7
何かを彼は感知した。
建物のみに仕掛けた、特殊な場。結界ではない。力はないに等しいが、それは出入りするモノを敏感に察知する。
「エルマ」
「ん?」
「何か変なものが入ってきた」
「変なもの?」
「人間じゃない。神でもないけどね。しかも、複数」
今日のことがある。
ひょっとしたら、後をつけられていた可能性もある。ただ、ユーノやシアの探査魔法から逃れられるかどうかは疑問だが。
「どうする?」
「ねーちゃんとウィトラン様も気づいてるはずだ。三人で仕掛けたものだからね。僕の役目はこのお二人を守ること。エルマも、いいね?」
「はい」
彼女は微笑を隠し、真剣な顔つきで頷いた。
頭の中が、マジシャンズの一員として、切り替わる。
双子の兄妹ではなく、上司と部下として。
「とりあえず、結界を張ります。お二人とも、部屋の中央へ」
二人は顔を見合わせた。
「デューク様。この子達を」
「ああ」
デュークはミアとロアを招きよせた。
「離れるな」
二人は同時に頷いた。
ユーノは呪文を唱え、結界を張る。しばしの時が過ぎ、
「ぎゃあああ」
離れたところで悲鳴がした。大人の声。血の繋がらぬ兄弟達ではない。ユーノがいるからこそ、皆は見張りの任についているはずだ。一番狙われる可能性があるここの周辺には、彼らは少ない。
逃げてくれていることを祈る。
「エルマ。君も少しさがって」
「でも」
「僕が捕らえるから」
「はい」
エルマは術の構築を保ったまま、四人の下へさがる。
ユーノは目を伏せ、張り巡らした探査網に意識を走らせる。
近付いてくるのが分かる。
迷いも無い。相手はこちらの居所を知っている。
「君達は逃げな。無駄死にするな」
足を止めようとする大人たちに、声を送る。
ユーノの声に、彼らは引いた。
命令だからだ。
「さてと」
ろくでもないもののようだ。
──竜殺しとは違うようだし。
しかし、よく似ている。
近い物なのだろう。
──まあ、これは肉体派の人たちには無理かな?
こちらに向かう気配を感じる。この力強い気配は、
ドアが開く。
「ユーノ」
「分かっているよ」
やってきたアズバルは腕から血を流していた。
後でシアに治療してもらえばいい。
「奴ら、魔法がきかないようだ」
「だろうね」
「分かっていたのか?」
「そりゃあ、シアねーちゃんの張った結界、すり抜けて来ているから」
その手のものも彼女の得手だ。白魔術と呼ばれる術は、彼女にとってお手の物。
「どうする気だ?」
「僕は誰?」
その問いに、アズバルは笑みを浮かべた。
「放浪の愚者」
ユーノは頷き、杖を取り出した。
放浪の杖と呼ばれる、至高神の爪先から作られたとすら伝わる、白い杖を構えた。
爪と言うのが、すごいのか大したことがないのか判断がつかない所だが、その性能だけは、身に染みて理解していた。
「放浪の愚者だと? こんな子供が?」
さすがにデュークは知っているらしく、驚いた様子だった。
「なんですか、それ」
「自分の国のこと、何も知らんのかお前は!?
放浪の杖に選ばれた者だ。放浪の杖は至高神の爪から作られているとすら言われ、持つもへと絶対の魔力を与える。その代わり杖は持ち主を選ぶし、次の持ち主が現れない限りは死なない、年を取らない! 隠者、ウィトランとかいう男も同じだ!」
彼は怒鳴り散らすかのような調子で言う。
「し、死なないの?」
「いや、さすがに死ぬけど」
ユーノはくつくと笑う。
いくらなんでも、人間が普通死ぬことをすれば死ぬ。
ただ、人よりも頑丈になってしまったのは確かだが。
「アズバルさん。お外にいる子を捕まえてきてくれたら嬉しいな。分かるよね?」
ユーノはゆっくりとやってきたそれを確認し、彼に頼む。
先ほど、外は突然雨が降り出した。何かをしていると思われる。
「外……了解。あと、気をつけろ。触れられるとそれだけで全身切り裂かれる」
それは厄介なことだ。
しかし、何とかなるだろう。この杖を傷つけられるモノなど存在しない。いるとすれば、作り主ぐらいだ。
「行って」
探査ではかからないが、アズバルが直接行けば、その居場所も分かるだろう。
だから、それが一番手っ取り早いはずなのだ。
今後のために。
会議をしていた。今後、どのように動くかを。
軍を相手にするわけにはいかないので、基本は暗殺。もちろん、相手に出来ないわけではない。そんなもの、ウィトラン一人で蹴散らしてくれると信じている。しかし、自国の軍力を削るのは得策ではない。
ならば誰がワーズを殺すかと言う話が持ち上がった。ウィトランは当然のように己がやると言った。
シアはそれに反対した。
彼女は、どうしてもワーズをこの手で殺したかったから。
食い下がり、ワーズ殺しの権利を手に入れんとしていたときだ。
それは、窓を突き破って入ってきた。
大きな、影のように黒い生物。しかし、その形は人の姿に似ていた。
これもまた、人が祖体にされたもの。
迷わずシアは動いた。
「さがりなさい!」
術を仕掛けようとする子供たちを止める。子供たちは戸惑い、それ故に反応が遅い。
「それは魔法が効きません! 触れれば魔力を奪われ、切り裂かれます!」
皆は後退する。シアは髪の毛を一本抜いた。それを引きちぎり五つにする。
時間との勝負だ。
気を練り、込める。
「縛!」
髪は『それ』の周囲の床に突き立つ。
