5話 女神の血涙

 

3

 懐中時計を取り出し時間を見る。時間は迫っていた。
 理力の塔の支部でしっかりと時間を合わせてきた。理力の塔の時計は、魔道技術により半永久的に狂うことのないという時計だ。間違いはない。
 セイダは常に予告状の時間を厳守する。
 ラァスは柄にもなく緊張していた。
「師匠。ほんとーに僕の首に掛けといて問題ないの?」
 実は今、女神の血涙はラァスの首にかかっている。
「展示しておくよりも、この方が安全です。ラァスの身体能力はずば抜けていますからね」
「師匠が身につけてればいいじゃん」
「そんなもの身につけていると首が凝ります」
 彼女はやはり老人だった。
 時々、見た目の若さに反して腰がとか、肩がとか、足がとか言う。
 ──これさえなければ、疑われたりしないのに……。
「似合っているよ」
 言うのは、カロン。
 本気で言っているようなので、たちが悪い。
「僕としては嬉しいけど」
「それにラァスなら、多少のことでも平気ですからね」
「子供にそのようなことをさせるのは、私は反対だ」
 言うのは派遣警察官のラング・アーバン。渋いコートの男性だ。
「奴は人を殺しはしないが、傷つけるのを躊躇わない」
「大丈夫。殺しは僕の十八番だから」
「は?」
 予定としてはこの場ではなく、逃げたところを人気のないところで捕まえて拷問。
 恐怖心をしっかりと浸透させてあげるのだ。
 ──くくっ。最高の絶望を教えてあげる。
「あの……魔女殿。この少女は一体……」
「気にしないでください。ただの怪盗ファンです」
「ファン?」
「うん」
 もしも会ったら自ら殺してやりたい犯罪者として。
 黄金の瞳を怪しく輝かせ、ラァスはもう一度時計を見る。
 そろそろ──。
「そろそろ時間だな」
 カロンが呟いた。
「ラァス君」
 カロンがラァスの肩に手を置いた。
 見上げると(見上げなければならないのがちょっぴりジェラシー)カロンは微笑んでいた。
「楽しそうだね、カロン」
「ああ」
 彼は頷いた。
「不謹慎な」
 彼の上司であるアーバンは、顔を顰めた。
「油断するな。これは仕事だ」
 カロンはくつくつと笑う。
「真面目だな、貴方は。本当に」
 真面目な上司と、不真面目な部下。よくある構図だ。
「ラングはいつもそんなに簡単に騙されてくれて。ほんとうになぜ首にならないのか、疑問なのだがね」
 彼は何かを取り出した。
「私は最高の宝石を見つけたから、当分活動は控えようと思う」
 そう言って、彼は何かを床に投げつけた。
 ぱんっと、火薬のはじける音が響く。
 そして白煙。
「なっ!?」
 ラァスは首に掛けた女神の血涙に触れる。
 大丈夫。ここにある。
「師匠っ」
「ラァス君。少し、じっとしていなさい」
 耳元で、カロンの声がした。
 次の瞬間、ラァスは後ろから腰に腕を回され、身体が宙に浮く。
「ラァスっ」
 ヴェノムの声が聞こえ、白煙は一瞬にして散った。
「おやおや。さすが」
 ラァスは自分のおかれた状況を理解して、絶句した。
 カロンに抱えられ、大きな窓枠に立っていた。
 カロンは警察の制服から、黒い格好つけた舞台衣装のような姿になっていた。なぜかモノクルまでもつけている。
 ──魔道師だったっけ。
 まさか、警察の中に堂々と紛れ込んでいるとは思わなかった。堂々としすぎていて誰も気付かなかったのだろう。
「その子を離しなさい」
「嫌だな。私はこの少年が気に入ったから。ラァス君ごと頂いていくよ」
「えええええええぇ!?」
 カロンはラァスに笑いかけてから、後ろへと跳ぶ。
 窓の外。
 ここは四階。
「ひっ」
 落下する。そう構えた瞬間、むしろ彼らは浮いていた。
「ひぃぃぃ」
 浮いている。これならまだ落ちた方がマシ。
「やだやだおろして!」
 ラァスは全力でカロンの腕を振り解こうとするがびくともしない。岩を割れる彼の馬鹿力で、歯が立たないのだ。
 自分など比べ物にならない、優れた魔道師だということをそれだけで思い知らされる。魔道師など一瞬で気を失わせれば問題ないとたかをくくっていた。その前に何かされた。
「高所恐怖症か? 少し待っていろ。うかうかしていると彼女が追いかけてくるから」
