3話 赤き忌み子

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 目を点にした。
 あのヴェノムでさえ。
 なだめすかしてようやく外に連れ出した少女は、脅えてラァスの背に隠れている。その仕草がなんだかとても可愛いらしい。ヴェノムに何となく似ているので感動すら覚える。
「………わ……わた……くしは……」
「誰だよ、父親は」
「ああ、この師にそんな目を向けるなど……。私の血を引く子は、もうとうに成人しています」
「えっ、師匠子供いるの?」
 年齢を考えればそんな可能性もあるのだが、あまりの女傑ぶりに男など見下しているものだとばかり思っていたのだ。
「孫か?」
 ハウルはあっさりと切り返す。
「違います。こんな地方に私の血縁者は住んでいません。少し前、クローンが作られていたりしましたけど、この子はそういう手合いではありません」
「……曾孫?」
「しつこい。赤の他人です」
 しつこいハウルの頭を叩く。
 確かに似てはいる。ヴェノムの目つきを少し和らげ、頬をそいだらこうなるのではなかろうか。全体的な顔だちが似ているのであって、姉妹かな? などと思う程度だ。美人の顔は系統が近くなるような気がするので、探せば似ている人は他にもいるだろう。この邪眼さえなければなんとなく似ているね、で済んでいたはずだ。
 この邪眼が問題なのだ。
「お嬢さん。ご両親は?」
「……いない」
「いないとは、生まれたときから、それとも亡くなったのですか?」
 ずげずげと惨いことを聞くヴェノム。
「死んじゃったの」
 か細い、鳥のさえずりにですらかき消されそうなかすれた小さな声。あんな地下にいては水分などなかっただろう。ラァスは持っていた水筒を差し出し彼女に飲ませた。
「そうですか。親御さんはいないと……」
 彼女は長い間閉じ込められていたらしく、手足もやせ細っており体力もなさそうだ。こんな目に合わされているというのに、出ると怒られるからと出ようとしなかった。
 それを簡単にヴェノムに説明すると、彼女の身に纏う空気が鋭くなった。
 報復にでも行きたそうな雰囲気だが、まずはこの少女を休ませなければならない。
「村の人々が、貴女をここに押し込めたのですか?」
「……うん」
「どうして?」
「……よくわからない」
 よく分からないのに、こんな惨い仕打ちを受けていたのだ。子供ならではの従順さ。叱られるから耐える。耐えて、ひたすら耐える。
 それはラァスも経験したことだった。親元にいたときもそうだったが、それからも一番必要だったのは忍耐だった。声高に泣き叫べば命も危ない。子供といえども浅はかさは死を招く。叫ばず受け入れる事が大切だった。
 そんな自分が今ではヴェノムに飴と鞭で可愛がられつつ扱かわれている。こういうところが母親のようなのだ。本来、親は子供にこうあるべきだ。よく考えれば、母親らしい彼女に何人実の子供がいようがおかしくない。疑惑は増すばかりだ。
「貴女はあの村の住人ですか?」
「……うん」
「お名前は?」
「アミュ」
 ヴェノムは怖い顔はそのままで、アミュの頭を優しく撫でる。
 脅えた様子はない。ただ、じっと彼女の邪眼を見つめていた。
「おねいさんの目も……赤い」
「ええ。生まれたときから」
「みんなね、赤い目が嫌いなの」
「そうですね。皆さん嫌います」
「……どうしてかな?」
 ヴェノムは優しくアミュを抱きしめた。
「人間というものは、弱い心の生き物なのです。
 自分と違うものを怖れます。それは、仕方のないことです」
「……おねいさん、いい匂いがする」
「そうですか」
「私汚いから、綺麗なドレスが汚れちゃう」
「子供がそのようなことを気にしてはなりません。
 アミュは少し熱がありますね」
ヴェノムはアミュから身を離し、額と額を合わせた。
「私の家に来ますか?」
「……でも」
「こんなところに罪のない子供を押し込めている時点で、法に触れています。誰も正面切って文句は言いませんよ」
「…………迷惑……じゃない?」
「もちろんです」
「……本当に?」
「ええ。もちろんです」
「……………」
 ヴェノムは、少女の小さな身体を軽々と抱き上げた。
 どうやら気を失ったらしい。
 張りつめていたものが、切れたのだろう。あんな場所ではろくな睡眠も取れない。
「どうする気だ?」
 ハウルはアミュを抱えるヴェノムに問うた。
「どんな理由にせよ、許されることではありません。私の土地に住んでいて、忌み者だからと子供をこんな場所に押し込めておくなど……。
 それ相応の罰を受けてもらいましょう」
 ヴェノムの目はいつにも増して据わっていた。本気だ。本気で何らかの報復をするつもりだ。
 たが止める気はない。
 脅えたのだ。
 人に安心感を与えるこの容姿のラァスでさえ、敵意がないということを示すのにしばしの時を要した。よく見れば額の所に傷があった。女の子の顔に傷をつけたのだそいつらは。もしもこの綺麗な顔に傷跡が残ったらどうしてくれようか。
