3話 赤き忌み子

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 翌日、もう一度あの遺跡へとやって来た。
 アミュも連れていってくれと言うので、彼女を真ん中に乗せて、ラァスがしんがりに乗る。顔を引きつらせていたが、女の子の背にしがみついたり、騒ぎ立てたりはしないかった。
「昔、ここには何かが封印してあったのだと思います」
「何か?」
 ハウルは問う。彼女のこの言い方は、あまりよくないモノだと知っていたから。
「地の力の強力な結界が張ってあります。ラァスならば逆に力が強まりますが、ハウルのように風や水の、闇に属する力を有するものなら、逆に力が削がれます」
「え、そんなところに一人で行かせたの……」
「なかにちゃんと封じるべき者がいれば、もっと目立たなくなっています。何もいないと確信がありました」
 ヴェノムは遺跡の入り口の前に立って言う。
 もしもそれが火に属する結界ならば、彼女にとってもプラスになるはずだった。邪眼とは、火に属する力だ。全てを破壊する炎のように、全てを殺せる力を持つ。だが使用法を間違えなければ、素晴らしい恩恵を受けることもできる。強い、常人ではあり得ない強い魔力という恩恵だ。
「……そういえば、小人さんが励ましてくれた」
「下級の地精ですね」
 同じ光の属性からだろう。そして精霊達にとってはこの上なく魅力的な邪眼。火の聖眼を持つ少女が閉じ込められていたら、消される可能性すら無視して、好かれたくて、一緒にいたくて、出てきてしまうだろう。
「そういえば、あそこにはとても怖い魔物が封印されていたんだって。人間達が封印を解いてしまって、今はいないって」
「…………今は」
 ヴェノムは視線を地面に落として考える。ハウルも彼女の疑問点に気が付いた。
 とりわけ、地精は風精に次ぐ気まぐれな精霊。そして精霊という者は、自分の愛でる者に対しては、徹底的な愛情を注ぐが、無関心な者に対しては、例え死に行こうとしていても関心を持つ事はない。
「村の方へ行ってみましょう」
 ヴェノムは杖にふわりと飛び乗った。ハウルはアミュをひょいと抱え上げ、ルートの背に乗せてやる。大人二人が限界なのだが、ラァスとアミュのような小柄な少年少女となら三人で乗れる。
 ヴェノムの後を追って、ルートは指示する前に飛び立った。まだ十歳なのにとても賢く聞き分けがいい。
「…………」
 ハウルは、すぐに近づいた村を見て目を細めた。
 気のせいかも知れないが、広いとは言えない畑には誰も人がいない。この時期、草むしりや収穫で大変な時期だというのに。
「…………人が、いない」
 この村については、アミュが一番よく知っている。やはりこれは異常な事態なのだ。
「……しかも作物が、枯れてるよ」
 ラァスは地上を見て顔を顰める。
 ルートはヴェノムについて地に降り立つ。
 畑の方を見れば、そこはまるで長い間雨が振らなかったかのように、地面が乾いてひび割れていた。
「……………」
 人がいない。畑が駄目になっている。
 雨が降らないわけではない。そうであったら森の方にも影響が出て、ヴェノムが気づいていたはずだ。だが、ヴェノムの森は無事である。
 ヴェノムは村を歩き、勝手に家の中にまで足を踏み入れた。そして、肩をすくめて戻ってくる。
「帰りましょう。ここは危険です」
「え?」
 アミュが首を傾げた。
「干からびた死体がいくつもありました」
「干からびた…………って」
 アミュの閉じ込められていた一ヶ月の中で、何があったというのだろう?
