番外編 1  愛をください

 

「ケ・イ・ちゃん」
 大樹は縫いものをしている慶子に擦り寄った。
「何?」
「そのズボンは?」
「中村君のよ」
 中村とは、大樹がいつもつるんでいる友人の一人である。
「中村のズボン? なんで?」
「スライディングしてお尻が破れちゃったそうなの。だから、裁縫道具持ってるあたしが縫ってるの」
 慶子は手馴れた様子でほつれた尻の部分を丁寧に縫っていく。縫い終えると糸を小さなはさみでちょきりと切って、小さなソーイングセットをポケットの中に戻す。
「中村君、出来たわよ」
「あ、ありがとう」
 中村は大樹を横目で見ながらズボンを受け取った。彼は今ジャージを着ている。
「東堂さんは、ほんと女の子らしいよな」
「褒めても今年は何も出ないわよ」
 慶子はくすくすと笑いながら言った。
 去年慶子はバレンタインの日に、チョコレートケーキを切り分けて、可哀想な男子生徒に早い者勝ちで贈っていた。そのことだろう。
「うわぁ、ショック。これじゃ俺、今年は誰にも貰えないな」
「ふふふ。きっと誰かがくれるわよ」
「だといいなぁ。東堂さん、これありがと。早速着替えてくるよ」
 慶子は手を振りながら中村を見送った。大樹は穏やかな笑顔を浮かべる慶子の肩を掴む。
「で、ケイちゃん。14日は学校終わったらデートしない?」
「……どうして?」
「どうしって……」
 慶子はけろりとしていた。いつもの彼女なら多少むっとするのだが、今日は平然としていた。
「チョコ欲しいの?」
「今年は単刀直入だねケイちゃん。そんな君が大好きだよ」
「心配しなくてもあげるわよ。今準備中だから、楽しみにしてなさい。今年は数よりも質なの」
 おそらくフィオにプレゼントする分のついでだろう。しかし、去年はその他大勢と一緒に、小さなチョコレートケーキを貰っただけだった身としては、確実にそれなりの手作りチョコをもらえるというのは、嬉しい。
 大樹はその日、一日を浮かれて過ごした。