 彼女とはヴェノム。
 師の救いを求め、振り向いて絶句した。
「……なにそれ?」
 夜とはいえやけに暗いと思ったら、上に何かあった。
 目を凝らすと、それはハンググライダーだと理解した。
「ちょっとまって!?」
 疑問を確かめるべく周囲を見回す。
 周囲の景色の移り変わりが、異様に速い。しかも、高い建物の間を縫うように飛んでいるというのに、遠心力もほとんど感じない。
「なんで風の抵抗がないの!?」
 頬に当たるのは、少し強い程度の風。
 その速度なら竜の背中に乗ったときと同じほどの風を感じなければおかしい。
「風の抵抗は術で抑えている。だから速度もかなり出るんだよ。物理的法則なんて、私にとっては薄っぺらな紙のようなものだ」
 彼は自慢げに言う。
「ハンググライダーって、風の流れでできる気圧の変化のおかげで飛ぶんじゃ……」
「べつに、風で飛んでいるわけではないから。彼女が杖に乗っているのと同じ原理だよ」
「………なんでハンググライダーなの?」
「怪盗らしいだろ?」
 この服装やモノクル、そして予告状を出したことを思えば、見栄えを気にして意味のないことをしても、今更といった感じだ。
「………じゃあ、これはどこから生えたの?」
「背中にリュックを背負っていただろう? 本当はあれの中には装備を入れるのだが、着替えとこれを入れていたんだ」
「……で、本物のカロンって人は?」
「さあ。
 しかし、私もカロンだよ。偶然私の本名と同じ名の警官がいてね、しかも私と体格が似ていると知って、入れ替わらせてもらった。写真などどうにでも誤魔化せるからね」
 それは本当だ。
 写真しか知らない相手は知らないに等しいというのが、ギルドの通説だ。なにせ、それらしい髪型をして、それらしくメイクなどで顔を作れば、疑われもしない。
「カロンって、この国に多いもんね」
 だから偶然条件が重なってもおかしくはない。
「そろそろいいな」
 ラァスはどきりとした。
 振り返れば、師はいない。むちゃくちゃな魔法を使い速度を上げた結果、ヴェノムはまかれてしまったらしい。
 彼はしばらく飛び、近くにあった時計台の最上部に着地する。大きな鐘のある開けた場所だ。鐘は鳴ったばかりなので、当分は鳴ることはない。
 ラァスは今まで考えることによって忘れていた恐怖を思い出し、しゃがみこんだ。
 足場がしっかりしたのは嬉しかったが、さらなる危機を抱えていることに気づく。
 ──どどど、どーしよ……。
 カロンは闇の中、微笑んで彼はラァスと視線を合わせ──
「うのっ」
 奇声を上げて、迫り来た唇を交わす。唇は守ったが、代わりに頬に彼の唇が当たった。
「照れているのか。可愛いな」
「冗談でもやめてよ」
「大丈夫。幸せにするよ」
「僕は男だよ」
「ああ。私は女性に興味はない」
 こんな状況になったときには悟っていたが、面と向かって言われると恐いと以外考えられない。
「君は本当に美しい」
 彼は熱に浮かされたようにラァスを見つめる。
 そういう趣味の男が山ほどいるのは知っていた。ラァスの天敵の悪霊も、その手の趣味がある。それに関しては容認している。しかしそれは、ラァスに手出しを出来ない弱い存在に関してのことである。
 力及ばない相手はごめんである。
「僕、好きな子いるし」
「忘れさせてやる」
 魔道師が言うからには、本当に記憶を操られる可能性が出てくる。
 ──せ、洗脳? 冗談じゃない。
「大丈夫。恐くはないよ」
「恐いって」
「はじめは少し痛いかもしれないけど」
「僕まだ子供だからわかんないし」
「ははは。わかっているくせに。可愛いな」
 彼はラァスの顎に手を添える。
「いやいやいや! 今まで貞操だけは必死で守ってきたのにぃ」
「初めて? 嬉しいよ」
 ──こいつ、サド入ってるよっ
 まずい。絶対絶命のピンチ。
 殺してやろうとも思ったが、身体が上手く動かない。
 何か術を掛けられている。
「それは君にあげよう。他の宝石も。
 君の前では、どんな宝石も色あせて見えるだろうがね」
 再び顔が近寄る。
 ──ひぃぃぃぃい。
「何やってんだ?」
 のんきな、本当に呑気な調子で問うてきたのは、知った声。
