5話 女神の血涙

2

 アミュはハウルと手をつないでデパートの中を見物していた。
 初めてばかりでどきどきしている。
「そんなに珍しいのか?」
「あの村から出たことなかったから。王都がこんなにもすごい所だなんて……」
 まるで夢のようだ。壊してしまわないかと、触れるのが恐くハウルの袖を掴んで歩いている。
「綺麗なお洋服がいっぱい」
「ここの服はアミュには大きいな。三年後、ってところか」
 アミュは綺麗な服を見る。
 たとえ三年たっても似合いそうにない。
「そうだ。おいで」
 ハウルはアミュの手を引いてどこかへ向かう。
 途中知らない男の人に肩車をしてもらっているラァスを見付けたが、とても楽しそうだったので声を掛けずに下の階へと向かう。
 そこでハウルはしばらくアミュから離れ、何かを探してふらふらとする。婦人用の帽子などが売っている場所だ。
「おまたせ」
 しばらくすると彼は戻って来た。再び歩くうち元の宝石店へとたどり着く。
「どうするの?」
 ハウルは答えず、ヴェノムとお茶を飲みながらお話をしているマリーノに話しかけた。
「マリーノさん」
「あら、ハウル様」
 応えたのはマリーナだった。
「作戦会議は終了しまして?」
「ああ」
 ハウルの顔は少し引きつっていた。どうやら彼女が苦手なようだ。アミュも彼女が苦手だ、なぜか睨んでくるから。
「どうしました、ハウル」
 ヴェノムが帰ってきた彼の様子に異変を感じて問う。
「いいや。今店員いないからさ」
 ハウルはポケットに手を入れ、何かを取り出した。
「これ、欲しいんだけど。代金はこれでいいよな?」
 ハウルは綺麗なバレッタをマリーノに見せた。
「あら。そのぐらいなら御代はよろしくてよ」
「いや、人にやるもんもらっちゃなんだから」
 それはとても高そうなバレッタだ。細かな細工がとても綺麗だが、可愛らしいのでヴェノムよりももっと若い女性の方が似合うだろう。
 ──誰にあげるんだろう?
 ハウルやラァスの髪につけても似合うと思うが、これは婦人用だ。
「アミュ、ちょっとじっとしてろよ」
「え?」
 ハウルはアミュの背後に回り込み、アミュの髪をいじる。
「ええ!?」
「だぁら、じっとしてろって。俺上手いんだからな。安心しろって」
「こんな高いものっ」
「何遠慮してんだよ」
 ハウルは手馴れた様子でアミュの頭の横と表面の髪をすくい、手櫛でとく。最後にバレッタで留めて、完成。
「うん、似合う似合う。アミュの髪、綺麗だか……」
 ハウルは口を塞いだ。アミュが自分の髪色を嫌っているのを思い出したのだ。
「別に……いいの。気にしてないから」
「ははは……」
 彼はいたずら好きだが、とても優しい。だから好き。
「ありがとう、ハウルおにいさん」
 アミュは頭を下げて感謝する。
「馬鹿だなぁ。男にプレゼント貰ったときは頭下げることはねぇんだぞ。ありがとうの一言で十分。他人行儀だと相手も傷つくぞ。さらに言うなら俺は身内だしな」
「でもわたし、人にこんなもの貰ったの初めてだからすごく嬉しい」
「そんなもんでよけりゃ、いつだって買ってやるぜ」
 ハウルはそう言って微笑みながらアミュの額を撫でる。
「大切にするね」
 初めて男の人に本と花以外のものを貰った。
 本といっても、村にいたとき勉強するためにと、使い古した本を貰った。
 花といっても、森の中に咲いた、どこにでもある花を貰った。
 くれた彼は、今はもういない。
 それでも、今と同じように喜んだ記憶がある。
「おにいさんはいつも女の人にプレゼントするの?」
「なわけねぇだろ。そんなうちのオヤジみたいなこと」
「そうだよね」
「アミュは特別な。俺の身内の中で、唯一大人しい性格してるからなぁ。妹になったら、アミュみたいになるといいのに」
 彼が言うと、なぜもこんなに素直に言葉を受け取れるのだろうか。彼の言葉はなぜこんなにも、自然なのだろうか?
