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暗い洞窟。
方向感覚を失いそうな複雑な洞窟だが、徐々に下に降りて行っているのは理解できる。
光源は、シアの手の平の上で輝く魔法の光のみ。
だからこそ、よけいに不安を煽られる。
「シアさん。本当に大丈夫なんですか?」
「平気ですわ」
彼女はいつものように自信たっぷりに答える。
彼女はいつもの巫女装束ではなく、前あわせの薄青のローブ。腰には緑の布を巻き、帯で絞めている。手にはいつものように黒い棍。隠し武器は数知れず。長い金髪は一つに緩く結っている。
青い瞳は魔法の光によって、いつもとは違う輝きを見せている。
横顔を見ていると、溜息が出るほど美しい。
本当に、見た目だけは女神のようだと言える。領主が一目見て欲したのも理解できるほど。
マシェル自身、彼女と出会った当初、その美貌に一目惚れをした。そして、二日でその恋は終わった。
二日目に、親しくなったからだ。
見ているだけの方がいい美女。それがシアである。
こうして不安な場所を彷徨う時には、彼女の美貌を眺めるのは気分転換になって良い。
「比較的魔物が少ないでしょう? 道の証拠ですの」
「………どういう理屈ですか? それに少ないんですか?」
振り返ると、魔物が死屍累々という光景。
「理屈は簡単です。ここの地下遺跡は肉眼では見えませんけれど、正しい道の壁に封魔の文様が書かれているのです。だからわくたしの魔法は威力が比べものにならないほど落ちていますの。魔物というのは、比較的魔素の多い場所を好みます。ですから、魔素そのものを払いのけてしまうような場所を、魔物は好みません。それが理屈。
そして、道を外れればおそらく、様々な魔物が一家で団欒しておりますの」
その言葉に、マシェルは小さく息をつく。
「どうしてこんな魔物だらけの場所に人が住んでいられるんだろう………」
「邪悪な魔道師ですもの。そういった類は、魔物がうろつく洞窟や塔に閉じこもるのがセオリーです」
「…………いや、そんな偏見……。いくらなんでも番犬代わりに使い魔数匹が関の山だと思うけど」
「そう思って放し飼いにしておいたら、いつの間にか自然繁殖。あげくにいつの間にか外から魔物が入り込んで住み着いていた、というのが実際の所だと思いますわ」
マシェルは納得しかねた。
理由は一つ。
「どうしてそんなに詳しいんですか?」
「似たような例がいくつもありますの。昔のお人は何を考えていたかなんて、わたくし存じませんけれど。まあ、何かが封じられていたとしても、とうに退治されているでしょうから」
「ふぅん。じゃあ、何度も強盗に入っているという訳じゃあないんだ」
「何を言うんです。これは強盗じゃあありません」
説得力がない。
マシェルは小さく溜息をつく。
「だいたい、悪の魔道師って一体何をしているんです?」
「例えば、生け贄を用いて邪悪な暗い儀式を行う」
「な…………大事じゃないですか」
「キメラも飼っていますの」
「キメラの製造は法律で禁止されていますよ」
「だからこそ悪なのですわ。罪のない動物の命を弄ぶなど、凡人に許されることではありませんわ」
──自称天才はいいのか?
