4   

 

 それに触れる。
 それは途方もない苦痛を伴うことだった。
 しかし、これが彼女にとっては唯一の存在意義。
 頭の中に流れ込むのは、理解することすらできないものばかり。
 そこから拾い集められる物はごくわずか。
 それでも、そのごくわずかが人類にとっては大きなものである。人の理解の許容範囲を越える、恐ろしいほどの知識の中、彼女は必要な物だけを必死になって拾い集める。本来は、これは彼女のものでない。
 一瞬、気が遠くなる。
 それでも、拾う。
 倒れ、それでも忘れないようにする。
「ソーラ姉さん、大丈夫?」
 弟が彼女を支えてくれた。
「はぁ……はぁ」
 肩で息をつき、彼女は起きあがる。
「つかめたか?」
 主が、彼女に問いかけた。
「はい」
 一言答える。それだけで辛い。しかし、続ける。
「完成の日は………間近です。
 それは……貴方様の……真の栄光の……日」
 跪き、そのマントの裾に口付ける。
 彼は満足げに笑う。
「貴方様に刃向かう愚かな者達も、貴方様に跪く事になりましょう」
「ようやく…………」
 それはとても長かった。
 その時の長さは、彼女にとって辛い時だった。
 役立たず。そう言われることを怖れ、消えてしまいたくなった。
「よくやったな」
 彼のこの言葉が───
「ありがたき幸せ」
 救い。
「さっそく、最終段階に取りかかります。行こう、ムーア」
 作るべきは絶対の恐怖。
 刃向かう気すら起きない恐怖。
 彼にその座の永遠を与えるため。そのための、兵器。

 ウィトランは夕食を終え、幸せな時を過ごしていた。
 食後にソファでごろごろする。
 それがウィトランの幸せだった。
 今日は一日そう忙しくはなかった。
 なぜか呼びもしない来客が来てくれたが、それもまたよし。相手をしているのはシア。もしもの時もこれにより事がスムーズに行くかも知れない。
 ──うむ、なかなか順調。
 胃の痛くなるようなことも起きないし、この先ずっとこうならいい。時には子供達に囲まれる。若い神官長として、奥方達にちやほやされる。そんな今が幸せだ。
 シアにはジジくさいと言われるが。それでも構わない。
 ウィトランはしばらく身体を丸めて転がっていたが、やがて近づく気配を感じて起きあがる。
 ドアを叩く音。
「ウィトラン様」
「ローザかい? 開いているよ」
 ドアを開けたのは、十代半ばの少女。
「ウィトラン様、不用心ですね」
「私にとっては、鍵などあってもなくても一緒だよ。それよりも、なにかあったのかい?」
「愚者様……いえ、セス様からの伝言です。時が来た、と」
「もう?」
「はい。連中は何かを作っている様子です。これ以上は危険です」
「何かって?」
「それは、魔術師様に聞けと」
「それで、何か言っていた?」
「タチの悪い兵器、と。どんなものかは特定できないけれど、欠片が向こうにもあるのだから、可能性は高いと」
 ウィトランは、頭を抱えたくなる。
 平和は長くは続かない。
「とりあえず、ここを突き止められているわけではありません。主に動くのは他の方々で、ウィトラン様は様子を見て動いて欲しいと」
「様子を見て、ねぇ。難題じゃないか」
「隠者様であれば可能だと、セス様が仰っておりました」
「無責任だね。まあ、いいけれど。
 ローザ、疲れたろう。君ももう休んでおいで」
「いいえ、これから太陽様の元へ」
「大丈夫かい?」
「はい」
 ローザは頷く。
 いつも、子供にこんなことをさせていることに罪悪感を覚える。
 しかし、意味のないことだ。
「じゃあ、行っておいで」
「はい」
 ローザは部屋を出ていく。
 ドアが閉まるまで見送り、ウィトランは脱いでいた上着を羽織る。
 皆に伝えるのは、彼の仕事だ。
「分かっていたこととはいえ…………」
 やはり、つらい。
 これから、子供達とはあまり会えなくなるから。

 夕食後、そろそろ帰ろうとしているところを子供達に遊ばれているデュークは、あるものを見て動きを止めた。
