月夜の晩に


 目を覚ますと、まだ月が出ているほどの時間だった。
 隣で眠る銀髪の少女がもぞもぞと動く。月明かりを浴び、美しい髪が輝いている。
 子供独特の温もりが、何とも言えず……
「うを!?」
 ローシェルは思わず身を引く。
 なぜって、隣で眠っていたのは、見た目十代前半の幼い少女だったはずだ。しかし、そこにいるのは大人の女性。
 ローシェルが一目ぼれしてしまった、絶世の美貌と大人の身体を持つ水妖の女。
 現在、月が出ている。
 彼女は月光を浴びていると、魔力が高まり大人の姿になるという厄介な体質だ。そして今、その現象が起きていた。
 惚れた女の、しどけない寝姿。
「……い、いかんいかん」
 彼は首を左右に振る。
 例え今は大人の姿でも、昼間になれば抱きしめたくなるほど……道を歩いているだけで誘拐されそうになり、珍しげに露店を見ているだけで物を貰い、あるときは売ってくれと言われるほどの可愛らしい少女なのだ。
 あまりにも可愛いので、時々血迷いそうになる。それが大人の姿をしていれば、心動かされぬはずもない。しかも、ローシェルの上着をワンピースのようにして着ている。子供ならばそれですむが、大人になれば丈が足りないのは目に見えている。
「く……」
 待つと心に決めたものの、大人になりきるまで待てるかどうか……不安に思う今日この頃。男の本能だけは、どうしようもない。
「ん……」
 美女──イーシェラが目をこする。
「ろーしぇ?」
 起き上がっているローシェルを寝ぼけ眼で見上げてくる。
「どうしたの?」
 彼女は置きあがる。シーツから、むき出しの長い足が現れた。
 それが、限界だった。
「ちょ……ちょっと、トイレ。先に寝ているといいよ」
 その言葉に彼女は首をかしげ、見つめてくる。
「うん」
 やがて、寝ぼけていた彼女は再び眠りに着く。
 寝ていることを確認し、ローシェルは荷物を持って部屋を出た。

 目を覚ますと、ローシェルがいなかった。ベッドには温もりも残っていない。
「ローシェ?」
 急に不安になりあたりを見回す。すぐに椅子で眠るローシェルを見つけ、イーシェラは安堵する。
「ローシェ……」
 ローシェルは目を開いた。
「ああ、イーシェ。おはよう」
 彼は笑う。それからすぐに身体に巻きつけていた毛布をたたみ始める。
「どうしてそんなところで寝ているの?」
「ん……いや」
「私、寝相悪い?」
 昔、ヨウルを蹴飛ばしてしまったらしく、もう一緒に寝ないといわれてしまった事がある。あれ以来、同じベッドで寝る事はなくなった。
 少し寂しかった。
「イーシェの寝相はいいよ。ただ、その」
「私と一緒に寝るの、嫌?」
「そんなことはないよ。僕の方が寝相が悪いからね。君を踏んづけてしまいかねないから」
 そんなことは一度もない。いつも彼女の方が先に眠ってしまうが、ローシェルの寝相が悪いとは思わない。やはり、蹴飛ばしてしまったのかもしれない。彼は優しいから、イーシェラのせいにはしない。
 彼はなぜ、こうも親切にしてくれるのだろうか?