それを言うと、彼女の付属魔法(エンチャント)のかかった棍で殴られるのは目に見えているのでやめておく。棍はマシェルの得意とする剣よりも殺傷力で劣るが、その分使い勝手が良く軽い。それを彼女に持たせれば、人を征伐と称した袋叩きの道具と化す。しかもこの細い棒には、いろいろと秘密機能が仕込まれている。
彼女は白魔法の腕もマシェルの知る中で最も優れているが、その身体能力もほぼ同じ事が言えた。
一見女神のように慈愛に満ちた微笑を浮かべながら、じゃれついてきた巨大なコウモリの姿をした魔物を、見向きもせずに正確に棍でたたき落とすほど。
見る限り、きっちりと息絶えていた。
──凶悪な……。
「魔物とはいえ、何も殺さなくとも………」
「殺さないと増えますの。増えると壁をかじりますの。
わたくし、ここの空気が好きなのに、壊されたくありませんの」
「……………よく……来てるの?」
「いいえ。入り口で空気を吸うだけで幸せでして……」
彼女は頬を赤らめる。
顔色までも思いのまま。彼女は性格が悪いので、こういう芸当も可能。
「何が?」
「わたくし、魔素の濃い場所が苦手で……」
変った白魔道士である。
普通ならば、逆を好むのが魔道士だ。
この奥に住んでいるのも魔道士。
ひょっとしたら、二人は同類ではなかろうか。それならば、きっと奥に住まう魔道士はシアの言う通り、どうしようもない邪悪な人物かも知れない。
しばらく行くと、階段があった。
シアは迷わずさらに下へと続くその階段を下る。その後に続いたマシェルは言葉を失う。
今までの道は整備されてはいたが、洞窟そのものだった。しかし、ここから先は明らかに人の手が加わっていた。無機質な、石造りの壁には灯りが灯っている。
「うそだろ?」
「ここから先は、紋様の様式が変わります。魔物がそれなりに出てきますわ」
彼女は平然と言う。
壁の灯りを見ると、松明が燃えているように見えたが、よく見れば実際には別の何かだった。おそらく魔法の道具。しかし、正体は不明。
「これ、良くないですか」
「いいえ。そんなものは、材料さえあればわたくしにだって作れますわ」
彼女に、妥協の二文字はないのだろうか?
「それとも、臆したのですか?」
「そうは言っていないでしょう。僕はただ、ウィトラン様の言葉を思い出して。
それに、シアさんの言うような魔道士、そのままにしておくなど出来るはずがありません」
「さすがはマシェル。そこそこの美形としては、なかなかですわ」
「そこそこで悪かったですね」
シアという、見た目だけはいい人間と比べると、見劣りはするだろう。しかし、これでも結構もてていたのだ。あの神殿に来るまでは。
子供達の相手をしているだけならともかく、なぜかシアまでも一緒になって人の周りをうろつくのだ。
そうなると、一般の女性はシアと見比べられてはたまらないと、マシェルに近づくことすらなくなった。残るは、ウィトラン側近の色物連中。
別に女性にもてたいというわけではないが、出会いの欠片もないのは、男としては悲しいものがある。いつかは何よりも性格のよい、そこそこ可愛らしい妻と、可愛い子供達に囲まれて暮らすのが夢だというのに。
「はぁ」
マシェルは溜息をついて歩き出す。
横から飛びついてきたぷるぷるしたスライムはすっぱ抜いた剣で叩き切り、抱きつくように寄ってきた謎の海草人間は、気色が悪かったので剣で切ることを躊躇い、来る途中拾ってきた小石を、指弾で飛ばし脅して退散させる。
そんな先ほどよりも多少忙しく、それでも息一つ乱さず、二人は奥へと進む。
シアはついに面倒になったのか、呪文を唱え始めた。妖精の歌声かと聞き惚れるほど、美しい調べ。終盤にさしかかり、杖の代わりなのか、棍を掲げる。
光が、シアを包み込む。
そして──一人小さな結界にくるまり、前へと進む。
「ずるいっ」
マシェルは怒る。
「何を言いますの。これが私の技能。勝手についてきた方に、文句を言われる筋合いはありませんわ」
「僕も一緒に入れてくれたっていいでしょうに」
「やぁですわぁ。結界は大きくすればするほど消費しますもの。一人分ならタダ同然ですけれども。ほほほほほほ」
笑いながら彼女は火に飛び入る虫のごとく、やって来た魔物を結界で消滅させる。
これが彼女の戦法。
結界とは、ある意味もっとも強固な力。そして、結界の構築によって、それは触れる者を消し炭にしてしまう機能を持つのだ。
「…………帰ったら、子供達独り占めしてやろう」
「あん?」
「なんでもないですはい」