 シアは笑顔だった。
 不気味なほど。
 そうやって、彼女はデュークにすり寄った。
 デュークは──無表情すぎて何を考えているのか想像も付かない。
「お兄さま。今夜は泊まってくださるわよね?」
「………………どうした、シア。酒でも飲んだのか?」
「お酒なんて無駄にお金のかかるもの、飲みませんわ。料理には入れますけれど」
「そうか。そうだな。お前は酔うと………で、どうしたんだ?」
「久しぶりに兄妹仲良くいっしょにお風呂に入りましょう」
 その台詞に、マシェルは飲んでいたお茶でむせる。
 デュークは完全に硬直している。
「シアさん………いい歳して何ふざけたこと言ってるんですか」
「嫌ねぇ。ふざけてなんかいないわよ。ねぇ、お兄さま」
 シアは兄に身体を押しつける。
 もしもこれで他人なら、誘惑しているとしか思えない。
「ふざけるな」
「お兄さまが冷たい。ミアとロアと一緒にはいるもん」
「そいつらは翅が痛むから下手なことをさせるな」
「なら今夜は一緒に寝ましょうね」
 勝手に決められ、目を白黒させるロア。
 ミアはなすがまま。
「お前は寝相悪いだろ。そいつらはうつぶせに寝るから、下手に腕なんか乗せられると翅が痛むからやめろ」
「お兄さまなんて嫌い。くすん」
「あのなぁ」
「なーかしたなーかした。みーんなに言ってやる」
「…………みんな?」
何に反応していいのなら分からないのか、彼にとっては一番気になる部分を問うた。
「いろいろな人」
 デュークは顔を顰める。
「デュークなんて聖騎士みたいな名前の」
「見た目極悪魔道師が」
「超絶美少女にひどいことして泣かしたって」
「シアねーちゃんの親衛隊連中が怒り狂って闇討ちするよ」
「ねぇ」
 皆、驚くほど息が合っている。
 これ以上ない、面白い玩具が帰ってしまいそうなので、後悔しないよう遊び尽くそうとしているのだろう。
 そのようなときの子供達は、驚くほど意気投合する。ケンカが起らないことはよいことだ。
 マシェルは一人お茶をすする。
「親衛隊!?」
「うん」
「いっぱい」
「とっても強いんだぜ」
「だってみんなナ………危ない危ない」
「言っちゃダメだよ」
「何のこと?」
「秘密ぅ」
 なにやら、子供達の間に不穏な空気が流れる。
 彼らにもいくつかの派閥がある。
 ローザやエルマを筆頭とする、シア崇拝派。
 セリアやロンを中心とする遊びたがり派。
 ちなみにマシェル派もいるが、少ない。
 秘密を口にしたのは、シア崇拝派。筆頭のローザやユーノが見あたらないが、彼女らは魔力持ちで、神殿の方で白魔法の修行中だ。時には神殿に泊まってくることもある。
「ほらほら。みんなケンカしちゃダメですわ」
「はーい」
 シアにはどの派閥もこの上なく素直。
 言うことを聞かない子は、シアのお仕置きが待っている。
公開お尻叩き。
誰も皆の前で臀部を叩かれるのは恥ずかしいようだ。
「シア、私は、帰る」
「どうして? せっかく来たのに」
「なぜ泊まる必要がある?」
「………………お兄さま、やっぱりわたくしのことがお嫌いになられたのですか?」
「だからなぜそうなる?」
「もう………こうなったら、そこら辺の適当な悪辣金持ち誑かして、遺産目当てで結婚してやるっ」
「………分かったから。泊まるから。男を破滅に追い込むのはやめろ」
 放っておけば、本当にやりかねない。しかも指一本触れさせず結婚まで持ち込み、事故死させるのだろう。それが出来るのが、彼女だ。
 汚いことをしている人間だから構わない、というのが彼女の口癖だ。一度悪事に手を出したという事実があれば、それはどんなことであれ一生消えず、死を覚悟していなければならない。それが当然の報いである、と。
 デュークは乱暴に、先ほどまで腰掛けていた椅子にもう一度座った。
「良かったわねぇ、みんな」
「うん」
「じゃあお兄さま。明日は雨漏りの修理をお願いしますわ」
「おい」
 デュークは無表情に青筋を立てていた。
