6

 

 シアは、背筋を伸ばして座っていた。
 重大なのは襲われた事実。
 故に、移動をしなければならない。彼らは本部へと向かった。
「子供達は大丈夫なんですか?」
 マシェルが問うた。デュークもそれを心配していた。
「心配いりませんわ。万が一のことがあっても何人か残してきていますから」
 しかし、残ったのは数人の魔法を使える子供達。
 ユーノと、それによく似た少女、エルマが同じ馬車に乗っている。エルマは退屈をしているミアとロアの遊び相手をしていた。
 二人は夜中に起こされ眠いはずだが、興奮しているのだろう。乗り物に乗るのは初めてだから。
「それに、あの生物は完全自立型。
 遠隔操作ではないので、あれが消えた正確な場所など特定できません。なにしろ、お兄さまの遺跡に向けて放ったんですもの。それがこんな所に来るなど思いもしないでしょう」
 シアは言う。
 迷いなく。
「どうしてそんなに知っているんですか?」
 それにデュークは答えてやる。彼は知らなさすぎるから。
「魔術師は、他の部隊長とは違い、長が死んでもすぐには次の隊長が決まらない。それはなぜか分かるか?」
「いいえ」
「賢者の石の知識を受け入れられる者のみが、魔術師の長になれるからだ」
「………………」
 賢者の石。知識の石。そして、歴史の石と呼ばれている。
 その由縁は、今まで起ったことを記憶すること。
賢者の石と呼ばれる石は、大きな事件や魔道について、大くの知識を眠らせているもの。
しかし、普通の人間ならばそれに触れるだけで発狂する。魔力のある者なら、気を失う程度ですむが、欲しい知識を引き出せるかどうかも怪しい。
「魔術師は幼い頃に賢者の石に触れる。自我が確立していない、脳が発達途中でそれをすれば、完全に感染できる可能性がある。魔力の高い幼い子供のみが、賢者となる可能性を持っているのだ」
「……………幼い子供って………」
 マシェルはユーノとエルマを盗み見る。
「だからこそ、魔力の強い赤子ばかりが集められます。
 魔力が強ければ、何らかの影響を受ける可能性はありますが、死にません。才能を開花させる可能性もあり、それに利用されるほどです」
 シアは言って、共に馬車に乗る『護衛』を称する双子の姉弟を手で示し。
「ほら、こんな優秀な子も出来上がります」
「シア様ほどじゃありません」
「ぼく、ぜんっぜん石の記憶ないですから。まあ、別のものには選ばれたけど」
 二人は明るく笑って言う。
 ──ううむ……いいのだろうか、こんなに明るく元気で。
「シア様は天才。その上美人で優しくて、教え上手で……はうぅ」
 エルマは小さく溜息をつく。
「…………何なのだ、この娘は」
「いつもあんな感じなんで………。いつもより絶賛してるかな?」
 二人はこそこそと話す。
 今、味方らしい味方は彼一人。
 シアとて油断ならない。もちろん害を加えるという可能性は考えられないが、それ以外の、厄介ごとを押しつけられそうという意味で、ここにいる連中皆敵だ。
「お二人とも、疑っていると思いますけれど、実際にシア様は最上位の質の魔力を持った方です。もちろん、それだけではありません。賢者の石から得た知識がなくとも、シア様は国一の大魔道士です」
 国一と、ユーノは言い切る。ユーノほどの魔道師が、ここまで崇拝する。
 しかし、一度も彼女が攻撃魔法を操る姿は見ていない。
「シアが一度だって攻撃魔法など使ったところを見たことがないぞ。いつも結界を応用して遊んでいるが」
 シアは小さく首を傾げる。さらりと金の髪が流れる。人形のように美しい。
「お前は何の領域の賢者なのだ?」
 石の知識にも六つのパターンがあるらしい。彼女は生物に詳しく補助的な魔術を得意としているので、白の領域の可能性が高い。
「わたくしは、白ですわ」
「は!?」
 デュークは口を大きく開けてしまった。
「黒じゃないんですか!?」
「馬鹿な……」
「失敬な!」
 シアはさすがに憤慨した。
「確かに、白の賢者でありながら、対極である黒の領域の知識も少しありますが……」
「やっぱり」
「まて、どういう意味だ?」
 マシェルは安堵したようだが、デュークにとっては驚愕の事実だった。
 ありえない。隣接する領域ならまだしも、対極の領域の知識を持つなど、聞いたこともない。
「わたくしは幼い頃、ワーズの手によって賢者の石を削り取ったものを飲まされました。欠片はここにありますが、それを直接体内に取り込んだのは私ぐらいでしょう。本来なら、ただ舐めるだけですから」
 しばし二人は沈黙し、
「でも、白と黒は正反対だろう」
「しかし、対です」
「……………なんか白と黒っていうのはホントっぽいんですけど」
 マシェルはデュークに耳打ちする。
「確かに違和感はないが………」
「ここは普通ギャップに驚くところです」
 ギャップも何もないと言えば、彼女はどうするのだろう。前のように殴りかかってくるのだろうか?