 ラァスは危険な仕事をしていたが、身体にすら傷はない。傷を負った後は必ず徹底的な治療を受けた。ラァスは見た目が売りだからだ。脱いだとしても、傷で正体が露見するようなことがないように。
「まあ、当然か」
 ハウルもあっさりと納得し、ひらりとルートの背に乗った。
「その前に、その子に暖かい寝床を提供しなくちゃな」
「ええ」
 ヴェノムは地面に置いてあった杖を一瞥し、眼力で引き寄せたそれを右手で受け取り、言った。
「私は先に帰りますので、買い物は頼みました」
 はい、とずっしりと重い財布を渡され、杖を一振りさせ彼女は消えた。
 屋敷には特殊な魔法陣が敷いてあり、転移魔法専用に使われていた。どこからでも瞬時にして屋敷に戻れるというわけだ。
 しかし高度なその術を使いこなせるのはこの世にヴェノムただ一人だけらしく、二人は帰りまで空の道を行くことを決定されたのだ。
 ──ああ、帰りまで高い場所に……。
 なんだか切ない今日この頃。


 うっすら目を開けると綺麗な女の人が見えた。
 赤い目をした、怖そうだけどすごく優しい人だ。
 赤い目。
 邪眼。
 生まれて始めて見る、鏡の中で見るものでないそれ。自分の瞳はこんなにも醜いのに、彼女のそれのなんと美しいことか。
 綺麗だ。彼女は──とても。
 近寄りがたいほど美しく、それでいて……少し母に似ていた。
「目が覚めましたか」
 言って彼女はアミュの額に手を伸ばし、落ちかけていた濡れ布を取り桶に浸けた。
「…………ここは」
 初めてその部屋に気づく。
 清潔なふかふかのベッド。それ以外には彼女の座る椅子と小さなテーブルのみ。だが、それらは見たことがないほど高価なものだった。生まれ育った村はとても貧乏だ。人里も離れていて、冬にもなれば飢えに苦しむ。病気になっても、医者はいない。
 もう少しあの金色の少年が来るのが遅ければ虫の息だったかもしれない。食べ物もろくに差し入れられない。そんな中では、この風邪は良くなるどころか悪化の一途を辿っただろう。
「私の屋敷……いえ、城、ですね。趣味人の領主の別荘を買ったものです」
 お城。
 なんだか実感がない。体を起こすと、窓からは素晴らしい庭が見えた。綺麗な花がたくさん咲いている。
「……綺麗」
「私の自慢の庭です。元気になったら、好きなだけ見て下さい」
 アミュは、やんわりともう一度寝かせられた。
「おねえさんは……誰? どうして……わたしなんか」
「私はヴェノム。深淵の魔女と呼ばれています」
「おねえさんが?」
「ええ。貴女を連れてきたのは、倫理観を持つ者なら誰でもしたことをしたまでです。私も子供の頃は目の事で虐められることもありましたし」
「おねえさんも?」
「ええ。私には庇ってくださる義兄や義姉がいましたけど、あなたは一人なのですね。辛かったでしょう」
 ヴェノムは優しくアミュの髪をすいた。恥ずかしいぐらい痛んでばさばさだ。何となく顔だちは似ているのだが、根本的に違いすぎる。自分はこんなにも無様で見苦しい娘なのだ。綺麗な綺麗なこの女性に、なまじ似ているからこそ余計に恥ずかしい。
「お腹がすいたでしょう?」
「…………はい」
「かるい物を用意しましたから。まずはこれを飲んで下さい。薬湯です」
 アミュはそれを受け取り、一口飲む。
 美味しくはないが、思ったよりもまずくはない。薬とは苦くて不味いものだと思っていたので、驚いた。
「飲みにくくはないですか?」
「うん」
「あまり食べていないとき、急にものを食べるとお腹が痛くなりますから。胃を保護するためのお薬です」
 アミュはそれを少しずつ飲む。
 アミュが薬湯を飲み干したのを見て、ヴェノムは机の上に置いてあったカップを手に取り、呪文のようなものを唱えた。実際にそうだったのだろう。カップからは湯気が立ち上り、とても良い香りが鼻孔をくすぐる。
 温かいスープなど閉じ込められる前からもしばらく飲んでいない。冷めたまずいスープばかりだった。
「さあ」
 アミュはもう一度起きあがった。野菜がとろけるまで煮込んであるスープだ。
「いただきます」
 ちらりとヴェノムを見た。
 無表情なのでよく分からないが、とりあえずスプーンで一口飲んでみた。
 暖かい。しかし火傷するほど熱くはない。なによりも美味しい。喉をするりと抜けていく。
「…………美味しい」
「ゆっくり食べて下さい。慌ててたくさん食べると胃が痛くなります」
 こんな風に言われたことはない。母ですらアミュのことを疎み怯えた。殺したら呪いがかかるのではないかと言って皆脅えた。生かされていたのも、たったそれだけの理由だろう。
 だからこんな優しい言葉などかけられたこともない。
「……りがと………ありがと……ございます」
 涙が出た。声が掠れる。やがてぼろぼろと涙が出た。ヴェノムはレースのハンカチで涙を拭ってくれた。とても高価な物だろう。
「どれぐらい、あそこに閉じ込められていたんですか?」
「夏の始め……」
 皆が、お前が悪いのだと罵った。
 彼女の問いかけに聞く耳を持つ者などいなかった。唯一の友達は死んでしまったから。
「行く場所がないのなら、ずっとここにいてもいいんですよ」
「…………え?」
 耳を疑った。
 今、この人は何と言ったのだろう?
