9
アズバルは苦笑した。
──大した奴だな。
まだ十四歳の少年に、彼は感心していた。
「しかし、急ですね」
「ああ。殿下達が襲われた。今動かずして、いつ動く」
ユーノは言い切った。
「今度こそ、無駄になる前に、動いてもらわなければ。分かっているな?」
今度こそ。
以前、ユーノが生まれた頃に一度反乱がおきている。その時はウィトランが根回しをする前に、民衆が勝手に動いてしまい、失敗した。
そのおかげで、人材が多く死に、立て直しに時間がかかったのだ。
特に魔道師の育成に関しては。
シアのいた孤児院にいたのは、ごく一部。ユーノよりも年長の者は、皆こういった、各地にある拠点に散らばっている。
「手抜かりは無いな?」
「もちろん」
冷や汗をかきながら、一回りも年下の少年に頭を下げるのは、『死神』と『月』。
「既に指示通り開始しいたしました」
「当然だ」
ユーノの様子を見て、本当は彼と大差ない年頃のウィスは呆然としていた。
「……なあ、いいのか?」
「いいんだよ」
「だって、内乱始めるなんて……」
「陽動と言え」
ウィスは顔を顰めた。
「陽動で内乱など始めるのか? えらく大胆な……」
「さすがに、がちがちに守られた場所なんて、少人数でどうしろって言うんだ? 少し離れ多場所で騒ぎを起して兵力を裂き、前を気にしているところを後ろからっぐさっ、みたいなことやんだからな。
少なくとも向こうは放浪の杖の機能は知らない。知っているのはごく一部だからな。こちらが奴らの居場所を掴めているなんてバレてないはずだ。十分に行ける」
「……なあ、一応国王名乗ってる奴が、なぜ各地転々としているんだ? 警戒するにしても、政治とか困らないのか? 城を離れてるのなら、奪い返すの簡単なような気もするが」
確かに、王都を取り戻してしまえば、立場は逆転するのだが……。
「王城は別の奴が守っている」
「別?」
「奴は魔道師だ。この国の王族は、異様に魔力が高い者を多く輩出する。
その中でも近年稀に見る天才が二人いた」
「二人?」
「一人は黄の賢者、カロン。こちらは野心も無く、地位や名誉を嫌って出奔している。
そして力だけで見るなら、そのカロン以上の天才が、ワーズだ。
異界の魔物、魔族とも呼ばれるモノの一種と契約を結び、城を守らせている。その上、最近はもっとろくでもないもの作ろうとしているらしいからな」
「父上がとにかくワーズを殺せばいいと言ったのは、そういう意味だったのか」
「そういう大切なことは、よく聞いとけよお前」
どうせふて腐れて、言葉だけを聞いて、質問など一切しなかったのだろう。そしてどうするか悩んだ挙句、とりあえず事情通の自分のところにやってきたというのが、彼の行動の原点なのだろう。
「で、俺らはそんな魔道師を殺さなきゃならんわけだ。手元に置いた魔物が少しでも減れば、俺たちが楽だろ? この作戦だと、こちらはついさっき襲われたわけだから、焦って行動起したように見えるしな」
「焦っているだろう、実際」
痛いところを付く。
「まあ、あいつはちょっと切れてるけどな……」
恋愛関係。そう呼んで差し支えない関係を、ユーノとローザは持っていた。
ユーノは自覚していなくとも。
彼はいつもローザを見ていた。
彼がこうなるのは仕方がない。当然だ。
しかし、冷静さは失ってはいない。むしろ、成功させるためにいつもよりも冷静だった。本当に怒っているのだ。絶対に復讐するため。そうするために、彼は自らを律している。
事が終わるまでは、続くだろう。
しかし、逆を言えば、することがなくなったとき。
彼はどうするのだろう?