「シアさんのイメージなんて、見た目は白で中身は黒……乱暴の一言じゃないですか」
 無謀にも、マシェルが呟く。
「いやですわ。マシェル様をいつも殴っていたのは、マシェル様が鍛錬を怠っているから、本能を呼び覚まして差し上げようと思ってのことですわ」
「そうです。おかげでマシェル様の反射神経は出会った当初よりも格段に上がっています」
「反射神経は、一番大切ですから。命を狙われている者にとって」
「あの………僕は一応止めたんですけど。デュークさまのことも」
 ユーノが心苦しげに付け加える。
 ──この世に、一応君主と崇める者のところに強盗に入る家臣など他にはいないな……。
 常識があれば止めるだろう。
「だって、お兄さまが現状に満足していると、食料の買い出し以外で町に出ようとしないんですもの。ですから、心苦しかったのですが、趣味のものや軍資金を奪っていたのです」
「なぜ外に出る必要がある?」
「本格的に世情に疎くなるからですわ。
それに、子供達も幸せで、一石二鳥ですもの」
 ふと、思い出す。
 シアに持って行かれた魔道器。気に入っていたものも多いのに。
「……………あれだけあれば、もっと豊かな生活ができて、あの孤児院を二度建て替えてもまだ余るほどの金額にはなると思うが」
「ええ!?」
 マシェルが耳元で大声を出す。
 迷惑な話だ。
「ああ。お兄さまの気に入っていそうな魔道器はとってありますわ。目的は別なんですもの」
「ど、どこにあるんだ!?」
「せっかくですので、うちの部隊で有効に使わせていただいております」
 ユーノが恐る恐る、服の下に隠していた、首にかけた銀のチェーンを引っぱり出す。
 見せたのは、一つの指輪。
 傷を癒す力を持つ、稀少なものだ。
「…………………」
「有効活用ですわ。ユーノは攻撃魔法と補助魔法は突出しておりますけれど、どうも回復魔法の才能は全くなかったようなので。
エルマは完全に攻撃魔法に偏っているので、補助系のアイテムをいくつか」
 エルマは両手にミアとロアを抱え、可愛らしく微笑む。
 責める気も失せる。
「それと、外にいる子達も。
 なにせ才能はあってもまだ子供ですので。いつ行動を起こせるか見通しが立たない以上、一つの方向を突出させてやるような教育をしないと、この時までに間に合いそうもなかったので」
「十三年もあってか? ここまでの力があれば、十分教えられたような気はするが」
「お姉……シア様は、週に一度しか来てくださらなかったので」
 ──週一……。
「いつ行っていたんだ?」
「影で作った分身を残して。週に二度ぐらい寝込んでいましたでしょう?」
「………………まさか、全部仮病だったのか!?」
「それこそまさか。倒れていたときは本当に倒れていました。賢者の石を受け入れたと言っても、幼い頃は時折流れる知識の膨大さに絶えきれずに倒れることがたびたびありますの。わたくしがお兄さまのお側にいたのも、いつ倒れるか分からない魔道士など、正直実行部隊にはいらないので。ただ保険として。週に一度は本当に寝込んでいました」
 シアはころころと笑う。
 デュークはそんな彼女が不憫に思う。力さえなければ、そんな思いをしなくてもすんだ。
 子供達も同じだ。
「シア様。そろそろです」
 馬車の外から声がかけられる。幼い声だ。
「そう」
 シアはいつもの棍を手にし、呪文を唱える。
 目を凝らすと、彼女の持つ棍の先に、異様なほど高密度の魔道式が展開されている。
「何をする気だ?」
「しっ」
 エルマが制止する。
「我は招かれし者」
 棍で、馬車の床を叩く。
 広がった。
 力が広がり、デュークの身体を通り越し、広がる。
 何かが内に入った。
「本部ですから。入るのにはそれなりの印が必要です。お使いに行ってもらう子は元々印がついていますが、今日始めてくる子もいますので」
 デュークは小さく溜息をつく。
 ──本部か……。
 ろくでもないことになりそうだ。

 

 マシェルは内心頭を抱えていた。
 ──何でかな? 何でこうも知ってる人がいるかな?