 自分は人ではないのに。
「イーシェ。ごはんを食べて行こうか。これから、知り合いのいる大きな街に行く
んだ」
 彼の笑顔を見ると、そんな考えなどどうでもよくなった。
 人を疑うことはもう嫌だから。

 ローシェルの言ったとおり、とても大きな都市だった。
 この都市は傭兵ギルドの本部があるらしい。それを中心として栄えたのだ。だからこの都市には強面の男性や客引きの女性が多い。女性達がどんな仕事をしているのか、ローシェルは教えてくれなかった。イーシェラにはまだ五十年ぐらい早いのだそうだ。
「ローシェは傭兵なの?」
「所属しているだけ。僕は賞金稼ぎだけど、ここに所属しているといろいろといいことがあるんだ。賞金だけで食っていける人間は少ないから、傭兵もしながら賞金首も狩るみたいなのが多い。だから最近では、賞金稼ぎの支援も始めているんだよ」
 人間はいろいろな事を考える。水の中でのんびりと暮らしていた頃には興味もなかったことだった。ローシェルに連れられて、いろいろなことを覚えた。人のことも魔物のことも、妖魔種のことも。自分の種族の事すら、実はあまり知らなかった。森の中、精霊たちと遊んで暮らしていたから。
「前から思っていたのだけど、人間ってどうして地面を固めて土でふさいで石の家を建てるの?」
「舗装しないと、歩きにくいだろ。石の家ってのは、レンガの家とか?」
「そう」
 ローシェルはくすくすと笑う。
「人間は、その方が落ち着くんだよ」
 理解できない。しかし、燃えない事はいいことだ。火は嫌いだ。
 ローシェルはイーシェラの手を引いて大通りを進む。しばらくして少し狭い道に入り、さらに進む。両側に威圧的な四角い建物が建っていた。アパートとかいうものだった。
「人間はどうしてこんなに狭い場所に群れているの? 虫じゃあるまいし。こんなに大きな建物を建てて」
「虫か。君は面白い例え方をするな。
 そうだね。ここは仕事をするには便利だ。ここに住みたがる人間は多い。だから狭い場所にどうやったら住み着けるか。その結果が縦に部屋を積み上げるというものだったんだよ。空間は上手く利用しなくちゃね」
 分からなかった。そこまでしてここで暮らす価値があるとも思えない。人間は変だ。だが、少しだけ楽しい。人が多いと恐くもあり、同時に嬉しくもある。いろいろな人間がいて、いろいろな話をしている。その話を聞いているだけで楽しい。何を話しているのかよく分からないような人間も中にはいる。それはそれでまた楽しい。
 人間は変で残酷で嘘つきで卑怯で、でも少し優しくて楽しい生き物。
 手を引くこの人間も、少し変で何を考えているのか分からなくて、秘密ばかりで、だけど大切に思ってくれているのは分かる。
 とても、心地よい。
 知りもしない同族よりも、この人間の方が好ましいと思う。水妖はあまり人に近付かないらしい。だから人の側にいるイーシェラを皆よく思っていないようだった。水竜という、自らよりも高位の種族であることも原因だろう。近くの川や湖に住んでいた彼らは、イーシェラの友にはなれなかった。だが、人間の中にはそんなことを気にしない者がいた。同属性の種族よりも、よほど心地よい。
「イーシェ。この店だよ。よく来るんだ」
 ローシェルはこざっぱりとした店を指し示す。普通の飲み屋だ。ローシェルはイーシェラの手を引いて店の中へと入る。途中、準備中という札がイーシェラの視界の隅に入った。大丈夫なのだろうか?
