大地の愛でし子 

 

 黄金色の少年と真紅の少女。
 睦ましいと表現するのがふさわしく、見る者を魅了した。
 精霊を見ることができる者達が二人を見れば、地精と火精の恋人同士だと思う者も出てくるだろう。精霊達は二人を見て喜び、祝福するような好意を捧げる。それはラァスにとっては大きな力となる。
 彼は実に知り合いに恵まれている。彼の力をより高めるきっかけを十分に与えられているのだ。そしてそれに応えるように、素晴らしい成長を見せている。
 人間としては上出来だ。数百年に一度の逸材と言っていい、と地神が口にしたほどだ。他にはラァスの師である邪眼の魔女ヴェノムや、ラァスの兄弟子にあたる闇の賢者カオスがここ最近の当たりだという。五百年前と、二百年前でここ最近という、この世界の始めから存在する神の感覚は、生まれて間もない流砂には、理解しがたいものがあった。
「流砂、ぼーっと二人を見てるヒマがあったから、手伝ってくれないかと思うんですが」
 友人であるカリムが、ただ見ているだけの流砂に言った。彼は真新しいがすでに汚れた白い割烹着を着て、ラァス達と共にキッチンの掃除をしていた。キッチン特有の汚れというものは少ないが、場所が場所であり、徹底的に掃除をしなければならない
「それはどうでもいいからおいといて。
 君たち、料理できるの?」
「は?」
 流砂は単純な疑問をぶつけた。
 ここは場所柄、地元の料理人を雇うのは難しいだろう。評判が悪すぎる。使用人を募集するなら、偏見のない土地に住んでいた者を雇う必要がある。この国に流れてきた料理のできる者が都合よく見つかるかどうかは運次第だ。この施設の外観もマイナスだ。一見廃屋同然の今、募集してもここまで来て回れ右をする者の方が多いだろう。
「……用意してくれないんですか?」
「だって、みんな嫌がってるから、無理には呼べないし。君らと違って、拒否権のある一般の人だからね」
「私たちにはそんな権利もないんですか……」
 死にたくなければ必死になれということなのだが、彼の上司──地神の愛情はとてつもない変化球がかかっていて、理解するのはなかなか困難だ。他人の彼らにとっては、理解の範疇を超えるだろう。民のために死ぬのが、民によって生活を支えられている貴族の役割というのを叩き込まれているために大きな反発が起こったりはしないが、普通であれば抗議ぐらいあるだろう。
「名実共に地神様直属の聖騎士だよ。名誉でしょ?」
「名誉には名誉ですが、こう……なんというか。だったらもう少しいい待遇とか」
「信仰とは耐えることだよ。騎士なら文句を言わずに信じて突き進め。ごーごー」
「耐えるのはいいんですが、もう少し違う耐え方を」
 そのやりとりに、ラァスとアミュが小さく笑い出す。愛らしい姿を見て、何人かいる少年達はラァスを視線で射殺さんばかりに睨み付ける。ラァスは気にせずアミュに語りかける。
「……いいなぁ、彼女」
 カリムはラァスを見てため息をつく。
「作れば?」
「作ろうと思って作れるなら、苦労はしませんよ。だいたい、気になる女性がいると、大人の姿で割り込んできて邪魔をするのはあなたじゃないですか」
「僕の方がハンサムなんだからしょうがないと思うけど」
 実はそれが流砂のふりをした地神であることを、彼は知るよしもない。流砂のふりをして彼をからかうのは、地神の楽しみの一つである……などと耳にすれば卒倒し、しばらく立ち直ることができないだろう。地神もカリムのことをかなり気に入っているなど、本人は知らない方がいい。
「あ、もうこんな時間だ。僕は地神様のところに帰るよ。僕にも仕事はあるから」
 とくに用などないのだが、これ以上ここにいれば手伝えと言われるのは目に見えている。このあともラァスがいるので、問題はないだろう。少なくとも死人が出ることだけはない。
 彼にはびしばしと指導してもらわなければならない。
「今晩の夕飯の材料は用意しておいてもらうから、それまでに頑張って食堂も使えるようにしておいてね」
 希望だけは残しておき、流砂は床へ、その下の地面へと沈む。料理は最悪の場合ラァスがするだろう。彼は一通りのことはできるはずだ。


 ラァス達は厨房を任せて食堂にやってきて、絶句した。