──まっ、それを心配するのがシアの役目だ。
アズバルが心配しても、ユーノはなんら心を動かさないだろう。
彼が今するべきは、国の未来となるこの少年の復讐に手を貸してやること。
「なぁ、ウィス。お前、好きな女とかはいないのか?」
「いない」
「まぁ、できたら分かるよ」
「お前はいるのか?」
「ああ」
「あの女、ではないだろ?」
「さすがにシアはな。レベル高すぎだろ。
殺し合いをしたとしたら、負けるのは俺のほうだ。さすがに、そーいう女はな……」
「基準が分からない」
「分からんでいいよ」
そんな思い、知らない方が幸せなのだから。
この少年では、当分の間無理そうではあるが……。
「二人とも。寝たいなら今のうちに寝た方がいいよ。あと一時間で行くから」
「了解しました」
立場上、敬語を使って答える。
「あいつに対しては、態度違うな」
「そりゃあ、愚者は隠者と並ぶ地位だから。上司なんだよ。上司。いくらなんでも、ユーノと面識少ない奴の前でいつもの調子で話しかけたら、あいつが舐められるだろう」
若輩であることを一番気にしているのは本人である。道は杖が示してくれても、その真意は知らされない。そこからの行動は彼自身の判断である。
不安に思わないはずはない。
「ふっ……。年下の上司か」
「ははは。年下の神様って言うのも珍しいぜ」
「黙れ」
アズバルは小さく笑う。
早く大人になりたい少年が、可愛いと思ってしまう当たり、自分も年下には甘いなと思うのだ。
敵対しないですめば、一番いいのだが……。
「よし、少し休もう」
「そうだな」
本当は、子供は寝ている時間なのだから。
事を起すのは日の出前。
日の昇るまでの三十分で片つける。
二人は向き合っていた。
ようやく、二人きりになれた。護衛達を遠ざけるのに、いらぬ苦労をしてしまったが。
「長話はできんぞ」
「分かっています」
マシェルは頷く。
なんと言っても、ここはトイレである。
情けないが、こんな手しか思いつかなかった。何も言わずとも、デュークもマシェルと同じ気持ちだったのか、ついてきてくれた。
このあたりは、双子なのだなと実感した。
「僕は、人任せというのは嫌いです」
「同じく」
「あの子達をあんなふうにした奴を、許せません」
「ああ」
デュークもあれを見て、顔色を変えていた。
思いは同じとはいわないまでも、似た方向にあるのは間違いない。
「それに、あんな子供に……」
「シアの身内を殺させるのはな……」
ユーノに人を殺させたくはない。
それに実行する前は平然としていても、ことが終わったあと、関係が崩れる可能性もある。
「それに、シアの身内を殺させたくはない……」
親が殺されているシアにとっては、唯一の身内なのだろう。
それを殺させたくないと思うのは、当然だ。
「何か手が?」
「子供の人格矯正に関してなら、師匠が得手としている。頼めばどうにでもしてくれるだろう」
何者なのだろうとは思うが、今議論すべき話ではない。
「使い魔にあの三人を追わせた。幸いにも目立つ風の小僧を連れている。見失うことはないだろう」
使い魔。一度見た、翼の生えた猫のような生物。
「なら……」
行く?
