3話 赤き忌み子
1
闇の中。
とうになれてしまったそこは、寂しくて、冷たくて、ひもじくて。
時折人が来ては、最低限の食料と、代えの着替えを持って来るのみ。
そんな人の姿も、見ることは出来ない。
差し出されるのは小さな穴から。なによりここは闇しかない。
暗くて寒くて寂しくて。
いつ終わるとも知れない。
時折心を慰めてくれるのは、通りがかる大地の妖精。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
僕がついているから。
アミュ、アミュ、僕らは君の友達だよ。
孤独ではない。
彼らがいるから。
ここにいても、正気でいられる。
見知らぬ、赤い男がやってきた。
ラァスはその見事な赤毛と邪眼に驚いた。そして、ハウルと似た雰囲気の美しい顔だちに。
男はヴェノムと話している。
「……ハウルのお兄さん?」
「いや、叔父さん」
ハウルは顔を顰めて否定する。この系統の顔が世の中にまだもう一つあるということだ。綺麗でありながら男に見えるのだから憎らしい。ラァスの場合下手をすれば証拠を見せるまで女の子だと疑い続ける男もいるといる。
「……家族ぐるみのお付き合い?」
「っていうか、叔父さんヴェノムに気があるから」
「ハウルのライバルだね」
からかうそれに、ハウルは怒りを露わにするかと思ったが、きょとんとして首を傾げた。
「馬鹿?」
の一言だった。
意外なそれにラァスは驚く。
弟子入りしてからはや三ヶ月が経つのだが、その間にハウルについてもヴェノムについても、性格の方はだいたい把握したつもりだったのだ。
ハウルは一見クールに見えるのだが、実は熱くなりやすいタイプだった。保護者であるヴェノムに対しては、いやに絡みたがる上に過保護で、師弟である以上の愛情を感じる。
どう見ても、恋愛の対象といった感じだったのだが。
──自覚してないのかな?
この男ならありうる。
気遣いはできるのだが、そういった感情には鈍い。女の子の好意も、ごく普通の善意と勘違いして、『良い子だな』とヴェノムと共に感心するような男だ。
ヴェノムはヴェノムで、外見は怖いのだが、中身は可愛いところがある。草木に話しかけては水をやっているし、無償で貧しい人の病気を診たり、多くの孤児院に寄付しており、すべてを合わせると莫大な金額となる。 どこからそんな金が出ているかというと、いろいろと商売をしているらしい。魔女としての儲けもあるが、香水屋などのごく普通の商店のオーナーもしている。
しかも、大地主だ。魔物達の保護のため、彼らが適度に繁殖できる場所を提供し、人々を襲うほど追いつめないことによって、魔物の害を減らしている。その土地は広大で、見渡す限りは当然として、ここから一番近い海、嘆きの浜まで彼女の土地らしい。確かなことは分からないが、小さな国ぐらいすっぽりと入ってしまう。
ボランティアのために商売をして、苦しむ女子供のために手を差し伸べる、そんな聖女と呼ばれるべき人なのだ。
だが、その瞳のおかげで、彼女は子供を脅すための魔物代表のごとく、悪いことをしていると邪眼の魔女に連れ去られるぞと大人達に言われている。まさかこんなところに起源があるとは思いもしなかった。ハウルに教えられるまで、あの優しい人が人食い魔女と呼ばれているなど想像も出来なかったのだ。
聞いてからは容易にその過程が想像ができてしまったが。
処女の生き血を飲んで若さを保っているだの、醜い老婆だの、実は邪法で不死と魔力を手に入れたリッチーだの。見た目だけなら考え付いても罪はない。
ここに来て、魔道士の見方も百八十度変わったのだが、噂に対する認識も同じほど変わっていた。
「……うーん。じゃあ、あの二人には賛成なの?」
「ヴェノムが嫌がってるから反対だな。昔しつこく求愛されてもうすでにうんざりしてるそうだ」
「あんなに格好いいのに」
