大地の愛でし子 

 



 空を見上げて、雲の流れをなんとはなしに見る。一瞬で表情を変える雲は、女性的だと思う。時々迷惑だが、やはり愛しいと思うところが、よく似ている。
 大地を見下ろし、片足をあげる。足下には花束があった。それを彼は踏んでいた。華やかだが、弱々しい花に見えた。雑草のようにどんなことをしても再び根を張るなどということができない、弱々しい手をかけられた花。
 こうして踏みつけにすれば、元のようには戻らない弱い存在がある。いや、元に戻る意地のある存在など、本の一欠片だ。当たり前のことだが、それを忘れる人間もいる。
 前を見ると、男達が殴り合う姿を目にした。
 ここは街の中。表通りから外れた、決して治安がいいとは言えない裏通り。
 そこで男達は命がけのケンカをしていた。
「馬鹿者っ」
 ラァスは優勢にケンカをしている、知った顔の男に跳び蹴りをかました。優勢も何も、相手の細くてそこそこ顔立ちのいい若者が一方的にやられていたのだから、当然それはケンカの域を超えている。一方的な暴力であった。暴力に対して、人は恐怖を持つ。それをされる側だけではなく、それを見る側も。
 よって、ラァスは周囲の人のためにも、加害者を手っ取り早く止めた。
「ってー」
 男は転倒したがすぐに起きあがる。教育のたまものだろうか。正しい受け身の取り方を徹底的に身体に叩き込むようにして教えたばかりだった。彼は少しぐらい踏みつけにしてもしぶとく生きている世間には珍しい雑草である。
「って、チビ神官じゃねぇか! てめぇ、いきなり何しやがるっ!?」
 彼はラァスに向かって言った。ラァスに向かって、言った。確かに言った。
「ねぇ、拳からだんだんと骨を粉砕していくのと、チキンを食べる時にするみたいに、腕をぐりっともぎ取るの、どっちが好みかな?」
「すみません。俺が悪かったです。目を輝かせないでください」
 最近さらに学習したようで、彼は土下座して謝る。本当に砕いたりもいだりはしないが、骨折ぐらいはさせているし、自然治癒させることを学んでいる。骨折しても訓練は行う。片腕を使わない戦い方というものも体験させなければならない。魔物相手では、いつ身体の一部を損傷するか分からないのだから。
「えと……ライアスだっけ?」
 まだ十代後半の青年で、大柄で粗野でいかにもこういった場所が似合うが、これでも立派な貴族である。
「なんでそのお兄さんぼこってるの?」
「こいつが人の女を」
「見苦しい!」
 ラァスは持っていた杖で彼の横っ面を殴る。近くにいる女性が、恐怖で腰を抜かして可哀想なほど怯えているのだが、彼女が彼の恋人だったのだろう。
「女を口説かれていたんなら一言言って追い返せばいいだろ! 女取られたんならお前の甲斐性なしのせいだ! 口説き方も、床の方も向こうの方が上だったって事! そのお兄さんをどうこうしていいことにはならないの! 選ぶのは女の人なんだからねっ」
 ラァスは腕を組んで彼を睨み付けた。この町でも裏に通じていることに越したことはないと思い、独自のネットワークを作るために色々と探索していたのだが、よもやこんな場面に出くわすとは思わなかった。
「お兄さん大丈夫?」
 ラァスは近づき、青年に治癒の術を施す。半分ほど顔が変わってしまっている。可哀想に。しかしそれでも美形に違いなく、ライアスとの差は歴然としていた。
「ああ……女神が……女神が見える」
 男の方は痛みが引いたとたん、ラァスの顔を認識し、馬鹿なことを口走る。
「これは夢だろうか? このようなところで女神にお会いするとは」
 手など握られ、ラァスはここで治癒をやめた。立ち上がり、杖を持ち上げ呪式を幾重にも手の周囲に纏い、それを杖に移す。この杖は治癒魔法を増幅させる特殊な杖で、地神殿の神官なら誰でも持っているものだ。
「癒しを」
 かざした杖の先端から、一気に治癒の力を流し込む。その力の奔流に青年の身体がびくりびくりと震えた。
「元気そうだからそれでいいね。ほら、ライアスさん行くよ! 今日から新しい施設に引っ越しだって言うのに、なんでこんなところにいるんだか!」
 ラァスはライアスの手を引き、その場を離れる。
「ま、待ってくれ! せめて話ぐらい!」
「あのお姉さん、青ざめた顔で遠い目してこっち見てるからたぶん無駄!
