8話    理力の塔

 

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 そこは、ただの一本道だった。
 あまりにも白く、先が曖昧でどこまで続くのかは分からない。
 ラァスはそれでも時折振り返る。振り返るのは癖だ。始めて来る場所ならなおさらその癖が出る。
 既に入り口は見えない。再び前を見る。とりあえず、今のところ危険は感じない。壁に触れた右手も、妙な感覚を覚えたりはしない。
 いつ隠された道があるか分からないという理由で、ハウルとラァスが左右の通路の壁に手を触れながら歩いていた。感触は、とても滑らかなものだった。
「真っ白な一本道ってのも、怖いもんなんだねぇ」
「あら、怖いの?」
「メディアちゃんは怖くない?」
「当然でしょ」
「ふふ……」
 ラァスは笑う。
「無理しちゃって」
「無理なんてしていないわ」
「この状況を不安に思わない人間はいない。不安は恐怖とイコール。
 それを表に出すか出さないか。それにより判断力が低下するかしないか。
 人間の冷静さを表す部分はそこにある」
 受け売りだが。
 だから闇を恐れる。
 闇は味方にもなるが、敵になることもある。光は味方にもなるが、敵になることもある。それを恐れ、信頼してはいけない。
「恐怖心がないということは、冷静なんかじゃない。それは、危機感がない、ただの愚鈍な人間。そんな人間なら、麻薬の一つや二つで出来あがるよ」
 メディアは唇をゆがめた。
「面白いことを言うのね」
「うん。育ててくれた人の受け売り。
 本当に怖いときは、引いた方がいい場合の方が圧倒的に多い。
 引けないのなら、恐怖心にのみ捕らわれず、恐怖心を麻痺させたりすることもなく、常に自分であることを心がける。
 これが……まあいいや」
「何がいいのよ」
「いいのいいの」
 うちの暗殺ギルドの教育方針です、とは言えない。
 恐怖心を麻痺させる薬もあるが、それをすると冷静な判断がつかない。だから、よほどのことがない限りは使用しない。昔はそうでもなかったようだが。なにせ暗殺者、アサシンの語源はハシシ。麻薬なのだ。
「まあ、そこの馬鹿よりも、よほど面白いわね」
「馬鹿って俺のことか?」
「当たり前よ、脳無し」
「はははは。人を馬鹿呼ばわりか。かわいいなぁ、メディアは」
「お黙りなさい!」
 メディアの頬に朱が差した。
 本当に、意外に可愛い。
「メディアちゃんって、可愛い」
「お黙り!」
「可愛いって、褒め言葉だよ。ありがとう、って言える様になったら大人の女」
「…………」
 彼女は頬を赤らめる。
「……わたし、子供?」
「アミュはそのままでいいんだよ。これはメディアちゃんみたいな話し方する人のことだから」
「そうなの?」
「そうだよ。アミュは一生そのままで良しって感じ」
 そんなラァスへと、二人はよく似た生暖かい視線を向けた。
「ほんとうに?」
「本当本当。僕はそんなアミュが好きだから」
 アミュは嬉しそうに微笑む。
 ──はぁ、伝わらないもんなぁ、これじゃあ。
 焦るつもりは毛頭ないし、彼女のそんなところはすごく気に入っている。
「わたしもラァス君、大好き」
「くっ、二人だけの世界に行ってるわ」
「若いモンはすぐにいちゃいちゃと」
「まったくね」
「いちゃいちゃって……会話して手つないでるだけでそういうの?」
 街中で腕組んだり、抱き合ったりしているわけでもないのに。
 手をつないでいるのだって、万が一のときのためである。
「おにいさん」
「ん? どした?」
「あれ、何?」
 アミュは背後を指差す。
 目を凝らす。何もない。
「は?」
「白い毛玉さんに見えるの」
 ラァスはよくよく見る。確かにあった。白い、毛のモノ。
「うそ……」
 ラァスは目を疑った。
 大きな狼だった。ただし、ルートほどのサイズで、鋭い牙をむき出しにしているが。
「何?」
「番人の類ね」
 メディアがいきなり攻撃呪文を唱えたもので、ラァスは慌ててそれを遮るように結界を張る。メディアは呪文を中断した。
「逃げよ」
「……そうね。何事も平和的解決が必要ね」
 思い切り破壊解決を決行しようとしていた彼女は、正面を向いて走り出す。術の補助を得て、ぐんぐんと加速していく。
「アミュ、ちょっとごめんね」
 ラァスはアミュを抱き上げる。アミュはラァスにしがみ付いた。
 ラァスが呪文を唱えて走ると、すぐに追いついた。
「どうするつもり?」
「長くは持たないねぇ、結界。簡易結界だし……」
 ちらりと振り返ると、白い狼は結界に恐れることなく体当たりをして、そう長くも持ちそうにない。
「とりあえず……」
 ハウルはポケットから何かを取り出す。
「何?」
「特製眠り粉」
「やめてお願い」
「何でだよ?」
「万が一、風なんて使われたらこっちが危ないじゃん! そーいうのは、風上で高い場所に立って、それなりの準備をして使うの!」
 彼はしばし沈黙し、ポケットにしまう。
 そのときだ。
 ラァスは結界が破られるのを感じた。ちらりと振り返ると、早い。
「面倒ねっ」
 メディアは再び呪文を唱えようとした。
「次は物質的に……」
 ラァスは呪文を唱える。最近覚えた、少し凶悪な捕縛用の術。
「繋がれし永劫の罪人よ 汝が罪を分け与えよ われが望むはその鎖」
 白い壁が歪む。
 そしてそれらは溶けた飴のように形を変え、白い狼へと絡みつく。加減を忘れると、相手を地面や壁に取り込んでしまうような術だ。
「綺麗……」
「アミュは可愛いな」
「もう少し緊張感を持ちなさい」
「俺もちょっと賛成かも……」
 ラァスは再び背後を見る。力が足りないようだ。まだもがいている。
 仕方なく力を強め、身動きを取れなくしてやる。
「でも、やるじゃない。四カ月で罪人の術を使えるようになるなんて……信じられないわ」
「聖眼のおかげだよ。相性いいんだ、罪人シリーズ。とりあえず全部覚えたいな。地属性なのに攻撃性高い力貸してくれるから、僕のお気に入り」
 むしろ、攻撃系の魔法はこれしか知らないのだが。
「…………いいな、大きい犬……」
 彼女にとって、それは犬に等しいようだ。
「僕は猫派だなぁ」
「猫も好き」
「僕らが大人になったら、飼おうね」
「うん」
 金持ちになって、アミュをお嫁さんに貰って、大きな家を立てて、ペットを飼って、好きなだけ宝石を買いあされるようになるのが夢。
 そのためには、やはり稀代の魔道師にならなければならない。
「あ、出口だ」
 ラァスは光の中に闇を見た。
 普通は闇の中で光を見て感動するものだが、逆もありえるのだ。
「あれ………誰か立ってる」
 近付いて、理解した。
 時々やって来る不気味な郵便屋。
「なんであいつが……」
 ハウルが顔を顰めた。
「こちらです」
 彼は闇の中へと消える。
 それに彼らは続いた。