「よくいらっしゃいました、マシェル様。デューク様」
 なぜかいるウィトラン。
 それに何人か神殿の人。
「リグ、あなたも来ていたのですね」
「はい。シア様のいく所、どこなりとお供いたします」
 リグはシアの前に跪く。
 前前からシアに気があるのではと思っていたが、こういうわけだったのだ。
「いい子ねぇ」
 シアは子供にするようによしよしとその頭をなでる。
「シアちゃん、いー年し大の男になでなではないだろ?」
「あら、アズバル。あなたもいたの」
 シアは顔を顰める。
 マシェルは、自分のすべてを疑った。
「そりゃあ、来るに決まってんでしょ。チビっ子どもに会うために。護衛もかねて」
「護衛がメインでしょう」
「でもぉ、マシェルなんてほっといても死にそうにないしぃ」
 シアはのたまうアズバルの腹に膝をくれてやる。しかし、あまり効いた様子がない。
「マシェル。どうしたのだ。呆けているぞ」
 デュークの呼びかけに彼は我を取り戻す。
「な……な……」
 マシェルはのたのたと歩き、アズバルへと近寄る。
「よっ、久しぶり」
 アズバルはマシェルの肩に手を置く。
「夢じゃ……ない」
 マシェルはアズバルの、女性によくもてる整った顔に触れ、ぺしぺしと叩きながら呟いた。
「兄さん、死んだんじゃなかったの!?」
「ぴんぴんしてらぁ」
「今までの僕の心配は…………」
 怒る気にもならない。混乱しようにも、なんとなーく分かってしまうし。
 こいつもグル。敵。
「ははは。俺が簡単に死ぬはずないだろ?」
「だって、父さんが兄さんは戦場で知り合った、ひどい振り方してしまった女の人に刺されて死んだって……。
 ああ、それならあるなぁ、とか思うのは当然だろ!?」
「なるほど。それなら納得できますわ」
「シアちゃん!? そんな人の人格疑われそーなこというか!?」
「疑われるまでもありません。あなたの女性好きは、うちの子たちでも知っています」
「なぜ!?」
「とりあえず、女の子にはアズバルおじさんにはついてっちゃダメよ、と教えておきましたから」
「何を言う!? 俺は胸もケツも未発達なガキには興味ない! ついでに言えば、性格の悪い平凡なボディラインの女にも」
「うるさい」
 シアはアズバルに蹴りを繰り出す。それをことごとく避けるアズバル。
 確かにシアの胸は大きくも小さくもないが、スタイルは抜群と言える。それを平凡と言い切る兄にマシェルは呆れた。昔から、凹凸の差の大きいボディラインの女性が好きだったが……。
「やめろ、恥ずかしい」
 ことごとくシアの攻撃を避けていたアズバルの後頭部に、見事な蹴りが入る。
 それをしたのは、銀の輝きの青年。
 まるで風の精霊のように美しい銀の髪と、空色の瞳。そして美しい顔立ち。
「いってぇなぁ……。いきなり何すんだよ、ウィス」
「お前が恥ずかしいことをするからだろう。まったく、見ているだけでいらいらする」
 青年はその美しい顔で、その顔に似合わない毒を吐く。
 ──うわ、シアさんの同類……。
「あら、始めまして」
「あんたがシア? とても『魔術師』には見えないな。それほど魔力も感じないし。まあ、人間にしてはそれなりの方だけど」
「ええ、貴方様のお身内の方とはちがいまして」
 シアは微笑みその言葉を返す。
「……なぜ分かった?」
「もちろん、あなたが風神様のご子息だからです。しかもかなりお若いご様子」
 シアはころころと笑う。ウィスは顔を顰めた。
「風神のご子息って………」
「風神ウェイゼル代八子、四級神ウィスだ」
 ウィスは不機嫌そうに言う。
「祖母がこの国に恩がある。だからそれを祖母に代わって返すために手伝いに来た」