魔法ではない。アークガルド家に伝わる、特殊な結界術の一つ。
予測どおり、それはあっさりと捕縛できた。
「ウィトラン様」
「はい」
彼は真実の瞳を掲げた。
「食らえ」
真実の瞳が食らうは魔力。
名もつけられることの無かったそれは、動きを封じられ、存在の根源を吸収され、縮んでゆく。
──中途半端ね。
完成品ではない。これならばユーノ一人でも片はつくはずだ。
「うぁ、よわ……」
「この二人にかかると、化け物も雑魚に見えるというか……」
「って、マシェルにーちゃんたちは大丈夫か!?」
「ユーノとエルマだけよ」
「うわ、微妙」
ひどい言い草である。
純粋な破壊力と言う意味でなら、彼は国一だ。しかし、経験のなさだけはどうしようもない。杖は何も教えない。ただ、行く先のみを教えてくれる。力のみを教えてくれる。
使いこなすのは人間。杖はそれのできる人間を選び、より質のよい人間へと乗り換えていく。ウィトランの持つ水晶玉に見えるそれも、同じ。
「皆は怪我人の手当てを普通には傷が塞がらないから、止血し続けていて。私はユーノの元へと向かうので」
死人は、少なくはないだろう。
子供たちが巻き込まれていなければいいが……。
今はそれを考える時ではない。個人的な感情を捨てても、あの二人には生きていてもらわねば困る。
「待ちなさい、シア」
ウィトランが、行こうとしたシアを止めた。
子供たちが息を飲む音が聞こえた。
シアは目を見張った。
魔法生物は、変化していた。
おそらくは、素体となった者へと。
「…………うそ」
それは死体だ。干からびた死体だ。女か男かすらも分からない。だが、その身につけているものに見覚えがあった。
──中途半端……。
それは急いで作ったから。
知らしめるために。
「おのれ……」
シアは怒りに身を振るわせた。
「許さない」
許す気などさらさらなかった。それでも、また大切なものを奪われた。
あの男は、いつも自分から大切なものを奪う。だから決めたのだ。あの男の何もかもを奪ってみせると。
地位も、財産も。そして命も。
すべてを──
「ふむ」
それは結界をあっさりとすり抜けた。いや、吸収した。攻撃魔法も同じ結果になるだろう。ユーノは杖を構え、振り下ろされたそれの腕を止める。幸いにも、力はない。この手のものは人を素体にするからこそ禁忌とされる。力も素体の能力に大きく反映されるものだ。おそらくは、魔道師でも使ったのだろう。
ワーズと言う男は、気に入らない者に容赦無い。
「どうするかな?」
撲殺というのも、なかなか気が遠くなる作業だ。しかし、とりあえず殴る。魔力を使い、筋力を一時的に高め、
ごっ!
人間で言えばこみかめのあたりに一撃を叩き込んだ。『それ』は吹き飛び、壁に叩き付けられる。
「甘く見られたもんだな」
とは言っても、まさか魔道師が武術も得手としているなどという方が、どうにかしている。魔術師の組合として有名な理力の塔でも、武術のできる魔道師は多くいても、得手としている魔道師は滅多にいない。
実際、武器を使用しての戦いを苦手とする者は仲間内にも多い。子供なので仕方がないことだが。
「本命は他にいそうだから、気をつけ………って、ちょっと!?」
いつものように、いつものこどく剣を抜いて走り出すマシェルを見て、ユーノは頭を抱えたくなった。止めようにも、もう彼は『それ』の目の前だ。
「はっ!」
いつもの調子で、それを一刀両断にする。
彼の持つ剣は、封じられていた魔剣『アルセード』。カーラントの三神器の最後の一つである。力をかけらも発揮していないとはいえ、魔法生物ごとき、切れぬはずはない。
しかし、
「何するの!?」
「いや、なんか変なもので包まれているって感じだったから」
「離れて! まだ死んでいないかもしれない!」
しかしマシェルは冷静に剣を突き立てる。
今度の『それ』は、竜殺しとは違い、不形の生物へとは変化しない。
ただ、縮んだ。
「な………」
それは、幼い子供だった。ミイラのようになっていて、顔は分からない。しかし見覚えのある服を着て、見覚えのあるアクセサリーをつけて。
「………ロウ?」
今、使いに出していた少年。弟であり、友人であった。
「なんてことを……」
ユーノは唇を噛む。しかし、側にいるマシェルの顔色に気づき、心を静める。なるべくいつもの調子で、マシェルに言う。
「マシェルにーちゃんが気にすることは無いよ。死ななければ開放されないんだ。きっと、ロウはにーちゃんに感謝している」
それは本当だ。ロウはマシェルに剣を習っていた。彼は一番マシェルに懐いていた。だからこそ、彼に救われて、喜んでいるはずだ。
「どうして………こんな」
マシェルはロウに触れようとした。それをユーノはとめた。
「安全が確保されてからにして」
「どうしてっ。このままじゃ可哀想だろ?」
取り乱すマシェルの頬に、平手が飛ぶ。
ユーノではない。
「落ち着いて」
エルマだった。
「今はユーノは行かなきゃならないから。行きなさい。手傷を負ったアズバル様一人では不安だわ」
「分かった」
マシェルのことは、エルマに任せよう。シアがすぐに駆けつけてくれるだろうから。
ユーノよりも、マシェルのことをよく見ているのは彼女のほうだから。
今は、これをした者たちを捕らえることに集中しよう。