3

 彼が我に返った頃、大半の子供達は飽きて傍観していた。
 横に伸ばした腕にしがみついているのは、少女が三人。右に一人。左に二人。
 シアのいうとおり、確かに運動不足のせいか身体がなまっている。寝る前に、一通りのメニューはこなしているが、いかせんかつてに比べれば、準備運動程度でしかない。昔は朝と夕。本格的な稽古をしていた。それが今や一日のほとんどを机の前で過ごしているのだ。衰えて当然。
 太りはしていないが、子供の相手をしているだけで疲れるほどとは思っていなかった。
「言っておくが、私は暇なわけではないぞ」
「違うのですか?」
 子供達が自主的に片づけを始め、シアは座っていろと言われたので、くつろいで座っている。午後の一時を心底楽しんでいるように見えた。
「当前だ」
「何をなさっているのです? どうせ無駄な研究でしょう? 私が今ここで仕上げてみせましょうか?」
 彼女は笑ってきついことを言う。
 彼女はあれでも頭がいい。世間一般では天才と呼ばれるような、豊富な知識を持っている。
「で、何の研究をなさっているの?」
「封魔、吸魔だ」
「あら。まっとうな研究ですのね」
「うちの除魔紋様を解析して、応用すれば可能だろう」
「そうですわね。それって、もしかして、この子達のためですの?」
 シアは視線だけをフェアリー・エルフの二人に向けた。
「それもある。きっかけは魔王と呼ばれた男を知って興味を持ったのだがな」
「魔王………ですか」
 シアは目を細める。
 魔王。それは一人の人間に与えられた称号。
 神の力すらも凌駕し、三の月神を殺てしまった男。
結局は神が半神の英雄に武器を与え、それにより退治されたと聞く。ほとんどおとぎ話だが、史実だ。
「まおー?」
 ミアは首を傾げた。
「吸魔という珍しい力を持った人間の男だ。一人の女を拐かして妻にし、それを救いに来た軍勢をたった一人で壊滅させた魔道師だ。魔道の力と吸魔の力。それは相手の魔道を封じ、そしてそれにより自らは枯れる事なき力を得る。
 半神の英雄に倒されるまで、男は人々に恐れられていた。
男は神を殺したから。
神の妻になるはずであった女を無理矢理自らの妻にしたから」
 子供達は、じっとシア兄の話を聞く。
 彼らも知るおとぎ話。
 しかし、魔王が人間の魔道士であったことなど知るはずもない。だから彼らは聞き入った。
「女の人、可哀想」
「いいえ」
 否定したのは、シア。
「確かに、可哀想な話です。愛した男が殺されたのだから」
 彼女は兄を見た。
「元々好きあっていたのは、女と魔道士。
 しかし、彼女は巫女であり王女でした。女は自らの心を殺し自らの国のために神──三の月神に仕えました。その神が、その美しい巫女を見初め、自らの妻に迎えようとしました。
 魔道士は、巫女が誰の者にもならないからこそ、耐えられたのです。
 だからそれを知り、耐えきれなくなり巫女をさらいました。
 巫女もまた、神の妻になりたいなどとは思っていなどいませんでした。だから彼についていった。
 けれども神はそれに怒り、王は国の威信にかけても巫女を取り戻そうと軍を派遣しました。しかし、魔道士の力は圧倒的で、頼みの綱であった魔法兵団も吸魔の力の前には役には立たず、全滅。
 そして、神自らが巫女を取り戻さんと出向き、魔道士は月神を殺してしまいました。吸魔の力は、魔素の固まりである神を相手にしてこそ、最も力を発揮するのですから。
 この時から、三つあった月は二つになったのです。
 そして最後には、風神と人間の間に生まれた子が、神器を用いて魔道師を殺した。半神である故に、力を吸収されても死なず、人でないから強い力を持っている。その神器は魔素を必要としない。
 すべてが重なり、魔道士は破れました。
 それが、真実です」
 子供達は、暗い顔をする。
「まおー、可哀想」
「巫女、可哀想」
 子供達は、魔王に同情的になる。
 シア兄は、驚いたようにシアを凝視していた。
「どこで調べた?」
「秘密ですわん」
「いつもそれだな。まったく、どこでそんなことを覚えてくるのやら」
 それにシアは少し頬を膨らませて言う。
「お兄さまみたいに、巨乳魔女に、鼻の下を伸ばしながら教わったわけでないことは確かですわ」
 妙に、シアが可愛く見えた。
「だれが鼻の下を伸ばした? 私は別に彼女に師事しただけだが」
「お兄さまなんて知らない」
 シアは立ち上がり、去っていく。
「………………何なのだ?」
「乙女心は秋の空、ですか」
 マシェルは小さく溜息をついた。
「………まさか、そのことを気にして?」
「何か?」
「いや。シアがああなったのが、あのころと重なるような………」
「シアをああしたのは、やっぱりお兄さんが原因なんですか?」
「誰がお兄さんだ。妹の何なのだ、貴様は」
 彼はマシェルを睨む。妹に手を出そうとするやつは抹消しておきたいが、子供達がそこら中にいる。いなければ、魔法式の一つや二つ展開していたところだ。
「いや、だから僕は貴方の名を知りません。
 あと僕は彼女の同僚。よくてお友達のマシェルです。初めまして」
 マシェルは立ち上がり、彼に手を差し出した。
 ──胡散臭い。
 と彼は思う。
 しかし、正面から妹さんをくださいとかいう馬鹿どもよりはマシか。
「私はゼオンだ」
 ゼオンが手を差し出したその時だ。
「デュークお兄さまの大嘘つきぃ」
 シアの声が、どこからともなく食堂中に響きわたった。