「ハウル!? 助けに来てくれたの!?」
「いや、下の階にいたから。何か百貨店から出てきて、戻ってこっちに来たと思ったら、なんか聞き覚えのある声がしたから。でも、何で男といちゃついてるんだ?」
 ──本当に高い場所にいたよ。
 アミュの気配はない。置いてきたのだろう。危険かもしれないから。
「おや。こちらも美しい少年」
「あ、あっちの方が綺麗だと思うよ。僕なんて、ただ女の子みたいなだけだし」
「大丈夫。私の心は君だけに囚われたんだよ。心変わりなどしない。まさに私の理想だ」
 ──してくれ、頼むから、心変わり。
 はっきり言うと気持ち悪い。自分に関係ないなら君ならきっといい人と巡り会えるよと握手だって出来るが、好意を向けられるのは別だ。
「しかし邪魔が入ってしまったな。場所を移すか」
 ラァスはカロンに小脇に抱えられる。
「ハウル、こいつがセイダ!」
「うん。たぶんそーだろーな」
 この格好を見れば、コスプレ野郎か目当ての怪盗だと理解してくれるだろう。
「なんで、抱えられてんだ?」
「知らない!」
「ラァス君の友人か?
 彼は私が頂くよ。妻として」
「それ、男だぜ」
「分かっているよ」
 ハウルの顔に緊張が走る。
「ラァス。カマ掘られそうになってたのか? 本気で抵抗してないから、てっきり宝石に目が眩んでるもんだと思ってた」
 変なところに驚かないでほしい。
「なんか力でないの。弱体化の魔法掛けられてるんだと思う」
「なるほど。
 しかしよぉ、にぃさん。嫁に欲しいなら、身内に話を通すのが筋ってもんだろ?」
 ヤクザのようにふざけた調子で言う。
 こんなときにも楽しそうにするのが、ハウルという男。
「身内? ラァス君身内いるの?」
 思いもよらなかったという様子で彼は問うてくる。
 どんな風に見られていたのだろうか。
「…………」
 ラァスは悔しかった。
 行方、生死、共に不明。彼のいう通りなのが。
「義理の兄が」
 弟と言ってくれたのだ。ここで言っても怒りはしないだろう。
「ならば、その兄とやらにどうしても会いたいと言うなら、殺してしまうよ。その兄を」
「暗殺ギルドの頭やってる人だから絶対に無理」
「ああ、なるほど。それで君は……。
 しかし、所詮は普通の人間。私にとっては一般人と大差ない」
 確かにギルドにいる魔道師では、この男には敵わないだろう。呪われでもしたら、それこそいつぞやの香水屋の二の舞になる。
「それに僕、修行中だしぃ」
「彼女が教える程度のことなら、私にだって出来るよ。彼女とは、少し知識の領域が違うがな」
 その言葉に、ハウルが目を細めた。今度こそ、真面目に顔つきになる。
「お前、賢者か」
 賢者。その称号を与えられる者は、賢者の石に触れ、その知識を習得できた者のみ。ヴェノムもその一人だ。
 だが、賢者などそこらにいるはずがない。
 賢者の石に選ばれるのは魔力が高く、知識の獣と呼ばれる神と相性の合う者だけ。選ばれなければ、下手をすると膨大な知識を受け入れられずに死に至る。だからこそ厳重に保管されている。このアルザの中心、王宮で。
 ラァスが知るのはその程度。
 だが、その知識は悪用すれば国一つ滅ぼせるもの。
 賢者は公でなければならない。世が乱れぬように。
「なんで賢者がラァス誘拐しようとしてんだよ?」 
 そう、そこが問題。賢者などそこらに転がっていないし、公の存在だからこのような事をできるほどの自由があるとは思えない。
「愛」
「そんなインスタントな愛はいらないよっ」
 ラァスもほとんど一目ぼれをしてしまったが、その後の生活もあってさらに好きになったのであり、一目見て自分のものにしたいなどとは思いもしなかった。
「それに、お前みたいな変態賢者がいるなんて、聞いたことねぇぞ。しかもえらい若いじゃねぇか」
 カロンは微笑む。
「若いからなね。まだ二十代前半だ」
「何の領域だ?」
「答えると思うかい?」
「僕も知りたいな」
 ラァスは試しに言ってみる。
「黄の賢者だよ」
 あっさりと口を割る。ハウルは呆れた様子で彼を見ていた。実はラァスも呆れていた。
「黄の賢者? 今はいないはずだぞ? お前、どうやって賢者になったんだ?
