2話 城の主
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ここは深い森の中。
深淵の森と名付けられた魔物がはびこる恐ろしいその土地の中に、いかにも幽霊の出そうな古城がある。ラァスはそこに住んでいる。
ラァスはその恐ろしい森の中を、唯一安全である道を歩いて城の周囲を散歩した。成果があったかと言えばもちろんなく、才能など本当にあるのだろうかとさらに落ち込んでいた。
とぼとぼと門の前まで戻ってくると、我が家である城を見上げた。城自体も古いが、錆びた門がさらにインパクトを与える。綺麗すぎて薄暗いと逆に恐い庭を通り過ぎると玄関がある。古びた魔物の頭を形どったノッカーが、さらにホラーテイストを強くする。
ここまで来ると、慣れた彼もややひるんだ。今はまだ日暮れが早く、少しのつもりの散歩が、周囲を暗くするには十分な時間であった。
「ああ、もう。たかが見た目恐いだけで」
今まで自分は望まずとも夜の闇を渡り歩いてきたのだ。なのに見た目は恐いが優しい師の待つ、不相応なほど暖かな部屋があるこの城を、心の奥底で恐いと思うなどどうかしている。
意を決して扉を開く。
古びてはいるが、清潔に保たれた玄関ホールが現れる。しかし、薄暗いとそんなものに意味はなく、怖いものは怖い。
「ただいまぁ」
恐怖を振り払うように、控えめに挨拶をして中へと足を踏み入れる。それから、目的の場所へ向かおうと階段を登り──。
「お帰りなさい」
抑揚のない声と、歓迎されていないかのようにまったく感情のない表情で、突然眼前に現れたヴェノムは言う。
「うわっ!?」
ラァスは、思わず階段から落ちかけた。体勢を整えようとした瞬間、身体が浮く。
ヴェノムが助けてくれたのだ。
呪文もなしに難しいと言っていた空中浮遊の魔法を使えるなど信じられない。さきほど散々失敗したからこそ、師の偉大さを痛感する。
「あ……ありがとう」
「どうしました? いきなりバランスを崩しましたが。それほど疲れましたか?」
「いえ、べつに」
ただ恐怖と驚きのあまり、階段から落ちそうになっただけで、疲れてはいない。昔はもっと疲れていた記憶がある。自分の不器用さが悲しくなる程度の、安穏とした生活に疲れなど感じるはずがない。過去のことを考えるだけでがむしゃらに走りたくなるが、疲れるようなことではない。
疲れよりも、心臓に悪い鳥肌が立つような恐怖の方がよほど問題だ。
──ああ、この城といい、主といい、なんでこうもホラーなんだ?
暗いところで見ると、慣れたはずの師のヴィジュアル的怖さにひるんでしまうほどである。そして城がそれの威力を倍増している。彼女と暗がりで顔を合わせて、驚くなと言う方が無理だ。
「ラァスって、意外に恐がりだよな?」
いらないことを言うのは、再び畑に行っていたのか、顔を土で汚したハウルだ。彼はランプを持って手すりにもたれている。ヴェノムと並ぶと、妖精と吸血鬼が並んでいるように見えるほど、ちぐはぐで現実感のない光景だ。
「まあ、俺も暗いとこでいきなり見ると、ちょっと恐し」
ハウルは暗闇に(いろいろな意味で)よく映えるヴェノムの怖くて綺麗な姿を眺めながら呟いた。
考えるとさらに恐くなりそうなので、ラァスはかぶりをを振って思想を払う。
「ああ、そうだ師匠。言われたとおり香草とってきたよ」
ヴェノムに頼まれたのは夕飯に使うらしい肉の臭み消しに使われる香草だ。今日は肉がメインなのだろう。
「ありがとうございます」
彼女は少しも感謝している様には見えない無表情で言い、香草を受け取った。
「はは………。毒草の中に混じってるから、けっこう恐かったりしたけど」