 カリムはそんな彼を見て、くすりと笑う。いつも驚かされているが、たまには相手に驚いてもらえると、それがなんであれ愉快である。
「ここで何かあったのかな?」
 キッチンが汚れているのを見た時は、さして驚かなかったのだが、ここを見るとこの異様さに気づいたようだ。彼が来た時には、キッチンはある程度は片づいていたから、それも当然だった。
 叩き砕かれた椅子やテーブル。壁には剣や斧が突き刺さり、黒いシミが所々にある。荒れていた。悲惨なほどに、荒れ果てたまま放置されていた。
「何かの殺人現場?」
「よくわかりましたね」
 鋭い一言にカリムは感心した。
「僕は帰る!」
 オカルトが嫌いらしいラァスは回り右をして、背後にいたアミュと目が合う。アミュはその場を見ても平然としていた。アミュの胆はラァスよりも太いようだ。
「大丈夫。ラァス君には見えないなら」
 彼女は冷静に現実を見ていた。彼女の冷静さはここに来た時から感じていたが、紛れもなく本物である。
「いるの!? ねぇやっぱりいるの!?」
 ラァスはアミュにしがみつき、体裁も気にせず怯えている。
「そんなに多くないし、見えないと思うから大丈夫」
「そっか。ならいいや」
 ラァスは一瞬して強気になり、震えが止まりしゃんとなる。
 少なければいいのだろうか。見えなければいいのだろうか。自分の関与しないところなら何があってもいいというのは、普通もっと別のところではないだろうか。
「それに今のラァス君なら、真剣に向かえば悪魔以外は簡単に浄化できると思うよ」
 悪魔というのは、世間で思われているような『神の敵』というような存在ではない。死者の中でも特に力が強いもの。一度死んで死を失った者達──不死者と呼ばれる存在の、最高位にある者を指し示す。それは人の霊だけでなく、あらゆる生物、形態の死霊を指し示す。人の悪魔もいれば、動物の悪魔もいる。竜の悪魔ともなれば、伝説級の怪物だ。
 彼はそういうのと対峙できる領域にいるようだ。神官としては、すでにかなり高位の実力である。その上あの体術だ。聖眼でなくとも、自然と上に駆け上がっていっただろう。
「なんでこんな性悪が……」
 隣でライアスが悔しげにつぶやいた。彼は別行動を取りたがっていたが、逃げ出した馬鹿者である以上、他の者以上に働かせなければ不公平である。
「さて、さっそくライアスは粗大ゴミの片付けを頼みます」
 カリムはラァスをねたむライアスへと言う。
「俺が力仕事!?」
「当たり前です」
「そういうのは、一番の怪力じゃねぇんですかっ」
「彼は別にここを片付ける必要はないんですよ。大変なことは、自分でやりましょう。そうでないと、団長が復帰した時……恐いですよ?」
 ライアスは身を強ばらせ、無言で横倒しになった机の元へと向かう。その姿を見て、ラァスがカリムの方を振り返る。
「そんなに恐いんですか? ぎっくり腰の団長さん」
「どうしてかうちの団長は理解できないほど強い方なんですよ。ただ、うちの団長であることは一時間も付き合えば骨の髄まで身に染みるような性格の方です」
 ぎっくり腰で療養中という、端から見れば情けない団長だが、団員からは恐れられている。
「問題児な団長さんなんですねぇ」
「そうとも言います」
「大変ですね」
 カリムはため息をつく。上も下も問題があるため、実質的に団をまとめているのは彼だと言うことを、ラァスは理解してくれたらしい。実際に他の団に入団する予定だったところを、人がいいのを利用されて押しつけられたのだ。気づいた時には後の祭りである。
 カリムはモップを片手に部屋へと踏み込むと、単純な水の呪式を展開する。
「水よ」
 部屋の隅に水をまく。粗大ゴミがあるので、部屋の真ん中をぬらせないため、隅の方から攻めることにした。
「ライアス、早くしてくださいね」
「無茶言わないでくださいっ」
 ライアスは机を抱えて反抗的に怒鳴る。家具自体はそれほどないのだが、破壊されているので細かくやっかいだ。
「まずは窓開こうよ。暗いよ」
 ラァスは光球を指先で遊びながら窓へと向かう。
「家具もここから出せば早いし」
 と、彼はカーテンを開き窓に触れた。何度も押したり引いたりを繰り返し手を止めた。
「外から木が打ち付けてある」
 ラァスは窓の隙間あたりに手を置き、呪文を唱える。一度手を離し、そのまま一瞬にして──
 ばきっ!
