8話    理力の塔

 

3

「そう……ですか」
 彼は小さく呟いた。
「分かりました」
 微笑の下に狂気を隠し、彼は言う。
「その件に関してはお任せください」
「もとよりそのつもりです」
「そうですね。理力の長の名にかけて………ですかね」
 営業用ではなく、昔のいたずらっ子の笑みを浮かべながら。
「どうでもいいです」
 彼が何を考えていようが、結果が出ればいい。昔から、結果だけは出す男だ。どんな手段を用いようとも。その点で言えば、この男の片割れだった男の方がさらに上を行くが、禁忌にすら関わる事を平然としてくれた。
「私は、本来関わりのないことです」
「分かっています」
「しかし、私にも関係があることだから、毎年手を貸しています」
「感謝しています」
 おそらくは感謝のかの字もしていないであろうこの弟子は、目にかかる前髪を掻き上げた。時間がないのか、後ろは肩までも髪が伸びている。前髪は、おそらく自分で適当に切っているのだろう。昔から、容姿にはあまり気を使っていなかった。顔のつくりは悪くないのに、と言われるほど。それよりも研究に時間を費やし、夕食も運ばなければ食べないこともあった。
 今とて、それは変わらないはずだが、祭りの準備のおかげで何も出来ないようだ。ストレスがたまっているように見える。
「少しは休みなさい」
「おや、珍しく優しいお言葉ですね」
「祭りの当日に倒れられては、元も子もありません」
「昔はあんなに優しくしてくださったのに」
「あんな馬鹿なことをした弟子、破門にされなかっただけありがたく思いなさい」
「ボディスは破門になりましたよ」
「その馬鹿な行為を超える馬鹿をしでかしたからでしょう」
「彼も今は落ち着いています。会いに行ってさしあげれば?」
「知りません」
 カオスはくすりと笑う。
 そうしてから、一枚の紙を渡す。
「数年前の写真です」
 知った顔の男と、見知らぬ女性。その女性が抱く赤子。
「…………この子供は……」
「奥さんを貰ったようですよ」
 聞いていない。他人のことなど気にもかけない男が、妻子を持っていたなど、想像もしていなかった。
「しかし少なくとも、彼はまだあなたを慕っている。そろそろ許して差し上げては?」
 ヴェノムは小さくため息をついた。
「彼のした事は許されることではありません。己のエゴのために、どれだけの犠牲を出したことか……。彼らは忘れません」
「ええ」
 カオスはヴェノムの耳に口を寄せた。
「しかしボディスは……」
 彼は言う。
 ヴェノムは耳を疑い、絶句した。