「おそらく、あの遺跡の秘密に気が付いた彼らは、そこに厄介事を押し込めようとして、封じられるようなモノを解放してしまったということです」
 自分の封じられていたところに、帰るはずがない。
 だからこそ地精達はアミュをそこから出してやらなかったのだ。何らかの危険から彼女を守るために。
「………じゃあ、だれがアミュちゃんに水や食料を運んできたのかな?」
「おそらく地精達でしょう。アミュ、ある日突然食事の指向が変わりましたね?」
「うん。そういえば、しばらく前から、パンとかスープとかじゃなくて、果物とか木の実とか出てきた」
 地精達の仕業だ。
「ならば、行きましょう。ここは人間の出る幕はありません」
「……ヴェノムでも?」
「子供連れで、どうこうする自信などありません。ルート。ウェイゼル様の所へ行き、クリス様をここへ寄こすように申し上げなさい。このような事をなさるのは彼しかいません」
「了解」
 ルートは飛び立った。白き風の竜は、風よりも速く行く。
 ヴェノムも子供達を抱き寄せ、魔法式を展開し、呪文を唱え始めた。ハウルは慌てて彼女の背中に張り付いた。
「理よ、我がためにその真意を示せ。
 我は行く。我が印ある場……」
 瞬間。
 ヴェノムは背中のハウルを押しつぶすように後ろへと倒れた。
「うわっと」
 ハウルはヴェノムを抱き留める。ヴェノムの頬には、一筋の血が流れていた。
「しまった。遅かった……」
 ヴェノムは舌打ちする。
 彼女の邪眼の赤味が増す。妖しいばかりに輝き、それは彼女が実力を出そうとしている証だった。
 ──本当に、そこまでの……。
「いったい……何が。クリス伯父さん、いったい何を封印してたんだよ!?」
 答えは、返ってこなかった。ハウルは今度こそヴェノムに押し倒されていた。ハウルが見たのは、彼の頭があったあたりを通り過ぎていった何か。それは近くにあった民家の壁をあっさりと貫通していた。
「……うげぇ」
「気を付けなさい。水です」
 ヴェノムは間入れずに起きあがる。
「水妖?」
 上位の水妖になれば、山をも崩す水を操ることもできる。厄介には厄介だが、最上位の水妖とも交友のあるヴェノムが、ここまで怖れるとは思えない。それ以前に水妖とは極めて大人しい種族だ。むしろ気が弱い種族といえる。気が荒い方ですら争いはしても、無益な殺生となると断固拒否する。自らを守るために船を沈めてね、とどめを刺すような事はしない。復讐をしても、その相手以外は決して傷つけない。人間とは比べものにならないほど穏やかな種族だ。人間なら村に入ってきた魔物は全て殺し、身内が殺されればその種を全て根絶やしにしようとするのだから。
「水妖ならこんなに慌てたりはしません。睨み付ければ泣いて謝るような種族」
 まあ、普通泣くだろう。水でも消せぬ焦熱を纏う女だ。火妖でも泣きそうな気がする。
 そんなものをあの殺生を好まぬ伯父が直接手を下すはずもない。だから封じたのだ。
「アイオーン。異界の魔物です。理を曲げるもの。世界の毒。瘴の魔」
 ──異界の?
 聞いたこともない。
「ラァス。ハウル。遺跡へ逃げなさい!」
 ヴェノムはそれだけを言い、ドレスの裾を引き裂き、動きやすいようにした。そして呪文を唱える。
 解呪の呪文を。
「あるべき姿に」
 ヴェノムが杖を振るうと、まず杖が形を変えた。ヴェノムの腕に巻き付き、鋭く尖り、剣と化す。そしてヴェノム自身、変わっていった。
「………………」
 幼く、どう見てもハウルと同年代になったヴェノムを目にし、ハウルはすっかり混乱した。
 だが幼くとも、氷のように冷たい瞳はそのまま。微笑むならば愛らしくもなろう唇も引き結ばれ。少しドレスが大きく見えるのは、それから数年の後も彼女が成長するからだとうかがえる。
「早くお行きなさい」
 はっと我に返り、ハウルはラァスとアミュの手を取り、走りだそうとした。その瞬間、言い様のない悪寒に足を止める。ほんの少し体を反らす。
 眉間の前を、水が通り過ぎていった。かすったか、血が流れている。
 今までのことから考えると、ある事を思いつく。
「おのれ」
 どこらか声が聞こえ、ハウルはまだ動く。先ほどいた場所をまた水が通り過ぎる。
 ──やっぱり俺が狙われてる?