 外の添え木だけが吹き飛ぶ音が聞こえた。光が差し込み、明るくなる。しかし窓は開かない。
「……あれ、開かない」
「ラァス君、そこは刺激しない方がいいよ」
 アミュの言葉にラァスは走って戻ってくる。
「な、ななな、何かいる!?」
「窓を開こうとした瞬間、ここのいるヒト達が騒ぎ始めたの」
 ラァスは怯えてアミュにしがみついている。好意を抱いている相手のように見えたが、女性にこのような姿を見せてもいいのだろうか。彼ほど愛らしい姿をしていると、そんな幻滅の対象になりかねない行為も正当化されるのだろうか。
「ははは。なんでもここを解体しようとした業者とか、片付けようとしたボランティアの人とか、何人も死人出てるから」
「そんなところに人を押し込めたの!?」
 幸いこのメンバーは強がりが多く『幽霊が恐いんですか? なんだかんだと可愛いところがありますね』と釘を刺した結果、誰一人それを理由に逃げ出した者はいなかった。唯一、内を見て逃げ出したのがライアスだった。彼は掃除が大の苦手という、片付けられない男だからである。
「こ、ここ、な、なにがいるの!?」
「いやぁ、言えませんよ」
「ねぇ、何があったの!?」
「噂ですが、何か薬の開発で失敗があり、凶暴化した試験体が虐殺の限りを……というような。あ、噂ですよ。噂ですが、最後にここに逃げ込んだ人たちは、一度外に出てた試験体が、その窓から入り込んで……って、恐がりなのに恐い話は平然と聞いてますね」
 今までの調子から、耳をふさいで全身で怯えを現しアミュに泣きつくのかとも思ったが、意外にもけろっと話を聞いていた。
「なんだ、その程度か」
「程度……ですか?」
「別に殺人鬼が斧持って子供を追いかけ回して遊んでいたとか、子供が女の腹引き裂いて食べてたとか、女の子が女の子をいたぶって串刺しにして遊んでたりとかはないんだよね」
「そんな特殊な場所が世界のどこにあるんですか」
「恐いのは経験上、殺戮者側だよ。あいつら問答無用で人の視界に入ってくるんだ。ああ、『見ない』が通じない相手なんて嫌いっ!」
 アミュはラァスの頭を撫でて落ち着かせている。自然なその成り行きは目映いばかりであった。
 ──彼女っていいなぁ……。
 時々、男ばかりの職場が恨めしい。
「ラァス君。落ち着いた?」
「うん」
「じゃあ、後ろを見ないようにここを出て行こうね」
「後ろ?」
 ラァスはうかつにも振り返る。
 窓が、わずかに開いていた。そこから、黒い手が伸びていた。徐々に、少しずつ。それは伸びてくる。
「ひっ」
「だから振り返らずにって言ったのに」
 皆の背後で、食堂のドアがばたんと閉まる。どうやら、閉じこめられたらしい。
「おー、こいつらが噂の幽霊か。何人殺したんだ?」
 ライアスの言葉にラァスは怯え、アミュの背に隠れる。女性の背に隠れるその姿を見て、カリムはさすがに呆れた。いくら女顔とはいえ、男の風上にも置けない。
「アミュ、あれ、あれは!?」
「お話は通じないと思う」
「ええ? アミュでもダメ!?」
「私は正気を失ってる人とは話せないよ」
「そっか。じゃあ、どうしよう」
「うーん。私がいればこれ以上は近づかないと思うけど。窓に干渉されて、気が立ってるだけみたいだから」
 思った以上に二人は冷静だった。怯えているはずのラァスすら冷静だった。
「なんだ、けっこう平然としてるじゃねぇか」
 アミュには隠れたままだが、それでも落ち着いているのは確かだ。幽霊を信じていない無謀な若い連中だったら、ここでパニックを起こしていた。なんだかんだと言って、やる時はやるタイプなのだろうか。