 とても、不思議。
 不思議な、唯一心許せる本当に血の繋がった身内。
 これに関してだけは、あの父親に感謝してもいいかもしれない。
「おにいさん、準備しよう。ラァス君に負けないように」
「だな。んじゃ行くか」
 ハウルはヴェノムに手を振り、アミュと手をつなぎその場を去った。
 とても、どきどきした。


 一通り爆薬他を仕掛け終えラァスは一息つく。
「これでダストからの出入りはできないわけだ」
 カロンは肩を震わせてくつくつと笑う。
「何がおかしいの?」
「いや」
「別に死にはしないよ。下手したら顔に大火傷して痺れ薬かぶる程度。一番の目的は音だよ。音が派手に出るようにしてるんだ。そういう爆弾のキットがあるの。それをちょっと改造したんだよ。
 じゃないと……ほら、やっばり生け捕りにしたいし」
 さすがに、警察の前で横取りをしようとしていることを話すのはまずい。
 ラァスは持っていた道具を腰のポーチにしまい、カロンへと向き直る。
「んじゃ、僕師匠の所に戻るから。カロンさんはお仕事しなきゃ。予告の時間近いよ」
「そうだな。では私も供に行こうか。君の師匠というのは、宝石のところにいるんだろう?」
「そだけど」
「私の上司もそこにいるから」
 この青年はいったいラァスの何が気に入ったのやら。
 女の子だと思っているならともかく、男の行動に付き合うなど酔狂である。
「ねぇ、暇なの?」
「いいや」
「なんで僕にかまうの?」
「そうだな。興味があったから」
 よく分からない男は。考えられる可能性は一つ。
「子供が好き?」
「ああ」
 やはりそうだ。
「子供扱いかぁ。僕は普通の大人なんかよりも、しっかりしてるつもりなんだけどなぁ」
 ラァスは頭の後ろで手を組み、カロンを見上げる。
 つくづく、女性受けしそうな甘い顔立ちの男だと思う。微笑み一つで女性はあっという間に恋に落ちるだろう。
「君は本当に可愛いね」
「ん。気を使ってるから」
 これは事実だ。
 逞しくならいいように、いつまでも女か男か分からないような神秘的な雰囲気を保ち続けたいというのが本音だ。女の子と間違えられるのは、慣れてしまえばむしろ快感である。
「なあ、ラァス君」
「ん?」
「ラァス君はどうしてセイダを捕まえたいんだい?」
 ラァスは迷う。
 一番の目的を話すわけにはいかないし、かといってデタラメを話せば勘がいい者なら気づく。
「僕宝石が好きなの」
 本当のことを言う。
「それを盗むやつが許せないのか?」
「独り占めする奴が許せないの。僕だって、欲しいの我慢してるのに。
 それに、賞金いくらか知ってる? 一生楽して暮らせる額だよ」
 それだけ被害が大きいということだ。世界中の貴婦人が憤慨していることだろう。
「君は楽して暮らしたいのかい?」
「人間として理想の生活でしょ? お金が全てじゃないけど、ないと困るしあっても困らないしね。
 僕の師匠のところに依頼にくる人たち見てると、ろくな人いないし。ほとんど門前払いだよ。
 でも師匠は無償で病気の人を診てあげてるんだ。
 そういうのって、生活に余裕があるからこそ出来ることだと思うし」
 人のために何かを無償で行える行動力というのは憧れる。昔のラァスには縁遠いことだった。
 ヴェノムは魔術だけではなく、医学についても教えてくれる。いや、それ意外にも彼女から教わることは、山のようにある。
 ハウルに半強制的に農業を教え込まれているのが最近の悩みだが。
「君はいい子だね」
「そんなことはないよ」
 ──僕がいい子なら、世の中の不良どもも皆いい子だよ。
 いい子というのは、アミュやハウルのような子達をいうのだ。ハウルの場合、年甲斐もなく悪ガキが入っているが。
「可愛いな、君は」
「それはよく言われる。年上キラーって言われてるんだ」
 自慢にもならないが、カロンはまた笑った。
「いい子だ」
 ラァスは肩をすくめる。
 ──変な奴。
 でも嫌な大人ではない。
 ──僕が人殺しだって知ったら、どんな顔をするだろう?