「そんなのこいつにやらせろ」
「無理ですわ。マシェルは不器用ですの。雨漏りの修繕なんて高度なこと……」
 この建物は、昔の神殿。もちろん、立派なものではない。新しく立派な神殿を建設したからこそ、本来取り壊す予定だったこの建物が孤児院になったのだ。老朽化も激しい。
「役に立たない男だな」
 デュークはマシェルに白い目を向ける。
 マシェルは視線を逸らす。
 人間誰しも名苦手なものの一つや二つはある。マシェルにとっては細かい作業と一部の女性が苦手だった。
「雨漏りの規模は?」
「ここの真上ですわ」
 デュークは上を見上げる。
 シミになっている。
 この季節は雨が少ないので問題はないが、冬になれば問題が出てくる。
 発覚したのは援助打ち切り問題が発生する前日のことであった。
 本来なら、明日シアが屋根に登るはずだった。
 ──道理で引き留めるはずだ。
「まったく」
「お兄さまだぁい好き」
 シアはデュークの頬に音高くキスをする。
「好きぃ」
「ちゅう」
「突撃ぃ」
 十歳前後の少女達が、言葉通り突撃し、ほっぺたにキスをする。
 ほとんど頭突きをされているに等しい集中攻撃を受け、デュークはたまらず立ち上がる。出遅れた子供達は残念そうに彼にぶら下がった。
 子供でも、綺麗な男が好きなようだ。
「あんた達、デュークにーちゃんが嫌がってるじゃない。三つ編み程度ならともかく、突撃は失礼でしょ」
「……………なんだ。普通の子もいるんじゃないか」
「ぶー。エルマのいいこぶりっこ」
「とにかく、あんたたちその方から離れなさいっ」
「いいのよ、エルマ。お兄さま、嫌がっていないから」
「でも………」
「お兄さま、子供にここまで好かれるなんて、たぶん初めてだから。逆に実は喜んでいらっしゃるのよ」
「そうなんですか!?」
 マシェルは驚いた。
 デュークはまったく否定する様子はない。面白くはなさそうだが、それは言い当てられたことに関して。
「ほんと、物怖じしない子達ですわ」
「程度が過ぎないか?」
「嬉しいんですよ。若い人が尋ねてくることなんてないですし。この子達、面食いですから」
「……………」
「それに、わたくしも嬉しい」
「ふん」
 デュークは照れたのか、しがみつく子供達を振り回す。
 それを見て、少年達も飛びつく。
「お兄さま」
「何だ?」
「ごめんなさい」
「は?」
「いえ、なんでも。わたくし、お風呂に入ってきます。大きな浴場ですから、後でお兄さまもどうぞ」
「ああ」
 彼女は何人もの子供達を従えて、浴場へと向かって言った。

 翌日、子供たちに会いに着たというウィトランは、その光景を見て頭を抱えた。
「ウィトラン様?」
 ウィトランは突然やって来て、そういえばとデュークの所在を聞いた。昨日言葉を交わして気になっていたという。それでマシェルは洗濯物を干す手を止めて、屋根の修理をするデュークを指さすと、それだ。
「し………シア」
「はい」
「お前は本当に大胆な子だね。客人にあんなことをさせるなどと………」
「ああいうこと得意ですのよ、お兄さま」
「なぜアークガルド家の長男がそんなことをする事態に陥るのか、聞きたいものだね」
「ボランティアですわ。アークガルドは道場でしょう? お父様、素質のありそうな子供をよく誘うから、草民とも仲が良くって。
しかしお兄さまあんな目をしていらっしゃるから。
少しでも人々と仲良くなろうとして、いろいろとしていらっしゃいましたもの。おかげで目を合わせただけで怯えられることはなくなりました」
 彼女は当時を思い起こし、うっとりと語った。
 現在、デュークはマントやローブではなく、マシェルの服を借りて着ている。彼の身長はマシェルよりも少し高い程度で、サイズ的には問題はなかった。ただ、着る人間によって、服というのは表情をがらりと変えるのだと初めて知った。
 彼のように、現実に──髪とか──キラキラと輝いているような美しい人間は、何を着ても似合うと言うことだ。