「ここには、男の子しかいませんけど。女の子には優しい子達ですから」
「……………どうして」
「貴女が普通のお嬢さんで、人々から迫害を受ける要素を持っていないのなら、信頼の置ける養父母を探しました。けれど貴女は邪眼。偏見を受けるでしょう。何より、未開の邪眼ほど恐ろしいものはありません。今はまったく力を発揮していませんが、その内に無意識に邪眼を発動させてしまうようになるでしょう。それを制する手段を教えるのが、同じ邪眼の人間の役目です。というのが主な理由です」
 邪眼だから。
 少し悲しいが、ほんの少し嬉しい。
 この邪眼のせいで誰かに引き留められることがあるなど、夢のようだ。
 同じ邪眼だから信頼できる。何よりこの人と一緒にいた、信じられないほど綺麗な少年は、こんな自分を見ても怖れるでも罵るでもなく、手を差し伸べてくれた。村人達を理不尽だと、こんな自分のために怒ってくれていた。
「それに、自分の妹か娘かを見ているような気分ですからね」
 ハウルがいれば、図々しいと言うだろう台詞は、アミュの心に渦を作った。
 たまらなく、苦しいほどに胸が痛い。
 うれしさでも、このような風になるのだ。涙が溢れ、ヴェノムはおやおやと言って涙を拭いてくれた。
「おねえさんは……本当のお姉さんみたい」
「あら嬉しい。姉はいましたけど妹はいなかったんですよ。この際、正式に私の義妹になりますか?」
 冗談なのか本気なのか、常に変わらぬ真顔で言うので掴めなかった。人の感情を読みとることは得意なのだが、この人の場合はまったく分からない。
「………………」
「本気ですよ。こんなくだらない冗談を言うほど悪趣味ではありません」
 アミュのうかがうような目を見てヴェノムは応える。
 今まで皆、アミュにとって嬉しいことを言う人は、冗談に決まっていた。本気でアミュにかまう者はいなかった。
 ──どうして、今日は……。
 こんなに嬉しいことばかりなのだろう?
 今までの嬉しいことを全部集めても、こんな彼女の一言分の価値もないだろう。
「……本当に?」
「ええ。そのかわり、変な男に嫁いだりはしないで下さい」
 なぜか、切実そうだった。
「私の認められる、ちゃんとした男性とお付き合いをして下さい。どうしようもない変態とか、どうしようもないちゃらんぽらんな男とか、どうしようもない視野の狭い男とか、どうしようもない残虐非道な男とか」
 普通、そんな男は選ばないと思う。例えどんなに見た目が良くても。アミュは優しくて自分を好きになってくれる人がいい。
「…………う、うん」
「ならば決まりです」
 ヴェノムは、アミュの額に口付けた。
「しかしその前に、ちゃんと身体を治さなくてはいけません。日光に当たっていなかったから、だいぶ弱っているようです。この部屋はとても日当たりがいいのですよ。今日からこの部屋はアミュの部屋です。女の子らしい、可愛い家具を今度町に選びに行きましょう。あと、服も」
 信じられない。
 家具に、服。
 食べさせてもらえるだけで、十分すぎるほどの親切なのに。
「……………ありがとう」
 今日、生まれて初めて、運命の女神というものに感謝した。
 こんな嬉しいことがある日が来るのなら、今までの辛い日々は報われる──。


 ラァスは帰るとすぐにヴェノムの元へと駆けつけた。
「アミュちゃんは?」
「寝ていると思いますよ。お風呂に入れましたから」
 確かに、ハーブからできた入浴剤を入れるあのお風呂は気持ちがいい。入った後はぐっすり眠れる。
「どこで?」
「元ハウルの部屋」
「おい」
 駆けつけたハウルは、引きつりぎみの顔で言う。
「ああ、あそこか。日当たりも景色も良いもんね。病人には最適だよ」
「あっさりと納得するなよ、人ごとだと思って」
 ラァスは他人事なので、ことなげもなく言う。ハウルはその首を絞めてきた。気管を絞めても少し苦しいだけであまり効果はない。どうせやるなら左右の頸動脈をきめれば数秒で落ちるのに、などと思いながらその手から逃れる。そういった点ではハウルは逆立ちしてもラァスには敵わない。しかし逆に正々堂々と剣の勝負となると、ハウルにはとても敵わない。それぞれ得意分野というものがあるのだ。