マシェルは冷や汗を掻く。
──少なくとも、こんな女とだけは結婚したくないな。
マシェルは心から思う。
何より彼女は聖職者。結婚はしないだろう。だから彼女を間違って嫁にもらい、不幸になる男の姿を見る必要はないのだ。
彼は戦慄した。
それは、人間だった。
人間の男女が二人。しかも、恐ろしい力を持っている。
いつの間にか自然繁殖してしまったと、主もほとほと困っているという魔物達をまるで埃を払うかのように惨殺していく。
彼は恐くて恐くて深いところに逃げ出したかった。
しかし、共にいる少女の前で、怯えて震えている少女の前で、それは出来ることではなかった。彼女の前で情けないまねは出来ない。この気の弱い少女を、彼が守らずして一体誰が守るというのだ? しかも、その後主人に叱られることは目に見えている。
例え相手が恐怖の大王だろうと、報告をせねばならない。
「行こう」
「うん」
彼女は微笑んだ。
彼にとって、それが何よりもの原動力だった。
ついに、それらしき扉が見えた。
あとは直線。階段を上り、その奥にある。
まるで魔王の居住地のような、それものの迫力のある扉と作りだ。
「いきますわよ。覚悟は良くて!?」
「はいはい。どうせ何言っても突入す……はい。覚悟はいいです」
澄み切った青い色の瞳に睨まれ、特に持ち上げられた腕が恐くて彼は扉を指さした。
シアが一歩階段を上ると、突然扉が開いた。
姿を見せたのは、一人の青年。二十代前半で、異様なまでの美形。
それはいい。
なぜかところどころ紫の交じる銀の髪。邪悪な赤い瞳。そしてトドメに、どこをどう見ても怪しいとしか言いようがない黒いマントと、その魔物の爪をあしらった金色の肩当て。その二つが、青年を悪の魔道士に仕立て上げていた。その下は、魔道士らしくほとんど黒に使い灰色のローブ。これはごく普通なのに、それすら異様に見えてしまう。
「な…………」
──なんてベタな。
とは本人の前ではさすがに言わない。
「お前は、何をしにここに来た?」
冷たく低い、氷を思わせる声。
──ここまでするなんて、素晴らしいこだわりだ。
もちろん口にはしない。
見た目からしてヴァンパイアのようで恐いから。
「問答無用っ」
シアは言葉通り、相手の言葉も聞かず答えず、風が通るかのように、音もなく一気に階段を上り詰めて飛びかかる。
「いぃ!?」
マシェルは驚いて、その場で固まった。
魔道士はシアの棍を逃れ、階段を一気に下りる。
──し、シアさんの攻撃を避けた!?
そんな魔道士と、目があった。瞬間、すさまじい殺意が向けられる。
彼は突然呪文を唱える。
それは、彼でも知っている殺し以外には使い道のない必滅魔法だった。
「うわっ」
慌てて距離を置く。
彼の持つのは魔剣。距離さえあれば、その術を叩っ切ることも可能だ。
しかし、魔道士はそれを見るやいなや、単身突っ込んできた。
──ま、魔道士が!?
慌ててマシェルは対応する。今度は引かず、前へと出──。
「ていっ」
ようとしたマシェルを無視して、シアは魔道士に跳び蹴りを食らわす。
下手をすれば魔道師の首が折れるような位置の飛び蹴りは、魔道師を一撃でのした。
呆気ない。あまりにも呆気ない、冒険の幕切れだった。
じつはこの背後に何か強大な力を持つ生物がいるというなら、話は続くが。
それはないだろう。
「勝利っ」
彼女は雄々しく手を掲げ、酔いしれる。
確かに、端から見れば正義とそれに破れた悪。しかし、あまりにものあっけなさに、魔道士に同情した。
「ってことで、あさりに行きますわよ」
シアはきっちりと魔道師を縛り──このあたり、彼女の方がずっと極悪人に思える──そのまま放置して奥へと向かう。
「…………まさか死んでないですか?」
「まさか。きっちり急所は避けてくれていますわ。すぐに復活するだろうから、さっさと物色しなければ」
彼女は扉をくぐり、すぐさま目星をつける。
そこは今までとは違い、人のすんでいる気配を感じる場所だった。
赤いカーペットに、今にも動き出しそうな甲冑。
──あっ、本当に動いた。
シアの白魔法により、舜殺されるが。
シアは鎧を蹴り、完全に動かないことを確かめる。彼女はその場で一点に視線を集中させていた。
「ん?」
シアは、鎧の側にあった壁に設置されている燭台に触れ、ひねる。
ごごごごごごっ……。
「いやん。隠し扉発見っ♪」
マシェルは頭を抱える。
──主がベタなら仕掛けもベタだなんて………。
ひょっとしたら、彼は形から入るタイプではないだろうか?
