10

 

 二人は顔を見合わせた。
 暗い場所だった。
 デュークは懐から光石を取り出す。名の通り光る石で、この明かりならば魔法を使って探査されて居所がばれる心配がない。
 見回すと、広く暗い、いかにも黒魔術が行われていそうな場所だ。
 二人はその部屋の片隅にある魔法陣の上にいた。
「どこ?」
「私が聞きたい」
「って、無責任な……」
「ロロを迎え側の魔法陣代わりにして移動したんだが、おそらくその側に本当の魔法陣があったので、こちらに吸い寄せられたのだろう」
 マシェルは首をかしげた。
「ロロって、あの猫?」
「そうだ」
「魔法陣代わりって?」
「転移術というのは、普通は魔法陣から魔法陣へと移動する。その片方がない場合、とても難易度が高くなるからな。よく知った場所なら、片方に魔法陣があれば十分なのだが、知らない場所に行くにはどうしても迎え側に魔法陣がいる。つまりは目印だ。
 その目印代わりの魔法陣の役割を、あいつがするはずだったのだが……」
 彼は小さくため息をついた。
「弱ったな」
「弱ったって……なんかここ、怪しくないですか?」
 怪しいどころの話ではない。
「おそらく、あいつらが騒いでいたガキ賢者のものだろうな」
「うげ」
「とりあえず、騒ぐなよ。こんな場所に出たと言うことは、奴らが近くにいる可能性がある。ユーノに人殺しをさせる前に、ガキどもを捕獲できる可能性がある」
「でも、捕らえるってどうやって?」
「さすがに賢者と術合戦をするつもりはない。さすがに二人も相手にはできん。
もしものときは邪眼を使う」
「……じゃ、邪眼って……」
 邪眼は一睨みで人を殺す。
 そんな噂を信じているのだろう。
 さすがに一睨みで殺せるほどの、上質の邪眼を持つ者はそういない。
「別に殺すわけではない。手加減して、理想は気絶させる。意識があったとしても、まず間違いなく集中できないだろう。
集中を削げは術は使えない。その間に、お前が捕らえろ。口に布でも突っ込んで縛り倒せば問題ない。さすがにシアのように武術に精通しているという事はないだろうからな」
「分かりました」
 しかし、賢者という者は厄介だ。こちらでは知りえない術を使ってくる。それも経験があってこそ生かされるものだが。
 経験だけならこちらの方が上。
「さて、悪ガキ狩りに行くか」
「そうですね」
 シアの血縁者。
 ──気を引き締めねば……。
 同じ血が流れているのだから、シアが二人いると思ってかかった方が無難だろう。
 ──シアが二人……。
「でも、もしもシアさんにそっくりな子が二人いたとして、邪眼使えます?」
「う……」
「まったく、シスコンなんだから……」
「うるさい。やるといったらやる! すべてはシアのためなのだからな!
 シアと似ているからと言って手加減していては、シアに顔合わせできん」
 シアは世界にたった一人。
 顔が似ていたとしても、気にする事はないのだ。
「行くぞ」
「はーい」
 いつもの保父さん然とした、子供相手に返事をするような間延びした言い方をするマシェル。
 ──こいつも、本当に分かっているのか……。
 子供といえば、残してきたエルフの二人が心配だが……。
 ──師匠のところに預けてればよかったな……。
 しかし、現状でもまず間違いなく問題ないのだろう。
 保護者と言う立場になると過剰に心配するところは、やはり直すべき欠点だろう。
「お兄さん」
「誰が兄だ」
「どうでもいいんですけど、なんか、外に人の気配がありますよ」
「む?」
 デュークはマシェルの横に立ち、ドアに耳を押し付けた。

 