 店の中には掃除をしている女性がいた。
「久しぶり」
 ローシェルは手を振る。
「あらやだ、ローシェルじゃない」
 ローシェルの姿を見て女性は騒いだ。そのとたん、背負っていた赤ん坊が泣き出した。
「あーよしよし。カルちゃん、いい子だから泣きやんでちょうだい」
 女性は身体を揺らして赤ん坊をあやす。
「あれ……いつの間に子供なんて……」
「違うわよ。預かってるの。あんまりにも不憫だったから、仕事に行く間だけね」
 イーシェラは赤ん坊を見上げた。ヨウルを思い出した。彼もこんな時期があった。あっという間に大きくなって、いつの間にか恋人を作って、そして死んでしまった。
 思い出すと胸が痛い。
「あらまあ、なんて可愛いお嬢さん」
 女性はイーシェラの前にかがむ。
「お名前は?」
「イーシェラ」
「歳は?」
「ええと……数えてないからよく分からないけど、七十ぐらい」
 その言葉に女性は笑い出した。人間は自分の物差しでしかものを計らない。それがこの人間という種族の最大の欠点だ。
「イーシェラ、彼女はエレナ。この店の女主人。僕の友達」
「ふぅん」
 エレナは未だに笑っていた。人間とは失礼な生き物でもある。
「どうしたの、この子」
「ん。可愛いだろ?」
「貴方好みの綺麗な髪ね」
 ローシェルは人の髪をいじくりまわすのが趣味だ。いつも彼に髪をいじられている。今だって、長い髪を編みこみにされている。イーシェラはクセがある自分の髪を面倒だと思っているが、ローシェルはそれを可愛いと言うのだ。
「護衛でもしているの?」
「まさか。下手をすればこの子の方が強いよ」
「子供にはかなわないわよね」
 どこまでも果てしなく失礼な女だ。
「何なの、この失礼な人間は」
 腹を立てて頬を膨れさせたイーシェラの頭を、ローシェルは何度も何度も撫でた。まるで子供にするように。
「もう、貴方まで子ども扱いするの? 貴方よりも私の方がずっと年上なのよ?」
 少女だった育ての親が、曾孫ができるほどの年月を生きている。残念ながら、自分はその子を抱けなかった。その資格もなくしてしまったから。
「この子、人間じゃないの?」
「竜。本来の色彩は抑えているから、人間に見えるけどね」
 その一言で、エレナは物珍しげにイーシェラを観察し始める。
「で、どうしてあんたが竜の子供を連れているの?」
「ほっておいたら危ないだろう。いつどこの馬鹿がこの子を狙うかもしれない。万が一のことがあれば、その土地もろとも呪われる。さすがに見過ごせないだろう。
 もちろん、イーシェラが可愛くていい子だから個人的に気に入ったというのもあるけどね」
「そっちが本音ね」
 ローシェルは笑ってイーシェラの頭を撫で続ける。彼はこの扱いを改める気はないようだ。いい加減、諦めがついた。子ども扱いされるのは慣れている。だから夜、大人の姿になれるのは嬉しい。ずっと月が出ていればいいのにとすら思う。
「ほんと、可愛いわ」
 またもやエレナは可愛いと言う。
 可愛いという言葉は好きではない。大人になれば皆が美しいと褒め称えるのに、子供のときは皆「可愛い」だ。いつの頃からか、可愛いという言葉が好きではなくなってしまった。
 昼と夜とでは、人間はまったく違う態度をとる。中身は同じなのに。それに関してはローシェルにも言えることだ。その態度の違いも腹立たしい。
 その時、人間が店に入ってきた。
「エレナさん。ただい……おや、ローシェル」
 二人の人間の男だった。一人はローシェルよりも少し年上に見える背の高い男。もう一人はまだ十代半ばの少年。
「久しぶり。その子は?」
「ユーリィです。最近よく組んでいます」
 彼は小さく頭を下げた。それだけでローシェルの横を素通りし、エレナの前へと進み出る。
「いい子にしていたか?」
「そりゃあもう。めったに泣かないからね、この子。今は起きているけど」
 エレナは背負い紐をとき、赤子を少年へと渡す。
「ただいま、カル」
 赤子は少年へと手を伸ばし、少年はその頬をつつく。
「弟さん?」
 ローシェルは微笑ましいその光景に気をよくして問うた。
「息子だ」
 少年の言葉にローシェルは首をかしげた。
「ずいぶんと若いお父さんで……結婚しているの?」
「いいや」
「そりゃそうだよね。まだ結婚できる歳じゃないよね。相手は?」
「死んだ」
 泥沼だった。
 ローシェルもさすがに気まずい顔をした。
「二人とも、お腹すいてやしない?」
 その場を和ますように、エレナは声を高くして問うた。
「お願いします」
 青年はエレナへと頭を下げた。