 目が痛くなるほど明るい場所から、暗い場所へとやってきて、何も見えなくなった。反射的に目を閉じる。闇になれる頃、ハウルは目を開く。
「命拾いしましたね」
 郵便屋は言う。
 目を開くと、そこは初めの場所……いや、違う。天井が近い。おそらく、最上階に近い場所。さらに上があるらしく、壁沿いの螺旋を描く階段とは別に、上へと続く階段があった。
「これって、素直に登ってきたほうがよかったのか?」
 ハウルが吹き抜け部分を覗き込みながら言う。
「いいえ。それでは一生ここにはたどり着けません」
「あれが正解の道?」
「はい」
「あんなのに追われなきゃここには来られないのか?」
「いいえ」
 彼は首を横に振る。
「あれが案内役です」
「……攻撃しなくてよかったな、メディア」
 ハウルはメディアを横目で見た。彼女は憮然としていた。
「もちろんです。あれに攻撃していたら、あの世界に取り込まれ、一生出られなくなっていたでしょう。あれは女神が作り出した、塔の番人なのですから」
 さすがに、絶句した。
 女神の作り出した番犬。それは、ハウルでも知っていた。魔道の守護神と呼ばれる、二級神だ。確かに、魔道の象徴たる理力の塔。その中でも中央塔たるここにいたとしても、不思議ではない。
「平和的解決って、必要なんだね」
「動物を虐めちゃだめだもの」
 郵便屋はくすりと笑う。
「攻撃の、一歩手前のようでしたが」
 ラァスの繋ぎ止めたいという意思を感じ取ったか、それが捕縛用の術だと知っていたのかは分からないが、確かに、命拾いしたのだろう。そんなもの相手にしては、たとえ封印を解いても敵うはずもなかった。
「ところで、どうしてあなたがここにいるの?」
 メディアが問うた。
「私はこの塔の住人ですので」
 彼は笑う。包帯が、少し歪んだから、そうなのだろう。
「賢者殿はこちらです」
 彼は階段を指し示す。
 不思議な男。人間でないのだけは確かだが……。
 メディアが先頭に立ち、前へと進む。その先は、正真正銘、最上階。
 ヴェノムとカオス。二人の後姿が見えた。
 そして、その向こうに、くもの巣のように張り巡らされた布。特殊な布を張り巡らせ作る結界があると聞いたことがある。
「ヴェノム」
 二人は、振り返った。
「ハウル?」
「メディア!」
 二人は驚いた様子で──たぶん──名を呼んだ。
「なぜここに?」
「好奇心よ」
 メディアはうそをつく。彼女はただ、カオスのことが気になって仕方なかっただけだ。
「回廊で白の獣に追われていました。特別に、ご招待しました。呼ばれましたので」
 誰も呼んでいない。心の中で師を呼んだりはしただろうが。
「ああ……ラァスですか」
 ラァスはきょとんとして自らを指差す。
「結界の強化は済みましたでしょうか?」
「ああ。もう問題ないですよ」
「ありがたい」
 郵便屋は結界へと近付いた。
 その中央には、鎖に絡まれた剣があった。
「私はしばらく眠ることにします」
 彼は結界を通り抜け、消えた。
「え……」
 皆、呆然としていた。
「なぁ……ヴェノム」
 彼女は肩をすくめた。隠し事が露見して、やれやれとでもいうように。
「これは咎人の剣」
 咎人。
「そして彼は、それに捕らわれし罪人」
「罪人?」
 呼ばれた。
 ラァスが呼んだ。
「こんなところに、罪人が縛られていたなんて……」
「彼は人の罪を身に背負うもの」
 永劫の罪。
「郵便屋さんが、どうしてそんな……」
 アミュは悲しげに呟いた。カオスは小さく笑う。
「彼は、殺したんです」
 あの剣で。
「聖人の中で目覚めかけた女神のかけらを──エインフェごと」
 女神が完全に目覚めぬよう。
 世界のために。
 世界を救い、罪人となった。
「それ以来、彼は邪神とされ、呪われました」