 潜入した。
 潜入したはいいが、一体どこに行けばいいのやら……。
「……ユーノ。どこに向かってんだ?」
 心の底では迷いながら、しかし足はまっすぐ迷うことなく進むユーノに、アズバルが声を掛けた。
「とりあえず、強い力を感じる方に……」
「探査系はウィトラン様の得意分野だからねぇ」
「おそらくこちらで合っている。嫌な気配を感じる」
 ウィスが言うなら、確かだろう。
「それと、おしゃべりはダメだよ。姿は消せてるけど、声は丸聞こえなんだから。
 今は人が見当たらないからいいけど」
 現在、幻術によって一般兵には姿を見られないようにして進んでいる。
 前後左右。そして頭上。
 この五面に幻術を展開しているのだが、言うほど容易い事ではない。
 非常に繊細な術で、珍しく呪文よりも魔法式の方が圧倒的に優先される術だ。むしろ、魔力さえあれば時間をかければ呪文だけで発動する術がほとんどだが、この術は魔法式がなければ発動しない術だ。
「強い魔力のある者が見れば、一発でばれるだろう」
「そんな人間、そこらにいるもんじゃないし。いたとしても、それらはたぶん、ターゲットだよ」
「なるほど」
 ふと、ユーノは足を止めた。
「どうした?」
「……ウィトラン様?」
 彼は顔を顰めた。こちらに来る。放浪の杖を手がかりにして。
 この杖と真実の瞳は兄弟のようなものだ。同じ波長を出しているから、転移魔法の目印に出来る。
「迎えるは我が兄弟」
 手助けをしてやると、目の前にウィトラン。そしてシアが出現した。
「な……なんでシアねーちゃんが?」
「大変です」
 シアの目は、据わっていた。
「た、大変?」
 何がそんなに大変なのだろう? 誰かが死んだにしても、こんなところにのこのことやってくるはずがない。
「お兄様とマシェルが、消えました」
 しばし頭の中が真っ白になる。
 ──キエマシタ?
「な……」
「まっ……マシェルが消えただと?」
「マシェルが腹具合が悪いからトイレに行くといって、お兄様がトイレの中に簡易魔法陣を描いて……」
「……うわ」
 急に頭が痛くなったきた。
 シアが来てしまっては、こんな少人数で来た意味がない。
 その上、絶対に守るべき君主が、敵陣に乗り込んだ。
「何を考えて……」
「俺たちが甘かった。俺たちが思うんだ。あいつらも同じような事を考えたとしても、仕方ない」
「同じような事?」
「お前に、人を殺させたくないとか。マシェルなら、思うだろうな……」
 ユーノは沈黙した。
 シアの事ばかり考えていたが、マシェルという男の性格を考えるのを忘れていた。
 彼は、何でも自分でする人間だ。誰かに何かを押し付けたまま、いや、誰かが自分のために何かしていると、来るなと言っても手伝いたがる男だ。
 そう、マシェルは人のお膳立てをぶち壊す達人だった。
「し……しまった」
「手段がないから大丈夫だと思ってたが、まさかデューク様が……。
 予想外だ。
しかし、どうやって?」
「あの……」
 知らぬ声に振り返る。
「誰だ?」
「ここです、ここ」
 それは、猫だった。翼の生えた猫。
「デューク様の……」
「お兄様の?」
 猫はぺこりと頭を下げた。
「猫ちゃん、どうしたんですか?」
 無類の小動物好きのシアは、満面の笑顔で猫を招き寄せる。
「ロロです」
「で、そのロロちゃんがどうしたんですか? お兄様はどこにいらっしゃるんですか?」
 相手が小動物でよかった。もしも、相手が人間の大人であれば、容赦なく殴り倒された挙句に拷問されていただろう。それではかえって時間がかかる。
「ご主人様がいらっしゃらないのです」
「?」
「私を迎えの目印としてこちらに来ると連絡があったのですが……。マークされたまでは確実なのですが、一向にこちらにみえず……」
「はぁ?」
 シアはロロを掴み上げた。
「つまり?」
「よく分かりません。シア様の方がお詳しいと思い……」
 シアは考える。
「ひょっとしたら……」
 シアは顔を引きつらせて。
「どこか近くに魔法陣があって、そちらに出てしまったとか……」
「…………大変な事なんじゃ……」
「ええ。とっても」
 シアはロロへと視線を向けた。
「ロロちゃん。お兄様と連絡は?」
「それが……。何か外からの力を妨害するような場所にいらっしゃるのかと」
 シアはウィトランを見る。
 この国には彼が一番詳しい。
「そうですね。この城は確か、禁呪を行っていた者が昔住んでいました。そう確か、地下室があったはずです」
 そうして、皆は一斉に走った。もちろん、ここにいる者たちは、足音を立てて走るなどという素人は混じっていない。
 一人だけ例外がいるが、その神様は呪文を唱える事もなく空を飛んだ。

 