 大人と子供。
 その光景はまさにそれだった。
「………スケールが違うね」
 隣でラァスが呟く。
「おっきい」
 アミュが、目を輝かせて言う。
 彼女は大きなヌイグルミが好きだ。そういう理由で、ルートのことを気に入っている。
 しかし、規模が違う。全長十メートルはある生物だ。ルートと違い、「ちょっと大きめ」ですむサイズではない。
「成体の竜だからな」
 本来の姿に戻ったミンスを見上げ、それぞれは言う。
「ところで、さっきからルートは何うなってるの?」
「そんなこと言うなよ。可哀想だろ!
 あれは特訓だ!」
「何の?」
「巨大化の」
 しばし沈黙が落ち──
「巨大化するの!?」
「カッコイイ」
 アミュが目を輝かせる。彼女の感性は、いまいちよく分からない。
「もがく姿が可愛いわね」
 メディアもミンスの隣に並んでいる、遠くから見ると、まるで小動物のように見えるルートを見て呟く。
 実際には二メートル以上の巨体だが。
「巨大化してどーするの?」
「質量変化は、人化の法に必要な技術だからだってよ。よーわからん」
「ルートは人間の姿になりたいの?」
「ほら、竜って見栄えはいいけど、手先不器用だろ。一度器用な指持つと、元の姿だと不便に思うらしい。どんなに人間嫌いの堅苦しい奴でも、一度は人化の法にたよるらしいぜ」
「へぇ……なるほど」
 ラァスは納得したらしく、再びミンスを見上げる。
 四人はなんとなく並んで芝生に腰下ろしていた。もちろん、メディアはハウルから一番離れている。
「なんでメディアまで来たんだ?」
「動物は好きなの」
「………どーぶつ」
 仮にも、自分の育て親に等しいミンスに対して、動物扱いはなかろうに。
 多少の同情を込めてミンスを見る。彼は、自分に懐いてくるルートが可愛くて仕方がないらしく、温かい目で彼を見守っている。
 基本的に、古竜の類は人間を嫌う傾向がある。それにも関わらず人間の魔道師に懐いてしまった二人は、一族の元へと帰ることはない。
 ルートはそれでいいと言ってくれる。
 偶然見つけた大きな卵。
 それは珍しい、始祖の竜の卵だった。そうと知らずに、農具と称して内緒で持ち帰り、孵してしまった。
 始祖とは、親から生まれない発生する生物を指し示す。その存在の理屈はわからない。ただ、眠る女神の見る夢が、彼らを生み出しているのでは、などと馬鹿げたことが通説となっている。それは、神々の間にも言えることだ。わかっていることは、今ではそれがあるのは、竜や天馬などの本当に高位の生物のみ。そして、それらは始祖として、大切に育てられ、やがて一族の長や、それに近い地位につくということだ。
 白竜の一族は、立て続けに始祖が人間に懐いてしまい、一方的に縁を切るという状況下にある。万が一帰れば、おそらく幽閉ぐらいはされるだろう。二度と戻ってこないだろう。そう思うと悲しいが、彼は一族を知らない。帰りたければ帰ればいい。そういったこともあった。それを言うと、彼は泣いて嫌だと言ってくれた。側にいたいと。
 今でもそう言ってくれる。
 行く気はない、と。
 それでも寂しかったのだろう。ミンスと出会い、ルートは彼に懐いた。まるで本物の兄弟のようだ。いや、兄弟と言ってもいいのだろう。彼らは始祖。親のいない竜。親と呼ぶならば、女神がそうなのだろう。同じ存在。
 だから、彼を毎年つれてくる。
 とても、大切な存在だから。
「ルート。そろそろメシにしないか?」
「でも」
「いいから、来い。ちっさくなってな」
 ハウルの言葉にルートは頷き、まずはミンスが人化し、続いてルートがミンスの手を借りて人化した。
 そうすると、ますます兄弟のようだった。
「ルート君、可愛い」
「ルートって、こんなちっさい子だったの?」
「いや、むしろ竜と思えば赤ん坊同然だ」
 二人は目を丸くした。
「……しっかりした赤ん坊だね」
「本当に」
「始祖の竜だもの、当然でしょ。ルート、食べなさい」
 言ってメディアはランチボックスを開ける。
「食堂で詰めてもらったのよ」
 ルートはにこりと笑う。
「可愛い」
 アミュがルートと視線を合わせ、その耳や角をぺたぺた触る。
「…………アミュ、角はともかく耳はやめてくれないかな」
「あ、ごめんなさい」
「ほんと、物怖じしないというか、大胆と言うか。
 ミンスにーちゃんなら、喜んでさわらせてくれるよ」
 アミュは首を横に振る。
「メディア、振られちゃったん」
「ルートと比べるからよ」
「女の子はちっこい方が好きなのね?」
「気色悪いからやめなさい」
「はーい」
 この二人を見ていると、どちらが年上なのか分からなくなる。
 少なくとも、ミンスも数世紀生きているはずなのだが……。
 しかし、気にしていても仕方がない。
「メシにしようぜ、メシ」
「そうね」
 誰かが邪魔をしに来る前に。