「お兄さまぁ、がんばってくださいませぇ」
「がんばってぇ」
「がんばれよ」
「……………無邪気だね、君まで」
「何か問題があるんですか?」
「私が頭を痛めている方が夢のような気がするよ」
 ウィトランは顔を引きつらせて言う。狸の彼がこんな表情をするのは珍しいこだ。
「何かあったんですか? 資金、足りなかった、とか、そういう問題じゃ…………」
「そのうち、君にも話すよ、マシェル」
 マシェルはそれ以上は問わなかった。
 ウィトランが一人で何か怪しいことをするのはいつのものことだ。後で話すと言うのだから、そうなのだろう。
「ところでウィトラン様。ローズの方はどうなさったのでしょうか?」
 シアは予定よりも帰るのが遅い少女を心配し、不安げに問うた。
「太陽へ」
「あら、まあ。大変」
「他の太陽神殿へ行ったんですか? なんでまた」
 ここも一級神である太陽神を奉る神殿だ。この国は太陽神が人気があり、太陽神殿が多い。
「ん。ちょっとお使いにね」
「ローザもいろいろ大変なんだなぁ」
 屋根の上のデュークも大変そうだが。
 ──しかし、ことあるごとに魔法を使うのはどうかと思うけど。
 屋根に登るのも、荷を運ぶのも魔法。探査魔法の一種で雨漏りしている部分、危なそうな部分を探り出し、唯一金槌だけは自分の手で振り上げる。
 ──魔法って、便利だなぁ。
「さすがはお兄さま。展開が早い早い」
「展開?」
「魔法の式ですわ。鈍感な貴方には視界の隅にも写らないでしょうが、魔法というものは呪文を唱えるだけではなく、魔法の式を周囲に放ち呪文を最低限に短縮することもできるのです。まあ、目に見にくい立体魔法陣を、魔力により一瞬で構築することだと覚えておいて間違いはありません」
「早いと発動が早くなるんですか?」
「そう。早い人になると、呪文を唱える必要もないほど複雑な式を簡単に展開します。そうなれば、引き金となる呪文を唱えるだけです。つまり、実践派の魔道師に何よりも大切なのは、より複雑な構成を、より早く展開することです。平均しますと、物を浮かせる術は七秒かかります」
 デュークはどう見ても、少し唇を動かすだけ。
 水面下で、それほどの事をしているようには見えない。
 ──魔法って、才能だよなぁ。やっぱ。
 そんなことを考えデュークを眺める。
 デュークはちらりと下を見る。目が合った。
「デュークさん、終わったんですか?」
「ああ」
 デュークは工具を魔法で地に下ろし、自分は飛び降りる。地面直前で一瞬身体が浮き、見た目も格好良く着地。
「すごーい」
「も一回やって」
「アンコール」
「アンコール」
「やらん」
「ケチ」
 ケチ呼ばわりした少年をつかみあげ、デュークは肩に担ぐ。みんな楽しそうだ。
「ご迷惑をおかけしました、デューク様」
 ウィトランはデュークに深々と頭を下げた。
「迷惑だった」
「だそうだが、シア」
「別にそうでもない」
 シアや子供達に見つめられると、とたんに訂正する。
 ──いい人だな、この人。
「ウィトランさま、なにしにきたのー?」
「まだお昼前なのにぃ」
「ん。暇だったからね」
「暇?」
「珍しい」
 子供達も素直に驚く。
 彼はいつも人々が詰めかけてくる朝から昼にかけて忙しく、昼を過ぎるとようやく落ち着き、遊びにやってくるのだ。
「もう帰らなくちゃ行けないけどね」
「ウィトラン様、もう帰るんですかぁ?」
 エルマが、寂しげに彼にまとわりつく。その彼女に、ウィトランはこっそりと後ろ手に何かを渡す。
──ん? なんだろ………
「みんな、今日も元気でね」
「はーい」
 ウィトランは、眼鏡を押し上げ、背を向けた。
 ──なんか………。
 とても寂しそうだった。
「さてと。わたくし、昼食の準備をしてまいります」
「あ、あたしも」
 シアとエルマは厨房へと向かう。
 あの組み合わせというのが、何か陰謀じみたものを感じる。
 最近、彼らの周りでいろいろな変化が起っているような気がするが、それは杞憂なのだろうか?