 それにいい年なんだから、カモられてることにぐらい気づいてよ! だから男は馬鹿って言われるんだよ!?」
「お、お前男のくせに何が分かる!?」
「はいはい。あなたよりは分かるよ。だからとっとと行こうねぇ。
 ご近所の皆様、お騒がせしました」
 ラァスは周囲に愛想を振りまして、ライアスの巨体をずるずると引きずりながら去っていく。


 引っ越しといっても、引っ越し作業にラァスは一切の関係はない。何でも第六騎士団専用の『訓練施設』を与えられたらしい。地神の口添えもあるだろうが、世界の大事に力を避けない分の考慮らしい。
 今日は引っ越しのおかげで訓練がなく、神殿のおつとめも終えてしまったので、就寝まではフリーだったのだが、この男のせいで久々の自由な時間が台無しになってしまった。
「ところで引っ越し先ってどう? いいところ? この町についてほとんど知らないから、よくわかんないんだけど」
「元々は暗部の訓練が行われていた場所だから、設備は整ってはい……ますよ。外からは中が分からないようになってい……ます」
「無理に敬語にしようとしなくてもいいよ」
 語尾の調子のおかしさは、ラァスに対して敬語を使う事に対する抵抗と見ていいだろう。
「あ、そっか? いやぁ、よかった。ガキに敬語使うの抵抗あるんだよなぁ」
「猊下と呼んで、神に接するかのごとく畏れ敬って欲しいなぁ」
「馬鹿かてめぇは」
「どうせ馬鹿だよ」
 実際に学歴については彼の方が上だろうし、そういった知識も彼の方が上だろう。その分を取り戻すため、今隠れて勉強中なのだが。
 しばらく歩くと、問題の施設にたどり着く。王宮からは少し離れていて、広くはないが元々共有していた訓練所よりはずっと広い。昔は墓地だったらしいという点だけが不安材料だ。幽霊が出ても悪魔クラスの悪霊さえいなければ、ラァスの視界に入ることもなく安心である。
 二人は中に入ると周囲を見回した。そうせざるを得なかったのだ。
「荒れ果ててるねぇ」
「だから、もらえたんだよ」
 どういった理由からかは知らないが、建物は立派なのだが、手入れがされていないので草は伸びゴミが投棄され建物にはかごを編んだら可愛くなりそうな立派な蔦も張っていた。
「何年放置されてるの?」
「しらねぇよ。俺が生まれた時にはこうだったぜ」
 どれほど放置されてきたのだろうか。これほど立派な施設なのに、もったいない。
「つまり掃除が嫌で逃げたな」
「そーだよ」
「まったく。僕はこんな汚い場所いやだよ。早く綺麗にしてね」
「てめぇは何もしねぇのかよ?」
「僕は神官だよ。神に祈り、従順に従うことが仕事なの。神殿は掃除しても、よそは掃除しないの。穢れるじゃない」
 規則正しい生活を送れて、食らべれて、楽な仕事である。副業さえなければ、心穏やかな人生を送ることができそうだ。
 そう考えた彼は、嫌な予感がして足を止めた。そんな彼が踏み出そうとしていた箇所に、草の中に腕が突き出ていた。やり場をなくしたそれは、宙を何度も空振りしていた。
「流砂、またやってるの?」
 見たことのある、子供の手だった。こんな事をする子供は、一人しかいない。
「ちぇ」
「ちぇ、じゃなくてねぇ」
 流砂は全身を現し、ラァスに向かってにっと笑う。
「君まで来てくれるなんて、らっきー」
「僕は帰るよ。これから愛しのアミュのところに行くから無理」
 こういう時でもなければ、好きな子にも会いに行けない。夕食を一緒に取る約束だったが、少し早く行っても問題ないだろう。
「ああ、それなら一緒に掃除しなよ。アミュも掃除してるから」
 ラァスは驚きのあまりぽかんと口を大きく開けた。
 彼女は彼らには何も関係ないはずだ。
「実はここ、昔から問題になっててね。街の外観を崩すは、不法投棄されるは、変な連中がたまり場にするわといろいろあったんだけど、ちょっと手が出せなくてさ。今回ようやくどうにかしようってことになったんだ。んで、ボランティアとして、色々な人が手伝ってくれてるんだ。その中の一人で、実際に中を手伝ってくれているのがアミュ」