 その夜。
 ラァスはベッドの上で一息ついていた。
 与えられた客室は立派なものだが、ハウルと二人部屋だった。
「どうだった?」
「うにゅ。わかんなーい。言ってることがちんぷんかんぷーん、な時がある」
 専門用語が多すぎる。
 素直なアミュが「って何だろう?」とメディアに聞いてくれるので、その解説により授業内容を理解していた。
「メディアちゃん、性格はあれだけど、教え上手だね」
「まな。あれでもの静かなら、完璧なのに」
「って、それって師匠に被るじゃん」
「…………言われてみれば」
 美人系。クール。黒髪。
 と、この三つの要素で十分キャラが被りかけている。
「ハウル、メディアちゃんみたいな子どーお?」
「何が?」
「好きか嫌いか」
「……お前、そういうネタ好きだな」
「ハウルを動揺させるのって、このネタが一番だもん」
「メディアはちげーよ」
 彼は窓枠に腰を下ろし、ワイルドな姿勢をとる。
「そだね。ハウル嫌われてるもんね」
 愛情表現の裏返しとか、そんな可愛いレベルの嫌われ方ではない。あの憎悪は本物だ。
「やっぱ年上?」
「るせぇ」
「年上がいいんだ。師匠が理想?」
「ラァス。想像してみろ。あれと万が一、結婚したときを」
 家事は完璧。美味しい料理。しかも美人でスタイル抜群。
 しかし……。
「ん、自分よりもはるかに経験がある奥さんは嫌かも。しかも、反応してくれそうにないし。きっと自信なくすね」
「………………………何考えてんだ、お前は」
「違うの?」
「お前の頭の中身はどうなってんだ」
「だって、お年頃だもん」
「普通、自分より強い女は嫌だとか、思わないか?」
「ああ、そっちか。一生尻に敷かれるって」
 姉さん女房を貰えば、そうなるのは当然だろう。
「ったく、可愛い顔して……」
「ふふん。そのギャップがいいんでしょ。たらしっぽい顔してるくせに、女の子に囲まれるのが苦手な君もなかなかだよ」
「そりゃオヤジのイメージだろ!」
「なるほど」
 知らない人が見れば、誠実そうに見えるかもしれない。
「そんなんだと、アミュに嫌われてもしらねぇぞ」
「大丈夫。それはないから」
 自信満々に言う。
「ったく、おま……ん?」
 ハウルは突然窓枠から飛び退り、身を隠した。しばらくして、こっそりと覗く。
「どしたの?」
「ヴェノムとおっさん」
 おっさんとは、いかにも偽名っぽい人──カオスのことだろう。
「二人してどこに行くんだ?」
「あれって、塔のほうじゃない?」
 ラァスも彼に見習い目までを表に出して覗く。
「くっ……行くぞ」
「え?」
 ハウルは窓から飛び降りる。
 ちなみにここは二階。
 ラァスもため息をつき、ハウルに続く。ただし、ハウルのような人間離れしたことをするとダメージを負うので、窓枠に手をかけ、ぶら下がった状態から壁を蹴って落ちる。ものの二メートルの差が、かなりの違いになる。全身のばねを利用して、着地の衝撃を緩和する。転がって受身を取れれば楽なのだが、落ち葉や小枝ががあるとも限らない。派手な音になるだろうから、気づかれる恐れが出てくる。
「遅い!」
「僕は神でも悪魔でもないんだから! そんな風に真正面から飛び降りたら怪我するの!」
「元プロのくせに」
「別に飛び降りるプロじゃないもん!」
 ほとんど声を出さずに口げんかをする二人。その間に、足音を殺してヴェノムたちに接近する。近付きすぎると気づかれる。気を抜くと気づかれる。
 慎重に。
 と、ラァスはあるものを発見した。
「ハウル」
「何だ? 大切なときに」
「あそこにアミュとメディアちゃん発見」
 偶然メディアが二人部屋を一人で使っていたので──誰も彼女と同室になりたがらなかったと思われる──アミュは彼女と同室になったのだ。二人は現在のラァスたちと同じように、闇に潜みヴェノムたちを追っていた。
 ハウルは呪文を唱え、それから小さくささやく。
「お前ら、何してる?」
 びくりとして、二人は周囲を見回す。
「右手」
 二人は同時にこちらを見る。ラァスは小さく手を振った。
 皆は前行く二人を追いながら、徐々に近付き合流する。
「何をしているのよ!?」
「見れば分かるだろ」
 彼女は小さく頷いた。目的は一緒だ。
「どうしてカオスがヴェノム様と……ああ、腹立たしい」
「あのおっさん、人のババアをどこに連れてく気だ!?」
 二人は似たような顔つきをして、塔へとたどり着いた二人を睨んだ。
「…………基本的なところで、この二人って似てない?」
「わたしもそう思う」
 アミュとラァスはため息をついた。
 彼女も巻き込まれたのだろう。
「でも、よく気づかれなかったねぇ」
「当然よ。振り返られたときは、こいつを放してたもの」
 と、小さなふくろうを二羽も取り出した。
「……どこでそんなものを」
「二人を見つける少し前に、アミュが手なずけたのよ。素晴らしい技能だわ」
「…………」
 非生物限定だと思っていたが、どうやらアミュは動物にも好かれるらしい。深遠の森の城は、魔物の他に普通の動物も入ってこられなくなっている。なぜかと言うと、植物、作物を荒らされるからだそうだ。
「アミュは純粋だからな、どこぞのいたずら小僧と違って」
「はははは」
 こんな場所でなければ、ちょっとした肉弾戦に持ち込まれていただろう。
「塔に入ったわ」
「ちっ」
 二人は現実に戻る。
 ──面白いかも。
「立ち入り禁止の場所で、二人きり」
 二人は同時に足音を殺して歩き出す。
「…………なんて操りやすいんだ……」
「二人とも、おねえさんとカオスさんが好きなのね」
 仕方なく、ラァスはアミュの手を握り、歩き出す。
 二人には忘れられてしまっているようだが、その方がこちらとしてもアミュを独占できて嬉しいと言うものだ。
「あの二人が付き合ったら、面白いカップルになりそうだね」
 ありえない話ではあるが……。