「さすがは元暗殺者。毒草には詳しいのですね」
「まあ、一通りは。薬にもなるし」
思わぬ知識が役に立つこともあるものだ。
──毒の魔女、ねぇ。
彼女の別名の一つであり、ここに来てまず教えられたのが、毒草についてだった。
「もう少しで出来上がります。手でも洗って待っていなさい」
ヴェノムは踵を返しキッチンへと向かう。料理は彼女の趣味の一つだ。
ラァスは手を洗うため、今度は少し歩いて別の場所から一度外に出た。城の裏側にある庭だ。ここの方がダイニングに近い。
「ハウルはなんでついてくるの?」
「メシの前に手と顔を洗うんだよ。汚れたままだとヴェノムが怒るからな」
「ああ、そっか」
ハウルはヴェノムを時に罵りながらも、彼女にべったりで従順である。見ていて微笑ましいほど、彼はヴェノムへの愛情がむき出しで、言葉の端々にヴェノムへの関心を感じさせるのだ。
それを言うと怒り出しそうなので口にすることはないが、そういう姿を見るのは不快ではない。むしろ、落ち着くのだ。
「まっ、この時間に一人で外に出るよりはいいけどね」
ラァスは憎まれ口を叩きながら、後を付いてくるハウルに言う。外はまだ空の隅に日の光は見えるが、地上のほとんどは闇の帳に覆われようとしている。
「前は真夜中の街中を出歩いてたくせに何が恐いんだよ」
「それはお仕事だもん。別に心霊スポットに行くわけでもないんだよ?
それに、そういう噂のある場所での仕事は泣いて断ってたし」
皆がラァスの恐がりを知っているため、そういう場所には近づけなかったから、夜出歩くのも平気だった。
「……なんでたかが心霊スポットが恐いんだ?」
ハウルは顔を顰めて首を傾げる。彼にとっては幽霊など『たかが』ですまされるもののようだ。
「僕、怪談とか苦手なんだよね、実は」
「……でも魔物は平気だろ? 襲われなければ可愛いもんだって言ってたじゃねぇか」
「だって、魔物は生きてるし」
生き物に恐怖を抱くのは、生命の危機を感じるときだ。襲わないと分かっているなら、恐い事など何もない。
「じゃあ、ヴァンパイアは嫌?」
「死んでるじゃん。絶対にいやだよ。血を吸ってるだけなら別に害はないけど、死んでるのが嫌。死んだくせに起き上がるなんて……。それにあいつら弱点は多いくせに、完全に蘇れなくするのは大変だし。灰になってもほっとくと復活するんだよ? 信じられる? ああ、おぞましいっ!」
「………………………」
「透けて出てこられたらさらに怖いな。足がない奴なんて最悪だね」
ハウルは小さく息をつく。その顔は呆れている様子だった。
彼はこの雰囲気に慣れているので、幽霊ぐらいでは動じないと言いたいのだろうか。
「どーもお前の感覚は分からんな。透けてるぐらいならかえって実害ないのに」
「害があるかじゃなくて、見た目の問題なの。ゴーストは嫌! それぐらいなら斧持って追っかけてくる謎の仮面の紳士、ジェームスの方がマシ」
と、想像してそれはそれで恐ろしく、ぞくりとする。恐いのに、なぜこんな話をしているのだろうか。
「何だそれ」
「都会の方じゃけっこう流行ってるんだよ。そういう怪人の噂」
ハウルはちまたの噂には疎いらしい。都会に出てもヴェノムにべったりとひっついているのだから、そうなるのも当然だろう。
「それって、ただの殺人鬼だろ?」
彼にとって殺人鬼は恐ろしいものではないらしい。返り討ちにしてやれる実力があるからこそ言っていられるのだろう。そしてそれをラァスにも当てはめているようだ。
「何しても死なないらしいよ。そうなるともう逃げるしかないじゃん」
「うーん。殺しても死なない知り合い、多いからなぁ」
──こいつの周辺、ホラー体質ばっかりか?