 当日。登校中のことだった。
 鏡華に車で送ってもらっていたのだが、途中友人たちのグループを発見しそこから徒歩にすることにした。この時点で、女子生徒に一つチョコレートを受け取っていた。本命からもらえると分かっていると、人間おおらかになって爽やか笑顔で受け取ってしまった。
「浮かれてるなぁ、大樹」
「相手は東堂さんだもんなぁ」
「うらやましい……お菓子作りが趣味な幼馴染なんて……羨ましすぎ」
 友人達が囁き合っている。大樹は自然と笑がこぼれる。昔から、彼女は大樹には毎年チョコレートをくれたものだ。一年だけ、分かれた年だけはくれなかったが、去年はくれた。その他大勢と一緒だったが。
「あーあ。本命がいるのに貰うか、普通」
 中村は大樹の鞄を見る。この中には、いかにも手作りといった、へたくそなラッピングのチョコレートが入っている。
「せっかく用意してもらったのに、断るのもあれだろ」
「でも捨てるんだろ?」
「ひっでぇヤツ」
 友人たちは声を潜めて囁きあう。いつもなら皮肉の一言二言返すのだが、今日に限って寛大な大樹は笑顔で答えた。
「いや、手作りって何混入されてるかわからないだろ」
 市販のものなら何の気兼ねもなく安心して食べられるのだが。
「お前はどこぞのアイドルかよ」
「でも、割ったチョコから髪の毛が……なんてよくあるんだよ。うちは」
「一家揃ってモテモテかよ。ムカつくな」
 ちなみに一番ひどかったのは、兄が貰ったチョコレートだった。何のまじないか知らないが……いやよそう。思い出すだけでせっかく貰うチョコレートすべてに疑いをかけてしまう。
「仕方ないだろ、この顔と身長だからな。
 ついでに金持ちだし、頭いいし、運動神経いいし。ひょっとして、俺って完璧人間!?」
 友人たちはなぜか一斉に首を横に振った。
「完璧な人間は、もっと一途だって」
「そうそう。幼馴染と付き合って一週間でふられるなんてありえないって」
「お前のは親の金だろ。家を継ぐのはお兄さんだし」
「俺んち来ると、いつも鴨居で頭ぶつくせに」
「なぁ」
 皆は一斉に同意しあう。
 確かに女の子は皆好きだ。確かに一週間で振られた。確かに昔ながらの住宅では、よく頭を打つ。これは父親にも言えることだったので、現在の家は建て直しをした新しいものである。ちなみに新しい家を一番喜んだのは明であったらしい。
「お前ら、俺のこと嫌いか?」
「チョコもらってるくせに文句言いやがって」
「東堂さんからチョコもらえるくせに他からももらいやがって」
「俺も料理上手な癒し系の幼馴染が欲しい!」
「料理はどうでもいいから、あんな癒される彼女が欲しい!」
 慶子は学校では猫を被っている。どの程度の猫かというと、女の子らしい女の子を演じている。彼女がああも強いということを知っているのは、彼女の友人に数人いるだけである。
 彼女よりも美人なら校内にも数えるほどいる。彼女ほどではないが胸もそれなりにあり、かつ彼女よりも美人もいる。しかし落ち着いた物腰(奇妙な体験に慣れすぎて肝が据わっている)や、面倒見のいい家庭的な部分(世話好きで所帯じみている)が男性に受けているらしい。
 天使を拾って世話をして教育しているあたり、その性格が飛びぬけていることが伺えるだろう。学校では常識外のことなど起こるはずもなく、何があっても驚かないのんびりとした性格に見えるのだ。
 彼女が本当に驚くのは、天使が馬鹿な発言したときや、兄が常識外の事をしたときや、未知の生物が現れたときぐらいだ。
 それを知らない男どもは、慶子の雰囲気に騙されて彼女を誤解している。
 大樹が慶子をある意味哀れに思っていたとき、背後から声をかけられる。
「明神先輩っ」
 女の子の声だ。振り返ると、慶子などよりよほど可愛い、くっきり二重の大きな目をした女の子がこちらへと走ってきた。
「一年の佐藤さんっ!?」
「なんであんな美少女までっ」
 友人達が嫉妬にまみれた憎悪の念を送りつけてくる。
「明神先輩。これ」
 差し出したのは案の定ラッピングされた小箱。
「ありがとう」
「手作りなんです。あ、変なものは絶対に入っていないから、絶対に食べてくださいね」
 大樹の目が点になる。大樹が人が貰った手作りチョコートを食べない事を知っているのは、ごく一部の友人と慶子ぐらいなものだ。
 と、そこで思い出した。
 彼女は慶子と同じ調理部の部員だった。先輩である慶子に趣味を聞いたのだろう。
「じゃあ先輩。絶対に食べてくださいねっ」
 佐藤は頬を赤らめながら大樹らを追い抜き学校へと走り去った。
「可愛いなぁ。妹に欲しいなあんな子」
 慶子にもあれぐらいの可愛げがあればいいのだが……。
 ふと気がつくと負けん気の強い性格になっていた。その要因は、樹にけなされ続けて見返してやろうという思いが一番強いものだと思われた。
「…………あれ?」
 大樹はチョコレートをまじまじと見た。見覚えがある。
 鞄を開けて中を見ると、同じ包装紙に包まれた、同じサイズのチョコレート。
「…………この包装紙、流行ってるのかな」
 大樹は首をひねりながらも、見分けが付くように包装紙に佐藤と名前を書いておいた。


