5

 

 その夜。
 結局また泊まらされ、安物だが、香草と日光の匂いのするベッドで眠っていた。
 ちょうど丑三つ時に、使い魔が飛んできた。眠りの浅いデュークは、目を開ける。夢を見ていたような気がするが、内容は忘れた。
 デュークは窓を開けてやり、使い魔を部屋へと入れる。
「なんなんだ?」
「大変です。侵入者です。何者かが進入し荒らし回ったあげく、誰もいないと知ると何も取らずに帰っていきました。ご主人様を狙っている様子でした」
 率直な感想は『なんて迷惑な』だった。
 掃除をするのは使い魔だが、資料の整理をするのは自分だ。使い魔では出来ない高度な作業だからだ。
 なんて酷いことをする人間がいるのだろうかと考える。
 彼は、少しだけ寝ぼけていた。
「ミア様とロア様は?」
「シアと同室で寝ている」
 ベッドは別で。
「それなら安心」
 コウモリの羽根を持つ黒猫は、安堵した様子で入ってきた窓枠に立つ。
「私は帰ります」
「ああ。報告ご苦労。明日は帰……」
 デュークは、使い魔の尻尾を掴み引き寄せる。
「ぎゃ!?」
 使い魔の悲鳴は無視。
 彼は窓枠に座る異形を見て舌打ちする。
 ねじ曲がった角を持つ、人をベースにした出来の悪いキメラのような醜さ。
「魔族か」
 魔道式を展開し、ベッドから転がり落ちる。
 立ち上がると、ベッドに大きな穴があった。
 使い魔は部屋の隅に投げ捨てる。
 手がふさがっていては話にならない。
「光の微笑み 宿り 撃つべし 我が敵」
 彼の可能な限り最短の、高位の攻撃魔法。本来ならばかなり長い呪文も呪式構成でカバーし飛ばし飛ばし口ずさむ。
 魔族の口から吐く酸を避けながら
「疾く」
 手を前に出し、最後の言葉を唱える。
「闇払うめが…」
 がちゃ。
 どす。
 あっさりと、人の完成目前の術を台無しなしにしたのは見覚えのある一振りの剣。
 破魔の剣。
 それを脳天に突き刺した魔族は、黒い霞となり消える。
「ばかな…………」
「あれ………消えちゃった……」
 脳天気に言うマシェル。
「貴様はなぜここにいる?」
「なんか、変な気配がしたから来てみたんだけど。そしたら物音も聞こえてきて……。なんです、あれ」
「さあな」
 内心舌を巻きながら答えた。
 殺意を実行に移そうとした瞬間まで、彼はあれの存在に気付かなかった。シアが絶賛する理由が、ようやく理解できた。
「私は何か恨まれることでもしたのだろうか?」
「いや、そんなこと僕に聞かれても……」
「そこの馬鹿猫に聞いている」
 ようやっと、起き出した使い魔の首根っこを掴む。
「分かっているのは、お前が連れてきたと言うことだ」
「も……………申し訳ございません」
「あ………あれぇ?」
 声に振り返ると、入り口に十代前半の少年。
「…………………あの………。なんでマシェルにーちゃんが闇討ちなんて……」
「違うっ! ただ、なんか化け物がいたから」
「ば………」
 少年は背後に合図を送る。誰かが、去っていく気配。
「化け物って?」
「魔族のように見えたが、やったら消えた」
「……………ちょっと、二人とも来て」
「どうしたの、ユーノ。恐い顔して」
「いいから」
 ユーノと呼ばれた少年に、仕方なく二人は続いた。
「ユーノ、ほんとうにどうしたんだい?」
「今、会議をしていました。詳しいことはシア様が話してくださいます………本当は、予定よりも早いのですけれど」
「は!?」
 彼は、食堂に向かっているようだった。
「…………なんか、また来た」
 マシェルが振り返り、足を止めようとする。それを、ユーノは引っ張り前へと進ませる。
「いいから、走って」
「一体何なんだ!?」
「いいから。あれは、やばい」
「何が!?」
「ちっ、追いつかれる。走って、食堂へ」
「おい!?」
 ユーノは足を止め、二人に先に行けと言う。
「みんながいるから!」
 そう言って、ユーノは両手を広げる。