「とりあえず、クローゼットはラァスの部屋に転移させたので、しまい込んだベッドの埃を落とすまで一緒に寝て下さい」
「ハウル、今すぐ取り出しておいでよ」
「ああ。今すぐに。可及的速やかに」
「適当な部屋を見繕って掃除して使いなさい。そのかわり、下手な部屋はまだ手つかずの危険な罠などありますから」
「…………………」
 ラァスはその言葉に溜め息をつく。
「この家って、いったいなに考えてこんなに罠があるわけ?」
「ほら、ジェームスが。子供が逃げないように罠仕掛けてたんだろ。だからこんな城を安く買い叩けたんだよ」
「なるほど。そうだったね。奴がいたっけ。記憶の隅からも追い出してたよ」
 こそこそと囁き合う二人を見て、ヴェノムは悲しげに(唇を噛んで視線を逸らしたのだ)していた。おそらく仲間外れにされたようで寂しいのだろう。どうでもいいから怖いのでやめて欲しい。アミュは初対面のこんな一見恐い人と一緒にいて大丈夫だったのだろうかと、本人が聞いたらまた拗ねてしまいそうなことを考えた。
「あっ、そうだ。師匠、あの子の服ボロボロだったから適当に見繕って買ってきたんだけど。やっぱり新品の方がいいでしょ」
「おや、気が利きますね。さすがはプロ」
 そりゃあ、昔は悪いことをしていた。しかしもしアミュが聞いたら、絶対に別のことと疑いそうなことを言うのはよして欲しい。本当のことも伏せておいて欲しいのだが。
 ああいう少し臆病でそれでいて素直な女の子は昔から結構好みだった。年上よりも同年代か年下の方が好みだ。ハウルとは女の子のことで対立するようなことにはならないだろうから、永遠の友情も可能だ。女性の好みが違うというのは、友情が長く続くかなり大切な要素である。
「あの子はうちで引き取ることにしましたから」
「そうか。邪眼だしな」
 ハウルは予想していたようにあっさりと納得する。
 ラァスは内心喜んだ。ヴェノムのことは好きだ。もう少し普通の人だったら、案外惚れていたかも知れないほどに。それに似た顔だちと、可愛い性格とくれば喜ばないはずもない。何も知らぬあか抜けぬ女の子は、男が磨いて輝かせるのもロマンある。
「引き取ると言っても形的には義理の妹としてですから、そのつもりで」
「おい」
 ハウルの顔が引きつった。
「お前、妹って………数世紀に渡って生きる妖怪ババアがよくもぬけぬけと」
「もう少し幼ければ娘として引き取りました。しかし、さすがに十歳を過ぎた女の子では、私を母と呼ぶのに抵抗があるでしょう」
 ハウルは言葉に詰まった。確かにこの人の美貌を見てイメージとしては母親としてみられても、いざ母親になると抵抗がある。慣れていなければなおさら母などと呼べない。
「いいんじゃない。まあ、親子になるには赤毛だから嫌なんだよ。父親があの人に見られそうで」
 ラァスは適当な予想を口にしながら、買い物袋の中から何枚かの服を取り出した。可愛らしいフリルのついたワンピース。ごくありふれた前合わせの上着やスカートやズボン。ぱっと見で体格については大体の予測がつく。元の職業上。だからちょうど良いサイズのはずだ。
「好みがはっきりと分かりますね」
「似合いそうなんだもん。ちゃんと食べて、適度にふくよかになれば、さらによく似合うと思う」
「確かに。しかし私には似合いそうにもありませんね。十代前半だとしても」
 似たような顔なのに、なぜでしょうか? などと問われても、ただ一言しか返せないので何も言わない。とりあえず彼女は今、夕食らしき物を作っているのだから。
「そろそろアミュを呼んできて下さい。彼女が着替え終えるころには、パンが焼けています」
「分かった。ハウルはベッドの用意してきなよ。ぼくは男と一緒に寝るのはすごく嫌だから」
「同感だ」
 そして、二手に分かれた。
 喜ぶだろうな。
 そう思いながら。

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