「ところでローシェルこそどうしたんだすか? その子」
 青年はイーシェラへと微笑を向ける。ローシェルは二度目の紹介をする。竜である事を明かすということは、彼らを信頼しているのだろう。だから好奇の視線も我慢した。
「始めまして、イーシェラ。私はクレメントです。よろしく」
 手を差し出された。握手というやつだろう。イーシェラは少し戸惑った。
「おや、失礼」
 こちらの戸惑いを察し、クレメントは手を引く。よく出来た人間だ。
 それから皆で少し遅い昼食を食べた。

 夜になった。月は出ているが、ローシェルがだめだと言うから月の光は浴びていない。人間の中には危険な者も大勢いる。子供でも危険だが、大人の女性の姿をしているとさらに危険なのだそうだ。だから子供の姿のまま過ごす。子供の姿をしていると、人間の大人たちはものをよくくれる。飴や焼き菓子など、イーシェラの好きなものだ。でも、やはり対等に扱ってもらえないのは悲しい。それでも、ローシェルの言う事を聞いている。わがままを言って、彼に嫌われたくなかったからだ。
「はぁ」
 イーシェラはベッドから抜け出した。ローシェルはいない。またいない。視界のぼやけた目をこすり、ベッドから抜け出した。
「ローシェの馬鹿」
 心配して一緒に寝ると言ったくせに、どうして夜中にいなくなるのか。
 でも今日は知り合いの店に止まっているのだ。一緒に飲んでいる可能性がある。一階にある酒場へと行くために部屋のドアを開けると、ちょうど誰かが通りかかっていた。
「どうした?」
 そこにいたのはユーリィだった。
「……ローシェルがいないの。貴方はどうし……ああ、起きちゃったの」
 イーシェラは彼の抱く赤子を見て微笑んだ。
「泣かないの?」
「散歩から帰ってきた所だ。すぐに泣き止んだが、なかなか寝ない」
 ユーリィは腕の中のカルを見て小さくため息をついた。
「一人で子供を育てるなんて、大変ね」
「そんなことはない。俺にとっては唯一の家族だから」
 愛しげなその目は、見覚えがあった。
 ──セウルみたい。
 始祖の卵を孵した、幼いかった魔女。大人になって、結婚して、子供を生んで、孫を作って。
 セウルが子供を見るときはこんな優しい目をしていた。けれどそんな彼女は、もういない。
「家族か……羨ましいわ」
「いないのか?」
 ユーリィは顔を上げて問う。
「私には親というものがいないの。私は特別な生まれ方をしたの」
「特別?」
「始祖って知っている? 特別な卵から生まれる、少し特別な生き物よ」
「知らない」
 イーシェラはカルの顔を覗き込みながら続きをはなした。
「卵には親がいないの。ある日突然木の根元なんかに現れるの。その理由は分かっていないわ。だけど母神の夢が、それを生み出すと言われているわ。だから私たちの母親は神だと言われている。だけど、やっぱり実際には親なんていない。私を育ててくれたのは人間だったけど、彼女は母親ではなく結局は友達だった。みんな、死んでしまったけど」
 今はローシェルしかいない。でもローシェルも他人。人間は早く死ぬ。そして始祖は一人。同族も知らない。同族の中でも始祖は特別扱いをされるらしい。だから始祖なのだ。
「その子貸して」
「あ、ああ」
 赤子を受け取り、軽く揺らす。カルは父親から離れ、徐々に泣き顔になった。
「よしよし。いい子ね、眠りなさい」
 イーシェラは小さく息を吸い、歌い出す。
「おやすみ、愛しの坊や
 お前の可愛い寝顔を見せて
 おやすみ、愛しの坊や
 この石抱いて眠りなさい
 おやすみ、私の愛しの坊や……」
 イーシェラはカルを見て微笑んだ。
「眠った……って、貴方まで寝てどうするの?」
 立ったまま寝ようとしていたユーリィのスネを蹴る。彼ははっと我に返り、眠るカルを見た。
「魔法の歌か?」
「ローレライなんかの水妖と同じよ。でも、普通の歌にも力はあるの。貴方も歌ってあげるといいわ。子供は誰の歌でも好きよ。リズムがあるものが好きなの。今度から背負うのもいいわ。背中に耳を当てると、心臓の音や声がとても響くのよ。子供はそれに安心するの」
 彼はしばらくして頷いた。
「よく知っているな」
「そりゃあ長く生きているから。私は貴方の何倍も生きているのよ、こう見えてもね」
 ユーリィは目を丸くする。疑われるのは仕方がない。彼は人で、水妖種の成長速度など知るよしもないのだら。
「ところで、ローシェは?」
「下で飲んでいた」
「そう、ありがとう」
 ユーリィにカルを返、し階段を下りた。明かりが見えた。
 ──人間って、どうしてお酒なんて好きなのかしら?