 

 ──デュ…………。
 マシェルは一瞬それが何のことであるか理解できなかった。
 理解すると、顔がこわばる。
 笑いをこらえるのに苦労した。
「デュ……デュークさん………ですか」
 ここまで見事に悪役の容姿で、正義の騎士の代表的な名。
 親の期待を大いに込められている、正義の味方にあるべき名。
「……………………本名………はな。ゼオンは儀式用だ」
 ほんのり顔が赤い。色が白いので、ちょっとした顔色の変化がはっきりと見て取れる。
「…………ひょっとして、騎士の家系ですか?」
「いいや。道場をしている。あらゆる武器格闘技を教えている」
 何かが引っかかった。それを思い出したのは、すぐ。
「ひょっとして、アークガルド家ですか?」
 彼の動きを思い出す。
 独特の足運び。あれはどこかで見たことがあった。
 そう、あれは武術大会で、とある武術流派の門下生。
 通称、アークガルド流の門下生だった。
 優勝して十四歳で騎士の称号など貰ったことよりも、あんなに強く独特な動きをする者がいるとは思わず、感動したことの方が印象深かった。おそらく、彼は本当に得意な戦法を取っていない。獲ての武器も別のもののはずだ。それでああも強いのだから、もう一度、もっと自由な大会で手合わせ願いたいと思ったものだ。
「ああ」
「大貴族じゃないですか」
 武術の道場では国内随一。二十年前まで王都にあったが、今ではアークガルド家の当主が納める領土の中心へと道場を移した。
 今でも、多くの才ある若者が集まり、技を磨くという。剣の道場ではいというのに、多くの名の知れた騎士を排出している。
 軍部の強化人間製造工場と、影で呼ばれているらしい。
 もちろん、今の王とは折り合いが悪いので、その規模はずいぶんと小さいと聞くが、それであってもその名は轟いている。
 それで、理解できた。
 魔道士のくせに、あの素早い動きを見せたデューク。
 そして、貴族の娘で僧侶であるはずのシアの強さと、その生まれを話したがらないわけ。
「………じゃあ、アークガルドの人間が二人も、なぜこんな関係ない道を………」
「魔法を覚えなければ、私の邪眼は意味がない。だいたい、いつ暴走するか分からないというではないか。
 だから偶然知り合った腕の良い魔女に弟子入りした。シアは何が気に入らなかったのだろうか?」
「それが気にくわなかったんだと思いますけど」
「なぜ?」
 シアの理想からかけ離されたたこと、なのだろうが。
「お兄さんを取られたような気になったんですよ。話を聞いていると、昔は活動的だったのに、今はインドア派になってしまったみたいですし。取られた上に変えられてしまったのが、気にくわないんだと思いますけど」
 それにデュークは顔をしかめ首を傾げる。
「シア兄、それじゃあ女の子にもてないねぇ」
「格好いいのに」
「もったいなぁい」
 それを言うのが、十歳前後。ミアと同じ年頃の少女達だった。

 