 ならば自分の身は自分で守らねば。
「お前ら行け」
「でも」
「アミュを安全な場所に。俺が狙われてるっぽいし。たぶん、封じた本人に似た系統の顔だから」
 よくあることだ。父親に似てしまったがために、逆恨みの対象となる。普通とは言えない兄弟の中で、一番恨みを買っているのは、次男のウェイゼルだ。悲しいことに。
「分かった」
 アミュのことがあるのでラァスは迷い無く了解し、有無を言わせず彼女を抱え上げ、呪文を唱えて常人の倍以上の速さで走っていった。
 ヴェノムが不満そうにしながらも、何も言わないのはその考えが正しいからだ。
「ハウル。離れないように離れていなさい」
「なに無茶苦茶言ってんだ、お前は」
 あのヴェノムが、ここまで困惑してしまう相手。そう思うと、ぞっとする。
 ハウルはとりあえず巻き添えにならない程度、すぐに駆け寄れる態度の距離を置いた。そして防御魔法を準備する。
「そこにいる方、出ていらっしゃい」
 ヴェノムは民家の影を睨んで言う。冷たい、力の込められた命令だった。
「……何者だ」
 高くも低くもない、ヴェノムの声に匹敵する無機質な声だった。
「私はヴェノム。緑の賢者です。こちらはハウル」
「……あの男と似ている」
「似ているだけで別人です」
 ヴェノムは油断なく、それでいてただ突っ立っても見える構えをしていた。彼女はどんな体勢からでも、全速へと切り替えることが出きる。
「あなたは?」
「エノ」
「なぜ、村の方々を殺したのですか?」
「……あの娘」
「アミュ?」
「あの娘に……ほんの少し、お礼を」
「……あの子が、貴女の封印を解いたとでも?」
「いいや。あの娘は、その瞳で真実を明るみにしただけ。その影響を受け小僧が封印を解いた。小僧は殺され、娘があの檻に閉じ込められた。もとは表向きにもできない犯罪者を閉じ込めていた場所らしい。闇に包まれ、気が狂いそうな時を過ごさなければならなかった」
 憎しみが込められていた。深い憎悪。当然だ。ずっと闇の中にいたのでは、どんな善人でも憎しみを抱く。
「それに力を取り戻すために。水と、生命力を手近から求めた結果だ」
 その両方をふんだんに持つのは、人間の血。だから全ての水分を絞り出したのだ。
「あれも血族者を殺せば、多少は動じるだろうか?」
「できればの話しですが」
 ヴェノムは動いた。残像が残るほど速く。隠れていたそれは危なげもなく彼女の投げ放つ刃をかわした。 エノと名乗ったそれは人に近い半魚人。手足に鱗が生えているが、醜いギルマンなどとは違い、ただ鱗の生えている女性だった。目は血走り、牙が生えているが、異界の生物だといわれてもにわかには信じがたい。新種の水妖だとか、人魚と人間のハーフだとか言われた方がしっくりくる。
 これが人々から水分を蒸発させ殺した魔物。
「……久々に、やる気がわいてきましたよ」
 唇を歪め、ヴェノムは囁くように言った。


 気が、狂いそうなほどの憎悪を感じていた。
 それは、幼い頃から感じていた。
 どうしてそんなに憎いのかな? どうしてそんなに悲しいのかな? わたしより、ずっと悲しいのかな? わたしみたいに、みんなから除け者にされたのかな? 虐められたのかな?
 それは、とてもとても悲しいことだ。それともこの人はもっともっと悲しい目に合ったのかな?