 ラァスは顔をしかめ施設を見た。三階建てということは分かるが、元がどのような外観であったかは蔦のせいでわからない。
「じゃ、こっちだよ」
 流砂は人の返答を聞く前に歩き出した。まさか帰るわけにもいかず、ラァスは歩き出す。ライアスをしっかりと連行しながら、建物内に入る。
「……思ったよりもきれい」
「掃除したからね」
 とりあえず水をまき、ブラシでこすり水切りをし、それが乾いたという雰囲気だ。壁は磨かれていないので、まだ汚い。
「業者に頼んだら?」
「無理だよ。この近所の人はここをすごく怖がってるから」
「なんで?」
「あ、あそこ! あの部屋にアミュいるよ!」
 流砂は掃除された廊下を走って行く。この建物の造りは軍事施設という雰囲気はない。どこかのお屋敷のような雰囲気だ。ひょっとしたら、軍事施設であることは隠されているのかも知れない。だからこそ、取り壊しも使用もできなかった可能性はある。
 ラァスは流砂が向かった部屋を覗くと、再びあんぐりと口を開いた。
 流差が言った通り、同じ師に学んだ妹弟子のアミュがいた。歳はラァスよりも一つ下で、純粋無垢そのものの純朴だが、顔立ちは愛らしいと言うよりも美しい少女である。ぽーっとしているというか、ほやっとした雰囲気が、冷たさを含む美貌を殺し、愛らしさを生んでいた。
 今日の彼女は、見たことのあるキャラクターのアップリケがついた割烹着を着て、一生懸命床を磨いていた。束ねた赤い髪の束が、ぴょこぴょこ揺れて可愛い。それはいい。そこまではいい。彼女は真面目で掃除好きだ。掃除に熱中のするは当然だ。
 問題なのは、なぜだか彼女の回りに群がる男達だ。さすがに年長者組はいないが、十代の少年騎士達はアミュに媚び売りでれでれと笑っていた。
 平均年齢が低いのがこの騎士団の欠点だろう。思い切り蹴散らしたいところではあるが、ここでキレて暴れてはラァスの品性に関わる。
「アミュ、こんにちは」
 アミュは振り返り、ラァスを見て驚いた顔をした。
「どうしたの、ラァス君」
「今日は時間が余ったから。見習いの僕以外は忙しいから、僕にはかまっていられないんだよ」
「そっか。だからラァス君も手伝いに来たんだ」
 アミュは純粋な心と満面の笑顔をもってしてそう言った。
 まさか、これから人脈確保のために悪い道に入ろうとしていたとは言えない。もちろん、悪いことをするつもりもなければ、身分を隠すつもりもなかった。ただ、世間知らずな神官が、迷子になりましたというような風を装うつもりだった。変装した時、もしも露見すれば問題だ。一度限りの街ならともかく、ずっといるなら隠すよりは見せた方がいい。そうすれば、心の中が隠せるのだ。
「うん。僕も出入りする場所は、ちゃんと綺麗にしておきたいから。でも、君がどうしてここに? 姫様達の許可は得たの?」
 アミュはこくりと頷いた。
「流砂さんの誘いだからいいって。騎士団の人たちって、みんな身分が高いから話しにくい人だと思ってたけど、とっても優しくて、想像と違って驚いたの」
「いや、こいつら限定だから」
 彼女は彼らを信頼しきっていた。ラァスが関わり、流砂が共にいるからだろう。信頼できる人物など、この中にはいないというのに。
「それと、ダメだよアミュ。世の中、女性に無害なフェミニストばかりじゃないんだよ」
「無害?」
「そう。女の子にとって、男なんてみんな有害なの。飢えた肉食獣なの」
「どうして?」
「色々見てきた僕が言うんだから確かだよ」
 彼女よりは対人関係においては経験豊かである。一番下も、一番上も知っている。男も女も知っている。
「ラァス君は可愛いから」
 アミュはラァスの顔を覗き込んで言う。ラァスの顔立ちが愛らしいのは、誰もが認めるところだ。道を歩いていればナンパや痴漢にあい、夜道を歩けば男にあとをつけられる。それは男だと相手が認識していても行われる。