「修行がてらですか?」
 シアはいらない一言を言う。
 ウィスはシアを睨めつけた。
「いい度胸だな、女」
「はい。女は度胸といいますし」
 シアは珍しく大人の男性に惜しみなく微笑みを向けて、彼に近寄る。シアは彼の前、ほとんど引っ付くようにして立ち、その顔に手を伸ばす。ウィスは一歩引くが、シアは手でその頬に触れた。そのままなでるように喉へ。そしてもう一度頬。そして、額へ。
「解」
 シアのそのたった一言で、青年の体が変化した。
「うわっ!?」
 みなの前で、ウィスはどんどん縮んでいった。デュークと並ぶ長身が、シアよりも小さくなったところで、止まる。
 青年は、すっかり少年へと変化していた。しかしその肉体に合わせて、服まで小さくなっていたことに、実は一番驚いた。
「それに、君みたいな年頃の男の子に怯える女性もいませんよ」
 シアはやさしくその頭をなでる。
 ウィスの年頃は、ユーノ達と代わらない年頃。彼女の守備範囲。
 ──それであんなににこにこ………。
「あーあ、残念だったなぁ、ウィス。せっかくおめかししてきたのに。うちのシアちゃんを舐めてるからそうなるんだ。お前のばーさんと同等だと考えてかからないと、痛い目見るからな」
「ばあちゃんと同等だと!?」
「ああ。シアちゃんは白黒賢者だからな。まだ経験が足りないが、将来は越えるかもしれないぜ」
「うるさいっ」
 ヒステリックに叫び、ウィスは少年から青年へと変化する。しかし、その直後シアがまたつつく。
「何するんだ!? これやるの疲れるんだぞ!?」
「だめですよ、サバを読んでは。子供は子供らしい方が、わたくしは好きです」
 マシェルですら時々くらっとするシアの微笑みに、ウィスは頬を赤らめる。
 ──あっ、神様にもきくんだ。
 自分はおかしくはないのだと、マシェルは安心した。
「こ、子供あつかいすんじゃねぇっ!」
 ウィスはもう一度大人へと戻る。今度こそ戻されないように距離をとろうとするが、シアの方がすばやかった。
 シアは何の躊躇も遠慮もなく、飛びつくようにウィスの頬に口付ける。
 ウィスと、そしてデュークが完全に固まった。
「な………な………」
 再び子供に戻ったウィスは、先ほどなど比べ物にならないほど耳まで真っ赤に染め、固まっている。
「し……シアさん。なんてひどいことを」
「ふふふ」
 シアは満足げだった。
「し、しししし、シアっ! な、なんて事をするんだ、お前は!? 私はお前をそんなふしだらな娘に育てた覚えはないぞっ」
「うーん。今のうちに手を打っておいたほうが、わたくし的には安心できるので」
「何を!?」
「だって、自分を殺しに来た方を、野放しにできるほどわたくし心が広くできてはおりませんもの」
 シアは頬に手を当て、困ったように言う。
「こ………殺しに来た?」
「ええ。そうでしょう? ウィス様」
 ウィスは押し黙り、何も応えなかった。

 とんでもない女。
 自分の術を見破ったどころか解除までして。それ以上に、理解できないのは初対面の人間に、いきなりキスなどしたこと。
 わざわざ接近してくるのも腑に落ちない。ただでさえ女性は苦手なのに。
 今とて、監視しているのか遊んでいるのかは判断がつかないが、シアという女は彼の隣に座っている。それをなぜか、双子の王子の片割れが睨んでくる。
 ここは貴賓室。上の連中がいろいろと準備をしている間、ここにいろと押し込められた。
「シアさん。お気に入りですね」
「可愛いですものぉ。こんなに素直な反応してくれる少年は、身の回りにはいなかったもので」
「ははは。確かに。物怖じしない子ばっかりでしたからね」