 近付くと、ローシェル達の声が聞こえてきた。
「大変なんだよ、イーシェといるのも」
 ローシェルの、声。
「辛抱強くないと、絶対に無理だな。イーシェは……たちが悪い」
 ──たちが……。
 イーシェラはしばし迷い、きびすを返した。
 そんな風に思われているなんて、思ってもいなかった。
 一緒に来ないかと誘ったのは、自分のくせに……。


「イーシェラ!?」
 廊下の方からユーリィの声が聞こえた。
「ああ、イーシェラ起きたのか」
 ローシェルは寂しがり屋な可愛い人を思い浮かべ、苦笑する。
 立ち上がり、寂しがっているだろうイーシェラの元へ……。
 ユーリィがいた。しかし、イーシェラの姿が見当たらなかった。
「ユーリィ、イーシェは?」
「お前が彼女と一緒にいるのは大変だとか、たちが悪いとか言うものだから、傷ついて二階に上がって行った」
 子持ちの少年は、非難の意味を込めてローシェルを見上げて言った。
 しかし、ローシェルはそれどころではない。
 ──なんてタイミングの悪い……。
「イーシェ、誤解だっ」
 ローシェルは慌てて階段を駆け上がる。部屋の前まで行くと、ドアをノックした。
「イーシェ、入るよ」
 返事はない。勝手に開けると、イーシェラの姿はなかった。そして、開け放たれた窓。
「…………イーシェが外に!?」
 月が出ている。そして寝巻き。そして夜。治安はあまりよくない。
「イーシェ!」
「落ち着け」
 窓から飛び出そうとしたローシェルを止めたのは、ユーリィ。
「早く行かないと! あんなに可愛い子だから、変なのに絡まれたり、誘拐されたり……ひょっとしたら、痴漢にあったりっ」
 考えて、ローシェルはまた飛び出そうとした。
「彼女は人ではないんだぞ」
「でもまだ子供だ」
「お前が行ったらたぶん逃げるぞ」
「っくぅ」
「俺も探す。クレメントはエレナに伝えてくれ。イーシェラは目立つ。大勢で探したほうがいい。エレナなら顔が利くだろう」
 手馴れた様子で仕切るユーリィ。おそらくは、以前そういう立場にあったのだろう。
「なら、イーシェラが二十歳ほどの女性の姿をしている可能性があることも伝えてくれ。あの子は月の光で魔力が上がると、大人の姿になるから」
「……分かりました。それはさらに危険ですね」
 純粋な子だ。知らないおじさんにも、おにいさんにも、おばさんにも、おねえさんにもついていってはいけないと言ってはあるが、万が一のことがある。
 万が一、万が一、万が一……。
「ああ、イーシェラ!」
 心中穏やかではいられない。
「あの子が万が一にも変身したら、大変だ!」
「変身って………………竜に!?」
 ようやく、ユーリィもその危険性に気づいた。
 イーシェラが人間ごときに好きなようにされるはずもない。毒も効きにくい。まだ幼体とはいえ、竜なのだ。人間ごとき、彼女の前には虫けら同然。問題なのは竜が突然街中に現れれば、下手をしたらパニックになる。また変なのに目をつけられる可能性がある。何よりも、彼女をまた人間不信に陥らせてしまうかもしれない。
 大変だ。
「そうか。それはそれで問題だな」
「ああ、可愛いイーシェ。待っててくれ」
 ローシェルは窓から身を投げ出した。
 他の誰がどうなろうが知ったことではない。可愛い彼女さえ平穏でいてくれるなら。


 イーシェラはとぼとぼと夜の街を歩いていた。怖い人がいるかもしれないので、暗い道を選び、気配を殺して歩いていた。人間になど見つからない。
 ──私は竜なんだ。
 女神が地に置いた卵から生まれた、始祖の竜。始祖は神の使いとも言われており、崇められる存在。
 ──私は、庇護してもらわなきゃならないほど、弱くなんてないのに。