 夢を見る度にそう思っていた。今思えば、それは彼女の心の叫びだったのかも知れない。
 だって、とてもとても悲しい感じがしたから。
「待って、ラァス君」
「ごめんね、こんな風に物みたいに持って。でも、もう少し我慢してね」
「違うの。行かなきゃ」
「は?」
 ラァスは足を止めた。アミュは猫のようなしなやかさで、ラァスの腕から逃れた。
「ちょ、どこに。そっちは危ないんだよ?」
 アミュはラァスに腕をつかまれた。華奢な彼女は、必死になって振り払おうとした。しかし細身とはいえ男の子の力に敵うはずもなく、足は止まる。
「だめなの。あの人は、とっても悲しかったの」
「あの人?」
「だって、ずっと一人でいるのは悲しいから。あんな暗い場所に、あんな寂しい場所にずっと一人でいたんなら、みんなを憎んでも仕方ないと思うから」
 あの人に比べればずっと短い間だったのに、慰めてくれる大地の精がいてさえ耐え難い時であった。
「話し合えば、分かると思うの」
「いや、話し合うって。君の村の人達を殺したんだよ」
「……それでも、きっと」
 そうでなければ、あまりにも可哀想。
 誰にそんな権利があって、そんな辛い目に合わせられなければならないのか。そんな目に合うのなら、死んだ方がましだと思う。
「閉じ込められてて、近くで自由に動ける人がいたら、きっと怒るのは当然だと思う」
「でも……」
「それに、お姉さんに争いなんてしてほしくないし」
「いや、あの人はね」
「それにお姉さんは知らないから。あの人が、とても悲しんでいたこと」
 だから。
 ラァスの力が緩んだ瞬間、手を振りきって、そのまま全力で走る。ラァスは溜め息をついて、その後をついてきてくれた。止めることもなく。
「そのかわり、危なそうだったら、口に石詰めても黙らせて連れてくからね」
「……ありがとう」
 心から、感謝した。
 ほんの数分走ると、村へと戻れた。
 言われてみれば、ところかしこにミイラが転がっていた。服装から、どこの誰だか分かる死体もいるが、多くは誰であるかもわからない。どんな人であれ、死んでしまうのは悲しい。こんな悲しみを作ってはいけない。そう言ってあげなければ。自分などが言うのは、おこがましいかもしれないが。
 血が、流れていた。
 ヴェノムの肩から、腹から。
 そしてあの人も、傷ついていた。
「お姉さんっ」
「アミュっ」
 ヴェノムは目を見開いてこちらを見た。
「馬鹿っ」
 ハウルは、戦いの途中に目を逸らしたヴェノムに飛びかかろうとした。
 だがその必要はなかった。敵であるあの人もまた、驚いてこちらを見ていたから。
「なぜ戻ったのです!」
 アミュは、一瞬身を竦める。
 怖かった。言うことを聞かなくて、それで嫌われてしまうのが。妹にしてくれると言った人に、嫌われてしまうのが怖かった。たった一人だけなのに。
 それでも、これ以上の悲しみなど耐えられないから。
「……あのね、魔物のおねえさん。とても悲しいのはよく分かるの。ずっと一人で、とても寂しかったと思う。だけど……だけど、それを関係のない人にぶつけるのは良くないと思うの。だって、そんなことをしたら、誰かがまた悲しむから」
 彼女は顔を歪めた。とてもとても悲しげに。
「……分かる……だと?」
「……………」
「私は、何もしていないのに。ただ、迷い込んできてしまっただけなのに……」
 何もしていないのに。
 何もしていないのに、虐められる。これ以上に理不尽なことはない。とても、とても悲しい。憎しみなど抱きたくはないのに。でもただ一人いたから。虐めない人が。話しを聞いてくれる人が。そうでなければ、きっと全部憎んでいただろう。
 この人には、たった一つの救いもなかった。
「……何も、していない?」
 疑問の声をあげたのは、ヴェノムだった。
「そうだ! ここがどこかも分からず、ようやく理解した私をあいつらは……」
「今回が初犯?」
「そうだ!」
 ヴェノムは突然剣を収めた。剣は元の杖となる。どうなっているのだろうか。
「まったく、あの方達は」
 溜め息をつき、地面に座り込む。
「それならば確かに恨むのも当然ですね。まあ人を殺してしまったのはまずいですが、どうせそれなりの報いを受けてもらおうと思っていたことですし。何よりもアミュが止めるのですから」