 かつて、魔道の守護神──白の獣は対であった。

「…………世の中、何が正しいんだろうね」
 ラァスは小さく呟いた。
 ここは深夜の食堂だった。ヴェノムとカオスはまだ塔の中。先に帰らされ、ここに来た。喉が渇いたから。そして、今なら誰もいないから。
 罪人のことなど知ろうともせず、強いからと言うだけでその力を借りていた。
 それもまた罪だろう。
「母親を傷つけることは罪だけど……。でも、理由があるのにそこまでの罪になるなんて」
「………私は、母さんを傷つけたら、許さない」
 メディアは呟いた。
 昨日から、彼女の様子がおかしかった。
「誰であろうとも、どんな理由があろうとも」
 しかし、理解できる思いだった。
 あの頃の自分は幼くて、守れなかった。体の弱い母に守られて、ただ泣いているしかなくて……。
「それは違うぞ」
「きゃ」
 メディアの身体が椅子から浮いた。
 いつの間にか彼女の背後に立っていたアルスが、彼女を軽々と抱き上げた。その隣にはミンスもいた。
「アルス」
「人間の魂っていうのは、神と肉体を共有して平気でいられるほど、強くはないんだ。誰であろうが、消滅する。
 だから彼は、彼女を救うために殺したんだ。消えてしまう前に、魂を縛り付ける器を壊した」
「…………でも」
「それが愛ってもんだ」
 メディアは頬を膨らませる。
「私はいや」
「メディア、アルスを困らせちゃダメ」
 ミンスはメディアの頬をつつく。
「アルスがいなくなったら、私……」
「大丈夫。もう、やらないから」
 ──じゃあ……この人が。
「アルスさんが聖人なの?」
 アミュの問いに、彼は頷いた。
「アルスはね、本当に偶然聖人になったんだ。たまたま見た降臨の呪文口にしたら、発動しちゃったと言う……」
 ミンスは暗い場を明るくするようにおどけて言う。
「あの後、大騒ぎになったよな」
「大神殿のど真ん中だったもんねぇ。周りの人たちの怪我や病気が治っちゃって」
「俺は死ぬほどしんどかったのに、もっと奇跡を、だぞ」
「あの時期、ちょっと引きこもりになってたよねぇ」
「だって、神殿からの使いやら、病人やらが押し寄せて来るんだぞ。疲れが取れないのに、できるかって感じだったな」
 メディアはくすくすと笑った。
「そういえば、そんなこともあったような……。私、何度か誘拐されかけたのよね」
「そういう馬鹿はミンスに半殺しにされたけどな」
 彼女が強くあろうと思うのは、そういう過去もあるからだろう。
 なんとなく、彼女の性格が出来上がる過程が理解できた。
「二人は、どういう関係なの。兄妹?」
 アルスに甘えるメディアを見て、ラァスは微笑ましく思い問うた。
「親子よ」
 ラァスはアルスを眺めた。二十代前半から半ば。
「聖人は年取らないの?」
「いや、別にそんなことはないが。私はまだ二十四だし、年相応だぞ」
 引き算。
 十二。
「十二の時の子?」
「ああ」
 ラァスの年の頃には、子供一人できていたということになる。
「あんときは、もう子供なんて欲しくないと思ったな。痛いのなんのって」
「は?」
 ラァスはアルスを眺めた。
 小奇麗な顔。長身だが、細身の身体。並べてみると、二人はとてもよく似ている。
「…………まさか、女の人?」
「そだよ」
 アルスにぺたりとひっついたミンスが言う。
「まさか父親?」
「残念ながら。まあ、今はアルスはボクのだけどぉ」
「いつから私はお前のものになったんだ。私はメディアのものだ」
 勝ち誇ったように、メディアはミンスを見下ろした。ミンスは頬を膨らませる。
 世の中、変わった親子もいたものだ。だが、いい親子だ。
 ラァスはアミュの横顔を見て、微笑んだ。
 今はまだ早いけれど、いつか、きっと……。

 

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あとがき