「ヴェノムにとって、顔なんて二の次なんだ。男なんかよりも、子供と戯れてる方が嬉しいみたいだしな」
「そーだよね。師匠って、男っ気ないし」
「見た目は若いが、とっくに枯れてるんだよ」
「あはははは……はは」
ラァスの声が途中から裏返る。
一点に集中する視線に気づき、ハウルはびくりと身を震わせる。
「………………ご」
「これでも枯れているといいますか?」
万力のような力で頭を握られ、ハウルはじたばたともがく。少なくとも、クルミを指先で割れるほどの握力だ。痛いだろう。
「いたたたたたたっ」
「私はまだまだ現役です」
「わーったから! はなせって!」
ヴェノムはハウルの頭から手を離した。
ヴェノムに年齢の話はしない方が無難そうである。美人の先生で誇らしいとでも言えばきっと満足してくれる。
ハウルは痛む頭を押さえきょろきょろと当たりを見回した。ヴェノムは接客中だったはずだが、接客中にこんな場所に来るはずもないし、客も見あたらない。
「叔父さんは?」
「帰られました」
「え? どうしてだ? いつもなら長々と居座って鬱陶しいのに」
「仕事の関係です。彼も多忙な身の上。長々と居座られては、私が恨まれます。
ただ少し、不審な気配がこの周辺でするから、気にかけていてくれと」
「……つまり、結局は一目会いに来たってわけだ。部下送りつければすむことなのに」
ラァスは小さく息をつくヴェノムを見上げる。珍しい事に、本当に嫌がっているように見えた。
「そんなに無下にしたら可哀想だよ、あんなに格好いい人なんだからさ」
「好みではありません。存在自体が」
この人は、男に対しては容赦ない。女子供に対しては敵対者であろうと寛容になるくせに、男が相手となれば一切の容赦はない。
しかし、これではあまりにも不憫だ。
「師匠は、あの人のどこが嫌なの?」
「子供嫌いです。自分の子すら、可愛がろうとしない方です。産まれた子供が可哀想です」
ヴェノムは思い出したくもないのか、小さく首を横に振る。ハウルは納得いかないのか、不審そうにヴェノムを見る。
「……あの叔父さんが? 親父ですら、俺に多少はかまってたけど」
「ええ。あの一族はほぼ例外なく頭のネジが一、二本足りません。あなたの父君が突出しているので、他の方の異常さが目立たないだけです」
それに頷き否定すらしないハウル。
ハウル自身が変わり者であるから、一族がそうでもおかしくはない。
「ハウルはメビウスに似ましたからね。両親の良いところは受け継いでくれて私は嬉しいですよ。顔だけは認めますから、あの方達は」
二人とも容赦のない。
しかし気になっていたのだが、ハウルの父親とやらはどんな男なのだろうか。この家ではよく話題に上るのだが、悪夢の大魔王やら、天魔の銀雄やら、わけのわからない呼び方をしている。少なくとも、ハウルは父親似であることだけは分かっている。あと、ハウルと同じ青みのかかった銀髪なのだろう。
「……そんなことよりも、僕、お腹空いたなぁ。あの人が途中から来たから」
「そうですね。なら朝食にしましょう。昨日の残りのスープを温めてあります」
昨日のスープ。何の肉かは聞くのが怖かったので目をつぶったが、絶妙なうま味が出ていて美味しかった。あれならば、たびたび出されても飽きないだろう。
「今日は買い物に出かけましょう。小麦がもうないので」
「うん、行く」
人里は久しぶりだ。
都会にいた頃はこんなにゆったりとは過ごせなかった。今では朝早く起きて、夜早く寝る。子供らしい、健康的な生活を送っている。
すべてはヴェノムのおかげだ。
口うるさいが子供達の健康に気を使っている、母親のような人だと思っていた。
人里といっても、目指すのは小さな町だ。
それでもまともに歩いていけば丸一日はかかるような距離だで、買い物には空を行く。
ヴェノムは理屈の方は謎なのだが、杖に乗って飛んでいる。魔女が箒に乗るように、横座りに。
見る度にハウルは思うのだが、なぜあれで落ちないのだろうか?