 悪意はない。そう言いたいのだろう。
「とりあえず、来るのを待ちましょう」
 アミュは思わず涙を流した。それを見て彼女が動揺していた。
 やはり悪い人ではないのだ。ただ憎しみで、我を忘れていただけだろう。
 ──よかった。


 遺跡の側に移動し、腹がすく頃ようやくやってきた父と伯父のクリスではなく──叔父のガディスにハウルとヴェノムの冷たい視線が注がれた。クリスの姿はない。
「……あれ?」
 首を傾げる父に、ハウルはとりあえず手近にあった石を投げつけた。やはり、あっさり避けられたが。
「……ヴェノム。現状が把握できないのだけど」
 彼はルートの背を降りた後(転移したくせになぜか背に乗っていた)、首を傾げたて言った。長い銀の髪がさらりと肩から落ちる。
「とりあえず、やはりその方が可愛いと思いますよ。うん。ずっとそうしていて欲しいと思うのですけど」
 少女の姿をしたヴェノムを褒め称える色ボケ男は、ヴェノムの腰を抱いた。その腰にまわされた手に、ヴェノムは容赦なく隠し持っていたナイフを突き立てる。
「そんなことよりも、どういうことです?」
「何のことですか?」
 傷のことはまったく気にせず彼はヴェノムに微笑む。
「このアイオーンの彼女、悪いことはしていなかったと主張していますが」
 青い瞳をエノに向け、彼は首を傾げる。
「ちょっと記憶に……」
「離せ! 殺す! 殺してやる!」
 アミュとラァスにしがみつかれハウルに前を阻まれて、エノは仕方なく全ての恨み辛みを視線に乗せた。
「とりあえず、アイオーンは存在自体が歪みを生みますから。それに、凶暴ですし。普通はすべて排除しているんですが」
「当時の様子を聞く限りでは、千年は前だと思われますが」
 兄弟は顔を見合わせた。
 だめだ、こいつら。
 ハウルは軽蔑しきった目を向けた。ヴェノムなど、生ごみでも見るかのような目を向けていた。
「……兄上は甘いからな」
「……ああ、そういえば、いたような気がします」
 ヴェノムの視線に焦ったのか、汗だくになりながら何とか思い出す二人。
「水妖みたいなのを僕が追っていたとき、命を取るのは可哀想だからっていっしょにいたクリスが。結界で封じていれば歪みも発生しないからとか、次に歪みが生じたときに返してやろうとか言ってたような」
「で、結局は忘れてたんですね?」
 辛辣な一言。
「……だって、クリスが」
「ここはあなたの勢力圏です」
「……いや、でも」
 聞く耳持たず、ヴェノムは彼の首をつかむと、そのままごきりと首を折る。
 初めてそれを見るラァスとアミュは、青ざめて抱き合った。
「し、師匠。その人……ハウルのお父さんじゃ……」
 しかしその視線の先、その化け物は平然と首を元に戻し、
「痛いですね」
 のたまった。
「ひっ」
 異様な光景に二人は同時に息を呑む。
「気にするな。人間じゃないから」
「で、でも」
 明らかに脅えていた。ラァスにとって首を折っても殺せない生物は、幽霊に近いのかも知れない。アミュはただ呆然と二人を見つめていた。その視線に気づいたのはウェイゼルだった。
「おや、その女の子いつ生んだんですか? 小動物みたいで可愛いですねぇ」
「そんなわけがないでしょう。ねえ、ガディス様」
 じろり、とヴェノムはガディスを見る。赤毛で、邪眼。おまけにヴェノムに似ている。
「……なんかしたの? 顔色悪いけど」
 意地悪くハウルは問うた。
「いや……そんなわけじゃ」
「じゃあ、赤の他人ですか?」
「………」
「アミュ、いくつですか?」
「十二歳」
 思ったよりも大きかった。十歳ぐらいだと思っていたのだが、ろくなものを食べていないから発育が悪かったのだろう。
「で? 心当たりは?」
「ああ、そういえばそれぐらいの時、ヴェノムによく似た女を見つけたとか言っていましたっけ」
 先ほどのことで気まずいせいか、あっさりと弟を売る兄。
「ウェイゼル様。本当ですか?」
「ええ。まさかたった一度の関係で子供など出来ているなどとは思ってもいませんでしたけど、不幸ですね、ガディス。人間との間での受精率なんて、大穴を当てるぐらい低いのに」
 ヴェノムは、無言でガディスの首を折った。
 ──って、待てよ。