 彼が向かうのは、ヘドロのような這いずる黒い物体。
 そして驚くほど鮮やかに、繊細な魔道式を組み立てる。
「あんな子供が………」
「ユーノ」
「来い、あの少年にはあの少年なりの考えがあるらしい」
「でもっ」
 あれが見ていないのなら、彼が理解できないのは当然だ。
「溟々なる水紋の神よ」
 水の檻が影を捕らえる。
「さあ、はやく。時間稼ぎにしかならないっ」
 マシェルは、ユーノが魔法を使ったことに、大きく戸惑いながらも、背中を押されて走る。
「水檻の術は、捕縛するための術としては、最高位のはずだが」
「魔道士に、生半可な魔道で対抗できるものを刺客として送りつける馬鹿はいません」
 もっともだ。
「どこで覚えた?」
「お望みとあらば、あとでいくらでもお話しいたします。
 今は、ただお急ぎください」
 ──確かに。
 今はそんな場合ではない。
 あんな化け物に追われて、楽しく会話など出来るほど、彼は図太くもない。
 食堂の入り口が見える。
 デュークは走りドアを開け……
「おこんばんは」
 笑顔のシアと、十人ほどの比較的年長の子供達が出迎えた。

 

「シアさんっ! どういうことですか!?」
「まあまあ」
 詰め寄るマシェルをシアはなだめる。しかし、マシェルにそんな心のゆとりはない。
「あれは何ですか!? なんでみんなまでここにいるんですか!? 一体何を企んでいるんですかぁあ!?」
 叫び、マシェルはシアに背を向ける。
 黒い影のような物体が入ってきたからだ。
「まず、答えるべきはあれですわね?
 あれは遙か昔に製法が忘れ去られた竜殺しの魔法生物」
「な…………なんだとっ!?」
 声を上げたのはデューク。
「なんでそんな物が!?」
「なんです? 竜殺しの魔法生物って」
 マシェルの問いに、デュークは即座に答えた。
「竜は遙か昔滅びかけている。それをしたのは、人間。人間の作り出した最強の魔法生物。竜を狩ったその魔法生物が禁じられたのは、それが人を媒介としたものであること。そして、ある時暴走し、国一つが滅んだこと。それが禁呪とされ、完全に失われた理由」
「…………………っ」
 マシェルはそれを凝視する。
 数人の子供達が、術を使って押さえ込む。
「失われたはずだ」
「英知の石……つまりは賢者の石に触れた者がいます」
 シアは微笑む。
「とある愚か者が、完全なる知識を悪用しているのです。小さな子供を生け贄にして」
 シアは影を指さす。
「哀れな姿となったあの子を救う方法は一つ。
滅却するのみ」
 エルマとユーノの双子の姉弟が三人の前に、影との間に立った。
 二人は手をつなぐ。
「光の微笑み」
 とエルマ。
「闇の微笑み」
 とユーノ。
「我が望むは汚れ払う朱」
「我が望むは汚れ裂く翠」
「疾く」
「我らが敵」
 そして、二人同時に
「滅せよ」
 赤い、点が現れる。影の一部に。
 それは、爆発的に巨大化し、影を包む。
 食堂中に吹き荒れる風が髪をかき乱す。
 熱は感じない。炎も散らない。何も燃えない。
 ただ、影が滅んで行く。
 断末魔の悲鳴もなく、影は消滅する。今度は黒い霞となることなく、完全に。
「……………な」
「二人掛けだと?」
 魔道に疎いマシェルでも知っている。
 二人掛けとは、高度な術を操ることの出来る、波長のあった魔道師達が複数人数で行う魔法のこと。
 普通の魔法よりもはるかに高度な技術と経験が要求される。
「……………シア。何なのだ、この子共達は」
「わたくしが育てた、わたくしの部下達ですわ」
「部……下?」
 マシェルは子供達を見回す。
 その多くは、シアを崇拝している子供達。
「お前、一体何をしている?」
「今まで黙っていましたが、実はわたくし、特殊部隊の部隊長をしております」
「特殊………確かに特殊だが」
 そういう問題ではない。
「カーラント王国の、国王直属の特殊部隊です」
「は!?」
 子供達を見回す。
 肯定するように、一斉に頷く。