「まてぇぇぇぇぇえ」
遠くで、魔道士の声。
「ちっ」
シアは舌打ちして、部屋の中へと入る。暗闇に支配されているその部屋に、いつの間にかちゃっかりすくねていたらしい、不思議な松明をかざす。
「っ!?」
マシェルは言葉を失った。
そこにあるのは、恐ろしい光景だった。ある意味、この世の終わりを見たようなもの。非常に残酷で、マシェルは一瞬意識が飛ぶ。
「み、見るなっ」
魔道士が、部屋に飛び込んできた。どうやらうまく縄抜けできたらしい。
引きつった、それでいてほんのりと赤らんだ顔をしていた。
「何ですの、このお部屋」
「いいだろうっ、別に。お前には関係ない」
「あります。これ、わたくしの写真ばかりじゃあないですか」
「思い出にすがって何が悪い!?」
そう。その広い部屋の壁を埋め尽くしているのは、シアの写真。しかもそれは、よちよち歩きの小さな頃から、数年前の写真までが揃っている。
シアは昔から美少女で、写真の中の彼女は今と違い、本当に天使のように無邪気に微笑んでいた。時折、シアと並んで魔道士らしき少年が写っていた。しかも、やけに爽やかに微笑んでおり、同じ外見特長でありながら、彼は正義にすら見えた。
「シアさんにもこんな時期があったなんて!?」
「あなた、驚くところはそれですか?」
「……………それ以外に何を驚けと?」
「うーん」
「知り合いなんじゃないかとは思っていましたから」
まさか、こんなに親しげな過去を持つ同士だとは思わなかったが。
「お前達は何をしに来たのだ!? さっさと出て行けっ」
「いいじゃありませんの。これはお父様に報告する必要がありますわ」
「せんでいい」
「何を言いますの。お兄さまのこと、お父様からしっかり見張るようにと言われておりますもの」
「おにいさま!?」
さすがに、今度こそマシェルは驚いた。
二人は信じられないことに同水準の美形だが、顔は似ているとは言えない。しかも、髪の色も目の色も、共通点は一切なし。
なによりも、
「シアさん、自分のお兄さんのところに強盗に来たんですか!?」
「違いますわ」
「違うというのか? 毎回毎回人の大切な魔道器を強奪に来て」
──毎回って、しょっちゅうなんだ。
「お兄様は、放置しておくと現状に満足している限り、すぐに引きこもるんですもの。お兄さまがそうならないようにとお父様からのそれを防ぐようにと拝命しておりますの。ですから、心を鬼にして打開策を取っているまでですわ」
「研究熱心なことの、何が悪いと言うのだ?」
「こもりっぱなしじゃあ体にも悪いですし。健全な人間は日光に当たらなければ」
彼女はそれはもう最高の笑顔で魔道士に抱きついた。
魔道士はシアの『愛らしい』笑顔と、抱きつき攻撃にとまどいの色を見せた。
「壁よ」
「!?」
その後、彼がどうなったかはあえて誰にも言うつもりはない。
非常に不幸になったと言うことだけ、記しておく。
教訓。
悪魔のような女の笑顔に騙されてはいけない。
追記。
彼についての話はあくまで噂であり、事実ではない。
追記の追記。
途中、シアが小さな明らかに人ではない女の子を見つけ、拾って帰った。ほとんど誘拐に近いが、女の子がシアに懐いていたので問題はないだろう。