ヴェノムには感謝しているが、その手の怖い思いは嫌だ。
魔道師のことはよく分からないが、不死身になるのは容易なことではないと彼は記憶している。ハウルの知り合いというのは、どれほどの魔道師なのだろうか。会ってみたい気もするし、気後れもする。
「まあ、死んでないなら怖くないけど」
「死なない方が不気味じゃねーか?」
「別に」
この意見は永遠に平行線だろう。理解しろとは言わないし、彼を理解するつもりもない。怖いものは怖い。それでいいのだ。
ラァスがハウルを横目で見上げると、彼は唐突に足を止めた。
「あれ?」
「どうしたの?」
ハウルは前方を指差す。
「井戸のところ。女の子が……」
「は!?」
ラァスはそちらを見て目を細める。暗くて何も見えない。
ハウルは自分の目をこすりながら、魔法で作った光球を投げた。
確かに、女の子が蹲って泣いていた。しかも可憐なドレスはずたずたで、ところどころ血が付着している。明らかに様子がおかしい。下手に声をかければ逃げてしまうかも知れない。息を吸って出来るだけ優しく声をかけた。
「どうしたの?」
少女はそれでもうつむき泣き続けている。よほど恐い目にあったのだろう。
「お前、こういうのは怖くないんだな」
「はっきり見えるじゃん。迷い込んだのかも」
ハウルは小さく頭を振った。
「お嬢ちゃん、何でここにいるの?」
少女は顔を上げる。
年の頃は十歳前後。金髪碧眼の可愛い女の子だ。血と泥で汚れても、その愛らしさは損なわれることなく、変態が変質的な趣味でもって追い回したくなるのも分かる。
「お兄ちゃん……誰?」
少女のおびえを含んだ言葉に痛ましさを覚えながら、幼い頃から叩き込まれた好印象を持たれる笑顔を浮かべた。
「このお城に住んでるんだよ。君はどうしてこんなところに?」
「……わかんない。知らないこわいおじさんに連れてこられたの」
よく見れば、白い肌に鞭で打たれたような跡がある。胸のところを縦に切られている。それどころか、全身に傷がある。髪が明らかに一房ほど切られている。首のところにも、何か跡がある。
「ひでぇな。だれがこんなことを……」
ハウルが覗き込み、少女の痛ましい姿に顔を顰めた。
「逃げ出してきたの?」
「わかんない」
ショックが大きすぎて、記憶が飛んでいるのだろう。よくあることだ。
「そう。仕方ないよね。
とりあえず、手当てをしなくちゃ。おいで」
少女は首を振った。
「いや……あいつが来る」
「あいつ?」
「あのおじさん………」
「大丈夫。うちの師匠は強いから、そんなの追い払ってくれるよ」
しかし、首を横に振る。
「ねぇハウル。師匠を……って、どうしたの?」
庭の隅の方を見てぼーっとしていたハウルが、ある一点を指差す。
城の裏手にある広いこの庭。そこで一番大きな木を。
「あそこ」
目を凝らす。
何が、動いた。
地面の中から這い上がる。
緩慢な動作で起きる。
近づいてくる。
古臭いが、立派な服を着て。
斧を持って。
顔の半分を覆う仮面をつけていた。
「あれがさっき言ってたジェームスってやつか?」
「なんでこんなところにジェームスがっ!?」
「いやぁぁあぁ」
ラァスは悲鳴を上げる少女を抱き抱え、全力疾走で逃げる。
「お、追ってくるぞ!?」
「ひぃぃぃぃぃぃ」
ちらと振り返ったラァスは、斧を振り上げ追う仮面の紳士を見て悲鳴を上げた。
「対策は!?」
「ええと、老婆を見ると逃げる」
「なんで?」
「うーん。唯一祖母に優しくしてもらってたからだとか」
「えと……ヴェノム?」
「身体は若いじゃん」
「どうすればいいんだ?」
「平気なんでしょ? やっつけてよっ」
「いや、ちょっと怖いし」
怖いと言う割には落ち着いて会話しているが、ただ恐怖を紛らわせるためにしていることだった。だから二人はもう振り返ろうともしない。
「おいつかれちゃうよっ」
少女の言葉にさすがに振り返ると、もう数メートル。
「はやっ」
「ひぃっ」
その時だ。ラァスは何かに足を取られて倒れた。
かろうじて少女を庇い下敷きになるように転んだが、目を開ければ眼前にジェームスがいた。大きく開いた口から、よだれが垂れる。仮面の間から覗く目が血走ってる。
恐怖で身がすくむ。
ジェームスは斧を振り上げ、それをラァスへと振り下ろす。
「おやめなさい」
抑揚のない、しかしこのときばかりは女神のようなと思える響きを持った女性にしては低い声が響き渡る。斧は首をかしげたラァスの真横に突き立てられ、ラァスの気が一瞬だけ遠のいた。
「おやめなさい、ブリューナス閣下」
ブリューナスと呼ばれたジェームスは、女神──エプロン姿のヴェノムへと視線を向けた。
「うちの子に手を出したら、ただでは済まさないと申し上げたのをお忘れで?」
ヴェノムはジェームスを睨む。怪しく輝く邪眼で。
──知り合いっすか?