「さて、これで私も帰れるな」
「もう帰るんですか? 昼ぐらい食べてってくださいよ」
「金がないんだろう?」
「一人ぐらいなら変りませんよ。シアさんもそのつもりのようだし。何よりも……」
彼はある意味スポンサーである。
 ほとんど強盗に入ったにも等しいが、そのことは文句を言わないのだから、気にしていないのだろう。
 不良妹が遊ぶ金ほしさに兄の財産を強奪したのとは、わけが違うのだ。この子供達が食いつなぐためと、分かっているから子供達の前では何も言わない。
 ──やっぱり子供好きなんだなぁ、この人。
 今もすっかり一部の子供に気に入られた彼は、数人の女の子達に引っ付かれている。のどかで、いいと彼は思う。
 しかし下手に人に見られれば、子供をさらう魔王の図、に見える可能性が高い。
「ねぇねぇ、デュークおにーちゃんって強かったって、シアおねーちゃんいってたけど、マシェルとどっちが強いのかな?」
「は?」
 マシェルとデュークは顔を見合わせる。
「さあな」
「魔法を使われたら、防戦になっちゃうからなぁ。
 分かんないな」
「なら、いつもみたいに、お稽古して」
「稽古?」
「シアさんの相手をさせられるんですよ。なまるからって」
「ああ」
 子供達はなおも言い寄ってくる。
 二人は顔を見合わせる。
「だめだよ、みんな。二人が困っているだろう」
 いつの間にか、少年が子供たちを取り押さえていた。
 十四歳の、院の中では最年長の少年だ。
「ユーノ、いつ帰ってきたの?」
 このユーノも、魔力を持っているからと、他の神殿へと使いに出されることが多い。彼も才能がある子供だ。神殿関係を回っていたのだろう。魔力持ちは多くはない。
「さっき。まったくもう、君たちは。その人たちに失礼なことしちゃだめ」
「ユーノの意地悪ぅ」
「君たちはっ!
人のことも考えなさいっ」
 ユーノは子供達を叱りとばす。
 対立のムードが漂う。
「こらこらこら。みんなケンカをしてはいけません!」
 エプロン姿で駆け寄ってきたのはシア。
 様子を見て、慌てて飛び出してきたのだろう。ここからも見える厨房の窓が開いていた。
 珍しい、シアの助け船だ。
「何をもめているのですか?」
「みんながにーちゃん達のどっちが強いか、手合わせしてみろってせっつくんだ」
「そんなこと。マシェルに決まっています」
 断言され、さすがにデュークはむっとしたような顔をする。
「どーして?」
「装備の差です。お兄さまはろくな装備をしておりません。しかし、マシェルの剣は破魔の剣。魔法を切り裂く名刀です。
 その上お兄さまときたら、ろくな鍛錬もしていません。
 ならば、当然ある程度の鍛錬を欠かしていないマシェルが上です」
 それを聞き、デュークはマシェルの剣を見る。
「見てもいいか?」
「へ、剣? いいですけど」
 デュークはマシェルから剣を受け取り、すっぱ抜く。
「………………ふぅ……ん」
 刀身。それに刻まれた模様に見える文字を見て。
「似ているな」
 彼は柄にも目を向ける。
「…………ふむ。やはり破魔の呪式か。初めて見るのもあるな」
「さすがお兄さま」
 シアは拍手する。
「それでちゃあんと鍛錬してくださったら、完璧なのに……」
「魔道士は魔道の研究が鍛錬だ。それに、基礎はしている」
「はぁ。もったいない」
 シアは大仰に溜息をついてみせる。
 それからユーノに視線を向けた。
「ところでユーノ。帰ってきたばかりで悪いけれど、ミランのところにお使いお願いできるかしら?」