 もう一人の片割れの方は、シアと一緒になって彼を子ども扱いする。
「ふざけるな!」
「怒った顔も可愛いですわぁ」
「本当に」
「いい加減にしろ!」
 確かに彼、ウィスは子供だ。しかし、大して年の違わない人間に、ことごとく可愛いと言われて傷つかないはずがない。
「可愛いとか言うなっ!」
「可愛い〜」
「シアさん。思春期の男の子に可愛いの連発はよくないですよ。グレてしまったらどうするんですか?」
「大丈夫ですわ。そーんなことしたら、どうなるか……」
 シアは脅すような調子で言う。
「確かに。身内が恐いからな」
 見た目に似合わない名前の王子、デュークも頷いた。
「この賢者はともかく、知りもしないくせに知ったようなことを」
「知っている」
 デュークは覚めた目をしてさらりと言った。
「お父君には何度かお会いした」
「オヤジと? どこで?」
「師匠の家だ。私はお前の言う祖母の弟子をしていた」
「ばーちゃんの?」
 ウィスはきょとんとして、見た目の怖い男を見る。
「確かに、ばーちゃんと同系統だけど……」
「系統というな。好きでこのような目をしているわけではない」
「そうですわ。お兄様は感情表現が苦手なだけであり、決して鉄壁の無表情ではありません!」
 シアがデュークを庇う。それはいいが、わざわざ手を握らないでほしい。
「……お前、うちの師匠と会った事あるのか?」
「以前の白の賢者が。稀に同領域の方の記憶を持つこともありますの」
「以前の白の賢者とは、いつの時代だ?」
「二百年前ですわ」
「……そうか。師匠は少なくとも二百歳以上か……」
 デュークは小さく呟いた。ウィスも同じことを思った。
 祖母のことは、知れば知るほど謎が深まる。
 突然、ノックもなしに部屋のドアが開いた。
「ねーちゃん、ねーちゃん。ちよっといい?」
 部屋に入ってくるなり、少年はシアの腕を掴んだ。
「ユーノ、どうかしました?」
「ウィトラン様が、魔法生物のことで」
 シアは小さく息をついた。
「魔法生物?」
「竜殺しの魔法生物を製造したお馬鹿さんがおりますの」
「な……」
「しかも、相手側の側にいる賢者に、白の賢者はいないというのに」
 他領域の知識を、無理矢理引き出す。
「馬鹿な……」
「理論的には可能です。ただし、正気を保つことができるかどうかが問題なだけで」
 正気の沙汰ではない。
 いくら賢者とはいえ、無謀すぎる。
「どういうことなんですか? 白領域っていうのが、どうしてそんなに欲しいんですか?」
 魔道に疎いらしいマシェルが問うた。
「軍事的に利用する価値がある知識領域は二つ。
 黄と白です」
「え? 赤とか黒じゃないんですか?」
「前者は破壊兵器開発に。
 後者は生物兵器開発に。
赤は破壊を司る魔道の知識を、黒は暗黒面の魔術の知識を提供してくれますが、それを扱える力があるかどうか。個人の能力が高くなければ、意味のない知識。
国が本当に欲しいのは誰にでも扱える兵器。それを提供する黄、白。あとは国の繁栄を思えば青でしょう」
青の領域は自然。天候を操ることすら出来る。
いくら緑の領域の知識があろうとも、雨が降らなければ意味はないから。
「白の領域というのは、生物を司ります。どんな動物がどんな場所に住んでいるか。どんな動物はどんな弱点を持っているか。どんな生物は、どのようにしたら出来上がるか。
 過去の記録、すべてを有しています」
 それだけに、白の領域と言うのは負担がかかる。緑の領域も同じ理由でそれに続く負担を持つ。
「そんなもの、全部覚えてるんですか?」