しかし怪人ではなかったのだ。そう思うと、恐怖はどこかへ飛んでではしまう。
ただの猟奇殺人者なら、ぜんぜんまったく恐ろしくない。やられる前にやればいい。
「ラァスは貴方の好みそのものだとは思いますが、引いてください」
ラァスは起き上がり、少女と供にジェームスから離れる。
少女はぶるぶると震えていた。彼女は普通の子供だ。殺人鬼に追いかけられれば恐ろしいに決まっている。ラァスは彼女に人の温かみを伝えるためにぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫?」
「わたし……」
少女は何かを見ていた。
埋まっている、何か。それを少女はつまむ程度の力で引き抜いた。
──え? ええっ!?
錆びた、斧だった。
「そうだ………わたし………これで………」
少女は自分の首に触れた。
ごろり。
地面に転がった。
少女の頭が。
「領主様に殺されたんだ………」
胴から離れ地に転がった生首が、呟いた。
「はう」
ラァスは、その場で倒れた。
『大丈夫? ラァス、しっかりして』
『ダメだよ話しかけたら。また気絶しちゃう』
『じゃあ、どうすればいいの?』
『ずっと勘違いされたままだと悲しいよ』
気を失ったラァスの周囲で、かなり高位の精霊達が会話している。
ラァスはこれが見えないというのだから、おかしなものだ。これだけ愛されて、中には地元を離れてついてきた者もいるのに、ラァスには見えいてないという。好きな相手の眼中にすら入れないでは、彼らもさぞ切ないことだろう。
「ラァス、いつまで寝てるんだよ」
ハウルはラァスの腹を足で蹴る。精霊達が騒いだが無視。この男は乙女のようだが頑丈である。
「ん……ハウ……はうっ」
薄めを開けて人の名を呼びかけ、人の名を呼ぶように再び気を失った。ハウルは背後の精霊達を睨み、彼らが遠ざかってからまた同じ事をした。起きたラァスはほっとした様子で立ち上がろうとして、落ちている斧に気付き青ざめる。
「ラァス、あれ何だ」
ハウルは精霊達を指さし、彼らは愛想よく手を振った。ラァスはハウルの背に隠れ、震えながら彼らを見る。
「あれが精霊だ」
「あれが……?」
ラァスは震えるのを止めて、じっと彼らを見つめた。
「心配してたぞ」
「透けて見えるけど、幽霊じゃないの?」
「違う違う。お前等、一人ぐらい頑張って実体化してやれ」
ハウルの言葉で、内の一人が実体化する。今までは触れられない存在だったが、今の彼女は人と変わらぬことができる。
「美人だろう。精霊は自分の好きな相手によく見てもらいたいから、可能な限り綺麗な姿になるんだ。幽霊とは、違うだろ」
こくと頷き、じっと彼らを見る。金髪金目の美女は、嬉しそうにラァスの元へと駆け寄り、手を差し出した。その手はラァスの頬に触れ、精霊はとろけるような笑みを浮かべた。美女にこれだけされれば、ラァスの中の恐怖も消えるだろう。
「どうやらラァスが精霊を見られないのは、幽霊と混同して無意識に拒絶していたからのようですね」
可能性はそれしか考えられない。これだけ才能に恵まれて、見えないなど聞いたこともないのだ。彼が強い拒絶をしなければ、このようなことにはならない。
「そうなの? じゃあ、僕に才能がないわけじゃないの?」
「ええ、もちろんです。だから彼らを受け入れてあげてください」
「そっか。えへへ。今までごめんなさい」
精霊はふるふると首を横に振る。
「ジェームスに追われる変な夢見たから、ちょっとびっくりして」
「それは夢ではありません。ブリューナス殿はそこで見ています」