 子供達は、驚くほど物怖じしない連中ばかりだった。
 普通、邪眼の人間が子供に好かれることはない。それがあるとしたら、彼の師がそうであったように、信頼を得るだけのことをして、ようやっと好意をもらえるものだった。
 だが、この子共達は平然とデュークの長い髪で遊んでいる。癖のない風変わりな銀髪で、長い三つ編みを何本も作られている。
「…………ふぅ」
 抵抗するのも飽きた。
 彼ら、彼女らは邪眼をまったく怖れない。
 大人のマシェルでさえ、そうなのだ。
 あり得ない。
 邪眼と呼ばれる赤い瞳。見つめるだけで相手の命すら奪うことの出来る瞳。デュークの邪眼は黒みがかっている。彼の師のような血のような赤ではない。だから強大な魔力そこ与えてくれるが、人を一瞬で射殺せるような力は備わっていない。それでも動かない相手をじっと見つめ続ければ殺せる。その程度だ。しかし、素人にそんなことが分かるはずもない。そのくせ、邪眼の恐ろしさだけは知っているのだ。だから邪眼の人間は迫害され、怖れられる。
 信頼を得るために、昔は努力をした。感情が爆発すれば人を病にする程度の力はあるので、心の制御を覚え、それを道場で心身を鍛えることによって確かなものにした。
 それでも、純粋に何の気兼ねもなく慕ってくれるのは、シアだけだった。
 両親ですら、彼をどう扱っていいのか分からないようだった。父はただひたすらに厳しく、母はただ優しいだけだった。
 邪眼は遺伝ではない。突然変異によるものだ。彼の風変わりな髪もその影響だろうと師に言われた。彼の師は、絹を墨で染めたかのような、美しい黒髪だ。統計的に邪眼の人間は肌も髪も色素が薄い傾向があるらしいが、師はそれに当てはまっていないらしい。だが、かえってそれが師に迫力をつけるのだ。
「十本目っ」
「お兄ちゃんおもしろーい」
 デュークは不安になる。これでも容姿には気を使っている。これまで崩すと、本当にシアが口を利いてくれなくなるような気がするからだ。だから、現在の自分の姿を想像すると恐ろしい。
「みんな。そろそろデュークさんを解放してあげよう」
「ご主人様、かわいい」
 ミアまでもが、手を叩いて喜んだ。
 ロアは吹き出すのを堪えている様子だ。
 ロアまでも子供達の中に馴染んでいた。子供の順応性の高さには驚かされる。
 ──たまには、こういうのもいいか。
 人間すべてに心許してもらっても困るが、同年代の友人を作らないというのも、問題だ。彼らは、同種族の知り合いなど他にいないのだ。
「ミア。体調は本当にいいのか?」
「はい。おねーさんがいつも魔素を集めてくれるから」
 彼女は笑う。
 デュークの持っていたアイテムの中に、そんなものは存在しない。そんな魔法も聞いたことはない。
 可能性としては、魔素を払うようなものを使い、追い込んで高濃度の魔素を作り上げる。デュークはそうやって、二人に食事の場を与えている。しかし、それには規模の大きな壁がいる。
 ──まったく、どこで手に入れたのやら。
「マシェル、と言ったか?」
「はい」
「シアはいつも、何をしているんだ?」
「シアさんですか? だいたいここにいて子供達と一緒に遊んでますよ。
 それか神殿に勤めに行っているか。時々神殿の事情で町の外にも行きますけど。シアさんの白魔法は、神殿一ですから。本当なら、こんなところにいるような器じゃないんですけど」
 デュークは、あまりにも彼女らしい生活に、溜息をつく。
「地位を求めるあの娘など、想像もできん」
「ええ」
「しかし、一体どこからあの知識やら道具やらを仕入れてくるのやら。昔は魔法など習ってもいなかったというのに」
「………………いつの話ですか?」
「五年前だ。私がしに弟子入りした頃。私が十五だったから、あの子は十二だったな」
 その五年間に、何があったのか。
あの遺跡に住み始め、シアに初めて強盗されたのが一年ほど前。そのころには、すでにああなっていた。
「昔は病弱な子だったのに」
「は!?」
 マシェルが、立ち上がる。その足下にいた子供が、ころりと横に転がり、膨れ面をする。
「病弱!?」
「そうだ」
「あのシアさんが!?」
「そうだ。稽古にも出たし、それなりに強かったが、なにせ身体が弱かったから、すぐに倒れてな。
父もシアがあの見た目だからな。娘を心配して、自衛の手段は叩き込んだが、娘の身体には傷を付けないよう、気を使っていたな。突然めまいを起こして倒れる娘だったから、シアが出ていくといつも疲れた顔をしていた」
「……………そ、それがああなったと……」
「まったく、ずいぶんと丈夫になったものだ」
 丈夫になったのはとてもよいことなのだが、可憐なイメージしかなかったシアがああなってしまっては、成長自体を恨んでしまう。
「ちょっと待ってください。五年前十五歳?」
「ああ」
「………現在二十歳?」
「ああ」
「それで僕と同い年なんですか!?」
「それでとはどういう意味だ? 年相応だと思うが」
「二十四、五だと思ってました」
 その言葉に、デュークは傷つく。
 確かに昔から歳よりも上に見られた。しっかりしているとか、背が高いからとか、冷静だとか、無表情ぎみというのが、あまり幼く見えないからだ。しかし、実年齢よりも五つも上に見られると傷つく。
「ご主人様。悲しい?」
 いつの間にかミアが隣にたたずみ、見上げながら問うてきた。泣きそうな顔をしている。
「いや、気にすることはない」
 彼女は感化能力が高い。それはフェアリー・エルフの雌に現れる傾向だと文献にはあった。デュークは常に近くにいるので、彼女にとっては身近な精神。よけいに感じ取りやすいのだ。
「本当に?」
「ああ。問題ない」
 ミアはデュークの腰にぎゅっとしがみつく。
 ──ふむ。ホームシックだったのか。
 彼女にとって、一人で知らない場所に行くなど、初めてのことだっただろうから。
 デュークはほんの少しだけ、頬がゆるまる。
「分かったぁ。デュークにーちゃんロリコンだぁ」
「ロリロリぃ」
「変態ぃ」
「シスコンのロリコンん」
 子供はそれでも可愛いとは思うが、深く関わるとろくな事がないのだと、デュークは知った。
 こうして、平和な時は過ぎて行く──

 

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