ハウルとラァスはあのような超人的な方法を真似することなど不可能なので、ハウルが実家から連れてきた白竜の背に乗っていた。
卵から孵して、大切に育てたペットだ。まだ子供だがそれでも二人ぐらいその背に乗ることが出きる。名をルートという。十歳になる育ち盛りの男の子だ。
「ルート、もう少しゆっくり飛んでくれ。ラァスが目を回しそうだから」
意外なのだがラァスは高いところが苦手だった。彼が地に属性するのも理由の一つだ。地に足がついていないと不安で仕方がないらしい。ただししっかりした足場があれば、高いところでの活動も平気なようだ。職業上の慣れもあるだろう。
風の申し子であるハウルにとって、この心地よさが分からないラァスが哀れだった。悪戯な風達の囁きを蹴散らすかのように突き進むこの快感。
一度知れば簡単にはやめられない。
「……師匠はなんであれで平気なんだろう。あんな棒きれ一本の上で……」
「……落ちる事はないと分かってても見てるだけで怖いからなぁ。あの鈍感女のことは疑問に思ってたらきりがないぞ」
ラァスは溜め息をつき、ハウルの腰にまわしていた手を組み直す。女の子だったら不満はないのだが、いくら女顔とはいえ、男にこんなことをされても不満は募る。
「……あれ?」
「どうした?」
「ねえ、あっち」
ラァスはハウルの腹の前にある手である方向を指差した。
ハウルはそちらの方角を見る。
そこに広がるのはヴェノムの土地であるフォルティアの森だ。居城があり、人々からは深淵の森と怖れられている魔物の住まう広大な森とは違い、ただの森林保護区にも指定されていないような、どうでもいい森だ。
深淵の森に住む魔物達や植物は、希少価値があり国からも特別保護区という認定をされている。密猟者以外のために、道を行く者は決して襲われないようにしているが、入ってくるほとんどは、密猟者か呪いの依頼などをしにやってくるような嫌な客ばかりだ。
前者はほぼ例外なく死ぬことになるのだが、犯罪に手を染めているのだから、気にはしない。
そういった土地ばかりを持つヴェノムが、この森を持っているのは、ただついでに持っているだけである。
「ほら、あそこ」
「あ……なんか建物建ってるな」
「違う。その手前の……。なんか………へんなの」
「気のせいだって」
ハウルは楽観的に言う。
「どこがへんなのですか?」
杖に腰を乗せて飛ぶヴェノムが近寄った。翼に当たらぬよう、ルートの頭上に。
「なんかていうか、歪んでる」
「……歪み?」
ヴェノムは首を傾げた。彼女にも見えないのに、ラァスが見えるなどあり得ない。ヴェノムの邪眼は人を殺す力だけではなく、見えぬものを見る力があるのだから。
「行ってみましょう」
「えっ……おい」
「ラァスに見えるという点に疑問があります」
「でも」
「ラァスは地の属性を持つ聖眼です。私とは、また違ったものが見えていてもおかしくなどありません」
制止する間もなく、ヴェノムはラァスの指差した方へと向かっていた。
ラァスが先に行かなければ、まったく意味がないというのに。
ハウルは肩をすくめ、ルートの背を軽く二度叩く。
「追ってくれ」
ルートは快く一声鳴き、ヴェノムの後を追う。
近づくにつれ、歪みはひどいものになっていた。
その近くには小さな村が見るが、そこはどうでもいい。
陽炎にも似た、じわじわとした揺れのような……そんなものが時折見える。
「見えない?」
「ぜんっぜん」
ラァスの目はいい方だ。最近は森の中で生活をしているし、昔から獲物を見定めるために人よりも目が利いた。それにしたって、ヴェノムにまで見えないのはおかしい。なぜ邪眼のヴェノムにも、風の聖眼のハウルにも見えないのか。なぜ地の聖眼だけが見えるのか。
「地の気配が強い場所ですね。それに関わっているのかも知れません。この地は地精王様から離れているのに、これほどの地の気があるなど……」
ヴェノムはラァスの視線を追って言う。
見えないものは見えないようだ。
「降りてみる?」
「ええ」
ラァスは細かい指示を出しルートを誘導する。
森の開けた一点。
村から、そう離れていない場所に降り立ち驚いた。
ある一点を境にして、急に目には見えなかった遺跡のような物が現れたのだ。
「あやまあ」
杖の上で、珍しくヴェノムが少し目を大きめに開いて──いるような気がした。
「これは……まあ。私の土地に、このようなものがあったとは」
こんな場所は今まで興味すらなかったから見向きもしていなかったのだろう。
石柱がいくつも建ち並び、中央には石を組み合わせた小屋のような物が出来ていた。とは言っても、部屋の広さ的には都会の狭い安アパート並だ。
「ラァス、入ってみて下さい」
「えっ、ぼく?」
「もちろん」
ルートの背中で安穏としていたラァスは、渋々といった体でそこから飛び降りた。ヴェノムの待つ遺跡の入り口まで行き、師の真意を確かめるべく甘えたような上目づかいの視線を送る。
今日は、空を飛んでいるので仮面はしていない。よって、これは大変有効な攻撃だ。この三ヶ月で身にしみて実感していた。
「私はこれ以上進む気にはなれないのです」
「………どうして?」
別に、呪われているようには見えないが、実はここには悪霊がうぞうぞしているのではなかろうか?