万が一のためと、武器は携帯している。今すぐにでも行ける。
「まだ動いてはいないようだ。動いたら、もう一度ここに来て……」
行く。
「自信家ですよね、お兄さん」
「自信なくば、このようなことは考えん。
あと、お前の方が兄だろう」
「いえいえ。どう見てもデュークの方が年上です」
「くくくっ。長男は真面目なしっかり者。次男は自由奔放と決まっている」
「デュークはしっかり者だからね」
「私は趣味に生きる人間だ」
「お二人とも、まだですかぁ?」
こんこんとドアをノックしながら、エルマが問うた。
「すまない。マシェルの腹具合が悪いらしくてな」
「……おい」
汚い役柄を押し付けられてしまった。
否定したいが、否定すれば怪しまれる。この設定なら、この後すぐにでもまたトイレに来られる。
──理屈では分かるけど、ムカつくっ。
「ふう、切り抜けたな」
涼しい顔して言う台詞ではない。
「いつか復讐してやる」
「できるのならな」
人を見下す目が、小憎たらしかった。
この兄妹は、やはり天敵なのかもしれない。
「各地で反乱が起きている?」
ワーズは淡々とした調子で、報告の内容を口にする。
夜中に起こされたせいか、彼は非常に不機嫌に見えた。
「はい」
「ウィトランの奴……何を考えているのやら」
しかし、彼は笑う。
一度目の反乱は、ウィトランが牛耳る前に決行されてしまっていた。統率が取れていない烏合の衆など、取るに足らない。簡単に潰すことが出来た。
それ以来、彼らはずいぶんとささやかな活動をしていたようだが、同時に四個所で反乱を起せるほどの兵力、どこから集めてきたのか。
「移動した方がよろしいのでは?」
「意味はない。ここを掴んでいるにしろ、掴んでいないにしろ」
移動中に襲われるのが一番危険なのは確かだ。
「それよりも、あの子らはどうしている?」
「最終調整に入られております」
「ならばいい。なかなか楽しめそうだな」
「お戯れはほどほどに」
「分かっている」
好戦的なのが彼の魅力ではあるが、同時に欠点でもある。
何も自ら事を荒立てなくてもいいだろうに、わざわざ厄介な連中を敵に回す。
珍しいものが好きで、欲しいものがあれば奪う。
王位とて、その程度のもの。彼にとっては、どうでもいいに違いない。
「私はどこまでも、ついて行きます」
「当然だ」
彼は言う。
やはり、彼を選んでよかったと思う。
多くの仲間は理解してはくれなかったが、彼こそが頂点に立つべきなのだ。
その信頼を得るために、友人を裏切ることになったが、悔いはない。
「さて、潰すか」
彼は指の皮膚を噛み切り、血を床に垂らしながら呪文を唱えた。
「本当に三人だけで行かれるのですか?」
「君は魔族が出てきたときのための戦力だからね」
ユーノは死神に言う。
「あれは君たちレベルが二人がかりでようやく抑えられる。
ここもそろそろ魔族が来るだろう。君がついてきてどうなる?」
「はい」
死神は渋々承諾する。
「大丈夫。こちらには仮にも神様がいるし」
「いきなり振るな」
ウィスは戸惑う。
正直、今までこういった経験はなく、緊張していた。
こんな経験がある方がどうにかしているだろう。
「頼りにしています」
「仕事だ」
緊張はするが、とりあえず目的はワーズを殺すこと。
大義名分を振りかざすよりも、割り切ったほうが分かりやすくていい。
「あの……ユーノ様」
「何?」
「このこと、ウィトラン様は?」
「引き止められなかった。だから、許可をしてくれたも同然だよ。この杖と真実の瞳は意思疎通を図っているからね。
あの時はシアねーちゃんがいたから……」
「そうですか……なら私も行きます。お気をつけて」
「お互いにね」
死神は一礼し、夜の闇の中へと溶け込んだ。
「親しいのか?」
「僕の前任者の弟子だよ。きっと、僕のこと頼まれているんだろうね」
彼は笑う。
そして手を差し出した。
「準備はいいね?」
言葉の代わりに、手を差し出した。
「杖よ。印付けたる者の元へ──」
マシェルは、突然デュークに足を踏まれた。
「おお、すまない」
「……」
わざとだ。
──合図なんだろうけど……。
痛かった。
「マシェル。顔色が悪くないか?」
「…………」
「トイレは我慢しないほうがいいぞ」
──またそのネタか……。
あれから一時間近く経っているのだからネタぐらい考えてくれてもいいだろうに。
エルマが心配そうにマシェルを見た。
「エルマ達がいるから恥ずかしいのは分かるが」
「はははは。そーだね」
「えと……お手洗い行こう。フスはお薬持って来て」
「分かった」
エルマは供にいた少年に命じる。
マシェルは悲しくなってきた。
行きたいと言えば止められるし、じっと事が過ぎるのを待つのは我慢ならない。
用意された地位に、ただ腰を下ろす。それでは、あまりにも情けない。
「おにいちゃん、大丈夫?」
見上げてくるエルマは、とても可愛らしかった。
その両脇にいるミアとロアの効果もあり、よけいに可愛く見えた。
「べ、別に大したことないよ」
嘘をついていることに罪悪感を覚えた。
──し、叱られたりしないかな?