「国王直属の特殊部隊……って、ナイブ!?」
「はぁい。それです、それ。わたくしはその第一部隊、マジシャンズの部隊長をしております。ねぇ」
「はーい」
 いつもの調子で、いつものように。
 先ほどの大魔法を見なければ、一笑に付していた馬鹿らしい内容。
「いつから?」
「とりあえず、二歳頃には」
「はぁ!?」
「わたくし天才でしたので。お兄さまとお会いしたときには、すでに部下を持つ身でしたのよ」
 デュークは目を見開く。
「じ………じゃあ、お前。私と血が繋がらないこと、知っていたのか!?」
 マシェルは一瞬座り込みそうになる。
 デュークにとって、最も大切なのはやはり妹自身のことであったようだ。
 美形同士だが、顔達が似ているとは言えないので、血が繋がらないことはすんなりと受け入れられた。
「はい。血が繋がっているなど恐れ多い」
「嫌なのか!?」
「そんなことはありませんわ。お兄さま……デューク様の妹として生活している間、とても楽しかったです。私に家族と言えるものはそれまでなかったので」
 彼女はころころと笑う。
 デュークは何か別のことでショックを受け、叩きのめされていた。
「一体、それがなぜうちに養女などに………」
「貴方様のお側にいるために」
「それはどういう………」
 シアは突然跪く。
 子供達もそれに倣う。
「わたくしが仕えるのはただお一人。
 王のみにございます」
 デュークはたじろぎ、後退する。
「王がどうしたというんだ!? 王は王都にいるだろう!」
「あれは、王の器にございません」
「それが、どうしたというんだ!?」
「わたくしが貴方様の側におりましたのは、アークガルドの武術、呼吸法を教わるため。そして、正当なる王位後継者たる貴方様をお守りするためにございます」
「…………………はぁ?」
 デュークの目は点になっていた。
 冗談以外の何と取れと言うのだろう。そう、タチの悪い冗談だ。
「今王ワーズは簒奪の王。王を弑逆し、産後間もない王妃様を殺害しました」
「……………」
「そのころ、わたくしは存在すらしておりませんでしたので、ウィトラン様に伝え聞いた話ではありますが。
 当時王妃と懇意になさっていらっしゃったウィトラン様は、ワーズの刺客に殺害されようとしていた、生後間もない王子達を保護し、信頼の置ける者達に託しました。
それがアークガルド家とユニオール家です」
 マシェルは、一瞬頭の中が白くなる。
 それを口にするまでに、様々な葛藤があった。
 望んだのは、ただの偶然。
「ちょ…………ユニオールって、僕の実家なんですけど………」
「ええ。だから、複数形で呼んでいたじゃないですか」
 シアはこれまでの真面目な調子を、いつもの砕けた調子に切り替え、きゃたきゃた笑う。
 そこまで言われれば、否定できるほど彼は愚かになり切れなかった。
 しかし、思い浮かぶのは死んだ兄。厳しいが優しい母。そして彼自身の憧れであった、誰よりも強かった父。
 ──僕は………。
 マシェルの中で、何かが切れた。
「ちょっと待って。じゃあ、ひょっとして僕も関係者なのかっ!?」
 マシェルは叫んだ。
 否定して欲しくて。そんなわけないでしょう、と。ただいつもの調子で言って欲しくて。
「そうでなくて、なぜわざわざここに置いてやるものですか。デューク様に続いてマシェル様まで家出したと聞いたときにははらはらしましたけれど、ウィトラン様がうまーく誘導してくださいましたの。デューク様の所も、ちょくちょく覗いて、無事を確認していましたし」
 彼女は否定どころか、人の心を引き裂くように、あっさりと肯定してくれた。
「じゃあ、うちの両親は………」
「血縁者ではあります。王妃様の家系ですから。アークガルドとユニオールは多くの婚姻関係で結ばれております」
 それは、とてもショックだった。
 いきなり貴方は王族。しかも王子様。
 ──お、王子様!? 僕が!?