 まさかあのおっさん達以外に、わざわざ城に忍び込んで賢者になった馬鹿がいるとは思えねぇけど」
 頭の痛くなるような賢者がいるものだ。しかも彼は複数形で表現した。
 少しだけ気になったが、今は関係のないことだ。
「ああ、闇と赤の。尊敬するね。知識に対する貪欲さ。生への執着」
 カロンはくつくつと笑う。
「しかし、私は忍び込んでなどいない。しかし正式な賢者でもないがな」
 その時だ。
「ハウルおにいさぁん。おねえさん連れてきたよぉ」
 のんびりとしたアミュの声。
「ハウル。よく足止めしました」
 そのいつもどおりの抑揚のない声が、天使の歌声にすら聞こえた。
 前も似たようなことを思った記憶があるが。
「師匠ぉ」
 ゆったりとした足取りで、二人は階段を登ってきた。
 ──でも、ちょっとは慌てて欲しいかも……。
「へるぷぅ」
 アミュがきょとんとして首をかしげた。
 格好悪い。しかし面子にこだわる時ではない。
「これはこれは。お初にお目にかかります、先輩殿」
「こちらこそ。カロン殿下……ですね?」
「で………」
 殿下。
 思い出した。
 カロンという名が、その当時流行ったわけ。
 英雄の名であり、それにあやかり第二王子がそう名付けられた。国民がさらにそれにあやかった。そんな図式だったはずだ。かなり前に聞いた話だが。
「おーじさま?」
「いいや、王位継承権はないし出奔しているからね」
 これほど実家の近くにいて、出奔と言うかどうかはさて置き、
「ええっ!? 結婚させられそうになって、恋人の女官と駆け落ちしたんじゃ!?」
「世間体がいいような噂を流したんだろう。私は美しい男性にしか興味はない。結婚させられそうになって家を出たのは本当だが、駆け落ちはしていない。城を出るときに精霊を連れていたからそれが原因ではないかと思っている」
 駆け落ちも世間体が悪いと思われるが、同性愛者よりは美談……なのだろう。
「殿下。ラァスを返していただきたい」
「無理な相談だな。私は怪盗だから」
「そう仰ると思いました」
 彼女の目は据わっていた。
「ですから、私達賢者の天敵をお呼びしました」
 その言葉に、初めてカロンが動揺した。
「まさか、あいつを!?」
「おいでください、お兄様」
 他の何よりも、その言葉にラァスは驚いた。
 ──兄!?