シアやウィトランならその心配はないが、他の人たちもいるのだ。
ずきずき痛む心を抱え、彼らはトイレに向かう。
「エルマはまた待っててね」
「うん」
「そいつらを見ていてくれ」
「うん」
きっと、未だに混乱しているのだろう。
ロウに続いてローザまでが死んだのだ。
──叔父だかなんだか知らないけど、絶対に許せない。
子供を使ってそんなことをしているのだ。
材料として。
それを作る者として。
許してはいけない。それが身内だというから、なおさらこの手で片をつけなければならない。
しかし、復讐ではない。
そのつもりで行けば、シアを止める権利はないから。
身内としての責任を取るのだ。
「さて」
男子用のトイレに入ると、デュークは杖を取り出し、その先に何かチョークのようなものの付いた金具を杖に装着させた。
手馴れた様子で、小さめの魔法陣を描いていく。
眩暈を起しそうなほど細かな模様が、めまぐるしい速度で描かれゆく。
「器用ですね」
「師匠にも驚かれた」
しばらくすると完成し、デュークはその中央に乗る。
マシェルはデュークのマントを掴んだ。一瞬嫌そうな顔をしたデュークだが、小さく呪文を唱える。
「おにいちゃん? 大丈夫?」
「ああ、大丈夫だから」
ちょっと行ってくるだけだ。いつものように。
シアは耳を疑った。
「お兄様たちが消えた!?」
「ごめんなさいっ。わざわざダミーまで残してて、ぜんぜん気がつかなくて……。
まさか、あんな短時間に魔法陣を描いて転移できる人がいるなんて、思いもしなかったから……」
エルマは涙で顔をくしゃくしゃにして行った。
「あああ。まったく得体の知れなさでも、敵を上回るなんて……」
「ユーノ達を追ったと考えるのが妥当だけれど……。
一体どうやって?」
「奇妙な芸を持っていらっしゃるから、私の知らない方法でトレースしたのかも……」
「むぅ、侮りがたし、デューク様」
「ウィトラン様、落ち着いていないで下さいましっ」
「……お二人がいないのでは、私たちがここにいる必要はなし、か。
ならばみんな、少し前に計画を実行に移したから、みんな割り振られている場所に応援に行って欲しい」
シアはウィトランの正気を疑った。
「じ、実行したって……わざわざ秘密にしていたんですか!?」
「熱くなりそうな子がいるからね。
まあ、今はそんなこと気にしているときでもないし。
さ、皆に伝達して」
その場にいた皆は頷いて、ばらばらに散った。
「おねえちゃん。私も行く」
「エルマはダメよ」
「でも、ユーノもおにいちゃんも……。一人だけのけ者は嫌っ」
シアはため息をついた。
「気持ちは分かるけれど、いけません。割り振られた持ち場に付きなさい。大変なのはあの方達よりも、前線で戦っている人たちなのですから」
「……分かりました」
シアはエルマの涙を拭ってやる。
「気をつけてくださいね」
「はい」
エルマは一礼して部屋を出た。
「とにかく、ユーノと合流しましょう」
「はい」
シアはウィトランと手をつなぐ。
ユーノに、道をつなげてもらうのだ。