 そう思うと、少し複雑な気分になる。彼はいい人だから。


 皆の所へ戻ると宝石は厳重に守られていた。
 何人ものカロンと同じ制服を着た大人達が、所狭しと並んでいる姿には苦笑せざるを得ない。傭兵達は外回りで、警察が宝石を直接守っているようだ。
「ここまで厳重で、どうやって盗み出すというんだろうな?」
 カロンは肩をすくめ、周囲を見回した。
「この程度だよ。地方の警察の人って所詮は一般人だもん。腕の立つ人も多い所だけど、それ以上に、軍隊に入って来いとか思いたくなるような、情けない人も多いよ。さすがに、ラルカから派遣された警官は優秀だろうと思うけど」
 ラァスが目をつけたのは、今が夜で薄手のものとはいえ、時期外れのロングコートを着た男性だった。
 警察と言うよりは、まるで本の中に出てきそうな探偵だった。
 しかし、彼が一番油断ならないのは、立ち姿で分かる。彼はここの指揮官だろう。
「立ち振る舞いからして、おそらく武術の達人だね」
 彼を敵に回すのは勘弁したい、と思うほど。
「分かるのか」
「うん」
 カロンは感心したように頷いた。
「彼は名門の道場の門下生だ。アークガルドという家を、知っているか?」
「知ってる。大陸一の暗殺者養成所」
「…………間違ってはいないな。正しくは、大陸一の武術の名家だ」
 武術と聞いて素手で戦う格闘家を思い出す者は多いが、それは大きな間違いだ。武術とは戦う術という意味。戦いというのは、当然武器を用いた方が有利だ。どんなときにどんな武器が有効か。どんな戦法が有効か。世間では卑怯とされるようなことも、戦場という厳しい現実にあるならば、躊躇うこともない。
 お遊戯のような甘いこだわりは必要ない。つまり勝つための術。負けぬための術。
 それがあるべき姿の武術。
 ありとあらゆる武器に精通し、どんな時でも対処できる戦い方を重視して教えるのが、アークガルド家。
 勝つためならば、暗殺と言う手段も取る。
 だから暗殺者養成所。有名な騎士も輩出しているが、それ以外の優秀な裏方も多い。
 今でこそ戦時においての活躍が認められ大貴族だが、昔は本当にただの道場だったという。大貴族となった今でも、代々当主自らが門下を募り、師範として教えているらしい。
「そんな人が、なんで警察なんかに入ったんだろ? 警察って元々は私設組織でしょ?」
 今では国際的な組織だが、昔は傭兵と大差がなかったらしい。大陸警察の本部があるラルカは各国と契約を結び、優柔な人材をその都市に置く。今では末端はその国々が管理しているが治安維持専門の役人だが、その上に立つのはラルカの者だ。ラルカを受け入れない国は、内にやましいことを抱えていると取られるようになっており、今では大陸全土に普及している。他の大陸では見られない、かなり風変わりな仕組みらしい。
「役人になったり軍に入るよりも、警察の方が草民の役に立てるからだよ。役人は園と血に縛られ、上には逆らえない。軍では何か重要なことがないと動けない。そして騎士団など、今やただの飾り物でしかない。
 そう思い警察に入る者は多い。その多くが彼のようにラルカの派遣になれることを目指している。派遣の場合、大きな事件に不慣れな田舎警察の指揮をとるのに給料はそれほど多くはないんだ。もちろん少なくもないけどね。
 だから経験と志が必要となる。自然淘汰されるんだよ。そして一人では派遣されない。数人のユニットを組む。互いに監視し合うのを目的として。そうして品質は維持される」
「ふぅん。だから派遣の人はレベルが高いんだ」
「何か悪さでもして追われたことでもあるのか?」
「んんと……」
 確か人気のなさそうな場所で強盗に見せかけて商人を殺したときのことだ。偶然事件が頻発して警戒されていたのだが、偶然にも派遣警察の人に見つかりしつこく追われたことがある。
「あはは。あの時はマジで疲れたな」
 ラァスの健脚に追いつける者など、ギルド内にも少ないというのに、一介の警察官が追ってきたときは驚いた。
「どうやって振り切ったんだ?」
「きゃー、痴漢、変質者、犯されるぅぅう、とか叫んだら、人がいっぱい出てきて、それに紛れて逃げたの」