「ってことは、俺とアミュはイトコってことか?」
「そうなるようですね。もちろんこんな男を父親だとは思わなくて良いんですよ。父親が欲しいというのなら、別の所からもっといい父親を連れてきましょう」
 アミュはかぶりを振る。涙を溜めた瞳を、一瞬だけガディスに向けた。
「父親なんて……いらない。お母さんを騙して捨てたんだもん。大嫌い!」
 彼女は不幸の根元など知りたくもなかっただろう。ヴェノムはアミュの頭をそっと撫でる。
「帰りましょうか」
「うん」
「とりあえず、エノも、来ますか?」
「……え?」
 うって変わった優しい言葉。それに彼女は戸惑いを見せた。それにガディスが反論した。
「馬鹿なことを言うな。いくらヴェノムとはいえ、それだけは許されない。知っているだろう。異界の存在が、どれほどこの世界の在り方を傷つけるか」
 存在自体を否定する言葉。
 ただいるだけで悪。アミュではないが、そんなことは悲しすぎる。
「これまで生かされていただけで、僥倖なんですよ。今度こそ忘れないでおきますから、とりあえずまた地下に潜ってくださいよ。もしくは死か。二つに一つです。大人しく封じられていれば、今度こそちゃんと返してあげますから」
「冗談じゃない! あんな所に戻るのなんて、死んだって嫌だ! それに……それに、今更戻ったって、もう、私を知っている奴なんて、いないに決まっている!」
「なら今すぐに死ね」
 ガディスはエノに手を伸ばした。迷いなどなく。害虫を踏みつぶす、そんな軽い感覚で。千年の時を奪われた哀れな存在に絶対的な力をぶつけようとしていた。周りは傷つけることはない。ただ、その存在のみを消滅させる。それが、彼にはできるのだ。
「やめてっ!」
 アミュは、エノの腰にしがみついた。こちらも迷うことなく。
「ひどいっ! 最低! どうしてそんなことができるの!?」
「放っておけばこれはこの世界に厄災をもたらす。最大多数の幸福のため侵入者を排除するのは当然だ」
 アミュはガディスを睨み付けた。 彼女にとっては母を弄んだ憎い男。そんな男の言葉など彼女に届くはずもない。
 ガディスは娘の行動を、忌々しげに見つめていた。
「どけ」
 どかなければアミュが多少の怪我を負おうとも。いや命を散らせようとも実行するだろう。彼はそう言う男だ。責任感が強く、融通が利かない。そして、愛情を理解しない。
「そうやって、また奪うのですか?」
 低く、ヴェノムは呟いた。
「だから私は、あなたを永遠に許さない」
「仕方のないことだ」
「そうやって決めつけるからあなた方は怠慢なのです。手だては、他にいくらでもあるのに」
 ヴェノムはガディスとエノの間に割って入る。ガディスはそこで初めて手を引いた。彼が唯一執着するのは、皮肉なことにヴェノムだけ。ヴェノムはたとえどんなに彼が切望しようとも、手に入れることはできないだろうに。
「自分の娘に、私と同じ気持ちを味合わせようと言うのですか」
「そんなものではないだろう。ただの哀れみだ。すぐに忘れる」
「……本当に、最低。
 残念ながら、私は無駄に今まで生きてきたわけではありません。
 手だては見つけています」
 ガディスは目を見開いた。
「簡単に、済ませるだけを考えていたあなた方とは違います」
 ヴェノムは背後の子供達にちらりと視線を向けた。
 ハウルは、ラァスを促した。二人で、エノの背にしがみついた。
「神敵だと定められようが、私はかまいません。思い残すことなど、既に何もありません。この子を、ここで生きられるようにしてあげられるなら、それで」
 ハウルは呪文を唱えた。ハウルにだって、やってできないことはない。ヴェノムの代わりに呪文を唱え、力を使うだけ。制御するのはヴェノムだ。
「この子は私がいただきます。あとガディス様とは当分顔も合わせたくありません」
 辛辣な一言を残し、ハウルの呪文は完成して、ヴェノムは深淵の森への道を開く。
 彼女に何があったのか、それは知らない。少なくとも、それがガディスを嫌う理由なのだろう。
 今は哀れには思わない。犠牲者はエノだ。哀れな、迷い子。
 ヴェノムが、そんな存在を無下にするはずもない。