精霊の指さした方には、木の根本に座る影がある。
ラァスが再びひっくり返ったので、しぶしぶハウルが彼をリビングまで運ぶことになった。
昔、この城はとある貴族の別荘だった。
彼はよい政治を行っていたが、人々には恐れられていた。
仮面は醜い火傷を隠すためにつけられ、火傷は家督争いの際、身内によってつけられたものだ。そしてその身内たちは、ことごとく亡くなっていた。
不気味な領主様。
血まみれの領主様。
人々に慕われることのない領主は、秘密を持っていた。
領主は子供たちを愛した。領主は美しい子供が好きで、美しい子供を愛するばかり、多くの美しい子供を集め、残酷に責め立て、その悲鳴に酔ったという。
様々な拷問を加え、時には全身の骨を折ってやり、時には全身の生皮を剥いだりと、残酷極まりない遊びを繰り返した。
愛しいから。
自分にないものを持っているから。
自分よりも醜くするために。
歪んだ欲望。
それはやがて露見して、領主は民に殺され、この城の庭、目立たない木の根元に埋められた。
「彼女は、最後の犠牲者でしょう。時々この時期になると現れます。最近は彼らをあまり見なかったのですが、ラァスが可愛かったから出てきたんでしょうね」
ヴェノムは平然とラァスに聞かせた。当のラァスはガタガタと震え、
「幽霊城、幽霊城、幽霊城、幽霊城、幽霊城、幽霊城」
と、ぶつぶつと呟いて呆けていた。
気を失った彼をリビングのソファに運んでから、五分程度で彼は起きた。寝込まなかっただけ立派だが、よほどショックだったのだろう。顔色が土気色になっている。
「まあ、死んだことに気づいたおかげで、あの少女は成仏させることが出来ました。人を救いましたよ。よかったですね」
「幽霊抱えちゃった………」
ラァスは青ざめていた。彼は人を殺した分、人の役に立ちたがっていたので複雑な気持ちだろう。さすがに哀れに思えてくる。精霊達の姿もまた見えないようで、よほどあの体験が恐ろしかったのだ。
「大丈夫です。もう閣下は出ません。封じておきました」
「……封じ。じゃあもう追いかけられない?」
「ええ」
ラァスは氷が溶けて芽吹くように微笑んだ。
──出なきゃいいんだ……。
「しっかし、よくまあこんな城買ったな」
「ええ。閣下の後任の方に二束三文で。殺しても蘇ってこられたら、他人に押し付けたいというのが人間心理ですので」
彼女の場合、幽霊よりもさらに非現実的な存在だ。幽霊ごとき、先ほどしたように足蹴にしてしまうのだろう。
「でも、ジェームスじゃなくてよかったな。ただの殺人鬼の悪霊だ」
「いや、どっちも怖いのに変わりないし」
「ははは」
「さすがに、もうあの井戸使えないかも。中庭の井戸使う」
怖い目に合った場所には寄りたくないのだろう。
「殺戮の起きたこの城に住んでるのは問題ないのか?」
「そんなことならぜんぜん平気だけど? 殺戮の起こっていない場所なんて珍しいよ。ようは見えなきゃいいの。ところで精霊さん達はいつからそこに?」
やはり一時的にまた見えなくなっていたようだが、すぐに見えるようになったらしい。ハウルは小さくため息をついた。
ラァスは豪胆なのだか気が小さいのかよくわからない。
少なくとも、言わないほうがいいだろう。夜中に地下室に行くと、出るらしいということは。
「さあ、夕飯にしましょう」
「はぁい」
ラァスはヴェノムについていく。
──現金な奴。
ハウルは後ろに感じた気配は気にしないことにして、慌てて二人に続いた。
それからラァスが幽霊を見ずに精霊だけを見られるようになったのは、一ヶ月先の話である。