 ローシェルよりも、彼女の方が年上だ。なぜ年下の彼に子供扱いされなければならないのか。邪魔なら邪魔だと言えばいいのだ。確かに彼女はよく食べるし、物は知らないし、珍しい物を見ると田舎者丸出しで見入ってしまう。だが、彼はそれでも嫌がらなかった。むしろ好んで彼女がそう反応してしまう事をしたいた。面白い物を見せ、美味しい店に連れて行く。甘えていたのは本当だ。でも、少しでも嫌がるそぶりを見せれば、そんなことはしなかっただろう。
 ──人間はやっぱり嘘つき……。
 ヨウルもよく嘘をついた。可愛い嘘からひどい嘘まで。セウルだって嘘をついた。イジワルな嘘から、嬉しい嘘まで。
 嘘には慣れている。慣れているはずなのに、とても落ち込んでいた。彼が義務感からイーシェラを連れ出したのは彼女も分かっていた。それなのに、彼を責める気持ちに彼女は驚くと同時に嫌悪した。
 そう思い、さらに落ち込んでいたときだ。
 気配を感じた。強い、地属性の気配。人ではない。
「何?」
 イーシェラは気配のある方へと足を向けた。知らない町の知らない道。やがて大きな建物が連なる道へと出た。イーシェラにはそれが何で、どこであるかは分からなかったが、その気配がある建物は分かった。
 イーシェラは、しばし迷うもその建物へと足を踏み入れた。
 その建物の中には、深夜であるにもかかわらず所かしこに警備員がいた。警備員達は皆同じ格好をして、周囲を警戒していた。
「ふぅん」
 気付かれずに奥へと行く事は不可能だ。しかし、この気配はどうしても気になった。近付いて分かったのだが、地の気配だけではない。様々な気配があった。これはただ事ではない。なにかある。
 イーシェラはどうしようかと迷っていると、突然後ろから肩を叩かれた。
「おい、お前何をしている?」
 警備員がイーシェラを嘗め回すように見ていた。イーシェラは自分が大人の姿になっている事に気づいた。
 ──ちょうどいいわ。
 イーシェラは声に魔力を乗せた。
「ねえ、いいかしら?」
 歌うように、軽やかに。
「はい。なんでもお聞きください」
 イーシェラのたった一言で、男は魅了され、瞳が空ろとなった。
 ──人間なんて、本当に簡単ね。
 皆精神力が弱い。ローシェルのような強い人間は耐えられるが、普通の人間に耐えられるはずもない。ローシェルが、特別なのだ。
 イーシェラは小さく首を横に振る。
 彼は関係ない。今は、この疑問を晴らしたい。
「ここには何がいるの?」
「何?」
「変な気配があるわ。これは魔物の気配よ。何を隠しているの?」
 男はしばし考え、
「商品です」
「商品?」
「はい。珍しい魔物を裏で売買しています」
 イーシェラは顔を顰めた。どうりで、強い気配を感じるはずだ。ローシェルがいつも過剰に心配するのは、これのことなのだ。そうならないように。人間は、人の姿をしていない者に対しては、何をしようといいと思っているのだ。もちろん、人間が人間を売り買いすることもあるが、それは表立って行われるものではない。だが、魔物なら合法だろう。
 イーシェラは水の魔力を紡ぎ、自身にまとわりつかせる。それを服のような形にする。湖の側にいたときは、いつもこうして服を作っていた。
「案内なさい」
 命令に、男は頷き歩き始めた。
 堂々としていればいい。ちゃんとした格好で案内されていれば、関係者のように見えるだろう。
 人の法など関係ない。
 ──私は私のしたいようにする。
 それができるだけの力を持っているのだから。

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