「お偉い神官様、とっとと浄化しちまえよ。どんどん近づいてくるぜ」
 黒い影は、完全に部屋の中にいた。人型をしているが、黒い。まるで炭のように黒い。
 見かねてアミュが手を差し出し、手のひらの上に炎を生み出した。呪文も呪式の構築もなしにだ。
「火が恐いみたい」
「焼け死んだのかな?」
「そうかも。あそこの床が焦げてるから、狭い範囲で高温を扱える術かなにかかな」
 アミュは手の平の火を窓へと投げつける。それは窓の上で停止し、死霊が逃げるのを阻止せんと、この場の希望のように赤く輝いていた。
「焦げたままだと可哀想だね。ラァス君、できる?」
「う……まぁ、実体があるタイプだからまだ平気。ただ、足がすくんでるから、動かれると当たらないかも。動けないように閉じこめられる?」
「うん、やってみる」
 アミュが手を伸ばし、それを見たのか感じたのかは判断がつかないが、死霊は獣のように四つんばいで走り出す。壁を蹴り、壊れた机などを足がかりにして一気にこちらに詰めようとした。この辺りで、カリムとライアスは剣を抜きアミュの前に立つ。不良騎士のライアスといえども、女性を守るという騎士にとってはある意味絶対的とも言える価値観は持ち合わせている。
「なぁ、この剣で切れるのか?」
「切っちゃダメ」
 不安を持ちながらカリムに尋ねてくるライアスにアミュが言い、二人の間から腕を突き出し、指先で円を描くように炎を放った。
「うおっ」
 驚いたライアスは横に一歩移動し、そこからアミュが前に出る。
「切ったらダメだよ」
 アミュは炎を操り、死霊を追わせた。死霊は足を止め逃げまどう。壁を蹴り、天井を蹴りと、すさまじい身体能力だ。
「これゃ死人も出るわ」
 ライアスは目で追うのが精一杯な化け物を見ても、のんきにつぶやく。そののんきさに応えるように、炎は二手に分かれ、三手に別れ、次々と小さく分散し、やがて死霊を取り囲む。
「できたよ」
「ありがとう」
 ラァスは持っていた杖を前に差し出す。術の準備はできているらしく、杖に絡む魔道式の黒い帯が、術者でもないカリム達の目に見えるほど高密度の魔力を込められて展開されていた。
「お前って、ほんと腕だけはピカ一だなぁ」
 これで怯えていなければ、今すぐにでも腕のいい祓い師として仕事に就けるだろう。祓い師は神官の中でも位が高く、名誉な職とされている。
「安らかな寝床への道しるべを」
 戸惑う死霊へと、ラァスは術を放つ。
 炎を散らすように、光が死霊を包む。光には魔道式にも見える文字が浮かんでいた。それが何を意味するのかは解明されていない。当たり前のように展開している魔道式ですら、ほんのわずかしか解明されていないのだ。魔道式は、普通目に見えるものでなく、自らが組み立てたものですら、うっすらとそれらしき文字のような物が浮かんでいるのが分かるといった程度だ。ラァスのように他人に見えるほどの魔力を込めても、本人以外にはぼんやり見え、本人にも鮮明に見えるわけではない。術者と観察者が同じでは、観察しようと意識すれば術に対する注意が薄れ、見えにくくなるのも原因の一つ。そのため、こういった魔道式にある文字については、あまり進んだ分野とは言えない。
「少し弱いか。も一ついくか」
 ラァスは再び呪式の展開を始めた。杖の先端に一つ、二つ、三つと式が現れる。式が増えるほど難易度は上がり、扱いが難しくなる。三つを同時に展開できる者は少なくはないが、怯え顔をした、心みだれた時にできるものではない。
「暗くして光を手にする者よ 死者に安らかな眠りを」