 時には目立つことも大切。暗殺者は手段を選ばない。
「君みたいな可愛い子だからできることだな」
 娼婦に変装していたので、効果は抜群だった。この世の中、娼婦という職業の適齢に下限はない。生まれたての赤ん坊がいいという変態も世の中にいるほどだ。十二、三なら珍しくもないのだ。もちろん子供に売りをさせるのは違法であるが、誰もが目をつぶっている珍しくもないことである。
「カロンも派遣の人?」
「どうしてそう思う?」
「僕は気配には敏感なんだ。最近は気配殺すのが上手い人ばっかり周りにいたから、そのときは不自然に思わなかったけど、今思うとカロンって声かけてくるまで気づかなかったし」
 カロンはくつくつと笑う。
「勘がいいな」
 彼はまた人の頭を撫でてくる。
「ラァスさん。どこに行っていたのですか?」
 知っているような声が聞こえそちらを向く。
 寄ってきたのは、ハウルでもアミュでもなく、変態のハランだった。
「何?」
 嫌いなモノをいたぶるのは好きだが、変態をいたぶる趣味はない。ハウルのように、わざわざ蹴ってやるなど冗談ではない。
「ハウルさんとアミュさんのお姿が見当たらないのですが」
「は?」
「お二人はお二人で、セイダを生け捕りにする作戦を立てていたようなのですが、行ってしまったきり帰ってこられないのです。ご存じはないようですね、その様子では」
 ハウルなら、喜んで人の獲物を掻っ攫っていくだろう。
 アミュもハウルが誘えば断らないだろう。
 ──くっ、ハウルめ。僕の邪魔をするつもりか。
 彼が何を考えどこに行ったのかは分からないが、譲ってやる気はない。
 自分がこの手で捕獲し、「ラァス君、すごいね」とかアミュに言われるという目論見があると言うのに。ついでに、何か宝石などプレゼントして、「ありがとうラァス君。大好き」とか言ってもらえたら嬉しいとか何とか考えていたりもして。
 しかしそれは、この手で捕らえなければまったくもって意味のないことだ。
「どこにいらっしゃるのやら」
「師匠は?」
「気にしなくてもよろしいと」
「ならいいんじゃない? 子供二人じゃ心配なのは分かるけどさ、僕にとってはここの警察連中より、あの二人の方が脅威だし」
 なにせ、神様二人組みだ。
 それを思うと、自分などずいぶんと平凡な生まれ育ちなのだと思う。
 どんなに非凡な者でも、人間だと思っていたら自分は一級神の子で自分自身神様だった、という落ちには敵うまい。
「ここにいないということは、侵入される前に捕まえる気だな?」
 彼のことだから、どうせ屋上にでもいるのだろう。望遠鏡を持ってきていた。高い場所から観察し、事前に発見するつもりだったのだ、初めから。
「くっ、外で捕まえられたら、今したこと馬鹿みたいじゃん」
「大丈夫だ。セイダはそんな間抜けではない」
「そーおぉ? ハウルにかかれば、真面目な奴も滑稽に様変わりするからなぁ」
 しかしカロンは確信した様子で頷く。
 確かに、警察や傭兵団や軍を小ばかにするように、華麗に宝石を盗むのがセイダだ。素人のハウルが簡単に捕まえられるなら、国のしてきたことがまるで意味のないものになる。しかし彼はハウルという神を理解していない。
「まあ、そのときはそのときか」
 ハウルが失敗してくれれば、捕まえたときに嫌味言い放題だ。下克上だ。嫌味を言って、無知なことにつけ込まれて三倍返しにされるという関係も終わる。
 ──くっ。口達者と言われた僕をへこませて来た君の天下も終わりだよ。
「くくくっ」
「ラァス君。可愛い顔を邪悪に歪めてもやはり可愛いが、やめた方がいい」
「ぼくはこういう人間なの」
 そう、人間。
 純血の人間の意地を見せてやる。


「寒くないか? 風強いし」
 その頃ハウルは高い場所にいた。
 夜ともなると、半袖でじっとしていると肌寒い時期になってきた。ハウルは平気だか、アミュは女の子だから冷えやすい田老。
「平気。寒暖って、あまり気にならないから。これが奴の血の表れなのかな?」
 ハウルが父親を奴というのを真似てか、アミュも父親のことを奴と呼んだ。