「必要なものを引き出すというのが正しいです。賢者と言うのは、知識を引き出しに勝手に押し込められてしまった者、と考えていいでしょう。押し込められたそれは、消えません。人としての限界を超えることを許されたのが、賢者。忘れることを許されないのが、賢者。分かりましたか?」
 彼は頷いた。
「つまり、他に何かもっととんでもないものを作っている可能性もある、と?」
「そうです。わたくしよりも、まずはそちらを始末してくださいませ、ウィス様」
 彼女は薄く笑い、去っていった。

「ユーノは行かないの?」
 マシェルは優しく微笑みながら問う。
 騙されていたとしても、やはり今までのものは本当で、彼を弟のように思う気持ちは変わらない。
「僕は護衛♪」
「護衛……」
「うん。一番魔力強いの僕だし。シアねーちゃんやウィトラン様よりも、魔力だけは上だよ」
「そーなんだ……」
「うん。信じてない?」
「ウィトラン様って、魔術得意なんだよね? シアさんも、賢者だし」
「上には上がいるんだよ。元々、『隠者』ってのは、『魔術師』の牽制のためにいるんだから。賢者は別に一番魔力が強い者ではない」
「……隠者って、ウィトラン様のこと?」
「そうそう」
「隠者って、えらいの?」
 マシェルは疑問に思い問うた。ウィトランが「親玉」というイメージがあったから。
「うん。王が王として相応しいか、真実の瞳を使って選ぶのも隠者。どうしようもないと、隠者がその王を暗殺命令とか出すの」
 衝撃の事実。
「奴は敵だな」
「くっ……こんな側に、そんな恐ろしい敵がいたとは」
 双子は揃って冷や汗をかく。
「いや、どうしようもなければ、平気だって」
 二人は顔を見合わせた。
 二人もいて、二人とも自信がない。あるはずもない。
 マシェルは権力と言うものが苦手だ。目立つのも苦手だ。苦手だらけである。ウィトランに気に入ってもらえる自信などない。
 今後、暗殺者には気をつけよう。
「それに、今の王様に比べれば、何もしない王様の方がマシだし」
「なるほど」
 戦争など起す気はない。その点では、マシなのだろう。
「だから、さっさと結婚して、さっさと子孫残してとっとと引退するという手もあるから」
 子供の口からそのような言葉が出たことに、少し悲しく思う。
 仕方がないこととはいえ。
「相手は自分で選ぶよ、僕は」
「同じく」
 ユーノはくすくすと笑う。
「相手、いるの?」
「………」
「………まあ、恋人の一人ぐらいいるぞ」
「いるの!?」
 デュークの言葉にマシェルは驚いた。
 てっきり同志だと思っていた。
「そんな無愛想で、そんな恐い顔してて?」
「ほっとけ」
「シスコンなのに」
「ほっとけ」
「どこの誰?」
「兄弟弟子だ」
 彼は照れているのか、そっぽを向いていた。その顔が少し赤い。
「どんな子?」
「…か……可愛い」
「年は?」
「十六」
「うわ、シアさんよりも年下」
「どこの誰?」
 それを問うたのは、ユーノ。
 目が真剣だった。
 当然だ。恋人ならともかく、結婚ということになれば、相手にも身分が必要になる。
「クロフィアの将軍の娘だ」
「ん、合格」
 あっさりと合格が出て、デュークは安心した様子だった。
 そんな女の子が魔女に弟子入りしている理由は思いつかなかったが、
「シアさん、それを知ってるの?」
「知らないだろうな」
「知られたら、怒るよ、きっと」
「う」
 なにせ、妹に男が近寄るのは徹底的に妨害したい兄である。
 そのくせ、自分は彼女がいますでは……。
「マシェルにーちゃんも、ある程度の身分があるお嫁さん貰ってね。じゃないと、いろいろと手続き大変だよ。どっか信頼できる貴族のところの養子にしなきゃいけないし。できるだけ好きな人と結婚させてあげたいけど、ウィトラン様がだめって言ったらダメだから」