「何を言ってるんだ。アミュはこんなに可愛くて美人なのに、油断しちゃダメでしょ!」
 自分には関係ないと思っているアミュは、目を丸くしてそのまま数度瞬きをする。睫が何度も行き来してその長さを強調する。邪眼とも呼ばれる赤い瞳は、そうとは思わせないほど優しい。それがどれほど魅力的か、彼女は理解していない。
 自分の容姿に自覚がないのは昔からのこととはいえ、女としての自覚すら足りないのは大きな問題だ。
「それに美人不美人に関係なく、女の子は男に対して警戒してなきゃだめだよ。僕は信用していいけど」
「ラァス君はいいの?」
「僕はほら、立派な聖職者目指してるし。もちろん、聖職者の中にもとんでもないのはいるから、二人っきりとかになったら油断しちゃいけないけど」
「どうして?」
 彼女の純粋だが答えにくい疑問をぶつけられ、ラァスは汗をかく。男に襲われたことなどないだろう彼女は、これからもそれが続くと思っているのだ。
「男は肉食獣だから。女の子が自分から無防備になるのはよくないの。師匠もよく言っていたよね。『男なんて行き着く先はみんな同じです』って」
「ラァス君も男の子なのに、ラァスくんは違うの?」
「んまぁ、僕に対しても警戒してくれていいよ。僕はアミュが嫌がることなんてするつもりはないけど、それでアミュが無防備にならないんなら、いくらでも疑って。もしもアミュに何かあったら、僕らは……ねぇ」
 知り合い皆で、その相手を殺しに行くだろう。先の見えぬ死という唯一の希望である終着点まで、恐怖と絶望に満ちた茨の道を歩ませてやる。そう、その時こそ、師の城にある数々の拷問器具を使う時だ。
「……わかった。だから、そんな恐い目をしないで。そういうことを忘れた、優しいラァス君が好きだから」
 ラァスは自分目はそんなに恐かっただろうかと思いながら、笑顔を作る。
 好きな子に意味は違えど好きと言われるのはくすぐったい。
「本当に分かってくれた?」
「大丈夫。何かあっても、自分の身は自分で守れるよ。ただ、相手が死んじゃわないか不安だけど、みんなにも言われてるから、そういう時は躊躇わないから」
 他の皆も同じ事を言っていたらしい。さすがの彼女も、そこまで言われればそれなりの覚悟は持ってくれたようだ。
「そっかよかった」
 ラァスは先ほどアミュに群がっていた少年達に目を向けた。彼らはこちらを見てなにやら囁きあっている。
「君たち、分かってるよね?」
「何が『分かってるね?』だよ。てめぇ、さっきと言ってることが違うじゃねぇか!」
 声を荒立てたのは、先ほどラァスが連行したライアス。先ほど彼と話したことを思い出そうと、彼と顔を合わせた時のことを思い出す。何を言ったのだろうか。
「さっきは選ぶのは女の方とか偉っそうに言っといて、てめぇの女になるとそれかよ!」
 そこまで言われ、ラァスはようやく自分の言葉を思い出す。そのようなことを言った記憶がある。
「アミュみたいな純朴な子は、悪い男に騙されるといけないから守ってるだけだよ。君の彼女は世の中をよく知った酒場の女じゃないか。タイプが違うの」
 ラァスはアミュを抱きしめて言う。彼女は意味が分からないのか、小さく首をかしげ、それからすまなそうな顔をして言う
「ごめんね。私、田舎者だから」
 問題はそこではない。
「何言ってるの。僕は田舎の方が好きだよ。のんびりしてるしね。反対に都会は恐いから、アミュも気をつけなきゃダメだよ」
 言いたいことはそれだけだ。ラァスが言えば、彼女にとっては説得力があるはずだから。
「うん。分かった。じゃあ、ラァス君もお掃除しようね。とっても大変そうだから」
「……ああ、そうだね。おそうじだわーい」
 帰るにも帰れぬこの場面。もう少し後に来ていればと、自分のタイミングの悪さに嫌気がさした。

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