「……地は、苦手分野です」
「……そうなんだ」
「ええ。私の得意とするのは、闇である風と水。そして火です」
「ほとんどのような気がするけど……。危なくはないの?」
それが一番肝心なことだ。いくら師の頼みとはいえ、危険な場所に一人で行くのは気が進まない。
「中にはそのような気配はありません。もしもの時は、これを」
ヴェノムはそっと手のに上に札を押しつけた。
「投げつけて、全力で逃げてきなさい」
「……」
「万が一の時です。たいして深いとは思えませんから」
「……わかった」
果てしなく嫌だったのだが、ラァスは意を決し木の枝一本拾ってからその小さな部屋へと足を踏み入れた。
しかし深いとはどういう意味だろうと思っていると、なんとなく理解した。
職業柄、盗賊じみた技術も叩き込まれている。隠し部屋の存在など、容易に見つけだすことが出来た。
いくつかある火のついていない燭台。そのうちの一つ。よく見れば素人でもおかしいと気が付くだろう。
ラァスはもう一度外を見る。
ハウルが声援を送ってきた。
「無茶するなよ」
「分かってるよ」
何事においても、引き際が肝心なのだ。
「さぁて」
ラァスは燭台をいじる。さすがに普通にやってどうにかなるものではない。手元に明かりを造りだす。燭台の下に石壁の隙間を見つけた。そこにあらかじめ拾っておいた棒を突っ込んだ。用心に越したことはない。手を突っ込んだとたん、なんらかの動きがあるかも知れないのだ。
魔力を感じるこの遺跡なら、それがどんなことでもおかしくない。
幸いにも大した変化なく奥に枝先が着く。そして強く押すと、さらに進む。いいや、何かを押したのだ。
ラァスはもう一度燭台をいじる。今度は簡単に引くことが出来た。
下が蝶番。上側が鎖で支えられた燭台の奥に、回転させて下さいとばかりに取っ手があった。
遺跡に見えるが、いやに変なところで凝っている。
魔術の知識を駆使して開くような扉であったら、まず間違いなく開けられない。あれほど巧妙に隠すなら、それなりの知識と技術があったはずなのにそれを利用していない。
わずかに音を立て祭壇らしきものの背面にある一枚の壁石が動いた。そちらを見に行くとその奥には地下への階段があった。
こちらにはそれなりの魔力が使われていそうだ。ではなぜあの仕掛けには目隠しも魔道の仕掛けもなかったのか。制作者の意図が理解できない。
「……まいっか。んじゃ行って来るよ」
「気を付けなさい」
その言葉を聞き、ラァスは地下へと潜る。
誰かが待っていてくれる。仕方なくでも、義務でもなく、それを当然として待ってくれる。最近覚えたこの味は妙にくすぐったく、嬉しいものだった。
だから苦ではない。もしも危険なのであればヴェノムが行かせるはずもない。だから気をつけはするものの、安心して階段を下りていた。
足音を殺し意識を研ぎ澄ます。
階段はすぐに終わる。たいして広くない部屋があり、ぱっと見は一家が住むのにちょうど良いぐらいの規模ではないかと思った。いくつか部屋もあり、壁も土が剥き出しではなく石材が積まれていた。
一つの鉄の扉をみつけ、その前に立つ。
明かりの一筋も漏らしそうもない、頑丈な扉。
まるで重罪人でも閉じ込めているかのようだ。小さな食べ物でも差し出すような窓も、外からしか開けられないようにされていた。どんな凶悪な犯罪者がいたのか──いるのか。
「………ふむ」
ラァスの声に反応し、人が動く気配を感じた。
奥には人がいる。それに地精の気配も。
──誰か閉じ込められている?
悪人を、あの近くにあった村人達が閉じ込めたという可能性が一番高い。それとも政治犯罪者か。
罪もないような人である可能性もある。村社会とはそういう恐ろしい一面を持つ。
すべては開けてみれば分かる。
幸い、鍵の方は今ある道具で何とかなりそうだ。さっそくラァスは作業に取りかかる。癖で手放せなくなっている簡易工具一式を取り出し、針金と細い棒を鍵穴に差し込む。穴の中を見ながら、手こずりながらもそれを開けた。
相手がどんな凶悪犯であれ、取り押さえる心の準備をしてからラァスはドアを開け放つ。
暗い部屋の中、その人物は眩しさに手を掲げた。思ったよりも小柄な人物だ。
「……誰?」
耳に飛び込んだ声は、少女のもの。
「はへ?」
驚いて、よく見れば、それは女の子だった。やせ細った女の子。最近女の子に怖い目に合わされた記憶が蘇り、消える。
「……誰?」
脅えた声と眼差しをラァスに向ける少女。
驚愕に、何もかもが頭から吹っ飛んでいった。
赤毛。そして赤い瞳。
何よりやせ細っていても綺麗だと思う、誰かによく似た顔だち。
誰かと言うことに気が付いたのは、しばししてから。
あまりにも違うから。彼女は脅えなどしないから。
とどのつまりは、なんとなく顔だちが似ているのだ。彼の師であるヴェノムに。
「…………うっ……わ……」
ラァスは眩暈を覚えた。