 小さくドアを開けると、知らぬ男と視線が合う。
「………」
「………すみません。間違えました」
 デュークは深々と頭を下げる。
 マシェルはそう言ったデュークの気持ちがよく分かった。
 見た事もない化け物に囲まれた、人間の男。
 普通引く。
 デュークは何事も無かったようにドアを閉める。
「何だ? あれは」
「いやぁ。あの手の事、僕に聞くだけ無駄だって」
「なるほど。一理ある」
 納得されると腹立たしいのだが……。
 突然、デュークの背後でドアが開く。
「何者だ?」
 先ほどの、男性だった。
 金髪碧眼の中年男性だ。甘さと渋さが混同する、何とも言えない雰囲気を持つ、同性から見ても魅力的な美丈夫だった。
 とても、魔物に囲まれ喜びそうなタイプには見えないが……。
「いや、出る場所を間違えたようだな……。
 使い魔を出口にしたら、この魔法陣に引き付けられてしまったようだ。退散する」
 デュークはまるで玄関先で住所を間違えた事に気づいたような気軽さで、平然を装い魔法陣に向かう。
「それは興味深い話だな。
 帰る前に、是非その状況を聞きたいものだな」
 男性はデュークの腕を取り、引き止める。
「いや、しかし」
「お茶でも入れよう」
「いや……」
「ああ、あれらか? 気にする事はない。もう、差し向けてここにはいない」
「そうか」
 デュークは汗をかいていた。
 マシェルも同様だった。
 ──何者だろ?
「誰かいないか。おいニーナ、客人だ」
「お客人!?」
 デュークたちのいる部屋の向かい側にあるドアを開けたのは、魔道師風の女性だった。
「一体どこから!?」
「それを今から聞こうと思ってな。茶を用意しろ」
「しかし今は……」
「いい。かまわん」
「はい。かしこまりました」
 女性は深々と頭をたれ、部屋を出る。
「すまないな。立て込んでいて」
「いいのか、立て込んでいるのに」
「構わん。どのみち私が行くと、ニーナ、さっきの女が怒るのでな」
 デュークはやや引きつった笑顔を浮かべた。他人が見ればどうとも思わないだろうが、多少は彼を知っているマシェルから見れば、異様だった。
「まあ座れ」
 広い部屋の片隅にある、立派なソファを指して言う。二人は、場違いな印象を受けながらも座った。
「で、どうやったんだ? 使い魔がどうとか言っていたが」
 デュークはしばし迷い、口を開く。
「使い魔に術と仕掛けを施し、簡易なものではあるが、迎え側の魔法陣代わりとして使用できる」
「へぇ。知らなかったな」
「私の師が開発したものだ。教えるわけにはいかない」
「分かっている。そういう事が可能だと分かっただけで、大変面白い」
 男は笑った。
「実に面白い話だ。それが失敗して、ここに?」
「そのようだ。
 内乱が始まってしまったとかで、迎えに来てくれと知り合いがいうものだからな。お前は逃げなくてもよいのか?」
「ああ、問題ない。
 しかし、そんな理由があるのなら、引き止めたのは悪かったな」
「ここからでは、なぜか使い魔と連絡が取れない。どの道外に出してもらわなければならなかった。事情説明を兼ねて話した」
 ありもしない話をぺらぺらと……。
 魔道師は嘘をつかないというのは嘘だったのだろうか?
「ああ、ここは特殊な結界を張っているからな。
 なら、外まで案内しよう」
 彼は立ち上がる。
「ところで、お前たちの名は?」
 男性が問うてきた。
「優秀な人間が好きでな。ぜひともうちで働いて欲しいぐらいだ」
「いや、私は誰かに仕えるつもりはない。家出中の身だからな」
「そうか。残念だ」
 彼は本当に残念そうな顔をした。
「陛下、侵入者は?」
 突然部屋に飛び込んできたのは、ユーノと変わらぬ年頃の少年少女。
「ああっ、やっばり!」
 二人は、同時にこちらを指差した。
 ──な、なんか……まずいような気がする……。
「陛下、こいつらです。
 あいつらの育てた王子ですっ」
 少年が、叫んだ。
 ──陛下って……やっぱりこの男がワーズ!?
 そして、この二人がシアの弟と妹。
「バレたか」
 言ってデュークはすぐ側に無防備に立つワーズに足払いをかけた。バランスを崩したワーズの襟首を掴んで後ろから締める。空いた手でナイフを取り出し、それを首筋に押し付けて、完成。もちろん首は完全に落ちるまでは締め続けるつもりらしく、力を緩めてはいない。
 ──さ……さすがは暗殺者養成一族の長男……。
 マシェルには出来ない芸当である。
「……気づいてたんですか?」
「状況が状況だからな。さっさと行け」
 マシェルも剣を鞘のまま持ち、、呆然とする子供達の元へと走る。
「ソーラっ」
 少年が少女の前に出た。
「ごめんね」
 二人が動くよりも早く、マシェルは少年の肩に剣を叩き込む。鞘をつけたままとはいえ、下手をすれば骨にひびが入っているだろう。しかし、手加減しすぎて身を滅ぼすのはこちらだ。
「水底の牙持つ者よ」
 少女にかかる直前、術が発動する。しかし、その術はマシェルの鞘付きの剣の前に、消え去る。
 弱い術ならば、鞘でも防ぐ事が出来る。この魔剣を、封じるほどの力を持つ物なのだから。
「ごめん」
 呆然とする少女の鳩尾に、マシェルは拳の一撃を叩き込む。
 確実に痣になるだろう。女の子に手を上げるのは、事情があっても辛いものだ。
「ご苦労、マシェル」
「こんな簡単でいいんですかね?」
「さっきの女はいるか?」
「いないようです」
「とりあえず、魔法陣から戻るぞ。ロロのところには行けなくとも、元に戻る事は可能だからな」
 また、トイレ。
 あまり、格好のよくない帰還である。
 その時だ。
 遠くで、悲鳴が聞こえたのは。

 

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