 血は繋がっているはずはない。彼女が捨て子だったからこそ、賢者の石に触れる儀式を執り行われた。
 それは簡単に推理できる。
 問題は、
「お前よりも年長者の人間がいるのか!?」
 その通りだった。
 不老の術はとても高度で、同時に時の女神との相性もある。賢者のほとんどがその豊富な知識にも関わらず、老衰して死に至るのはそのためだ。しかもそれを維持するのはきわめて困難だという。
「たった三年だけれども」
 言ったそれは、ヴェノムの背後より姿を現した。
 神官風の男だった。ヴェノムとは逆に、張り付いたような笑顔の男だった。
「殿下。人様に迷惑を掛けるのはおやめなさいと何度も申し上げております」
 温厚そのものの笑顔で言う。
「さもないと……」
 彼は何か水晶玉のようなものを取り出した。
「う……」
 何か弱みでも握られているのか、カロンは逃げの体勢に入る。ヴェノムが来たときですら余裕を見せていたというのに。
「その少年は、置いていきなさい」
「くっ………」
 カロンは大人しくラァスをそっと優しく解放する。
「仕方ない……。
 だけれどラァス君、必ず迎えに行くよ。あのクソジジイがいないときに」
「ですから、おやめ下さい」
「人の恋路を邪魔するな」
「誘拐はおやめください」
「正々堂々と口説きに行けばいいと?」
「それを私が止める権利はありません」
 始終笑顔で、そう言った。
 こいつも味方ではないとラァスは確信する。
「じゃあラァス君。あのクソジジイがいないとき、土産を持って遊びに行くよ。それまで待っていてくれ」
 そう言ってカロンは力の出ないラァスの唇に、自らの唇を重ねた。
 あまりに素早く避けることも出来ず、彼はラァスの唇を奪い満足した様子で風が過ぎ去るように逃走した。
 そうして、同性愛者の賢者王子怪盗は立ち去った。
 ラァスはただ呆然とその消え行く姿を見送った。
 ものすごい肩書きのを寄せ集めたような男だったと、あまりにもの非常識さに頭を抱えてため息をついた。


 女神の血涙は無事だった。翌日婦人に感謝されて、別れを惜しまれて岐路についたこともあまりよく覚えていない。
 ラァスの心はズタボロだった。
 初めてというわけではない。口移しで毒を飲ませることもあった。問題は皆の目の前であったということ。
「そう落ち込むなよ、ラァス」
 言うのは、ハウル。
 馬車の中で。ぎすぎすした雰囲気の中、唯一ハウルだけが明るかった。
「………落ち込むなと?」
「そうそう。落ち込んだって……落ち込んだって…………ぷはははははははっ」
 彼は爆笑を始めた。
 これが、ラァスの心がズタボロになった一番の理由。
「ねぇ、ハウル」
「ん………?」
 笑いすぎたために出た涙を拭いて、彼は首をかしげた。
「なんであんなところにいたの?」
「あそこからだと、あの建物よく見えただろ。探査系は得意なほうだしな。侵入者がいればすぐに分かる上、すぐに駆けつけられる。距離は短いからな」
 もちろんハウルにとっては、だろう。
「まさかすでに侵入してるとはな。そこまで警察が杜撰だとは思ってなかった」
「僕も」
 思い出すだけで忌々しい。
「しっかし、なかなか絵になってたぜ。変態怪盗と、美少女の図、みたいでさ。盗まれなくてよかったな。あ、でも王子様だし悩むところだなぁ、おい」
 ラァスの頭の中で何かがぷつりと切れる。
「ハウル」
「んん?」
 余裕で笑みを浮かべる彼に、ラァスはキスをした。
 唇に。
 思い切り。
「のわっ」
 ハウルは狭い馬車の中で飛び退る。
「な、な、な」
「くくくくく。僕の屈辱が分かった?」
「あ……アホか!?」
 ハウルは半泣きになって唇を手の甲で拭う。
「はじめてだったの?」
「うっ」
「はじめてだったんだぁ。得したなぁ」
 ラァスは残酷な気分で鼻を鳴らす。
「あら、うらやましい」
 ヴェノムは呟いた。おそらく、からかっているのだろう。
 人を笑う者は痛い目を見るのが世の正義というもの。それを実践したまで。
「てめっ……」
 この後、馬車の中でちょっとした大喧嘩になったのだけは、記しておこう。
 理力の塔の支部の前で待ち伏せしていた以前と同じメイクのカロンを発見するまでの、ほんの短い間だけ。


 今日もまた最悪の日だった。
 なんでカマ野郎に付け狙われなければならないのだろう?
 しかも一瞬誰か分からないまでの特殊メイクをして、花束など渡してきた。
 その後、アーバンさんが現れて、追い払ってくれたからよかったけど。
 変装上手の怪盗を追う警察官は大変だなぁと思った。しかも、王子だと知らずに追ってるんだろぉなぁ。救われないのって、悲しいよね。

 ラァスの日記より選抜

back        menu        next