「………」
 マシェルは黙るしかなかった。
 結婚相手など、簡単に見つかるものではない。しかも、都合よくある程度の身分の娘を好きになるかどうかなど……。
「………ご主人様、ラァサ様とケッコンするの?」
「ラァサ様とケッコンするのか?」
 エルマの腕から抜け出し、デュークの前にまでやってきたミアとロアが寂しげに問うた。
「いや、まだ当分先の話だ」
「とうぶんさきに、お嫁に行っちゃうの?」
 デュークは脱力する。
 その様子を見て、エルマが小さく噴出した。
「よ、嫁って……な」
「ケッコンすると人間は嫁に行くって、エルマねーちゃんが……」
「おい、そのこガキ」
 エルマは首を傾げる。
 誤魔化すつもりだ。
「二人とも、お嫁に行くのは、女の人だけだよ。男の人はお嫁さんを貰うんだ。その、ラァサって女の子が、デュークのところにお嫁に来るんだよ」
 マシェルが言うと、二人はエルマのマネをするように首を傾げる。
「か、可愛い♪」
 まねをされたエルマは、感激した様子で二人を抱きしめた。
もちろん、翅を傷つけないように。
「エルマは本当にファンシーなもの好きだよね」
「うん。じゃなくて、はい」
「いつも通りでいいよ。人目があるわけでもないし。シアさんにはそうしているんだから」
 彼女はマシェルを見つめた。
 それから、頷く。
 その様子が、とても可愛い。
「ご主人様、お嫁にはいかないの?」
「お嫁には行かないけど、お城には行くの」
 とたんに、二人の目に涙がにじみ出た。エルマの顔に焦りが生まれた。
「みんなで一緒に暮らしましょうね」
「………みんなで一緒?」
「ええ、そうよ。デューク様は二人を置いて行ったりしないわ」
「ほんとうに?」
「ねぇ、デューク様」
 問われ、デュークは頷いた。
「当たり前だ」
 二人は泣きながらエルマの腕から抜け出し、デュークの腰にしがみつく。
「こら、鼻水をつけるな」
「ごめんなさい」
 デュークは薄く微笑み、しゃがみこんで二人の顔をハンカチで拭いてやる。
「可愛い……」
「本当に」
 ウィスをちらりと見ると、彼も微笑んでその様子を見ていた。
 ──この子が、本当にシアさんを殺しにきたなんて……。
 しばらく泣いていたエルフの二人は、疲れたのか眠ってしまった。
 それを確認した後、マシェルは口を開いた。
「ウィス君……君はどうして、シアさんを殺しになんて……」
 ウィスは小さく息をついた。
「あの女は、神の天敵になる」
「天敵?」
「知らないか? かつて魔王と呼ばれた黒の賢者を」
 先日、デュークとシアの口から語られた、昔話。
 神を殺した男。
 神に殺された男。
「あの女は、吸魔の力を持つ人間だ」

 人の運命は変えられる。
 それとも、こうなるように足掻くことすら運命だったのかも知れない。
 運命などというくだらないものの上で、ただ流されるままにされるのは、嫌いだ。用なしと言われ、それが運命だと受け入れ、幸福も得られないなど、我慢ならない。
「………けほ」
 最近、体調が悪い。無理がたたっている。
「大丈夫?」
「平気」
 足掻いてきた。
 ここからが、大切な時だ。
 ここのいる連中を皆殺しにする。そうすれば──
「邪魔者どもの主力を殲滅できる、またとない機会よ。逃してはだめ」
 きっと褒めてくれる。
 よくやったと、微笑んでくれる。
 それだけが望み。
「雨を降らせるわ」
 それが合図。
 魔道の効かぬ、特殊な魔法生物が動き出す。

 

 

back        home        next