「へぇ、それ便利でいいな。俺、暑いの苦手なんだわ。高い場所で育ったから。いつも術で身体冷やさなきゃならねぇんだ。夜中とかうっかり解けると、汗だくになって目覚ますんだよな」
「そうなんだ。わたしはよくお腹すいて目が覚めたな」
「ああ、分かる。俺もよくあったなぁ。収穫がろくにないときとか」
 二人の腹がぐうと鳴る。
 アミュは顔を真っ赤に染めた。
「夕飯にするか」
「うん」
 ここに登る前に買った、スープとミートパイを取り出した。
「暖める?」
「ああ」
 アミュは一瞬でミートパイを適温に暖める。火の属性が強い彼女は、すぐに熱の操り方を覚えた。神、精霊の感覚というものを教えれば、すぐだった。
 そして練習の結果、こんな風に便利な力を手に入れた。
 スープも同じ要領で温める。
 こうして暖かい夕食を始める。
「美味しいね」
「外で食べると、そこそこの味でもよく思えるよな」
 味付けが濃いし、肉もあまりよくないものだ。スープだって胡椒が少し多くて、飲みきった頃には少し辛いと思うだろう。
 それでも、なぜか美味く感じる。日常ではない場所と、誰かと供に食べる。ものを美味しく食べる、二大要素だ。
「そうだ。今度ピクニックにでも行くか。眠りの丘なんか、景色がよくて綺麗だぜ」
「眠り? よく眠れる丘なの?」
「いや、昔そこで虐殺があったらしいから。民族同士の争い? 死者がいっぱい眠ってる丘って意味だ」
 アミュはしばらく俯いた。
「……深淵の森は?」
「べつに虐殺とかはないぜ。ただ、魔物がのこのこやって来る人間食い殺す程度で」
「……それでよく文句いわれないね」
「いや。言われてる。けど、あそこ私有地だし。道からわざわざ外れて私有地入る奴が悪い。ところどころに私有地、森の中魔物注意。って看板立ってるし。それに、そういうやつの多くが密猟者なんだ」
「密漁?」
「一部の魔物は薬になる。皮を売れば高い奴もいる。愛玩用に人気のある奴もいる。そういうのを狩ろうって奴」
 アミュはふぅんと言ってミートパイをちまりとかじる。
「絶叫の谷ってところは?」
「風の吹き方によって、叫び声に聞こえるから」
「あ、普通なんだ」
「いや、あそこで飛び降り自殺した有名な奴いるらしい」
 アミュは再び考え、かぷりとかじりつく。
「嘆きの浜は?」
「人魚が住んでるんだ」
「人魚!? すごいっ」
「んで、そいつらが来る船沈めてたんだ。浜からその光景がよく見えるもんで、その浜は嘆きの浜って呼ばれるようになった」
 喜んだのもつかの間、見た目に綺麗な人魚達が、温厚なはずの水妖が、船を沈める事実にショックを受けて呆然とする。
「あいつら歌好きだろ? だけどその歌ってのは魅了の力があるんだ。んで、ただでさえ難所と言われてる岩場の多い場所なのに、人魚の歌に聞き入ってポーっとしてるから、自滅するんだ。だから、最近では船が寄り付かん」
「そーなんだ。上手な歌も、場合によってはよくないのね」
 アミュはちまちま食べた結果、ミートパイを一つ完食した。
「おかわりあるぜ」
「うん。もらう」
 最近、彼女はよく食べるようになった。少し前はヴェノムの半分も食べられなかったのに、今では人並みに食べるようになった。
 ヴェノムの熱心な手入れにより、肌も髪も艶やかになってきた。
 近々ラァスもうかうかしていられなくなるだろう。
「アミュ」
「ん?」
 ハウルはアミュの手を握る。
「結婚とかするときは、俺が認められるまともな男を選べよ」
「……………ハウルおにいさん、おねえさんと同じこと言ってる」
「ヴェノムと? まあ、俺ババア似だし」
 アミュはくすりと笑う。
 ──ラァスも普通じゃねーんだよな。
 大切にしてくれるだろうが。
 それを思うと、友人の恋路は邪魔すべきかと悩みすらする。
 最後に選ぶのはアミュだが。
「でもわたし、お嫁に行くよりもおねえさんといっしょの方がいいな」
 ──そうくるか?
 選ばれたのはヴェノムだと知ったら、ラァスはどんな顔をするだろうか?

back        menu       next