 始めからおかしいとは思っていた。全力で相手しようと思った相手が、アイオーンにしては異様に弱かった。べつにエノは弱くはない。ただ異界から来た存在は、その歪みを纏う代償として力を得る。それはその者を狂わせる。だから凶暴性が増すのだ。
 それはもちろん付属的なものであって、異界の──毒を含んだ空気を纏うその存在自体が危険なのだ。今回に関しては多少出歩いたとしても、たいしたダメージはないだろうがそれでも長く放置すれば無視できない。危険度で言えば空気感染の病と接触感染の病ぐらいの差であるのだが、それは人間から見れば、大したことはないようにすら思える。
 どんなに化け物じみていると言われようと、ヴェノムは純粋な人間だった。そう言う意味では、ハウルの方がよほど人間離れしている。
 始めからハウルはエノのことに近寄りたがらなかったのだが、それは本人も自覚しないほどの、ささやかな影響。自分を納得させ、近寄っていた。それでも触れることはしなかった。ヴェノムもそれを止めていた。万が一ということがある。
「この子を預かればいいんだな?」
 ヴェノムの弟子だったという、黄みがかった肌の男は問うた。
「はい」
「可愛い女の子だな」
 エノは今、本来の姿をとってた。人と区別が出来ないハウルと同じ年頃の少女。
 影響力が小さかった理由は、ここにやってきた当時、彼女が成体ではなかったからだろう。
 時による成長ではなく、思いによる成長。なぜか水妖は思いによって実際の年齢よりも成長してしまう場合がある。もちろんそれは一時的ではあるが、思いが強ければ、ずっとそうすることも可能だった。知り合いも、そんな意志の強い、それで愛らしい水妖の娘だった。だから知っているのだが。
「ここなら、エノは平気なの?」
「ええ。ここは歪みが絶対に起こらない場所です」
 東方にある、とある峰。
 そこに皆はいた。
 ほとんど小屋に近い木の家が、峰の頂上近くに立っている。そこにこの男は住んでいる。名をホクトという。
「エノはここで、このホクトに自らを律することを学びなさい」
「この男に?」
「不満か?」
 ホクトは微笑んで問いかける。言葉は問題があるが、その微笑みは不信感を拭い去るのに十分事足りるほど優しく、魅力的だった。
「律すれば、どうなるのだ?」
「そうすれば、どこにでも行けます」
「本当か?」
 エノは顔を輝かせる。
「もちろん、修行はきびしーからな。俺様は女の子にゃ優しいが、弟子には厳しいぜ?」
「頑張る」
 エノは何度も頷いた。
「頑張れば、自由になれるんだな?」
「ああ。自由自由。自由になれたら、まずそのお嬢ちゃんのところに遊びにいけばいい」
 彼女はしばし考え、その考えが気に入ったのか再び頷く。
「頑張る」
 殺されるはずだった。もしくは封じられるはずの運命から抜け出せただけなく、自由まで手に入れる可能性を与えられたのだ。
「ヴェノムもたまには遊びに来いよ。仙人なんてやってると、退屈で退屈で」
「ええ。今度」
 笑うことなく彼女は言う。
「エノおねーさん。頑張ってね」
「アミュも」
「うん。頑張って、邪眼使いこなせるようになる」
 二人はきゅっと抱き合った。
「アミュ、行きますよ」
「はい」
 アミュはヴェノムもとへと駆け寄った。
「エノ。あの馬鹿達には、しっかりと報復しとくから」
 ハウルが言うと、エノは戸惑ったような顔をした。
「いい度胸してるな」
 ホクトが言う。
「そりゃあな」
 ハウルはヴェノムの手を取った。
「それでは、ごきげんよう」


 四人は行ってしまった。
 ホクトが肩に手を掛ける。
 初めて会う、知らない男。
「とりあえず、お前の寝床を作らんとな」
「え……」
「なんだ? 俺様と一緒に寝たいか?」
 にやにやと笑って。
「作る」
「なら、手伝え。修行は明日からだ」
 エノは小さく息を吐いた。
 嫌な男ではない。あの魔女の紹介だからというのが大きいが。
「早く来い」
「あ、ああ」
「はい、だろ?」
「はい……」
「よろしい」
 これから、ここで修行をする。
 この男と。
 ──やり直せる、だろうか?
 そしていつか、あの少女と。
 供に町を歩く。
 それが、夢。
「頑張る」
 エノは、ホクトの後を追った。

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