 塔に入ると、そこにはカオス達の姿は見えなかった。
 見上げると、中央に一本の太い柱があり、その周辺が吹き抜けになっている。暗いせいか、天上は見えない。壁に沿って螺旋状階段になっており、闇への中へと続いている。
「……あの二人、明かりも持たずに登ってるのか?」
「……ここ、変」
 ラァスが呟いた。
「うん。おにいさん、ここ、歪んでる」
 歪み。
 一本の柱を見る。
 この柱が、原因だろう。
「歪み……ね。あの二人、階段なんて登っていないのでしょうね」
 メディアは唇を舐めた。
 それから、息をつく。集中するためのものだ。杖を影から取り出し、彼女の小柄な身体と同じほどの丈のある杖を床に立てる。
「其は残滓」
 すさまじい速さで、呪式を展開していく。
 それは、術の再構築の術。その場で最後に使われた魔法を、再現する。使い所を間違えば、身の破滅を招く術。
 メディアは杖を振り上げた。
「過ぎ去りしの時形取り、我が前に示せ」
 たん。
 杖の先端が床に叩き付けられると同時──。
 視界が真っ白になり、皆は別の場所にいることを理解した。
 とても明るく、そして何もないところ。四方を取り囲む無機質な白い壁。そこに唯一、扉があった。
 鉄製の、この場にそぐわない、重そうな開け放たれた扉。
「………何かしら、ここ」
「さあな」
 ハウルはここに来て、ようやく冷静さを取り戻した。
 少々、しくじったと感じていた。
「いい感じしないけど」
「なんか、怖い」
 あの二人、一体何をするつもりなのだろう?
 言い表せない、寒気がする。
 そういった感覚の鋭いアミュだけではなく、やや鈍いところのあるラァスまでが言うのだ。かなりのものだろう。
「とりあえず行くわよ」
「行くの!? マジで!?」
 メディアの決断に、ラァスが声を上げた。
「君は感じないの?」
「感じないし、見えないわ。だからどうしたと言うの?」
「怖いものしらずって、いいね」
「怖気づいたならここにいなさい。私は行くわ」
 ラァスは小さくため息をつく。
「ハウル、どうする?」
「さあ。俺もよくはわかんないし」
「アミュは分かってくれるのに」
「俺、自分の力の大半封じてんだ。気配ならともかく、そういった類のものはあまり感じない。悪霊とか目に見えるものならともかくな」
「そなの?」
「今は身体を作ることが重要だからな。余計なことに力を使いたくねぇんだ」
「そーなんだ……」
「まっ、もしもの時は助けてやるから」
「あのねぇ……」
 仕方ないとばかりに、彼は隠し持っていた装備を確かめる。
「行くのなら、さっさと行くわよ」
 メディアは既に動き出していた。彼女の強情さには呆れるしかない。
 彼女は昔から、強くあろうと努力していた。努力あって、結果を生む。もちろん、生まれ持った才能もあるが。
 なぜ、ああも気を張っているのかは知らない。だが、彼女のそんなところを、気に入っている。
 彼女は常に冷静である自分を装っているが、とてもひたむきで一途な女の子だ。
「行くか」
 皆はメディアの後へと続いた。

 

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