドの一つを指差した。
「………半魚人?」
 まあ、上半身にまで皮膚の侵食が進んでいる上、継ぎ目部分が膨張している。
 半魚人に見えなくもない。
「まあ、失敗作だ」
「…………ええと……まさか……」
「そう。足から腐っていくということは、足でなければ問題はない」
 言葉とは強い力を持つ。それを口にするがゆえに、絶対となる。神の宣言であるからこそ、それは強い。しかし、それを逆手にとって条件と合わなくしてやれば、それで終わってしまうのだ。完璧に。
 問題があるとすれば、恋人であるエリキサの気持ちだ。
「……………アシュター様、こんな風にしちゃうんですかぁ?」
 彼女は悲鳴じみた声を上げた。
「安心しろ。これは失敗作だ。本番は、人間とは呼べなくとも男版ラミア程度にはできる」
「……………」
 彼女は考え込んだ。
 一生の問題である。無理もない。
「嫌か? はっきり言って、これが一番まともな方法だぞ。他の方法はもっとひどいが、聞きたいか?」
「いえ………人間とは、思い切ったことを考えるものだと……」
 彼はくつりと笑った。
 そうでなければ、神など出し抜けない。
「魔道師ってのは、柔軟な発想こそが命だよ」
 人間に限界など無いことを知らしめるため。他に意味は無い。ただそうしたいだけ。完全な自己満足。しかし、思いついてしまったのだ。実行しなければ一生後悔する。
「僕は悔いの無いように生きたい。その後、どんな結果になろうとも」
 彼女は笑う。
「一蓮托生……ですか。
 それで、私にどんな知識をお求めで?」
「それは──」

 私に新しい主が出来た。
 彼は自信家で、野心家で、だけど努力を惜しまない、残酷で身勝手だけど、少しだけ優しい人。
 研究が完成する日は当分先に思えるが、私は彼を信じてみようと思う。
 私は決して焦りはしない、悲しみはしない。貴方が言い残した通りに。
 貴方にいつかまた会える。
 その希望が見えたから──。

 

黒の魔道師へ        あとがき