 先ほどよりも暗い光が死霊を包む。それは床から伸び、必死にもがいて抵抗する死霊を地獄の引きずり込むかのように飲み込み消えた。
 残るのは、何事もなかったような静寂のみ。
「ふぅ。これで安らかに死神様の元へ強制送還完了。一安心」
 ラァスは汗を拭い、ほっと一息つく。その汗が魔術の使用によるものなのか、冷や汗なのかは判断がつかない。
「今の……マジで浄化なのか?」
「地獄の底で責め苦にあっていそうな……」
「失礼だね君たち」
 ラァスは二人をじろりと睨み、唇を歪めて言う。
「あれは死神様直属の……ひっ」
 ラァスは一瞬で青ざめ、再びアミュにしがみつく。
 死霊が見えた。それはもう、三十人ほどの『幽霊』と言うべき、半分透けた死霊達が、根源が浄化され、喜び騒いでいる。机は浮き上がり、ラップ現象が起こり、これぞまさしく心霊現象。
「今のに比べると、可愛いもんだな」
 ライアスは浮いた椅子をとんと窓の外に押し、死霊達に荷物運びを手伝わせるようなことをしている。
「まったく……。
 ラァスさん。ついでに彼らも浄化していただけませんか? 施設が根本から綺麗になれば、きっと働き手も……」
 カリムは目を疑った。
 ラァスはアミュにもたれて気を失っていた。
「ああ、ラァス君また気を失っちゃった」
「どうして今更?」
 ラァスをアミュから引き離し、小柄な身体を子供を抱くようにして抱える。
「ラァス君、実態がはっきりと見えるアンデットよりも、弱々しい半透明な幽霊が恐いみたい」
「は? どうして?」
「見た目が幽霊らしいからだと思うの。悪魔とかなら、そんなに恐くないみたいだけど、恐いのに我慢して悪魔のおじさんのところについてきたりして、本当は寂しがり屋で可愛いの」
 彼女は気を失うラァスを見つめながら、小さく笑う。
 ──ああ、彼女っていいな……。
 情けなく気を失っても、このように愛しげに見てくれる、そんな恋人が、欲しい。
「しばらくすれば起きるから、どこかに寝かせてあげてもらってもいい?」
「そうですね。それはいいんですが、彼らはどうすればいいんでしょうか」
「普段は力のない子達だから、そのうち自然と浄化すると思うからそのままでいいと思うの。あのおにいさんが遊んでくれるみたいだし」
 アミュは誰もいない空間に目を向け手を振る。彼女にはカリム以上の死霊が見えているのだろう。ラァスにとっては、皮肉なことだ。


 ラァスは目を開くと闇の中にいた。身体の上には毛布がかけられている。それを几帳面にたたみ立ち上がる。窓の外を見ると、星空が見えた。
「ってか、ここどこ?」
 部屋から出ると、長い廊下に出た。暗いが、火のついた燭台がぽつりぽつりと等間隔に置かれているのでまだ見える。考えた末、より明るい方──明かりの多い方へと向かう。
 夜の廊下は不気味だが、妙なものは何も見えないので安心して足音を殺しながら進む。途中からいい匂いがして、ラァスは走る速度を落とした。ゆっくりと歩いてその場所を探すと、騒がしい声と、見覚えのあるドアを見つけた。
 ラァスは気を失う前の事を思い出す。忘れたいが、覚えている。
「うめぇ! ここでこんなまともなメシが食えるとはっ」
「暖かいってすばらしい」
「っていうか、食べられるだけで幸せだってーのに」
 貴族達が、妙に貧しい会話をしている。彼らはどんな扱いを受けていたのだろうか。
「アミュ、いっそここに住んでみたらどうだ?」
 ラァスの頭から恐怖の一場面が消え、迷いもなくドアを開く。中では、綺麗な白いエプロン姿のアミュがいた。アミュが給仕をしている。