「いいよ」
「じゃあ、これを届けて」
 シアはユーノに白い封筒を渡す。
「何ですか?」
 マシェルは問うた。
「ふふ。乙女の秘密ですわ」
「………………怪しい。今度は何を企んでいるんです?」
 マシェルはしゃれっ気のない封筒を見て呟く。
「お友達と文通して何が悪いというのですか? わたくしとミランの友情は厚紙程度には強固ですのよ」
 ──友情って………。
「厚紙ぽっち……」
「まあ、厚紙を馬鹿にしてはいけませんわ。形状と力を方向によっては、かなりの負荷に耐えられる優れたものなのですから」
それはつまり、利害が一致した場合のみ、強固になるという意味だ。
「シアねーちゃん……………。
 まあいいや。行って来る」
「ん、行ってらっしゃい」
 シアは手を振り見送る。
「あと、お兄さま、マシェル」
 シアは、何かを差し出す。反射的に受け取り──
「…………あの……これは?」
「切磋琢磨するというのは、よいことですわ。稽古なさいませ」
 高笑いを残し、シアは風のように去る。
 二人は、受け取ってしまった木刀を眺め、しばらくの間呆然と突っ立った。

 その部屋には、何人かの顔見知りが集まっていた。
「あら、ユーノ。てっきりエルマが来るかと思っていたわ」
 ユーノは何も告げず、シアから渡された手紙をミランに渡す。
 ミランは素早くそれに目を通す。
「……………どちらでもいい、か。
一番困った解答だわ」
「僕の意見も同じです。どちらがいいとは言えません」
 ユーノは朗らかに微笑んで言う。
ミランは他の面々を見回す。
「シア曰く、どちらになるかは運命が決めることだそうだけれど」
「あの方がそう仰られるなら、問題はありません」
「お前は、本当にシアの信奉者ねぇ。リグ」
 リグ。そう呼ばれる、冷たい雰囲気の青年は目を伏せた。
「あの方は国一の知恵者。
 それは誰もが認めざるを得ないこと」
「馬鹿ねぇ」
 ミランは笑む。
「知識と知恵は違うのよ」
「我らが長を侮辱なさいますか」
「事実を言ったまでよ。でも、その知識が厄介なこと」
 ミランは手紙を握りつぶし、一瞬で灰にする。
「ねぇ」
「なぁに? ユーノ」
「万が一、関係のないみんなが巻き込まれるなんてことはないよね?」
「さあ」
 ユーノは小さく息をつく。
 この人達は冷たい。
 子供など、二の次だ。
 大切なことはたった一つ。
「ローザが帰ってきたら、動かなければなければならないと、シアに伝えてくれる?」
「…………ローザはいつ?」
「明日」
「明日…………」
 ユーノは小さく溜息をつく。
 明日、すべてが終わり、すべてが始まる。
 今までの罪を明かし、これからも罪を重ねる。
 だが、おそらく一番気にするのはシア。
 初めて彼女に出会ったときから、ずっとずっと、憧れていた人。
 美しく、賢い、国要。
「大丈夫よ、ユーノ。
 上手くいけば、みんなは幸せになれるわ」
 ──そうなるなら、いいのに。
 それならば、どんな罪でもかぶる。
「私たちは修羅よ。そのために、生かされ、育てられたの。これからも」
「分かってるよ」
 存在意義。
 これは、自分たちの存在する価値を確かなものにするために、ただそれだけのために行っていることなのかも知れない。
 それでも………。
「じゃあ行くよ、女教皇」
 それは、未来なのだ。

 

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