 靴箱に。
 廊下で。
 机に。
 あれから三つほどチョコレートを手に入れた。
 大樹はアイドルではない。しかも浮いた噂も多いだろう。慶子と同棲しているという噂もあるらしい。そんな彼だから、もらえるチョコレートの量も常識内である。ただ机の中にあるものなどに関しては、前に置いてあった物が捨てられているだけかもしれないが、義理も含めてせいぜい二桁超えるか越えないかだ。すごいのは、信者の皆様からのものである。甘いものが好きな明は、このイベントを毎年楽しみにしている。
 同じ物を貰うことはよくある。
 だが、四つ貰う内三つが同じ形、同じ包みというのはどういうことだろう。しかも、手作りらしい。
 大樹は悩みながらも自分の席で慶子の登校を待つ。その間に呼び出しを受けて、人毛のない場所でチョコレートを一つ貰う。今回は告白もされたが、遊び相手には向かないタイプだったので、慰めながらそれを断る。今度は違うチョコレートで多少安心した。
 教室に帰る途中呼び止められ、手作りですという言葉と共に、またあの包装紙のチョコレートを押し付けられた。先ほどの女の子と同じ理由でまた断る。
 おしいとは思うのだが、まさか同じ学校の子と下手な関係にはなれない。慶子に殺される。
 教室に戻ると、慶子が席について、佐藤が彼女に浮かれながら話しかけていた。
「先輩、本当にありがとうございました」
「いいのよ。ついでだもの。部員が増えてくれる可能性もあるしね」
 大樹は嫌な予感を覚えながらも、彼女の元へと歩み寄る。
「ケイちゃん」
「あら、大樹君。どうしたの?」
 大樹は飛び切りの笑顔を浮かべて彼女へと詰め寄った。佐藤は、顔を赤らめてまるで逃げるようにして去っていった。
「ケイちゃん、何を企んでるのかな? 佐藤さんと同じ包みのチョコレートいっぱい貰ったんだけど」
「……あら、そうなの。偶然ね。まあ、でもそれもありかな。
 でも嫌だわ、企んでるなんて」
 つんと額を突付かれた。
「ただ、大樹君はいつも手作りチョコレートは食べてくれないどころか、封を開けてそれっぽいと全部ゴミ箱でしょ? その悩みを佐藤さんに告白されたのよ。だから、相手の男の子に絶対に食べてもらえるように、数日にわたってうちの部でチョコレート教室をしていたのよ。私が監修の元なら安心でしょ? そうしたら、偶然何人か大樹君目当ての子がいたみたい。みんな恥ずかしくて告白できなかったって。可愛いわ」
「…………なんで佐藤さんがそんなこと知ってるのかな?」
 知っているはずがない。知っている友人達が、大樹を敵に回してまで漏らすはずもないし、慶子もそのようなことを言いふらす女ではない。
「あなたの従妹のお嬢様が、身のほど知らずの庶民どもの作ったものなどお兄様が口にするはずなくってよ〜、みたいなこと言ってたらしいわよ」
 大樹の考えが甘かったようだ。
 帰ったら文句を言わねばならない。
「あ、あとこれ」
 慶子は同じ包みのチョコレートを押し付けた。それには大樹へというカードがリボンにはさんであり、中を見ると『義理』と大きく書かれ、中身は他の子のとは違うから安心してねと書かれていた。
 飽きないようにという配慮だろう。
「あとこれは、おじさまとマキちゃん、明ちゃんに。ついでだけど、文句を言われないように樹さん。あ、でも明ちゃんが甘いもの好きだからって、食べさせすぎて太らせたらダメよ」
 と渡してきたのは、大樹に渡したのと同じ箱。
 大量に安く仕入れたのかもしれない。
「…………あ、あの子達みんな可愛くていい子だから、いい加減に扱っちゃダメよ。ちゃんとメッセージ読むのよ。これでも辛いのよ。私が作り方教えた子達が、あなたみたいな人を好きになるなんて……胸が張り裂けそうに苦しくて悔しいの」
「悔しいの?」
 慶子らしい嫉妬といえばそうなのだが。
「私の信頼にかかってるから、ちゃんと食べるのよ。お願いね」
「…………………まあ、いいけど」
 本命チョコをくれるとは思っていなかったから、さしてショックでもないが。
 もう少しだけ愛が欲しいと思うのは、贅沢なことなのだろうか?


 授業が終わり、皆帰途についたり部活へと向かう中、大樹たちは席についておしゃべりをしていた。
「見ろ見ろ。大樹と同じチョコレート俺も貰った!」
「俺も!」
 いつもつるむ友人は四人。内二人が奇跡を起こした。付き合うのかどうかは分からないが、一つももらえなかった中村と北村は仲良く大樹の貰ったチョコレートの一つを分け合っている。
「可哀想に」
「わけてやらんぞ、この手作りは!」
 中村と北村は無言でチョコレートを食べていた。大樹はくすりと笑い、慶子から貰ったチョコレートを食べる。家に帰って食べると、樹がいい顔をしないからだ。
 そんな中、
「中村君、北村君」
 慶子が後ろ手に何かを隠してやってきた。
「もらえた?」
 同時に首を欲に振る二人に、慶子は小さな包みを渡した。ビニールと和紙のようなもので何かを包み、それをリボンでとめていた。
「いつもわがままな大樹君がお世話になっているお礼」
 笑顔を残して帰途に着く彼女を見て、大樹はため息をついた。
 調理部の活動は、月に数えるほどしかない。
 喜び踊る友人達をを見て、大樹はもう一度ため息をついた。
「帰ろ……」
 帰って、身内や信者の皆様にちやほやしてもらおう。
 今日は愛が欲しいから。

 
 

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