「アミュ……何してるの?」
「ラァス君、気づいたんだ。今日は長いから心配してた」
 今まで見た中で、一番苦手な『幽霊』っぽいものを見た記憶がある。思い出し、必死にそれを振り払う。
「幽霊ぐらいでビビって女の子の前で気絶するなんて、なっさけねぇ大神官様だなぁ、おい」
「僕は幽霊が死ぬほど嫌いなだけだよ」
 ラァスは包み隠さずに言う。事実は事実だ。
「あと、自分たちの仕事を他人に押しつける人も嫌い! なんでアミュが料理してるの!?」
「材料を買ってきてもらったから、みんなで料理したんだよ。ラァス君も一緒に食べよう」
 騎士達が何か言う前に、アミュが悪気なく言う。
「美味しいお店は、今度連れていってね」
 ──デートだったのに……。
 アミュはそこのところを理解していない。
「フられてやんの」
「これだから恐がりなぼくちゃんは」
「お化けが恐くておねしょなんてしてねぇだろぉなぁ」
 本当に良家の子息なのかと疑うような発言を皆が皆繰り広げる。ひょっとしたら、騎士学校というのは柄が悪いのではないだろうか。彼らの共通点と言えば、それぐらいだ。
「僕ねぇ、前にとある訓練で、腕を切り落とされたことがあるんだけど、君たちもやってみる? 腕を食われた時、冷静でいられるよ」
 騎士達は雑談をぴたりとやめて、身を引いた。聞いていないと思っていた年長組すら同じ反応をしている。
「ラァス君、どうしてそんな危ないことを?」
「ほら、使い物にならない駒なんて、足手まといになるからいらないから」
「腕大丈夫?」
「うん。綺麗に切り落とせば、簡単な魔法で綺麗にひっつくんだ。簡単だよ、腕をひっつけるぐらい。食べられたら、終わりだけどね。まあ今はいい義手があるから、生活に支障が出ることはないだろうから安心してね」
 痛めつけられる系統の中でも、洒落にならない過酷な訓練だった。その時は、どれだけ冷静に対処できるかが主で、素早く薬を飲み、しっかりと行動しなければならなかった。実際に仕事で重傷を負った時、その傷に混乱して無駄に暴れて死ぬ者は多い。おかげで、怪我をしないに越したことはないが、怪我をしても冷静ささえあれば助かる可能性が高いことを学べた。
「この中で、度胸のある人はぁ?」
 誰も手をあげない。
「大丈夫。僕っていう癒し手がついてるから!」
 誰も手をあげない。
「もう、意気地なしなんだから」
 ラァスは鼻で笑い、アミュの元へと歩く。
 アミュのエプロン姿を見ていると、将来あるべき家庭が頭に描かれる。
 地位と名誉と美しい妻。それらすべてを手に入れる可能性があるのだ。もちろん、地位と名誉は二の次である。大切なのは心の安定だ。
「ラァス君って、負けず嫌いだね」
 近づくラァスにアミュは笑いながら言う。
「そう?」
「うん」
 そうかもしれないと思いながら、アミュの持っていた水差しを取り上げた。彼女は不思議そうに見ていたが、ラァスはそれを補助の机の上に置き言う。
「君たち、自分のことは自分でする」
 そして必要なものを手にして席に向かった。
 アミュはただの善意による手伝いであり、このようなことをする身分ではない。してもらうことに慣れきった、育ちのいい連中の根本的な自己改革から始めなければならないと、ラァスは次からの対策を練る。
 甘ったれた根性は等しくたたき直す。それが当面の教育方針でいいだろうと、結論をつけた。

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