 貴公子と呼ばれることですら、不似合いだと思っていたというのに。
 その時だ。彼は重大な事実に気付く。
「…………大切なことを、一つ聞いていいですか?」
「はい」
 マシェルはデュークを指さし。
「血縁者?」
「双子です」
 きっぱりと。
「なにぃ!?」
 デュークも、ようやくその事実を理解し──おそらく、シアのことばかり考えていたのだ──マシェルを穴が開くほど眺める。
「似ていないぞ」
「マシェル様は、お父上似。デューク様はお母上似。
 二卵性ですから。
 本当に生まれたばかりでどちらが兄か告げられる前に、それを知る者皆殺しにされてしまい、どちらが王位を継ぐべきかは分かりませんが。あと少し救出が遅ければ、お二人とももう亡くなっていたところでした」
 目眩がする。
「いらん、そんなもの」
「僕だって、そんな面倒なもの。僕が家出したのだって、贅沢な貴族の生活が嫌だからなのに」
「私は邪眼だぞ」
「ああ、その点は心配なく。うちの王都に限って、邪眼の偏見は弱いですから。
 なにせ、昔の魔術師が邪眼で、しかも神のご所望をお受けになられたほどの、心優しい美女でした。数世紀前の話ですが、問題ありません。それに、わたくしが隣に立って微笑んでいれば、たいていの問題は解決されます」
 それはマシェルも聞いた事がある。
 地方では偏見も強いが、王都では逆に好まれてもおかしくはない。
 シアが隣に立っていれば、デュークの雰囲気も和らぎ、しかも微笑ましく見えるだろう。
「シアン様。今はお二人とじゃれている場合では………」
「そうですね」
エルマの言葉にシアは頷く。
「シアン?」
「わたくしの本名ですわ。今まで通りシアで構いませんが」
「ほ………」
 デュークはショックのあまりめまいを起こし、数人の子供達に支えられる。
 ──お兄さん、僕と違うとこでダメージ受けてるなぁ。
「で、では、私を慕ってくれていたのは…………」
 彼は形良い唇を噛む。ただでさえ色が白いというのに、さらに病人のように蒼白になりなる。
 シアは首を傾げる。
「お兄さまは、わたくしが妹でないと知っていて、可愛がってくれましたね?
 それと同じです」
 シアの言葉に、デュークはようやく安心した様子だった。
「あれだけ可愛がられていれば、誰でも情は移ります」
 ──うわっ、一言多っ
 それでも、デュークは多少立ち直ったようだった。
「マシェル様は納得してくださいました?」
「……………は!? 僕!?」
「考えることを放棄するのは、おやめくださいませ。
どちらが王位につくにしろ、あなた方は王族。現在の衰退した王国を、再建させる必要があります。
でないと、ここにいるような子達が、また増えてしまいますよ」
 ここにいる子達。
 つまりは、ここにはいない、ごく普通の孤児達。悪政に耐えかね、反乱した民衆の子供達。
「この子達だって、王が代わって以来、貧しくなった農村から、売られてきた子達です。その中で、偶然強い魔力を持っていた子供達。
王位継承権を放棄しても構いません。しかし、それは国を滅ぼす覚悟があるなら、です」
 そう言われれば、マシェルは現実逃避をするわけにもいかなくなる。
 子供達は、マシェルとデュークを見つめた。
「デューク様」
「その呼び方はやめてくれ」
「なら、いつも通り……お兄さまは、どうなさいますか?」
「そいつがいれば問題ないんだろう? 私がいる必要はない。
貴族でも嫌だったのに、王族になるなどまっぴらだ」
「もしも縁を切るというのなら、わたくしはマシェルの物。お兄さまとは赤の他人。わたくし、この国の重要人物ですから、他人とお話しするとウィトラン様に叱られてしまうので、できません」
「……………」
 それは、この男に対しては最も有効な手段だと思われる誘惑だった。
「今ならもれなく、わたくしが側近兼妹としてついてきます」
「わかった。乗ろう」
 子供達は手に手を取り合って喜ぶ。
「……………ひょっとして、王位だけ僕に押しつけて、自分はシアさんと生活したいとか思ってません?」
「当たり前だろう」
「はははは。譲りませんよ」
「子供が泣くぞ」
「自分だって子供好きのくせに」
 二人は視線で火花を散らす。
「さすがは双子。
 出会って数日で、もうこんなにうち解けていらっしゃる」
「ちがうっ」
 二人は同時に叫び、そして顔を見合わせた。
 出会ったときは、欠片も思わなかった。運命など、感じなかったから。
 しかし、今は。
「……………なんで僕らが運命共同体なんでしょう…………」
「そんなこと、運命の女神に聞け」
 非常にもっともな意見だった。

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